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2020年7月16日 (木)

中国から贈られた被爆者支援カンパ その3ー広島市はどう記録されているか

一昨日、第1回原水禁世界大会に参加した中国代表団から寄付された5万元(722万円)のうち、広島に290万円が分配され、そのうちの200万円が、被爆者の治療費調達に苦慮する広島市に寄託されたことを紹介しました。

今日は、寄託を受けた広島市で「どう記録されているか」の報告です。一応何冊か手にできる本を中心に調べてみました。すべての広島市の公文書に当たったわけではありませんので、当然見逃しがあるということは、十分承知しています。

私が、最初に調べたのは、1996年3月31日に発刊された「広島市原爆被爆者援護行政史」(以下「援護行政史」という)です。

この本の巻頭にある平岡市長にあいさつの最後の部分を引用します。「原爆が投下され50周年という節目を迎えるに当り、こうした被爆者に対する援護行政のあゆみを集大成した『広島市原爆被爆者援護行政史』を刊行することになりました。本書は、広島市の立場から主として被爆者援護の制度の歴史をまとめたものであり、・・・」と書かれています。ここに書かれているように「援護行政史」は、広島市の援護行政が集大成されていますから、まずこの本から調べるのは当然のことです。

「援護行政史」では「第2章 初期の被爆者援護」、「5 原爆障害者治療対策と原対協」の2番目の項目として「治療活動の開始」について書かれていますので、最初にその項を調べました。「原対協の治療活動」の次に「治療費の確保」という項目があります。読み進むと「ハワイ在住同朋からの寄付」や「中央共同募金会とNHKなどが中心となって取り組まれた被爆者救援募金運動」で約364万円の寄付が寄せられたことはかなり詳しく書かれていますが、中国代表団からの支援金についてはまったく記載がありません。ただよく見ると、この項には、下に示した「原対協の活動資金受け入れ状況」の一覧表が付けられています。

Img004_20200715162601

この表の昭和30年度寄付金欄の金額「418,804」という数字の前に、ちょっと小さくて読みにくいのです(2)の注が付けられ、下の欄外には、()として、次のように書かれています。「昭和30年12月原水爆禁止広島協議会から治療費として寄託された200万円は、含まれていません。(「広島原爆医療史」』)」。ここには「原水爆禁止広島協議会から」と書かれているだけですので、これでは、このお金が、中国代表団の寄付金だということは、私には理解できても、多くの人には何を言っているのかわかりません。なぜ「含まれていない」のかの説明もありませ。「広島原爆医療史」からのそのままの引用だからだとは理解できますが、「広島原爆医療史」を手にできない人には完全に意味不明です。

と言いながらも、他の項目で記載されているのではと探してみました。二つほど出てきました。

一つは、同じ「第2章 初期の被爆者援護」の「国内外からの援助」の項に「中国等からの資金カンパもあり、大手町の『原爆被害者福祉センター広島平和会館』の建設などに当てられた。」と書かれているのを見つけました。確かに「平和会館」の建設に中国代表団からの支援金の一部が使われてはいますが、それよりも金額的に考えても広島市にとっても重要なことは「広島市への寄託金」のはずです。平和会館建設に触れながら、「市への寄託金」が記載されなかったのでしょうか。二つ目は、巻末に付けられた年表の「昭和30年(1955年)11月29日 日本原水協、中国からの救援金のうち200万円を原爆障害者の治療費として原対協に寄託(原対協『30年の歩み』)」です。でもこの年表だけを丹念に見る人は、そんなに多くないはずです。この二つから、「援護行政史」編集委員会のメンバーが、中国代表団からの支援金のことを知らなかったわけではないはずです。

先に触れた「被爆者救援募金運動」や「国内外からの援助」での「海外移民からの援助」やアメリカのフロイド・シュモ―博士のことなどは、かなり詳しく記載されていますので、中国代表団の支援金についても「援護行政史」にきちんと記載されてもよかったはずです。なぜ「広島市への支援金」について記載されなかったのか、どうしても理解できません。

「なぜ」という思いはぬぐいきれませんが、この「援護行政史」以前に刊行されたものには、どのように記載されているかも調べる必要があると思い、「広島原爆医療史」や「原対協30年の歩み」、「広島新史」を調べてみました。そこで、「広島市に寄託された200万円」の意外なその後の事実を知ることになりました。その結果は、明日紹介することにします。

いのちとうとし

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