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2020年6月 4日 (木)

「さようなら安倍政権」-2か月ぶりの3の日行動

「戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会」が主催する「3の日行動」の街宣活動が、昨日午後5時半から1時間、本通電停前で2か月ぶりに開催されました。

今回は、新型コロナウイルスの影響もあり、リレースピーチとスタンデングによるアピール行動です。

準備された横断幕は、初めて登場する「#さようなら安倍政権」と書かれた2枚を含め9枚。4月の「3の日行動」以降次々と明らかになった安倍政権のずさんな政権運営に対する国民の思いが伝わる「さようなら」の言葉です。

川后和幸共同代表の「コロナが浮き彫りにした医療・福祉の貧しさ」を内容とした訴えで始まったリレースピーチ。新型コロナ対策の中で明らかになった様々な矛盾が、次々と訴えられました。

「コロナと原発事故…恐怖の日本列島」。そして「医療崩壊の危機は続く」と題したスピーチは、市民病院の看護師さんの訴え。「いつ自分が感染するかもわからない」という不安を抱えながら懸命な努力を続ける医師、看護師の実態。さらに「新型コロナ患者を受け入れた病院は、一般患者の受け入れが大幅に減少し、財政面からも大変な状況です」「生命と健康を守るというなら国谷氏はきちんとした財政支援を」医療現場の深刻な訴えは耳に響きます。次は、中小商工業者の切実な現状が報告されました。「複雑な申請。なかなかでない支援金。問題は山積。そしてオンライン申請では、手続きすらできない事業者がいる」と。

当然のことですが、今回も「河井疑惑問題」も取り上げられます。河井夫妻はもちろん、河井案里候補に異常な肩入れをしてきた安倍首相、菅官房長官の責任も厳しく問われなければなりません。予定していたスピーカーが急に欠席となったため、急きょ私もマイクを握ることになりました。私は、「専門家会議の議事録」問題をとりあげましたが、その内容は街宣行動の様子を報告した後に書いておきます。

リレースピーチの最後は、ヒロシマ総がかり行動実行委員会事務局長の石口俊一弁護士が「黒川問題は、ここが問題」を短い時間でわかり易く訴えて今日の行動を終了しました。

ビラ配布のない「3の日行動」でしたが、久しぶりの行動でもあったからでしょうか60名の参加がありました。

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私のスピーチは、少し演説内容に付け加えていますが。次のような主張です。

驚きの連続の安倍政権ですが、「本当に異常だ」と思うことの一つが、新型コロナ対策の専門家会議の議事録が作られていなかった問題です。「戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会」が、毎年5月3日に開催する「憲法記念日集会」を中止する代わりに実施した「ユーチューブトーク」で訴えた私の最後の部分はこうです。「その過程を検証するためにも、すべての情報をきちんと管理し残すことが絶対に必要です。情報の改ざんや隠ぺいは決してあってはなりません。正しい情報に基づく検証なくして、憲法を語ることはできないのです。」

私のこの主張は、新型コロナウイルス発生とともに言われ始めた「憲法を『緊急事態』条項を入れよう」という主張を意識していたからです。もし本当に憲法論議をするのであれば、きちんとした論議経過が残されていることは絶対に必要です。それが無ければ、きちんとした検証はできず、論議のスタートにも付けないのです。公文書をいとも簡単に改ざんし、隠ぺいする安倍政権ですから、記録が残ることを良しとしないのでしょうが「歴史的緊急事態」に指定した安倍さん自身です。全ての経緯を文書に残すことは当然の責務です。ましてや「いのちに関わり、権利を規制する根拠となる」重要な専門家会議ですからなおさらです。この当たり前に事がきちんとやれずに、思い付きとしか思えない発言や政策が多すぎる安倍政権は、まさに「さようなら」してもらうほかありません。

いのちとうとし

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