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2019年10月16日 (水)

原爆被害を改めて考える(4)―「国連への要請書」の疑問

「原爆被害を改めて考える」も、一応今日で終わりにしたいと思います。最後にこのシリーズで何度も登場した広島市・長崎市の「国連への要請書」の「原爆による死亡者数」の疑問点に触れておきたいと思います。

一つは「軍人の死亡者数は2万人前後と考えられる」という記載です。「考えられる」という表現ですから、確定できず推定による数字ということになります。私の疑問は、本当に「軍人の死亡者数は確定できないのか」ということです。軍人の死亡者に対しては「戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく援護」などの法律に基づいて、その遺族に対し遺族年金・遺族給与金及び弔慰金を支給がされています。支給するためには、当然のこととしてその軍人がいつ、どこで亡くなったのかがきちんとしていなければならないはずです。広島の原爆によって亡くなった人もこの法律の対象となっていると考えるのが普通です。この法律の適用に当たっては、当然厚生労働省がその実態をきちんとと把握していると私は考えるのですが、どうでしょうか。市民と違って、軍人の場合は、しっかりとした調査が行われているはずです。そういう道筋をたどっての調査は、行われなかったのでしょうか。不思議です。

軍人の死亡者について、調査した学者がおられることを最近知りました。広島県の湯崎知事のお父さん、「爆心地復元地図」の作成にも中心的な役割を果たされた方です。このことを教えていただいた原爆資料館資料室の方の話によると「当時の部隊の生き残りの関係者などをたどりながら明らかないされようとしたのですが、なかなか情報が集まらず断念されたそうです」とにことでした。こうした努力をされた先生がおられたことを初めて知りました。もう少し詳しい様子を知りたいと思います。

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二つは、朝鮮半島出身者に関する記述です。最初に引用した軍人に関わる文章のあとに「これら以外に多数の朝鮮人被爆者が直接被爆したと考えられる。」と記述され、さらに「上述の数値の中には所在が明らかになった朝鮮人の一部も含まれているが、それ以外にも多数の朝鮮人が広島の直接被爆で死亡したという推測がある」と記述されています。疑問に感ずるのは「これ以外に…直接被爆した」という表現です。このまま読むと「直接被爆者の数31万~32万人」の中に、朝鮮人は入っていないことになってしまい、直接被爆者は、軍人を加えた「35万~36万人」からさらに増加することになります。朝鮮人については、長崎市の部分でも「朝鮮人被爆者も多数いたといわれるが、その実態もはなはだ不明確である。」としています。この表現では、長崎市の直接被爆者数の中に朝鮮人被爆者が含まれているのかどうかは、まさに「不明確」です。ちなみに平和公園にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の裏面の「慰霊碑の由来」には、「1945年8月6日原爆投下により2万余の韓国人が。一瞬にしてその尊い人命を奪われた」と刻まれています。

「国連への要望書」提出後、1977年からこの「国連への要請書」作成に携わった専門家を中心に、さらに研究がすすめられ、その成果が1979年に「広島・長崎の原爆災害」(岩波書店刊)として刊行されてまとめられています。そこではより深くその問題が解明されていると思います。

しかし、「国連への要請書」は、広島市・長崎市が国連に提出した公文書ですので、この文書を検証することも必要なことだと考え、あえてこの文章の疑問点を考察しました。

いのちとうとし

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