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2019年11月29日 (金)

地域を知る講座「漫画家中沢啓治さんの足跡を訪ねる」

ローマ教皇が広島を訪問された日の午後1時から舟入公民館が主催する「地域を知る講座『漫画家中沢啓二さんの足跡を訪ねる』」というフィールドワークに参加しました。集合時間の午後1時には、舟入公民館に集まった参加者はあらかじめ予約をしていた18名。地元舟入地区からの参加者も2名ありました。

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最初に舟入公民館で講師の渡辺久仁子さんから「岩国基地の強化などミリタリーが近づいているという時期に中沢さんのことを話すことができることを感じています。今日は、8月6日だけに絞ってフィールドワークをします。原爆の非人道性を読み取ってほしい」とあいさつ。そして持参した「中沢さんの漫画や中沢さんに関する書物」を紹介しながら、「はだしのゲン」は、今25か国語に翻訳され世界で読まれていること、英語版作製には10年以上かかったこと、「『はだしのゲン』と一緒に『黒い雨にうたれて』の2冊を読むとより理解が深まること」などが紹介されました。

いよいよフィールドワークに出発です。最初は、中沢啓治さんが被爆当日住んでいた自宅。現在も当時と同じように2階建ての民家が立っています。もう一度ここには戻るということで、次の目的地の神崎小学校へ移動します。自宅跡前から西に電車通りまで出て電車通りを北上、国道2号線バイパスの交差点を北にわたりました。交差点の東北角地(現在広銀の建物がある)でちょっと説明。「中沢さんが通っていた神崎国民学校はこの位置にあったと思われます。現在は、これから行くところに移動しています。」

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さらに歩いて、神崎小学校まで移動し、その北側に立っている神崎集会所で、渡辺久仁子さんが作成に関わった「はだしのゲンがみたヒロシマ」のビデオを鑑賞。このビデオは、中沢さんと一緒に「はだしのゲン」に登場する場所を一緒に訪ねながら、中沢さんにインタビューしたもの。そして渡部さんが、2007年に初めて中沢さんの証言を聞き、「血の通った怒りを感じたことが衝撃」となって、その後のビデオ制作にまで進んだことが詳しく話がされました。

 神崎集会所での講演を終えて、次に隣の神崎小学校へ。神崎小学校の校門を入るとすぐ左側に、被爆当時の学校の門柱が立っています。一緒の参加されていた舟入中町の松尾利明さんが「この門柱は、私の父が、この学校の校庭の東側に埋まっていたものを掘り出しました。中沢さんが寄り掛かった門柱かどうかははっきりしませんが、被爆した門柱としてここに建てることになったのです。」と解説。

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松尾さんのお父さんは、「はだしのゲン」の漫画の中で「豆腐屋のシュンちゃん(と聞こえたのですが)」として登場するとのことです。この後で、松尾さんからは驚くような話を聞くことになります。門柱の横の碑には、「旧神崎小学校の門柱 原爆投下時の在校生 1860名 ・・・児童死亡 140名 職員死亡 8名」と被爆時の学校の様子が書かれています。その後私が調べたところでは、「職員の死亡者は、教師3名、看護婦1名、事務員1名、用務員1名、調理員2名」で、うち1名は、学校以外で亡くなったとされています。

神崎小学校を出発し、中沢少年が被爆後、倒れた塀から抜け出し歩いたと思われるたどり、再び自宅前に来ました。

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ここでは、「はだしのゲン」に描かれた「お母さんが下敷きになった子どもたちをどうすることもできずにいる」画面を手にしながら、渡辺さんの熱の入った話が続きます。「はだしのゲン」をもう一度読んでみてください。最後は、広電舟入川口電停前です。マンガでは、ゲンがお母さんにあったのは、自宅前となっていますが、実際にはこの電停付近だったそうです。最後に「今日は、8月6日の中沢さんの足跡を訪ねましたが、その後がもっと大切です。ぜひ『はだしのゲン』をもう一度読んでみてください。」フィールドワークは終わりました。

ところで途中で松尾さんから聞いた話はあまりにも衝撃的なことでした。私が「お父さんは、どこで被爆されたのですか」と聞いたところ「三菱江波工場です」との答え。「えーそれじゃ森滝先生と同じ工場ですね」と言うと松尾さんは「実は、私の父は、森滝先生のすぐそばで被爆したのです。父は、その時頭を下げ前かがみになったので背中にガラスが刺さっただけでしたが、父の後ろにおられた偉い先生は、父がかがんだため、その先生は顔にガラスが刺さったのですよ。その時は、森滝先生とは知らなかったのですが、ずーっと後になってテレビに映る森滝先生の顔を見て、あの時の先生が森滝先生だということが分かったのです。」

こんな出会いがあるのだろうかとただびっくりです。松尾さんのお父さんは、原爆孤児となられ、戦後本当に苦労されたことも話していただきました。ただ、すでに亡くなられていますので、直接に話を聞くことができないのが残念です。

不思議な出会いのあった今回のフィールドワークでした。

いのちとうとし

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