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2020年8月 9日 (日)

李実根さんのお墓参り

8月に入り一気に暑さが厳しくなった2日、納骨式が終わった李実根さんのお墓参りに行きました。

6月に入って李実根さんの葬儀の導師を務めた吉川徹忍さんから「李実根さんの納骨式が終わりました」と連絡を受け、「梅雨が明けたら案内してください」とお願いしていたのですが、長雨にたたられなかなかお墓参りをする機会がありませんでした。7月も終わりに近づき、やっと長い梅雨が明け、お墓参りを実現させることができました。

当日お墓参りに同行したのは、李さんのあとを受け朝鮮人被爆者協議会の理事長を務める金鎮湖さん、案内役の吉川さん、「葬儀に参加できなかったからお墓参りをする時には声をかけてください」と以前から頼まれていた平和フォーラムの福山真劫顧問、そして私の4人です。福山さんは、2000年代に入って原水禁国民会議の事務局長として、在朝被爆者問題解決のため何度も李さんと一緒に訪朝したことがあり、東京からの日帰り日程での参加でした。広島駅で待ち合わせをし、金さん運転の車で坂町に移動しました。

坂町のパルティ・フジ坂店の駐車場で、李さんの長男英一さんと合流し、お墓へ移動しました。坂町漁協のカキ打ち場が横につづく道をさらに400mほど進むと李家のお墓がある墓地に到着しました。

英一さんに用意していただいた線香に火をともし、金鎮湖さんに準備していただいた花を活けて、吉川さんの読経の中、一人ひとり、李さんが愛してやまなかったお酒をお供えし、墓前にぬかずきました。

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お参りを終えて、英一さんの話を聞きました。この場所を決めたのは、李実根さん。墓地から振り返ると眼前に海田湾が広がっています。「父は、『この海は祖国朝鮮半島にまでつながっている』と非常に気に入っていました」との話。長男の英一さんが現在坂町に住んでおられることもここを選ばれた理由の一つのようですが、朝鮮半島に繋がる海が見える丘ということも大きかったようです。

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2008年にここに墓地を選びお墓を建立された李さんは、山口にあったご両親の遺骨もここに移されたそうです。ところが、この墓地一昨年の豪雨災害で、土砂崩れの被害に遭い、墓石はもちろん遺骨までもが流されてしまい、見つかっていないそうです。李家の周りのお墓には、傷ついた墓石が目に付きます。英一さんは、「砂防工事もままならないこの墓地にお墓を再建するのはどうかと思ってのですが、アボジが『海が見える場所』と喜んでいた墓地でしたので、ここに新しいお墓を作ることにしました」と話してくださいました。

新しく作られた李家のお墓には、英一さんの父李実根さんへの強い思いがこもっています。

Dsc_6619

お墓の右面には、「価値ある生き方を」という李さんの言葉が刻まれています。そして、右側には墓銘碑ともいえる石があり、長男英一さんの「父実根への追悼のことば」が刻まれています。全文紹介します。

「祖国と民族は私の胸に 父が残した強固な信念、無数の勇断、万古不易の道のりは 我々家族の宝として、永遠に輝き続けるであろう。 2020年6月 長男英一」

お墓をよく見ると、正面には「延安李家之墓」と刻まれています。「延安」初めて聞く地名です。朝鮮半島に移住したのが何代前の先祖かは、わからないそうですが、李実根さんの祖先は、中国・延安の出身だったそうです。同行した金鎮湖さんも「初めて聞く話だ」と言っておられました。

こうして念願だった李実根さんのお墓参りも無事に終えることができました。

いのちとうとし

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