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2019年10月 3日 (木)

白島地区の被爆樹木を訪ねて―その3

前回のつづきです。次に訪ねた光明院(1,700m)は、碇神社から南へ歩いて240mのところにあります。山陽新幹線、山陽線の高架のすぐそばです。

Dsc_4187  

ここには、ナツミカンが2本植わっています。もともとは寺院南側の山陽本線沿いの土手にあったのですが、1983年の本堂再建時に今の場所(本堂のすぐ横)に移植されたものです。当初3本あったようですが、被爆後も生き残っていた2本が、移植されました。この地域では珍しく、焼失を免れたようです。

Dsc_4189

 訪れた時には、青い実がいくつもついていました。

次に鉄道の高架の下を通り抜け、光明院から歩いて270mの禿翁寺に行きました。最初「禿翁寺」が読めなかったのですが、お寺の前の電柱に付けられた看板に振り仮名があり「とくおうじ」だと知ることができました。

ここはウメ(紅梅)、モミジ、クロマツ、クスノキ、アラカシの5種類、12本が被爆樹木として登録されています。被爆時建物は全部焼失したですが、樹木だけは生き残ったようです。焼失した本堂再建の時、すべて境内の中で移植されたようです。

Dsc_4194

アラカシは、現在8本あります。

Dsc_4199

モミジは、被爆して生き残っている唯一のモミジのようです。この植え込みには、ウメ(紅梅)、クロマツも植わっています。

Dsc_4203

クスノキは、山門を入ってすぐの場所にあり、大きな姿は道路からもからもよく見えます。

白島地区の被爆樹木めぐりとしてはここで終わったのですが、この後、すでにこのブログで報告した原民喜のお墓、郵政局などを訪れました。

今回の被爆樹木めぐりで感じたことをまとめてみます。その一つは、多くが焼失した親木の根元から芽を吹いたもので、樹木の生命力の強さはすごいものだということです。そしてお寺の境内ということもあるのでしょうか、大切に育てられていました。二つ目は、仕方のないことではありますが、お寺の再建などによって、ほとんどが移植されていることです。もちろん、同じ境内ですので、大きく場所を移動したということではありませんが。三つめは、この白島地区もそうですが、広島市の被爆樹木リストを見ると所在地の多くが、寺院や学校です。境内や校庭などの広い空間があったことによって、焼失しながらも根などが生き残ることができたのではないかと考えられます。いろいろなことを学んだ被爆樹木めぐりでした。

白島地区には、旧郵政局を含めても直線距離ではわずかに1kmという範囲の中に沢山の被爆樹木があります。ぜひ一度訪ねてみてください。

いのちとうとし

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