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2019年5月

2019年5月31日 (金)

5月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)その2

安芸の郷はおもに知的、精神の障害のある方たちが日中働く場として森の工房みみずく、あやめ、やのの3つの事業所を運営しており、土日祝日を除く毎日100人ほどの利用者のみなさんが通所してくる。障害の程度に応じて生活介護、就労継続支援B型の2つの事業サービスを提供している。ここで働いて得た利益が工賃として利用者のみなさんに還元される。その労働対象のメインにブルーベリーがある。現在2つの建物の屋上と近隣の農家の借地でブルーベリーを栽培して食品加工していくシステムを作っているが、それだけではブルーベリーの実が足りないので東広島市豊栄町のこの農園と提携してブルーベリーを量的に確保している。

ブルーベリー農園の5月の後半は10連休もありどうにかブルーベリーの剪定が終わって一区切りがついたので3段になっているブルーベリーの畑の草刈りと施肥と防草シート貼りの作業に移行する。地面の野の花ともお別れとなる。

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5月18日(土)。一番下の畑の草刈り。

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5月18日(土)。 そして草刈り終了。今日はこれでおしまい。

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5月19日(日)。 肥料をまく。肥料は油粕。昨年は施肥しなかった。

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5月19日(日)。 昨日終わった草刈り後の畑に防草シートを張る。2枚重ねだ。終わっ広島市内に帰ったころに腰が痛くなる。帰ってすぐに夕食から寝るまで簡易のコルセットをぎゅっとまく。痛みが和らぐ。

ジャーマンアイリスが満開。畑の形も花もこちらは人の作った景色。

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5月19日(日)一段高い里山のふもとの小さい畑にジャーマンアイリスを植えている。今が満開。

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5月19日(日)。こちらは庭の花壇のジャーマンアイリス。名前は「ヘレン・コーリング・ウッド」。義父(故人)が40年以上も前に植えたもの。

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5月19日(日)。その隣の花壇のアヤメ。5月、6月はあやめ系の花が作業中の疲れを慰めてくれる。

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5月25日(土)。一番上の畑はまだ草を刈っていないので草が膝くらいまで伸びている。白い線は電気柵のワイヤ。シカは真夏にやってくる。

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5月29日(水)。安芸の郷の事業所、森の工房やの・生活介護くるみ班の白板。

一日の日課も掲示されるが、2つの白板には利用者が今日の給食メニューと今日のニュースを記入するスペースがある。ニュースは利用者のSさんが毎日書いているがこの日は優生保護法の判決を受けての白板掲示。仙台地裁の判決はこの法律の違憲と請求権なしの内容だったが、彼らも関心をもって見ている。

2019年5月31日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2019年5月30日 (木)

ちょっと気になる平和公園の風景

昨日につづき、平和公園に関わる話です。「平和公園遺跡保存確認調査」の作業の様子を見ようと平和公園を訪れた時、いくつかちょっと気になる風景に出会いました。

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最初は気づくのは、元安橋を渡るとき、どうしても間に付く景色です。人の流れをよく見ていると、平和公園を訪れる人の多くが、原爆ドームから平和公園へ移動するようです。そこで飛び込むのが、レストハウスの耐震・改修工事の様子です。フェンスで囲まれ、クレーンによる作業が行われています。昨年の12月17日に始まった工事は、来年の5月15日まで続くようです。ちなみにその期間表示は、西暦でした。さらに気になったのは、フェンス横の園道に止められた車です。一般の人は、とてもここまで車を入れることはできませんから、工事関係者の車だと思えます。資材の運搬などのため、車を入れることは必要でしょうが、作業が終われば駐車場に移動してほしいものです。

 

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原爆の子の像の前には、外国からの訪問者や修学旅行生と思える多くの人が訪れていました。気になるのはそこからの移動の様子です。見ていると、ほとんどの人が、平和公園の中を横切る車道を渡って慰霊碑の方へ移動します。何台かの車が通っていました。もちろん、設けられた横断歩道の前で、車が停車し移動を待っていますが、観光客が多く訪れる時間帯だけでも通行止めにできないだろうかと改めて感じました。改めてというのは、かつて元安橋の改修工事が行われた時(工事期間中は、当然通行止めとなっていた)、これを機会にこの道路を完成後も通行止めにしてほしいという運動を行ったことがあったからです。残念ながら、その時は実現しませんでしたが、平和公園を訪れる人たちが多くなっている今、安心して移動できるように時間を区切ってでも、平日も通行止めにすることを改めて検討してみてはどうでしょうか。

次に、「平和公園遺跡保存確認調査」の現場へ移動しました。もちろんのことですが、ここもフェンスで囲われています。7月中旬までの作業予定ですので、あまり長くはならないでしょう。そこから元安川方面に移動すると「園路をなおしています」という立て看板があります。ここは、6月30日までとなっていますのであとひと月で解除されます。この通行止めは、平和大橋のふもとまでの区間のようです。

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最後は、やはり「平和記念資料館本館」を取り囲むフェンスです。慰霊碑から見ても、どうしても違和感を感ずる風景です。2016年から始まった工事ですが、終わるのは平成31年7月31日(元号表示で書いたのは、ちょっと意地悪のようですが)と表示されています。今年の8月6日までには終了するようです。

もちろんいずれも、それぞれ大切な工事が行われていることは承知していますが、平和公園を訪れるのは1回限りという人がほとんどだと思います。計画的に工事期間を変えるなどして、いたるところでフェンスを見る平和公園の風景を工夫することはできないだろかと考えさせられる風景でした。

いのちとうとし

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2019年5月29日 (水)

旧中島地区被爆遺構確認調査始まる

広島市が、被爆75周年の公開を目標に進められている平和公園被爆遺構保存のための、確認調査が始まりました。

昨年12月には、試掘調査が行われ、深さ60cmほどのところから、側溝やアスファルト、建物の構造物とみられる石、焼けた木材などが見つかり、今年度から本格的な確認調査を実施することが決まっていました。

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市は昨年12月の試掘の結果とそれに基づく「平和記念公園における旧中島地区被爆遺構の展示整備に関する懇談会」での論議を踏まえ、今回の調査確認では、試掘調査を行った場所から少し北側に範囲を広げ、原爆資料館東館北側の峠三吉の碑東側一帯で行っています。

今月24日から作業が始まりましたが、この日は重機を使って、表土30cmぐらいをはぎ取る作業が行われました。私が、訪れた27日からは、手堀による作業が始まっていました。調査確認作業が行われる場所は、安全確保のため、フィエンスで囲われていますが、金網部分から作業の様子を見ることができました。

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広島県原水禁は、2016年に「平和記念資料館耐震工事」にために行われた作業によって「旧中島地区の遺構」が確認されたことを受け、いち早く同年5月に広島市長に「平和記念資料館下の遺跡保存」を求める要望書を提出しました。こうした要望を受ける形で、松井市長が「被爆75周年の事業として旧中島地区の被爆遺構を別の場所で保存する」ことを表明された経過があります。

私もこうした経過がありましたので、2017年4月に、被爆者やピースボランティア、旧中島町ゆかりの市民などによって結成された「平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会」(以下「保存を促進する会」という)の世話人の一人となり、深くこの問題に関わってきました。ですから、今回の確認調査の進行にも強い関心を持っています。

「こんな広い公園に原爆が落ちたのですね」という声を、先日も平和公園で耳にしました。しかし、旧中島地区は、原爆投下当時、広島で一、二を争う繁華街であり、多くの市民が当たり前の生活を営んでいる場所でした。ですから、旧中島地区被爆遺構を保存、展示するのであれば、そのことが実感できるような場所でなければ意味がありません。原爆資料館がリニューアルされ、入館者に強いメッセージを届けています。しかし、当然のことですが、資料館で展示されているものは、いずれもこの地から遠く離れた場所で被爆したものです。いま作業が進められている「被爆遺構」は、被爆したその場所で「被爆を実感」することができる展示物になりますので、原爆資料館の資料と連携し被爆の実相を伝える大きな役割を果たすことになります。。

今回始まった確認調査は、第1次として7月下旬までの予定で実施されることになっていますが、私たちが願う遺構が発掘されることを期待し、この作業を見守りたいと思います。そして、広島市には、今後の過程の中で、今まで以上に多くの市民の声を反映させ、市民とともに作業を進めることが強く求められています。

いのちとうとし

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2019年5月28日 (火)

アメリカ・臨界前核実験抗議の座り込み

アメリカが2月に行った「臨界前核実験」に抗議する座り込みが、核兵器廃絶広島平和連絡会議(連合広島、広島県原水禁など12団体で構成)の呼びかけで被爆者や被爆二世などを含む市民、労働者約80人が参加し、平和公園・慰霊碑前で27日の午後0時15分から実施されました。

私が、このアメリカの臨界前核実験実施のニュースを耳にしたのは、ちょうどトランプ大統領が大統領専用機に乗って日本に向かって飛行中の時間でした。唖然とする思いとともに強い憤りを覚えました。あまりにも挑戦的と思えてならないからです。しかも、実験が行われたという2月13日は、米朝首脳会談がベトナムで開催される直前です。北朝鮮に非核化を迫りながら、自らは例え爆発を伴わないとはいえ核実験を行っていたのですから、何おかいわんやです。

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アメリカはトランプ政権になって以降、「核兵器禁止条約」に賛成しないばかりか、INF(中距離核戦力)全廃条約からの離脱、核兵器役割を拡大をめざす「核態勢の見直し」を発表しより使いやすい小型核兵器開発、水上艦や潜水艦から発射する巡行ミサイル開発への言及など、広島の願いである「核兵器廃絶」と逆行する動きを強めています。今回の「臨界前核実験」実施も、そうした流れの一環と考えなければなりません。そして何よりも強調したいことは、「核実験」は常に使用が前提とされていることです。核兵器の使用が危惧される事態をアメリカ自身が招来しているとも言えます。

抗議の座り込みは、最後に広島県被団協の箕牧理事長代行が、「前回の核実験は、ICAMへのノーベル平和賞が授与されている時、そして今回は、米朝首脳会談の直前。核廃絶を願う私たちへの挑戦そのもの。アメリカのこの行動は絶対に許せない。ちょうどいま米日首脳会談が行われているのだから、安倍首相は、きちんと抗議すべきだ」とあいさつ、そして下記の抗議文をトランプ大統領に送付することを確認し、終了しました。

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臨界前核実験に対する抗議の申し入れ

貴国のローレンス・リバモア国立研究所は、2019年2月に、貴国がネバダ州の核施設で臨界前核実験を実施したことを明らかにしました。

今回の臨界前核実験は通算29回目にあたり、被爆地ヒロシマの「核兵器廃絶と世界の恒久平和」への思いを踏みにじる到底許せない行動であり強く抗議します。

貴国はこの実験について、貯蔵した核弾頭の安全性を向上させるため、プルトニウムのデータ取得を目的とした、包括的核実験禁止条約(CTBT)の対象外の実験と主張しています。また、エネルギー省の傘下にある国家核安全保障局(NNSA)は、今年2月、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)に搭載する低出力核弾頭の製造を開始したことを明らかにしており、いかなる理由があろうとも核兵器の実験、ましてや核兵器使用は絶対にあってはなりません。

くわえて、今回の実験は今年2月の2回目の米朝首脳会談の直前に行われており、トランプ政権として、北朝鮮に非核化を迫る一方、みずからは臨界前核実験を通じて核兵器の性能向上を進めていました。

これは、国際社会において許されざる行動であり、今回の貴国の行動は、「核兵器の廃絶と世界の恒久平和」実現を求める被爆地ヒロシマの声や国際世論に対する重大な挑戦であるといわざるを得ません。

私たちは「核兵器廃絶と世界の恒久平和」実現の願いを込めて、米国がCTBTや核兵器禁止条約を早期に批准し、臨界前核実験をはじめすべての核実験の中止や、核兵器のない世界の早期実現に向けた積極的な行動を求めます。

以 上

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核実験が行われるたびに抗議の意思を表す座り込みを続けてきました。私はいつも、原爆慰霊碑前で座り込むことは、いま自らが声をあげることのできない原爆犠牲者の思いをともにする行動だと考えています。今日もまた、そのことを感じながらの行動でした。

いのちとうとし

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2019年5月27日 (月)

大久野島を知っていますか?

竹原市の忠海港からフェリーで約15分の沖合にある周囲4キロメートルほどの小さな島ですが,野生のウサギとふれ合える国民休暇村として有名になっています。国民宿舎の他,海水浴場やテニスコート,サイクリングコースもあり,休日をゆっくり過ごすには最高の場所です。

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ご存知の方も多いとは思いますが,大久野島には,1929年から1945年の敗戦まで旧陸軍の化学兵器工場が置かれていました。化学兵器とは,いわゆる毒ガスのことです。そもそも,化学物質が兵器として実戦で大量に使用されたのは,第1次世界大戦が最初です。

大戦前から大戦後まで一貫して国際条約では化学兵器の使用を禁じてきました。日本も毒ガスの使用については,禁止すべきであるとの立場で積極的に発言をしていましたが,一方で秘密裏に化学兵器の研究を始めました。ところが,関東大震災をきっかけに,極めて危険な毒ガス工場は,首都から離れた地方に置く方がよいと考えられたのでしょう。毒ガス工場建設の候補地は地方に求められ,その中でも,瀬戸内海の沖にある小さな島が選ばれました。こうして1929年,大久野島に工場がつくられ,以降,毒ガス等の製造に関わる施設を島全体に拡大していき,全国でも唯一の毒ガスの製造拠点になりました。

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今でも,島のあちらこちらで毒ガス工場が置かれていた頃の施設や貯蔵庫の跡が残っており,それらを見て回ることができます。また,島の中には,「毒ガス資料館」があり,毒ガス製造器具の一部や工員が使っていた物の他,毒ガス製造に関するパネルや資料等が展示されています。

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大久野島で製造された毒ガスが,実際に中国大陸へ送られ,戦闘で使用されたことは,旧陸軍が作成した「化学戦例証集」により明らかになっています。例えば,河北省の北坦村では村全体を包囲して毒ガス攻撃が行われ,中国側の調査では800人以上の被害者があったとされています。また,敗戦時に旧日本軍が現地で遺棄した毒ガスが,戦後の開発の中で地中や川の中から掘り出された際に被害を与えている事件も少なくありません。こういった事実は,ほとんど知られていないのではないでしょうか。

戦争加害の実態は,戦後も語られることは多くありません。だからこそ,自分から事実を知ろうとすることが大事だと思います。また,島を訪れてみたくなりました。

(森﨑 賢司)

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2019年5月26日 (日)

示そう 辺野古NO!の民意を 5・23全国総行動

昨日(25日)、「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」の呼びかけに応え広島でも「示そう 辺野古NO!の民意を 5・23全国総行動」に連帯した街頭行動が、午前11時から本通り電停前で取り組まれました。東京では、国会包囲行動が行われました。

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2月に実施された辺野古の埋め立ての賛否を問う沖縄県民投票では、72%の県民の反対の意思が表明されました。そして4月21日投票の沖縄3区衆議院議員補欠選挙でも、基地建設反対の野党統一候補が圧勝しました。「辺野古基地建設反対」の民意は、明確です。にもかかわらず、安倍政権は、沖縄県民の声を無視し、辺野古への土砂投入・工事を強行し続けています。民主主義・地方自治の根幹がないがしろにされています。

「歌声9条の会」のコーラスによるアピールで始まった昨日の街頭行動は、ヒロシマ総がかり行動実行委員会のメンバーによる訴えとチラシ配布、そして「西日本からの土砂搬出計画の撤回」「辺野古新基地建設の土砂投入の中止」を求める署名を呼びかけました。

私もマイクを握って、次のことを強調しながら10分ほど訴えました。

1、県民投票、衆議院補欠選挙で示された沖縄県民の民意を無視し、「辺野古の埋め立て」を強行する安倍政権の政治姿勢は、民主主義そのものを否定するもので、決して許されるものではない。

2、しかし、その政治姿勢を許しているのは、沖縄県外の声があまりにも弱すぎる結果でもある。戦後平和運動の中では「広島、長崎、沖縄」がひとつの言葉として強調されてきた。今そのことを思い起こし、この広島からもっと大きなうねりを作り、沖縄と連帯しなければならない。そして民主主義をもう一度私たちの手に取り戻すためにも、声をあげよう。

3、住民の声が無視される政治を許してしまうことが、身近で起きている岩国基地の爆音問題をも許してしまう結果になっている。

4、政府は、常に「国の安全保障のため」と称し、「計画は変えられない」と主張する。私たち広島が求める「核兵器禁止条約」への署名、批准に対しても、同じように「安全保障上」といって、私たちの声を拒否し続けている。本来「国民の生命や財産を守る」ためにあるべき「安全保障」によって、国民に犠牲を強いることは本末転倒であり絶対に許されない。

5、ちょうど、自らの国を民主主義国家だする米国トランプ大統領が国賓として来日しているが、そこで行われる首脳会談では、沖縄の民意を届け、民意を尊重し、改めて沖縄の基地負担軽減のための計画を模索するようトランプ大統領に伝えることこそが安倍首相が果たすべき役割だ。

そして最後に呼び掛けたことは、「まずビラを受け取って、沖縄の問題を一緒に考えてください」ということでした。

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今回の行動は、毎月3日に同じ場所で行っている「戦争させない・9条壊すな」の街頭行動に比べ、署名への協力も多く、市民の皆さんの反応が良かったように感じました。(参加者の一様な声)

この行動は、44名が参加し、ちょうど1時間で終了しました。沖縄・辺野古基地建設反対運動は、決してあきらめることのできない運動です。

ところで、この原稿を書いている時、アメリカが2月に行った「臨界前核実験」のニュースが届きました。安倍さん、トランプさんに強く抗議してくださいよ。

いのちとうとし

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2019年5月25日 (土)

上関原発の海の埋立て免許延長申請を止めさせよう

 広島市民にとっても大切な場所である広島市平和記念公園、平和大通りの北側の噴水があるところから、西側の本川と東側の元安川の間、そして北側は相生橋までの部分と、原爆ドームや動員学徒の碑がある場所を指します。

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 この総面積をご存知でしょうか。広島市のホームページを見ると、12万2100平方メートルと書いてあります。数字を見ただけでは、その大きさについてすぐに理解ができませんね。しかし歩いてみると、とても広く感じる公園ではないでしょうか。

 さて、中国電力が山口県上関町に建設しようとしている上関原発、ここは海の埋立てをしなければ建設できない原発です。その埋立て総面積は約14万平方メートルとされています。

 上関原発の埋立て面積の方が、平和公園の面積よりも約2万平方メートルほど広いのです。ちなみにマツダスタジアムのグランド面積は、約1万2千平方メートルですから、平和公園とマツダスタジアムのグランド面積をプラスしても、上関原発の埋立て面積の方が広いのです。

 こうやって比較してみて、上関原発のために埋立て面積がいかに広いかをリアルに実感できます。

この7月6日に、上関原発の埋立て免許の期限が切れることになっています。

中国電力が、最初に埋立て免許の申請を行ったのは2008年6月のことです。埋立て免許の判断権限を持っているのは山口県です。当時の知事は二井関成(にい せきなり)さんでした。同じ年の10月22日に知事は、埋立て免許を許可しました。しかし許可にあたって、「上関町と祝島の心情を考えると喜んで交付するものではない」とも話し、やむを得ない判断である考えを示しました。

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上:中国電力本社 下:山口県庁(手前が旧庁舎、後ろが新庁舎)

免許では1年以内に埋立て工事に着手し。着手からを3年以内に工事が竣工(完了)するようにとの条件を付けました。竣工期限である2012年10月までの間に、東京電力福島第一原発事故が発生したのです。この事故も大きく影響しましたが、上関原発の埋立て工事はまったく出来ませんでした。

しかし中国電力は2012年10月5日、免許の延長申請をしました。その後3年に亘り、山口県と中国電力との間では、山口県からの補足説明要求、それに対する中国電力の回答という、まさに「愚問愚答」を7回も繰り返してきました。

この「愚問愚答」やり取りの中身は、当初まったく明らかにされませんでした。しかし2016年8月3日、村岡嗣政(むらおか つくまさ)現・山口県知事は埋め立て免許の延長を許可ました。しかし同時に「発電所本体の着工時期の見通しがつくまで埋立て工事をしないよう」と中国電力に要請、中国電力もそれを受け入ました。もちろん、現在に至るも上関原発の埋立て工事は実施出来ない状況となっています

最初の埋立て免許を許可した二井(元)知事ですら、今では「福島原発事故で安全確保の大前提が崩れた」と述べ、また「地元の意見も聞かず手続きを進めるのなら、原発事故の教訓が生かされていないことになる」と懸念を示しています。

最初に免許が交付された2008年から、あまりにも時間が経過しすぎている中で、原発を取り巻く環境も大きく変化してきています。この際は、中国電力は延長申請を行わず、埋立て免許をいったん失効させ、白紙に戻すことではないでしょうか。あり得ないことではありますが、世論が上関原発を必要とする時が来た時点で、その時に改めて申請すれば良いことではないでしょうか。  

 修学旅行生への碑めぐり案内で平和公園を歩きながら、上関原発で如何に広大な海を埋立てようとしているのかを、改めて実感しました。

木原省治

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2019年5月24日 (金)

爆心地から950m 斜屋町-どこだかわかりますか 原爆資料館見学のつづき

今日は、原爆資料館の展示で気づいたことについて書きたいと思います。

最初に気になったのは、展示物につけられた説明文です。

「爆心地から950m 斜屋町」 「倒壊をまぬがれた煙突」の説明文に書かれている被爆位置です。「斜屋町」がどこだかわかりますか。私も50年近く広島に住んでいますが、今回初めて聞いた町名ですし、読み方もわかりません。調べてみると「ちぎやちょう」と読むようです。そしてどこにあったかといえば、現在の胡町、堀川町あたりのようです。

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「斜屋町」と表示されていても、そこがどこかわかる人はほとんどいないと思います。「材木町」「鷹匠町(たかじょう)」などなど、次々と旧町名が現れます。「被爆当時の町名」が表示されていると思いますが、例えば( )書きで現在の町名を入れれば少しはわかり易くなると思います。原爆資料館で話を聞いた女子高生に「材木町ってどこか知っていますか」と尋ねてみました。当然のことですが「???」です。「この資料館が建っているところが、材木町だったんだよ」と言ったら、びっくりした顔。もちろん町名で示すことも大事なことですが、全国、いや世界から多くの人が訪れる原爆資料館ですから、町名だけで(もちろん爆心地からの距離は記載されているが)は、そこが、爆心地から、もしくは原爆ドームから見てどんな方向に、どれぐらい離れた場所かを想像することは、ちょっと難しいように思います。私の提案ですが、もちろんスペースの問題もありますので、大きさも考えなければなりませんが、ぜひ小さくてもよいですので、地図を入れて表示したらよいと思います。そんなことを思いながら移動していたら地図を表示した展示物がありました。

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住友銀行広島支店入り口の「人影の石」の説明文です。これを見れば、「人影の石」がどこで被爆したのか、爆心地から、そして現在の資料館との位置関係などが明確になります。今回のリニューアルで、爆心地からの距離を表示した同心円を示す展示がなかったように思います。爆心地からの距離が書かれていても、なかなかその距離感は実感できませんから、地図があるとよいと思います。

次に気になったことは、東館3階の「核兵器の危険性」のコーナーの中の「核兵器の拡散」と「世界の核弾頭数」のパネルに書かれた説明文です。いずれも、北朝鮮の核兵器保有についての分量が多いことです。「核兵器の拡散」のパネルでは、8行中3行半が北朝鮮のことですが、イスラエルの名前も、米・露以外のイギリスも、フランスも中国の国名も出てきません。

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「世界の核弾頭数」に至っては、7行中4行が、北朝鮮に関する説明です。この説明とセットとなっている左隣のデジタル映像では、1945年以降の世界の核保有量の移り変わりが表示され、最終的には2017年の世界の核保有量がわかりますが、「世界の核弾頭数」で一番強調しなければならないことは、世界が何度も破壊されるほどの13800発(掲示されたもの)をも保有する米・露の問題ではないでしょうか。パネルの説明文には、そのことは全く触れられず、具体的な数字が出ているのは北朝鮮だけです。もちろん、北朝鮮の核保有は大きな問題です。「現在のこと」に限ってとしても、これではあまりにも偏った説明と言わざるを得ません。

あと一つは、同じ東館の2階「広島の歩み」の最後の方にある「海外に暮らす被爆者」のパネルに記載された説明文ですが、このことはリニューアル前の展示ですでに資料館には問題提起をし、「少し時間をください。」という回答を得ていますので、ここでは省略します。

こんなことを考えながらの原爆資料館見学でした。修学旅行生など沢山の参観者があり、なかなかゆっくりとみることはできませんが、ぜひ早めに訪問してみてください。

いのちとうとし

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2019年5月23日 (木)

感性に訴える展示になったように思います・・・リニューアル後の原爆資料館

「感性に訴える展示になったように思います」。原爆資料館東館の出口付近で、横浜から修学旅行の高校生(クリスチャン系の中高一貫校)を引率してこられた先生にお聞きをした感想です。実は、本館の展示を見終え、東館に移動する途中で出会った女子高校生に感想を聞きました。一言「ただびっくりしました。」。次に「これからどこに行くのですか」と聞いたところ「奈良に行きます。そして京都です。」「広島には昨日来て、碑めぐりや被爆証言を聞きました。資料館見学を終えて、奈良に移動です。」という返事。ちょっとびっくりしました。

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関西がメインのように思える修学旅行の初日から二日目が広島訪問だったのですから。「関西中心の修学旅行になぜ広島が入っているのかな」とその訳が知りたいなという思いを持ったまま、子どもたちとは別れました。そんな出会いがあったもので、資料館出口でお会いした先生に、その理由を尋ねてみたのです。先生の説明は明快でした。「平和学習をしっかりやらないといけないと思っています。私たちの学校では、中学生の修学旅行は福島に行きます。そして高校生は、広島です。ここ10年ぐらい続いています。」。自信を持った答えでした。しかし残念だったのはその後につづいた「実は、広島を訪れるのは今年が最後です。」の言葉です。無理と承知をしながら「来年は、被爆75周年の節目の年です。できれば来年まで続けてほしいですね。」とつい言ってしましました。ただその後の先生の説明によれば、「関心の強い生徒は、YWCAが毎年行っている『ヒロシマを考える旅』に参加していますよ」とのことでした。たくさんの修学旅行生が広島を訪れていますが、様々な背景を持ちながらの訪問なんだと改めて感じました。

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資料館見学の私の感想が遅くなりました。リニューアル後初めての見学でしたが、一番の印象は、「被害者の顔が見える展示になったな」ということです。このブログで4月25日に掲載した「広島平和記念資料館 本館展示リニューアル内覧会に参加して(その1)」でこういちろうさんが指摘されていることに全く同感ですので、その部分を再掲させていただきます。

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人を強く意識させる展示になっている。

今回の展示のリニューアルでは傷ついた人々、亡くなった人々の遺品がより多く展示され、それにまつわるストーリーも添えられて、原爆による都市の物理的な破壊はもちろんのこと、そこに暮らす人々が被害を受けたということがより強く訴えられているように感じました。広島の原爆被害については「ただ一発の原爆により、広島の街は壊滅し、居合わせた人35万人のうち、年末までに約14万人が亡くなった」と説明されます。私は被爆者と交わり、体験記を読む中で、35万人あるいは14万人を数字としてではなく一人一人の存在の積み重ねとしてみるようになっていきました。さらには亡くなった方々それぞれには悲しみに暮れる遺族がいたことにも思いが巡っていきます。以前の資料館の展示でも、学徒の遺品に向き合うと、亡くなった将来ある子の無念や子を失った親の悲嘆に思いが巡り、さらには我が子がこのような目に遭ったらと重ね合わせて考えるといたたまれなくもなったものでした。

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だからでしょうか、説明板の文字も小さくなっています。解説を読むよりも、じっと向き合って一人一人が、それぞれの思いで感じてほしいということなのでしょう。そのことが、以前の展示を何度も見たことのある先生の「感性に訴える展示」という言葉になったと思います。

しかし、いくつかこんなことも工夫したほうが良いのでは?とか、ここは少し修正してほしいなということも目につきましたので、あすのブログに書いてみたいと思います。

いのちとうとし

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2019年5月22日 (水)

あの騒ぎは何だったのか

4月27日から始まった「10連休」。天皇の即位の日である5月1日とその前後も休日にすることで、かつてない大型連休となりました。

連休中、メディアでは、天皇の退位・即位と新元号の施行が大々的に報じられ、「ありがとう平成」「令和初の○○」といった言葉があふれていました。世の中がお祭りムードとなる中、近畿地方のある駅では、ある飲料メーカーの商品をもって写真を撮影し、それをSNSに投稿する人もたくさんいたようです。

その10連休も終わり、あの騒ぎは何だったのだろうかと考えてみました。

4月1日の新元号の発表以降、安倍政権はことさらに「祝意ムード」を掻き立てることによって、前国土交通副大臣が「忖度」発言で辞任したことへの影響を最小限にし、7月の参議院議員選挙に臨もうとする意図があるとしか思えません。政権にとって不都合なことに関心をもたせないようにし、悲願である「憲法改正」に突き進んでいくつもりなのでしょう。

5月3日、私はアステールプラザ大ホールで行われた「許すな!安倍改憲発議 2019平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ集会」に参加し、TBSニュースキャスターの金平茂紀さんの講演を聞きました。

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その中で特に印象に残ったのが、TBSニュース23のキャスターであった筑紫哲也さんの最後の「多事総論」を紹介されながら、メディアの役割(知る権利への奉仕・議題設定・権力の監視・少数者の視点・多様な意見の確保)を話されたところです。

「安倍一強政治」のもとで、メディアが本来果たすべき監視機能が失われてきていると言われますが、それに抗い、踏ん張って伝えていこうとする人たちもいるのだということを改めて知りました。そして、政権にとって不都合なこともしっかりと監視し、来たる参議院議員選挙では安倍政権にNOを突き付けたいと思います。

(まるちゃん)

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2019年5月21日 (火)

子どもの権利条例があったら (2) ――憲法は子どもの権利も守っています――

野田市の少女虐待死事件のような悲惨な出来事を繰り返させないために何ができるのかを、憲法・子どもの権利条約・子どもの権利条例といった視点から3回に分けて考えていますが、その2回目です。前回は、憲法が子どもも守っていることを強調しました。

 《子どもの権利条約》

憲法の重要性を強調するだけではなく、現実社会では、憲法の目的が現実のものになるよう、法律や条約が作られ、そして自治体レベルでは条例も作られ、それらの結果として社会が動くような手順が必要です。こうした手順の一つが子どもの権利条約ですし、全国的に頑張っている自治体が制定している子どもの権利条例です。

子どもの権利条約は1989年に国連で採択され、1990年9月2日に発効した条約ですが、日本は1990年9月21日に世界各国の内109番目で署名、1994年4月22日、158番目の批准国になりました。さらに、現在196カ国が批准していますが、アメリカは、署名はしたものの、唯一批准していない国です。

条約の内容は大変しっかりしています。それは、子どもたちを中心に据えた論理的かつ現実的にも強固な枠組みが用意されていたからです。条約の内容については御存知の方も多いとは思いますが、ユニセフのホームページを引用して、簡単にお浚いをしておきたいと思います。

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「子どもの権利条約」は子ども(18歳未満)を、権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同じく、ひとりの人間としてもっている権利を認めています。さらに、おとなへと成長する途中にあり、弱い立場にある子どもたちには保護や配慮が必要な面もあるため、子どもならではの権利も定めています。

 

「子どもの権利条約」には、次の4つの原則があります。

  ① 命を守られ成長できること――すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活  への支援などを受けることが保障されます。

  ② 子どもにとって最もよいこと――子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。

  ③ 意見を表明し参加できること――子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。

  ④ 差別のないこと――すべての子どもは、子ども自身や親の人種、性別、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。

より具体的には、次の4つの権利を守ることがこの条約の主目的です。

   A) 生きる権利――すべての子どもの命が守られること

   B) 育つ権利――もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療や教育、生活への支援などを受け、友達と遊んだりすること

  C) 守られる権利――暴力や搾取、有害な労働などから守られること

  D) 参加する権利――自由に意見を表したり、団体を作ったりできること

概要はお分り頂けたと思いますが、今回の事件に特に深く関わっている条文を二つ引用しておきましょう。

   第19条――虐待などからの保護  親(保護者)が子どもを育てている間、どんなかたちであれ、子どもが暴力をふるわれたり、不当な扱いなどを受けたりすることがないように、国は子どもを守らなければなりません。

   第12条――意見を表す権利  子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません。

  こうした規定に従って、例えば虐待されている子どもたちを守るための施策が展開されるべきなのですが、残念なことに日本政府の姿勢は大変後ろ向きです。その証拠が、国連の子ども委員会による日本における施策の総合的な評価に現れています。[以下、6月1日に続きます]

[2019/5/21 イライザ]

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2019年5月20日 (月)

朝鮮学校の子どもたちの笑顔を取り戻そうー無償化裁判支援街頭行動

6月の「朝鮮学校無償化裁判支援街頭行動」が、昨日広島駅前南口で行われました。この行動は、毎月19日の午後5時からの1時間、広島県庁前と広島市役所前で行われていますが、今月は日曜日ということで、場所と時間を変更し、午前11時からの1時間、広島駅前での行動となりました。今月は、一か所での取り組みとなったため、朝鮮学校の生徒や教職員、さらには保護者の皆さんをはじめ、支援行動を続ける日本の団体からも多くの参加があり、約100名での盛り上がった行動となりました。

高校無償化制度は、正式には「高校授業料無償化・就学支援金支給制度」(公立高等学校などの授業料を無償化し、また私立高等学校などに就学支援金を支給して授業料を低減することを目的とした制度で、外国人学校や各種学校なども対象となっている)として2010年度から開始されました。しかしその適用対象から唯一外されているのが、朝鮮学校に通う子どもたちです。

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朝鮮学校無償化裁判は、これを不当として朝鮮学校や元生徒たちが、その取り消しと慰謝料を求めて起こした裁判です。残念ながら2017年7月19日の広島地裁での判決では、訴えが認められず原告敗訴となり、現在広島高裁での審理が行われています。広島地裁での不当判決を許さず、控訴審での勝利をめざして始まったのが、毎月の「19日行動」です。

今日の行動も、朝鮮学園の生徒や卒業生たちが、マイクを握り、自分たちの思いを伝えるとともに、ビラを配布しながら署名への協力を訴えました。

若い人の署名もありました。外国人の署名もありました。もちろんビラの受け取らない人も多く見受けられました。ただいつもの場所と違った効果があり、少し関心を持つ人も多かったように思います。

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参加者の一人はこう言っています。「これまでの行動と比べて、通行人の反応が良く、これまででとは違う雰囲気を感じます。」と。

高校無償化が始まってすでに9年目を迎えますが、朝鮮学校だけが差別的にその対象から除外されていることは忘れられようとしている、というよりその当時から知らなかったといった方が良いかもしれません。こうした行動を通じて、一人でも多くの市民にその事実を知ってもらうことが行動の大きな狙いです。

考えなければならないことは、このような政治による差別が、結果としていま社会に広がる民族差別の意識を助長していることを政治家はもっと深刻に受け止めるべきだということです。

朝鮮民主主義人民共和国の金正恩委員長と周辺国の首脳との会談が相次ぐ中で、安倍首相は最近急に態度を変え、「無条件で金委員長と会談する用意がある」と発言しています。もちろん会談が実現することに異論をはさむつもりはありませんが、こうした民族差別政策を放置したままでは、会談が実現したとしても、その成果を期待することはで来ません。もし本気で会談を実現したいというのであれば、この朝鮮学園無償化問題を解決するのは当然のことではないでしょうか。

なお朝鮮学校無償化裁判控訴審の第6回公判は、7月23日(火)午後2時から、広島高裁で行われます。ぜひ裁判傍聴に参加してください。

いのととうとし

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2019年5月19日 (日)

橋の親柱に刻まれた名称表示の不思議

昨日(5月18日)、電電公社、NTTの退職者組織・電友会の高陽支部の総会が開催されました。毎年のことですが、総会では記念講演や手品などの行事が入っています。今年は、「知っているようで知らない広島」と題して地元在住の地域歴史研究家Hさんの講演がありました。届いた総会案内の中にこの講演があることが記されていましたので、ぜひ聞いてみたいとの思いから2年ぶりに参加しました。総会の次第が少し長引いたため、講演の時間はわずかに40分余りと短くなってしまいましたが、古い安佐大橋や矢口渡し(安佐大橋がかかる前)の写真、高陽町南部に点在する中小田などの古墳群、宇品線敷設の経緯と周辺の軍事関連施設などなど、次々と話題が展開しました。その中で私の関心をひいたのが、京橋川にかけられた京橋の親柱の橋名表示のことでした。Hさんいわく「京橋の名前は、京都に向かう最初の橋だからこの名前が付けられています。」、続けて「橋の親柱には、漢字とひらがなで橋の名が書かれています。東側には『京橋』と漢字表示、西側(お城側)は、『きょうはし』とひらがなで書かれています。」

さらにその理由を「京での学問をめざして渡る西側は平仮名、学問を積んで帰った時は読めるようになっているので東側は漢字」との解説。半信半疑ながら、面白い表現だなと感心ひとしきり。

総会も終わり中深川駅からJR芸備線で、広島駅に帰着。先ほどの話を確認しようと思い、まず駅に近い猿猴橋の親柱を確認。

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最近架け替えられましたが、確かに東側の向かって右側(上流側)の親柱の名前は、漢字表記の「猿猴橋」です。橋を渡って西側に回ると同じ橋向かって右側(下流側)の親橋の名前は、ひらがなで表記の「えんこうはし」です。なるほどなるほどと納得。次にいよいよ京橋へ移動。着いてみればびっくり。Hさんの説明とは真反対。

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前に照明灯の柱があって見難いのですが、東側の親柱は、ひらがなで「きょうはし」と書かれているではありませんか。すぐに反対側(お城側)に移動してみると、こちらは漢字で「京橋」と書かれています。???・・・私の聞き間違いなのでしょうか。猿猴橋と京橋では、全く逆になっていました。どちらも西国街道にかかった橋です。誰かこの疑問を解明してくれる人はいませんか。

どうにも納得がいかず、ついでに同じ西国街道にかかる元安橋を見てみることにしました。ところが元安橋は、猿猴橋とも京橋とも違っています。

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西側も東側も、向かって左の親柱には、ひらがなで「もとやすはし」、右側の親柱には漢字で「元安橋」と書かれており、左右の親柱とも橋の名前が、しかもそれぞれ漢字とひらがなで書かれています。猿猴橋と京橋は、橋の名前が書かれているのは右側の親柱一本のみ。左側は、橋を架けた年月日が書かれています。この違いにもびっくりです。

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さらに帰り道、万代橋に立ち寄ってみました。こちらは、橋を架け変えた時、親柱の表示も一新されて、左右とも漢字表記。ただ橋のたもと(東側も西側も)に、古い橋の親柱が記念のモニュメントとして残されています。このモニュメントでは、左が漢字、右がひらがな表記となっています。ちょっと不思議な橋の親柱の名称表示でした。

いのちとうとし

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2019年5月18日 (土)

ブラジル平和記念碑と原爆犠牲新聞労働者の碑

被爆樹木シダレヤナギのことを尋ねるため広島市平和推進課(平和公園の国際会議所の建物にある)を訪れた帰り道、広島市文化交流会館の北西部(本川の左岸緑地)に建立された二つの碑をめぐりました。

ここを訪れるきっかけは、先日ある講演会後に開催された懇親会で同席した中国新聞OBの方から「原爆犠牲新聞労働者の碑」の建立経過などを聞いたことでした。

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前にも何回か訪れた記憶がありましたが、久しぶりの訪問でした。その話の中で、私が一番関心をもったことは、なぜあの地が選ばれてかということです。当初は、中国新聞本社の敷地内ということも検討されたようですが、なかなか会社の了解が得られず、他の場所をということで、当時の建設省に相談したところ、現在の場所ならOKだとの返答があったようです。というような経過があって決まった場所ですが、新聞労働者にとってはふさわしい場所だったようです。被爆当時の状況を調べてみると、戦争末期、職場や地域ごとに国民義勇隊が編成されていたのですが、中国新聞社にも「中国新聞社国民義勇隊」が作られていました。この「国民義勇隊」には、広島にあった他の新聞、通信社の人たちも編入されていたそうですが、原爆投下のあの日は、約40人が広島県庁の建物疎開作業に動員され、全員が死亡死しています。当時の広島県庁は、水主町(現在の中区加古町)にあったのですから、まさに広島市文化交流会館付近が、「国民義勇隊」の作業場所だったということになります。ですから、建立地はいろいろ検討されたようですが、結果としては最もふさわしい場所に建立されたということになったようです。実は、私が関心を持ったのは、もちろん当時多くの地域や職場に「国民義勇隊」が編成されていましたが、「まさかマスコミ関係者までも組織されていたとは」ということです。中国新聞労働組合の調査によると「国民義勇隊」を含め、あの日、広島の新聞、通信社で働いていた人で原爆の犠牲になった人は126人だそうです。またこの碑は、被爆40周年の1985年8月6日に建立されていますが、原爆で犠牲となった人たちを追悼するとともに、2度と戦争のためにペンを、カメラを取らない、輪転機を回さないとの「不戦の誓い」を込めた「不戦の碑」としても建立されました。

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ですから、碑は「ピース」「プレス」の頭文字「P」が、抽象化されてデザインされたようです。と知ったように書いていますが、これらの情報はすべて帰宅後、本棚から見つけ出した中国新聞労働組合が1988年に発行した「『消えたペン』新聞労働者の8月6日」を読んで知ったことです。

ところで、ここを訪れてもう一つよかったことがあります。この碑の数メートル横に在ブラジル原爆被爆者協会(現在は、「ブラジル被爆者平和協会」と名称を変更)などブラジル在住の4団体によって1990年3月に建立された「ブラジル平和記念碑」があるからです。

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この碑は、ブラジルの国土を型どった黒御影石で作られ、真ん中に大きく「祈平和BRASIL」の文字が刻み込まれています。この碑の前に立つと、95歳の高齢となってなお反核平和運動に力を尽くしておられるブラジル被爆者協会の森田隆会長の姿が思い起こされます。ところでこの碑のことを調べていて一つ残念なことがありました。広島市が作成している「原爆関係の慰霊碑等の概要」にこの「ブラジル平和祈念碑」が記載されていないことです。広島市には連絡しましたので、一日でも早く掲載されることを期待しています。

この二つの碑は、平和公園から少し離れた場所に建っているため、訪れる人はまばらですが、ぜひ一同は訪ねてほしい場所です。

いのちとうとし

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2019年5月17日 (金)

被爆シダレヤナギはどっち?―ようやく確認できました

5月8日のブログに掲載しました「被爆シダレヤナギは、どっちかな?」の続きです。あれ以来気になっていたものですから、広島市の担当課である平和推進課を訪ねて確認しました。結論は、私が最初に「この木だな」と思ったシダレヤナギが、やはり被爆樹木でした。そもそも私が、確信が持てなかった根拠は広島市のホームページに載っている写真と「高さ5メートルほどのシダレヤナギが立っています。被爆前は近所の子どもたちがセミを捕るためにこのシダレヤナギに登っていたそうです。」という解説です。

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広島市の被爆リストに掲載されたこの写真と私が映したシダレヤナギは、あまりに違いすぎます。このシダレヤナギは、被爆樹木として2017年8月4日に登録されていますので、その後、何が原因かは不明ですが、地表から4~5メートルぐらいを残し、上部が無くなってしまったようです。ようですというのも、広島市の担当者もこのこと(何時からこうなったのかなど)を承知していなかったからです。一応私がスマホで映していた写真を見てもらい、そのことが確認できました。写真でもわかるとおり折れたと思われる部分からは、新しい枝が伸びており、葉も付けていました。疑問に思っていたことが解明でき、ちょっと一安心です。

ところで、私が間違えてしまった樹木も随分と立派になっていますので、この被爆樹木との見分けがつかないのも、仕方ないかもしれません。ですので、他の被爆樹木のように札を付けて、明示することが急がれます。

併せて広島市の担当者に、どうやってこの木を「被爆樹木だ」と認定したのかについても聞いてみました。認定作業に使われて資料を基に説明を受けました。この木の場合は、ボランティア・ガイドの方から寄せられた「私の友人の母が、あの期は被爆前からあり、あの木に登って遊んだよ」という情報がきっかけだったそうです。この情報をもとに、アメリカ軍が原爆投下直前の7月25日と投下直後の8月8日に映した写真を精査し、両方の写真の同じ位置に樹木と思える映像が確認できたので、「被爆樹木である」と認定されたそうです。

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私の手元ある日本地図センターが2005年に発行した「地図中心」の被爆60周年特集号「特集 米軍が空影した広島・長崎 昭和20年8月」にも該当する場所が写っていますので、確認しようと虫眼鏡を使ってみましたが、本の大きさに縮小されていますので、小さすぎて残念ながらこの本からは確認できませんでした。広島市の説明の際見させていただいた写真は、もう少しはっきりと確認できるものでした。

私の疑問がひとつ解消された日となりました。

いのちとうとし

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2019年5月16日 (木)

被爆二世裁判の第8回公判開廷

被爆二世裁判の第8回公判が、5月14日午後1時半から広島地方裁判所で開かれました。

今回の公判では、原告弁護団が5月10日に提出した「原告ら準備書面4」と被告国側が同じ10日に提出した「準備書面4」の陳述が行われました。こうした裁判では、「陳述」といっても、「準備書面」がすべて読み上げられての陳述ではなく、提出された書面を裁判長が「陳述したとします」と確認するだけですから、あっという間に終了することがほとんどです。今回は、どうしたわけか(原告団に発言の機会を与えることが稀な裁判指揮が目立つ)小西裁判長が、原告弁護団に対し「趣旨を口頭で述べられますか」と問いかけがあり、在間弁護団長が3分余り(突然の裁判長の発言だったこともあり)ですが、準備書面の趣旨を陳述しました。そして、次回準備書面の提出を確認し、裁判長から「次回の公判を9月3日午後1時半から開廷する」と告げられ閉廷しました。

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公判後の報告会 原告団長と弁護団

その後、広島弁護士会館に場所を移し、恒例の報告会が開催され、弁護団から10日に提出した「準備書面4」について詳しくい説明が行われました。「準備署名4」は、サブタイトルの「被告の原爆二法及び被爆者援護法に関する基本的姿勢とこれに対する司法判断の経緯」に表れているように、これまでの在外被爆者裁判や原爆症認定訴訟で明らかとなった被爆者関連法に対する国の基本姿勢の問題を指摘したものです。在外被爆者裁判に関しては、原爆関連法の基本的な趣旨が司法の場で最初に論議された孫振斗(ソンジンドゥ)裁判から郭貴勲裁判、三菱広島元徴用工裁判などなどの判決を細かく分析し、いずれの裁判でも、国がとってきた「原爆二法、そして被爆者援護法の適用を出来るだけ狭くし、本来援護の対象とされるべき被爆者の権利を極力否定あるいは制約しようとする姿勢」が、「誤りであった」と厳しく指摘されたにもかかわらず、根本的な対応を改めず、提起された個別問題に限って対応を改めるという姑息な対応をとり続けてきた経過を明らかにしています。この「準備書面4」は、こうした裁判によってのみ権利が拡大された経過が、きちんとまとめられており、在外被爆者問題と被爆関連法の歴史を勉強するうえでも貴重な資料となると思います。一読をお勧めします。

原爆症認定訴訟についても、在外被爆者訴訟より多くのページを割いて「国の被爆者援護行政の誤りが司法によって批判され質された経緯」を明らかにしています。いずれも弁護団の周到に準備を感じました。弁護団の皆さん本当にご苦労様でした。

在間弁護団長が報告会で強調されたことは「問いかけていることは、原爆二法や被爆者援護法の立法趣旨は、何かということだ。国は、その適用範囲を狭めようとしてきたが、本来の趣旨からいえば、その範囲を広め、何らかの影響があれば、適用するということでなければならない。在外被爆者裁判や原爆症認定訴訟の判決は、そのことを示している。」ということで、その意味でも「同じように原爆被害の影響に置かれている被爆二世も法の趣旨に基づき援護の対象とすべきである。」ということです。これに対し国は、「影響を受けていることが条件」ということを繰り返し述べていますので、この「原告ら準備書面4」にどのような反論を準備するのか、次回の公判を注目しています。次回の公判(9月3日)では、原告側は「立法義務を怠っていること」を立証することになっています。これが書面としての主張は現段階の一区切りとなる(在間弁護士)ようですので、より多くの傍聴があることを期待しています。

いのちとうとし

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2019年5月15日 (水)

5月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)その1

  ブルーベリー農園の5月の前半はブルーベリーの花が開き地面の野の花も4月と違った花が咲き訪れる蜜蜂や蝶々や鳥が楽しげにやってくる。その農園の4月末からの剪定作業を続けながらの10連休からの様子。

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5月2日(木)

背の低いキジノムシロが畑に広がる。

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5月2日(木)

ブルーベリーの花はまだ満開とはいかないが花が開き、葉が伸びてくる。

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5月2日(木)

レンゲもちらほら畑に咲く。

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5月3日(金)

蜜蜂が忙しく受粉を進めてくれている。

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5月3日(金)

アゲハチョウも来ている。

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5月3日(金)

昼過ぎから雷が鳴りぽつりぽつりときてしばらくしたらざあーっと雨がきた。今日は、作業はおしまい。

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5月6日(月)

連休最終日。帰る時車から畑の道路下の草の様子を見回ると防草シートの上にじぃーっととまっている雌の雉と出会う。どうやらつがいになったよう。

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5月12日(日)

10連休後半からスズメバチの動きも活発になる。仕掛けたペットボトルの捕獲器に入る蜂も増えた。オオスズメバチ、少し小型のキイロスズメバチなど。この日もう1個増やして全部で3個にして、ついでに中に入れる液(酢と砂糖がベース)も増量しておいた。

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5月12日(日)

ブルーベリー畑。枝先に花が咲きちょっと白っぽい。繰り返される自然の恵みと営みだが、ブルーベリーの根は浅いのでフクシマの原発事故で発生した放射性のセシウムを吸収しやすいようだ。自然の恵みと営みが壊されることが2度とあってはならない。

2019年5月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良 

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2019年5月14日 (火)

広響名曲コンサート「音楽の花束 春」のおみやげ

「広響名曲コンサート『音楽の花束』」の今年最初の「春のコンサート」が12日、広島国際会議場でありまたした。今日のブログは、このコンサートの演奏についてではありません。公演終了後に配布される「花のプレゼント」が主題です。

毎回会場入り口のロビーには、花にまつわる展示がされています。今回は、広島市植物公園で咲き誇る花の写真展でした。その展示会場の一角に、今回配布される花の苗も展示されています。今回は、ベゴニアでした。

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そして写真展の横で、クイズ用紙が配布されます。先着順で200枚ぐらい(確認したことがないのではっきりとして数は不明)配布されるようです。この用紙が、演奏会終了後の花のプレゼントの引換券になりますので、私たち(パートナーと二人で「音楽の花束」のコンサート会員になっている)も早めに出かけ、毎回ゲットしています。今回の問題は、「①毎年8月5日に開催される広響のコンサートの名称は?②広島市植物公園の大温室のシンボルとなっている木の名前は?」でした。これらの答えのヒントは、いつも展示の中にありますので、すぐに見つけることができます。

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回答を書き、会場へ入るとステージの両脇と式台の前に飾られた大きな花飾りが目に飛び込みます。これも毎回の楽しみの一つです。

コンサート終了後、早速質問用紙をもって、プレゼントの花の苗と交換。赤い花、白の花がついた二鉢がわが家に。わが家では、昨年いただいた花の苗も何鉢かは無事に年を越し、今年も元気に花を咲かせています。

もちろん花の苗そのものもれしいのですが、それ以上にこの花の苗に添えられたコンサートメンバーのメッセージを読むのも楽しみの一つです。私がいただいた赤い花の苗には、トランペット奏者松崎祐一さんのメッセージカード。「ようこそコンサートへ 近年、広響は新しい団員を迎えて、活性化の時になっています。これから何十年かかけて芳醇な音を醸し出していく。これがオーケストラの醍醐味です。では、本日のコンサートをお楽しみください」。

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パートナーの白い花の苗には、フルート奏者岡本弥生さんのメッセージカード。「響き、広がる・・・音楽はお客様と一緒に作り上げていくものでもあります!名曲でお客様と同じ時間を共有出来ることはとても幸せで素敵なことです・・・。ようこそ広響『名曲コンサート』へ!!!」。メンバーの思いが伝わるメッセージです。

今年度の「音楽の花束」は、巨匠、名称と呼ばれ愛されるマエストロと今聴いておきたい旬のバイオリニストのコラボレーションで「巨匠たちのドヴォルザークと3大ヴァイオリン協奏曲」がテーマ(パンフレットからの引用)です。今回のタイトルは「『春』香しきメンデルスゾーンと汐澤安彦、躍動の7番」で、東京音楽大学名誉教授汐澤安彦さんの指揮、バイオリニストは高木凛々子(りりこ)さんというコンサートで、ウェーバーの「歌劇<魔弾の射手>序曲」、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64」、ドボルザークの「交響曲第7番ニ短調 作品70」が演奏されました。アンコール曲は、ソリストが「エルンスト作曲:夏の名残のバラ」。圧巻の演奏でした。広響は「ブラームス:ハンガリー舞曲第6番」。私には、演奏を評価する力はありませんが、ヴァイオリン協奏曲も交響曲も演奏が終わった時、何とも言えない感動を受け、聴衆の皆さんと一緒になって大きな拍手を続けたことだけは伝えることができます。今回も余韻に浸りながらの帰宅となりました。

いのちとうとし

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2019年5月13日 (月)

在朝被爆者問題を考える―その3 対厚労省交渉

在朝被爆者支援全国連絡会議(原水禁、平和フォーラムなどで構成)は、帰国後その実情を踏まえて政府への要望書提出を検討しましたが、当時2回目の米朝首脳会が予定されており、期待を持ちながらその成功を見守ることとし、昨年中の政府要望を先送りにしました。しかし、今年2月の米朝首脳会談で大きな成果が得られなかったため、4月22日に厚生労働大臣に対し次の4項目を柱とする要望書を提出するとともに、担当者(厚労省原子爆弾被爆者援護対策室)からの意見を質しました。

①、在朝被爆者について、何ら対策が取られてこなかった現状について、率直にお詫び・反省し、朝鮮人被爆者の支援について、基本的な方策を明らかにすること。

②、在朝被爆者支援のため、現状を早急に把握し、被爆者援護法に保障されている権利を実現するための方策を確立すること。

③、在朝被爆者が被爆者健康手帳を取得することが困難な状況にあることを認識し、放射線等による被害と高齢化のため、健康状態が深刻化している現状に鑑み、人道上の立場から、緊急の対策を講じること。被爆2世、3世への対策も講じること。

④、以上のような対策を実現するため、共和国と公式、非公式の協議を直ちに開始すること。

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 事前に届けていたこの要望に対する政府の回答は、予想されたことでしたが全く誠意のないものでした。もちろん、担当者レベルで回答できるような中身でないことは充分承知はしていましたが。その最たるものが、「在朝被爆者に対する支援について」として手渡されたペーパーの1番目に書かれていた「在朝被爆者の実情」です。そこに書かれていたのは、「2001年の被爆者実態」でした。あまりのひどさにただ唖然とするばかりでした。確かにこの年、政府は在朝被爆者調査のため、最初の「外務省・厚生労働省合同調査団」を共和国に派遣しています。しかし、その後政府として調査のための訪朝をしていないといっても、18年前の実態しか把握していないというのですからあきれてしまいます。2番目以降に記載された支援策(例えば健康管理手当が海外からも請求できるようになったなど)も、一般的な在外被爆者対策の変遷を羅列しているだけだったのです。

政府は、2001年の調査の際、被爆者協会と面談しているのですから、当然被爆者協会の存在は承知しています。にもかかわらず、その後一度もコンタクトをとっていないということになります。私がその場で強く指摘したのは「少なくとも被爆者援護法適用が在外被爆者に拡大された時には、そのことをその都度被爆者協会を通じて周知するのが当然だったはず。なぜ朝鮮被爆者協会には、連絡しなかったのですか」ということです。政府は、常々「国交がないからといって差別することはない」と公言していますが、何の連絡すら取らなかったということは、結局「在朝被爆者には、被爆者援護法は適用しない」という政府の姿勢を示しているといわざるを得ません。安倍政権の対共和国政策が、こうした政府の姿勢を作り上げる結果になっているのです。その間にも、在朝被爆者は、何の支援も補償も得られないまま命が奪われていくことになっているということです。この交渉の中で、すぐにも朝鮮被爆者協会に直接周知することを強く求めました。仮に周知したからといって、すぐに前進するとは考えられませんが、そんな小さなことからでもスタートするしかないと思います。

そして、もし少しでも、在朝被爆者のことを考えるのであれば、朝鮮被爆者協会が、一貫して求めている「人道的立場に立った医療支援」を急ぐことです。私たち、「いまの日朝関係の中で、在朝被爆者に対して具体的に何ができるのかを検討する」よう求めて、この交渉を終わりました。とにかく、どんな小さなことでも具体的なことを実践することこそが、「国交がないからといって差別しない」ということを示すことになるはずです。

いのちとうとし

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2019年5月12日 (日)

原発のテロ対策施設は実効性があるのでしょうか

 4月24日、原子力規制委員会は建設が遅れている原発のテロ対策施設が設置期限に間に合わないことについて、運転停止を求める方針を確認したことを明らかにしました。メディアも大きく報じています。テロ対策施設のことは正しくは「特定重大事故等対処施設」といいます。略して「特重施設」と呼びます。

 福島原発事故から2年後の2013年7月に施行された新規制基準では、大規模自然災害やテロを含めて様ざまな事象により万一シビアアクシデントが起きた場合の対策として、必要な機能をまず本体施設等にすべて備えることを求めています。シビアアクシデントとは、「想定外の事故とか過酷事故」という意味ですが、1979年の米国スリーマイル島原発事故、1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故、そして2011年の福島原発事故、余りにも「想定外」が多いですね。

 この「特重施設」、簡単にいえば原子炉建屋から100m程度ほど離れた場所に「特定重大事故等対処施設」というのを作ります。この施設には制御室を始め、水源や電源を設置し、水を原子炉建屋に送るためのポンプが作られます。水は炉心の上からスプレイのように撒く系統と、原子炉その物へ、格納容器の下部に注水することになるのです。

 新聞では期限内にテロ対策が完了しない原発は、運転停止を求める方針を原子力規制委員会が確認したとしています。一番近いところでは、来年3月に九州電力川内原発1号機が、同じ年の5月に同じく川内原発2号機が停止することになるかも知れません。「なるかも知れない」と書いたのは、原子力規制委員会が本気で停止を求めるだろうか、安倍晋三政権から妨害が入って、この方針が翻させられるのではないかという、危惧があるからです。

 そもそもこのような重要な施設の対策が終わらないまま、再稼働を認めたことが問題では無かったのではないでしょうか。最初は新規制基準が施行された13年7月から5年以内に、設置を終わらせることとされていました。しかし原発ごとに再稼働審査が終了してから5年以内にと先延ばしされ、原発ごとに設置期限が異なっているという状況になっています。

 中国電力島根原発2・3号機は、再稼働審査が終わっていないために、その期限は決まっていません。島根原発の山側に、それと思われる施設のための?山の造成作業が行われています。

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中電本社の玄関に表示された島根原発の安全対策図 

中国電力担当者に「島根原発のテロ対策施設は、どこに作るのですか。造成している山側ですか、それとも地下にでもですか?」と訊ねてみました。回答は「テロ対策ですから、すべて秘密です。そういうことを話したらテロ対策にはなりません。地下であるかどうかも含めて秘密です」という回答が戻ってきました。この回答に本当に笑ってしまいました。

 施設の建設には、500億円から1000億円掛かるとされています。施設が運用されることになれば、人間も配置することになるでしょうね。それも24時間365日となるでしょう。原発が動いていなくても、核物質を扱うのですから停止しているときは、必要無しにはならないでしょう。

 そして原発は原子炉建屋だけでなく、タービン建屋、制御室、送電鉄塔などで構成されているのですから、これらの施設の対策はどうするのでしょうか。

そして実際にそういう事態が発生した時の検証は出来るのでしょうか。誰もが本気で考えないで、右往左往しているようなポーズをしていることが滑稽でもあります。

木原省治

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2019年5月11日 (土)

子どもの権利条例があったら (1) ――憲法は子どもの権利も守っています――

野田市の少女虐待死事件のような悲惨な出来事を繰り返させないために何ができるのかを、憲法・子どもの権利条約・子どもの権利条例といった視点から3回に分けて考えてみたいと思います。

 

《野田市の少女虐待死から何を学ぶか?

今年2019年の1月に千葉県野田市の小学校4年生の少女が虐待され死亡した事件は、広く報道され多くの人にショックを与えました。事件の概要は次の通りです。2017年の11月、亡くなった少女は小学校のアンケートに父親から暴力を受けていることを記入し助けを求めました。それに応えて柏市の児童相談所がこの少女を一時的に保護したのですが、その一月ほど後に、父親のいる自宅ではなく、親族宅で暮すことを条件に一時保護が解除されました。しかし、その後父親が、「父親に叩かれたというのは嘘です」という趣旨の、少女の書いた文書を見せたため、2月末に児童相談所は少女の帰宅を認めたとのことでした。ほぼ10か月後の2019年、1月初めに父親から学校に新学期の登校が遅れる旨の電話があり、その後も複数回同様の電話があったものの、学校、野田市、そして児童相談所の連携が悪く、21日になってようやく児童相談所が長期欠席の事実を把握し、24日には少女が死亡、父親の110番で公になりました。

この中で、「秘密は守る」という前提でしかも「匿名でも良い」という条件で子どもたちが記入したアンケートの内容を教育委員会が父親に見せていたという事実もあり、その結果として少女が父親に「叩かれたのは嘘だ」という言葉を書かされたことは、ほぼ間違いないにもかかわらず、それに対する対応は行われず、少女は自宅に帰されたことなど、関係機関の基本的な姿勢が問われることになりました。

一連の報道に接して、教育の現場で日夜、頑張っていらっしゃる皆さんに取っては他人事ではなかったと思いますし、こうした事態にどう対応して行くべきなのかについても、現場の感覚でお考えになっているのだろうと思います。私も、これまでの経験を元にして考えさせられることが多くありました。一つには、国会議員として子どもの権利条約の批准に直接関わりましたし、もう一つ、広島市長として、子どもの権利条例制定のための努力をしたことです。

しかし、今回の事件の報道では、条約にも条例にもほとんど言及がありませんでした。その点について以下報告したいのですが、大前提として憲法第13条のお浚いをしておきたいと思います。「憲法を数学書として読む」試みの中で、特に大切だと感じた条文の一つが第13条、特に冒頭の部分だからです。

 

第13条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

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「国民」の中には当然子どもも入ります。子どもも「一人の個人として」尊重されるということの意味は、その子の生命や自由、そして幸福の追求といった権利も父親のそれと同等に重んじられなくてはならないということです。当然、このことを一番肝に銘じなくてはならなかったのは父親であり、そしてその父親からDVを受けていたとはいえ母親です。さらに、父と母にのみ責任を押し付けるのではなく、また親が責任を果せない場合の代替策を準備するといった社会全体としての環境整備が求められているという点が重要なのではないでしょうか。[以下、5月21日に続きます]

[2019/5/11 イライザ]

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2019年5月10日 (金)

在朝被爆者問題を考える―その2 実態と現状は(つづき)

今日は、遺伝的影響と被爆者の声を報告します。

今回の調査では、二世、三世への遺伝的影響も調査されています。具体的な数字としては示されていませんが、報告書では「被爆者のみならずその子孫においても遺伝的影響がある」ことが強調されており、そのことがまた「被爆者の精神肉体的な苦痛を大きくしている」と指摘しています。現在日本国内で被爆二世による「援護法適用を求める」裁判が昨年2月から始まっていますが、日本政府は「遺伝的影響はない」の一言で片づけようとしています。しかし、今回の訪朝で面談した朝鮮被爆者協会副会長の朴文淑さん(74歳・1歳10か月の時、長崎で被爆 1992年来日時被爆者健康手帳取得)も、二世への影響について自らの体験をもとに次のように話されました。「娘が肝炎になり、あらゆる治療を行ったが、薬の効果もなく、病気の進行スピードも速く、結局肝臓がんになり死亡した。」と。これは、共和国だけの問題ではないと思っています。かつて(もちろん現在も)在韓被爆者からも「二世の健康不安」について何度か直接聞いたことがあります。今も継続した問題です。戦後、日本からの帰国し、まして被爆者であることも語れず、苦しい生活を余儀なくされたことなどの生活環境を考えると日本国内の二世以上に朝鮮半島在住の二世の問題は、考えなければならない問題であり、簡単に切り捨てることはできないと思っています。

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「被爆者健康手帳取得」が前提では

こうした厳しい状況に置かれている在朝被爆者は、日本政府を厳しく批判しています。

日本政府は、常々在朝被爆者に対して「国交がなくても被爆者健康手帳取得の申請があれば、交付する」と言っていますが、このことに対し、朝鮮被爆者協会は、現実の問題として困難であることを次のように指摘しています。

①、手帳申請時に必要な証人、入市、居住記録などの提示は、ほとんどできない

②、現実的問題として、日本政府が「人的交流を妨げている」ので、仮に申請のために訪日しようとしても、物理的に不可能。たとえ行けたとしても、殆どの被爆者が病弱で高齢であるため、長距離の旅程は難しいのが現状。「郵送がダメ」ということが、障壁となっており、事実上申請できない。

③、手帳が前提とする考え方では、実質的に救済されない

④、結果、在朝被爆者だけが置き去りにされている。被爆者は、日本政府に「何等の援護も受けられないこと」への恨みを積んでいくなかで死んでいく。「これが同じ死と言えるのか」

⑤、喫緊の課題である医療支援も「制裁があるから」という一言で片づけられている。

⑥、2016年度から朴副会長に「医療費請求の通知」が届いているが、他のすべての被爆者には全く適用されず、むしろ被爆者の中により強い怒りを呼び起こしている。

特に、①の理由として次のように指摘していることを重く受け止める必要があります。その率直な思いを伝えるため原文(翻訳は、日本側)のまま掲載します。

「それは解放前、日本の広島、長崎に連行された大部分の朝鮮人が、あらゆる民族的差別と虐待を受けながら強制労働を強要され、居住登録はおろか、碌な仕事にも付けず行商や日雇い労働など転々としながら、食べていくのもやっとで命をつないでいる状態のもと原爆の被害に遭った事実と関連します。」としさらに「敗戦を目前にした日本の混乱状況と差別政策によって、彼らが原爆被害を受けたという事実を立証できる居住、または入市記録を提示したり、肉親以外の証人を探したりすることは決して容易なことではありません」と。

 日本政府への要求

こうした実情の上に立って、日本政府への要求として次のようなことを挙げています。

①、被爆者に対する日本政府の謝罪と賠償問題は、日本政府の過去の清算問題の一環として解決されるべき問題。

②、被爆者とその子孫に対する医療支援は、一刻を争う焦眉の問題。

③、早急に、日朝間で被爆者問題を協議し、誠意をもって謝罪し、納得できる結論を出すべきだ。

この3つの要求の中で、私が特に強調しておきたいことは、緊急の課題として「実質的な人道主義的医療措置を早急に講じること」があげられていることです。このことは、朝鮮被爆者協会が、日本政府に対して一貫して求めてきたことです。この問題は、生命の問題です。過去の在韓被爆者支援策の歴史からいっても当然の要求だと言えます。

次回(2、3日後)は、4月22日の対厚労省交渉の様子を報告します。

いのちとうとし

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2019年5月 9日 (木)

在朝被爆者問題を考える―その1 実態と現状は

原爆資料館がリニューアル・オープンした去る4月27日、韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部主催の「郭貴勲さん講演会 被爆者はどこにいても被爆者だ」が、開催されました。原爆資料館のリニューアルで在韓被爆者郭貴勲さんの被爆資料が展示されるということで、来日されることになっていた郭貴勲さんのお話を聞くということで企画されたのですが、残念ながら郭さんが体調不良で、本人欠席の講演会となりました。私もこの講演会で「在朝被爆者の現状」について話すことになり、改めて準備したことがありますので、この機会に「在朝被爆者の現状について」このブログでも報告することにしました。

また、4月22日には厚労省に「在朝被爆者支援を要請する」申し入れも行ってきましたので、そのことも含め数回に分けて報告したいと思います。今日、明日は、「在朝被爆者の現状」です。

昨年7月、5年ぶりに朝鮮民主主義人民共和国(以下、「共和国」という)を訪問し、朝鮮被爆者協会(1995年2月に共和国で作られた被爆者組織)から、在朝被爆者の実態報告を受けました。これまで私たちが把握していた在朝被爆者の実態は、2008年発表された調査結果が最終のものでしたが、今回新たになった実態は、昨年1月から始まった実態調査の5月までを集計した中間報告です。今回の調査は、2008年の調査で生存が確認されていた382人の被爆者(当時確認された被爆者は、死亡者を含めると1911人)を対象に、その生存状況と遺伝的影響について調査されていました。私たち(2人で訪朝)が受けた実態報告は、一言で言えば、「非常に深刻な実態にある」ということです。

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朝鮮被爆者協会との対談 右側が、朴文淑副会長

高い死亡率

まず、生存状況の報告です。すでに調査が終了した111人のうち、生存者は、60人、死亡者は、51人です。その死亡率は、45.95%です。私は帰国後、厚生労働省が毎年年度末に発表している被爆者健康手帳所持者(法的に認められた被爆者)数をもとに、この10年間の手帳取得者の死亡数を推計(新たな手帳取得者を多めに見積もり)し、その死亡率を計算してみました。その結果、死亡率は約38%となりました。この数字と在朝被爆者の死亡率約46%と比較すると、約8%という大きな差があります。1~2%ぐらいの差であれば、誤差という範囲で考えることができますが、8%というひらきは、明らかに在朝被爆者の死亡率が高いことを示していると私は考えています。朝鮮被爆者協会の報告書の示された「原爆被害の後遺症と高齢化による死亡率が著しく増加し、生存者がかなり減少している」という深刻な実態が明らかになっています。

「今回の調査が進み、対象者が増えたとしてもこの死亡率の数字は、上がることはあっても下がることはない」と報告書でも指摘されていますが、私も同様に考えています。

この10年間に残念ながら、日本政府による在朝被爆者への支援策は、何ら進んでいません。ですから在朝被爆者にしてみれば「何度調査(2008年以前にも、被爆者協会設立後、複数回調査を実施)に応じても日本政府は何もしてくれないではないか」という思いは強く、ましてや亡くなった被爆者の遺族にすれば「本人が死亡してしまった後で、何かあるのですか」という率直な気持ちがあり(それは会談の中でも指摘されたこと)、死亡者の報告はより遅れるか報告されていないのではないかと私は推測しています。いずれにしても、在朝被爆者の死亡率が高くなっていることは間違いない事実ですので、早急な援護施策が求められていることは明らかです。

明日は、遺伝的影響や被爆者の声を伝えたいと思います。

いのちとうとし

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2019年5月 8日 (水)

被爆シダレヤナギは、どっちかな?

月23日のブログ「第5回住んでいる町再探訪―『灯台下暗し比治山再発見2』」で紹介した「最も新しく認定された被爆ヤナギ」の探訪に出かけました。広島市のホームページに掲載された「被爆樹木リスト(平成30年3月1日現在)」を頼りに、自転車を走らせ「 東区牛田本町一丁目10(二又橋西詰)」に到着。すぐには見つけることができませんでしたが、川土手の歩道から河岸を眺めると「被爆シダレヤナギ」と思える樹木を発見。シダレヤナギは2本並んでいましたので、幹も太く、大きな傷がある方が被爆樹木だろうと勝手に決め、土手の方から携帯カメラで撮影しました。

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下が、広島市のホームページに掲載された写真

写真を撮り安心して帰宅したのですが、ちょっと気になったので、もう一度広島市のホームページを開き(出かける前は、リストの住所のみを確認)、そこに掲載された説明(5mの高さ)を読み、写真を見ると私が写真を撮った木とはどうも違うようです。

もう一度やり直そうと、再び現地へ。今度は川岸に降り、どちらかの木に、被爆樹木を示す札はないかとまず探したのですが、見つけることができませんでした。

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まず両方の木が写った写真を撮りました。奥に移っているヤナギが被爆樹木のようです。

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今度は土手に上がり、樹木全体が写るようにパチリ。さらに対岸(白島九軒町側)に渡り、干潮で歩けるようになった川の真ん中のほうまで行って、こちら側からも写真を撮りました。

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こうしてみるとやはり高さからいっても、真ん中に映っている大きな方が、被爆樹木ということになるのですが、私にはどうも、最初に映した木の方が被爆樹木に思えてなりません。この写真では左側に低く見えています。ひょっとすると両方とも被爆樹木ではないかという気もします。連休の最中、すぐに確かめることはできませんでしたが、いずれ確認をとってみようと思います。

被爆ヤナギの対岸からの写真も撮り終えて、再び牛田本町側へ移動。二又橋西詰から約200mところにある安楽寺の「被爆イチョウ」に会いに行きました。元気に若葉を付けています。もちろんこちらには、被爆樹木を示す札がきちんとつけてありました。

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被爆樹木の話はこれで終わりです。

ところで昨日のブログに書いた「わさびのしょうゆ漬け」。

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冷蔵庫から取り出してビンの蓋を開けてみると、一日しかたっていませんが、調味料の味もなじみ、美味しく食べれるようになり、鼻の奥につーんとくるわさび独特の香りもしっかりかぐことができました。上手くできたなと自己満足です。(5月7日記)

いのちとうとし

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2019年5月 7日 (火)

あなたは 憲法9条を守る? 変える? 「5・3憲法シール投票ヒロシマ女たちの実行委員会」が、「憲法シール投票」をよびかけ

5月3日、アステールプラザで開催された「憲法施行72周年―5・3ヒロシマ憲法集会」の終了後、「5・3憲法シール投票ヒロシマ女たちの実行委員会」では、「あなたは 憲法9条を守る? 変える?」のシール投票を元安橋で呼びかけました。

たくさんの家族連れ、学生、子どもたち、外国の方も、「平和憲法を守る!」「戦争は反対!」の思いを込めてシール投票に参加。

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■ チラシを配りながら、シール投票をよびかけ……子どもたちも「平和がいい!」と投票

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■ 山田弁護士もマイクを握って「アベ自民党改憲案の問題点、9条の大切さ」を訴え

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■ 憲法9条守ろう!の署名…子どもたちや若者も積極的に署名

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■ 約1時間の行動で、パネルの「憲法を守る」の欄がほぼいっぱいに埋まりました!

ほかの3枚のパネルも同様です。

結果は計804票のうち、憲法9条を守る 738票(91%)、変える 37票(5%)、わからない 29票(4%)、「わからない」と答えたのは殆どが子どもでした。  

(YOKO)

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2019年5月 6日 (月)

渓流釣りとわさび

  5月4日、毎年の連休恒例となっている友人の吉和・中津谷川支流での渓流釣りに同行しました。もちろん私は、渓流釣りしたわけではありませんが、きれいな空気をいっぱいに吸い、気持ちをリフレッシュする楽しい一日を過ごすことができました。

小瀬川沿いを北上し、吉和に入ると、道路沿いに青空に映え桜が今を盛りと咲き誇っていました。今年何度目かの桜の花見です。

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国道186号線を左折し、中津谷川の横を上流に、上流にと車は上り、ようやく目的地の到着。まず毎年山菜取り(タラの芽やこごみなど)をする場所に入りましたが、今年は雪が少なく暖かかったのか、こごみは伸びすぎ、タラの芽もすっかり開き切り収穫することはできませんでした。残念。

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上が昨年、下が今年のタラの芽

さらに上流に移動し、いよいよ友人は渓流釣りを開始。私は、側道からその姿を眺めながらの散策。友人が指さす先には、慣れない私の眼でも何匹かの魚の姿を確認できます。下流から、順次ポイントを狙って、フライを投げ込む。すぐに小さなヤマメが釣り上がりました。しかし、今年は例年と違い、側道を歩く私から釣りをしている場所までちょっと距離があるため、なかなか釣果をはっきりと目にすることができませんでした。ちょっと、見えにくいかもしれませんが、魚がかかり、しなっている釣り竿と、網で魚を確保する様子です。

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その間に私は、河原に育ったわさびの葉を収穫。山菜は収穫できませんでしたが、何とかおみやげを手にすることができました。

この連休中にすでにこの川で渓流釣りを楽しんだという友人の好意で、早めに渓流釣りを終え、中津谷側の渓流沿いを島根県匹見町境まで移動し、さらに林道を走り、新緑に覆われた山々を眺めながらのドライブ。その途中、正面に女鹿平山きれいな姿が現れ、車を止めて写真を一枚。

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帰り道、心配された車の渋滞もなく、午後4時前には帰宅しました。

帰宅後は、早速わさびのしょうゆ漬け作り。

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上手くできたつもりですが、私が作ったのですから、その味は2、3日後に食べてみなければ?

いのちとうとし

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2019年5月 5日 (日)

問われる日本の核政策-その2

一昨日、外務省と核兵器廃絶日本NGO連絡会の意見交換会について報告しました。その続きです。4月23日に提出した「質問と要請」では「核兵器禁止条約について」の3項の一つに「多くの地方自治体や地方議会が、日本製に核兵器禁止条約への参加を求める意見書をあげています。日本政府としては、これまでに何件のそのような意見書を受け取っていますか。また、そのことをどのように受け止めていますか」ということを質していました。これに対する辻外務大臣政務官の回答は「440件の意見書が届いています。これをしっかりと受け止めています。」でした。

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この場では、これ以上の論議は深まりませんでしたが、この回答を聞きながらすぐに私の頭の中に浮かんだことがあります。4月の広島市長選挙で当選が確定した後、マスコミのインタビューに答える松井一実市長の姿と言葉です。「核兵器禁止条約への対応について」問われた松井市長が強調して答えたことは、「自分が会長の間に平和首長会議への加盟都市がどんなに増えた(どれだけ増えたかの成果を強調)のか。平和首長会議の活動をさらに強化する」というものでした。平和市長会議の会長としての取り組みだけでした。私は、このインタビューを「なんで平和首長会議の会長としてではなく、広島市長としての答えがないのだろうか」と平和首長会議の会長にこだわる受け答えに強い違和感を持ちながら聞いていました。聞きたかったことは、「被爆地広島の市長として、核兵器禁止条約への日本政府の姿勢を変えるためにどう取り組もうとしているのか」ということだったのですから。

ですから外務省が「440件の意見書」と答えた時、当選後の松井市長のインタビューを思い出したのです。

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平和首長会議のホームページを見ると、2019年4月1日現在国内の加盟自治体するは、1732都市ですから、440件ではあまりにも少なすぎます。核兵器禁止条約が国連で採択された直後の8月に開催された「平和首長会議総会」では、「平和首長会議は、核兵器保有国を含む全ての国に対し、条約への加盟を要請し、条約の一日も早い発効を求めることをここに決議する。」という「核兵器禁止条約の早期発効を求める特別決議」が採択されています。この決議からいえば、440件は、あまりにも少なすぎるのではないでしょうか。さらにその総会で確認されたナガサキアピールでは「被爆者、市民社会、条約推進国との連携をより一層強め、条約への参加を全加盟都市から自国の政府に働きかけていく。」ことを決議しただけでなく「特に、核保有国と核の傘の下にいる国々の政府には強く働きかけていく。」ことを求めています。まさに日本政府こそ「核の傘のもとにいる国の政府」そのものなのですから、平和首長会議の会長でもあり加盟都市でもある広島市長に求められていることは、加盟都市を増やすことの大切ですが、日本政府への直接的な強い働きかけのはずです。そして国内の加盟都市への働きかけです。残念ながら、平和首長会議ホームページでは、国内自治体の意見書採択などの情報を見つけることができませんでした。

松井広島市長もNPT再検討会議準備会に参加し発言されたようですが、広島市民が期待していることは、平和首長会議会長の役割を果たすことは勿論ですが、それ以上に「被爆地広島の市長」として、日本政府に対し明確に「核兵器禁止条約の署名・批准」を迫ることです。

いのちとうとし  

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2019年5月 4日 (土)

憲法施行72周年―5・3ヒロシマ憲法集会に1100名が参加

憲法記念日の5月3日、「戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」が主催し呼びかけた「許すな!安倍改憲発議 2019平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ集会」が、午前10時30分からアステールプラザ大ホールで開催されました。別々に護憲集会を開催していた団体が協力し、統一して「ヒロシマ憲法集会」が開催するようになって今年は4年目ですが、初めて屋内での開催となりました。集会には、県内各地からほぼ満席となる1100名(定員1200名)が参加し、安倍政権がもくろむ2020改憲を許さない運動を強化することを確認し、終了しました。

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オープニングは、劇団月曜会による「太鼓構成『太田川』より」の詩の朗読と太鼓の演奏。その詩の一部です。「水の都 広島の象徴 太田川」・・・「原爆の閃光に 沸きたち 煮えたぎり 灼熱地獄と化した 広島の川」「年寄りや子どもや わかものや娘たちの ひきちぎられた体を浮かべた 本川 元安川」その後に七つの川の情景が描写され、結びは「悪魔を見た ひろしまの 七つの川!」。そして「御陣太鼓」の演奏。証明が使われ屋内集会らしいオープニングになりました。

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集会は、広島弁護士会の依田有樹恵弁護士の司会で開会、続いて「戦争をさせないヒロシマ千人委員会共同代表」の佐古正明さんが、主催者あいさつ。佐古さんは、「2012年安倍政権が誕生して以降、安全保障法制の改正など、日本国憲法の根幹を成す平和主義や民主主義をないがしろにされてきた。・・・安倍政権が続けば、日本の民主主義の危機。安倍政権の暴走を何として求めなければならない。・・・2020年改憲をめぐって、かつてない緊迫した状況にある。国会内外の闘いを広島からも支え続け、安倍改憲を阻止しよう。その決意をこの集会で確認しあいたい」と呼びかけました。

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続いてTBSニュースキャスター金平茂紀さんが「抗う(あらがう)ニュースキャスターが語る崖っぷちの民主主義」と題して記念講演。金平さんは、最初に「天皇の代替わり」「元号の改正」で見られた異常なマスコミの報道状況を厳しく批判し「思考停止に陥らないこと」が重要と解説。さらに現在の政治状況は、一強政治によって「三権分立が壊死している」ことを、具体的に示しながら解説し、そんな情勢の中でメディアが本来果たすべき監視機能が失われ、衰退、御用化していると指摘。最後にTBSニュース23のキャスターだった筑紫哲也さんが最後の放送日の「多事総論」の中で指摘した「メディアの役割」は「・知る権利への奉仕・議題を設定する・権力を監視する・少数者の視点・多様な意見の確保」だということを紹介し、その番組のビデオを上映し、講演は終了しました。

続いて集会アピールの採択。

―――――――――――――――――――――――――――――――

私たちは

・安倍政権のもとでの9条改憲発議は許しません。

・日本国憲法を守り活かし、元号使用の強制に反対します。

・不戦と民主主義による心豊かな社会をめざし、「戦争法」の廃止を求めます。

 ・歴史を正しく学び、東アジアの平和と共存をめざします。

・北東アジアの軍事的緊張を強める、岩国基地の強化を許しません。

・沖縄の民意を踏みにじる辺野古新基地建設の即時中止を求めます。

 ・唯一の戦争被爆国である日本政府に対し、核兵器禁止条約の批准を求めます。

・フクシマを忘れず、原発のない社会をめざします。

・人間の平等と尊厳を基本に、貧困と差別のない社会をめざします。

・「知る権利」、「表現の自由」を奪うメディア支配を許しません。

・これらを実現するために参議院選挙に勝利し、安倍政権の暴走にストップをかけます。

2019年5月3日

許すな!安倍改憲発議―2019平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会

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山田延廣弁護士が、閉会のあいさつ。「今日の講演を聞いて、胸のつかえが降りた。私たちは、マスコミが駄目、駄目というだけでなく、その中でもがんばっている報道や番組には、支援の声を送ることが大切だ」と。

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最後に、全員が「とめよう!改憲、とめよう!安倍政権、とめよう!辺野古」の三種類のプラカードを掲げて決意をアピール。大きな拍手が沸き起こる中で、集会は終了しました。

  いのちとうとし

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2019年5月 3日 (金)

問われる日本の核政策

4月29日から2020年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた第3回準備委員会が、ニューヨークの国連本部で開催されています。核兵器禁止条約が採択されて初めてのNPT再検討会議が成功するかどうかが問われる極めて重要な準備委員会といえます。

この会議に先立つ4月23日、外務省と核兵器廃絶日本NGO連絡会(原水禁国民会議や日本被団協、ピースボートなどで構成)との意見交換会が開催され、私も核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)を代表し参加しました。意見交換会のすべてを報告できませんので、私の感想を少し報告します。

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会議は、最初に核兵器廃絶日本NGO連絡会を代表して日本被団協の木戸季市事務局長と私が、13項目にわたる「日本の核軍縮・不拡散政策に対する質問と要請」を辻清人外務大臣政務官(自民党衆議院議員岸田派)に手渡してスタートしました。13項目の要望は、大きく括ると「核兵器禁止条約について」「核兵器国によるNPT第6条の履行について」「INF条約失効について」「核抑止の危険性と核抑止からの脱却」「朝鮮半島の非核化交渉について」「日本の余剰プルトニウムについて」「NPT準備会議に向けて」といずれも大きなテーマですから、わずか1時間で議論の深まりを期待することはとても無理だと思いながらの参加でした。

私がこだわったことは、核兵器禁止条約と核抑止政策の問題でした。辻政務官が、私たちの「質問と要請」に対する外務省の回答の中で「核なき世界という最終目標は共通しています。ただそこへのアプローチに違いがあります。」との考えを示しました。さらにその後のやり取りの中でも「最終目標は共通だ」ということを繰り返すものですから、私はどうにも我慢が出来ず、少し強めの口調で意見を述べました。「『最終目標は共通している。ただアプローチが違う』といわれたが、核抑止論を正当化する政府とたちとは根本的に考え方が違う。」と。その上で、「外務省のホームページでは、核兵器禁止条約に署名できない理由の一つとして北朝鮮の核保有を挙げているが、北朝鮮が核兵器を放棄したら署名するのですか。いったいどういう条件が整えば、日本政府は核兵器禁止条約の署名するのですか。国民にわかり易く説明してください。」と質しました。核抑止に固執しているのですから、私の質問に対する明快な答えはありません。圧倒的多くの国民が、「核兵器禁止条約の批准」を求めているのですから、もっと具体的にそこへの道を示すことが出来なければ、国民の理解を得ることはできません。

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もう一つは、常套句のように「唯一の戦争被爆国」ということです。辻外務大臣政務官も「唯一の被爆国として、被爆体験を踏まえたうえで発言していきたい」と繰り返し発言していましたが、残念ながら「核抑止は、厳しい安全保障環境の中では、現実的なアプローチ」という考えに固執する限り、それは被爆者の思いを踏まえたことにはなりません。被爆者の声を幾度聞いたというのでしょうか。

外務省にもかつて、本気で被爆者の声に応えようとした時期がありあす。1994年から始まった「広島の被爆者団体と外務事務次官との懇談会・外交の窓in広島」です。この「外交の窓in広島」は、第1回の斎藤邦彦事務次官以来2007年の谷内正太郎事務次官まで5回にわたって開催されました。いずれも外務事務次官が、被爆者と直接話し合うことを目的に広島に足を運んでの懇談会です。原水禁の代表委員秋葉さんが、衆議院議員の時提唱し実現したことです。本気で「被爆体験を踏まえ」「唯一の戦争被爆国」として外交に臨むというのであれば、いま一度原点に立ち戻った行動こそ必要ではないでしょうか。

明後日もう一回このテーマで報告したいと思います。

いのちとうとし

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2019年5月 2日 (木)

第90回広島県中央メーデー

連合広島が主催する「第90回広島県中央メーデー」が、10連休のスタートとなる4月27日広島市中央公園で開催されました。参加者は、主催者の発表で7100人でした。私もその参加者の一人です。

午前10時から始まった式典は、全員が、昨年の西日本豪雨災害の犠牲者、原爆による犠牲者に黙とうをささげ、スタートしました。その後の次第は、例年通り連合広島の久光博智会長のあいさつ、来賓紹介・あいさつ、メーデースローガン・宣言の採択、ガンバローの三唱で終了し、11時からのイベントへと移りました。

今年のスローガンは、「格差をなくし、平和を守る!笑顔あふれるみらいをつくろうすべての仲間の連帯で!」でしたが、久光会長のあいさつで特に強調されたことは、「4月施行の働き方改革関連法で盛り込まれた時間外労働の上限規制では、規制を適用されない業種もあるが、誰もが安心して生き生きと働き続けることのできる職場をつくろう」ということでした。採択された宣言でも、西日本豪雨災害に触れるとともに「この4月から、改正労働基準法をはじめとする、働き方改革関連法が施行された。誰もが健やかに安心して働き続けられるよう、36協定の遵守など真に働く者のための働き方改革を着実に実行しなければならない。また、これまでの『底上げ・底支え』『格差是正』の流れを継続していこう。」と労働組合の果たすべき役割を強調しています。

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メーデーの式典に参加しながら、考えてことが二つあります。

その一つは、メーデーの開催日です。メーデーは、「1886年5月1日に米国の労働者が8時間労働制度を求めてゼネストに立ち上がったこと」が起源とされていますから、5月1日をメーデーの日とし、毎年5月1日に開催されてきました。今年もそうですが、最近は、メーデーの開催日が、5月1日ではなく4月の連休スタート日となっています。いつからそうなったのだろうと気になったものですから、広島中央図書館に行って調べてみました。2005年4月30日の中国新聞の見出しには、「県中央メーデー 今年はGW初日」と書かれ、記事では「連休を楽しみやすくするようにと、今年は5月1日ではなく連休初日に変更」とその理由が書かれています。2005年のメーデーからでした。この年の暦は、29日(金曜日)、30日、1日と連休が続き、1日置いて3日から5日まで再び連休。民間企業では7連休となったところも多かったようですので、メーデー開催日が変更されたようです。今では「連休初日の開催」が当たり前のようになっていますが、当時ちょっとした違和感をもったことを思い出します。

もう一つは、開催場所です。私が労働組合員としてメーデーに参加していたころ(1970年代後半から80年代前半)は、今では想像もできないことですが、平和公園慰霊碑前芝生広場が会場となっていました。芝生広場の東側に舞台が組まれていました。式典終了後、4つのコースに分かれてデモ行進も行われました。当時の写真を探してみましたが、残念ながら見つけることがでず、その当時の様子を伝えることができないのが残念です。それではいつから中央公園で開催するようになったかといえば、それは1986年からです。実は、1985年に原爆慰霊碑の改修工事が始まり、芝生公園が使えなくなったことが契機です。しかし、改修工事が終わってもメーデーが平和公園で再開されることはありませんでした。最近、この中央公園にサッカースタジアムの建設計画が明らかになりました。その後は、どこが会場になるのでしょうか。

いのちとうとし 

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2019年5月 1日 (水)

ケネディー大統領と昭和天皇 (3) ――30年前の問題提起――

1989年、現天皇即位の年に『ケネディー大統領と昭和天皇』というエッセイで、天皇と憲法について考え始めました。

その結果としてはずいぶん時間が掛りましたが、『前広島市長が読む 憲法と天皇』(数学書として憲法を読む)(仮)、という一書を恐らく7月になると思いますが、法政大学出版局から出して頂けることになりました。実は昨年の9月からこれまで、その執筆のための時間として有効に活用させて頂きました。7月上梓予定の新著の中で、上記のエッセイを序章として再掲します。以下、それを3回に分けて再録しますが、今回はその3、最後の部分です。「生前退位」の勧めです。

《前回の要約》

昭和天皇崩御に際して、昭和天皇とケネディー大統領とを比較した上で、アメリカの大統領なら当然保障されている国民としての人権を考えることになりました。天皇には人権があるのかという、日米比較の視点からも天皇制を考えてみる必要があるのではないかと考えたからです。

天皇には与えられていない権利が沢山あるのですが、それではどうすれば良いのかを観がなくてはなりません。

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ケネディー大統領と昭和天皇(3)

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《親としての天皇》

天皇は、養親になれないどころか、自分の子供がいても、親としての楽しみを奪われている。子供が成長し、自分の能力に合った仕事を見付け、1人の独立した人間として社会に有益な貢献をしている様子を見ることは、親としての喜びの最たるものではないだろうか。しかし、天皇はその喜びを与えられていない。それは、皇太子に職業選択の自由がないからでもあるが、慣行では、天皇が生存中に譲位することはないからだ。

庶民でも、高齢になれば隠居して、仕事は若い人に譲るのが常識である。元気のあるうちは仕事に励んでも、例えば、70歳にでもなったら退位し、余世は自分の好きなこと(生物学の研究でも、社会福祉のためのボランティアでも良い)を自分のペースで楽しんでも良いのではないか。皇室典範でも、譲位を禁止してはいないのだから、ちょっと手直しをすれば天皇が堂々と退位できる制度に作り変えられるような気がする。

天皇の死に際しても、これが退位後の上皇(と仮に呼んでおこう)であれば今回のような混乱はなくて済んだのではあるまいか。それは、たとえ日頃から後継者の育成を心がけている人でも、具体的にバトンタッチをする人や時が決まってからでないと、何を伝えておくべきか身を入れて考えられない例が多くあるからだ。

このことは、より一般的に、だれが死ぬ際にも言えることではないだろうか。あと何ヶ月しか生きられないとしたら、身近の人たちに伝えたいこと、生きている間にしておきたいこと等を整理して、その間に何とか済ませてしまいたいと考える人は多いだろう。昭和天皇も、ガンだと知らされていれば、国民の多くに残しておきたい言葉があったのではないだろうか。

それが「済まなかった」であれば、多くの人々の心の傷が癒えたはずである。他の言葉としても、これからの時代を迎えるに当っての一つの方向が打ち出されたのではあるまいか。

天皇には、そして国民にも、天皇の病がガンであることを知らせるべきだった、と私は考えているのだが、その理由は、誰にもあてはまるものである。死に行く人を囲んで、嘘で塗り固めた「劇」を演じることで、私たちは、人間の一生の内、ことによると一番大切な期間を無駄にしている。自分にとって一番身近な人々が、自分にとって一番大切なことについては何も喋らずに数カ月過ごすーーそれが私たちの描く理想的な人間関係なのだろうか。そうではないはずだ。

それはまた、天皇と多くの国民との間についても言えることである。数カ月の間、嘘を心から信じて「平癒」を祈って来た人々が多くいる。その人たちが真実を知らされていれば、別の祈りがあり、別のコミュニケーションが可能になったのではあるまいか。

だが、私がそれと同じくらい大切な問題だと思うのは、嘘をデッチ上げ、何も知らない庶民に伝え続けてきた人々が、そのことに何の責任も感じていないらしいことである。事実を、真実を伝えるのがマスコミの務めではなかったのだろうか。

ガンの告知はまだ社会的に受け入れられ難い事は認めても良い。しかし、嘘八百の報道をすることとの間には一線が画されて当然だろう。もちろん、一線をどこに引けば良いのか、簡単に決められることではない。昭和天皇亡き今、衆知を集めて議論すべきことなのではあるまいか。

また昨年9月以来、私がここで触れた点も含めて、一体「象徴」とは何を意味するのかについて万人の納得できる解釈が存在しないことも明らかになった。それをよりはっきりさせて行くのは国民である。そのための問題提起をし、論点を整理して、議論を沸き起すのは「知識人」そしてマスコミの役割だろう。

《新天皇への期待》

私だけの思い込みでないことを祈るのだが、仮にマスコミが重い腰を上げなくても、事態が改善されそうな兆候がある(そうした芽が出たときに、それを摘んでしまうことだけは避けてもらいたい)。

2月24日、いくつかの弔辞の中で際立っていたのが、新天皇の言葉だった。竹下首相が「昭和天皇は、世界の平和と国民の幸福を心から願われ」と述べたのに対し、新天皇は「ひたすら国民の幸福と平和を祈念され」と表現した。新聞報道によると、原稿には「国民の幸福と世界の平和」と書かれていたのだが、24日、新天皇は「『世界の』をはぶかれてお読みになった」のだそうである。

これを私は、新天皇の「知的誠実さ」の表現だと考えている。側近の準備した原稿をそのまま読まずに、歴史に忠実に、かつ自分の言葉に直して伝えたいと、新天皇は考えたのではあるまいか。もしそうなら新天皇には、これからも知的に誠実であって欲しい。表現の自由をも含めて、日本国民の持つすべての権利を獲得するように努力を続けて欲しい。

天皇が、権利についても義務についても、日本国民の一人となり、大多数の国民との間に、人間的なつながりができた時、はじめて彼(または彼女)は本当の意味で日本国民の象徴になるのではないだろうか。(1989年3月記)                                                 

[2019/5/1 イライザ]

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