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2019年12月12日 (木)

「原爆被爆者対策基本問題懇談会の答申」から29年

今日は、1980年12月11日に出された「原爆被爆者対策基本問題懇談会の答申」(以下『基本懇答申』という)について改めて考えてみたいと思います。そのきっかけとなったのは、不戦の誓いヒロシマ集会が行われた12月8日の午後、鷹野橋にあるユイポートで原爆被害者相談員の会が主催し開催された「12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題シンポジウム」に参加したことです。

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私が参加しようと思ったのは、このシンポジウム「現在の被爆者の生活課題と今後の支援~被爆75年を前にして~」のパネラーの一人に若い時から一緒に活動を続けてきた胎内被爆者でもある友人の名前があったからです。

シンポジウムは、高齢化する被爆者の間に多くの問題が出てきているかを中心に、5人のパネラーから、それぞれの立場から報告があり有意義な内容でしたが、私がはっと思わされたのは、集会のメインに「基本懇」という言葉があったからです。

多くの被爆者の期待を裏切った「基本懇答申」が、出されて39年が過ぎました。被爆二世裁判などでこの「基本懇答申」が引用されることはありますが、その他ではほとんど耳にすることも少なくなっています。

私は、原水禁大会などで「原水禁運動の歴史」を話す機会がありますが、その時には、「国家補償の被爆者援護法」との関連で、必ずこの「基本懇答申」に触れることにしています。

野党共同の「援護法」がまとまり、75年4月には、森滝市郎先生が衆議院社労委員会(現在の厚生労働委員会の前身)で参考人として意見陳述するなど、1970年代に入り、「国家補償に基づく被爆者援護法」制定を求める運動が強化される中で、1979年5月18日に茅誠司東大名誉教授など7人の委員で構成される厚生大臣の諮問機関である「原爆被爆者対策基本問題懇談会」が発足し、その意見書が80年12月11日に提出されました。

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 署名を集めて全国行脚(中国新聞社刊「ひろしまの記録」より)

「援護法制定」を求めて運動を続けてきた被爆者は、この懇談会に大きな期待を寄せ、その答申を待っていたのですが、発表された答申は、全く被爆者の期待を裏切るものでした。当日夕方、広島の被爆者団体や反核団体は南区金屋町の労働会館(現在のワークピア)に集まり、期待をして待ち受けていたのですが、その思いは裏切られ、集会は、抗議集会となったことを今思い出します。

国家補償の柱として求められていた「死没者への償い」は、次のように切り捨てられました。

「おおよそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による「一般の犠牲」として、すべての国民が等しく受忍しなければならないところであって、政治論として、国の戦争責任等を云々するのはともかく、法律論として、開戦、講和というような、いわゆる政治行為(統治行為)について、国の不法行為責任など法律上の責任を追及し、その法律的救済を求める途は開かれていないというほかない。」(下線は、筆者) 

「戦争被害受任論」です。その影響は大きく、1994年に成立した「被爆者援護法」も、原爆の最大の犠牲者である死没者への償いは盛り込まれませんでした。

「戦争被害受任論」を決して忘れず、打ち破ることは、国家の戦争責任を追及する道でもあります。「国家補償の被爆者援護法」にこだわり続けなければならないと改めて感じた集会でした。

いのちとうとし

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