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2019年4月16日 (火)

原爆ドームの絵を描き続けてきた原弘司さんを偲んで

原爆ドームの横の元安川の水で溶かした絵具で原爆ドームを水彩画で描き続けてこられた被爆者の原弘司さん(87歳)が、悪性中皮腫で14日永眠されました。心からご冥福をお祈りします。

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原さんが、原爆ドームを描き続けてこられたことは、様々なマスコミが取り上げるでしょうから、ここでは原さんと私のかかわりを振り返ってみたいと思います。

原弘司さんとの最初の出会いの頃は、旧国鉄の広島工場の労働組合の活動家として活躍されている時代でした。そのことが縁となり、1984年、修学旅行生たちに被爆体験を伝えてきたボランティア組織として立ち上げられた「ヒロシマを語る会」のメンバーの一人として証言活動を続けておられた原さんに、毎年夏に開催される青年女性平和友好祭で、被爆証言活動を何度も依頼し、自宅から会場まで送り迎えすることを条件に快諾していただいたことを今でも思い出されます。

「ヒロシマを語る会」の事務局は、広島県被団協の平和会館にありましたので、そこでお会いすることもたびたびでした。ですから原水禁運動を通じての思い出もたくさんありますが、そんな中でも特に忘れることができないことがあります。2010年被爆60周年を記念してドイツ・ポツダムのヒロシマ広場(現在は、「ヒロシマ・ナガサキ広場」と改称)に記念碑設置され、7月25日に開催された完成式の行事に参加した時のことです。現地から「夕方近くの湖だ『灯篭流しをしたい』」と連絡が入り、広島からも持参しようと準備を始めました。どんな絵柄のものを用意しようかと考え、思いついたのが、原さんの原爆ドームの絵を使うことでした。原さんにお願いし許しを得、原さんの「原爆ドーム」の絵と森滝市郎先生が色紙に揮毫された「人類は生きねばならぬ」や「核絶対否定」の文字とを組み合わせた灯篭を20組作成し、持参しました。完成式の夜の灯篭流しに集まった人たちが、喜びながら湖に浮かべたことを思い出します。

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その時には、さらに原さんには無理なお願いし、原爆ドームが描かれた大切な色紙2枚を譲っていただき、ポツダム市長や当時の碑建立委員会の皆さんに贈呈しました。今もどこかに飾られていると思います。

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原弘司さんのお通夜、葬儀は家族葬で行われるということを聞きましたので、長男の広信さんのお許しをいただき、通夜前の葬儀場の親族控えの間に安置された原さんに最後のお別れをすることができました。トレードマークのベレー帽をかぶり、いつものように「よく来たな」と声をかけていただけそうな原さんでした。

原さんの願いであった「核のない平和な世界」を実現させるために、好きだったことば「継続は力なり」を忘れず頑張ることを改めて霊前に誓いました。

いのちとうとし

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