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2020年12月28日 (月)

「呉市広町の昭和史」発刊―広郷土史研究会

12月の中旬、中国新聞に、呉市広の「広郷土史研究会」が、これまでの研究成果をまとめた「呉市広町の昭和史」を発刊したという記事が掲載されました。

早速、事務局に電話を入れ、送本していただきました。翌日には私の手元に届きました。

同封された「ご案内」によれば、広郷土史研究会は、「終戦直後、米国占領政策が落ち着いた昭和24年に当時、広村時代の元助役、神谷伊津造によって設立されました。終戦後、何もかも不足する中で、教育によって地域を立て直そうと公会堂前の『教育第一』の石碑の前で、第一回広地区教育祭を行い現在も続いています。この教育第一の考えを学ぶため広郷土史研究会を続けたのです。(中略)広郷土史研究会は、その思いを引き継ぎ現在も活動しています」と、設立の経緯が記載されています。長い歴史を持つ研究会のようです。

実は、私はこの研究会のことを数年前から知っていました。というのは、かつての職場(NTTデータ)の友人が、OB会の時にこの研究会のことを話してくれていたからです。

と前置きが長くなったのですが、新聞記事を読んで私が注文しようと思ったのは、友人から聞いていたこともありますが、その新聞記事には、「呉市広町の昭和史」には、戦前に呉市広にあった「広海軍工廠の歴史」が記載され、その中には「女子挺身隊や学徒動員の歴史」「学徒動員の体験記」が掲載されていると紹介されていたからです。この「学徒動員」の言葉が気になったのです。

「広海軍工廠に派遣された学徒動員」については、10月4日付のブログ「なぜ益田高等女学校の生徒は被爆しなければならなかったのか」(http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/10/post-b8ef53.html)で、少し紹介していたからです。その日のブログの主題は、島根県の益田市にあった益田高等女学校の生徒が被爆することになった経緯でますが、最初に学徒動員された場所が、この呉市広の「広海軍工廠」だったことを書いています。その時から、広海軍工廠に動員された益田高等女学校の生徒について、もう少し何か知る手がかりはないだろうかと思っていましたので、「呉市広町の昭和史」の発刊を知り、すぐに注文したのです。

Img002_20201227175101

届くとすぐに、関連すると思われる個所を調べてみました。関連する章は2つあります。

その一つは、「8.広海軍工廠・第十一海軍航空廠女子挺身隊」の章です。ここに書かれているのは、廣村立廣実科博治塚高等女学校の生徒たちに関わる研究結果だけです。次の「9.学徒動員生の体験手記」には、7人の体験手記が掲載されています。ちょっと期待をしました。しかし、広高等女学校以外の学校名は、広島県内の庄原市の尋常高等小学校卒業の徴用工、可部高等女学校の学徒動員、私立婦徳高等女学校(熊野町に設立された学校:いのちとうとし注)の学徒動員、芸陽高等女学校(豊田郡中野村、現大崎上島町:いのちとうとし注)卒業の女子挺身隊の名前が出ているだけです。

結局今回入手した「呉市広町の昭和史」には、残念ながら期待した益田高等女学校の学徒動員に関わる記事を見つけることはできませんでした。

広島原爆戦災誌を調べていて気になっていたことを今回も感ずることになりました。軍都広島、軍港の街呉(広を含む)には、軍事関連施設が多くあっただけに、広島県外からも学徒動員によって派遣されていた生徒がいたはずなのに、その記録は、どこにも見つけることができないということです。敗戦が色濃くなった時期に、軍事関連施設で働くため県外から動員された人々、特に生徒たちの歴史が、どこにも記載されていないのは何故だろう、この歴史を掘り起こすことは大切な仕事のはずだということを改めて考えさせられました。

いのちとうとし

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