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2019年8月21日 (水)

核廃絶運動は歴史的厳しさに直面している (5) ――憲法の復権と民主主義の再生が必要――

長いシリーズになりましたが、前回までは、日本政府が、核兵器禁止条約の署名と批准を頑なに拒否しているのは、「日本自前の核兵器を保有する」が日本政府の究極的な目標であり、署名・批准はそれを諦めることと同じなのだという説明をしました。

それほど大きな「目標」貫徹のためには、決して核禁条約の署名・批准はできないのです。それに対抗しての私たちの立場は、どうしても日本政府に核禁条約を署名・批准させることです。でも、そのための運動を構築するに当り、私たちは再度、日本の「平和運動」のこれまでを振り返り、現在私たちの持っている力を確認しておかなくてはなりません。

その結果は、残念ながら、非常に厳しい状況にあることを認めなくてはならないのです。その理由を、三つ説明しておきたいと思います。論点をハッキリさせるために、以下、物事を極めて単純化して説明します。例えば、「○○は××である」式の言い方をしますが、正確には、「○○という状態の起きたとき、これこれという条件を勘案すると、多くの場合、××という結果につながることが多くあった」と書くべきことも多いということです。

 

(A)日本の平和運動は、国際的運動だった。 

別の言い方をすると、日本政府を説得し政府の方針を変えさせるという種類の運動ではなかった、と言って良いでしょう。

再度お断りしますが、「単純化」しての表現ですので、例外は多くありますし、100%の場合、これが真実だと言っている訳ではありません。国際的な舞台での成功例が多く、国内的な運動では、他の人たちの運動が主導権を握っていた、というような場合も多々あることを念頭に置いて、しかし、これからの運動構築の参考にするための総括として役立つ読み方をお願いします。

本題に戻りましょう。「戦後日本の最大規模の社会運動は平和運動であった」という総括をしているのは、元朝日新聞の記者で、「最後の原爆記者」の一人として今でも健筆を振っている岩垂弘さんですが、彼の近著『戦争・核に抗った忘れえぬ人たち』の最後に、「戦後平和運動の到達点」という短いのですが、優れた運動史が載っています。この本も多くの皆さんにお読み頂きたい物の一つです。

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その中で岩垂さんは、運動が達成した「成果」を三つ挙げていますし、四つの弱点も指摘しています。実はこれらの点をまとめると、ここで私が指摘したい三つのことは既に言い尽くされているのですが、同じ内容を別の言葉で表現しておくことも大切ですので、繰り返しを恐れずに、岩垂さんのまとめから見て行きましょう。

まず、日本の平和運動が達成してきた三つのことですが、①国際的な核軍縮の進展に貢献した。②日本の核武装を阻止してきた。③は、被爆者を救援する活動を続けてきたことです。

続けて、岩垂さんは運動の「弱点」を四つ指摘しています。(i)分裂によって力が削がれた。(ii)被害者意識一辺倒に基づくものであった。(iii)日本が抱えている矛盾に鈍感なまま来てしまった。それは、「核の傘」の下で反核を叫んでいることである。(iv)核エネルギーの利用についての意見の違いから、運動が共同してできなかったこと、とまとめられます。

こうした総括を最も象徴的に表しているのが、1982年の第2回国連軍縮特別総会に日本のNGOが提出した核兵器完全禁止要請署名で、全部で8,000万筆にも及んだことでしょう。問題は、これが日本政府の核政策を根本的に変えさせる役割は果していないという事実ですし、②の核武装阻止も、事実として核武装はしていなくても、それを究極的目標として着々と実績を積んできた日本政府の最後の足掻きに、対抗できる種類の運動だったのかは別問題なのです。また、③の被爆者援護の活動も確かに立派なのですが、1980年に「基本懇」が政府の方針として打ち出した「受忍論」を撤回させるまでの力にはなっていないことも事実なのです。

つまり、これまでの運動は国際的にはそれなりの成果を挙げてきたが、日本政府の政策を根本的に変えるという方向性は持っていなかった、と言っても良いのではないかと思われるのです。

 

(B)国際的な貢献にしても、日本の運動が自ら目標を掲げて世界の同志に呼び掛けた結果として国際的な目標の達成につながったのではなかった。

ここで注意が必要です。「だから日本の平和運動は駄目なのだ」といった、評価の問題に摩り替えないで下さい。そんなことは言っていません。国際的な市民運動の全体像を見ると、それぞれの地域や歴史等の複雑な要素が絡み合って、役割分担が決ります。日本の役割分担には、このような目標設定や、計画立案が入っていなかったという事実を虚心坦懐に見詰めることが自分たちの力を知る上で大切だという点に留意して頂きたいのです。

1963年の部分核停条約、1970年のNPT、1996年の国際司法裁判所による勧告的意見、南半球がほぼ全て非核地帯条約を締結したこと等、日本の運動も重要な役割を果していますし、核兵器の非人道性を世界に広める上で、被爆者ならびに日本の運動の果たした役割は、他の国の運動では決して実行できなかったほど貴重です。しかし、国内でそれが日本政府の政策変更にまでつながったかというと、答は皆さん御存知の通りです。国際的にも国内でも、目標の設定とその実現のための作戦立案、そして実行というシナリオから、これまでの運動を見詰める必要もあるのではないでしょうか。

 

(C)原発についての考え方の違いが、運動も野党も分裂させている。

もう56年前になってしまいましたが、当時の原水禁運動が分裂した原因の一つがこの点でした。そのしこりは、今でも続いていますし、参議院選挙でも明らかになったことの一つは、野党共闘の障害の一つがこの点なのです。「自前の核保有」と、原発の存続は切り離せない絆で結ばれています。この絆が私たちの想像以上に強い可能性もあります。つまり、現在では、核兵器反対派の中に、原発賛成派も反対派もいるという状況から、原発賛成派が中心になって、原発賛成かつ核兵器反対というグループを原発賛成かつ核兵器賛成に宗旨替えさせてしまう可能性も考えなくてはならない時期に来ているのです。

核禁条約の署名・批准を日本政府に迫る上で、私たちの置かれている状況が厳しいことはこれでお分り頂けたとして、それではどうすれば良いのでしょうか。何事でもそうなのですが、問題を解決するためには、まず基本に戻る、数学の言葉では原点に戻ることから始めるのが「王道」なのです。そして「王道」が何であるのかは皆さん良く御存知のはずです。

[2019/8/21 イライザ]

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