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2019年6月 5日 (水)

ヒロシマとベトナム(その1)

今月から「あかたつ」さんが執筆陣に加わりました。毎月5日にベトナムのことについて書いてくれます。今日は、その第1回です。

 

ベトナムとの最初の出逢いは1960年代の初め頃、家族と行った田舎劇場でベトナム戦争のニュース映画を見た時だったと思います。幼いながらも強烈な印象は無意識にもベトナム(戦争)への関心へとつながり、70年代初め労働組合運動(全電通)を通してベトナム反戦運動にも参加するようになり、1975年4月のサイゴン解放のニュースに感動したことを40数年経た今も鮮明に憶えています。

その後、ベトナムは私の意識から長く遠ざかっていましたが、1991年に初めてベトナムを訪問し、そこで再び衝撃的なベトナムとの出逢いがありました。ハノイを流れるホン川に架かるロンビエン橋は北爆に傷ついた姿をさらし、近郊には幾つもの大きなクレーターが残っていました。「(バイクの)洪水」は見られなかったものの、バイクが急速に普及しはじめ、活気と喧噪に溢れる街路で目に付いたのが、多くのストリートチルドレンと戦傷者の物乞いの姿でした。そして、枯葉剤被害児との出逢いでした。

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その時はじめて、ベトちゃん・ドクちゃんが決して特異な例でなく、結合性双生児のほか無脳症や手足の奇形、目などの感覚器官の奇形、繊毛症などの皮膚障害、口蓋裂・・・・。

猛毒ダイオキシンが世代を超え、あらゆる器官に影響を与えていることを知りました。米軍による最後の枯葉剤爆弾攻撃(1971年1月)から48年経た今なお、この枯れ葉剤被害は続いています。

ベトナムの人々は、日本軍のインドシナ侵攻とモミ種まで収奪する強引な現地挑発と飢饉が重なり200万にも及ぶ餓死者を出した悲惨な体験や、米軍の後方補給基地としてベトナム戦争に加担した日本であるにもかかわらず、親日的な人が多くいます。都会でも地方都市でも、山岳の少数民続村でも、大人も子どもも「ヒロシマ」を知っています。

 

人類史上初めて戦争による原子爆弾(核兵器)の被害を受けたヒロシマ、枯葉剤爆弾(オレンジエージェント)という科学兵器の被害を受けたベトナム。20世紀の象徴的な戦争被害を受けたヒロシマとベトナムの願いは共通しています。“ノーモアヒロシマ・ナガサキ”は“ノーモアベトナム”であり、「核も化学兵器もない平和な世界を」というものです。10年前、広島ベトナム平和(・・)友好協会(HVPF)を設立したときに、二国間交流団体としては異例とも言える「平和(・・)」を冠に付けた所以(ゆえん)もここにあります。

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ベトナム中部に広島県の約56%の面積に62万人余りが暮らすクアンチ省という「ベトナムで最も貧しい省」(日本の県にあたる)があり、2009年から交流を続けています。旧南北ベトナムの国境線(17度線)が引かれ、ベトナム戦争が最も激しく戦われた地域です。1972年5月~9月、民族解放戦線と北ベトナム軍兵士、住民が1万人余り犠牲になった「クアンチ古城」の81日間の戦いは、ベトナム戦争の帰趨を制し「パリ和平協定」、「米軍撤退」、そして75年の「サイゴン解放」へとつながりました。そのクンチ古城に佇む「慰霊塔」と「チュオンソン戦没者墓地」には線香や花束を手に参拝に訪れる人が絶えません。

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ベトナムの人々にとって「クアンチ」は、ベトナム戦争勝利と民族開放(統一)の象徴的なキーワードであり、単なる地域を表す固有名詞ではありません。

「ベトナムの『クアンチ』は、日本の『ヒロシマ』と同じで、平和を表すものです」とは、2008年に東広島を訪れたグエン・フー・ビン元駐日ベトナム大使(現越日友好協会副会長)の言葉です。ここから、私たちHVPFとクアンチ省との交流もスタートしました。

2019年6月5日 あかたつ

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