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2019年12月16日 (月)

まぼろしの運河 平田屋川―並木通りのルーツを求めて

並木通りが、かつて川だったことをどれぐらいの人がご存知でしょうか。私は、以前に「西国街道を訪ねるフィールドワーク」に参加した時、「平田屋川」という川があったことを知りました。その時には、西国街道(現在の本通り)に「平田屋橋」がかかっていたこと、現在の中の棚通りには「中の棚橋」があったと説明を受けていましたが、「平田屋川の流れ」については説明がなく、何となく「並木通りを流れていたのだな」というぐらいの知識しか持っていませんでした。

今回、「広報ひろしま 市民と市政」で、広島市郷土資料館が「2019年度ひろしま郷土史講座 まぼろしの運河 平田屋川―並木通りのルーツを求めて」のフィールドワークの参加者を募集していることを知り、応募することにしました。幸いにして「参加OK」の返信はがきが返ってきましたので、夫婦で参加することになりました。

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集合場所のアリスガーデンには、募集人員と同じ20人の参加者が時間通りに集合。参加者のほとんどは、私たちと同じ、中高齢者がほとんどです。

広島郷土資料館の担当者からフィールドワークに必要な資料が配布され、特に道路を歩くので他の歩行者や車などへの注意などの説明を受けて、さっそく最初の地点、中の棚橋の跡へ移動開始です。今回の解説者は、本田さんです。

年末の土曜日ということもあり、本通は多くの人でにぎわっていました。中の棚橋の跡は、電車通りから一本南の中の棚通りの東側入り口、ちょうど福屋百貨店側から入ってすぐのところです。足元を見ると「中の棚橋跡」の表示があります。

まず、「平田屋川とは」の解説です。本田さんは、最初に「これから説明することは、ほとんど配布した資料に記載していますので、後でぜひ目を通してください」とのことでしたので、筆記を取らず安心して耳を傾けました。少し長くなりますが、配布された資料から引用して、「平田屋川」を紹介したいと思います。

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「平田屋川とは 天正19年(1589)に始まった広島築城時、建築資材を海から運ぶために開削された運河である。同時に西堂川も設けられている(現在の鯉城通り:紙屋町交差点から南に延びる電車通り)。工事を行ったのは、吉川広家。平田屋川の名は、広島城下町商人『平田屋惣右衛門』に由来する。海から城下中心部に物資を輸送することができたほか、排水路として大きな役割を果たしていた。そのため、近代に入って大正元年「1912」に西堂川が完全に埋めれられたのに対して、平田屋川は大正4年(1915)に川幅が3分の1程度になったものの残されている。しかし昭和30年代に残りも埋め立てられ、その姿を消した。」

並木通りには、昭和30年代まで、川が流れていたのです。実は、自宅から歩いて集合場所に向かっている時、並木通りでたまたま出会った広島生れの友人に「平田屋川フィールドワークに行く」ことを話したら、「ここに川があったことを自分も記憶しているよ」といわれました。私が、本格的に広島に来たのは、昭和40年代に入ってからですから、全く「川の風景」を想像することはできませんが、広島の人の記憶の中に残っている川なんだなということが分かります。

ところで平田屋川は、私の出身地島根とも深いかかわりがあります。この平田屋川を開削した「平田屋惣右衛門」の平田屋は、出雲平田(島根県出雲市)の出身で、宍道湖と近かった平田の町に水路を建設し町づくりを進めた経験があったため、その技術を広島の町づくりに生かそうと毛利氏が招いた人物なのです。この説明が今回は無かったのが、島根県出身者としてはちょっと残念でした。

フィールドワークはスタートしたばかりですが、その後の様子は、明日以降に報告します。

いのちとうとし

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コメント

平田屋川について、私の先祖は広島と言われていたので昨年娘を連れて広島を訪れました。その時に広島城を訪れた際に平田屋川、平田屋橋があること知り数少ない文献を調べると、どおやら私の先祖に由来するらしい事がわかりました。しかしながら確信まではたどり着けず、現在親戚が広島に赴任している事からいろいろ調べているところです。過去帳があり、そこには平田屋惣右衛門と言う名前では載っていませんでしたが正保4年没平田為右衛門重次初代と記されています。金龍寺と言うお寺に平田の名前が書いてある墓石があるとの事です。出来ましたら詳しい方がいらっしゃいましたら是非お話をお聞きしたいのですが、よろしくお願いいたします。

平田さま
コメントありがとうございます。
ゆかりのある人に読んでいただき、感謝です。
私の場合、ブログにも書きましたが、島根出身ということに関心があったのですが、逆をたどることもできるのですね。
金龍寺は、広島のお寺ですよね。もう少し詳しい地名が分かりますか。
それが分かれば調べてみようと思うのですが。

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