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2020年1月 2日 (木)

元日の平和公園

被爆75周年、新しい年が始まりました。今年初めての探訪として平和公園を訪れました。元日に平和公園を訪れたのは、初めてのことです。

午前10時頃、平和公園に着くとすでに多くの人が訪れています。年末もそうでしたが、資料館の入り口でも外国からの訪問者の姿が、目につきます。そんな様子を見ながら、慰霊碑へと進みました。下の写真は、改めて夕方撮りに行ったものです。

Dsc_4941

思いがけない人に出会いました。若い時一緒に青年部運動などを行ってきた知人のTさんです。「おめでとうございます」のあいさつを交わしながら、話してみると「父が、被爆当時暁部隊に所属し、比治山で直接被爆した」「ちょうどトイレにいて、閃光を直接浴びることはなかったので、何とか無事だった」「その後、市内の片づけなどに従事し、9月になって除隊し、千葉に帰郷。その10月10日後に私は生まれたのです」とのこと。お父さんは、人間魚雷回天に搭乗する予定だったそうです。長い付き合いですが、初めて聞く話です。さらに知人の話にびっくり。「毎年元日に慰霊碑に参拝し、般若心経をあげている」とのこと。「それなら供養塔の方が良いのでは」と二人で、供養塔に足を運びました。

平和公園を歩きながら「父の名前は、慰霊碑の死没者名簿の中にあるだろうか」「市役所に訪ねればすぐ分かるはずだよ」の会話。それならと国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ移動し、遺影コーナーを紹介しました。Tさんは、何度かここは訪れたことがあるようですが、このコーナーを訪れるのは初めてとのことでした。意外と知られていないのにびっくりです。「遺影を登録すれば、いつでも見れるよ」と話し、ここでTさんと別れ、私は原爆ドームへ移動。

Dsc_4923

ここも多くの外国人が見かけます。自撮りをする何人かの外国人に、本人のスマホで写真を撮ってあげました。特に二人連れは大喜びです。

そろそろ帰ろうかなと思っている時、今日から国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の2020年度の企画展「時を超えた兄弟の対話」(昨年12月24日のブログで紹介)が、始まったことを思い出し、再び追悼平和祈念館へ移動しました。地下1階に設けられた企画展のコーナーは、立ち見者が出るほどの盛況です。撮影禁止ですので、その様子を紹介できないのが残念です。

叶館長の姿を見かけましたので、新年のあいさつ。「外国人は、30分のビデオが終わるまで本当に熱心に見ていただいています。12月30日31日は休館にしているのですが、もし開けておれば、きっと沢山の人に見ていただけたと思うのですが、休みなしは・・・」と館長の話。この企画展は、いつも盛況のようです。特に外国人にとって。

館長からも新しい話を聞くことができました。「館長、四國直登さんの日記には、市民が描いた原爆の絵で描かれているNHK前の黒焦げの親子の死体の話は出てこないのですかね。」という私の問いに思いがけない答えが返ってきました。「あの情景は出てこないのですが、新潟の被爆者の体験記に、直登さんの様子が書かれているんですよ。その体験記は、この館の資料のなかにあります。」体験記の閲覧室に展示されていました。この詳細は、改めて紹介したいと思います。

僅か2時間ほどの平和公園探訪でしたが、今年もまた新たな出会いや発見を体験するスタートになりました。

いのちとうとし

 

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