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2019年11月

2019年11月30日 (土)

11月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町)

11月という月は畑や山の中での農園の作業はとても穏やかで汗もかくことなく、蛇もスズメバチもいないので結構快適。今月の後半は土日の4日間、農作業を行ったが幸い雨が降らなかったし、風もあまり吹かなかったのでぼちぼち作業をしていくには良かった。

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11月16日(土) ブルーベリーの草刈り枝の皮がはがれた場所の補修。木工ボンドを塗って皮の替わりにして保護。ブルーベリーの作業は今日でいったん終わって12月の落葉を待って剪定作業に移る予定。

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11月17日(日)農園の管理する池の草刈り。2~3年維持管理を怠っていたので竹が伸びススキが伸びてボーボーの状態。とても一日では終わらない。写真右後ろが池。

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11月17日(日)縁側のベンチで休憩してお茶をしていると、目の前の桜の木に山雀(ヤマガラ)が梢にとまる(写真中央の枝先)。「つぃーつぃー」と鳴きながらもしばらくとまっていた。マイカメラの望遠はこれが精いっぱい。

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11月17日(日)里山の早生のブルーベリーの紅葉真っ盛り。

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11月23日(土) 畑のブルーベリーの紅葉。左の山が板鍋山。この山まで走る第8回板鍋山登山マラソン大会が明日午前中にある。親戚の男性が農園の草刈りにお見えになった。彼は午前中、板鍋山の道路の整備に出ていてここの大会は山に向かって走るコースが全国にはあまりないので遠くは沖縄からも参加だとか。300人を超える選手が参加するそうだと聞いた。

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11日24日(日) ブルーベリー農園の前の道で応援と撮影。前を走る選手はカメラを構える私を見て「あ! 遊川さんじゃ!」と声を上げた。でもあっという間に走り去ったのではてどなたか? でも最後の板鍋山頂上までがきつそう。マラソンロードの交差点などには地元の方がコースに車が侵入禁止の誘導をされていた。

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11月24日(日)畑の作業。先週の日曜日にほりあげて株分けして乾燥させておいたジャーマンアイリスの植付。もう冬になるのでこれでおしまい。全部したいのだがあきらめる。

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11月24日(日) 

 ①里山の早生のブルーベリーの葉がすっかり落ちた。

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 ②ところどころに真っ赤な葉が見える。落葉後はブルーベリーの剪定が始まる。

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11月24日(日) 山ツツジの花芽。

農園は標高が約400mありこれから寒さが厳しくなる。でも朝夕の寒暖差が大きいのでブルーベリーの実もおいしいから文句はいえない。その実を納品している安芸の郷の運営するcafeさくらの生のブルーベリージュースも今年は10月初めまで提供できた。今は冷凍のブルーベリージュースに切り替えている。愛好者も増えたようでちょっと安心。

2019年11月30日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2019年11月29日 (金)

地域を知る講座「漫画家中沢啓治さんの足跡を訪ねる」

ローマ教皇が広島を訪問された日の午後1時から舟入公民館が主催する「地域を知る講座『漫画家中沢啓二さんの足跡を訪ねる』」というフィールドワークに参加しました。集合時間の午後1時には、舟入公民館に集まった参加者はあらかじめ予約をしていた18名。地元舟入地区からの参加者も2名ありました。

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最初に舟入公民館で講師の渡辺久仁子さんから「岩国基地の強化などミリタリーが近づいているという時期に中沢さんのことを話すことができることを感じています。今日は、8月6日だけに絞ってフィールドワークをします。原爆の非人道性を読み取ってほしい」とあいさつ。そして持参した「中沢さんの漫画や中沢さんに関する書物」を紹介しながら、「はだしのゲン」は、今25か国語に翻訳され世界で読まれていること、英語版作製には10年以上かかったこと、「『はだしのゲン』と一緒に『黒い雨にうたれて』の2冊を読むとより理解が深まること」などが紹介されました。

いよいよフィールドワークに出発です。最初は、中沢啓治さんが被爆当日住んでいた自宅。現在も当時と同じように2階建ての民家が立っています。もう一度ここには戻るということで、次の目的地の神崎小学校へ移動します。自宅跡前から西に電車通りまで出て電車通りを北上、国道2号線バイパスの交差点を北にわたりました。交差点の東北角地(現在広銀の建物がある)でちょっと説明。「中沢さんが通っていた神崎国民学校はこの位置にあったと思われます。現在は、これから行くところに移動しています。」

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さらに歩いて、神崎小学校まで移動し、その北側に立っている神崎集会所で、渡辺久仁子さんが作成に関わった「はだしのゲンがみたヒロシマ」のビデオを鑑賞。このビデオは、中沢さんと一緒に「はだしのゲン」に登場する場所を一緒に訪ねながら、中沢さんにインタビューしたもの。そして渡部さんが、2007年に初めて中沢さんの証言を聞き、「血の通った怒りを感じたことが衝撃」となって、その後のビデオ制作にまで進んだことが詳しく話がされました。

 神崎集会所での講演を終えて、次に隣の神崎小学校へ。神崎小学校の校門を入るとすぐ左側に、被爆当時の学校の門柱が立っています。一緒の参加されていた舟入中町の松尾利明さんが「この門柱は、私の父が、この学校の校庭の東側に埋まっていたものを掘り出しました。中沢さんが寄り掛かった門柱かどうかははっきりしませんが、被爆した門柱としてここに建てることになったのです。」と解説。

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松尾さんのお父さんは、「はだしのゲン」の漫画の中で「豆腐屋のシュンちゃん(と聞こえたのですが)」として登場するとのことです。この後で、松尾さんからは驚くような話を聞くことになります。門柱の横の碑には、「旧神崎小学校の門柱 原爆投下時の在校生 1860名 ・・・児童死亡 140名 職員死亡 8名」と被爆時の学校の様子が書かれています。その後私が調べたところでは、「職員の死亡者は、教師3名、看護婦1名、事務員1名、用務員1名、調理員2名」で、うち1名は、学校以外で亡くなったとされています。

神崎小学校を出発し、中沢少年が被爆後、倒れた塀から抜け出し歩いたと思われるたどり、再び自宅前に来ました。

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ここでは、「はだしのゲン」に描かれた「お母さんが下敷きになった子どもたちをどうすることもできずにいる」画面を手にしながら、渡辺さんの熱の入った話が続きます。「はだしのゲン」をもう一度読んでみてください。最後は、広電舟入川口電停前です。マンガでは、ゲンがお母さんにあったのは、自宅前となっていますが、実際にはこの電停付近だったそうです。最後に「今日は、8月6日の中沢さんの足跡を訪ねましたが、その後がもっと大切です。ぜひ『はだしのゲン』をもう一度読んでみてください。」フィールドワークは終わりました。

ところで途中で松尾さんから聞いた話はあまりにも衝撃的なことでした。私が「お父さんは、どこで被爆されたのですか」と聞いたところ「三菱江波工場です」との答え。「えーそれじゃ森滝先生と同じ工場ですね」と言うと松尾さんは「実は、私の父は、森滝先生のすぐそばで被爆したのです。父は、その時頭を下げ前かがみになったので背中にガラスが刺さっただけでしたが、父の後ろにおられた偉い先生は、父がかがんだため、その先生は顔にガラスが刺さったのですよ。その時は、森滝先生とは知らなかったのですが、ずーっと後になってテレビに映る森滝先生の顔を見て、あの時の先生が森滝先生だということが分かったのです。」

こんな出会いがあるのだろうかとただびっくりです。松尾さんのお父さんは、原爆孤児となられ、戦後本当に苦労されたことも話していただきました。ただ、すでに亡くなられていますので、直接に話を聞くことができないのが残念です。

不思議な出会いのあった今回のフィールドワークでした。

いのちとうとし

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2019年11月28日 (木)

奇妙な立看板

「奇妙な」と言ってももちろん形がということではありません。立看板に書かれている内容です。私がその看板に初めて気づいたのは、23日の午前11時ころ、買い物から帰る途中の広島市役所と中区役所の間の電車通りの交差点です。交差点の西側歩道に電車通りに向けてその看板はたっていました。タイトルは「静穏保持指定地域」と太い赤字で書かれ、さらに黒字で「『外国公館等周辺地域』につき、違法な拡声器使用は法令により罰せられます。令和元年11月23日から同26日まで」と書かれ、その下に「外務省」と記載されています。この看板を見た時は、「あーローマ教皇が広島に来られるからか」となんとなく納得した気持ちになったのですが、よくよく考えると疑問だらけの看板です。

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帰宅し直ぐにネットで「どんな法律かな」と調べていました。

1988年(昭和63年)に施行された「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」に基づいて、この看板が掲示されたようです。その第4条に「外国公館等周辺地域の指定」言う項があり、その指定地域として「国会議事堂や外国公館など」とともに「外国要人の所在する場所及びその周辺の地域」を指定することができるようになっています。「ローマ教皇という外国人要人」のための指定だということが分かりました。さらに同法律では、第6条で「違反に対する措置は警察官が命ずることができる」となっています。

私の頭に浮かんだ第一の疑問「周辺地域とはどこを指しているのだろうか」ということです。看板には、指定された地域が全く明示されていません。ちょうど出かける用事がありましたので、その途中で広島中央署に行って訊ねてみました。対応していただいたのは警備課の方でした。「周辺地域となっていますが、地図で示されたものはありますか」と尋ねると、「地図はありませんね。警備は、県警ですから」という答えでしたので「もし何かあれば、担当するのは、中央署でしょ?」と問うと「ちょっと待ってください」と上の階に行ってしましました。15分ぐらい待たされて説明がありました。

地図は示されず、見せられたのは「官報」(令和元年11月20日:官報を普通の市民が目にすることはほとんどない)のコピーでした。そこには「外務省告示第222号」で「ローマ法王来日に際し」(筆者注:外務省は今回「教皇」としたはずなのになぜか「法王」のまま)とし全国で15カ所の地域が指定され、その15番目に「広島平和記念公園周辺地域」が「外務公館等周辺地域」と指定されています。そして「地域」として広島市中区の町名があげられ、その中に「大手町4丁目」もあります。指定された周辺地域は、これで一応理解はできましたが、大手町4丁目より平和公園に近い、例えば紙屋町1丁目(電車通りの東側)や旧日本銀行広島支店のある袋町などは、指定されていません。決してその地域を指定しろというわけではありませんが、非常に杜撰な地域指定のように思えます。

二つ目の疑問は、「11月23日から26日まで」となっている「期間」です。「官報」を読むと、全国15カ所いずれもが、同じ期間で指定されています。ローマ教皇が広島を訪問されたのは、24日の夕方の時間だけです。だのになぜ、広島に滞在していない期間中も指定するのでしょうか。同法では「運用上の注意など」として「法律の適用に当たつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。」としているにもかかわらずです。規制は、「表現の自由」を侵害するものですから、必要最小限度にとどめるべきです。ましてやこの法律は「違反した者は、六月以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する」と罰則規定も設けているのですから。この理由は警察に尋ねることはできませんが、はっきりさせたいことです。

ところで、私が今回このことに関心を持つのは、広島市が「拡声機使用規制条例」の策定を検討しているからです。ひとたび、法律や条例で規制が始まれば、「規制強化」の方向へと一人歩きする危険性が大きいからです。その例を、この立看板にみることができるように思ったからです。広島市の「拡声機規制条例」問題については、日を改めて考えてみたいと思います。

この看板は、とっくに様をなしていないのもかかわらず、ローマ教皇が広島を離れられて2日もたつ26日にも掲示されていました。

いのちとうとし

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2019年11月27日 (水)

「人がこすり合う音」

私の父は、14歳の時に広島市南区西蟹屋町で被爆しました。

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この絵は、父が被爆4日後に相生橋付近で見た光景をもとに描いたものです。

その日のことを、父は次のように言っています。

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原爆投下から3日の夜、ようやく家に帰ることができました。その晩に、近所のおとなが3人程来られ、「近所の人で家に帰っていない人の探索に行くので出てくれ。」と言われたので、明朝4時に起き、5時出発で、1時間後に的場に着き、駅から己斐、宮島、宇品方面に出ている市電の軌道を西へと歩きながら、両側を見ながら歩いていると、右も左も焼死体が転がっていました。何ぶんにも悪臭で鼻と口をふさぎながら探索して歩きました。

相生橋に近くなると、ギューギューというような音がします。近寄って見ると、元安川に浮かぶ多くの水死体が、4日たって水ぶくれになってこすり合っている音でした。何百人以上の人が熱いので、川に逃げて来たのでしょう。まさに生き地獄でした。私は、涙が出て止まりませんでした。ただただ、ご冥福を祈るのみでした。

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私は、父からこの話を聞くまで、川にたくさんの人が浮かんでいる絵を何枚か見たことがありましたが、「ギューギュー」という音や臭いまで想像したことはありませんでした。

この絵は、被爆当時の音や臭い、被爆者が話しているときの手の震えや息づかい、そして、その胸の奥にある思い・・・。そういうことまで次の世代に伝えていきたいと、見る度に思わされる1枚です。

(濱野)

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2019年11月26日 (火)

力を得ることのできたローマ教皇の被爆地訪問

来日中のローマ教皇が、24日被爆地長崎・広島を訪問されました。広島平和公園への到着は午後6時40分、そして平和公園からの出発は午後7時34分、50数分間という短い滞在時間でしたが、力強いメッセージが発信されました。

私は、自宅でNHKが中継する画面を観ながら、ローマ教皇の姿を追いました。慰霊碑横で言葉を交わす被爆者の中に、何人もの知人の顔を見ることができました。長崎、広島での様子は、新聞に詳しく報道されていますので、ここでは平和公園慰霊碑前で行われた「平和のための集い」での約14分間のスピーチを聞き、感じたことを紹介したいと思います。まず何よりも、メッセージの長さにびっくりしました。ローマ教皇が被爆地を絶対に訪れたいと強く思われてことが伝わってきました。

メッセージの中味に触れたいと思います。もちろん、25日付中国新聞1面の横書き大見出し「戦争に原子力使用は犯罪」という言葉も強く印象に残りましたが、

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それ以上に「はっ」とさせられた言葉があります。「真の平和とは、非武装の平和以外にはあり得ません」そして「それに『平和は単に戦争がないことではなく、絶えず建設されるべきもの』です。」と続いたくだりです。日本国憲法の前文と9条に示され、私たちが常々訴え続けている「非武装」という言葉が発せられたことに大きな共感を覚えたのは私だけでしょうか。「真の平和とは非武装以外にない」との文字が挿入されたテレビ画面を、急いでスマホで撮りました。

広島では、長崎で直接に言及された「核兵器禁止条約」という言葉こそありませんでしたが、非人道兵器である「核兵器廃絶」への理念や行動につなげることの大切さが込められたメッセージだったと思います。例えば最後の部分で「原爆と核実験とあらゆる紛争の全ての犠牲者の名によって」と核実験の被害者にもきちんと言及されました。このことはローマ教皇がどれだけ「核兵器禁止条約」の意義を深く理解されているのかを示しているように感じました。

「記憶し、共に歩み、守ること。この三つは倫理的命令です」と、過去の出来事を絶対に忘れてはならないことが強調されました。私は繰り返し「原水禁運動の原点は広島・長崎の被爆の実相」ということを言ってきました。ローマ教皇のメッセージを聞きながら、そのことの意味を自分なりに再確認できた思いです。

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ローマ教皇の被爆地訪問では、多様な映像が流れました。長崎で演説された「原爆落下中心地碑の前」は、毎年原水禁長崎大会の最後に参加者全員が訪れ、献花と11時2分に黙とうをするゆかりの場所です。この「原爆落下中心碑」は、かつて「爆心地公園」の整備のため撤去されそうになったことがありますが、原水禁のメンバーが反対の運動を繰り広げ、残すことができたことを、ニュース映像を見ながら思い出します。

また長崎・広島の両方で、ローマ教皇がキャンドルに点火する種火を届ける役割を担った二人は、今年の高校生平和大使でした。高校生二人は、6月16日に広島で行われた結団式の直後「被爆地訪問をお願いする」ためローマ教皇に会いに出発しましたが、その日一緒に昼食を摂ったことなどを思い出しました。また黙とうの時、鐘を突く役割を担った二人も私たちが支援してきた高校生平和大使でした。

もう一つ印象に残ったのは、梶本淑子さんの被爆証言です。わずか5分足らずの短い証言でしたが、被爆者の思いが伝わる素晴らしいスピーチでした。あの場所で、原稿もなしに、凄いの一言です。

いのちとうとし

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2019年11月25日 (月)

AI(人口知能)への心配

 将棋や碁のプロがAI(人工知能)に敗れたというのは、ある意味面白い話題ですが、AIの普及が、ますます監視社会を拡大するのではないかという心配をしています。

フェイスブックなどで送ってきたもらった僕の写真に、パソコンのマウスをあてると名前が自動的に書かれるというのは経験のある人も多いと思いますが、最近の顔認証システムというのは、恐ろしいほど凄いと思うのです。

個人情報の保護ということが盛んにいわれてますが、監視カメラの普及と顔認証、それにグーグルなどの地図検索システムが合体すれば、世界中どこにいても名前が分かる時代がもう来ているのではないでしょうか。

原子力資料情報室を立ち上げた故・高木仁三郎さんと、原子力社会が進むと、どんな監視社会となるだろうと話し合ったことを思いだします。高木さんが亡くなられて19年になりましたが、高木さんと話したことが現実の状態になっているのです。

11月7日付けの朝日新聞に「AIのわな」というインタビュー記事があり、米国の数学者キャッシー・オニールさんが話していました。

『この顧客は金を落とすのか。この学生は内定を辞退するのか。個人の膨大なデータから人口知能(AI)が将来の行動を予測するシステムを企業があらゆる場面で使い始めている。数学者のキャッシー・オニールさんは、AIによる偏見や格差の拡大に警鐘を鳴らしてきた。どうすれば私たちは、「AIのわな」から抜け出せるのか。』という記事紹介がされていました。

来年の東京五輪、そして10日に行われる天皇のパレードでは、「安全のため」という、みんなが「仕方ない」と受け取るであろう理由(言い訳)によって、監視の網がますます強大になるというニュースもありました。

米国では日本以上にAIによるプライバシー侵害がひどいと、彼女は話していました。ある大学では、受験生が奨学金のサイトを閲覧した時間を、合否を出す際の参考にしている。その時間の長さから学費を出せる人がどうかという、ことを判断するとのことです。貧しい受験生はいらないという判断をする

顔認証では、大手書店やスーパーでは万引き常習犯などの顔をAIに記憶させ、その人が入店すると瞬時にAIが店内の監視員らが持っている専用スマホに情報を送るということシステムを取り入れている店が急激に拡大しているとのことです。

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AIは兵器の形も大きく変えようとしています。「LAWS=自律型致死兵器システム:Lethal Autonomous Weapons Systems」といわれますが、人間を介さずにAI自らの判断で人の命を奪う兵器で、「完全自律型のAI兵器」とも呼ぶそうです。

原発もロケット技術もGPSも、「軍事利用」と「平和利用」が常に表裏一体だということを知っていなければならないでしょうね。

インドで生まれの作家、ジョージ・オーウェルが1949年(昭和24年)書いた、「1984年」という名著があります。彼はこの時点で1984年には、監視社会が来るであろうことを予測していました。

そういえば最近、誘拐事件が減りましたね。減ったことは良いことですが、監視カメラの普及により、誘拐事件はできない時代になりましたね。

木原省治

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2019年11月24日 (日)

三原地区労働センター総会に参加して~平和なくして労働運動なし~

11月22日、三原市民福祉会館において三原地区労働センター2019年度総会が開催されました。私も地区労センターの役員として総会に参加しました。三原地区労は、機関会議の開催や平和運動センターの運動課題を着実に実践している地区労です。総会後、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴える第22代高校生平和大使の北畑希実さんからスイス・ジュネーブの国連欧州本部訪問報告、そして高校生1万人署名活動実行委員会の岡野芽衣から毎月行っている核兵器の廃絶を求める署名活動の取り組み報告を受けました。

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ここでは、戦争をさせないヒロシマ1000人委員会事務局を経験したものとして、県内15地区に組織されている地区労が各地域で戦争をさせない運動などをきちんと取り組むことを願って、当日配られた「戦争をさせない三原市民行動」の機関紙の記事を掲載します。

「安倍政権NO!」の声を上げよう!

日本国憲法公布から73年を迎えた11月。10月から11月にかけて天皇代替わりに伴う儀式・行事〔即位の礼(10/22)、国民祭典(11/9)、祝賀パレード(11/10)、大嘗祭(11/14~15)〕が行われました。安倍首相の音頭による万歳三唱。陸上自衛隊の礼砲が鳴り響く。先の大戦で「天皇陛下万歳」と叫びながら多くの人びとが死んでいったことを思うと、国民主権のもと戦前回帰を思わせる異様な光景でした。

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日本国憲法の三原則(国民主権、平和主義、基本的人権の尊重)は、この時代の最も優れた憲法です。戦後74年間、日本は戦争に巻き込まれることなく、平和な「戦後」を続けてこられたのは「戦争放棄」「戦力の不保持」「交戦権否認」を定めた憲法9条があるからこそであります。しかし、安倍政権はこの憲法を壊し、とりわけ憲法9条を変えて戦争のできる国にするために様々な改憲の動きを企てています。私たちは、職場や地域から「安倍改憲NO!」の声を粘り強く上げていくことが必要です。戦争をさせない三原市民行動、毎月の三原駅前での街頭行動(チラシ配布、リレートーク等)に多くの仲間の皆さんの参加を呼びかけます。

今、労働組合の真価が問われている。

戦争をさせない三原市民行動は、「三原地区労働センター」「部落解放同盟三原市協議会」「九条の会・三原」の3団体が事務局を構成しており、その中心的な役割を地区労センター(労働組合)が担っています。地区労の基本的な立場は、平和・人権・民主主義を守るということであり、それを中心に据えて労働組合の運動と結合させて運動の強化をはかっています。そして、憲法を守ろうという友誼団体、市民団体などとの連帯の中で共同行動を展開しております。

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地区労は総評結成(1950年)以来、日本における平和運動を牽引してきました。連合発足(1989年)後もその役割は変わっていません。組織された労働者である労働組合が平和運動の中心を担い、そこにさまざまな市民団体や個人の力を結集させることが求められていると思います。この間の戦争をさせない市民行動への取り組みで、労働組合の力が十分発揮されていなかったように思います。そういった意味でも、労働組合が地域の中で平和運動の中心に座り、三原における共同行動の期待に応えていくことが求められています。ともに頑張っていきましょう。

藤本講治

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2019年11月23日 (土)

女優木内みどりさんの急逝と陶芸家梅田純一

「今年の8月15日の終戦記念日に木内みどりさんが広島に来て『おこりじぞう』の朗読会があったんですよ」と19日に話したばかりの時、木内みどりさんの訃報を聞くことになりました。話し相手は、今月16日から並木通りの「ギャラリーたむら」(広島市中区三川町10-17 ホンジョウビル2F)で個展を開催している陶芸家の梅田純一さんです。

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木内みどりさんが、脱原発運動に積極的に参加されてきたことは、よく知られていますが、私が最初にそのことを知ったのは2014年9月23日に東京江東区の亀戸中央公園で開催された「脱原発全国集会」で司会をされていたからです。当初予定されていた代々木公園が「デング熱」騒ぎで、使用できず会場を急きょ変更して開催された集会ですので、忘れることのない集会でした。

陶芸家梅田さんの個展は、毎年この時期に30年以上にわたって開催されており、個展期間中に一度は会食を共にする私の友人です。梅田さんは、現在は徳島で作陶活動を続けていますが、東京生まれ東京育ちです。2014年に会食した時のことです、何のきっかけからそんな話になったのかは思い出せませんが、9月の脱原発集会で「女優の木内みどりさんが司会をしていた」という話になった時、梅田さんが「木内みどりは、小学校・中学校の同級生でよく知っているぞ」と話し始め、「ちょっと待てよ。電話するから」と携帯電話を掛けました。すぐに木内さんの応答があり、私も直接電話で話したことがあったのです。その時の電話で「来年3月の集会でも司会をしますので、その時会いましょう」と言われ、翌年3月の集会に参加し、控室に行きあいさつし、一緒に写真を撮らせたもらったことを思い出します。

私が梅田さんと「木内みどりさんのこと」を話していた前日の18日に、木内さんの幼友達でもある梅田さんが個展を開催している同じ広島で亡くなられてということですので、不思議な縁を勝手に感じます。

「どうして広島で亡くなられたのか」と少し気になったものですから心当たり何人かに聞いてみました。その前日、木内さんは、国立広島原爆犠牲者追悼平和祈念館が来年の展示として企画している四國五郎と弟・直登さんの対話をたどる「時を超えた兄弟の対話」 で上映するビデオ作成のための仕事で広島に滞在されていたことが分かりました。その夜宿泊先のホテルでの出来事だったようです。

国立広島原爆犠牲者追悼平和祈念館で収録された作品は、8月16日のこのブログで紹介した「原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい」(8月15日)で演じられた「おこりじそう」の朗読ではないようですが、同じ四国五郎さんに関わるものが朗読されているようです。追悼祈念館から「来年、ぜひ生で朗読を行ってください」と要望され、快諾されたとも聞いています。今年の8月15日は、ちょうど台風が近くを通過し、開催が危ぶまれたのですが、前日に広島入りしておられた木内さんの強い思いもあり、予定通り開催されたことも思い出されます。

木内みどりさんのご冥福をお祈りいたします。

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ところで木内みどりさんの幼馴染梅田純一さんの個展は、24日まで開催されます。梅田さんの作品は、いつも元気づけられる絵が描かれた器です。今年も日常使いでき、手ごろな価格の作品が沢山並んでいますので、機会があれば、足を運んでみてください。個展期間中梅田さんが在廊しています。

いのちとうとし

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2019年11月22日 (金)

「朝鮮学校無償化裁判」傍聴記

この一週間、裁判の傍聴記事が続いていますが、今日は一昨日開かれた広島高裁「朝鮮学園高校無償化裁判」の控訴審第8回の口頭弁論の傍聴記です。涙が自然とあふれる公判でした。

今回の公判も前回第7回公判(9月10日)に引き続き、この裁判にとって山場ともいえる原告本人と証人尋問が行われました。最初に証言台に立ったのは、元朝鮮学校高校生で、卒業後は、朝鮮大学を経て現在朝鮮学校の教師を務める原告番号13番(証言による不利益を生じさせないため本名ではなく原告に付された番号を使用)の原告本人。

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自分自身の生い立ちを語りながら、朝鮮高校で学ぶことによった得たこと、仲間たちへの思い、現在朝鮮学校の教師として子どもたちに伝えていることなどを控訴人側弁護士による主尋問に対し、はっきりと答えていたことが強く印象に残りました。報告会での「朝鮮学校に通ったからと言って、ある意味精神的苦痛はなかった。自分たちのルーツを学び、仲間がいたから。それが朝鮮学校というところ」との発言にその思いが現れています。

続いて証言台に立ったのは保護者の朴さん。朴さんは、弁護士からの主尋問に対し、時には声を詰まらせながら、無償化から除外されていることの不当性を訴えました。特に、自分自身が「小学2年生までは日本人学校に通っていたが、何時も朝鮮人とわかった時の差別を危惧しながら、学校生活を送ってきた」ことを述べながら「朝鮮学校に通うようになって、そんな差別の不安を感じることなく、そして自分自身のアイデンティティーを取り戻しすことができた」ことなどをはっきりと証言しました。自分自身の体験からも子どもたちも何度も日本社会の中で、差別的言辞やいじめにあったことが話されました。

そんな差別を体験しながらも、「子どもたちの希望を聞き届け、山口の徳山で生活していた家族が、やはり子どもたちを朝鮮学校に通わせたいとの思いから、広島に転居してきた」ことなどが語られました。さらにこの裁判の争点の一つとなっている朝鮮総連については「知人が誰もいない広島の地に転居した時、朝鮮総連の人たちが、仲間を紹介し、集いに誘い、輪の中に加わらせてくれ、不安をなくしてくれました。朝鮮総連は、同胞たちの支えであり、拠り所です」と在日の同胞にとってどんなに大切な存在かが語られました。また国連人権委員会に訴えに行ったことも証言。

最後の裁判官に向かって「もしあなたが外国に住み、子どもが学んでいる時、差別された時のことを想像してください。差別されることが、どんなことが想像してください。そして、公平な裁判を望みます。」と強く訴えました。

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朴さんの証言は、私の心にも強く響き、自然と涙がにじんできました。何度も裁判の傍聴をしてきましたが、こんなことは初めての経験です。私だけではありません。証言が進む度に傍聴席のすすり泣きの声も広がっていきました。

原告、保護者の見事な証言に対し、国側の反対尋問は全くありませんでした。

裁判長は、その他にも申請していた参考人の尋問は、すべて却下の判断を示し、原告団が強く求めていた朝鮮学園の見学も却下となりました。「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、裁判官には朝鮮学園を実際に見学し、子どもたちの姿を見て、判決文を書いてほしかったと強く思いますので、非常に残念です。

今回の尋問での証言は、改めて私たち日本人一人ひとりが重い課題を突き付けられることになりました。次回の公判は、3月16日の午後2時からで、結審になると思います。

いのちとうとし

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2019年11月21日 (木)

「防災省」設置案・その4 事前の防災対策・その2

[防災省の仕事内容]を続けます。前回、B)までは《解説》を付けましたが、今回はC)に移ります。その前にC)の内容に付け足しておきたいことがありました。それは、「災害弱者」に対する配慮です。修正後のC)は次の通りです。

 

    A)(略)

  B)(略)

  C)災害についての正確なハザードマップを作成・改訂し、危険箇所に住む人々には個別の面接を行い避難の必要性や具体的な避難経路も含めた避難可能な知識を伝達する。避難「命令」が可能になるような法的整備も行い、発令等についても全国的に知見を共有して、避難が遅れることのないようにする。避難訓練も定期的に様々な想定の下行う。また、「災害弱者」も特定し、避難の際に声を掛ける担当者を決めておくなどして避難ネットワークに組み込む。必要があれば、「事前避難」という概念を導入して「災害弱者」の救済に役立てる。こうした努力を通して、「防災意識」の定着を図る。

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もっと詳しいハザードマップが必要ですが、一例として御覧下さい。

 

《解説》

  1. ハザードマップの持つ効果は良く知られています。洪水や土砂災害の被害を少なくするため、特に人命が失われないように早目に避難することが大切なのですが、実際に役立っている事例を国土交通省の資料が示しています。

Photo_20191120112601

  .例えば、1998年 (平成10年) 8月の阿武隈水害では、ハザードマップを見ていた人たちの方が、ピークで見ると一時間早く避難しています。この差が、被害の多寡に大きく影響する可能性もあります。また、2000年 (平成12年) 9月の東海豪雨では、甚大な被害があったにもかかわらず、ハザードマップを作成していた多治見市では人的被害がありませんでした。

  .広島市でも、1999年の豪雨災害後、土砂災害防止法の施行とともに全市的にハザードマップの作成・普及に力を入れ、自主防災会やコミュニティー協議会等を中心に避難訓練を行いました。中でも安佐南区伴地区の自主防災会の活動は全国的にもお手本にされる等、レベルの高い内容でした。特筆されるべきことの一つには、子どもたちが自らハザードマップを作ることで内容をしっかり理解できるようになったことがあります。その後、自主防災会の活動も変化してきているようなのですが、良き伝統が守られ続けていることを祈っています。

  .ハザードマップは全国的に作られていますが、問題は住民一人一人がそれを見ているかどうか、そして自宅の危険性について認識をし、万一の場合には避難する気持になっているかどうかです。地域毎に説明会を開いたりしている場合もあるようですが、出席率は必ずしも高くありません。説明会で、ハザードマップを見て貰うことで災害の危険性を知って貰う、ということが目的なのですが、ハザードマップを見ていない人には説明会に出席する意味が伝わり難いという悪循環に陥り勝ちだからです。そこで、ある程度の認識が全国的に広まるまで、個別に一軒一軒を担当者、あるいは自主防災会のボランティア等が訪問してハザードマップの説明をして歩く必要があると思います。

  .その際、同時に災害弱者の確認も行い、どのようなヘルプが必要なのか、地域のネットワークに組み込まれているかどうか等についても記録し、避難勧告や指示の際にはだれがどう助けるのかの対策も立てておけば一石二鳥です。一例を挙げて追加しておきたいのですが、高齢者の場合、歩行困難な状況になっている方もいらっしゃいます。二階建ての家に住んでいても二階には行けないために、一階部分だけで生活しているケースがかなりあります。いざという時には「共助」の精神の下、近所の誰々が、この家に住む〇野□平さんを避難所まで誘導・引率する、という具体的なレベルでの合意とコミットメントが必要です。

  .災害対策では「自助、共助、公助」のバランスが大切だと強調され続けてきました。一億人以上の人口のある国で、全ての災害について、国とか自治体が全ての人のお世話をすることは不可能だからです。「公助」に入るのか「共助」に入るのか良く分りませんが、ここで重要な役割を果しているのが「消防団」です。

  .消防署に勤めている正規職員ではなく、自らの仕事の合間を縫って訓練を繰り返し、災害時には重要な任務を担い、正規職員と一体になって、消防活動や災害救助活動に従事している人たちです。中でも、人手の必要な災害時には大いなる役割を果していますが、通常「消防」としてカウントされていますので、脚光を浴びることが少ない存在でもあります。基本的にはボランティアですが、年額数万円の報酬があり、出動の度に数千円の手当があります。正規の消防職員が全国で約16万人いるのに対して、消防団員は85万人いますので、数だけからいっても彼ら/彼女らの重要性はお分り頂けると思います。「防災省」が設置されれば、消防団の存在もさらに重要になりますし、「共助」の部分のあり方も見直されることで、「ボランティア」のあり方と合わせて地域社会の担い手としての新たなアイデンティティーが生れることになると考えています。

[2019/11/21 イライザ]

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2019年11月20日 (水)

「夫婦別姓訴訟」で広島地裁が判決

昨日、広島地裁は第2次訴訟となっている「夫婦別姓訴訟」の判決を言い渡しました。その内容は、残念ながら原告の主張を認めず、「違憲性はない」と訴えを却下するものでした。小西裁判長は、主文を読み上げた後、判決に至った裁判所の判断を述べました。その中で、興味ある部分を紹介したいと思います。

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争点の1として、憲法14条1項違反について取り上げていますが、その点は簡単に「違反しない」としています。ただ、憲法19条(思想及び良心の自由)違反については、「内心の自由に対して直接的に干渉するものでない」から「違反しない」としていますが、この点について、弁護団は「間接的な干渉を認めている」ものであり、そこはこれまでの判決と違うと指摘しています。

争点の2では、平成27年の最高裁判決後の事情について、取り上げています。これらについては、総務省統計局の「就業構造基本調査の結果」、内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査の結果」、「家族法制に関するよる調査の結果」などに基づき、夫婦別姓に対する意識の変化があるとする原告側の主張を認める内容となっています。特に「氏と家族の一体感との関係」については、「家族の名字が違うと一体感が弱まると思う」とする回答者が4.6%減少し、「影響ない」と回答したものが4.5%上昇したという数字を示していますが、興味ある数字です。さらに最近の変化として「複数の地方議会等で選択的夫婦別姓を求める意見書が採択されている」ことや「国家資格における旧姓使用が広がっている」こと「一部の公文書での旧姓使用が認められ、住民票、個人番号カード及びパスポートへの旧姓併記が進められている」ことをあげ、「婚姻制度や氏のあり方に対する社会の受け止め方についても選択的夫婦別姓を許容する意見が高まっていることが認められる」と、社会情勢の変化を認めてはいます。

ただ広島地裁判決が、先行の立川地裁、東京地裁判決と少し違うことを指摘しています。それは広島地裁以外では、「公的な場で旧姓併記が認められたこと」を「緩和している」と評価しているのに対し、広島地裁は「氏を改める場合の不利益が拡大しているとは認められない」とし、「前進」という評価はしていません。 しかし、結論は「最高裁判決後の事情の変更を踏まえても、直ちに国会の立法裁量の範囲を超えるものと評価することは困難」だから「憲法24条に違反しない」というのが結論です。

この判決要旨を聞く限り、「いったいどこまで変化があれば、認められるのか」という疑問がわくのは当然のことだと言えます。

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公判終了後の報告集会では、弁護団から以上のような点の解説があり、最後に「地裁の判決は通過点、これからも控訴し高裁、最高裁と争っていく。」と決意を表明がありました。

原告の恩地いづみさんは、「判決は本当に悔しい。謎がいくつか頭の中でグルグルしている気分です。別氏で結婚させてほしいというシンプルな訴え。『自分の本来の名前が使えないのはつらい』と感じ夫と相談しペーパー離婚。約30年間事実婚状態が続いている。別氏を認めないための理屈が並べられているような気がする」と今回の判決を厳しく批判しました。

私が、この裁判を傍聴し、支援することになったきっかけは、昨年の「11.3憲法のつどいひろしま2018アピール」の集会で、恩地いづみさんの「不安なく違っていられる社会にー別姓訴訟の原告となって」の報告を聞いたからです。せっかく、報告してもらったのだから何か支援することはないかと考え、裁判傍聴をすることにしました。ささやかな支援ですが、少しでも力になればと参加しています。今後は高裁での審理に移りますが、裁判傍聴を続けながら継続して支援していくつもりです。

いのちとうとし

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2019年11月19日 (火)

朝鮮半島非核化と核兵器廃絶―浅井基文講演

一昨日報告した「朝鮮統一支持運動第37回全国集会」のつづきです。当日確認された「広島アピール」と浅井基文さんの記念講演について、印象に残ったこと点を中心にもう少し詳しく紹介したいと思います。当然のことですが、紹介する講演内容についての責任は筆者にあります。

浅井さんは、①「朝鮮半島非核化と核兵器廃絶」について「『朝鮮半島非核化』の解決は喫緊性を持っており、それを解決させるための条件が現実に生まれている」ということを考えるべきだと指摘。インド・パキスタン問題とともにある意味で核兵器使用の危機が高いということを認識する必要があることをまず提起。

②「朝鮮半島非核化」については、日本の「常識」を批判しながら「アメリカの敵視政策の結果が朝鮮の核ミサイル開発を推進させているという関係性を正確に認識することが必要」であることを強調。「パワーポリティックスではなくマネーポリティックス」へと政策を転換させているトランプ大統領との関係の中で前進させることが可能。大統領選の再選戦略として考えている年末までが大きなカギとなる。年末までのという認識は、共和国も同様に考えている。

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③「アメリカの政治と朝鮮半島非核化/核兵器廃絶」については、トランプ政治の功・罪を指摘しつつ「共和党・民主党を問わない核固執政策」だと指摘し、今のチャンスを逃してはならない。

④「私たちの課題」として①を再確認するとともに「朝鮮半島で起る核戦争は確実に日本を壊滅させ、『核の冬』が世界を覆うこと」「『朝鮮が攻めてきたらどうする?』がいかに無意味で愚かなことか」をきちんと把握すること、そしてイージスアショア配備問題・「核の傘」問題をとりあげながら「安倍政権の朝鮮敵視政策を改めること」が私たちの至上最優先課題であると指摘。そして「21世紀の特徴的要素はすべての核兵器廃絶を要求する」ことを強調し、最後に「憲法第9条は、脱パワーポリティックスの思想に立脚した運動」だとし、その展開を求めて講演が終わりました。

少し私なりに頭の整理ができた気がします。


広島アピール

 私たちは、朝鮮統一支持運動全国集会を被爆地・広島で37回目にして初めて開催しました。私たちが目指すのは、朝鮮半島を初めとした東アジアの非核・平和地帯化であり、過去清算に基づく日朝国交正常化です。

朝鮮半島の完全非核化を実現するためには、朝米両首脳が結んだ6.12共同声明を同時並行的に履行することが不可欠です。しかし、朝鮮側が核実験の中止や核実験場の廃棄など、朝鮮半島を非核化し平和を構築するための具体的措置をすでに実施しているのに対し、米国側は何も実行していません。それどころか、昨年は中止した米韓合同軍事演習を強行するなどして、対話の機運まで壊しています。

トランプ政権は、今こそ平和協定の締結につながる朝鮮戦争終戦宣言の採択や各脅威を及ぼさないとの宣言の発表など共同声明の前文にもある「朝鮮に安全保障を提供する」立場を明確に示し、それを実行に移すべきです。

日朝関係は、日韓関係以上に冷え込み悪化しています。その原因が、過去の清算を拒み続けている安倍政権にあることは誰の目にも明らかです。一人蚊帳の外に置かれた安倍首相は「今度は私自身が金正恩委員長と無条件で会う」と言っていますが、決して無条件とはなりません。朝鮮に対する過酷な制裁措置を取り続けているからです。私たちは、安倍政権が早期に制裁措置を解除して、日朝平壌宣言を基本として国交正常化交渉に臨むよう強く訴えます。

強硬な制裁措置は、在日朝鮮人社会にも深刻な被害を及ぼしています。とりわけ、これまで朝鮮学校に通う高校生、中学生、小学生の教育権を剥奪するという人権侵害を犯してきましたが、10月1日からの幼保無償化にあたり、朝鮮幼稚園を除外して幼い子どもたちまで制裁するという暴挙に及んでいます。こうした安倍政権の暴挙を私たちは絶対に許しません。

11月2日、東京都内で開かれた全国集会で、朝鮮側主催者としてあいさつした南昇祐・朝鮮総連中央本部副議長は「植民地支配の犠牲者である在日同胞を優遇し保護すべきなのに幼い子どもたちにまで民族排他と差別の刃を向ける、このような卑劣な政権が他にあるでしょうか」と厳しく糾弾しました。また、日本側主催者としてあいさつした藤本泰成・平和フォーラム共同代表は「過去の歴史を真摯にみるならば、この問題は、日本社会の問題、日本人自身の問題として捉え返さなければなりません」と訴えかけました。

私たちは、幼保無償化を初めとして、在日朝鮮人の人権保障を実現するために闘います。それこそが日朝友好の輪を国内に広げる道です。日朝友好運動、日朝国交正常化運動に果敢に取り組んでいる全国各地の友人のみなさん、ともに手をつなぎ闘いましょう。


いのちとうとし

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2019年11月18日 (月)

「国際フェスタ2019」に行きました。

昨日、毎年この時期に国際会議場を主会場として開催される「国際フェスタ」に行ってきました。20回目ということですので、秋葉市長の時代に始まった行事のようです。

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今年は、20回という節目とともに「広島国際会議場開館30周年記念」ということで、例年になく「ひらこう世界のとびら であおう世界のなかま」のタイトルにふさわしい企画が多数準備されていました。会場の様子を写真と共に紹介します。

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国際会議場に着いてすぐに目に入ったのが、平和大通りに設けられた「ひろしま国際村~世界の屋台」のテントが立ち並び、美味しいにおいが漂っています。

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国際会議場入り口前の屋外ステージでは、例年のとおり世界の国々の舞踊が演じられています。私がついた時は、「メキシコ民族舞踊」の最中でした。

国際会議場に入ると沢山のコーナーが準備されています。最初に行ったのは、「広島から世界へ!姉妹・友好都市の旅」のコーナーです。ボルゴグラードはマトリョーシカの絵付け、大邱はハングルでの名札づくりなどなど参加型の企画が用意されています。現在広島市の姉妹都市は、ほかに重慶やホノルルなど計6都市です。

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私は、カナダ・モントリオール市のフェルトを使ってのオーナメントづくりに参加し、トナカイを作りました。次にすぐ隣で行われていたある中国帰還者による中国式組み紐づくりのコーナーへ移動、昨年も挑戦しましたがなかなかうまくいきません。

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同じ部屋には、市民団体等の活動紹介コーナーありました。「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」も出展していましたので、現在のセミパラチンスクの状況を聞くことができました。原水禁大会に代表を呼んだことを思い出します。

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向かい側の部屋では、「地球ひろば」が設けられており、アフリカ発祥で中近東や東南アジアで行われているという「マンカラ」などの外国のゲーム遊びや中国茶の試飲、民族衣装の試着、写真での紹介があります。私は、中国からの留学生が接待する中国茶を楽しみました。

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国際協力バザーでは、各国の民芸品が販売されています。

今年は、記念の年ということで例年は会場となっていなかったフィニックスホールも使用され、午前中に野口健さん(アルピニスト)のトークショウが行われ、午後2時からは6グループが参加する「世界の音楽と舞踊」も演じられました。私もちょっと覗いてみました。インドネシア・バリ島の伝統音楽ガムランと舞踊、続いて広島韓国伝統芸術院による「韓国楽器による演奏と舞踊」、次に広島朝鮮学園中高級部舞踊部、民族楽器部による「統一アリラン」の演奏と踊りが繰り広げられました。大きな拍手です。残念ですが、主催者の要請によりこの写真はブログにアップできません。この舞台を見ながら「朝鮮学園が無償化から排除されている」人は、この中で何人ぐらい居られるのかなとつい思ってしまいます。

他にも「平和のため」「日本文化体験コーナー」「学びのコーナー」など多数の企画が準備されていましたが、全てを回ることはできませんでしたが、楽しい時間を過ごすことができました。この企画が、さらに国際交流の輪を広げる契機となればと思いながら会場を後にしました。

いのちとうとし

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2019年11月17日 (日)

「朝鮮の自主的統一支持運動第37回全国集会in広島」開催

全国で日朝連帯運動を取り組んでいる人たちが交流を深めるため、年1回開催している「朝鮮の自主的統一支持運動全国集会」が、37回目を迎えた今年、15日から16日かけ初めて広島で開催されました。

この集会の主催は、朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会と日朝友好広島県民の会や広島県平和運動センターなどで構成する広島県実行委員会です。2年前から、「広島開催」の要請がありましたが、県内での受け入れ態勢を整えることを大切にするということで、ようやく今年の開催になりました。

日程は二日間ですが、一日目は懇親交流会ということで、具体的な交流や全体集会は、二日目に実施されました。

二日目(16日)の日程は、午前中が「全国活動者会議」で、参加した各道府県から、それぞれの地域での活動が報告され、交流を深めました。広島県で取り組んでいる「朝鮮学校支援活動」や「在日朝鮮人の人たちとのふれあい広場の開催」、映画の上映会、金剛山歌劇団の公演などが共通して報告されました。それら中でも島根、鳥取で取り組んでいる「在日朝鮮学生美術展」の開催の報告は多くの参加者の関心を呼びました。

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午後は、広島の参加者を含めた約130名余り参加で、全体集会が開催されました。全体集会は、開会行事のあと「特別報告」と「記念講演」が行われました。

特別報告は「朝鮮学校無償化裁判の現状と課題」と題し、同裁判弁護団の秋田智佳子弁護士が講演。秋田弁護士は、特に「朝鮮学校が無償化から除外されているのは何が問題化」についてパワーポイントを使い、詳しく報告されました。無償化裁判が行われていない地域の参加者も多くありましたので、改めて問題の本質を学ぶことになりました。

記念講演は、「朝鮮半島の非核化・平和構築について」と題し、最初に金志永朝鮮新報社編集局長が「①首脳の親交関係に基づく朝米関係の進展②朝米実務書協議をめぐる攻防戦③朝・日平壌宣言履行のための対話」について、特に朝鮮民主主義人民共和国側から見た米朝首脳会談をめぐる動きが報告されました。次に浅井基文大阪経済法科大学客員教授(元広島市立大平和研究所所長)は「①「朝鮮半島非核化と核兵器廃絶:二つの課題の関係性をどのように捉えるのか②朝鮮半島の非核化③アメリカ政治と朝鮮半島非核化/核兵器廃絶④私たちの課題」について、様々な角度からの提起がされました。

特別報告も記念講演も「広島開催」にあたって現地から要望をしていたテーマでしたので、広島開催の成功に大きな力となったと思います。

最後に、広島集会の意義や今後の課題を盛り込んだ「広島アピール」を全体で確認し確認し、全国集会は終了しました。

なお集会のスローガンは「朝鮮半島の非核・平和・統一の実現を!」「過去の真実と向き合い、在日朝鮮人の人権保障を!」でした。

個人的なことですが、長く日朝連帯運動を取り組んできましたが、「朝鮮の自主的統一支持運動全国集会」への参加は、1983年埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)で開催された第2回全国集会以来、今回が2度目です。36年前と比べると参加者はもちろん大幅に少なくなっていますが、厳しい情勢の中でも全国で頑張っている人たちがいること改めて確認することができた広島集会となりました。

いのちとうとし

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2019年11月16日 (土)

「原爆症裁判」控訴審が結審

 心筋梗塞などが発症した被爆者が、原爆症の認定申請却下処分の取り消しを求める訴訟の広島高裁における控訴審が、今月12日に結審しました。判決期日は追って知らせるということで今のところ未定ですが、裁判長からは約半年後ぐらいという発言がありました。

今回の公判では、結審ということで原告弁護団の佐々木弁護団長が意見陳述を行いました。この意見陳述では、原爆症認定集団訴訟が始まった経緯から一審判決の不当性が訴えられました。意見陳述書のコピーが手元にありますので、それを読みながら原爆症裁判の歴史を振り返ってみたいと思います。

原告27人による広島地裁での第1陣の原爆症認定集団訴訟が始まったのは、16年前の2003年6月です。その後、原告は増え、最終的には41人となりました。広島では、この訴訟を幅広支援するため「原爆症の認定を求める集団訴訟を支援する県民会議」(略称「原爆症を支援する会」)が、発足しました。

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当時、広島県原水禁代表委員だった宮崎安男さんが先頭で頑張っていたことを思い出します。2006年8月4日、原告41人に判決が言い渡され、全員が勝訴判決を受けました。その後も全国で勝訴判決が続くなか、2007年8月5日、安倍首相は被爆者との懇談の場で、厚生労働省に対し「原爆症認定基準の見直し」を指示し、翌年4月1日から「新しい審査の基準」が実施されました。そして2009年8月6日広島で、被爆者と麻生太郎首相の「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に関わる確認書」の署名式が行われました。これを受け、官房長官談話が発表されました。少し長いのですが、この官房長官談話の全文を掲載します。


原爆症認定を巡る集団訴訟の解決に向けて日本被団協・原告団・弁護団と基本方針について、一致を見ました。

原爆症認定をめぐる集団訴訟では、本年8月3日の熊本地裁裁判を含め、19度にわたって、国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としてこれを厳格に受け止め、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝いたします。この視点を踏まえ、この度、集団訴訟の早期解決を図るものとしたのであります。

政府としては、これまで拡大してきた原爆症認定基準に基づき、現在、待っておられる被爆者の方々が一人でも多く迅速に認定されるよう努力するとともに、唯一の被爆国として、原爆の惨禍が再び繰り返されることがないよう、核兵器の廃絶に向けて主導的役割を果たし、恒久平和の実現を世界に訴えていく決意を表明します。


 実に素晴らしい官房長官談話です。しかし、残念ながら根本的な解決にはなりませんでした。その後も「新しい審査の基準」での審査においても認定却下が続き、各地で再び訴訟が提起されることになり、今も続いています。厚生労働省のかたくなな態度が見えてきます。控訴審判決において、原審が破棄され、被害者の側に立ち認定却下が取り消すという判決が強く期待されます。

ところでこの官房長官談話では、「核兵器廃絶に向けて主導的役割を果たし」と政府の「核兵器廃絶への決意」が表明されています。しかし、「核兵器禁止条約」に背を向ける安倍政権には、その片鱗すら見ることができません。

「原爆症認定集団訴訟」の取り組みの先頭で頑張っていた宮崎安男さんは、残念ながら2009年の合意を知ることはありませんでした。私は、宮崎さんがもし今生きておればどんな行動をとっただろうかと思いながら、「原爆症裁判」の傍聴を続けています。

いのちとうとし

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2019年11月15日 (金)

11月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

今年の11月は雨が少なく晴天がつづく。

農園には広島市の安芸区から通うのだが、11月は地域の行事が多くて安芸の郷の出店も多くて農作業に行く機会がぐっと減る。それでも焦らず来年のブルーベリーの実りを期待しながら一日一日できることをこなしていく。

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11月に入ってもまだ1種類だけジャーマンアイリスが咲き始めた。11月4日(土)

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剪定した枝の野焼きが終了。一区切りがついた。11月4日(月)

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そろそろ日が暮れかけるちょっと前、ブルーベリー畑の向かいの道路の法面の枯れ草に手際よく火がつけられて煙がたなびく。(11月4日午後4時頃)

帰り道の国道2号線の志和インター出口からの混雑は3連休の最終日なので渋滞、すっかり暗くなって家に着いた。

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3段あるブルーベリー畑も紅葉が始まり赤みを帯びてきた。11月9日(土)

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里山に植えている早生のブルーベリーの紅葉は晩生のものより早い。11月9日(土)

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品種により葉も黄色、赤色などの違いがある。11月9日(土)

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シーズンを通して草刈りを手伝って頂く親戚の男性。この日は早生を植えている里山を刈る。おそらく今年最後の草刈りとなる。11月9日(土)

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この里山の周囲にあるヤブコウジも赤い実をつけだした。11月9日(土)

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摘みとりの時に使うコンテナを家族3人で縁側から蔵に移動させる。11月9日(土)

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お茶の木の花が咲いている。ツバキ科の植物なのでツバキによく似た花だ。11月9日(土)

2019年11月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2019年11月14日 (木)

許してくれる人は被害者だけ

2019年になって5人の韓国の日本軍「慰安婦」被害者が亡くなられました。8月現在、韓国の被害者の中で韓国政府に名乗った人は20人が生存しています。オランダの被害者ジャン・ラフ・オハーンさんも8月に亡くなられました。

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【故ジャン・ラフ・オハーン。日本の侵攻直前1942年5月ジャワ島バンドンにて撮影。Wikipediaより】

戦争の中でも、日常生活の中でも、被害について許すことができる人は被害者のみです。

ワルシャワ出身のラビであるアブラハム・ジョシュア・ヘッセル(Abraham Joshua Heschel)の一話があります。

彼が、家に帰るために乗った汽車の客室で起きたことです。客室では先に乗っていた人たちがカードゲームをしていて、ラビも一緒にカードゲームを誘われたけれども、ラビは「カードゲームを一度もやったことがない」と丁寧に断りました。すると、その中の一人がラビの胸ぐらをつかんで客室から追い出しました。追い出されたラビは廊下に立ち尽くしたまま目的地に着きました。

皆がプラットホームに降りると、困惑する光景に出会いました。汽車から降りたラビを見た多くの人々が、喜びながら握手を求めていました。その時、自分が暴力を振るった隣席の乗客が尊敬されるラビであることを知った彼は、すぐに自分のやったことを許してくれとお願いしまたが、ラビは彼を許しませんでした。

その日の夜、彼はラビの家を訪ねて300ルーブルの金を差し出しながら再び許しを求めました。ラビは「それはできません」と答えました。ラビの頑強な態度を人々は不思議に思いました。あれほど高邁な人格の持ち主がどうして許しを拒んだのでしょうか?

ラビの長男が彼を許してくれないかと言った時、ラビはこう答えました。「私は、彼を許したくても許せない。汽車の中で、彼は私が誰だか分からなかった。だから彼は私ではなく、ある名前を知らない人に罪を犯したわけだ。だから私ではなく、その名もない人を訪ねて許しを請うのが正しい。」

 

許すことは、被害者にしかできません。旧日本軍=日本政府が犯した戦争犯罪を許してくれる人は戦争被害者のみです。日本軍性奴隷制について、許すことができる時間もほんの僅かしか残っていません。被害者が皆亡くなってしまうと、許してもらいたい時がきても許してもらえません、永遠に!許されないまま、その戦争犯罪は記録されます。悲しいことです。

(李昇勲)

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2019年11月13日 (水)

「叫ぶ芸術」ポスター展に行ってきました

先月30日のこのブログで紹介した「『叫ぶ芸術』ポスター展」に行ってきました。今回の会場は、おりづるタワービル10階にある「エソール広島」。「このビルは、入り口が自動ロックになっているので、「1001」を呼んであけてもらってから入ってください」と教えられていたのですが、ちょうど昼休み休憩の時間で出かける人があり、入り口が空いていましたので、そのままエレベーターで10階へと移動しました。

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10階でエレベーターを降りるとすぐ目の前が「エソール広島」の事務所。中に入るとすぐにポスターが目に入ります。展示されているポスターは、16枚ほど。きちんと数えていませんでしたが、後で主催者の人に聞くと、この前の会期の会場(袋町の「ひと・まちプラザ」)より狭いため、半数の展示になってしまったとのことでした。

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ポスターの横には、1枚づつ三井マリ子さんの少し長めの解説がついています。この解説があったため、私にも「ポスターが訴えている意味」を理解することができました。いずれも興味あるポスターでしたが、その中でも「えっ」と思わされたのが、下のポスターです。

Dsc_4594

タイトルは「新ドル札の顔となる19世紀のモーゼ」(アメリカ)です。解説を読むと「アメリカ・メリーランド生まれの奴隷ハリエット・タブマンは、1849年、奴隷制のないフィラディルフィアへの逃亡に成功した。」と、「その後家族や親族縁者60人余りを逃亡させた」さらに「南部の州では『奴隷逃亡法』が制定される中で、脱出させた奴隷は11年間に300人以上といわれ、ハリエットは、『モーゼ』と呼ばれるようになった」と記載されています。私が興味を持ったのはその後です。「今年(筆者注:2016年のこと)4月、ハリエット・タブマンが新20ドル札の顔に選ばれたニュースが世界に流れた。」とあります。その後の解説には「アフリカ系アメリカ人が紙幣の顔をなるのは初」とあり、面白いのは、「女性参政権獲得100年」となる2020年を記念して新20ドル紙幣の顔に「女性を採用せよ」と女性たちが大運動を起こした実現させたとのことです。そしてさらにすごいのは、それを受けアメリカ財務省が60万人以上のアンケートの結果、ハリエット・ダブマンサンを選んだということです。公平ですね。今「首相の桜を見る会」への後援会招待をめぐって論争が起きている国とは大きく違うようです。

もう一つのびっくりは、この文章を読む限り、アメリカ紙幣に女性の顔が登場するのは初めてのようです。日本で紙幣に女性が採用されたのは、これまでに2件あります。明治時代に神功皇后の肖像が使われたことがあるようですが、これはとりあえず置くとして、戦後には2004年11月に発行された5000円札に樋口一葉が使われています。紙幣に関する限り女性の登用は、日本が早かったようです。ところでこの5000円札、2024年には新紙幣が発行される予定ですが、今度も女性の津田梅子の肖像が使われることになっています。

他のポスターについても興味ある解説があります。17日までの会期になっていますので、ぜひ一度行ってみてください。

ただ、広島県男女参画財団という公的性格を持つ「エソール広島」がちょっと入りにくい環境にあるのは、驚きでした。フロアーには、100名ちょっとの集会場もありますが、このセキュリティーではなかなか利用しづらいなと感じました。

いのちとうとし

 

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2019年11月12日 (火)

「金剛山歌劇団2019年広島公演」開催

「金剛山歌劇団2019年広島公演」が、昨晩午後6時半から広島アステールプラザで開催されました。今年も昨年に続き、日朝連帯広島県民の会や広島県平和運動センターで構成する実行委員会は、「広島朝鮮学園支援チャリティコンサート」として名刺広告や入場券販売などの取り組みを行いました。

会場には、在日朝鮮人の皆さんが家族ぐるみで参加されている姿が多く見受けられましたが、ここ数年日本人参加者の姿も多く見受けられるようになりました。初めて金剛山歌劇団の公演を見たという日本人参加者は、「ただ素晴らしいの一言です。初めて見ましたが、感動しました。」と感想を述べていました。公演を見た人は、一様に強い印象を受けたようです。こうしたことを通じて日朝友好の輪が広がることを期待したいと思います。

オープニング前に、広島朝鮮学園の子どもたちによる民族楽器の演奏と群舞が演じられました。かわいらしい子どもたちが、懸命に演奏し踊る姿に大きな拍手が寄せられました。映像をお届けできないのが残念です。

いよいよ金剛山歌劇団のメンバーによる公演です。毎年新しい趣向を凝らした内容で観客の期待に応える演舞が繰り広げられますが、今年は「アリランの春―われらの願い夢列車に乗せて」がテーマで、歌と踊りを中心に、例年のとおり2部構成となっていました。例年に比べると民族楽器などの演奏がほとんどなかったの残念でした。

演目を紹介します。

第1部は、群舞「平和への翼」、混成重唱「栄あれ我が祖国よ」、群舞「地下金剛」(初めて聞くような感じのタイトルです)、男声重唱「故郷に春が来た」(長く歌い続けられているようです)、重舞「幸多かれ豊漁の海」、最後が群舞「華麗なる名勝三千里」でした。オープニングが「平和の翼」となっている構成に金剛山歌劇団の思いが伝わってくるような気がしました。

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第2部は、群舞「希望の鼓動」で始まり、恒例のチャンセナブ独奏「アリランの春」、男声独唱「まなざし」、女性三重唱「コッミレアリラン~花いっぱいの未来へ~」(統一への希望のアリランとして新たに歌われた)、混成重唱「夢列車に乗って」、デュエット「ハナーひとつー」、民謡メドレー「①牡丹峰②船を漕げ③統一アリラン」、そしてこれも恒例の民族舞踊「農楽舞」(今年もまた違うアレンジでの構成です)、フィナーレは合唱「三千里を虹色にそめる統一の夢」です。時には、会場も一緒に手拍子を打っての歌声など、舞台と会場が一体となった公演でした。

こうした演目を並べてみると気付かれたことがあると思います。全体を通して流れているテーマは「統一」ということです。昨年、歴史的な米朝首脳会談の実現した朝鮮半島をめぐる情勢の中で、在日朝鮮人の人たちにとって「統一」への願いがどれほど強いものが改めて感じられた公演でした。

混成重唱「夢列車に乗って」は、すべての歌詞を覚えていませんが、「玄界灘を渡り、プサンからソウルへ、そして夢のピョンヤンへ」さらに「シベリアからヨーロッパへと夢の列車は走る」という内容でした。この歌詞を聞きながら、「決して『夢列車』ではなく、一日も早く実際の列車として走らせなければ。そしてその一番列車に乗りたいな」という思いを強くしました。そんな思いを感じたのは私一人だったでしょうか

いのちとうとし

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2019年11月11日 (月)

「防災省」設置案

事前の防災対策

 

「防衛省 ⇒ 防災省」そして「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」という表現が分り易いので、これを何度も使っていますが、「防災省 (仮称)」設置の目的は、災害発生後の対応と同時に、災害による被害をできるだけ少なくするように、防災のための施策を全国的にまとめて一元化し、こうした施策を事前に施行することにあります。それは、災害の種類によってそれぞれ違います。豪雨による洪水と、地震に対する事前の対応を比べれば、その違いは明らかです。防災省では、その全てについて対応策を策定・実行しなくてはなりません。

現在でもそれなりの「計画」はあり、実行するだけという段階のものもありますが、何度も強調しますが、自然災害による被害が大きいこと、それを軽減することを国家的事業の最優先事項の一つにしなくてはならないと、私たちが覚悟を決めて、政治を動かして行かなくてはなりません。

そのために、たまたま分り易いパワーポイントの資料を国交省が作ってくれていますので、それを使いながら説明したいと思います。

 

[防災省の仕事内容]  

  1. 自然災害による被害を最小限に抑えるため、まずは事実の認識・把握のための基礎資料が必要です。災害がどの程度の頻度で起きるのかを統計的に推定し、安全度を加えた上で、河川、山林、道路や鉄道、その他の建造物等について、例えば、数百年に一度の頻度で起きる災害による被害を一定のレベル以下に抑えるよう、規制を設け、計画を立てた上で、目標をクリアする。既に計画のできている分野については、「災害優先」という立場、そして個人の「被害」という立場を前面に出し、再検証を行う。
  2. 台風や大雨、地震等について、どの程度の被害が生じるのかという予測はなされているが、被害の規模や財政的な損害等、天文学的な数字になっている場合もあり、十分な対策が取られているとは言えない。災害対策を日本という国家の最優先事項として、緊急20カ年計画を策定し、前半の10年間にはその中でも特に急がなくてはならないものを取り上げる。
  3. 災害についての正確なハザードマップを作成・改訂し、危険箇所に住む人々には個別の面接を行い避難の必要性や具体的な避難経路も含めた避難可能な知識を伝達する。避難「命令」が可能になるような法的整備も行い、発令等についても全国的に知見を共有して、避難が遅れることのないようにする。避難訓練も定期的に様々な想定の下行う。

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国土交通省による総合治水対策の概念図

 

《解説》

 ①.治水計画としては、国土交通省の立てた計画はあるものの、世界各国と比較すると大幅に低いレベルでの目標設定になっているため、特に近年に頻発している大雨の対策としては、不十分。具体的に数字を見ながら、緊急性を共有したい。

 ②.まずは次のグラフを御覧頂きたい。治水による安全度がどのくらいのレベルかを国際比較したものである。

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  ③.オランダと言えば、海面より国土が低いことで知られている。小学校の教科書で、堤防から水が漏れていることに気付いたハンス少年が、水漏れを止めるために献身的な努力をした感動的な物語を覚えている方も多いはずだ。そのオランダは、一万年に一度の水害に対応出来るような治水工事を1985年には終えている。日本に状況が似ているフランスでも、100年に一度の水害対策ができている。

   ④.でも日本の場合、その半分以下の30年から40年に一度の水害対策が目標になっていて、それも達成率は60パーセントほどだ。この統計が取られた2004年から14年経っているが、ウイキペディアでも同じ数字を使っている。前にも書いたように、事故ばかり起している役に立たないオスプレイを買う財源を防災費に回すだけでかなりの対策が可能になる。

    http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/6-8da6.html

 ⑤.日本の治水対策の中では、100年に一度の災害に対応することがあたかも理想的であるかのような目標設定が行われているが、もう少しレベルをアップすること、そして達成率を向上させるために財源を確保することが焦眉の課題だ。

 ⑥.地震については、建物の耐震性を高める必要が確認され、耐震性を持つ建造物が全体の9割ほどになっている点も評価すべきである。しかし、この「耐震性」で、建物にそれほど甚大な損傷が生じないのは、震度5レベルの地震なのである。政府が30年以内に起きる確率が80%だと言っている南海トラフ地震では、それを大幅に上回るはずだ。その被害額は土木学会の見積もりでは1400兆円(日本の国家予算は約37兆円)、死亡者は国の想定で32万人~33万人。立命館大学の高橋学教授の推定では47万人を超える。「それにもかかわらず。国、都府県、市町村の動きは極めて鈍く、今回の大阪北部地震を教訓に早急な対策が必要だろう。(高橋教授のコメント)」

 ⑦.子どもたちにも避難訓練をさせた北朝鮮からのミサイル攻撃で、何人の犠牲者が出ると安倍内閣が予測したのかは明らかにされていないが、まさか47万人を超えてはいなかったはずだ。そして、実際に攻撃がある確率をどの程度に見込んでいたのだろうか。80%以上ではないだろう。もしそれ以上なら、それは、明日にでも戦争が始まる可能性があり、単に「避難訓練」で対応できる話ではない。

 ⑧.30年以内に80%、そして死者数は47万ということは、あれほど大騒ぎをした北朝鮮の核やミサイルを桁違いに大きくした話なのだ。災害対策こそ、安倍政権挙げて今すぐ対応しなくてはならない案件なのではないだろうか。

 ⑨.こうした対応をすぐ実行に移せる組織として「防災省」が緊急に必要なのである。

以下、次回に続きます。

[2018/7/24 イライザ]

[加筆・訂正2019/11/10]

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2019年11月10日 (日)

碑めぐり案内で教わること

 11月のこの時期にも広島市の平和公園には全国各地からやって来た修学旅行生や、特に外国人の人たちの姿を多く見受けます。僕は修学旅行生に碑めぐり案内の案内役を年に10回ぐらいはやるでしょうか。

小学生から高校生まで、一度は通信制の高校生にも案内をしたことがあります。どの児童・生徒さんもとても可愛いです。こちら側が知らないことを教わることもたくさんあります。そして質問を受けたときに答えられないと落ち込みます。

これまで1~2回答えられないのがありましたが、帰宅してホームページなどで調べて、次からは「抜かりなく」とするのです。

そして前以っての準備で必ずやることは、その学校のホームページを視てどんな学校かを知っておくのです。10月は栃木県の今市市の高校生に案内しました。この学校のマスコットキャラクターは、「そんとくん」です。何の意味か分かりますか?二宮尊徳が亡くなったところとされています。あの薪を背負って、本を読みながら歩いている、僕ら世代の人なら通っていた小学校には、必ずといっていいほど在った銅像の人です。

最近は「歩きスマホ」の問題もあり、座っている二宮尊徳になったそうですがね。今市市が二宮尊徳とのつながりがあることは、知りませんでした。

 

そして11月3日は、千葉県銚子市の高校生に案内をしました。千葉県といえば台風19号や大雨で大きな被害を受けたところで、修学旅行に来られるのだろうかと心配していましたが、銚子市の方は大きな被害はなかったようです。  

大雨被害のお見舞いと昨年は広島県でも大きな被害があったことを話しました。そして「今年はサンマが少ないそうだねー」と話しました。

たぶん今年最後になるだろうと思われる碑めぐり案内は、来週の滋賀県のこれは小学生です。

さて多くでる質問ですが、大きな傾向としては学校の雰囲気で活発なのとそうでないのとの違いがあります。中学生は目立つのは避けたいという意識が強いのか質問が余り出ません。そういう意味では小学生はそれなりに出ます。

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小学生からの質問でもっとも多いもの、それは「平和の灯」の火は、雨が降っても消えないのか?中学生からもよく聞かれる質問です。面白いですね。

3日の高校生からは次の二つの質問がでました。皆さん答えられますか。

①平和の鐘の表面に書かれている字は何語か?

②原爆ドームは、当時何に使われていたのか?

さあー如何でしょうか?

そして慰霊碑の前などで記念写真を撮るのですが、教師から「ここは原爆で亡くなった人の碑だからVサインはしないように」という指導がされたことがあります。

写真を撮る人が、「さあーピース」と言ってシャッターを押していましたので、僕は「広島ではヒロシマー、ナガサキーと言う、キーのところで笑顔になるよ」と言ったらみんながそうしてくれました。そしたら同じ案内役の友人が「こういうのを教えるのは、この人だけよー」と話し、その場が大爆笑となりました。

木原省治

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2019年11月 9日 (土)

「第56回護憲大会」今日から開催

「憲法の理念の実現をめざす 第56回護憲大会」が、今日から3日間の日程で、北海道・函館市で開催されます。広島からは、11名の代表が参加します。

大会の名称は「平和・自由・人権 すべての生命を尊重する社会を」ですが、大会で討論される課題は、「大会スローガン」に集約されていますので、ここに掲載します。


・安倍政権による改憲発議を阻止しよう

・沖縄・辺野古新基地建設を阻止しよう

・表現の自由の抑圧や労働組合への弾圧を許さず、憲法に基づく私たちの権利を守りぬこう

・日米軍事一体化を許さず、日米地位協定の抜本的改定と米軍基地の縮小・撤去をすすめよう

・オスプレイ、イージス・アショア配備、南西諸島への自衛隊基地建設を阻止しよう

・災害救助隊の整備など、憲法理念にもとづく平和基本法を制定しよう

・東北アジアの市民連帯を基本に、対話と協調の平和外交を実現させよう

・侵略戦争と植民地支配の歴史と責任を明確にし、アジアとの和解をすすめよう

・「格差と貧困」を解消し、差別や人権侵害のない多民族・多文化共生社会をつくろう

・原発事故被災者の支援打ち切りを許さず、東電・政府の責任による解決を求めよう

・原発推進のエネルギー政策を転換し、自然エネルギー中心の循環型社会を築こう

・危険な原発再稼働に反対するとともに、破たんした核燃料サイクル計画を断念させよう

・子どもの権利条約に基づく教育・福祉・環境を実現しよう

・地方の自立と市民政治を確立しよう


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こうしたテーマに基づき、1日目は全体集会で開会総会のあと「日本社会は本当にこれでいいのか?安倍政権の7年間を問う!」と題して3人によるシンポジウム、2日目は7つの分科会やフィールドワーク、「ひろば」で、運動の交流や今後の課題が討論されます。最終日は、まとめの全体集会が開催され、護憲大会を終了します。

大会基調の「はじめに」では、「1946年11月3日、日本国憲法が公布されました。『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意』し武力の不保持と戦争放棄を誓うとともに、主権が国民にあることを宣言し、侵すことのできない永久の権利としてすべての基本的人権が国民に与えられました。」と憲法の意義を再確認するとともに、現状と課題を「今、現実に、日本国憲法の空洞化が進み、大きくその理念が歪められてきていることを認識しなくてはなりません。私たちは、ここに開催された第56回護憲大会を機に、改めて平和憲法を守る闘いを強化するとともに、憲法の空洞化を阻止し『平和・自由・人権』という憲法理念をあらゆる場面で実現し『全ての命を尊重する社会を』作り出していかなければなりません。」と提起しています。

この「護憲大会」は、夏の原水禁大会とともに全国規模で開催されてきた歴史を待つ重要な大会です。安倍政権が進める「改憲」政治によって憲法を取り巻く状況が厳しくなっているだけに、今年の護憲大会が成功することを祈らずにはいられません。

いのちとうとし

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2019年11月 8日 (金)

長崎から贈られた「紫陽花」

同じタイトルの原稿を9月19日のブログに掲載しました。最後の部分にこんなことを記載しました。

「この場所は青少年センターの前ですので、本当は最初からここの植わっていたというのが自然だ(青年団から贈られたという経緯)とも考えられますが。とにかく最初に植樹された場所を特定したいと思い、青少年センターの事務局に訊ねたのですが、『ここではわかりません』との答えでした。その後すぐに広島市緑政課(中央公園などを管理している)を訪ね、問い合わせ見ました。残念ながら、『少し時間をください。調べてみたいと思いますので』と直ぐには経過を知ることはできませんでした。連絡があるのを楽しみに待っています。」

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先日ようやく、広島緑政課から回答が届き、経緯が明らかになりました。次のとおりです。


[記念樹]

 昭和50年7月14日 被爆都市広島長崎青年交歓会が開催された際に、広島長崎平和文化都市提携の実現(同年8月5日)を記念して植樹された。

 植樹場所 平和大通り緑地帯(平和大橋東詰、NHK南側)

 寄付者  長崎市青年団体協議会

 寄付物件 紫陽花6株

[中央公園への移植]

 広島長崎青年交歓会が毎年、広島市青少年センターで開催されており、植樹の趣旨からして、同センターに隣接した場所に植樹等することが意義深いとの判断から、移植等がされた。


これで最初に植樹された場所が、平和大通り緑地帯(平和大橋東詰、NHK南側)で、その後現在地の広島青少年センターに移植されることになった経緯がはっきりしました。また贈られた紫陽花が6株であったことも。

お忙しい中調べていただいた緑政課の担当者に感謝です。

いのちとうとし

 

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2019年11月 7日 (木)

終戰記録―議會への報告書並びに重要公文書輯

横川のフレスタ前で「第13回カジル横川古本市」が今月10日まで開催されています。いつも何か掘り出し物はないかとのぞくことにしています。今回も、先日横川駅を利用する機会がありましので、ちょっと寄り道をして、並べられた本を見たまわりました。

毎回一冊ぐらいは、掘り出し物を見つけることができますが、今回も本当に珍しい本(私のとって)を見つけることができました。本の名前は「終戰記録」、副題は「議會への報告書並びに重要公文書輯」となっています。発行者は「朝日新聞社編」です。古い漢字が使われていますので戦後すぐの発行物だと思い、奥付を見ると「昭和二十年十一月十日印刷 昭和二十年十一月十五日」となっています。「定価」は「二圓」です。ちなみに今回の私の購入価格は消費税込みで1,100円でした。

「議會への報告書並びに重要公文書輯」という副題に興味をそそられ、手に取り中身を見てみました。目次に「帝國議会に對する終戰経緯報告書」と書かれ、その後には外務省から始まって内務省、厚生省などなど各省からの報告が続いています。もちろん、陸軍省も海軍省もあります。いずれも旧漢字が使用されていますが、ここからは現在使用されている漢字に変えて記載します。

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内務省の報告は全体が「大東亜戦争開始以来一般空襲被害の概況」で、その後に各項目が続きます。最初に「死傷者及び建築物の被害」の報告があり、数項目後に「新型爆弾に依る被害状況」とあります。「新型爆弾に依る被害状況」が記載されたページには、広島の被害状況が次のように書かれています。「廣島市 死者 約七万名 負傷者 約十三万名 家屋 全焼全壊 約六万二千戸 家屋半焼半壊 約一万個 罹災者 約十万人(死傷者を含まず)」 もちろんその後に長崎市も同様の記載があります。このブログでも「原爆被害」について何度か触れてきましたので、この内務省報告を興味深く読みました。死者約七万人となっています。こんな報告があったのです。

大事なことはこの報告がいつの時点に作成されたのかです。この本の最後の方に「帝國議会における東久邇首相宮殿下の御演説」という項目がありましたので、そこを読むと、その冒頭部分に「ここに第八十八回帝国議会に臨み、諸君に相見え、今次終戦に至る経緯の概要を述べ、現下困難に処する・・・」とありますので、本の副題の「議会への報告書」とある「議会」が第八十八回帝国議会だということが分かります。では「第八十八回帝国議会」は、いつ開かれたのかです。調べるとこの議会は、臨時国会として1945年(昭和20年)9月4日から9月5日までの二日間開会されていることが分かります。

そうなると、報告書はそれ以前にまとめられたことになります。開会日である9月4日は原爆投下から一カ月もたっていません。終戦の日といわれる8月15日からだと20日もたっていないにもかかわらず、これだけの数字がまとめられていることにちょっとびっくりします。

この資料を見ながら考えることは、もし政府が本気で原爆被害実態を調査し続けておれば、もっと正確に原爆被害の実相を今に残すことができたのではないかということです。

「一般空襲被害の概要」の項では、「目下調査中に属する府県もあるも」としながらも「死者241,309名」と一ケタの数字まで明記して報告しています。府県別の数字も非常に具体的です。政府がやろうと思えば、実態に近い被害状況を明らかにすることがこれでわかります。この報告書が出された時には、一般市民の被害もきちんと調べようという視点があったということが想像できます。

この本には、まだ興味深いことがたくさん記載されていますので、次の機会にでいれば紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2019年11月 6日 (水)

音楽の花束―秋―広響名曲コンサート

広島交響楽団の「音楽の花束―秋―広響名曲コンサート」が、4日広島国際会議場フェニックスホールでありました。

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今回のコンサートの指揮者は、広響終身名誉指揮者の秋山和慶さん。ゲスト奏者は、今年のチャイコフスキー国際コンクールで第4位を受賞したバイオリニストの金川真由美さん。

演奏の評価をする能力はありませんので、演奏曲を紹介します。幕開けは、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、続いて金川真由美さんが登場し、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35」がダイナミックにそして繊細に演奏されました。

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ところで、当日配布されたパンフレットによれば、金川さんが使用したヴァイオリンは「17世紀後半製作のぺトラス・グァルネリウス」で、ドイツ演奏財家財団のドイツ国家楽器基金から貸与されたものだそうです。私の少ない知識では、ヴァイオリンの名器といえば、ストラディヴァリウスの名前しか浮かばないのですが、ぺトラス・グァルネリウスも同じように非常に人気の高い名器のようです。

15分間の休憩の後、ドヴォルザークの交響曲第8番ト長調作品88が熱演されました。充分に堪能できた2時間のコンサートでした。

「音楽の花束」のコンサートでは、その名にちなみエントランスロビーやステージ上に花と緑の空間が演出されています。これも楽しみの一つです。ロビーでは、クイズ用紙が配布され、それに答えると演奏会終了後、花のプレゼントと交換できます。配布されるクイズ用紙にも限りがありますので、毎回少し早めに会場に行くことにしています。今回もゲットできました。クイズは、「パンジーを国花としている国は?」「秋に行われる市民コンサートの名称は?」でした。答えは「ポーランド」と「威風堂々クラシックin Hiroshima」です。今回の花のプレゼントは、パンジーでした。ポーランドの国花パンジーが選ばれたのは、広響が今年8月、日本・ポーランド国交樹立100周年を記念し、ポーランドで平和コンサートを開催したからだと思います。

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エントランスロビーでは、もう一つの企画が準備されていました。コサージュ作りコーナーです。机の上には7~8種類の小さな切り花が用意され、そのうち3種類を選んで好みのコサージュを作ります。出来上がったコサージュを胸に付け、コンサート会場に入る姿が目につきます。

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会場に入ると今回もステージ上の左右には、大きな生花が飾られていました。

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公演会終了後には、クイズ用紙と交換で、プレゼントのパンジーの苗ポットをいただき、帰宅しました。今回も楽団員のメッセージ付きです。

いのちとうとし

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2019年11月 5日 (火)

ヒロシマとベトナム(その6)

HVPF第14次ベトナム平和友好訪問

 10月27日(日)から11月2日(土)までベトナムを訪問してきました。その報告を含めながら前回からの続きを進めたいと思います。

 石井卓雄陸軍少佐の石碑

前号の「仏領インドシナ侵攻と廣島」で、1945年8月の敗戦後もベトナムに残り、ベトナムの抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)に加わった日本兵のことを書きました。そして、その中でベトナム軍の軍事顧問を務めるなど重要な役割を果たし、フランス軍との交戦で戦死した福山市出身の石井卓雄陸軍少佐について紹介しました。

その石井少佐の「石碑」がホーチミン市にあったと伝えられており、「10月に予定しているベトナム訪問時に、同じ福山市出身の河上淳一・在ホーチミン日本国総領事にお尋ねしてくる」と、皆さんに約束しました。

まず、最初にその結果を報告します。

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福山市出身の河上淳一・在ホーチミン日本国総領事(外務省Hpより)

実は31日の早朝、フエからホーチミンに向かう飛行機が台風の余波の影響で10時間余り遅れ、その日のホーチミンでのスケジュールすべてキャンセルせざるを得なく、総領事館を訪ね河上総領事にお会いすることができませんでした。

しかし、訪問前にメールで相談していましたので、返信をいただいていました。その内容を紹介します。

「お返事が遅れて申し訳ありませんでした。石井少佐の石碑の件については、報道等によれば,1969年に謝恩碑がサイゴンに建てられ、その翌年(1970年)に日本に移設されたようですが、そのわずか約1年間にサイゴンのどこにあったかは、調べてみましたが,当地では特に記録もなく、残念ながら手掛かりとなるようなものはありません。現在、陸上自衛隊第14旅団本部に残っているはずの現物の石碑の移送記録が同本部にでもあれば、何かの手掛かりが判るかもしれませんね。」というものです。

「石碑」のあった場所が分からなかったこともさることながら、お忙しい時間を割き調べてくださった河上総領事に直接お礼が伝えられなかったことが残念です。今度は私が善通寺市の陸上自衛隊を訪ね調べてみようと思っています。

意外と知られていない抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)

日本兵が加わった抗仏戦争は、1945年9月2日にハノイでホーチミンが発した「独立宣言」によって建国されたベトナム民主共和国とフランスとの戦いです。1945年9月のサイゴン侵攻から1954年11月のディエンビエンフーの戦いでフランス軍が敗退するまでの9年余り戦われました。

これまでも幾度も訪れたことのあるホーチミン市にある「戦争証跡博物館」では、いつになく抗仏戦争のコーナーに時間をかけていました。1968年のカリー米軍中尉が指揮した「ソンミ村虐殺事件」は記憶にありましたが、1947年11月29日にベトナム中北部のクアンナム省ミーチャック村で起きた「ミーチャック村虐殺事件」は知りませんでした。初めて入館した訪問団員が「ベトナムの戦争といえばアメリカとの戦争とばかり思っていた。」と漏らすほど、私たちは抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)のことを知らないことに気づかされました。

ベトナムの人々は、1862年にサイゴン(現ホーチミン)をフランス軍に占領されて以来、日本軍、再びフランス軍、そしてアメリカ軍との間で110年余りも民族独立と解放のために戦ってきました。

「平和の節目」となる年、2020年

ファン・ボイ・チャウのトンズー(東遊)運動、ホーチミンの抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)とベトナム解放闘争(第二次インドシナ戦争)、その長い戦いが終結したのが1975年4月30日です。

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今回、初めてフエにあるファン・ボイ・チャウの墓に参拝し、チヤウを支援した医師、浅羽佐喜太郎の出身地静岡県袋井市の人たちが建立した「日越友好の碑」を訪れ、ベトナムの人々の長き苦難の道のりと日本人との関わりに思いを馳せました

来年はその「ベトナム戦争終結(南部解放)45周年」を迎え、ヒロシマは「被爆75周年」を迎えます。

この「平和の節目」となる年、私が専務理事を務める一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会(HVPF)は、記念事業を計画していますが、それはまたの機会に紹介させていただきます。

 いまに生きる「ベトナム建国の心」

1945年9月2日にホーチミンがハノイで発した「独立宣言」を少し長いですが、冒頭部分と幾つかのセンテンス、結語部分を紹介します。

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ベトナム独立記念式

「全国の同胞たちよ、全ての人はみな、平等な権利を持って生まれています。創造主は誰も侵すことのできない権利を与えました。その権利には、生存権、自由権、幸福追求権があります。この不滅の文言は、アメリカの1766年独立宣言の中にあるものです。より広く言えば、この文言は、世界の全ての民族がみな平等に生まれ、どの民族も生存権、幸福権、自由権を持つということを意味しています。」

「それにもかかわらず、この80年間、フランス帝国主義者たちは、自由・平等・博愛の旗を悪用し、私たちの国を強奪し、私たち同胞を抑圧してきました。彼らの行動は、人道と正義に反するものです。・・・・1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本のファシストがインドシナを侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本に私たちの国を明け渡しました。そのときから、私たち民族はフランスと日本という二重の枷をかけられたのです。そのときから、私たち民族は、日増しに困窮し、貧困にあえぎました。その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞が餓死しました。」

「日本が連合国に降伏したとき、全国の私たち民族は立ち上がり政権を奪取して、ベトナム民主共和国を築いたのです。実際には、私たち民族は、フランスの手からではなく日本の手からベトナム国を取り戻したのです。・・・・私たち新ベトナム国の臨時政府は、ベトナム全国民を代表して、フランスとの関係を離脱し、フランスが署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。」

「この80年以上にわたりフランスの奴隷であることに勇敢に対抗しました。数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。私たちは自由を得なければなりません! 民族の独立を得なければなりません!これらの理由から、私たちベトナム民主共和国の臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。ベトナム国は自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由で独立した国となりました。ベトナム全国民は、この自由と独立を維持するために、精神、軍隊、生命、そして財産のすべてを持つ権利があります。」(1945年9月2日)

(2019年11月4日、あかたつ)

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2019年11月 4日 (月)

「秋の散策」―浅野氏入城400年記念コース

毎年秋のこの時期に開催される広島市観光ボランティアガイド協会主催の「秋の散策」が、今年は11月2日に開催されました。昨年の「西国街道めぐり」には一人で参加しましたが、今回は夫婦で参加しました。

今年の「秋の散策」は、「浅野氏入城400年記念コース」と銘うち、広島城と縮景園をめぐるコースが設定されていました。

集合場所は、広島城大手門前。しかし、菊花展の最中ですので混雑を避けるため、少し西側の広島城南側広場に集合しスタートです。40人を超える参加者で、6~7人でのグループ分け。私たちは第1班で6名、ガイドは、ボランティア協会会長の持永義孝さんでした。

最初の案内は、広島城天守閣が最もきれいに映る場所を紹介。RCCの塔や周りの住宅が写らないスポット。集合場所のすぐそばにある圓鍔勝三作「花の精」の北側のお堀沿いです。

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確かに私の腕でもきれいに撮れました。天気が良く、堀の水面には天守閣が写っています。

いよいよ広島城の案内ですが、今日は回った道順の紹介と初めて知ったことを記載します。大手門をくぐり、二の丸へ。多門櫓の由来、太鼓櫓の時を告げる太鼓などなどの説明。残念ながら広島城では、今は時を告げる太鼓は打たれていませんが、今も太鼓を鳴らして時を告げているのは彦根城だけとのこと。

本丸へ移動です。二の丸から本丸へ移動するとき通る中御門跡で石垣の組み方の解説。

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2枚を比べて石組みの違いが分かりますか。左側の写真では、石の側面が揃っていますが、右側の写真では、石の長い方が右・左と交互に組まれています。こちらが新しい時代のものです。広島城を築いた毛利輝元は、石垣づくりの集団・穴太衆(あのうしゅう)に頼らず、自力で築いたと言われています。それが左側の石垣です。

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石垣の中にちょっと珍しい石がありました。よく見ると牡蠣殻がついています。瀬戸内海から石を運んだことがよくわかります。この石のことは初めて知りました。

いよいよ本丸です。鬼側のこと、破風のつくりなどなどの解説。

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ここでは、持永さん持参の「被爆前まであったといわれる大天守閣と東小天守を結ぶ渡櫓が写った写真」での解説。戦前はこの渡櫓から天守閣に登るようになっていたようです。帰宅して「財団法人広島市文化財団広島城」が発刊した「広島城壊滅―原爆被害の実態」を見ると、そこに上の写真が掲載されていました。今は天守閣のみですので、この姿を見ることはできません。

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本丸の東北角に、壊れかけた石垣があります。広島大学も三浦教授の説によると、浅野の前の城主だった福島正則が、自らの潔白を証明するために壊した跡だと言われています。しかし諸説があるようです。私が知りたかった「福島正紀はどこの石垣を修理したのか」ということは、残念ながらわからないとのことでした。

ここで広島城は終わりです。最後に向かったのは、縮景園です。

縮景園では、抹茶とお菓子が用意されていました。茶店で一休みした後、持永さんの解説を聞きながら園内を散策。途中で、予定の午後4時になり「先の散策」は終了しました。

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最後の集合場所へ移動する途中に、菰巻きされた松が並んでいましたので、一枚パチリ。

観光ボランティアガイドの皆さんありがとうございました。来年も楽しみにしています。

自宅を出発して帰宅するまでの歩数は13,314歩でした。

いのちとうとし

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2019年11月 3日 (日)

「憲法審査会」の役割とは

日本国憲法は、73年前の今日11月3日に公布され、翌年の5月3日から施行されました。憲法記念日は、5月3日ですが、日本国憲法にとっては今日も忘れてはならない日です。

昨日のブログで、「憲法のつどい ひろしま2019アピール」を掲載しましたので、読んでいただいたと思います。実は私は、当日このアピールを見て、気になる箇所がありました。みなさんはどうでしょうか。

ちょっと長くなりますが、その部分を引用します。

「この臨時国会では、改憲の扉をあけさせるために、『憲法について議論を』と言って憲法審査会の開催をくわだてています。憲法審査会は、憲法を一般的に議論する場ではなく、『憲法改正原案、国民投票法案等を審議する』場です。安倍政権は国民投票法案の審議を口実にして、多数の力で改憲案審議へと推し進めることを狙っています。」

安倍政権の改憲の狙いについては、アピールにあるとおりですが、私が気にしたのは太字で示した部分の「憲法審査会は、憲法を一般的に議論する場ではなく」という表現です。憲法調査会の役割と何かです。

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衆議院憲法調査会のホームページを開くと、「憲法調査会の目的」として次のように掲載しています。「憲法審査会は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査する機関です」と。

そうなのです、憲法調査会は、「改憲を論議する」ためだけにあるのではありません。もちろん「憲法改正原案を発議すること」も重要ですが、その前にやるべきことは「広範かつ総合的に調査」することです。

2015年6月4日の衆議院憲法調査会を思い出してほしいと思います。ちょうど同時期に衆院平和安全法制特別委員会では、憲法違反の集団的自衛権を認めた「戦争法」が審議されていました。そこで衆議院憲法調査会は、3人の憲法学者を参考人として招き、「集団的自衛権と憲法」について、その見解を聞きました。

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与党が推薦した参考人を含め3人の憲法学者が「集団的自衛権は、憲法違反だ」と述べました。しかし、安倍政権は、この重要な憲法学者の見解、しかも憲法審査会で発言したにもかかわらずこれを無視し、強引な国会運営でこの憲法違反の戦争法を強行成立させました。そして安倍与党は、その後の憲法審査会を開会しなかったのです。

実は、この6月4日の憲法審査会こそ、まさに憲法審査会に課せられた本来の役割「基本法制について広範かつ総合的な調査」を行ったのです。その内容が自分たちの意にそぐわないから無視する人たちに「憲法審査会」を論評する資格は全くありません。

安倍首相がいう「憲法審査会での論議を」というのは、ただ自分が求める改憲論議を進めることだけを目的に主張しているから問題なのです。

むしろ、いま憲法審査会がやるべきことは、改憲論議の前に、例えば、安倍首相の憲法99条の「憲法尊重擁護義務」違反である「自衛隊の高級幹部会同や観閲式で自衛隊明記の改憲を繰り返えし発言」していることや「戦争法の違憲性」について、広範かつ総合的に調査することです。それは、憲法審査会にしかできない仕事です。

私もかつて憲法審査会の前身である「憲法調査会」の委員として2年10カ月活動した経験があります。もちろん、憲法審査会と憲法調査会では、基本的性格を異にしますが、憲法審査会が今行うべきことは、矛盾が拡大している「日本国憲法の政治の現状によってもたらされた大きなかい離」について「その実態と原因」を徹底的に調査することです。私は憲法調査会でずっとそのことを主張して続けてきました。しかし、私が体験した憲法審査会もそうですが、ややもすると「憲法改正」のみが目的であるように理解されている面があります。

もちろん、国会の民主的ルールを無視し、憲法を軽視する安倍政権の下で、憲法審査会を開会することは、安倍改憲へ道を開く危険極まりないものであることは言うまでもないことですが、この機会に「憲法審査会」とはどんな役割を持っているのか考えてみることもまた必要なことではないでしょうか。

いのちとうとし

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2019年11月 2日 (土)

「憲法のつどい ひろしま2019」開催

昨日午後6時より、戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会が主催する「憲法のつどい・ヒロシマ2019 許すな!安倍改憲発議」が、県民文化センターで開催され、会場いっぱいの550人が参加し、安倍改憲を許さない運動を強化することを誓い合いました。

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主催者を代表して実行委員会の秋葉忠利共同代表が開会のあいさつ。「今日の集会では、国家と個人の関係をしっかりと考えたい。講師の安田さんが体験したことは、広島の被爆者が体験したことでもある。安田さんは、暴力と戦(いくさ)があるところで身を持って戦ってきた。拘束から解放され帰国後もパッシングにあった。国は、守ってくれなかった。裁判所や行政に任せるのではなく、個人が最後に頼れるのは結局憲法。この集会を通じて私たち個人が憲法を見つめていくことが大切です」と。

続いて本集会のメインゲスト・フリージャーナリストの安田純平さんが、「ジャーナリズムの突破力」と題して記念講演。安田さんは、2015年6月シリア取材のためトルコ南部から入国したところで武装勢力に拘束され、2018年10月に3年4か月ぶりに解放された経験をもとに、シリアの歴史、レジスタンスとテロはどこで分けることができるか、アメリカのイラク侵略後はすべてがテロと名付けられてしまい、それが仕方がないこととなってしまったこと、それを無批判に伝えるだけの日本のマスコミなどなど、自らの体験に基づく話が続きました。そして「民主主義のためには、報道・ジャーナリズムがどうしても必要。そして取材は絶対に必要。しかし、そのことが学校で教えていない。」ことなどが強調され、そして自らの解放までの日本政府は何もしてこなかったことなどが詳しく話されました。自らの体験に基づく話は、参加者の心に響くものでした。

記念講演のあと、広島県平和運動センターの秋貞友紀(あきさだ ゆき)さんが、集会アピールを提案。大きな拍手で採択。

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最後に全員が「止めよう!改憲」のプラカードを掲げ、決意を固めあって集会を終えました。

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憲法のつどい ひろしま2019アピール

 安倍政権は、先の参院選で改憲発議が可能な3分の2の議席を割ったにもかかわらず、戦後日本の平和を守ってきた憲法9条を変えて、財界の権益を守るために、米国と一体となって戦争のできる国へ変えていこうとしています。この臨時国会では、改憲の扉をあけさせるために、「憲法について議論を」と言って憲法審査会の開催をくわだてています。憲法審査会は、憲法を一般的に議論する場ではなく、「憲法改正原案、国民投票法案等を審議する」場です。安倍政権は国民投票法案の審議を口実にして、多数の力で改憲案審議へと推し進めることを狙っています。

 安倍政権は、軍事予算を戦後最大にまで膨れ上がらせ、日韓関係を戦後最悪の状態にまで悪化させて緊張をつくり出し、沖縄では辺野古の米軍基地建設や宮古島など南西諸島での自衛隊基地建設を強行しています。さらに、米国とイランの対立で緊迫するアラビア海に護衛艦出動を検討するなど、国会審議なしに自衛隊の海外派兵を拡大しようとしています。

 一方で、安倍政権は、国民生活と経済を破壊する消費税増税を強行しました。猛威をふるう災害への対策や救済費用の額は、膨大な軍事費に比べて余りにも貧弱です。さらに、関電役員らへの地元有力者からの「原発マネー還流」疑惑の追及は、原発推進の方針を優先するために、逃げ腰であることは明らかです。また、あいちトリエンナーレへの補助金停止は、憲法が保障する「表現の自由」を侵害し、歴史認識が問われる暴挙です。

 いま私たちが求めるべきは、安倍政権が進めようとしている改憲ではなく、私たちが平和で安心できる社会のもとで人間らしく暮らすことです。「国家のために個人を犠牲」にする精神を強要する安倍政治を終わらせ、平和憲法を守り活かすことこそが、この国の未来を切り拓く、私たちの使命です。

 私たちは、秋以降の闘いにおいて、安倍政権による改憲の画策を打ち破り、改憲発議を阻止することに全力を上げ、来る衆院選で改憲勢力を打ち負かすよう奮闘します。

2019年11月1日

憲法のつどい ひろしま2019 参加者一同

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いのちとうとし

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2019年11月 1日 (金)

防衛省を防災省に (2)――「自然災害」対策を、最優先課題にする――

以下、昨年のブログに掲載したものですが、重要な問題提起をしている積りですので、再度お付き合い下さい。

今回は、「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」、つまり「防衛省 ⇒ 防災省」というパラダイム転換を実現するために、「防災省 (仮称)」はどんなお役所なのか、大雑把なスケッチになるとは思いますが、青写真を御覧頂きたいと思います。とは言っても、一素人が防災についての大きな絵を描こうとしているのですから、完成させるためには多くの皆さんの助けが必要です。

防災の専門家、例えば消防や警察の関係者、自衛隊の防災担当者の皆さん、学者や行政の担当者、そして被災者の方々やボランティアの皆さん等々に助けて頂ければ幸いです。例えば、もう既に良く練られた「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」あるいは「防衛省 ⇒ 防災省」転換のための計画があってもおかしくありませんし、それほどラディカルではなくても、災害を恒常的な存在であると捉えた上での対応指針のようなものもあるかもしれません。御存知の方がいらっしゃいましたら、是非御教示頂ければ幸いです。その他、明らかな間違い、思い込み等々、この件について気の付いたことなら、何でも結構ですからお寄せ下さい。

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また、考え方を分り易く説明するために、「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」あるいは「防衛省 ⇒ 防災省」という表現を使っていますが、その方の可能性ももちろん大歓迎です。たとえば「防災省」と「防衛省」が、バランスのとれた形で共存しても良いでしょうし、とにかく「自然災害」対策を一元的に行うための組織、それも予備対策や救援救助、そして復旧等の仕事のできる実働部隊をその一部とする組織が必要です。その実現のためには様々な可能性がありますので、柔軟にかつ創造的にアイデアを育てて行ければと思っています。

 

「防災省」設置案

[設置目的と根拠法]  憲法第25条、つまり、〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕として掲げられている次の「権利」を保障し、国の「義務」を果す上で、自然災害が国民の生命ならびに生活に多大なる脅威となってきた歴史を踏まえ、また、自然災害を日本という地理的範囲を全体として捉えると、「恒常的」な災害が生じているという認識の下、自然災害を最小限に抑えるために防災省を設置する。

  第25条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

          2.  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

《解説》  

  1. 「自然災害」の定義――「自然災害」の中には、次のような事象による被害を含める――地震、噴火、津波、高波、竜巻、台風、洪水、土石流、大雨、大雪、猛暑、厳寒、旱魃等。
  2. 「自然災害」には「恒常的」対応が必要――ここ20年 (あるいは〇十年) ほどの災害の実態を、それ以前の災害の統計と照らし合わせた上で、地球温暖化と異常気象についての世界的な知見も活用して、自然災害が日常的脅威となっている現実を直視する。今後の対策としては、国のレベルならびに地方自治体、さらには企業等の組織や個人までも含めた「ステーク・ホールダー」たちが、災害は起きた後で対応するものというこれまでの枠組みを捨て去って、「恒常的」対応が必要なものであるという認識を共有する。
  3. 被害の総体を把握――そのための経年比較をする際には、次のような側面に特に注意する必要がある。死亡者数、全壊・半壊等の建物被害数と被害金額、道路・鉄道・港湾・空港、水道・電気・ガス・通信等のインフラの被害規模、特にその復旧に要する費用、農林水産業の被害規模と復旧のための費用、民間企業その他の団体が被った被害規模ならびに金額、被災者や被災団体が失うことになった「時間」とその間に失われた生活や生産等を数値化することで得られる逸失費用等、敢えて重複を恐れずにあらゆるコストを計上した上で整理・分析することによって、被害の総体を把握し、全国民が共有できるように表現・周知・共有する。
  4. 一つの省が必要――これまでの国の対応、例えば災害担当大臣を置くといった措置では不十分で、災害救助のできる実働部隊を伴う一つの省が必要である。防衛省の存在が必要であるなら、それ以上に防災省の設置は必要かつ緊急を要する。
  5. 自衛隊より緊急度は高い――その理由を簡単に説明すると、それは死者数、さらに生活の激変を余儀なくされた「被害者」の数を見るだけで明らかである。まず、この73年間、外国の侵略によって死亡した日本国民はゼロであり、また死亡を含む生活の大激変という形での外国からの影響は、アメリカ軍基地の存在以外にはないと言って良い。対して、自然災害による死者数は膨大であり、東日本大震災の結果、未だに避難生活を続けざるを得ない人々の御苦労を考えただけでも、「防災」の重要性は自明である。結論として、「防災省」を実現しこうした被害を減少させるために、全国民が一致してその設置のために努力すべきである。
  6. 自衛隊以上の予算を――外国からの侵略がなかったのは、自衛隊があったからだという議論もありそうだが、予算面等で自衛隊と同じ「レベル」での災害対策をこれまでして来ているのかも検証した上で、現在のレベルを凌ぐ防災対策を立てることで、同様に、「防災省」があったから自然災害の被害が減少した、と数年後には言えるようになるはずである。
  7. 情報、予算、人員、教育、公報等、一つの省が把握することで、実効性のある施策が展開できる――今回の豪雨災害において問題になった、愛媛県野村ダムと狩野川ダムの放流についても、下流の被害も視野に入れたダムの管理計画が綿密に立てられ、下流との連携が余裕をもって立てられていれば、被害はかなり軽減された可能性があり、それを可能にするための、「被害」を最優先する立場からの施策を展開する「防災省」の出番がある」。災害防止のための予報や警告の分野だが、それを可能にする予算の獲得や、実働部隊の人員の確保、災害時の避難等について住民への周知と日常的訓練等、一元化された行政の担える範囲は広い。

防災省の組織、任務、他の省庁との関係、自治体との役割分担等についても次回から順を追って説明します。

[2018/7/23 イライザ]

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