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2019年6月 3日 (月)

語りつごう 走り続けよう ヒロシマ・ナガサキの心を-第30回ヒロシマの旅

全国各地で続いている反核平和の火リレーを主催している平和友好祭実行委員会が、毎年この時期に実施している「ヒロシマの旅」が、30回目を迎えた今年も、5月31日から6月2日までの3日間開催されました。

今年は、全国から青年・女性50名(スタッフを含め)が参加し、資料館見学、講演「ヒロシマの旅30年を迎えての課題」、大久野島の見学、被爆証言を聞く、平和公園の碑めぐりなど、様々な企画に参加し、有意義な3日間をこの被爆地広島で過ごしました。

「ヒロシマの旅」が始まったのは、1982年に広島で始まった「反核平和の火リレー」が全国各地に広がる中で、「語りつごう 走り続けよう ヒロシマ・ナガサキの心を」というのであれば、反核平和運動の原点である「被爆の実相」をしっかりと学び、運動をより広げていこうということでスタートしたものです。ですから、毎年全国で原水禁大会や8月6日を前にして実施される反核平和の火リレーが出発する前の、この時期に実施されています。今年は、30回目の節目の開催ということで、当時この運動に関わっていた私に声がかかり、初日の講演を引く受けることになりました。

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2日目の大久野島の見学には参加することができませんでしたが、最終日の行事には私も参加しました。「被爆証言」は、12歳の時建物疎開の動員中に皆実町の元広島師範学校の校庭で被爆された平野貞雄さんの話。平野さんは、近所に住む豊永恵三郎さんに強く勧められて10年ぐらい前から証言を始められてそうです。平野さんのお話は「一瞬のうちに大やけどを負い、すぐ後に襲った物すごい爆風に吹き飛ばされた体験」とともにその後「ケロイドが残り」差別を受けながらの人生となった自らの被爆体験を語るとともに、むしろ愚かな戦争への道を突き進んだ当時に日本のあり様を厳しく批判されたのが特徴的でした。さらに、「核廃絶」を訴え続ける被爆者の声を無視する日本政府に対しても「許せない」と訴えかけるとともに、参加者に「核廃絶を訴え続けてほしい」と呼びかけ、平野さんの話は終わりました。参加者の感想の中でも「原爆被爆は勿論だが、戦争ということを本当に考えさせられるヒロシマの旅になった」という声が多くありました。ところで、その2時間後に豊永さんにお会いした時教えられたのですが、平野さんは、広島県被団協が呼びかけて2009年に発刊された「『空白の十年』被爆者の苦闘」にも貴重な体験を寄稿されています。私も自宅に帰ってすぐにこの本を探し出し、平野さんの手記を読みました。もし手元にあれば、ぜひ読んだほしいと思います。

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「ヒロシマの旅」参加者は、平野さんから証言を聞いた後、平和公園碑めぐりへと移動しました。3班に分かれた参加者への案内は、事前学習を積んだ地元広島実行委員会のメンバーが行いました。こうした企画は、広島の青年が学ぶ機会を作ることにもなっています。約1時間半余りの日程での碑めぐりでした。

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碑めぐり終了後は、慰霊碑前に全員が集合し、この「ヒロシマの旅」のもう一つの目的である「平和の灯」からの採火が行われました。この日採火された火は、全国の参加者がそれぞれ持参したカイロなどに移し、地元で実施する平和の火リレーの種火として持ち帰りました。「反核平和の火リレー」や「ヒロシマの旅」のスタートに関わったものの一人として、全国で若い人たちに運動が受け継がれていることに感謝するとともに、これからも継続してほしいと願わずにいられません。

いのちとうとし

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