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2019年7月 3日 (水)

第38回反核平和の火リレー 今日スタート

広島県青年女性平和友好祭実行委員会が主催する第38回反核平和の火リレーが、「語り継ごう 走り継ごう ヒロシマの心を」のスローガンを掲げ、今日午前8時15分、平和公園慰霊碑前を出発します。県内をリレーされた「平和の火」は、県内全自治体を走り継ぎ、今月26日夕方に再び、平和公園慰霊碑前に到着する予定です。

この反核平和の火リレーは、1982年に行われた「3.21平和のためのヒロシマ行動」で開催された「若者の広場」の成果を引き継ぎ、8月に開催される原水禁世界大会を成功させるための青年・女性の行動として始まりました。世界から核兵器がすべてなくなった時に消されるといわれる平和公園原爆慰霊碑北側で燃え続ける「平和の灯」から採火された「平和の火」が、手作りのトーチに移され、青年、女性、被爆者、子どもたちなど多くの人々にリレーされ、県内全自治体をめぐります。

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昨年の出発の様子

今では、全自治体をつなぐリレーとなっていますが、82年の開始時点では、島しょ部にも沢山の自治体がありましたが、そこをつなぐだけの力がなく、本土側の自治体だけをリレーするコースでスタートしました。始まって4年ぐらい過ぎてから、ようやく全市町村をつなぐリレーへと成長しました。1982年当時の県内の自治体数は87でしたが、全市町村をつなぐようになった時の自治体数は、86になっていたと記憶しています。調べてみると86年3月に五日市町が広島市に合併していますので、全市町村を回ることになったのもやはりその年からだと思います。82年の開始時から毎年出発式に参加された森瀧市郎広島県被団協理事長が「みなさんの行動は必ず燎原の火のように広がっていきます」と激励されたことが思い出されます。森滝先生の予言通り、その後だんだんと広がりを見せ、コースが2000キロと伸びただけでなく、ランナーも1万人を超えるほどに成長し、沿道からの応援、被爆者の皆さんの支援など原水禁大会前の一大イベントとなりました。現在は、一般公募によるランナーの募集も行われていますので、もし参加を希望される方は、携帯080-9997-3587に連絡を入れてみてください。

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広島県被団協事務所・平和会館の玄関に張り出されたポスター

反核平和の火リレーは、市役所や町役場前でセレモニーを行いますが、その時各自治体へ「平和への取り組み」を求める要望書を手渡しています。開始当初の要望は、もちろん「核兵器廃絶」と「国家補償の被爆者援護法の制定」は欠かせない要望として提出しましが、自治体に求める具体的に要望としては「非核自治体宣言」の実施がありました。82年の時点で「非核自治体宣言」を行っていた自治体は、府中町だけでしたが、反核平和の火リレーが始まって最初に「非核自治体宣言」を行ったのは大崎町(現在は、合併して大崎上島町)でした。その後順次拡大していきました。これもこの運動の大きな成果の一つです。

今年は、①核廃絶と平和行政の推進、核兵器条約の批准②日本の原子力政策の転と脱原発社会の実現③「被爆者援護法」の国家補償法への改正と二世・賛成への保証体制の整備など(チラシから引用)を自治体に求め、走り継ぐことになっています。

昨年は、西日本豪雨災害との重なり、中止を余儀なくされた区間もあったようですが、今年はぜひ天候に恵まれ、無事に走り継ぐことができるよう祈らずにはいられません。

例年、反核平和の火リレー出発式の模様は翌日のブログに掲載してきましたが、今日は原水禁本部の学習会のため上京するため、残念ながら参加ができませんので、出発式当日の記事となりました。

また昨日のブログで今日掲載するとしていました「在米被爆者―私も被爆者協会設立に関わりました」のつづきは、明日掲載します。

いのちとうとし

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