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2019年4月20日 (土)

被爆遺構は誰のもの?Part4-広島平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会記念集会

広島平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会(以下「促進する会」という)の発足2周年を記念する集会「被爆遺構は誰のもの?Part4-被爆遺構展示整備候補地の原爆で失われた人と暮らしを伝える・旧天神町筋を中心に-」が、4月13日午後広島原爆資料館地下第1会議室で開催されました。

この「促進する会」は、広島市が進める平和公園の地下遺構公開に向けて、「広島平和記念公園の地下に埋もれている被爆遺構が重要であることを広く啓発し、その発掘と保存、ならびに一般公開を促進すること」ことを目的として、市民有志によって2017年4月2日に発足しました。私も、「促進する会」の世話人の一人としてこの活動に参加しています。

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集会の第一部では、広島市が昨年7月に発足させた「平和記念公園における旧中島地区被爆遺構の展示整備に関する懇談会」による試掘調査が昨年12月に終わり、いよいよ本年度実施される「確認調査」へと進むことが報告され、これからの作業により関心を深め、「住民の生活の営みが実感できる」被爆遺構となるように市民の声を届けること、とりわけ旧中島地区住民やそのゆかりの人たちの声がもっと大切にされるよう活動を強めることが確認されました。

第二部では、最初に、旧中島地区の様子を演劇で伝えようとしている若い演劇集団「五色劇場」の山田めいさんが、演劇で使う旧中島地区の模型展示の一部を持参して「なぜ旧中島地区なのか」と自分たちの思いを報告。

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続いてお母さんが旧天神町で生活をされ、今被爆体験継承者として活動を続けられている清野久美子さんから、お母さんから聞いている「旧天神町を中心とする旧中島地区」の被爆前の町の様子や子どもたちの日常風景などが、詳しく紹介されました。

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その後二人の対談。会場からも旧中島地区ゆかりの人たちが発言。中島本通りに面した廿日市屋(かもじの店)で生まれた高松さんは「桜湯につかった後、ミカン水を飲むのが楽しみだった。神戸やパンの前を通るとすごく良いにおいがした」ことなどに触れながら、「生活の跡が出てこなければ、平和公園の遺構としての意味はない」と「どんな遺構を保存すべきか」を強調されました。「材木町96番地、ちょうど資料館本館の階段付近に小学校3年までいました。」という今中さん。資料館本館地下の発掘調査で自分の硯が発見されたことに触れながら「これまで平和公園に来るのが嫌だった。あの発掘を機に証言も始めるようになった。4500人もの住民が犠牲になった場所。地下全体に町があったはずなので、これで終わりでは困る。もっといろいろなところを発掘してここに生活があったことを示したい。」と発言。その背景には、修学旅行で訪れた子どもたちの原爆ドームから平和公園へと移動しながら証言や説明をしていた時、子どもたちの中で「公園だったから犠牲者が少なくてよかったね」と話す言葉を聞いたことが、ショックだったという体験があったからです。

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当然のことですが、原爆で消された街・旧中島地区にも当たり前の日常生活を営む市民がいたということを忘れてはならないということを改めて痛感しました。広島市は、もっともっとこうした旧住民の皆さんや市民の声に向き合って被爆遺構保存の作業を進めるべきです。

「被爆遺構は誰のもの?」ということを重く考えさせられた今回の記念集会でした。

広島県原水禁は、2016年4月、資料館地下の発掘調査でかつての街の様子が見つかったとのマスコミ報道があった直後の5月、広島市に「永久保存と展示」を求める要望書を提出していますが、今後も関心をもって見守りたいと思います。

いのちとうと

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