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2019年7月18日 (木)

文学と平和を伝える寺長遠寺の被爆樹木と被爆石

今日は、一昨日の「本逕寺の被爆樹木」につづいて、同じ大手町3丁目10番にある「文学と平和を伝える寺 日蓮宗 無量山長遠寺」の被爆樹木の話です。「文学と平和を伝える寺」の意味は、ブログを最後まで読んでいただければ理解できると思います。

長遠寺もわが家からは直線距離で180m、歩いて3~4分という近いところにあります。毎日のようにお寺の前を通っていたのですが、訪ねるのは初めてでした。

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長遠寺には、被爆樹木のソテツがあります。境内の本堂に向かいあう場所に長崎歯科医院の建物がありますが、そこの壁面に沿う形で、二株のソテツが元気に育っています。写真を撮っている時、奥様(後で聞くと前住職の)が、出てこられたので、「移植されたようですが、被爆時はどこに植わっていたのですか」とお尋ねしたところ、「被爆時は、本堂の前に植わっていたのですが、本堂の建て替えや病院を建てるときに、現在の場所に移したんですよ」と丁寧に説明していただきました。そう話しながら、今出てきた家(本堂)に引き返し、被爆前の本堂が写った写真を手にして、再び出てきていただき、いろいろと話を伺うことができました。

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まず、被爆樹木であるソテツのことです。広島市の被爆樹木として登録されているのは、先に述べた二株ですが、境内の奥にはさらに二株のソテツが植わっています。これらのソテツも、広島市の被爆樹木としては登録されていませんが、被爆樹木だそうです。

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ところでこの長遠寺は、由緒ある大きなお寺だったようです。今年は、1619年に浅野家が広島城に入城して400年という節目の年です。お城を中心に、様々な行事が行われたり、中国新聞の文化欄には連載記事が掲載されたりしていますので、ご存知だと思います。

「長遠寺は、広島浅野家の初代藩主である浅野長晟(あさの ながあきら)公と、紀伊和歌山で親交があり、広島入城に際し、一緒に来広氏、現在の場所に1261坪もの広大な敷地を賜り、建立されたお寺です。」この情報は、見せていただいた資料からの転載です。1261坪といわれてもどれぐらいの広さか直ぐには想像できませんが、ずいぶん広かったことだけは、想像できます。現在は、戦後の区画整理によって寺域も小さくなったそうです。

さらにいろいろと尋ねていると、奥様が「ちょっと待ってくださいよ」と奥に引っ込まれ、ご主人(前住職で、歯科医院の院長)を呼んで一緒に出てこられました。前住職とは、さらに話が弾みました。玄関先での立ったままでの話でしたので、残念ながら話の中味をここで伝えることはできません。前住職には、改めてきちんと話を聞かせていただく約束をしましたので、その時このブログで詳しく紹介したいと思います。

ここでは、前住職の名前の由来だけ紹介しておきます。いただいた名刺には「長崎昭憲」と書かれています。「私が生まれたのは、昭和21年(1946年)11月3日です。ご存知ですよね、憲法が発布された日に生まれたのです。だから父が、昭憲と付けてくれたのです。父は日教組の活動家だったんです。」そして続いた言葉は「私が先に亡くなるか、憲法が先かと本当に危惧しています」。思いがけない話ばかりです。被爆樹木めぐりから、憲法の話にまで広がりました。前住職との話は、とりあえずここまでにします。

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話しが終わり、ふたたび境内をめぐりました。墓地の入り口左手には童話作家鈴木三重吉の墓があります。墓石に刻まれた「三重吉永眠の地・三重吉と渋の墓」という文字は、三重吉が生前に自書したものだそうです。前ご住職は、「鈴木三重吉『赤い鳥の会』会長」を務められており、会事務局も長遠寺に置かれています。

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左が修復前、右が修復後

右手を見ると、被爆した時大きく割れ、修復された碑もあります。この碑は広島藩の武家でありながら文化人だった「飯田篤老(いいだあつおい)」(1778~1826)の句が刻まれています。この日の修復前の姿は、広島市が被爆50周年に発行した「広島の被曝建造物はたかる」にも掲載されています。この碑以外にも、境内には原爆で壊れたと思われる墓石が、沢山修復された跡を残したっています。本堂には、被爆した鬼瓦がきちんと保存されているそうです。

今回の「文学と平和を伝える寺」長遠寺の被爆樹木めぐりは、思いがけず前ご住職夫妻のお話を伺うことができ、またまた新しい発見をする日となりました。

いのちとうとし

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