「広島ブログ」

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2020年2月

2020年2月29日 (土)

2月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町)

2月の後半も暖かい。作業は15日と24日だけしかできなかった。そのときの農園の様子。

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2月15日(土)。この日は一人作業。天気は曇りだがまずまずの気温。午後に農園に着いてから竹を切ったり、ブルーベリーの剪定をしたりして終了。静かな一日を過ごす。

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2月24日(月)。畑の法面の梅の木。花が咲き始めた。

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同じ日。農園の春の進み具合はブルーベリーの剪定作業を進める足元が少しづつ若草色に染まる広がりから体感できる。

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畑の雑草の一つオオイヌノフグリの花があぜ道一面に咲いている場所に立つと地面から「ブーン」という音が聞こえてくる。何かが動いているのが目に入る。

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ミツバチが(多分日本ミツバチ)体より小さい花に首を突っ込み蜜を吸う。この日は気温も高いのでミツバチの動きも活発だった。

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蕾を拾う。

 ①葉がのぞき蕾がのぞいてきたスイセン。

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 ②里山に植えてあるエビネの花芽

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 ③同じくクリスマスローズ

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 ④アジサイの葉の芽

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 ⑤ブルーベリーの花芽(ラビットアイ系パウダーブルー)

 

畑のブルーベリーの剪定は上中下の3段あるブルーベリー畑のうち真ん中の2段目から始めたが24日に終えることができた。里山のブルーベリー畑は2か所あるうちの一か所がすみ、もう一か所も残り一列となった。全体のブルーベリーが半分までこぎつけたのが二月の作業結果。

2020年2月29日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和

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2020年2月28日 (金)

広島市のにぎわいづくりと平和大通り―その2 広島市の2020年度予算案を見る

25日の「にぎわいづくりと平和大通り」のつづきです。もう少し詳しく調べてみようと、広島市のホームページを開き、「2020年度(令和2年度)予算」で検索しました。少し長くなるのですが、関連する広島市の予算を紹介したいと思いますので、お付き合いください。

まず「令和2年度当初予算のポイント」を見てみます。18ページありますが、1として「予算編成の基本的考え方」が書かれています。その最初に「『活力にあふれるにぎわいのまちづくり』の実現に向けては、『楕円形の街づくり』を推進するため、広島の新たなシンボルとなるサッースタジアムの建設や旧広島市民球場跡地の活用などにより中央公園とその周辺地域の活性化を図るとともに、引き続き広島駅南口広場の整備に取り組みます。」と書かれています。

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さらに「2 予算の重点施策」の説明でも、一番最初に「『「活力にあふれにぎわいのあるまち」の実現に向けた取組』が登場し、その中味として「都市機能の充実強化 1 『楕円形の都心づくり』の推進・魅力ある都心づくり推進事業(P104) 1,601万8千円」「 都市再生緊急整備協議会会議の開催、広島駅周辺地区、紙屋町・八丁 堀地区におけるエリアマネジメント活動の支援など」と記載されています。「楕円形の都心づくり」という言葉も、私にはちょっとわかりにくいのですが、それは置くとして、ここでは「平和大通り」という文字はまだ登場しません。予算案の説明を読む限りでは「にぎわいのまちづくり」は、来年度の広島市の最重点課題だということが想像できます。

さらに大項目を検索すると、「資料3 当初予算主要(経済観光環境)」を見つけることができました。その資料をずっとたどって「経済観光局」にいくと、P89に「事業名『観光の振興 (1)観光プログラムの開発と推進』」が見つかります。その説明の2番目の項目として、「新規事業 Park-PFI制度を活用した平和大通りのにぎわいづくり」が登場します。予算額は、969万6千円計上されています。さらに説明文が続きます。「誰もが憩える空間とするため、その緑地部分を都市公園化し、Park-PFI制度を活用した管理運営が行えるよう取り組む。」と記載されています。ここでようやく「平和大通り」が登場しました。続いて具体的事業として「基本計画策定 419万6千円 概算事業費やイメージパース等を盛り込んだ公園整備に関する基本計画の作成などを行う。」と「都市公園台帳の作成 550万円 道路となっている緑地部分について、都市公園として位置付けるため、都市公園台帳を作成する。」と事業内容ごとに予算額が記載されています。

長い引用になってしまいましたが、広島市のホームページをたどって見つけた「平和大通りのにぎわいづくり」の計画です。おおよその事業内容を把握することができました。

資料を追っていくと、わからない言葉やいくつかの疑問点が浮かんできます。今日で「広島市のにぎわいづくりと平和大通り」は終わりにしようと思っていたのですが、「広島市の予算」を紹介するだけで、こんなに長くなってしまいました。予算書を見ての私の疑問や意見など、つづきは3月2日のブログで書くことにします。

いのちとうとし

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2020年2月27日 (木)

新型コロナウイルスと差別とメディアと

TBSに「サンデーモーニング」という番組があります。2月23日の番組の特集コーナーで『風を読む~~感染症と差別~』という特集をしていました。内容は、今、猛威を振るうコロナウイルス肺炎に感染した人を、差別する現実が世界で広がっている状況があること。日本でも以前は、ハンセン病やエイズ感染者への差別があったという事と、また時代は繰り返されるのかという内容でした。ウクライナやヨーロッパでは、コロナウイルス感染者や中国人に対して、誹謗中傷が後を絶たないと言います。日本も例外ではなく、20日に京都で、「中国人お断り」の張り紙を電柱に張るなどして、犯人が逮捕されました。このような、状況下、WHO=世界保健機関のテドロス事務局長は「我々が直面する最大の敵はウイルスではない。最大の敵は、我々を対立させる差別だ」と声明を発しました。この声明が、大きく取り上げられることもなく、メディアでは連日コロナウイルスに誰が感染した、感染が止まらない、死者が何人になったという事ばかりが報道されるだけで、あたかも感染した人が「罪人」のように報道されているように思います。

しかし、それが一番重要なことなのでしょうか。多くの人が知りたい情報はそうではないと思います。

私が思うのに、一連の報道もふくめ、何か別の意図がある様にしか思えないのです。

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それは、世界中に広がる貧困や格差、その国々の右傾化をメディアが「煽る」ことで、わざと混乱を引き起こそうとしているのではないかということです。今は誰が感染したか、責任の所在は、などいう事よりも、感染した人が、または感染した疑いがある人を、どう受け入れ、安心して治療や相談ができるか、しっかりと国民に周知し、混乱を抑える方が先決ではないかと思うのです。

14世紀、ヨーロッパでペストが流行した際には、 スペインやフランスなどで「ユダヤ人が井戸に毒を入れたからだ」との人種差別によるデマが飛び交い、ついにはユダヤ人虐殺という惨劇を招きました。

日本でも、明治時代、ハンセン病患者の隔離政策が実施されて以来、患者だけでなく、その家族までが、「差別と偏見」の対象とされ、厳しい視線に曝されました。さらに、エイズに対する偏見から、HIVに感染していることを理由に患者だけでなく、その家族までが「差別と偏見」の対象とされ、仕事を解雇されたり、医療機関での診療を拒否されたりするなど、深刻な人権侵害も起きています。

 不明確な情報が一人歩きをし、ネットなどで一気に拡散され、一方的に流され、人々を通じてさらに拡散されていきます。メディアとしての責任は問われず、もはや、最初の情報とは全く違う報道が始まってしまうことが、この日本ではたびたび繰り返されてきたのではないでしょうか。

私たちは、「差別」の現実をあまりにも軽視し、それを見て見ぬふりをして、「差別」が生きることを阻害している事を認識すらしていない事があります。私たち一人一人が常に「自分が差別する側に加担をしてはいないか」という問いかけをし、意識しなければ、差別している側にいつのまにか加担をしていることになりはしないでしょうか。何もしないことは加担している事と一緒同じではないでしょか。

少なくとも、私自身は、なにげないしぐさや会話での言葉から、自分が差別する側に立っていたのではと、はっとしたり後悔したりすることがあります。だからこそ、学習を深め、差別に対する認識を持ち続けていきたいと思います。

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この世界で「おかしい」という言葉が言えなくなったとき、戦前のような世界へと逆戻りしてしまうのではないかと思います。小さな声にも耳を傾け、真摯にそれに向かい合う事も必要な事だと、私たちは改めて認識する必要があるのではないでしょうか。

グリズリー

<追記>今日も新しい原稿が届きましたので、一昨日の「広島市のにぎわいづくりと平和大通り」のつづきは、明日に延期します。(いのちとうとし)

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2020年2月26日 (水)

2月22日という日

「2月22日、今日は何の日?」ラジオでは1905(明治38)年のこの日、島根県の竹島が日本に正式に編入された「竹島の日」と伝えていました。

 僕にとって2月22日は、中部電力が計画していた三重県の芦浜原発建設計画が撤回された日として忘れられない日です。2000年2月22日、当時の北川正恭(きたがわ まさゆす)三重県知事が県議会で「計画の推進は現状では困難、白紙に戻すべきだ」と表明しました。その理由として、計画発表から37年もの間、地元住民を苦しめてきたのは三重県にも責任があるとしました。

芦浜原発は1963年、熊野灘に面する三重県度会郡南島町(現・南伊勢町)と紀勢町(現・大紀町)にまたがる地域に計画されたものです。計画から37年経って撤回されたのです。

37年の歴史をひと言で語ると、それは壮烈な戦いでした。暴力事件も起こり、まさに血の出る歴史でした。そのことを書いた石碑が、当時の南島町役場、現・南伊勢町役場の中庭に建立されています。この石碑の文章が最適だと思います。

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芦浜原発を止めたまち

芦浜原子力発電所設置計画が、昭和38年に公表されて以来、南島町は一貫して原発反対を表明。紀伊長島事件を始め、再三に亘り海上デモや抗議集会を繰り返し町民が大きな負担と苦悩を背負いながら37年間、原発反対を訴え続けてきた。

「三重県に原発いらない県民署名」には、81万人余の県民の方々から署名を頂き、三重県知事に提出。

平成12年2月22日、県議会開会の冒頭、北川知事が「地域に混乱をもたらした責任の一端は県にもある。芦浜原発は白紙に戻すべき」と宣言され芦浜原発問題に終止符が打たれた。

此の碑は37年間の苦悩の戦いが、二度と繰り返さないことを祈念して建立する。

2000・2・22

南島町


「二度と繰り返さないことを祈念して…」と書かれていることが、現在、上関原発計画の中で展開されていることは、本当に許されないことだと思います。

僕も三重県内で当時、戦いの先頭に立っていた方に話しを聞いたことがあります。南島町古和浦(こわうら)で漁業を営みながら、夫婦で反対運動の先頭に立っておられました。自宅を訪ね、時間の経過も忘れて話し込んだのを思い出します。

その後は年賀状だけのやり取りだけになりましたが、昨年の暮に奥さんからご主人の喪中ハガキが届きました。そしてこの夫婦のことを扱った78分のドキュメンタリー映画も完成しています。タイトルはずばり「原発夫婦」です。

24日、三重県津市で「=芦浜原発白紙撤回20年記念イベント=『三重県に原発がない理由』」という集まりが開かれ350人が集まりました。朝日新聞の三重県版には「芦浜原発計画 今も住民に亀裂」という大きな記事も掲載され、これから9回シリーズで連載もされるそうです。

木原省治

<追記>お願いしていた木原さんの原稿が届きましたので、昨日の「つづき」は明日掲載します。(いのちとうとし)

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2020年2月25日 (火)

広島市のにぎわいづくりと平和大通り

先日(20日)、NHK広島の午後6時10分から始まる「お好みワイド」を見ていて気になったことがありました。

番組は、広島市の来年度予算についての解説の2回目でした。「活力にあふれにぎわいのあるまちづくり」の解説でしたが、その中で八丁堀など中心街と共に「平和大通りのにぎわいづくり」が取り上げられていました。

私がそのニュースを見ていた違和感を持ったのは「平和大通りのにぎわいづくり」の解説の後に流れた、街頭での市民インタビューの内容です。きちんと覚えているわけではありませんので少し違うかもしれませんが、インタビューに登場した3人の市民は、いずれも賛成の立場からの声でした。「近くに子どもが遊べる身近な公園ができればよいと思います」などだったと記憶しています。

最初の感想は、「どうして賛成の声だけなの?」ということです。そのことにつながるのですが、次に感じたことが大事なことです。「平和大通り」の歴史や意味、現在の状況については、インタビューは勿論ですが、解説の中でも全く触れられなかったことです。NHKには、疑問の声として電話をしました。

ニュースの解説で図示もされていた平和大通りの「にぎわいあるまち」の対象地域は、「鶴見橋の西詰から平和大橋の東詰め」の間です。

やはり、疑問はつのります。ちょっと待ってください、と言いたくなります。

その理由の第一は、「鶴見橋の西詰から田中町交差点」の間には、全国各都道府県の被爆者組織から贈られた樹木が植えられた「被爆者の森」があります。

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「被爆の森」の大切さについては、このブログ(昨年9月6日)でも紹介していますので、もう一度読んでみてください。もし計画が進められるとしたら、この大切な「被爆者の森」はどうなっていくのでしょうか。今回の方針を作成するとき、この「被爆者の森」の存在は、充分に検討されたのでしょうか。この場所を指定したのは、広島市だったはずです。

第2は、「移動演劇さくら隊の殉難の碑」「広島市医師会原爆殉職碑」「瞑想(ラ・パンセ)像」「県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼の碑」などの慰霊碑の存在です。

第3は、平和大通りに育つ、木々です。

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広島市自身が、「供木運動説明版」を設置したように、平和大通りに生える多くの樹木は、1956年から57年にかけて、広島市が県内各自治体に供木を呼び掛け、それにこたえて各自治体から贈られた樹木や苗木が植えられ、今の緑豊かな平和大通りとなった歴史があります。このことも「被爆の森」を紹介したブログに書いています。多くの県民の思いがこもった木々です。これらの樹木をどうするのか?広島市だけで、判断してよいのでしょうか。被爆直後「75年は草木も生えない」とも言われた広島の復興の象徴でもあります。

今回対象となる地域には、こうした大きな歴史が刻まれています。

NHKのニュースでは、私が見た限り、こうした側面からの報道は全くありませんでした。

「地域の活性化」という政策を否定するものではありませんが、少なくとも「平和大通り」については、もっと慎重な議論が必要だと思うのは私だけでしょうか。

ところで、広島市の来年度予算では、どうなっているのか調べてみました。ちょっと疑問を感じる中味でした。そのことについて明日報告します。

いのちとうとし

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2020年2月24日 (月)

「在日朝鮮学生美術展」―広島初の開催

  毎年全国各地をリレーしながら開催されている「在日朝鮮学生美術展」の広島展が、昨日23日から旧日本銀行広島支店で始まりました。

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この美術展は、全国の朝鮮学校の子どもたちが応募した11、168点の作品の中から選ばれた受賞作品のうち金賞作品約500点を全国巡回作品として、全国10カ所の会場をリレーしながら開催されています。このコンクールは、今年度で48回という歴史を持っています。

今年度は昨年9月に神戸展をスタートに、千葉、福岡、大阪、島根(山陰展として、鳥取と交互に開催)、京都、東京、年を超えた今年に入り、神奈川、東海(今年度は名古屋)、北海道と続き、今年度最後の会場として広島展がスタートしました。全国の開催場所は、ほとんど朝鮮学校が所在する都市ですが、朝鮮学校のない山陰(島根、鳥取)では、日本の学校の先生や市民が主催し、12年連続で開催されています。

展示作業は、開催日の前日・22日の夕方から始まりました。この展示作業には、私も参加しました。送られてきた梱包が、次々と開かれると「あっ」と驚くほどの作品数が出てきました。初めての体験となった私は、これが本当に全部展示出来るのだろうかと危惧しました。

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しかし、展示作業の中心となった朝鮮学校の先生たちの「全部見てほしい」との熱意で、何とか翌日の開催時刻までには、展示場一杯に全作品を展示することができました。これまで学園で開催していた時には、場所の関係もあり全作品がどうしても展示ができなかったそうですので、今回は「全作品の展示」をという気持ちが強かったようです。

展示された作品は、初級部1年生から高級部3年生まで、すべての年代の作品が揃っています。

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準備作業が、23日の午前中までかかるということで、午後1時開場ということになりました。私が受付を手伝った午後1時からの3時間、訪れる人はポツリポツリという感じでしたが、熱心に見ている姿がありました。もちろん被爆建物である日銀を見学するため訪れた人もありましたが、その人たちもズラリと並んだ作品に目を奪われるのか、作品を見て回る姿も目につきます。

この展覧会の会期は、29日(土)までで、毎日午前10時から午後7時まで(最終日は作品撤去のため午後3時まで)開催されます。

こうした機会を通じて、少しでも朝鮮学校への理解が広がればよいと思います。ぜひ一人でも多く、展覧会を見に会場を訪れてください。

いのちとうとし

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2020年2月23日 (日)

広島地方気象台の標本木

昨日のブログで、広島地方気象台の標準木のことに触れましたが、今日はその続きです。昨日のブログでは「植物季節観測用標本木」という言葉と「標準木」という言葉の両方を使ってしまったのですが、気象台のホームページでは「標本木」となっています。このホームページには、「生物季節観測」として「植物季節観測」と「動物季節観測」のリストがあります。「動物季節観測」には、ヒバリやウグイスなど植物と同じく13種類の名前があげられ、「初鳴き」や「初見」の日が、発表の対象となっています。今年はまだ、どの動物も観測されていません。

「植物季節観測」の上がっている植物について、もう少し詳しく知りたいことがあり広島地方気象台に電話を掛けました。そこで得た知識です。

「生物季節観測」の植物として13種類が掲載されていますが、そのうち11種類が縮景園にあります。そのうちで「正・副」の「標本木」があるのは、サクラ(ソメイヨシノ)、ウメの他にツバキとサルスベリがあります。開花日を決める木は、もちろん「正」の木です。

ウメの標本木は、写真ではちょっと見にくいのですが、同じ場所に植わっています。

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今年のウメの開花日は、2月3日になっており、気象台によれば「平年より3日早く、昨年より4日遅い」そうです。暖冬といわれた今年の冬ですが、ウメの開花は、そんなに早くなかったようです。

さてサクラの標本木です。「正」と「副」の木は、場所が少し離れています。「正」は、縮景園入口を入って少し進んだ左側にあるトイレの横にあります。

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「副」は、入り口を入って同じように進んだ右側、ソテツなどがある広場に植わっています。

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「正」の周辺は工事中でしたので、つぼみは「副」しか写真に撮れませんでしたが、まだまだ固いつぼみでした。

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縮景園を巡っている時、「観光ボランティア」の案内の声が耳に入りました。「桜の『正』の標本木は、中区江波山から気象台が移るとき、『同じ環境にある木』を探して、この木と決められてそうです」。ちょっと疑問に思っていましたので、気象台の方に聞いてみました。「標準木は、どういう方法で決められたのですか?」答えは明確でした。「江波山気象台の時代の『標準木』と同じ日に花が開花する木を探し、その木を『標準木』としました」。

もう一つ訊ねてみました。「なぜ『正』と『副』があるのですか」。「いろいろな気象条件で、枯れたり折れたりすることがありますので、その時のためにあらかじめ『副』を決めているのですよ」

ところで広島地方気象台が、中区江波南の江波山から現在地の中区上八丁堀(合同庁舎の中)に移転したのは、1987年(昭和62年)12月22日です。上八丁堀の気象台にも「植物季節観測」の対象となっている標本木(木ではないので『標本木』とは言わないと思います)がありあす。それはバス通りから見えるところにある百葉箱など気象観測機器の下に敷き詰められた「シバ」です。「シバ」は、「開花」ではなく「発芽」です。縮景園以外で観測されているものは、この他に「タンポポ」があります。「タンポポ」は、中央公園の「カンサイタンポポ」が観察対象となっているようです。

ちょっとだけ物知りになったような気がします。

いのちとうとし

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2020年2月22日 (土)

梅の花見に縮景園を訪ねました

 縮景園の「梅まつり」が、昨日(21日)から始まったようですが、私は、今年一番の寒さが遠ざかった19日、陽気に誘われて梅林に咲く梅を見るため縮景園を訪れました。

梅林に近いところからと県立美術館の受付に行き入場券(65歳以上は無料)を受け取り、バーコードリーダーにかざして、いざ入園です。

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すぐに今を盛りと咲き誇る梅の花が目に入ります。18種類114本の梅があるそうです。すでに花を散らす木もありますが、多くの入園者が、カメラ、スマホをかざしてパチリ。私も負けずとアップで一枚。種類は、呉羽紅梅です。

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もう一つ八重の花が目につきました。楊貴妃です。すてきな名前です。

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梅林を一回りし、他にも春の訪れを告げるものはないかと園内を散策。すぐ北隣にある大きな甕10個ぐらいの一つに、新芽が見えます。花菖蒲です。

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さらに春を探そうと園内と移動していると「植物季節観察用標本木 やまはぎ 広島地方気象台」の小さな立て札が目に入りました。周囲を見渡しても、どこに木があるかわかりません。近くで松の手入れをしておられた庭師の方に聞いてみました。「立て札のすぐ左手にあります。でも今は、根元付近で切り込んでいるので見にくいですよ。春になると新しい芽が出て、秋には2mぐらいの高さになり花を付けます」と教えていただきました。引き返してよく見ると茶色の木を見つけることができました。

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夏頃には、こんなにふうに葉が茂るようです。

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広島地方気象台は、13本の「植物季節観察用標本木」を指定しているようですが、そのうちの11本(ススキ、椿、アジサイなど)が縮景園内にあるそうです。私たちが気象ニュースなどでよく耳にするのは、桜や梅ですが、この2種類も縮景園にあります。私も見つけました。ちょっと不思議だったことは、この2種類の標本木には、正と副があることです。

話が横道にそれましたが、園内巡りが続きます。作業中に庭師のすぐそばに、誰もが目にする大きなイチョウの木があります。園内に3本ある被爆樹木の1本です。

他の被爆樹木(クロマツとムクノキ)も見たいと、再び庭師の方に場所を尋ね、足を運びました。クロマツは大きく育っています。ムクノキは、園の一番北西の端で、塀を突き抜けるように立っています。太い幹の部分は、空洞になっており、枯れ木のようにも見えます。ちょうど通りかかった園内を掃除されている方に尋ねると「毎年夏には、しっかりと葉を茂らせますよ」とのこと。まだまだ元気なようです。

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縮景園側からは、空洞の様子が見にくいので、外に出た後縁の外側に行き、写真を撮りました。

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園内を一回りし、桜の標準木・副を見ていると、その奥にピンクの花を咲かせた木が目に入りました。カワヅザクラです。

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近くによると、多くの人が望遠レンズ付きのカメラを構えています。「なんだろう」と私も目を凝らしてみてみると、メジロが密をついばんでいます。私も、スマホのシャッターを押します。何とか、その一枚にメジロが写っていました。

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啓蟄の3月5日には、害虫駆除のためにクロマツにまかれた「コモ巻き」が撤去されます。そして、やまはぎが芽吹き、花をつけた時、元気に葉を生い茂らせるムクノキの姿を見るためなど今年は何度か縮景園を訪れることになりそうです。

いのちとうとし

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2020年2月21日 (金)

「憲法遵守義務」の重要性・その2 ――他の条項でもこの「義務」を補強しています――

前回は、憲法9条の重要性は、軍隊の規定が存在しないこと、つまり軍隊の規定が空集合であるという「繰り返し」によって強調されていることを説明しました。それを《憲法では繰り返しで「強調」》という括りでまとめておきました。念のため、前回の記事のURLを掲げておきます。

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/02/post-475346.html

今回は99条に注目します。憲法内にこれと同趣旨の条文があることには多くの皆さんがお気付きになっているはずです。それは、98条です。2項は条約遵守の規定ですので、1項だけ引用します。

第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

ここには「詔勅」が入っていますが、そもそも、憲法の規定では実際に効力を持つ詔勅は、国政についての権能を持たない天皇が出すことはできないのですから、これは、昔出された詔勅を差しています。

さて、公務員の仕事とは、法律や政令等を作ること、それらに従って国政上の仕事、そして地方公務員の場合はそれぞれの地域の仕事をすることですから、ここで述べられているのは公務員が与えられた仕事をする場合には、最高法規である憲法に従った法律、命令、その他を作り行わなくては無効になる、と言っているのですから、それは、つまり、憲法を遵守しなさいということです。「全部または一部」という限定がちょっと引っ掛かりますが、現実的に考えると、仮に憲法に違反している法律があったとして、その全てが無効になるのではなく、憲法違反をしている部分だけが無効になるのだ、と理解しておきましょう。

「憲法遵守義務」の重要性を繰り返して強調しているのは、98条だけではありません。もう一条、重要性を繰り返している条文があります。15条の2項です。

  第15条 

        2  すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

ここでも「全体」と「一部」という対概念が使われています。ただし、98条では、法律や命令等の具体的な存在の「全体」か「一部」という意味ですから、「全体」には具体性がありました。しかし、15条の「全体の奉仕者」の場合はどうでしょうか。国政の場合には、国民全体の奉仕者という意味でなくてはなりません。税金を使って、自分の後援会やお友だち、そしてこれらの人が後で自慢できるようなセティングとして、一緒に写真に写ってインスタ映えのする芸能人を招待する「桜を見る会」は、この「一部」の極端な例ですが、これは明白に憲法違反です。

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それと対概念の「全体」は、市長という仕事からは良く理解できます。議員とは違って、市長は一人しかいませんし、一つの都市の代表です。それは「全ての」市民の代表ということでもあります。特に広島や長崎のように、「平和宣言」という世界に注目される発信をする場合には、特にこの点が重要です。それを表現するのに、「市民の総意」という言葉を使うことが相応しいと思いますが、「全体の奉仕者」とは、その市民の「総意」に応える形で、奉仕者の側から見た奉仕の対象としての市民「全体」だと言っても良いのではないでしょうか。

となると、「市民の総意」を発する主体が「全体」だという意味になります。国のレベルでは「主体は」「国民の総意」を発する主体ですから、「国民の全体」あるいは「国民の総体」と表現したらよいのではないかと思います。

『数学書として憲法を読む』の解釈では、憲法とは、この「国民の総意」に基づいて作られていますし、その「総意」の表現としては憲法以外の物は存在しませんので、それに対する「奉仕」とは、当然、憲法に対する「奉仕」です。憲法に反することは「奉仕」とは言えませんので、ここでも憲法の遵守義務が、少し形は違っていますが、強調されていると読むべきなのではないでしょうか。

[2020/2/21 イライザ]

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2020年2月20日 (木)

朝鮮学園高校無償化裁判支援街頭行動

毎月19日に実施している「朝鮮学園高校無償化裁判支援街頭行動」が、少しずつ日も長くなり明るさが増した昨日午後5時から1時間、県庁前で行われました。

2017年7月19日の広島地裁での不当判決に抗議し、広島高裁での勝利を訴えるために始まった街頭行動ですが、朝鮮高校の在校生、先生、保護者などとともに、日本の支援者も参加し、ビラ配布やマイクを握っての訴えを行いました。

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特に昨日の行動は、来月1日に卒業式を迎える3年生が、次々とマイクを握り、力強く訴えました。一人ひとりが、事前に自分の思いを文章にしたものを準備し、それを読み上げます。一人男子生徒の原稿を紹介します。

「ご通行中のみなさんこんばんは!私は、朝鮮初中高級学校に通う高校3年生です。私たちは、民族の歴史や歌、舞踊など民族のことについて沢山習っています。みなさん!なぜ私たちがここに立っているのかお判りでしょうか?朝鮮学校は、高校無償化が適用されていません。私たちは、他の学生たちのように学ぶ権利がないのでしょうか。私たち高校3年生は、もう2週間もなく、卒業します。その後、後輩たちが、こういう場に立たなければなりません。どうか私たちの言葉に耳を傾けてください。朝鮮学校についてあまり知らない方は、ぜひお越しください。実際に私たちの姿を見てください。学校へ!どうかよろしくお願いします。」(全文)

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もう一人女子生徒はこう訴えます。「なぜ、私たちには学ぶ権利はないのでしょうか?朝鮮学校には、朝鮮籍の学生だけではなく、韓国、日本国籍の学生もともに自国の民族について日々沢山のことを学んでいます。日本住みながらも自分の民族や言葉や伝統、歴史などを学べるかけがえのない場所、無くてはならない場所、それが私たちが通うウリハッキョです!私たちは、この国で生まれ育ち、これからも日本社会で民族の誇りを胸に日本の方々と共に生きていきたい。私はそう思っています。こう思うことになんの問題があるのでしょうか。」(演説原稿の一部)

この声に私たちは、どう応えることができるのでしょうか。どう応えればよいのでしょうか。

二人は、入学した年に広島地裁の不当判決が出さ、その後の2年半余り毎月19日に街頭に立ち訴えつづけました。そして昨日も今年の卒業生23人全員が訴えました。でもこの問題を解決することができないまま、無念の思いで卒業しなければなりません。

この子どもたちの訴えを聞き、痛みや思いを考えると、もっとできることはなかったのかとの思いが募ります。大人の責任は重いと改めて感じさせられた昨日の行動でした。

来月16日に行われる控訴審(高裁)の公判では、結審が予定されています。裁判官には、この子どもたちの声にきちんと向き合ってほしいと強く思います。

今日もびっくりした話を一つ。一緒にビラ配りをしていた卒業生に「出身地」を訊ねていたら、その一人が「島根県です」、私がすぐに「島根のどこ?」と聞いたら「出雲市です」との答え。ここで一度びっくり。「出雲のどこ?」とさらに聞くと「白枝です」。「じゃー小学校は高松小学校?」と問えば「そうです。中学校2年の時、朝鮮学園に変わってきました」との返事。「高松小学校は、私の母校。私の後輩だね」と私。相手もびっくり。「白枝」はわたしが住んでいた集落の隣の集落、学校帰りに遊びまわったところ。今も同級生が多数住んでいる懐かしい地名です。こんなのありですか?意外も意外。こんな偶然があるのですね。

いのととうとし

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2020年2月19日 (水)

バヌアツってどんな国

別の企画に参加しようと国際会議場を訪れたとこと、1階の国際交流ラウンジで「バヌアツってどんな国―青年海外協力隊が語る派遣国の魅力―」という企画が開催されていることを知り、ちょっと寄り道をしました。JICAが「いろいろな国のことを知ってほしい」と企画する「○○ってどんな国シリーズ」の1テーマだったようです。

この企画に参加しようと思ったのは、9日のブログで紹介したJICAの取り組みを聞いたばかりで、しかもそのとき「バヌアツ」の名前が出ていたからです。ところが、私もそうでしたが隣の人に聞いても「バヌアツ」がどこにある国かわからず、「カリブ海かな」などと話していたからです。

国際交流ラウンジの奥まった会場は、10人余りが座ると満席となるスペース。事前に電話などによる申し込みが必要だったようですが、椅子を一つ加えていただき、11人目の参加者になることができました。11人のうち、私のような高齢者は、二人だけ。若い女性が半分を占めています。興味をひかれたのは、お母さんと同行した女性が二組もあったことです。最初の自己紹介で分かったことは、この二組、いずれも子どもさんが「海外で何かできないか」と青年海外協力隊に強い興味をいたことです。

話しが始まります。講師は、バヌアツ共和国で2012年から2014年まで約1年9カ月、小学校教員として活動した経験を持つ青山翔さん。現在は、広島女学院大学で教えておられるようです。

バヌアツ共和国をちょっと紹介します。どこに位置する国でしょうか。

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面積は、1万2190㎢(新潟県とほぼ同じ大きさ)で、人口は、約29.3万人(2018年,世界銀行)。80余りの島々で構成されています。宗教は、キリスト教。面白いのは使用言語です。共通語としてのビスラム語、そして英語、フランス語が公用語になっています。なぜ、英語、フランス語?多くの島々から成り立っているこの国は、島によってイギリス、フランスと別々の国によって支配されていた歴史を持っているからです。同じ島で二つの国が別々に支配している島もあり、そこでは隣村が対立していた歴史もあったようです。失業率は、70%にも達するようです。一方で1カ月の生活費は、1.5万円。首都のポートビラでのスーパーやレストランの物価は、日本とそれほど変わらないとのこと。

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疑問が湧くのは、「それで1.5万円でどうして生活できるの」ということですが、最も大切は食料が、自給自足できるので何とか生活できるようです。雨が多く高温、食物の成長が良く、100%オーガニックの食糧の宝庫だとのこと。食料が豊富なことは良いのですが、ココナッツの落下で毎年2人ぐらいが死亡する事故があるとのこと。これはちょっと困ったものです。

青山さんの話は、島での活動ぶりに移ります。自分が作成した絵本をもとに小学校の生活ぶりを中心に紹介。「自分がいた学校は、1学年30人ぐらい。学校生は、日本とほぼ同じ、小学校、中学校」。ちょっと驚いたのは、「隣の島からは、船で来ますが、泳いでくる子もいるんですよ。お父さんが船を使っていて、無い時ですけどね」との話。

話の節々では、参加者のお母さんたちへJICAの活動も紹介。「単身での派遣です」「現地で不足するものは、JICAに要請し、送ってもらいます」「言葉のことですが、派遣先の言語は、2~3か月訓練を受けます」。青年海外協力隊の活動で同じバヌアツに行ったことのある参加者の一人からもアドバイス。「私は、言語は全然ダメだったのですが、身振り手振りで何とかやってこれましたよ」

あっという間の1時間でしたが、JICAの活動に関心を持っている若い人が多いということと、知らない国が沢山あるなと教えられました。

ところで最後に一つ。バヌアツの位置を聞いた時、私が感じたことは「太平洋戦争中、日本軍との関係はどうなっていたのだろうか」ということです。「すぐ近くのソロモン諸島までは日本軍が進出してきたのですが、バヌアツはアメリカ軍の基地となっており、日本軍が支配することはありませんでした。」

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「当時海に沈んだアメリカ軍の艦船を巡る『沈潜ライブ』という観光ツアーもありますよ」

JICAは、16日の日曜日に呉市役所で「呉市国際交流フェスタ」を開催し、3月15日には、広島市内で「全国説明会キャラバンin広島」を開催することにしているようです。また次回の「○○ってどんな国?」シリーズは、3月8日の午後2時から「ガーナ」の紹介があります。

興味のある方はぜひご参加を!

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2020年2月18日 (火)

千田小学校の被爆樹木などを訪ねて―その4

昨日のつづきです。

校庭東側に広がるグリーン地帯を探し回っている時です。一つだけ少し新しい「碑」が目に入りました。碑の表面には「記念植樹 若潮千通会」と刻まれています。植樹を記念して建てられたものですが、「若潮千通会」とは?

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裏側に回るとその意味がよく分かります。「若潮千通会」とは「元船舶通信隊特別幹部候補生隊」のOB会組織のようです。建立は、「昭和46年8月6日」です。

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すぐにピンときました。原爆投下時、千田国民学校の駐屯していた部隊に違いないと。帰宅して、広島市発行の「広島原爆戦災誌第4巻」の「千田国民学校」の被爆状況を記載したページを開きました。「やはり」です。「校舎の使用状況」には、「当時、校舎の一部は軍隊に貸与されており、その状況については次の通りである。部隊名 暁部隊(本体は比治山電信隊)、人員 約350名で、その他に教官・世話兵約50人、構成 中等学校3年生の卒業生を特別幹部候補生として養成、用務 戦艦(大和)の要員として待機させていた。」とあります。

「特別幹部候補生」ですから、「碑」の裏面に記載された部隊名に間違いありません。「広島原爆戦災誌」に記載されている事項に興味が湧きます。一つは「比治山電信隊」の文字です。この部隊は、本来比治山の南側に兵営を持つ部隊です。そうです、このブログでも紹介したことがありますが、現在NTT比治山データビルが建っている場所です。

もう一つの驚きは「用務」に記載されている「大和の要員として」の文字です。戦艦大和は、1945年4月5日に出撃命令が下り翌4月6日の15時20分に出撃し、沖縄に行く途中で4月7日の14時23分に米軍の攻撃を受け沈没しています。この事実は伏せられていたのでしょう、沈没した後も「大和の要員として待機」させられていたのですから。「戦災誌」によれば、当時駐屯していた兵隊は、8月6日の朝朝礼のため運動場に出ていたため、直接被爆して全身やけどを負ったものが多くいたそうです。

一方、千田国民学校の生徒は、雑魚場町の疎開地後片付けに出動中で、高等科50人全員が被爆し、ほとんどのものが死亡したようです。「戦災誌」では、即死者40人、行方不明者10人となっています。

注目してほしいことは、被爆の被害ではありません。幟町国民学校のところでも紹介したのですが、市内の多くの国民学校が当たり前のように「軍隊によって使用」されていたことです。「平和」であるべき子どもたちの学び舎が、軍事施設になってしまった戦争。中学1,2年生が建物疎開などの動員で大きな犠牲となったことは、多く語られてきました。しかし学校に軍隊が駐屯していた事実は、どれだけ知られているのでしょうか。忘れてはいけない事実のように思います。

いのちとうとし

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2020年2月17日 (月)

千田小学校の被爆樹木などを訪ねて―その3

1月27日のブログのつづきです。これまで2回は、千田小学校の被爆樹木を紹介しましたが、今回は、その他の被爆物についてです。

最大の被爆遺構は、旧講堂の焼け残った鉄骨の骨組みです。

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現在でも鉄骨が、大飼育館として活用されています。説明版にはこう書かれています。「この場所にあった講堂は、昭和20年8月6日に被爆し、焼け落ちましたが、その行動の鉄骨を利用して昭和32年5月6日に大飼育館として開館しました。」戦後、この学校の校庭を整備する際の写真にもこの鉄骨の骨組みが写っています。

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被爆後12年経って、活用されたことが分かります。東側の道路からもよく見ることができます。千田小学校では、最も大きな被爆遺構です。

次に、校庭南側にある「国旗掲揚台」です。

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写真をよく見ると、前面に装飾が施されているのが分かります。被爆時は、東門のすぐそばにあったようですが、戦後の学校整備によって現在地に移されたようです。「掲揚台」の裏に、そんな経緯を期した銅板がはめ込まれています。「昭和15年10月1日宮本數男氏からご寄贈いただき、東門前に設置されていたものを、給食調理室改築にともなって、ここに拡張移転したものである 昭和59年3月1日 広島市立千田小学校」

ここには、被爆物であることは記載されていませんが、最初の設置月日が記載されていますので、被爆物であることが分かります。案内していただいた組谷さんの話では、ポールは、東京オリンピックの際に新調されたとのことです。

移転前この掲揚台があった東門は、現在は裏門になっていますが、そのまま残されています。この東門を入ってすぐのところに、以前紹介したことのある「平野橋欄干」や「車回し土台石」などがありますが、欄干は東門のすぐ東隣、土台石は、広島工業専門学校(のちの広島大学工学部)にあったものが、移築されたようです。

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千田小学校50年史には、この他にも多くの被爆石などがリストアップされています。例えば、南門門柱です。現場に行ってみると南側には、現在2つの門があり、どちらの門か判然としませんが、予測では東側と思われます。50年史によれば、「元電鉄分工場門柱」とありますから、学校の南隣にある広島電鉄にあったものと思われますが、「分工場」という表現が、何を指すのか不明です。この南門に関しては、「南門門柱の付属壁」も、リストで「学区焼き残り石」と記載されていますが、どの石がそうなのか確認はできませんでした。

その他にも「南側土手長石」、旧場所「電鉄付近電車通りの側溝石」、「大飼育館前土手長石」、旧場所「県立工業学校築石」など、興味深いものがありますが、被爆樹木と違って説明する表示板が付けられていませんので、特定するのが難しい状況になっています。

組谷さんの説明によれば「被爆樹木以外の被爆物については、現在それを証明するような資料が学校に保管されていない」とのことでした。

戦後、何度か学校内で拡張や移転などが行われたようですので、特定することがより困難になっているように思われます。ただ、先人たちの深い思いで、こうした被爆物が学校外からも集められたことを考えると、被爆75周年を機に再調査されることが望まれます。

ところで、校庭内を調べている時思いがけない「碑」に出会うことになりました。明日報告します。

いのちとうとし

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2020年2月16日 (日)

切明千枝子「ヒロシマを生き抜いて」

昨日の碑めぐりガイドで紹介した自治労大阪交通労働組合のみなさんは、その前日(12日)、切明千枝子さんの被爆体験を聞きました。切明さんの証言は、当初1時間余りの予定だったようですが、2時間近くに及んだそうです。

切明千枝子さんには、原水禁も2015年の「被爆70周年原水爆禁止世界大会広島大会」の開会総会での「被爆者の訴え」を行っていただいたことがありますが、短時間の訴えながら、参加者が深い感銘を受けたことを思い出します。

その切明さんの被爆体験集「切明千枝子『ヒロシマを生き抜いて』」を最近入手しました。この体験集は、足立修一弁護士が代表を務める「ノーモア・ヒバクシャ継承センター広島」が、数回にわたる聞き取りをまとめて昨年(2019年)12月に発刊したものです。

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表紙の絵は、切明さんが描いた「ドクダミ」です。絵解きがあります。「のちに母は『ドクダミが一番効いたのよ。』と話していましたから、私は今でも自分の庭にはびこるドクダミを抜く気にはなれないのです。」

切明さんの被爆体験を聞いたことのある方は記憶されていると思いますが、切明さんのお話は「被爆体験」にとどまらず、被爆前の体験(この本では、「第1章 私の十五年戦争」)に力が込められています。

数年前ですが、私の出身小学校・出雲市立高松小学校の修学旅行生に、切明さんが被爆体験を語られることを知り、会場で子どもたちと一緒にお話を聞かせていただいたことがあります。学校の都合で体験を聞く会場への到着が大幅に遅れ、切明さんのお話は「前段の戦争体験」のところで時間切れになってしまったことがあります。その時、切明さんにとって、戦争前の体験を語ることがどんなに大切なことかを痛感させられました。

この本の最後に切明さんの伝言が載っています。「『平和』はじっと待っていても来てくれません。力を尽くして、引き寄せ、つかみ取り、みんなで懸命に守らないと、逃げてしまいます。」(2019年11月20日)

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編集後記には「『15年戦争』ともいえる軍国教育の真っただ中で成長し、15歳の時に原子爆弾の被害者となりました。」「日々被爆体験の証言を続け、若い世代に『あの戦争を絶対に繰り返してはいけない』と訴えています。」と書かれています。

切明さんのお話しの特徴は、「被爆体験」は勿論ですが、まさに原爆投下につながる「戦争」への道、とりわけ軍都としての廣島の歩みをきちんと語られることです。そして90才を超えた切明さん(1929年生れ)の記憶力の良さにも驚かされますが。

この本は、第1章につづき「第2章 私の被爆体験」「第3章 敗戦」「第4章 青春群像」の4章から成り立っていますが、そのいずれも切明さんの熱い思いがあふれています。そして戦後の歩みを語る「第4章」も特徴的と言えます。

各章の後には、証言の中に出てくる「言葉」や「人名」の「解説」が付けられており、理解しやすくなっています。

ところで、この体験集の発刊に大きな役割を果たしたのが「盈進中学高等学校ヒューマンライツ部」の若い人たちです。1年半にわたって集団作業が続いたようです。若い担い手が加わることによって、より一層「何を継承するのか」が鮮明となったように思います。

この「盈進中学高等学校ヒューマンライツ部」のみなさんが、坪井直さんや森滝春子さんの話をまとめる作業などを通じて、反核運動に熱心に取り組んでいることは知っていたのですが、先日思いがけない場所(「ハンセン病問題に関するシンポジウム」)で、まさに「ヒューマンライツ」の取り組みを進めていることを知ることになりました。詳細は、別の機会に譲りますが、それは「ハンセン病問題にまなぶ」活動です。

発行元である「ノーモア・ヒバクシャ継承センター広島」では、初版の残部が少なくなり、再版を予定しているようです。ぜひ、一人でも多くの人に読んでいただきたいと思います。問い合わせ先は、h.conveyrelay.c@gmail.comです。

いのちとうとし

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2020年2月15日 (土)

2月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

2月になっても標高約400mある農園周辺も雪を見ることはない。晩秋から冬にかけて農園の周囲の竹や木々の伐採を行ったあと周囲にうずたかく積み上げて土に帰るまで放置する作業を行うのだが、雪が降らないと積み上げた枝などが雪の重さで圧縮されないのでいつまでもラクダのこぶのように高いままだ。2月11日の午後休憩しているとブルーベリーの畑の上を雉がさあーっと横切って里山の手前の休耕田に降りた。今年も来たかと心の中でつぶやくと気持ちがいっぺんに和らいだ。

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2月1日(土)。2月に入り光が強くなり夕方5時頃になっても明るい。

  ブルーベリー畑の水路の向こうの法面の枯れたススキ。

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 ②里山の杉やヒノキの先端が赤く染まる。といった景色を見せてくれる2月。もう晩冬?

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2月2日(日)。地面にはオオイヌノフグリも開花

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農園の家の後ろの里山のブルーベリー園の周囲で竹を切り枝を切っていると足元に最近なくした鋸が見つかった。錆が浮いている。

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2月9日(日)。見つかった鋸は置いておいて、新しい鋸でちょっと太い枝を切る。サクサク切れるので気持ちいい。鋸はきれなくなると替え刃に取り換える時代、チェンソーは大きな音がするし、急かされて気分が安定しないし、危険なのでもっぱら鋸を使う。切った枝も幹も1~2m位に切りきざんで斜面に積み上げる。

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2月9日(日)。真ん中のブルーベリー畑の剪定。落葉後2月近くたつと花芽がすこしづつふくらんでくるので木全体が赤みを帯びてくる。

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2月11日(火)。快晴の一日。友人の2姉妹の家族4人が夏にブルーベリーの摘み取り援農に来ていただくが、冬の剪定の様子が見たいと来園。剪定を手伝う気でいるので、説明したのち一緒に剪定をすすめる。マッチの長さ以下の枝を切る、昨年実った先っぽの枝を切る、下に生えているヒコバエやシュートを切る作業を時折おしゃべりしながら手伝って頂く。結構作業が進んだ。

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すこし遅い昼休みは軒先に置いてあるテーブル庭のになたに移動させて手作りの煮物などを並べ、牡蠣のはいった炊き込みご飯をごちそうになる。3時の休憩でコーヒータイム。ブルーベリー畑を見ながらのおしゃべりの最中に雉が

左から右に横切るのを見る。毎年来て、メスとつがいになって夏には雛がかえりそして秋にはいなくなって、この時期にまたオス雉が来ることを皆さんに話してあげる。2家族も西条町の農家出身なので雉にまつわる体験でしばし盛り上がる。ヒコバエやシュートばかり剪定したお父さんは手に豆が出来たとか。

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2月13日(木)。海田町を走るJR山陽本線、呉線の海田市駅のシカンザクラが咲いている。5~6分咲きか。

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冬晴れの青空にうすいさくら色の花びらがたくさん開く。ソメイヨシノに比べて形がむっくりとしている。カメラマンが3人、通りすがりに眺めていく人などもいて毎年楽しませてくれている。

2020年2月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2020年2月14日 (金)

「碑めぐり」ガイド

昨日、久しぶりに平和公園の碑めぐりガイドを行いました。

案内をしたのは、自治労大阪交通労組青年部の広島訪問団。初日は、被爆者の体験談を聞き、二日目の昨日は、午前10時から資料館見学、午後は碑めぐりの日程。私は、二日目を担当しました。

午前10時資料館の1階で待ち合わせ。少し早めに到着したので、何の気なしに南側入り口の左側にある「地球平和監視時計」を見ると、下段に示された「最後の核実験からの日数」が「365」になっています。見えにくいのですが上段の「広島への原爆投下からの日数」は「27219」です。

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「365」の表示にびっくりし、その左側にある広島市長のドナルド・トランプアメリカ大統領あて抗議文で日付を確認。「貴国が、本年2月13日にネバダの核実験場で行った臨界前核実験」の文字が書かれています。臨界前核実験は、アメリカ政府の発表で知ることになりますので、抗議文が出された日付は、「2019年5月27日」です。

まさかのことに、アメリカが臨界前核実験を行ったちょうど一年後の「碑めぐりガイド」になりました。碑めぐりガイドで、この「地球平和監視時計」について説明することはほとんどなかったのですが、今日のガイドはここからスタートです。

いつもは、慰霊碑前で「核実験抗議の座込み」の説明をする時、「核実験になぜ抗議するのか」を話すのですが、今回はまずここで少し長めの話をしました。

ところで待っている時から感じていたのですが、昨日は資料館を訪れる人はずいぶんと少なくなっていました。リニューアルされて以降、何度か資料館を訪れましたが、こんなにゆったりと見学できたのは、初めてです。いつも、多くの人の流れに沿いながらの見学になり、じっくりとキャプションを読む余裕もない状態の館内ですが、これが本来あるべき姿なのでは、とも感じました。沢山の人に訪れてほしい思いとじっくりと見てほしい思いをどう協調させるのか、資料館の課題のような気がします。

今回の資料館見学は、約1時間半。どんな思いを持ったのか?

ところで、資料館見学でもう一つ気になったことがあります。それは、最後の階段を降りた1階付近にあった「資料館下から出た被爆遺構」が、展示されていなかったことです。総合案内で尋ねると「ローマ教皇の広島訪問に関わる展示に変えた時にこの場所から撤去した」とのことでした。今どこの展示されているのは訪ねたのですが、「?」でした。ローマ教皇広島訪問に関する展示も重要ですが、「被爆遺構」もぜひ展示してほしいと思います。時間がなくて、資料館全体を見ていません。ひょっとすると地下1階のどこかに展示されているのかわかりません。今度調べてみようと思います。

午後は、12時30分から約2時間、碑めぐりガイドです。2、3日前の予報が外れ、好天に恵まれましたので何とか予定していた場所を回ることができました。詳細は省略です。

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「なかなか闘争経験も少なくなっていくなかで、沖縄や広島を若い人たちに学んでほしいと今回の企画をしました。少しお金を使ってでも、こんなことをしなければと思ったものですから」昼食時の役員との話で、教えていただいたことです。碑めぐりの途中で参加者に聞いてみると「私は入社して1年目です」「3年目です」との答え。

一生懸命に聞いてくれている姿を見ながら、又こんな機会があればよいなと思った碑めぐりガイドでした。

いのちとうとし

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2020年2月13日 (木)

「沈黙を聴く」広島被爆樹木写真展

原爆後、広島の地で生き抜いた被爆樹木の写真展が、被爆建物の旧日本銀行広島支店で開催されています。主催者の広島東南ロータリークラブは、被爆70年の015年に、現在市内の被爆樹木に取り付けられている標識を寄贈するとともに、写真家藤原隆雄さんに依頼し市内の約160本の被爆樹木を撮影し、その写真集「沈黙を聴く」を作成し、市内の全小中学校に寄贈されたそうです。

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今回の写真展では、クロガネモチやユーカリ、シダレヤナギ、アオギリなど8種類の樹木の写真約40点が展示されています。

被爆樹木については、このブログでも何度かとりあげてきましたが、今回の写真展に展示されている樹木のほとんどは、すでに訪れたことのある木でしたが、新たな発見もありましたので、少し紹介します。

一つは、残念ながら2018年の台風によって折れたため、広島市の被爆リストから削除された三篠小学校の「梅の木」です。この木は、まだ訪ねたことがありませんでした。

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現在三篠小学校の校舎内に一部が保存されている「梅の木」と、元気だったころに映された写真の2枚が掲示されています。台風で折れた被爆樹木といえば、基町小学校の子どもたちが大切に育てていた「被爆エノキ」を思い出します。この被爆エノキも、1984年の台風で折れ、子どもたちは必死になって「エノキを励ます会」などを作って回復に向けて世話をしました。一時新芽が出たりして子ども達は喜んだりしたこともありましたがついに1989年枯れてしまった被爆樹木です。被爆樹木も高齢化していますので、何とか残す方法を考えなければと思います。

次は、白島九軒町の碇神社境内の被爆樹木「ソメイヨシノ」です。私が、当地を訪れたのは秋でしたので、当然のことですが花は咲いていませんでした。今回展示されている写真は、満開の桜が写っていますが、その一枚の中に「落下した花びら」の映ったものがありました。

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キャプションには、「不思議なことにこのソメイヨシノは、花びらが一枚一枚舞うことなく、花の姿を保ったまま落ちていく。」と書かれています。不思議な気がします。被爆の影響があるのでしょうか。満開の時期にもう一度訪ねたい木です

会場には、生きた樹木も展示されています。

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樹木医の堀口力さんが、種子から育てられた「被爆樹木2世」たちです。堀口さんには、一度「被爆樹木めぐり」でいろいろなことを教えていただきました。白島・光明院の「ナツミカン」や千田小学校の「フジ」などは、私が訪れたことのある被爆樹木の「2世」たちです。

その横のパネルには、「被爆2世樹木の広がり」が展示されています。そこには2019年2月現在、世界50の国や地域に「被爆樹木の種や苗木」が送られたことが紹介されています。

この写真展、会期は16日まで。毎日午前10時から午後5時まで開場しています。一度訪ねてみてください。何か新しい発見があるかもしれません。

いのちとうとし

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2020年2月12日 (水)

紀元節復活反対!平和・民主主義・人権を守る2・11ヒロシマ集会

かつて「紀元節」と呼ばれ、1966年に「建国記念日」と名を変えた2月11日、自治労会館で、憲法を守る広島県民会議・原水爆禁止広島県協議会・広島県平和運動センター・戦争をさせないヒロシマ1000人員会が主催する「紀元節復活反対!平和・民主主義・人権を守る2・11ヒロシマ集会」が、開催されました。

憲法を守る広島県民会議の赤木事務局長の司会で始まった集会は、最初に主催者を代表して広島県平和運動センターの佐古議長があいさつ。佐古さんは「私たちが毎年この日に反対集会を開催するのは、かつての間違った戦争への道を突き進んで時代背景を復活させようと考える勢力に対抗するため。安倍政権は、長期政権のおごりゆるみがピークに達している。今まさに、そのおごりの政権運営によってもたらされているのが、中東への自衛隊派遣。明らかな法律の拡大解釈であり、閣議決定だけで片づけようとしており、憲法違反以外の何物でもない。昨年の天皇の退位と即位、元号も令和と変わり、天皇を賛美するキャンペーンが張られた。子どもや孫の世代に、平和で民主的な社会を残していくため、ともにがんばる決意を固めあおう」と呼びかけました。

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今年の記念講演の講師は、歴史学、政治学者として活躍されている山口大学名誉教授で現在明治大学特任教授の纐纈(こうけつ)厚さん。演題は、この集会にふさわしい「元首天皇制改憲構想に拍車をかける精神・思想動員―国民統合強化と戦前回帰志向の果てに―」です。

纐纈さんは、「紀元節は神話にさかのぼる歴史観。しかしこの日は、戦前は非常に重要な日であった。帝国憲法が発布した日でもあり、天皇を中心として人を集め宇宙を創ると考えた日でもある」とまず指摘。そして、自民党が2012年に作成した「自民党憲法草案」の第1条に「天皇は日本国の元首」とされていることを批判しながら、むしろ日本国憲法は、「第2章戦争放棄」と「第1章天皇」を入れ替えるべきだとの考え方を披歴。さらに天皇制が「心を支配する権威のシンボル」としての役割を果たしている現実を「戦前は、精神・思想動員が教育現場で行われてきたが、戦後もそれが再生している」とし「私たちは、新しい戦前に生かされている。これを実態的に法制化するのが『憲法改正』だ」と強調され、そして私たち自身が「被害者になる前に加害者になることによって被害者になることを回避する」ようになってきている現実を指摘されました。「今の若い人たちは、天皇の戦争責任と言っても遠い感じを受ける人が多くなっている。」だから、これからの課題として「過去の戦争に責任はなくとも、明日の戦争に責任がある。という未来責任の認識を共有することが大切だ」と問題提起されました。お話はもっともっと深い内容でしたが、少しでも全体の雰囲気を知っていただきたいと思い、私が気になったことを掲載しました。

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会場いっぱいとなった参加者130人、新たな視点からの「天皇制の問題点の指摘」、満足のいく講演だったと思います。

集会は、最後に下記の「集会アピール」を確認し終了しました。


2・11ヒロシマ集会アピール

2月11日は、明治政府が制定した「紀元節」にあたります。「紀元節」は、日本の歴史が天皇を中心として展開されてきたと考える歴史観(=皇国史観)のもと、初代の天皇が即位したとされる日で、皇国史観が国民統合と戦争動員に大きな役割を果たしてきたことは周知の事実です。

 そうして制定された「紀元節」も、「主権が国民に在する」とする現日本国憲法の施行で、1948年7月に廃止されました。

 しかし、1950年代以降、「紀元節」復活への動きが活発化し、1967年、当時の政府・自民党が各界の反対を押し切り、名称を「建国記念の日」と変え、事実上「紀元節」を復活させたのです。

以来私たちは、戦争賛美の日であったこの日を、日本の平和と人権に関わる歴史認識を問い、平和と民主主義・人権発信の日に変えるため、毎年、集会・行動を行っています。

7年に及ぶ安倍政権のもと、日本は大きく形を変えてきました。秘密保護法・戦争法・共謀罪法など、人権を制約し憲法上も問題のある諸法律を強行成立させ、安保関連予算も年々突出して増大させるなど、「戦争をする国」へと舵を切りました。そして、「圧力」に偏重した外交姿勢は、中国・韓国・北朝鮮という日本にとって最も身近な国々との緊張状態を高めてきました。

そしてついに2月2日、安倍政権はイランとの核合意を一方的に破棄したアメリカの要請に応え、緊張が高まる中東に「調査」を名目に自衛隊の派遣を強行しました。このことは戦争放棄を国是とする憲法を持つ国として、決して許されるものではありません。

こうした動きと軌を一に、昨年5月の新天皇の即位では、皇室関連行事がマスコミで連日報道され、11月9日の天皇陛下即位を祝う国民祭典では、「天皇陛下万歳」が連呼され、「親しまれる皇室」作りが進められています。

 安倍首相の悲願であり、自民党が示す改憲案には、9条の改悪とともに、天皇を元首とすることが明記されています。かつての戦争で天皇の果たしてきた役割りを思い起こさざるを得ず、「建国記念の日」だからこそ、こうした点からも政治・社会を点検しなければなりません。

 私たちは、平和と民主主義が守られ、人権が尊重される社会を築くための不断の努力と今なお消えない戦争の傷を作り出した当事者であるという自覚をもって、アジア諸国を中心とする諸国との協調と和解を進めることに全力をあげます。

 戦争につながる一切の動きを許さない運動を「被爆地ヒロシマ」から発信していくことをあらためて誓い、集会のアピールとします。


いのちとうとし

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2020年2月11日 (火)

「憲法遵守義務」の重要性 ――他の条項でもこの「義務」を補強しています――

《憲法では繰り返しで「強調」》

先月の11日、死刑制度を出発点にして、司法制度と憲法との間に存在する「矛盾」について考えてみました。再度お読み頂ければ幸いです。

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/01/post-1b8fb0.html

それ以来、このテーマについて考え続けているのですが、謎は深まるばかりです。謎を解明して、「こうすれば全て上手く行きます」という解決策をお示ししたい気持は山々なのですが、まずは深まる謎から始めたいと思います。

そのためのお浚いですが、「憲法マジック」と名付けた現象は、憲法には「○○である」とハッキリ書いてあるのに、憲法の専門家や裁判所等の「定説」や「通説」では、「○○ではない」という解釈が罷り通っている状態を指します。

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前回は、「死刑」について、13条では禁止しているのに、最高裁判所の判決では「合憲」であるという「憲法マジック」を俎上に載せましたが、それと同じかそれ以上に問題なのが99条の憲法遵守義務です。「義務」という言葉が使ってありますが、定・通説によるとその意味は義務ではなく「道徳的要請」、あるいは「宣明」に過ぎないのだそうです。

ここまでは、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』でも詳しく論じましたので、改めてお読み頂くことにして、今回はそれをもう少し違った角度から考えてみたいと思います。一つには、99条が遵守義務を課しているのは、天皇ならびに摂政、そして全ての公務員なのですが、今回は主に公務員の遵守義務に限定して考えたいと思います。もう一つは、憲法の中に、違った形で遵守義務を強調している箇所はないのかを探すことです。

物事を強調する際によく使われる手法の一つは、同じことを繰り返し繰り返し言い続けるというものです。もうこの文章の中でその手法を使っています。憲法内でもこの手法は使われています。たとえば、11条と97条は基本的人権について、ほぼ同じ内容を繰り返して強調しています。広い意味では「繰り返し」の中に入れても良いと思われるケースは9条です。9条によって我が国は軍隊を持てないことになっています。これを憲法内では、軍隊についての規定がないという事実で補強しています。

この点についてはもう少し説明をしておきますが、それは「数学書として読む」という立場と矛盾はしませんし、憲法を作る上での常識、あるいは一定の規則を明文化する上での前提、とでも言ったら良いような事柄です。

そもそも一国が軍隊を持つということは、国民の中から兵士として命を賭けて戦う人を選び、一定の条件の下に実際に戦争を行うということを意味します。つまりそれは、他国の兵士たちと殺し殺されるという行動を取る結果をもたらします。そして国家が、このような選択を行い、国民の生命を危うくするような強制を行うことは、憲法が定めている国民の基本的人権を著しく侵す行為であることも明らかです。13条その他の規定は、国家が国民に死を与えることを許していないからです。

それでも憲法が、軍隊の存在を認めようとするのであれば、当然、軍隊についての最小限の規定を伴わなくてはなりません。しかも、その規定の中の出発点は、基本的人権を侵害する上での根拠を示すことです。それも、仮に明示的に行われていないとしても明確に示されなくてはならないのです。しかし、現行の憲法にはそのような規定はありません。それは、9条によって軍隊は持たない、持てないのですから当然なのです。逆に、軍隊の規定がないことから、9条の意味としては、軍隊としての機能を持つ集団が存在することも許されない、という結論にもなります。

なぜこれが「繰り返し」なのかですが、数学的に説明しておきたいと思います。9条で決めているのは、日本という国については、軍隊という「集合」は空であり、永遠に空であるということです。(数学の用語で、ある集合が「空」であるとは、その集合の中身は何もないという意味です。) そして、軍隊の規定が憲法内にないということは、それが憲法の規定としては「空集合」として存在していると表現できます。つまり、空集合としての繰り返しが行われているのです。

憲法の遵守義務についての補強を行っている条文には15条があるのですが、それについての説明は次回までお待ち下さい。(それまでに、「自説」を作って頂けるのであれば、大歓迎します。)

[2020/2/11 イライザ]

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2020年2月10日 (月)

ENERGIA・CHANGE(エネルギア チェンジ)2030

1月21日、中国電力は「ENERGIA・CHANGE 2030」というのを発表しました。中国新聞記事の大見出しは“経常利益「600億円以上に」”中見出しは“原発稼働でコスト減/再生エネに力”となっています。

ここだけ見ると、あまり目新しくない内容です。しかしその資料を入手してみると、それなりに興味深い内容になっています。

一つは、19年度の経常利益の内、本業である電気を売ることによって得た利益を95%としています。本業以外からの利益は5%です。それが20年度には本業が90%になり本業以外が10%とし、30年度には本業が75%、本業以外が25%としているのです。

30年度を展望した時、電気を売るだけでは利益が得られないことを自らが明らかにしているのです。

そしてもう一点は、電力需要が減少していくことを自らの言葉で明らかにしたことです。「人口減少や節電・省エネの進展により、需要自体が今後減少していく予定です」と書き、その予想をグラフでも表示しているのです。

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電力需要が減少することは、これまでも『需給見通し』など様々なことで明らかになっていましたが、中国電力が自らの言葉で明らかにしたのは初めてだと思います。

これまでも中国電力は、電気通信や不動産販売、介護、ガス販売、情報処理などをやっていますが、それをもっと拡大するようです。まさに大きくチェングをしようとしています。

今後を見据えると正しい方向だと思いますが、そうなると「中国電力」という社名がふさわしくない時期が遠からず来るのではないかと思ったりもしてしまいます。

それと「今後需要自体が今後減少していく」としたのですから、なんで上関原発が要るのか、島根原発を動かさなくてはならないのか、それも大きな疑問です。そりゃあー、原発が必要という屁理屈はいくらでも言うでしょうが、説得力は無いと思います。

中国電力で働いている人は、それなりに優秀な人が多いとは思いますが、「武家の商法」のごとく「親方日の丸」体質で、新しい領域に入ろうとした場合、その仕事にすんなりと入っていけるのだろうかという心配が少しはあります。

4月1日、送配電の分離が正式に始まります。インターネットと連携して停電情報の提供や防災や防犯事業、店などの出店計画のサポート、宅配ルートの最適化サポート、広告事業などにも参入しようとしています。

改めてもう一度書きますが、それでも原発を作ろうとすると大きな傷を負うことになるでしょうね。

木原省治

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2020年2月 9日 (日)

カープとスリランカ野球

中国新聞に掲載された「被爆2世の国際協力(JICA)職員が語る広島東洋カープと連携事業」の講演会告知記事の「被爆2世」の言葉に興味を持ち、会場(平和ビル・市立大サテライトキャンパス)もわが家の隣ということで、講演会に参加しました。

この会は、広島市立大学平和研究所ンのプロジェクト研究「平和都市・広島の文化的構築に関する予備的調査」の公開セミナーとして開催されてものでした。

講師は、JAIC・青年海外協力隊事務局人材育成課課長の川本寛之さんです。以下、当日配布されたレジュメをもとに報告します。

最初は自己紹介です。

1973年生れ。母方の祖父母は、広島駅で被爆、父は己斐峠を超えたところで黒い雨を浴びる。気持ちてきには、被爆2.5世。母方の祖母がよくハチロクの情景を話してくれました。新聞には「被爆2世の」とありましたが、当日の配布資料のタイトルは「被爆2.5世「援助屋(JAIC職員)が語る広島東洋カープ球団との連携事業」となっています。被爆2.5世という意味が少しだけ理解できました。この自己紹介の中で、びっくりするような紹介がありました。最後に少しだけ紹介します。その後の自己紹介は、川本さんとカープとの出会いや思いが語られました。

本題の「JICA」と広島東洋カープとの連携事業です。

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ユニタールが、マツダスタジアム行っているで企画事業に参加し、JICAでも何かできることはないかと思い立ったのがきっかけとなり、広島県・青年海外協力隊OB会の協力などなどによって実現への道が開かれたとの報告。なんといってもその大きなカギは、松田オーナーの協力。直接お会いして、お願いをしたところ快く引き受けたいただき、野村謙二郎さん(当時は前監督)の現地派遣につながったとのこと。カープ球団との連携事業は、このこと2015年から3年間。当時のことを伝えるJICAのホームページの見出しは「カープ野村謙二郎前監督、スリランカで野球指導!NO.1 平和でつながる-ヒロシマ・スリランカ・広島東洋カープ-」となっています。

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当時のスリランカは、2009年まで26年間続いた内戦で7万人以上の犠牲者を出し、約28万人の国内避難民の再定住など多くの課題が残っていたそうです。「戦後70年、復興を成し遂げた広島だからこそ伝えられることを、野球を通じて自分なりに伝えていきたい。」原爆で焼け野原になった街から立ち上がろうとする広島市民の心の支えとなったカープ、また市民に支えられて成長してきた球団であることが、野球を通じてスリランカの復興を後押しすることにつながるのではないかということが、活動の大きな柱となったようです。下の写真は、地雷の除去作業の説明を受けている野村謙二郎さんです。

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そして翌年から2年間、今度はスリランカから指導者を受け入れ、人材育成に力を貸すことになりました。コーチの受け入れに併せ、海外からの輸入品に頼る硬式球100ダースも贈る活動も行われたようです。

ここで川本さんのちょっと面白いエピソードの紹介。「その後、スリランカからの要望は、軟式野球のボールを送ってほしい」となりました。雨の多いスリランカでは硬式球は水分を吸って重たくなるので、水を吸わない軟式球が何度も使えて良かったようです。広島の復興と共に歩んできたカープならではの連携事業だったことが分かります。

スリランカでは、残念ながら野球よりもクリケットの方が代の人気スポーツのようですが、もう少し詳しく調べてみたいカープのスリランカ支援でした。

ところで、自己紹介でびっくりした話です。「父が中国新聞社で、1987年から1990年の間ニューヨークの現地で高校時代を過ごした」を聞いて思い出したことがありました。1987年秋、原水禁はニューヨークで第1回核被害者世界大会を開催しました。明日はアメリカを離れるという日の一日、森滝先生を市内観光に誘ってくださったのが、当時中国新聞ニューヨーク支局長だった川本さんのお父さんでした。森滝先生のかばん持ちのような役割で訪米に同行していた私もその市内観光にご一緒させていただいていたのです。まさかの出会いに本当にびっくりしました。

いのちとうとし

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2020年2月 8日 (土)

広島修学旅行ガイドブック

先日、「広島修学旅行ガイドブック」という冊子をいただきました。発行元は、広島市経済観光局観光政策部と一般社団法人広島観光連盟となっています。昨年6月に発表された「広島市観光客数について」によると、2018年に訪れた修学旅行生数は32万6000人であり、11年連続で30万人台の水準を確保しているようです。全国各地から修学旅行生を誘致したいという思いで、このガイドブックは作られていることでしょう。

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ガイドブックは「平和学習」「民泊体験」「広島体験」「歴史学習」「モデルコース」などから構成されています。

「平和学習」のページを見ると、「広島で原爆や戦争の恐ろしさを知り、平和を願う『ヒロシマの心』を感じることは、未来を担う子どもたちが、改めて平和について考える機会になるはずです」とあり、事前学習・当日・事後学習それぞれの学習のポイントも書かれています。

「モデルコース」のページでは、原爆ドーム、平和記念資料館の見学、平和公園碑めぐり、被爆体験講話等のおすすめタイムスケジュールや、旧日本銀行広島支店などを巡る班別学習モデルコースも示されています。

私は最後まで読み終えた後、広島がかつて軍都だったことを紹介するページがほとんどないことが気になりました。「広島の歴史や文化を学ぶ」モデルコースに広島城が入っていますが、「毛利輝元による築城や、城下町広島の暮らしと文化を学ぶ」という説明があるだけです。大本営が置かれていたことは書かれていません。

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また、広島市内最大級の被爆建物である旧陸軍被服支廠に関する記述も一切ありません。被爆当時は旧陸軍の軍服や軍靴を製造していた施設で、爆心地から2キロ以上も離れているのに、原子爆弾の爆風より変形した鉄扉が多く残っています。

平和公園からやや距離があるので、モデルコースとして示すことは難しいのかもしれません。全国各地から訪れる児童生徒に、被爆の実相とあわせて広島が軍都だったことを学べるようにするためにも、掲載することを検討してもらいたいと思います。

(まるちゃん)

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2020年2月 7日 (金)

アイ女性会議が「旧陸軍被服支廠の全棟保存を求める要望書」を提出

昨日(2月6日)、アイ女性会議広島県本部(議長佐藤奈保子)は、東保幸県議会議員の紹介で、代表者3名が県庁を訪れ、湯崎県知事に対し、旧陸軍被服支廠の全棟保存を求める要望書」(下記参照)を提出しました。

これまでもすでに多くの団体やパブリックコメット等々で「全棟保存」の声が出されており、広島県としては「来年度の解体方針は延期して討論をすすめる」と来年度の解体予算は見送りとなりましたが、要望書を受け取った総務局財政管理課足立課長は「保存のためには多額の費用がかかる」としながら、「何よりも耐震性の面から非常に危険」「早急に安全対策(耐震工事)が必要」等を強調されました。

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さらに「カンパはどれだけの金額が集まるかはわからない」「保存について『広島市』も考えてほしい」「県としても財政面だけでなく、平和行政の面から考えることも必要」などと回答されました。

こうした県の考え方に対し、私たちは改めて「安全対策の必要性は私たちも重要と思う」「財政については広く(世界的にも)カンパ等を募るなどの方法も考えるべきだ」と指摘するとともに、改めて「全棟保存の重要性」を訴え要望書の提出を終えました。

今回の申し入れは、広島県が「今年度中の解体方針」の延期を表明して以降初めての行動となりましたが、被爆地ヒロシマとして「全棟保存を求める」と共に私たち自身が「活用方法」などの論議を深めるとともに、他の団体とも協力して、しっかりと討論していくことが大切だと感じました。


旧陸軍被服支廠の全棟保存を求める要望書

平素より広島県知事として、「世界平和と核兵器廃絶」のためにとりくまれておられることに敬意を表します。     

 さて、昨年12月に広島県が公表された旧陸軍被服支廠の「1棟保存2棟解体」という方針に被爆地ヒロシマに住む人をはじめ、県内外の多くの人々が非常に驚きました。

 解体案を発表後、県はパブリックコメントを募集し、県民、国民の意見を求められましたが、1か月間で2232件の回答が寄せられ、県がこれまで実施したパブコメの中で最も多く、回答者のうち416件(18・6%)が県外であるということは、全国的に関心が高いことを表しています。

加えて被爆者団体や市民による署名活動など幅広く旧陸軍被服支廠の保存を求める声は高まっています。

被服支廠で作られた軍服や軍靴を身に着けた若者が戦場に送られ命を奪い、奪われたこと等軍都廣島であったことを証明する貴重な建物であり、同時に築100年以上と建築学的にも、また75年前の被爆の実相を伝える原爆ドームに匹敵する貴重な被爆建物と考えます。

一度解体された被爆建築物は、再び甦ることはありません。3棟保存は絶対に必要なことであり、決して失ってはならない県民の共有財産です。

被爆者は年々歳を重ね、被爆の実相を直接語り継ぐことは難しくなっています。「物言わぬ被爆の実相を伝える建造物」として将来にわたって保存することが求められています。

 県民の多くが望む「保存」の声を受け止め、広島県が保有する「旧陸軍被服支廠」3棟と、国が所有する1棟を含め「旧陸軍被服支廠」の全棟保存の方針を決定される

よう強く要望します。


アイ女性会議広島県本部は、今後も他の団体とも協力し、全棟保存に向けて取り組みを強化することにしています。

(佐藤)

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2020年2月 6日 (木)

旧陸軍被服支廠の保存を考える

2月2日の日曜日、広島平和記念資料館東館地下で「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が主催する講演会が、開催されました。関心の高さをうかがわせるようにほぼ満席の参加者でした。

講師は、広島大学名誉教授の三浦正幸先生でした。三浦先生は、史跡原爆ドーム保存技術指導委員会委員長や現在進んでいる平和公園の遺構保存懇談会の座長も務めておられます。

三浦先生のお話は、旧陸軍被服支廠の建物が、ただ被爆建造物としての価値だけでなくそれ以上に、建築物としての大きな価値を持つという側面から「全棟保存がいかに大切か」を強調されました。

話しの冒頭「活用の用途がない。役に立たない。だから解体だというのは、先進国がやるべきことではない。被服支廠は、中が大切。ある意味で外はどうなってもよいといえるほど貴重なもの。」と、1棟保存、2棟解体という広島県の方針を厳しく批判されました。「原爆ドームも、ある時期には『価値がない』といわれた。しかし今そんなことを言う人は誰もいません」

そして「被爆建物としても、ある意味で原爆ドーム以上に当時の凄惨さを示しており、当時の様子を実際に想像できる唯一といってもよい被爆建物」であることを強調されました。

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その後にも、建築物としての価値がいかに優れたものかを具体的に図を示しながらの解説が続きました。他で聞いた話もありましたが、一番印象に残ったことは、屋根瓦の下の構造。通常、木や鉄骨で桟をつくるのですが、この建物はコンクリート斜のスラブになっていることです。スラブとは、床や屋根の平板のことを言うようですが、当時鉄筋コンクリート造りが日本に導入された最初期のこと、床の平板ならいざ知らず屋根のような斜めの平板を作ることは、本当に高い技術が必要だったようです。では、なぜそんな難しい技術を使ってまでコンクリート斜のスラブが必要だったのか。三浦先生の指摘は、「宇品港からの艦砲射撃から建物を守るため屋根を強化した」ということです。今残っている被服支廠の建物の建て方(西側にてて3棟、南側に1棟のL字型)のもそれが現れているというのです。外側に面した建物が鉄筋コンクリートレンガ造りとなっているのもそのためだということです。被爆時には、このL字型に囲まれた内側には木造の建物が連なっていたのですが、被爆前の解体や焼却などによりもう像の建物はなくなり、鉄筋コンクリートの建物4棟のみが焼却倒壊を免れ、今に残っているのです。

もっと詳しい話が続きましたが、省略します。

広島県は、一応来年度の解体方針は延期し、活用論議を進めるとしていますが、その結論は予断を許しません。今の関心の高さを持続し、積極的な活用案を提示することもこれからは求められていきます。そんなことを考えている時、中国新聞のジュニアライターの記事を思い出しました。2016年10月20日の「ヒロシマの10代がまく種(第37号) 被爆建物 こう使う」に、旧陸軍被服支廠の活用策が提示されています。

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少し長くなりますが、付されている記事を引用します。

「旧陸軍被服支廠は周りに高校や中学校が多数あり、子どもたちが立ち寄りやすい場所にあります。この利点を生かし、小~大学生を対象にした施設(しせつ)を設備しました。学校生活を送っている中で『どのような施設があったら便利か」や『被爆建物だからこそできることはないか』などを、同じ世代の私たちが考えました。

 4棟(とう)あるので建物ごとにコンセプトを決めました。2棟は『学び』です。1棟は『原爆・戦争と子どもたち』に特化した資料館にします。被服支廠の役割に加え、集団疎開(そかい)、学徒動員などについて展示します。もう1棟は、静かな環境(かんきょう)で勉強できるように自習室を設置したり、図書館や書店を設けたりしました。

残りの2棟は『文化』『ザ・広島』です。『文化』棟は、バンド演奏やダンスができるようにします。防音の部屋を、多くの子どもが利用できるようにします。『ザ・広島』は、主に修学旅行生向けです。国道2号に近く、建物の横には大型バスが止まれるスペースがあって便利です。

ここ1カ所で、原爆・戦争について学び、広島の名産品や地産地消料理を買ったり食べたりできます。」(高3岡田春海)

広島県が検討を始めたといわれる3年前に、こうした活用案も出されていたのですが、検討会の中ではどんな扱いだったのでしょう?

いのととうとし

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2020年2月 5日 (水)

ヒロシマとベトナム(その9)

「入管法」改正から一年

外国人労働者の受け入れ拡大のための改正「入管法」が施行されまもなく一年を迎えます。「人手不足対策のため」として、新たに「特定技能1」「特定技能2」という在留資格を設け、「初年度に最大4万7,550人、5年間で最大34万5,150人を受け入れる」というものです。

一方で、賃金や残業手当の未払い、パワハラ・セクハラなど人権無視や過酷な労働環境のもとで失踪者や自殺者が増加し、外国人に関わる事故や事件も後を絶ちません。

こうした中で、新たな外国人労働者の受け入れが必要だとしても、異文化を理解し共生を進めるための国民の理解や円滑な受け入れと快適な生活を保障するための国や自治体の体制整備、相次ぐ労働法令違反の解消や失踪につながっている労働環境の整備など、あらゆる面で準備が整わないまま、強引に進められた「入管法」の改正・施行に大きな危惧を持ったのは私ひとりではないと思います。

在留外国人282万9千人(2019年6月末時点)

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20196月末時点の在留外国人。出入国在留管理庁 2019年10月25日公表資料を基に作成)

外国籍市民に依存した暮らしと産業

同時に、私たちの日常生活や地域産業にとって、外国人労働者が欠かすことのできない存在になっていることも事実です。東広島市の外国籍市民は昨年末に8,000人を超え、人口の4.3%に達しました。留学生、技能実習生、永住者で全体の72%を占め、いずれも増加が続いています。留学生は広島大学が目標に掲げる3,500名に向かって増加を続け、技能実習生も自動車関連や造船、電子機器部品や鉄鋼素材、農業や漁業に至るまで東広島市民の暮らしと地域産業を支える欠かせない人材として増加の一途です。

コンビニを支えているのは主に留学生や永住者、日本人の配偶者などの「資格外活動」で就労するバイトですし、コンビニで売られている弁当や惣菜、野菜やパンなども技能実習生や留学生など、外国人の労働に依存しているのが現状です。しかし、その認識はまだまだ乏しいと思います。反面、「ゴミ出し問題」など、習慣や文化の違いから起こるトラブルを通した「外国人感」はよく耳にします。

改正「入管法」施行から一年、どうなっているのでしょうか。

外国人労働者最多の165万人

先日、マスコミ各紙が「外国人労働者最多165万人」と報じましたが、1月31日に厚生労働省が、「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ(令和元年10月末現在)」(※1)を公表しました。それによると、日本で働く外国人労働者数は前年よりも19万8,341人増え、165万8,804人と最多を更新しています。中でも技能実習生の増加は著しく、前年の増加率を大きく上回る24.5%増で38万3,978人になっています。

一方、昨年4月に鳴り物入りで創設された「特定技能」労働者は520名。「最大4万7,550人」とされた初年度の受け入れ目標の僅か1.09%です。法務省は、これまでも「申請は増えているが書類の不備などが多く認定まで時間がかかっている」と説明していたようですが、この制度そのものに欠陥があると思います。管理団体や受け入れを検討している事業者の方々の話を聞くにつけ、「進まないだろう」と予測はしていましたが余りにもの状況に、「技能実習制度」を含め、「特定技能制度」の問題点を考えずにはいられません。

それは、①技能実習制度(本来の目的と現実)の問題、②「入管法」改正で創設された「特定技能制度」(職種、在留期間、家族帯同など)そのもの問題、③未整備な(国民・自治体・企業の)受け入れ体制の問題、④技能実習制度を含む欠陥から、日本は「敬遠される国」に陥りかねないという危惧、⑤私たちが考えなければならない課題(多文化共生の地域社会づくり)などです。

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ヒロシマとベトナム ~現在から未来へ~

そこで、この「特定技能制度」の問題を幾度かに分けて考えてみたいと思います。

昨年6月、「『ヒロシマとベトナム』を考える際、日本とベトナムとの関係、そして広島との関わりを、過去・現在・未来を貫いて捉える必要があると思います。そこで、過去・現在・未来をコンセプトに、何回かに分けて書いてみたいと思います。」と寄稿を続け、これまでに大まか「過去」について書き進めてきました。

〔そろそろ、「現在」から「未来」へと進まなければ・・・、それにしても余りにも幅広く、何から始めるか・・・〕と思いをめぐらしていましたが、「特定技能制度」の問題から始めることにしました。なぜなら、やはり「外国人労働者最多165万人」の報道です。外国人労働者の国籍別では依然、中国がトップで41万8,327人、2位がベトナムで40万1,326人、その差、僅か1万7,000人。毎年30%近くの増加を続けるベトナムが、今年の早いうちに逆転し、第1位になると思います。

広島県内でも外国人数第1位の中国に迫る勢いで増え、愛知・大阪・東京に次ぎ全国で4番目に多い技能実習生の多くを占めるベトナム。30年近くベトナムとの交流活動に関わり、広島ベトナム平和友好協会(HVPF)を設立してこの10年余り、技能実習生の抱える文化の違いや言語の壁によるトラブル、バイトで学費と生活費を稼ぎながら学ぶ留学生の抱える問題に接してきました。その過程で力及ばず「失踪」させてしまった事例も経験しましたが、技能実習制度と特定技能制度の問題は深刻です。

こうしたことからも、ヒロシマとベトナムの「現在」から「未来」を、このテーマから考えてみることにします。

(※1)「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ(令和元年10月末現在)」(厚生労働省Hpを参照ください)

(2020年2月4日、あかたつ)

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2020年2月 4日 (火)

「平和が一番 だから9条!」今年最初の3の日行動

1月20日に召集された通常国会が始まってちょうど2週間の昨日午後5時半から1時間、本通電停前で「戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」が呼ぶ掛けた今年初めての「3の日行動」が、実施されました。

最初にマイクを握って訴えたのはピースリンクの新田秀樹世話人。新田さんは、「自衛隊の中東派兵問題」をとりあげ、「断じて許されない。今回の派兵、何が一番問題か。国会で全く論議されていないこと。法律も作らず、閣議決定のみでの派遣決定。どんな情報を収集し、調査、研究をするかもはっきりしない。そして行動実態も報告されないことになるだろう。大事なことは、外交の努力。これこそが必要なこと。しかも、今度の派遣では武力行使が可能になっている。司令官は、訓練が十分しているというが、本当にそうなのか」と問題点を指摘しました。

今回の派遣では、防衛省設置法の「調査・研究」を根拠とした派兵ですが、もし万が一不測の事態が発生したら、武器を使用した防護活動が実施できることになっています。武器使用の判断は、現場任せになります。仮に不測の事態が発生し、武器使用が現実の問題となった時、その歯止めはどこにあるのか?全く不明です。海外において武器を使用することがどんなに危険なことかを承知しているだけに、国会でもこれまで徹底した論議が交わされてきましたし、慎重な対応が求められてきました。武力行使に巻き込まれる危険性を抱えた派遣にもかかわらず、現場にすべての判断を任せてしまうことは、絶対にあってはならないことです。

新田さんの訴えを聴きながら、改めてそんなことを考えながらのビラ配布でした。

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 続いて、山根岩男さんの「河井疑惑問題」への厳しい指摘。女性の関心の高さが強調されました。それにしても、説明責任を全く果たさない河井夫妻。「選挙違反」をやっていないのなら「捜査に支障をきたさないように」などと言い訳をせずに、堂々と説明すれば済むことです。と言ってもあれほどあからさまに証拠が示されていると「説明でない」のもうなずけます。

次に、このリレートーク初登場の沖横田秀雄さんのアピール。沖横田さんは、西区で無農薬野菜農業を行っている2児の父。「災害が続く、環境が悪化する。そんな中でも食の安全に一番関心を持っている。日々食べるものが、健康の基礎。日本ほど、農薬を使っている国はないことをご存知ですか。」ちょっと幅が広がったアピールでした。

そして今国会でも争点ともなっているIR問題や桜を見る会について、山田延廣弁護士が「安倍首相の政治性」を厳しく批判。今週から、2020年度予算の審議が本格的に始まりますので、連日衆議院予算委員会が開催されます。情報は公開しない、質問にはまともに答えない。これでは、審議の深まりようがありません。でも、追及してほしいと思います。

リレートークの最後は、山内正晃市議会議員の「憲法改正問題」への訴え。憲法が私たちに与えている権利、本当に私たちはきちんと行使していますか。選挙権しかり。山内さんの演説は実にわかり易い内容でした。

少し日が長くなったとはいえ、終わるころにはすっかり暗くなっていました。今回は42人のみなさんに行動に参加していただきました。

いのちとうとし

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2020年2月 3日 (月)

2019広響名曲コンサート「音楽の花束 冬」

昨日2月2日、2019年度最後の広響名曲コンサート「音楽の花束 冬」を聴きに、広島国際会議場に行きました。

今回のコンサートは、指揮は飯守泰次郎さん、ソリストは、ヴァイオリンの大江馨さん、ナビゲーターは、華道家の仮屋崎省吾さんでした。

午後3時に始まった演奏会、は「ウェーバー:歌劇『オイリアンテ序曲』序曲」でスタート。演奏後、ナビゲーターの假屋崎さんが登場。毎年3回開催される「音楽の花束」のうち一回は、假屋崎省吾が主テージの花を活け、ナビゲーター役を務めます。軽妙の語り口でスタート。「元祖・華道家の仮屋崎省吾です。華道家という言葉は私が初めて使ったので元祖です。」初めて知りました。

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「花と緑と音楽の贈り物。舞台上の花は、一足早い春をと思い『サンシュユ』(山茱萸)の花を中心に生けてみました。お楽しみください。」「今日のお迎え花は、広島市立美鈴が丘高等学校華道部のみなさんが活けてくださいました。会場のどこかでコンサートを楽しんでくれています。」手を挙げた高校生たちを見ると私たちのすぐ後ろの座席です。

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「平和の灯」と名付けられたお迎え花、假屋崎さんの指導で作られたそうです。「小学生の時、ヴァイオリンを始めましたが、先生が厳しく、手の甲をたたくので、中学生の時ピアノに転向しました。」楽しい語りを続けながら、次の曲の紹介です。2曲目(第1部の最後)は、「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調」。ここで、ヴァイオリニストの大江馨さんが登場。大江さんは、1994年生れの新進気鋭の演奏家。40分余りの演奏、熱が入ります。演奏後のアンコール曲は、「バッハ:ソナタ第3番より『ラルゴ』」でした。

休憩の後、メインの演奏曲は「ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調『新世界』より」です。この曲は、何度か聞いたことのある曲です。特に、第2楽章は、「遠き山に日は落ちて」で私にも歌える曲です。そして第4楽章。これも頭に浮かぶ曲です。金管楽器の音が響きます。演奏時間は、約45分。アンコール曲は、「ドヴォルザーク:スラブ舞曲第10番」でした。

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ところで今回の指揮者飯守泰次郎さんのホームページには、今回のコンサートによせて、メッセージが書き込まれています。「広響とは1990年代に定期演奏会で3回共演して以来、27年ぶりのコンサートです。今回のプログラムは、(略:上記参照)まさに名曲揃いです。久し振りに広響とご一緒して、なつかしい顔ぶれに新しいメンバーが加わって非常に生き生きとしたオーケストラに成長していることがとても嬉しく、これからもますます発展していくオーケストラだと思います。 ソリストの大江馨さんはとても若々しくフレッシュなヴァイオリニストで、明日のコンサートが私も楽しみです。」

メッセージのとおりの参加者を堪能させる指揮だったように思います。それにしても飯守さんの年齢を調べて、びっくりです。1940年9月生まれ。いずれも演奏時間が40分を超える2曲の指揮、「やはりプロはすごい」の一言です。

今回は、午後1時半から資料館で開かれた「旧被服支廠の解体を防ごう!緊急集会」に参加したため、ぎりぎりの会場到着でプレゼントのお花をゲットすることができませんでした。

ちなみにプレゼントのお花は、「チロリアンデージー」でした。

いのちとうとし

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2020年2月 2日 (日)

田谷行平展

先週の土曜日に「どうもおかしい」と思い病院に行って風邪の治療をしたのですが、思いがけず長引き、やっと昨日一週間ぶりに回復し、外歩きができるようになりました。

少し寒さはありましたが、天気に恵まれ、二つの催し(「田谷行平展」と「紙屋町シャレオ古本まつり」)に足を運ぶことができました。いずれも、今日が最終日です。

今日はその一つ、並木通りの「ギャラリーたむら」で25日から開催されている「田谷行平展」を紹介したいと思います。

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ギャラリーたむらでの田谷さんの個展は、ギャラリーがオープンした翌年の1982年からほぼ毎年開催されています。ここ20数年は、年明け2番目の展覧会としてこの時期に定着しています。田谷さんは、ギャラリーたむらが毎年個展を続けている唯一の地元在住の作家です。

会場の入り口に今年の展覧会に寄せる田谷さんの思いが綴られたキャプションがあります。書かれています。

 

<生きている作品が描きたい>矛盾と葛藤の中で、過去から現在拭い去る事のできない体験や思い出からの出発が私自身への問題提起でもあり答えでもあった 

見えるもの 見えないもの  

あるもの ないもの

聞こえるもの 聞こえないもの

知ること  知らにこと

変わってしまうこと 変わらないこと

今の次に来るところはどんなところ

 

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 毎年、この展覧会のための新作が準備され、いつも新しい展開を楽しませていただけます。

展覧会開会中は、土日に作家が在廊するということで、昨日は楽しみに見に行きまました。「『新しいアクリル絵の具』に出会い、今年もいろいろなことを試してみました。たむらさんでの展覧会は、毎年、新しいことを自由にやらせてもらっています。」田谷さんのことばです。最近は、こんなギャラリーがだんだんと少なくなっています。「積極的に新しいチャレンジをしてほしい」ギャラリーたむらの店主の願いでもあります。こんな良い関係が、展覧会が40年近くも続いている要因だと思います。

田谷さんの展覧会で気になることは、もちろん作品そのものへの期待は当然のことですが、作品に付けられたタイトルも気になります。ちなみに最初の写真のDNのタイトルは「古いレコードを聴きながら」です。

私が購入した作品のタイトルは、「遠い日のあなたの贈り物」です。(下の写真)

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 個展での出会いは、私にもう一つの楽しみを与えてくれます。作品を離れて政治や身の回りのことについて意見交換できることです。1942年生れの田谷さんは、白島で被爆。核兵器廃絶へも強い思いを持っておられます。作品を離れた対話では、それぞれの人柄や思いが伝わってきますので、いつも時間を忘れて話し込むことになります。これも毎年の個展の楽しみの一つです。昨日も2時間余りの時を過ごしてしまいました。風邪が回復し、何とか展覧会中に会場に行くことができ、今年も本当によい時間を過ごすことができました。

いのちとうとし

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2020年2月 1日 (土)

無い物ねだり

日本の政治は地に堕ちてしまった、と書いても、もう聞き飽きた言葉を繰り返すなという反応が戻って来るだけなのかもしれません。でもこの酷さを改めて羅列して、その原因を確定した上で、政治と社会全体を健全にして行かなくてはなりません。

政治の酷さを一番良く示しているのが総理大臣の発する様々な言葉です。総理大臣の国会答弁や記者会見は見るのも聞くのも苦痛です。総理大臣だけでなく、他の大臣もその代りに答弁に立つ役人の答弁も、テレビで映される勉強会での発言等々でも、日本語らしき言葉が繰り出されますが、それらの言葉には意味がありません。意味の代りに、「官僚的」という言葉が悪い意味で伝えている特徴を備えています。つまり、権力を擁護し真実を隠し、真実の追求から「言い逃れる」ための論理性を持つ詭弁なのです。そして、それでも間に合わないほどの追求に遭うと、大切なことには「ダンマリ」で通すことになるのです。これらの結果として、喋っている人たちが人間であることさえ疑うような薄っぺらな「言語紛い」の代物であることしか伝わってこないのです。

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最近では、それより低次元の対応が目立ち、それさえも市民権を得ようとしています。たとえば、公職選挙法違反の疑いを賭けられた国会議員たちは、「言語紛い」の音声による「説明らしき」ものを公にすることすら拒否して、「雲隠れ」をするのが常套手段になりました。そんな国会議員を当選させるために、(総理大臣としてではない)自民党総裁は1億5千万円も使って、何のお咎めもないどころか、「違法ではない」と開き直っているのです。

こうした状態を作っているのは、日本という国家を代表する大臣や政治家、そして官僚たちですから、それらの人々の言動を、「国家の言動」と呼んでも良いはずです。そこで思い出すのが、藤原正彦著の『国家の品格』です。

現在の安倍政権ほど、「品格」に似付かわしくない存在はないと言っても過言ではないでしょう。さらに、『国家の品格』が説いている「惻隠の情」とか「もののあはれ」と最も距離のあるのが、総理大臣の言説であり、それに阿る官僚たちの姿勢でしょう。

実は、『国家の品格』には、品格を取り戻すための処方箋が示されています。それは、新渡戸稲造の『武士道』です。でも、その処方が効果的でなかったことは、現在の安倍政治の酷さで証明済みです。そもそも『武士道』を読んでその内容通りの行いをするという考え方はなかったのではないでしょうか。

では、その代りに、安倍政治を作り支えて来た人たちは何を頼りに自分たちの言動を律してきたのでしょうか。それが明治憲法であり、教育勅語や軍人勅諭等であることは、改めて指摘するまでもないでしょう。自民党の改憲草案を見れば明らかです。とは言え、我が国は法治国家です。現行の憲法が気に食わないからと言って、平気で憲法違反をしたり、憲法の精神に背くようなことはできないはずです。事実、憲法の99条には憲法遵守義務が掲げられています。改めて引用しておきましょう。

第99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

さらに、15条の2項では、政治家を含む公務員が全ての人のために仕事をしなくてはならない旨の規定があります。それも引用しましょう。

第15条  (略)

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

こうした規定があるにもかかわらず、最初に指摘したような酷い「言語紛い」の音声による政治が跳梁跋扈しているのは、裁判所の確定判決そして学説によって、99条が「法的義務」ではなく、「道徳的要請」であると解釈されていることが最大の原因なのではないかと思います。

本ブログでも取り上げてきましたが、『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』には、詳しい説明がありますので、是非読んでみて下さい。

[2020/2/1 イライザ]

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