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2019年9月14日 (土)

湯来の森

今月6日、7日のブログで、「平和大通りの供木運動」を簡単に紹介しました。今日はその続きのような話です。

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一昨日、広島市役所を訪ねた帰りに、同じフロアにある自治労広島市労働組合の書記局によりました。畠山書記長と話すうちに「ブログ」のことに話が広がりました。私が「供木運動で寄せられた平和大通り樹木には、どこから贈られたものか、表示がないんですよ」と話したところ、畠山書記長から「中国新聞社の前の方に『湯来の森』の石碑がありますよ」と教えられました。そういえば、何時かあのあたりを歩いたとき「なんでこんなところに『湯来の森』という石碑があるんだろう」と不思議に感じたことを思い出しました。でもその時は、それ以上深く考えることはありませんでした。畠山書記長は続けて「実は、湯来町は山林の多い町でしたので、林業が主要な産業でした。当時、湯来の木材のほとんどは、広島に送られていたんですよ。そんな関係から、当時湯来からもたくさんの苗木が送られたと思いますよ」さらに続いて「確かなことは言えないですが、当時あの場所から南の舟入地区には材木店が多かったと聞いていますから、湯来の木材業者とのかかわりが深いところということで、あの場所(河原町、西平和大橋西詰の平和大通り南側緑地帯)に湯来から送った苗木が植えられたように思います。」と。納得できる話です。湯来からは大きく育てば「森」と呼ばれてもおかしくないほどたくさんの苗木が送られたことが想像でします。この話を聞くと「湯来の森」の石碑が建っている理由が理解できます。

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 昨日改めて、現地を訪ねてみました。立派な石碑が立っています。石碑の裏には、「1958年4月植樹」と刻まれています。61年が経過し、樹木も大きく育ちこんもりと茂っています。

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西側からの写真

まさに「森」に近い形に成長しています。自転車で行っていましたので、少し周りをまわってみましたが、この他に、どこから贈られた木かを示すようなものを見つけることはできませんでした。

広島市が呼びかけた「供木運動」では、約6000本の樹木が届いたと言われていますので、もう少し樹木の出身地が分かればよいなと思いました。

もう一つ余談です。広島県原水禁の元事務局長佐藤次彦さんの話です。「自分の妻のおじいさんは、湯来で木材業を営んでおられてようですが、『昔は、切り出した材木をいかだに組んで広島まで流したものよ』と話しておられたと妻から聞いたことがありますよ」と教えてくれました。広島と湯来、昔からの深い結びつきが、平和大通り緑化にも大きな役割を果たしたと言えます。その湯来町も2005年の合併で今は広島市になっています。

いのちとうとし

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