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2020年9月 7日 (月)

やはり元は「川内村原爆精霊供養塔」でした。

8月29日の「誓願寺の佐東町原爆精霊供養塔」(http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/08/post-82fb8e.html)で紹介した誓願寺にある「原爆精霊供養塔」が最初に建立された時は、「川内村」の供養塔として建てられたことが、確認できました。

このブログで何度か登場した「広島戦後の復興史」の著者の西井麻里奈さんに、先日ブログで紹介した「現在『佐東町原爆精霊供養塔』は、誓願寺から三滝に移転し、平和公園にある『義勇隊の碑』が建立されるまでは、ずっと『佐東町』ではなく『川内村原爆精霊供養塔』だった」という私の推論をメールで送りました。

数日後、西井さんから次のようなメールが返ってきました。

「誓願寺に行かれたとのことです。廣瀬さんとは本が出たときに電話でご挨拶をしたのみで、お会いできておりません。本来ならば、長年のご協力に直接お礼に出向くべきところでした。お元気だったようで、うれしく思います。

『佐東町』のこと、ご指摘をありがとうございました。この部分がへこんでいるのはそういうことかと思うと同時に、もっと写真をよく見ておくべきだったと思いました。

この碑が中島町時代の再建誓願寺の敷地内にあったころの写真を改めて確認しましたが、『安佐郡川内村』となっています。(この写真、元も不鮮明なのですが、拙著にも掲載したものはさらに小さくて見えにくいですね…)

字の感じもつかみにくいですが、『原爆精霊供養塔』の文字のスタイルと似ているように思います。

『佐東町』の文字がお父様のものということも納得ができます。この碑には一度だけ、坂山さん・廣瀬さんとご一緒に訪れました。

この下に、最初の木碑を建設したときに埋めていた名簿があるのかもしれない、という話題になり、そのことばかり頭に残っていました。」

メールの中に記載されている「写真」が、下の写真です。

Photo_20200906103101

本に掲載されている写真をスマホで写していますので、不鮮明ですが、よく見れば、私が先日、誓願寺を訪れて映した「原爆精霊供養塔」と形や刻まれた文字は同じものだということが分かります。

Dsc_6812

西井さんに、改めて手元の写真を再確認していただいた結果現在「佐東町」となっているところに以前は、「安佐郡川内村」と刻まれていたことが再確認でしました。これで、私が推論した「もともと『安佐郡川内村』と刻まれていた」ことが証明されました。

ところで、西井さんのメールに書かれている「最初の木碑」が次の写真です。

Photo_20200906103401

この写真も西井さんの本からの転写ですので、かなりひずんでしまいました。ところで写真に写っている右後ろに立つ碑は、原爆で亡くなられた誓願寺の住職の供養塔です。ですから、この場所が被爆時に誓願寺があった場所に間違いありません。

西井さんがメールで「話題となった」名簿は、この木碑の「供養塔」が建立された時に埋められた「犠牲者の名簿」のことですが、5年後に「石碑」に替わった時にも埋められたのか、そして今どうなっているのかは不明のようです。

前回も書きましたが、1963年に誓願寺本堂が三滝に移転するのに伴い、この「石碑」も三滝の墓地に移転することになったのです。

もともと木碑の建立場所に誓願寺が選ばれたのは、「川内の義勇隊が亡くなった場所の近くで供養したい」との思いが理由ですから、「石碑」が三滝墓苑に移転することは、木碑を誓願寺に建立した意味(亡くなった場所の近くで供養する)を失わせることになったのです。そのため、川内地区の人たちの努力によって1964年に現在の平和公園内に新たな供養碑「義勇隊の碑」が完成することになったわけです。そして今度は、名簿を地下に埋めるのではなく、裏面に犠牲者の名前が刻まれることになったようです。

広島平和祈念資料館の「平和記念公園マップ」に掲載された「義勇隊の碑」の説明では、「建立年月日 1964年(昭和39年)8月6日」だけでなく、三滝墓苑に「原爆精霊供養塔がある」ことも記載されています。しかし、そこには誓願寺とのかかわりは出てきません。これまで私もフィールドワークでは、この「平和公園マップ」を参考にしていましたので、「義勇隊の碑」について「この碑は1964年に建立されました」と紹介し「木碑」のことや「原爆精霊供養塔」のことには、触れたことがありません。しかし「木碑建立」からの経緯を知ることができましたので、「義勇隊の碑」には「1946年からの前史」があり、「遺族の人たちの特に強い思いがあって、この場所に建立された」ことを紹介しなければならないと思っています。

いのちとうとし

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