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2020年1月11日 (土)

司法制度の基本矛盾

『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』は、憲法を素直に読む試みとその結果を記録したのですが、いくつもの大切な「発見」がありました。たとえば、死刑は違憲であることなのですが、その他にもこれまで定説・通説として受け入れられてきた事とは違う結論が浮び上ってきました。通説が正しいのか、私たち素人ではあっても憲法に関心のある市民が、素直にかつ論理的に読んだ結果の方が正しいのか、誰かに判定して欲しい気持になりますが、憲法81条によるとそれは最高裁判所の役割だということになります。

しかし、その最高裁は死刑を合憲だと言っています。となると、私たち市民の考え方は全く認められないのでしょうか。今回はその点から考えてみたいと思います。

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《「司法」についての基本矛盾》

普通に読むと、憲法は最高裁判所が誤った判決を出すことは想定していないように思えます。それは憲法の第81条があるからです。

     第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

死刑は合憲であると、昭和23年には最高裁が判決を下したのですから、その結論に対して裁判で争おうとしても、既に「終審」という決定的な限定の付いた場でその判断はされてしまっていますので、その結論を覆すことはできない、と考えるのが自然でしょう。

しかし、『数学書として憲法を読む』立場から考えてみましょう。一般的読み方とは違ったとしても、『数学書として憲法を読む』立場からは、憲法そのものの文言が、最高裁の判決以前の時点でハッキリ死刑を禁止していると読めるのです。ですから、それを誤って解釈している(と私たちには見えるのですが、)最高裁版所の判決は、それが「終審」であろうとなかろうと、間違っているのです。となると、憲法そのものが何を言っているのかという事実の方が最高裁判所の「解釈」より優先されて当然だという主張にも一理あると考えられます。そして、単に「一理ある」というレベルではなく、このことは、憲法そのものが保障しているのです。それは98条です。

      第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

明示的には表現されていませんが、最高裁判所の判決は「国事に関するその他の行為」に入らないとおかしい種類の行為ですので、98条の対象になります。仮に、ある法律や判断が憲法違反だとすると、98条によってそれは効力を持たないのです。

さてここからが問題です。元々は(私たちから見た場合に)違憲である法律や判断があったとすると、それは、98条によって本来、効力を持たないはずです。にもかかわらず、何らかの理由で最高裁判所がそれらは合憲だと判断してしまったとすると、それは、81条に従って、効力を持つことになってしまうのです。これは、大きな矛盾です。

その特別の場合としてもっと極端なケースを考えましょう。最高裁判所の判決そのものが憲法に反する場合です。しかし、それは最高裁判所の判決ですから、最高裁が終審裁判所であることから、「違憲である」という訴訟は起こせないか、起こしたとしても即刻、棄却されるであろう結末は見えています。となると、「違憲」である状態は続いてしまいます。このような81条と、98条との間の矛盾を「「司法」についての基本矛盾」と呼びたいと思います。

 

《「最高裁でも過ちを犯すことがある」と仮定》

「基本矛盾」を解消するための一つの方法は、「最高裁判所は決して過ちを犯さない」という仮定を設けることです。すると、81条の規定に従って最高裁が行う、違憲かどうかの最終判断は常に正しいのですから、それは自動的に98条の要請を満たしていることになります。つまり、矛盾は存在しなくなります。

しかし、現実問題として、人間が最高裁の判事を務めるのですから、慎重の上に慎重な審理を尽くしたとしても誤りを犯す可能性は存在します。さらに、政治的な問題については、最高裁が判断を下すことを避けてしまったケースも存在します。となると、大前提として「最高裁版所は過ちを犯さない」と仮定することには無理があります。つまり、「最高裁判所であっても過ちは犯すことがある」という前提で、「基本矛盾」を解消しなくてはなりません。

その前提の下に矛盾を解消するためには、憲法98条が81条より優先されると考える必要があります。「終審裁判所」であっても間違いを犯す可能性を認めるのですから、最高裁による「終審」としての判断にも98条を適用するということなのです。問題は、その判断が「違憲」であるということを誰が判断するのかという点です。

ここで、下級裁判所から問題提起を始めるという手続きを認めてしまうと、「終審」裁判所の意味がなくなる可能性が大きくなりますので、最高裁判決の誤りは、最高裁自身が認めるという手続きが合理的でしょう。「終審」の意味を拡張解釈して、十分な理由があれば、一度判決の出た事柄についても最高裁判所の段階で「自発的に」再審議ができるようなメカニズムを作ることです。

もう少し論理的に整理をすると、最高裁判所における「終審」とは、十分な理由があれば「終審」として終った裁判を「再開」できる制度にすることです。「十分な理由」の中に、事実確認についての重大な過誤があること、つまり「事実誤認」というケースは既に含まれています。それは、これまでの最高裁において実績があります。それに加えて、例えばある一定の期間が経過した後、事実誤認だけではなく憲法の解釈についても、見直しを行うような制度にできないものなのでしょうか。

この提案の詳細については、稿を改めて論じたいと思いますが、一つの問題は、これまでの最高裁、そしていわゆる「国」の対応を視野に入れると、「最高裁でも過ちを犯す」あるいは「国も過ちを犯す」という当たり前の前提が、控えめに言って、時には受け入れられていないように見えることです。次回以降、この点を考えて行きましょう。

[2020/1/11 イライザ]

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