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2019年3月

2019年3月31日 (日)

2019年3月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)

安芸の郷は障害者が日中働く3つの「障害福祉サービス事業所」を安芸区矢野東で運営している。作業の柱の一つがブルーベリーの栽培や加工、販売で2つある建物の屋上、近くの海田町の休耕田でブルーベリーを植えているが、それでは足りないので東広島市豊栄町のブルーベリー園農家と提携して数トンの提供を受けて量の確保をしている。以下は標高約400mの地にるこの農園の3月の様子。

その様子はコンパクトデジカメで撮影しているがどうしても何度かはゴトッと落としてしまう。そしてそのうち動作が怪しくなる。今まで使っていたカメラの場合はレンズが出たまま動かなくなりアウト。あきらめて次のカメラを行きつけのネットの店で探して中古を購入。購入してまだ2か月くらいでまだ慣れていないのでカメラのいいとこ探しをしながら毎日撮影している。ブルーベリー農園の様子も試しながら撮影した。

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3月16日(土)

もう雪の心配はない。一段高いところにある小さな畑の法面の梅の枝にたくさんの花が咲く。たくさん切って自宅の玄関に飾った。

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3月17日(日)

農園のブルーベリーは田んぼの転作と松くい虫で枯れた里山を伐採した後に植えており全部で約1100本ある。1月から始めた剪定は例年5月末までかかる。この畑のブルーベリーは2001年に植えたので根元から切って主な幹の更新をはかる。高さも3m位になって摘み取りで手が届かない木もあるので「もったいない」に目をつぶり作業を進める。

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3月17日(日)

この木は切った後しばらくして切り口に水分を浮き上がらせた。指につけてなめてみる。ほぼ水の味。援農に来ている安芸の郷の職員はちょっと甘味が感じられると言っていた。この時期になると木は地下から水分を吸い上げていっていることがよく分かる。

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3月17日(日)

夕方5時前に後始末で切り口に癒合材代わりに木工ボンドを塗って保護しておく。

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3月21日(木)

春分の日は暖かく午後の作業は上着を脱いでちょうどいい位。ブルーベリーの木の根元にところどころスイセンが咲いている。花壇にスイセンからのこぼれた種が自然に生えたもの。

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3月27日(水)

3段あるブルーベリーの畑の全景。写真手前と中の畑の剪定は終わっている。上の畑が剪定の最中。

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3月27日(水)

切った枝は野焼きするのだが2~3人で作業するのでどうしても溜まってしまう。

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3月27日(水)

作業中ひょっこり出てきたカエル。とても痩せている。小鳥の巣も枝にかかっていたし、キジはいつも近くでケーンと鳴くがまだ姿は見ていない。ミツバチもまだ出てこない。

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3月27日(水)

春の柔らかな日差しに浮かぶ畑の春色の野の花。ピンク色はホトケノザ。青色に白色はオオイヌノフブリ。バックの葉っぱは若草色。

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庭のヤブツバキ。

2019年3月31日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2019年3月30日 (土)

「ひろしま一丸。さあ投票へ。」と言われても?

昨日、広島県議会議員選挙、広島市議会議員選挙がスタートしました。

私も、市議会議員選挙候補者の出発式に参加するため、安佐北区口田に行ってきました。定数7に対し、13名が立候補するという市内でも最も激戦区となっています。

市内各所に設けられた掲示板には、それぞれの候補者が工夫を凝らしたデザインのポウターが一斉に掲示されました。下の写真は、中区区役所前の掲示板の模様です。

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立候補の届け出は、午後5時で締め切られました。市議会議員選挙は、8区すべての選挙区で、立候補者数が定数を上回り、挙戦が展開され、4月9日の有権者の審判を待つことになりました。

ところが、県議会議員選挙は、広島県全体で23選挙区中14選挙区が、定数では、64名中28名が無投票当選となりました。実に44%です。全国でも4番目に高いと言われています。

その中身を詳しく見てみると、広島市以外の8選挙区は、いずれも定数が一名の選挙区です。複数定数区で無投票となった選挙区は、広島市内の6選挙区だけです。この6選挙区の定数は20ですから、20人もの候補者が、有権者の審判を仰ぐことなく、無投票での当選したことになります。ちなみに広島市全体の定数は26ですから、77%が無投票で選ばれたということになります。広島市役所の2号線側南西角に掲示された懸垂幕には、こう書かれています。「ひろしま一丸。さあ投票へ 4月7日」 でも私が住んでいる中区では、県議会議員選挙では、一票を投ずることができません。

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市内6選挙区が無投票というのは「異常だ」と思うのは私だけでしょうか。理由は、様々言われています。「政令都市は、行政が行うべきサービスや仕事は市の担当となり、県政が担う役割が非常に少ない」「市議と比べると県議は、倍以上の表を取らなければ当選できないので、なかなか県議選に立候補を決意するのは難しい」などなど。

その原因を掘り下げて検討しなければならないと思いますが、はっきりしていることは、有権者にとって、一票を行使する権利を奪われ、政策を選択する機会を失ってしまったということであり、候補者にとっても、自らの主張や政策を有権者に判断してもらう機会を失うということです。さらに、日頃の市内選出の県議会議員の活動がどうだったかも問われているとも言えます。そのことは、一層市民の政治への関心を低めていくことになると思います。自治体議員選挙での立候補者数が毎回毎回減少していくことと合わせ、本気になって考えなければならない時期に来ています。

昨日応援に行った安佐北区の白木町井原地区で、満開の枝垂桜を見つけました。すごく立派な桜でしたので、今日も写真を載せました。一緒の楽しんでください。

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いのちとうとし

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2019年3月29日 (金)

普門寺の枝垂れ桜はいまが満開

桜の便りが、テレビのニュースでも連日報道されていますが、わが家から歩いて3分ほどのところにある普門寺(広島市中区大手町3丁目5-5)の枝垂れ桜も、いまがちょうど満開です。

五日前(22日)に、声をかけられて山門くぐり観た時は、まだほんの2,3分咲きでした。

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今日(28日)、境内に入ると満開の桜が目に飛び込んできました。ここ数日の温かさに誘われて一気に満開です。毎年のことですが、街の真ん中でこんな立派な桜を見ることができるなんて。

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昼前に訪れた時には、花びらの散る姿を見ることができませんでしたが、午後2時過ぎにもう一度のぞいてみると、風に揺れながら一輪、二輪と花びらが散り始めていました。

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「毎年楽しみにして、見に来ました」という人たちが、次々と訪れていました。

ちなみに普門寺は、毛利元就ゆかりのお寺だそうです。

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2019年3月28日 (木)

かき船裁判第1回控訴審

広島地裁(裁判長・小西洋)が、昨年9月19日に出した判決を不服として、原告が広島高裁に控訴した「かき船裁判」の第1回控訴審(三木昌之裁判長)が、昨日午前10時から302号法廷で行われました。

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私も原告団を代表して次のような意見陳述を行いました。

「原爆ドームの世界遺産登録を実現させたのは、164万人を超える署名請願が大きな力となった。原爆ドームは、建築物としての文化的価値の評価だけでなく、被爆の実相や被爆者の慟哭を世界の人々に伝え続けている。死者への鎮魂、悲惨な被爆を伝える歴史の生き証人として、普遍的な価値を持つ。その価値を守るべき国が、バッファゾーン内にかき船の占用使用を認めることは、世界遺産原爆ドームの価値を貶めるものであり、絶対に認めることはできない。」ことを強調しながら、「隣接する町内会や、直近のマンション住民、被爆者団体など多くの反対を無視して進めたことは手続き上問題がある」ことを指摘し、とりわけ「かき船かなわは、この3年半、一度も離岸作業を行っておらず、広島市が『建築物でない』と判断の根拠が崩れている。」ことを強調しました。最後に重ねて「世界遺産原爆ドームの価値」を強調し、意見陳述を終えました。

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続いて弁護団から「控訴理由」、とりわけ「かき船が建築物であること」を強調しつつ、広島市の関係部署への調査嘱託を行うよう強く求めました。しかし、三木裁判長は、控訴人の主張を一切取り上げず、「結審」を言い渡し、「判決は7月26日午前11時に言う」とし閉廷しました。何が何やら理解できないまま、審理は終了しました。

その後、弁護士会館で行われた報告会で、藤井弁護士からは「控訴審では、1回のみの開廷で結審する裁判も多い」との説明がありましたが、原告団はもちろん、傍聴の駆け付けた人たちにも、全く理解できない法廷となりました。

私自身、改めて行政訴訟の難しさを実感させられた一日となり、張り切って書こうと思っていたブログ原稿も、これだけで終わりにします。

いのちとうとし

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2019年3月27日 (水)

宮島戦跡紀行

少し前に、宮島に行きました。

宮島と言っても、厳島神社には見向きもせずに、宮島に残る戦跡めぐりをしに行きました。

まずは、海を渡る前に腹ごしらえ。対岸の大野町で「瀬戸内レモン冷麺」を食べました。

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 宮島港について、車で40分ほど西に進んで最初の目的地に着きました。

室浜砲台跡

説明板によると、1898年着工。日露戦争宣戦布告1904年の直前に備砲完了。広島は呉をはじめとする陸海軍の重要施設や多くの艦船泊であり、これらを防衛するため、広島湾をとりまく要塞の一環としてつくられたそうです。

でも、日露戦争終結まで一度も実践をすることなく、任務を終了したそうです。(防衛の拠点が下関に移ったため)

ということは、6年もかけてつくったけれど、すぐに「いらなく」なったということです。

使われなかったのは、よかったけれど、戦争は無駄なことだらけ。まさに「生産性がない。」

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下のまるいのが砲台です。

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幹部の部屋だったのではないかと説明していただきました。

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次に、めざしたのは、鷹ノ巣砲台跡。

ふたたび車に乗って1時間は走ったでしょうか。思っているより宮島は大きな島でした。

まだ西日本豪雨の被害が残る細い山道を、気を遣いながら進んでいきました。

鷹ノ巣砲台跡は、宮島の山の上の方にあります。

車で行けるぎりぎりまで行った後は、ひたすら徒歩で山登り。

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日頃運動不足の私、とにかくがんばりました。

近づいてくると、井戸やトイレ跡がありました。

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階段をぬけると、

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やっとのことで着きました!

鷹ノ巣砲台跡

鷹ノ巣砲台も、室浜砲台と同じ時期、同じ目的でつくられたそうです。

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砲台長の部屋

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砲台長室の真上には方位観測所

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砲側庫の煉瓦は呉で焼かれたそうです。

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地下兵舎脇の石垣

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広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所の敷地内にある室浜砲台に比べて、

鷹ノ巣砲台は、荒れが結構進んでいました(>_<) 一人で行くのは危険です。

下山の際は、広島?の街も海の向こうに見えました。

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鷹ノ巣砲台は、海岸(鷹ノ巣浦)の方にも低砲台があります。他のみんなは行きましたが、私は、体力温存のため荷物番をしました。(写真がなくてすみません。)

山を下りても宮島には、戦争と関係のある遺構があちこちにありました。

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みなさんも、機会があれば行ってみてください。

 (濱野 梢)

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2019年3月26日 (火)

呂歓喜先生への手紙

呂歓喜先生

ご無沙汰しております。お変わりなく、お元気でお過ごしのことと存じます。私は他国の日本に住んでいます。もちろん結婚をして子どももいます。家族団らんな生活を送れていることは,先生の教えのおかげです。感謝しています。

私は,日本の広島に住んでいます。考えてみれば日本の生活も17年目を迎えます。17年前の2002年は、毎日の生活がドキドキ、ワクワクの連続でした。なぜなら慣習や文化が違い、それを学ぶ楽しさがあったからです。でも,時が過ぎると、すごく違和感を感じ始めました。その理由は、皇族を「陛下」「殿下」と呼んでいたからです。

私の記憶では,高校2年生の古文の時間だったと思います。もう37年前のことですね。先生から「皆さん!『閣下』の意味を知っていますか?」と聞かれました。その時は、一日も欠かさずテレビのニュースや新聞で、「全〇〇大統領閣下」を見聞きする時代でした。また、歴史ドラマには「殿下」はよく出ていましたね。

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その授業で先生から「民主主義と呼称」について教えていただいたことは、今の私の宝になっています。先生は、

「陛下の『陛』は『天子の宮殿の階段』で、殿下の『殿』は貴人を敬って言う代名詞であり、その人が居る建物を意味することもある。例えば景福宮の勤政殿・康寧殿・交泰殿は、王の執務室であり、王と王妃が生活する建物であり、閣下は、殿下より一段下の人、または、その人が居る建物を意味する。すなわち『陛下』『殿下』『閣下』は、人の上下を表す言葉であり、民主主義とは正反対の意味になる。しかし今、テレビや新聞が『全〇〇大統領閣下』と呼び、書いているのは民主主義国家ではあり得ないんだ!このことを皆に知ってほしい」と言われました。

その後、国民が直接大統領を選出することになり、それで就任した盧大統領時代から公式的に「閣下」という呼称がなくなったことを覚えています。もちろん、完全になくなるまでには大統領が二人も交代しました。

日本は君主制で戦前の天皇家が今も続いています。5月には新しい天皇が誕生します。「陛下」「殿下」が「人の上に人あり、人の下に人あり」を意味する差別語であることを日本の新聞やテレビも知ってほしいなと思う今日この頃です。

韓国にいつ帰るかはわかりませんが、先生との再会を強く望んでいます。お元気で過ごされることを心からお祈りします。

広島より(李 昇勲)

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2019年3月25日 (月)

山口県議会議員佐々木明美さん、最後の一般質問

1983年に宇部市議会議員を皮切りに、1987年からは社会党(現・社民党)の山口県議会議員として8期32年活躍してこられた佐々木明美さんが、議員としては勇退され後継者にバトンタッチされることになりました。

2月27日、山口県議会最後の一般質問が行われ傍聴してきました。30分間の持ち時間の内、約25分を最初の質問に使い残り5分を再質問として使いました。その中で、上関原発に関係する部分を皆さんにお知らせしたいと思います。少し長くなりますが、お許しください。

今から約40年前の1978年、現在の下関市豊北町に原発建設計画がありました。

賛成・反対の攻防が山場にさしかかった中で実施された町長選挙で、反対派候補が大差をつけて圧勝しました。その後、豊北町長は山口県と中国電力に対し「原発立地拒否」を町民の意思として正式に通告されました。山口県においては、すでに原発は県民の意思によって拒否されたものだと言えます。

しかしその後、熊毛郡上関町に原発建設計画が浮上したのが、1982年。今年で37年が経過しました。事業者である中国電力がさまざまな工作を重ねながらも、現在まで埋め立て工事一つ、何ひとつ進んでいません。出来ないのです。

それは、地元上関町の人たちの「ふるさとに原発はいらない。子孫に原発の町として残したくない」という強い思いがあるからです。そのために裁判をやり、漁業補償金の受け取りを拒否し、毎週集会・デモをやり、埋め立て工事に反対し、町議・町長選挙に挑み、原発に頼らない町おこしを実践し、まさに生活をかけた闘いによって、ふるさとを守ってきたのです。

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一方で上関町民の人たちに生じたのは、「原発賛成・反対」による分断と亀裂でした。それは肉親の間ですら、悲しく不幸な状況を生みだしています。沖縄でも同様ですが、これが国策に翻弄される人びとの姿です。知事、原発という国策ゆえに、37年間も地元上関町に生じているこうした状況をどのように受け止めていますか?

そういえば知事は、上関町および祝島を視察されましたか?ぜひ一度お訪ねください。それぞれお答えください。

2011年の福島原発震災からまもなく8年です。東北電力が福島県浪江町と南相馬市に計画していた「浪江・小高(なみえ・おだか)原発」は、1977年国は要対策重要電源に指定しました。しかし地元の強い反対運動が続く中、福島原発事故がおきました。その後、地元自治体の浪江町や南相馬市、そして福島県知事の決断によって、事故から2年後の2013年、東北電力は計画を撤回しました。

このように自治体は、原発建設計画に大きな影響力を持っているのです。知事は現在の電力需要の動向、原発反対の強い県民世論、上関原発の計画の具体性が見えていない状況、さらに2011年7月、周辺自治体とともに計画の凍結をふくむ県議会意見書に添って中電に対し、建設計画の撤回を求めるべきです。お尋ねします。

昨年12月26日、原発反対市民団体が中国電力本店に申入れに行きました。その際中電は、「過酷事故は起こりうるという前提で様ざまな施策をしている。環境にやさしい原発は安定した電源として、これからも進めていく」と言いました。まさかこれが本音なら信じられない認識、あきれた企業感覚です。そして市民・県民を愚弄しています。この考え方、発言について知事はどう思われますか?

さらにアベノミクスの成長戦略である原発輸出ビジネスは、ベトナムでもイギリスでも、トルコでも安全対策の高騰により破たんしました。フランスとの核燃料サイクル計画の研究も中断され、核のゴミは行き場もなく溜まり続けています。ましてや福島原発事故の収束のメドもたっていません。

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こうした中、先般中国電力の清水社長は、6月に埋め立て免許延長申請をすると発言、それに対し知事は正当な事由があれば許可すると記者の質問に答えられました。正当な事由とは、土地利用計画があるかどうか、そして埋め立て目的は原発建設です。それが土地利用計画です。ちなみに2018年7月に決定された国のエネルギー基本計画には、原発の新増設はありません。

県民のいのちとくらしを守るトップの責任として、あの福島県知事の決断のように、上関原発計画は容認しない、当然、埋め立て免許延長は認めない決断をするべきです。いかがですか、おたずねします。

県議会の傍聴席には、上関原発に反対する多くの人たちが見守りました。

3月8日県議会は最終日となり、今期限りで引退する議員の送別会が行われマスコミからのインタビューに佐々木さんは「非常にやりがいのある議員としての活動だった。県民の気持ちに寄り添った県政運営をしなければならないと思うが、国策に関してはまったく実行できていないのが非常に悔しい」と答えていました。「非常に」の言葉が、「ひじょうーーーーに」と伸ばして強調されたのが、佐々木さんらしいと思いました。

木原省治

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2019年3月24日 (日)

上関原発は建てさせない―山口県民大集会

上関原発は建てさせない―山口県民大集会

 昨日(23日)、山口市維新百年記念公園・野外音楽堂で「上関原発を建てさせない山口県民大集会 福島を忘れない さよなら上関原発」が、開催されました。広島県原水禁からも代表参加でしたが、この集会に参加し「上関原発計画白紙撤回」を実現させるため、ともに取り組む決意を固めました。

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主催者のあいさつに次いで登壇した共同代表の一人で祝島島民の会代表・清水敏保さんは次のように訴えました。

「今日のこの集会には、43名が祝島から参加している。計画から37年、長い闘いの中で上関町の町民は、賛否を巡って分断されてきた。福島の事故で、上関原発は終わりと思った。しかし、国も中電もあきらめていません。7月に公有水面埋立て期限を向かる。6月には、再申請することになるが、それを止めることが重要だ。そのため、今日から山口県知事に『埋立て許可を認めさせない』署名を始める。わずか2カ月余りの取り組みだが、上関原発を止めるための大事な取り組み。全力で頑張る。ともにがんばりましょう」と。

続いて福島からのアピール。各地域からの報告、そして集会のメインとなる「おしどりマコ・ケン白熱トーク」が、スタート。昨年の広島でのトークと同じように軽快なしゃべりが続く。ところが、始まって15分もすると空を突然の雨雲が覆い、強風とともに霰(あられ)が降り始め、屋根のない場所に座っていた参加者は、ステージ上に移動し、一時間余りのトークが終了しました。下の写真は、霰を写したもの。

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最後に

「悲惨な原発事故を二度と起こさないためにも、原発反対の声をあげ次のことに取り組む。・上関原発計画を白紙撤回させよう! ・「奇跡の海」と評される上関の美しい自然を、未来に残そう! ・福島原発事故の惨劇を忘れず、すべての原発の廃炉を実現させよう! ・原発のない安全で安心して暮らすことのできる社会をつくろう!」という集会アピールを全員の拍手で確認し、集会パフォーマンスを行い終了しました。

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広島からの参加者も、11日に開催したヒロシマ集会を思い起こしながら、決意を新たにして、帰ってきました。

いのちとうとし

 

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2019年3月22日 (金)

問われる人権感覚・・・東京五輪

 競泳選手の池江選手が白血病であることを公表したことを受け,市民の間に衝撃が走りました。同時に,回復を願う多くの励ましの声や支援の輪が広がっています。池江選手は,自らの希望で公表に踏み切ったそうですが,自身のショックを乗り越え,白血病と向き合おうとする強い精神力に頭が下がります。病気を克服し,再び私たちの前に立つ日が来ることを願ってやみません。

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そんな中,桜田義孝五輪担当相は,池江選手の白血病公表について「金メダル候補。本当にガッカリしている」「盛り上がりが下火にならないか心配している」と発言したと言います。このような人権感覚の持ち主がこの国の要職を担っていることは,非常に残念でなりません。桜田大臣は,衆院予算委員会での追及を受け,「配慮を欠き,おわびして撤回したい」と述べましたが,撤回したからといって,桜田大臣の人権感覚が変わるわけではありません。なぜ,自分がそのような発言をしたのかをしっかり分析し,人権感覚を高める努力をしない限り,同じことは繰り返されるでしょう。撤回は終わりではなく,自己変革へのスタートでなければなりません。

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また,桜田大臣は,「五輪憲章については話には聞いているが,自分では読んでいない」とも答弁しており,五輪担当相失格は言うまでもありません。しかし,桜田大臣は「職務を全うできるように努める」と辞任を拒否するとともに,安倍首相は「五輪招致に全力を尽くしてきた一人。経験を生かして力を尽くしてほしい」と桜田大臣を擁護しました。

人の痛みが分からない人たちに,この国の舵取りを任せていても良いのでしょうか?国会での様子を見るにつけ,そういった気持ちが強くなるのは私だけでしょうか?

T・N

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2019年3月18日 (月)

再スタートに当たって

昨年8月に中断していました「ヒロシマの心を世界に」は、執筆陣も新たにし、ブログ名を「新・ヒロシマの心」と改称し、再スタートを切ることになりました。

 

 執筆陣も多様になり、様々な角度からの記事を掲載できることになると思います。

 

 今月(3月)中は、助走期間として、これまでに届けられた原稿を順次掲載していきたいと思います。

 

 正式なスタートは、4月1日からになります。エイプリルフールにならないよう努力します。

 

 

 

 

 

 

 

 

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