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2019年7月23日 (火)

岡本三夫先生を偲んで

参議院選挙投票日の早朝、元日本平和学会長で広島修道大名誉教授の岡本三夫さんの訃報が届きました。享年、86歳でした。岡本先生の葬儀は、昨日午後1時から牛田教会で行われましたので、私も参列しました。ここ数年は、体調も悪く運動に参加されることはありませんでしたが、広島にとっては本当に大切な存在でした。

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岡本さんが、香川から広島に移動されたのは、「ヒロシマとの運命的出会いがあった」からだそうですが、1990年に広島に来られてからの活躍ぶりは、本当に精力的でした。1992年の「第9条の会ヒロシマ」や2001年の「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の立ち上げに参画され、いずれも世話人代表や共同代表を務め、いつも活動の中心として頑張ってこられました。広島修道大学を退職後の2007年に自身で設立された「岡本非暴力平和研究所」は、単に平和学の研究にとどまらず、活動家が集まり様々な運動を相談し計画する拠点としての役割を果たしてきました。まさにヒロシマの良心的活動の拠点でした。

昨日の葬儀に参列しながら先生との出会いをいろいろと思い浮かべました。その中でも私にとって最も忘れられない出来事は、2004年7月の参議院選挙を一緒に候補者として戦ったことです。この時の選挙は、護憲運動にとって、重要な選挙となっていました。2000年1月から衆・参の「憲法調査会」が活動を開始し、改憲への動きが始まり、護憲運動にとって正念場を迎えはじめた時期でした。そしてそれ以上に大きな政治課題となっていたのは、小泉政権の強行採決によって成立した「イラク特措法」によって、憲法違反の「自衛隊のイラク派兵」の第1陣が、2003年12月に派遣された直後だったからです。当然のように「こんな大事な時に実施される参議院選挙に『ヒロシマの心』を代表する候補者がいないのはおかしい」という意見が強まりました。しかし、なかなか誰からも快諾が得られない中で、最終的に岡本三夫先生が立候補を決断され、候補者を擁立することができたのです。岡本先生にとっては、青天の霹靂のような出来事だったと思いますが、候補者に決まってからは、本当に全力で戦っておられた姿を忘れることができません。実は、私は、この時の参議院選挙では比例選挙の候補者となっていましたので、広島では、岡本先生と一緒に集会に参加したり、演説したりするなど、いわば二人三脚の選挙戦を展開したのです。残念なら、二人とも厳しい選挙結果となったのですが、選挙後岡本先生の大学仲間の人たちが開かれた「ご苦労さん会」に私も同席させていただいきました。その場で、先生が何度も私の演説をほめ、参加された皆さん一生懸命話していただいたことが、選挙戦での出来事共に、忘れられない思い出です。

今回の参議院選挙、何とか改憲勢力の3分の2超えは阻止することができたのですが、もし岡本先生が元気だったら、この結果をどう評価されるのか聞いてみたい思いがします。「これぐらいで、安心てはだめだよ。もっともっと頑張らなければ」という声が聞こえてくるようです。

「運命的出会いの地」であるこの広島で、まさに「反核・平和運動」の推進役としての役割を果たしてこられた岡本三夫先生の意思をしっかりと引き継ぐことが、私たちの役割だと改めて強く決意を固めた昨日でした。

いのちとうとし

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