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2020年8月21日 (金)

劣化した政治の「震源地」はどこか? (4) ――憲法違反の小選挙区制度 (3) ――

劣化した政治の「震源地」はどこか? (4)

――憲法違反の小選挙区制度 (3) ――

 

長い間、憲法と付き合ってきて、さらに昨年には『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』を法政大学出版局から上梓して気付いたことの一つを格言風にまとめておきたいと思います。それは、

深刻な政治問題の陰には、必ず「憲法違反」が隠れている

です。

「諸悪の根源」と言っても良い「小選挙区制」についても当然、この格言が当てはまります。今回は、その検証です。

《両院協議会》

憲法違反は、一連の出来事の最終段階で起きました。1993年11月18日、衆議院で賛成270、反対226、棄権10で可決されました。翌1994年の1月21日には、この案が、参議院で反対130、賛成118の12票差で否決されました。つまり、小選挙区制度を導入するための政治改革4法案は、衆議院で可決、参議院で否決されたのですが、このような場合に法案はどうなるのか、憲法には当然規定があります。

Photo_20200820114501

59  法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。

 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。

 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。

 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

大原則としては、両院で可決されない限り、法案は廃案になるということです。つまり、「政治改革4法案」は廃案にされるべきだったのです。これが2院制の存在意義だと言っても良いでしょう。参議院が常に衆議院と同じ判断を下すのであれば、2院制は必要ではないからです。仮に衆議院で可決されても、別の視点から法案を見直すことで、よりよい判断ができる場合のあることは、最近はかなり普及してきた医療面での「セカンド・オピニオン」が大切なことからも理解して頂けると思います。

しかし、第3項では両院協議会を開いて妥協案を作っても構いませんよという、「仲裁」的な可能性も認めています。衆議院と参議院が真っ向から対立するのではなく、歩み寄ることでより良い結果が生じることも考えられるからです。そして、予算や条約、首班指名の場合は衆議院の優越が認められています。両院協議会を開くことが義務付けられ、そこで成案が得られなければ衆議院の決定に従うことになっています。もう一つの可能性もあります。衆議院が3分の2以上の賛成で再度可決すれば、参議院が反対しても法律ができるのです。

ただし、通常の法律案の場合には、両院協議会を開く必要はありません。しかし衆議院が開催を請求した場合は参議院がそれに従わなくてはなりません。

政治改革4法案の場合は、衆議院が両院協議会の開催を請求して、1月26日の夜に両院協議会が開かれました。衆参それぞれ10人の委員で構成し、議長は衆参それぞれで選ばれ、一日交替で議長を務めます。しかし、協議は整わず、27日に、両院協議会の議長が衆参両院の議長に協議会終了の報告に行っています。

当時細川総理大臣の政務秘書官だった成田憲彦氏が北海道大学の法学論集46に寄稿している「政治改革法案の成立過程 -官邸と与党の動きを中心として-」によると、当時の土井議長は、その報告を受け付けず、協議会を続けるよう指示したというのです。その部分の引用です。ページは(6・473)です。

(http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/15657/1/46%286%29_p405-486.pdf)

この時に、市川書記長が両院協議会打ち切りについての衆議院議長への報告から戻ります。

市川「議長は『明日もやってください。もったいない』という話でした。私と大出(俊)さんで説明。―――(打ち切るのは)山本(富雄・参議院自民党幹事長)さんも議長の責任を出すのは反対だがやむを得ないと。二回駄目を押した。委員部も『瑕疵があるとは思えない』と。共産党の橋本(敦)さんまで『やむを得ない』と。出てきたところに河野さんと森さんが。大出さん、議長に『組織を潰すつもりですか』、とカンカンに怒っていた。」

(中略)

与党のラインに沿って、市川さんとコンビを組んで、議長に対しても、「議長の対応はけしからん」と大出さんが怒ってくれたのです。

[引用終り]

その間、細川総理と河野自民党総裁とのトップ会談が行われ、妥協案が作られました。以下、表面的に「正史」として語られる内容ですが、それを受けて、(終了したはずの)両院協議会が再度開かれ、成案を得たのち、国会法の規定に従って両議院で可決、政治改革4法案が法律になったのです。その結果として、日本の政治が大きく歪んだ、ということは最初に指摘した通りです。

次号では、当時の土井議長の役割を軸に、憲法59条の意味についてまとめたいと思います。

 [2020/8/21 イライザ]

 

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コメント

思えば、参院否決でホッとしてしまって、
さらには、その後の成り行きのほうが大事だったのに、
(59条3なぞ、もうとう頭になどなくて)
また丹念にウオッチしていたわけでもなく、
アレいつにのまに、と結果を目の当たりにした頃、
週刊金曜日に筑紫哲也さんだったか、
その”土井たか裁き”を、
善意の道が悪の道へとなってしまった、とかと。
「地獄の道は善意で敷きつめられている」と
ビシッと記されていたのだったか。
(* ̄0 ̄)でした。
おたかさんを吊し上げ!?るにしても、
「地獄の道...」が精いっぱいだわね、と。

「硬い心」様

コメント有り難う御座いました。

筑紫さんは、私たちを「守旧派」と呼んで、ずっと批判してきたのですが--。「地獄への道を舗装する」は、土井さんへの批判ではなく、守旧派への批判です。直接言われた記憶があります。

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