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2019年10月14日 (月)

岡本三夫さんと珠代さんを偲ぶ会

昨日、7月20日に逝去された岡本三夫さん、そして後を追うようにわずか2カ月後の9月26日に逝去された珠代さんを偲んで「岡本三夫さんと珠代さんを偲ぶ会」が、市民交流プラザで開催されました。当初は、岡本三夫さんを偲ぶ会として準備されていたのですが、相次いでの逝去により、急きょお二人を「偲ぶ会」となりました。「偲ぶ会」には、岡本夫妻の交流の広さを象徴するように、東京、名古屋、大阪、長崎など県外からの参加を含め73人の参加者がありました。

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岡本三夫さんは、香川の四国学院大学教授時代の1976年に、日本初の「平和学」講座を開講され、平和学の第一人者と言われ、1989年から1991年まで、日本平和学会の会長を務められました。1990年に広島修道大学法学部教授として就任するとともに広島市へ移住し、全国に先駆けて1992年に結成された「第9条の会ヒロシマ」の発足や2001年に結成された「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(HANWA)の発足の中心的役割を担い、それぞれ代表を務めるなど、県内の平和運動の中心となって活動を続けてこられました。珠代さんもそうした岡本さんの活動を支えるとともに、様々な集会や活動に積極的に参加してこられました。お二人が一緒に参加される姿は、今も目に浮かびます。午後2時半から始まった「偲ぶ会」は、最初にHANWAの共同代表森瀧春子さんのあいさつでスタート。四国学院大学の関係者、四国学院大学時代の教え子、平和学の学者、平和教育研究所、脱原発の活動家、マスコミ関係者などなど15人が次々とマイクを握り、岡本さんとの出会い、エピソード、学んだことなどなどのスピーチが続きました。その中で「岡本さんは、ピープルの視点で平和学を見てきた人でした」という発言が特に印象に残っています。

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スピーチの間に少し時間をとって、実行委員会の皆さんが作成した写真のパワーポイントでの上映。参加者それぞれが、三夫さんと珠代さんの在りし日の姿を思い浮かべました。私もスピーチの機会が与えられましたので、当日配布された資料で岡本さんのことばとして記載された「体を張って戦わねばならない時代がやってきた」(2000年)のことばを紹介しながら、岡本さんは広島選挙区、私は比例選挙の候補者として一緒に戦った2004年の参議院選挙について話しました。この選挙は、2003年に「イラク特措法」が成立し、2004年に武装した自衛隊がイラクに派遣された後に最初の国政選挙でした。まさに体を張って戦われた岡本さんでした。この岡本さんの決意を引き継ぐことが私の役割だと改めて決意させられた「偲ぶ会」でした。

最後に石口俊一弁護士から閉会のあいさつとともに、ドイツから届いた長女沙良(さら)さんの「友人や同僚、仲間に囲まれて充実した人生を送れたことに感謝します」というメッセージが紹介され、会は閉じられました。

いのちとうとし

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