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2020年10月 6日 (火)

平和大通りを歩いてみませんか

先週の土曜日(3日)の午前中、慰霊碑や被爆者の森、樹木などをめぐりながら「平和通りを一緒に歩こう」という企画が実施されました。

この企画、広島市が計画している「平和大通りにぎわいづくり」を考える学習会が、8月21日に開催された時、問題提起者として参加した私が、「この問題を理解するためには、一度現地を訪れるのが一番です。ぜひみんなで平和大通りを歩いてみませんか」と呼びかけたことがきっかけとなり実現した行事です。

カキ船問題を考える会が中心になって作った「平和大通りを歩く会実行委員会」の急きょの呼びかけでしたが、集合場所の白神社前には、当集合時間の午前10時前から次々と参加者が集まり、最終的には子どもを含めて50名を超える人数となりました。主催者が用意した資料が足りなくなるほどの盛況でした。

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簡単なあいさつの後、散策はスタートしました。最初は、目の前の白神社の被爆状況の解説です。ここでの解説者は、高橋信男さん。爆心地から約600mの距離で被爆した白神社には、社殿下や後ろにある岩石群が熱線やその後の火災によって表面が赤色に変色したあとがはっきりと残っている様子などが話されました。

周辺の「被爆樹木」の説明をし忘れたまま、東のブロックにある「第一県女の慰霊碑」へ移動します。ここでも高橋信男さんが、慰霊碑の横に立つ学校の門柱について「当時の学校は、東側に校門があったので、今の位置よりちょっと東側にあったと思われる」ことなどを解説。高橋さんの話のあと、私が第一県女(現在の皆実高校)の同窓会のホームページに掲載されている「現在の空中写真に当時の学校の敷地を図示した資料」を基に、学校の敷地が平和大通りの車道の真ん中まであったことを説明しました。平和大通りが、多くの建物の立ち退きによって造ることができたことを知ってもらうためです。

この第一原女の慰霊碑があるブロックには、この日訪れた平和大通りの中では、供木運動の樹木が一番残っていますので、ここで私が調べてきた結果を報告しました。供木運動によって平和大通りのみどりがつくられたことを知ってもらうことも、今回の目的の一つでした。

さらにすぐ東のブロックにある「桜隊の碑」へ移動します。

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ここでは、安佐南市民劇場の亀井恭二さんから「移動演劇隊桜隊」がなぜ広島で被爆したのか、そしてほとんどの隊員が犠牲になったことなどが紹介されました。亀井さんが用意された資料も10部余りでしたので、参加者に配布することができませんでした。

この後からは、この企画のために参加していただいた「平和大通り樹の会」の小林みどりさんの樹木や平和大通りにまつわる話がスタートしました。

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「平和大通り樹の会」が作成した、平和大通りの樹木を詳しく解説するパンフレット「平和大通りの樹木」が資料として準備されていたのですが、これも部数が不足で全員には配布できませんでした。小林さんの解説です。「クロガネモチにはオスとメスの木があります」「メタセコイアは、絶滅していたと思われていましたが、1945年に中国四川省で現存が確認されました。」樹木の解説だけではありません。「広島市信用金庫の手前の平和大通りを見てください。あの庭園は、信用金庫が作られ、寄付されたものです。」「ここは『ケヤキの森』です」(倒れていますが石碑がありました)などなど、初めて聞くような話ばかりです。

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小林さんの話を聞きながら、今回の「平和大通りを歩く会」の終点地、田中町交差点と鶴見橋西詰手前にある「被爆者の森」に移動しました。

「被爆45周年の1995年に日本被団協の呼びかけによって、各都道府県の被爆者団体から、県の木が寄せられて作られた『被爆者の森』です。ただ、広島の気候と会わない県木もありますので、別の木もあります。」との小林さんの説明。

「被爆者の森」についても、このブログで一度とりあげていますので、今日はこれ以上の説明は省略しますが、「初めてこの森のことを知った」「一度来てみたいと思っていたがようやく来ることができました」という参加者が多かったことだけ紹介しておきます。1時間半の「平和大通り歩き」は予定通り無事終了しました。

今回の「平和大通りを歩く会」では、亀井さんや小林さんたちの協力があり、私も多くの新しいことを学ぶことができました。「平和大通りのにぎわい」をつくるためには、「広島市平和記念都市建設法」の原点に立ち返り、もう一度この場所に今ある資源を見つめ直し、その活用を考えることが大切だということを再確認できました。多くの市民のみなさんにぜひ一度現地に足を運んでほしいと思います。

いのちとうとし

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