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2020年11月18日 (水)

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の銘文―その2

追悼祈念館の銘文の最終案がまとまるまでの経過を紹介する前に、追悼祈念館が建立されることになった経過をまず紹介したいと思います。

この追悼祈念館(当初どう呼ばれていたかははっきりしない)の構想が、最初に政府内部で持ち上がったのは、厚生省が原爆死没者全国実態調査を行った1990年のことです。そのことは、追悼祈念館のホームページ「開館までの歩み」に「1990年 厚生省が原爆死没者に対する弔意の表し方について検討を開始」と紹介されています。

当時、被爆者援護法制定のための参議院の野党のまとめ役として活躍されていた浜本万三参議院議員から、広島県被団協の主だったメンバーに「内々のことだが」と、次のような打診がありました。「間もなく50回忌を迎えることになる。仏教では、50回忌は『弔い上げ』(とむらいあげ)と言って最後の法要になる。それまでに何とかしなければならないが、今の国会情勢(自民党が多数)では、被爆者援護法を成立させるのは、難しい。そこで、『国としての追悼の施設をつくる』話が出ているのだが、どうだろうか?」というものでした。

しかし、この提案に対する広島県被団協の反応は冷ややかでした。「慰霊碑があるのに、重なる施設はいらない」が答えでした。後に、広島県被団協の坪井事務局長(1999年当時)は、マスコミに対しその反発の理由を「長年求めてきた被爆者に対する国家補償を、自民党が追悼祈念館の建設でかわそうとしてきたからだ」と説明しています。当時示された案では、追悼祈念館の建立場所は、広大工学部跡地(中区千田町3丁目、現在の県立図書館の東側辺り)だったことを記憶しています。

広島の被爆者の強い反対もあり、一度は立ち消えたかに思われた追悼祈念館構想でしたが、数年後復活することになりました。それは、1994年12月に成立した「被爆者援護法」に「国は広島市及び長崎市に投下された原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す事業を行う」という条文が入ったからです。

この被爆者援護法成立後、広島の被爆者団体も「建設そのものの反対」の立場を変え、「国が死没者を慰霊し、不戦・反核を誓うものにするという戦略」(近藤幸四郎談)に替わりました。以降、国に対し、追悼祈念館建設の理念の提示を強く求めることになりました。1995年、援護法発効とともに国は、「原爆死没者追悼平和祈念館開設準備委員会」を発足させ、1998年に「祈念館のあり方」が提言されました。

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実際に追悼祈念館を建設するにあたって重要となったのが、「追悼祈念館建設の理念をどうするか」でした。それが最もよく表れているのが、「死没者追悼空間」へのスロープに掲げられた銘文(説明文)なのです。

昨日紹介した資料によれば、地下1階入り口附近の壁面の文案とスロープの文案が示された最初は、2001年6月28日の日付となっています。この資料では、「追悼空間導入部(スロープの前)の説明文」の項にこう書かれています。「平和祈念・死没者追悼空間は、原子爆弾死没者を静かに追悼し、そして、平和について深く思索するための場所であり、この祈念館の最も重要な役割を担う場所です」と。

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ですから、このスロープに掲示される銘文(説明文)は、この追悼祈念館の理念が示されたものだと言えるのです。そして、この資料に最初には「作成にあたっての留意点」として3項目があげられていますが、その3番目には、「出来るだけ」と断ってはありますが「被爆者団体の要望に配慮すること」と書かれています。

実は、そのことを裏付けている文章があります。それは、被爆者援護法が採択される時に付された国会の付帯決議です。その中に「原爆死没者慰霊などの施設のできるだけ早い設置を図るとともに、被爆者および死没者遺族の共感が得られる施設となるように努めること」という一文があります。付帯決議は、法的な拘束力はありませんが、国会の意思を表したものですから、無視をすることはできません。

ですから、この銘文(説明文)の内容を決めるためには、被爆者の声を聴き、それを反映させることがどうしても必要でした。被爆者の声を無視することはできなかったのです。ですから最終案は、被爆者の強い要望が入れられた案文に大きく修正されてまとめられたのです。

被爆者の声に押されて当初の案文がどのように変わったのかは、明日紹介します。

いのちとうとし

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