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2020年5月20日 (水)

旧山口銀行広島支店の被爆石

4月8日の「『原爆の絵8号碑』の除幕式」のつづきです。

今日は、「原爆の絵8号碑」の台座に使われた旧山口銀行広島支店の被爆石の話です。

除幕式でこの話を聞いた時、最初の浮かんだのは「この被爆石、どこに保管されていたのだろう」という疑問でした。除幕式の手伝い人の中に知人の姿がありましたので、後日メールで問い合わせました。

「『被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会』の発足時のメンバーでもある高校の美術の教師土井克彦さんが、旧山口銀行解体の際、譲り受けて自宅の庭に大切に保管されていたものです。建物が解体されるときには、石材などは全部ほかされるようですが、ある縁があって、譲り受け保管することになったのです。旧山口銀行の被爆石が保管されているのは、ここだけです。その石を今度使うことになったのです。宇品のプラットホームの石もありますよ。」返信のメールには、運び出すときの写真が添付されていました。

Img_0093-002  

土井克彦先生の名前が出てびっくりです。土井先生には、1988年6月に開催した「丸木位里・俊 原爆の図ヒロシマ展」をする時、大変お世話になったことがあったからです。お会いできればと思ったのですが、残念なことに、2015年8月に他界されていました。

後日、新しいビルに生まれ変わっている旧山口銀行跡に、「何か表示はないか」と訪ねてみました。外面からは、その痕跡を見ることはできませんでしたが、建物の左手、1階通路部分に窓枠の一部が「旧大林組広島支店の被爆モニュメント」の説明版と共に設置されていました。

Dsc_5912

このモニュメント、古い写真をよく見ると窓の上部にあった装飾のようです。

Photo_20200519103901

ところで、「旧山口銀行」がいつの間にか「旧大林組広島支店」と名称が変わっていますが、その経緯は「ここに被爆建物がありました」という説明版に被爆後の建物の写真と共に詳しく書かれていますので、全文を掲載します。

「この場所にあった建物は、大正12(1923)年に鴻池銀行広島支店として建築されました。設計者は銀行建築を数多く手掛けた渡辺 節(1884~1967)。本通りのほぼ中央部にあって、小規模ながらルネッサンス様式を基本としたデザインが施され、正面の3連の飾りアーチなどが印象的な建物でした。

 その後、三和銀行平田屋町支店を経て、大林組広島支店となりましたが、昭和20(1945)年8月6日、原子爆弾により被災しました。爆心地からの距離は約490メートル。爆風により屋根が押し下げられ、アーチ窓も吹き破られ、内部は全焼しましたが、倒壊は免れました。建物内の犠牲者は3人が即死し、1人が一カ月後に亡くなりました。

 被爆後、建物は修復され、引き続き大林組広島支店として使用された後、昭和26(1951)年からは山口銀行広島支店となり、昭和50(1975)年には本通支店と改称し使用されました。

 戦後57年間、都心部に残された貴重な被爆建物のひとつとして、本通りを行き交う人々に親しまれましたが、平成14(2002)年に解体されました。なお、この建物の一部(原爆の爆風の痕跡をとどめる換気窓)は平和記念資料館に保存されています。

 この説明板は、この地で被爆した建物を記録し、永く原爆による惨禍を後世に伝えるために設置されたものです。」

 

「平和記念資料館に保存されています」とありますので、「現在どうなっているか」を平和記念資料館に問い合わせてみました。常設展示はされていませんが、これまでに「新着資料展」「企画展」で2回展示され、常時は収蔵庫に保管されているようです。詳しい情報は、平和記念資料館のホームページの先頭ベージ最下段に表示された「平和データベース」をクリックし、そのページで「大林組」と入力すると得ることができます。モニュメントの説明版では「換気窓」だけが記載されていますが、他にも「樋」「窓枠部分に使われていた木材」が収蔵されていることが分かりました。

いのちとうとし

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コメント

石材が残されていることを知りとても感動しました。ありがとうございます。
皆さんの活動がますます発展し、原爆の記憶が永遠に受け継がれ平和につながることをお祈りしています。

Kayoさん、コメントありがとうございます。
一つを訪ねるとまた新たな事実を知ることになります。
それほどに、広島の被害が大きかったことを知ります。
受け継ぎ、伝えることの大切さを学ぶ日々です。

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