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2020年11月22日 (日)

宇品線のモニュメントを訪ねて

11月14日に紹介した千暁寺からの帰り道、広島市南区役所を訪れました。目的は、南区を紹介するリーフレットなどをさがすためです。3階の地域おこし推進課まで上がると、「南区散策ガイドマップ」や「南区地域学の報告」など10種類を超える資料が、自由に入手できるよう配備されていました。

その中に「宇品線の足跡をたどる モニュメントMAP」がありました。そこには、1986年9月30日の全線が廃止となった宇品線の面影を今に伝えるために作られたモニュメントが紹介されています。

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この地図を頼り「宇品線のモニュメント」を訪ねてみることにしました。そこでは思いがけない人との出会いや新しい発見やもありました。「モニュメントめぐり」にスタートする前に、簡単に宇品線の歴史を紹介します。

よく知られているように宇品線は、1894年(明治27年)8月1日に始まった日清戦争の開戦直後の8月4日に起工され、8月20日までわずか17日間という短い期間で完成しました。区間は、6月10日に開通し山陽鉄道の東京方面からの最終駅であった広島駅から南へ約6kmの宇品港までの路線です。戦争を遂行するための大量の兵員や物資を輸送するために施設されたものです。陸軍省が管轄する軍用鉄道でした。日清戦争やそれ以後の戦争で大きな役割を果たします。日清戦争後は、山陽鉄道宇品線となり、一般営業も行われたようですが、その沿線に兵器廠や被服廠が作られた歴史を見れば、その大きな目的が何だったかははっきりします。戦後は、国鉄の路線として活躍しますが、先に述べたように1986年9月に全線廃止となりました。

散策の最初に訪れたのは、猿猴川左岸です。「モニュメントMAP」にはなかったのですが、かつてここに架かっていた「鉄橋」の痕跡を見つけたかったからです。残念ながら「鉄橋の跡」を示すものは何もありません。「鉄橋があった」と思える場所には、「平和橋」がかかっています。写真の反対側(下流側)の橋脚に「平和橋」の名前が書かれています。この橋を渡り、道路を北に進むと、写真の奥の方に見えるマツダスタジアムに突き当たります。

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「平和大橋」の名前については、後で調べて分かったことがあります。1954年9月の台風で、宇品線の鉄橋の橋脚が傾いたため不通となり、川下側に平行して新しい鉄橋が作られました。通れなくなった古い鉄橋は、板が張られ、人道橋として復活したそうです。その時この人道橋に付けられた名前が「平和橋」だったのです。その名前が、現在の新しい橋にも付けられたのです。

残念ながら「鉄橋」の痕跡を見つけることはできませんでしたが、ここをスタートに宇品方面に向かいました。宇品線跡は、廃線後は道路として使われました。橋の南側で少し、左に曲がりそのまま真っすぐ道路が伸びています。道路の落葉を清掃されている住民に出会いましたので、声をかけました。「この道が宇品線の跡ですね」「そうです。わが家と線路との間(宇品方面に向かって右側)には、溝がありました。今は暗渠になっていますよ。」

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 段原地区の再開発で、多くの道路が付け替えられ広くなっていますが、宇品線の跡の道路は殆どがそのまま残ったようです。その道路をまっすぐに進み、南段原駅付近に作られた公園をめざします。この公園はすぐに見つかりました。正式名称は、段原南第五公園ですが、「宇品線公園」と名付けられ、親しまれています。

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「南段原駅」の駅名表示板があります。隣駅は、広島駅方面が「おおすぐち」宇品方面が「かみおおこう」です。少し文字が薄くなっていますが、読み取ることができます。「モニュメントMAP」では、広島駅方面の隣駅は、「東段原駅」となっていますが、この駅名表示板には、何故か「おおすぐち」と書かれています。

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その理由は、「東段原駅」は、1930年に新設され、1943年10月に廃止となっていますので、戦後には存在しなかった駅だからだと後でわかりました。「南段原駅」は、広島駅からの距離は1.8キロ、1931年に新設されたときの駅名は、「女子商業前停留場」でしたが、1937年に「南段原駅」と改称されました。

この公園には、駅名表示板とともに線路の一部と動輪が設置されていますが、もともとあった駅とは少し場所が違うようですが、公園の別名「宇品線公園」にも表れているように、近所の人たちの宇品線への思いが込められて整備されたことがわかります。

「モニュメントMAP」には書かれていませんが、この公園の南約90メートル進むと宇品線は少し左にカーブします。ちょうどそのあたり、広島南警察署段原交番の裏側に通る道路に面して「惜別宇品線記念碑」が設置されています。

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この記念碑には、「蒸気機関車」の絵と「92年間の健闘に感謝 明治27年(1984)~昭和61年9月30日(1986)」の文字が刻まれています。大きな碑ではありませんので、見つけるのが難しいかもしれませんが、写真で分かるように裏側(西側)に大きな柳の木があります。これを目印にすると見つけやすいと思います。

と、ここまでたどり着くのにずいぶん字数を要してしまいましたので、このつづきは、明後日以降にします。

いのちとうとし

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