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2021年2月26日 (金)

「県民を舐めるな! 有権者を馬鹿にするな!」 ――怒りを発信することも私たちの義務です――

「県民を舐めるな! 有権者を馬鹿にするな!」

――怒りを発信することも私たちの義務です――

 

「舐めるな」とか「馬鹿にするな」という表現を使う機会はあまり多くはないのですが、使わなくてはならない場合には使うことが大事です。

森友や加計、そして桜を見る会等が有耶無耶の内に忘却の彼方に放り出されてしまっている感のある今、権力者・為政者による過去のスキャンダルそして違法行為を反省し、「国民全体の奉仕者」としての仕事を懸命にこなしていて当然の政治家や高級閣僚たちが、さらには国民の意思を代弁して当然の政党も、またまた目に余るスキャンダルを繰り返しています。

そんな気持を、論理的にかつ明快にまとめてくれたのが、広島地検の元刑事部部長そして元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士です。ヤフーニュースへの投稿、「参院広島選挙区再選挙、自民党は、広島県民を舐めてはならない」が、的確に問題の本質を抉ってくれています。詳しくは、このヤフーサイトを御覧頂きたいのですが、サワリだけ引用しておきましょう。

「広島県政界に広く現金がばら撒かれたこの事件は、まさに党の組織としての重大不祥事である。1億5000万円の選挙資金と現金買収の原資との関係や、安倍氏や菅氏の案里氏の立候補及び選挙運動への関与や認識などを明らかにし、また、広島県政界に事件が波及した構造を解明して、是正を図らなければ、自民党が公正な選挙を行うことへの信頼も期待もあり得ない。」

こうした努力は全く行わずに、「候補を一本化」することが、この不祥事に対する答だとの主張を行っている自民党の県連は、今回の「再選挙」の意味を無視し、選挙とは「政局」つまり、権力闘争の一場面であるとしか考えていないことを示しています。

単純化してまとめておくと、「一本化」に理解を示す人たちは、片や「岸田派」(岸田総理を実現させたい人たち)、こなた「菅派」(安部から菅というラインを作りたかった人たち)の抗争という図式で次の選挙を考えているからなのではないでしょうか。2019年の参議院選挙で、自民党が二人の候補を立てることになったのは、この抗争での「岸田派」の敗北を意味している。この抗争の次の回、つまり参議院再選挙で勝つためには、「岸田派」がまとまって、「候補を一本化」することが必要だ、と言っているに等しいではありませんか。

それは、選挙そのものの意味、民主主義と国民主権についての自民党の基本姿勢を具体的に示している行動だと言っても言い過ぎではないでしょう。

再び郷原氏に登場して貰うと、

「自民党が、広島県の政界の体質に目を向けることなく、単に、過去の与野党の票差と、野党側の選挙事情だけに目を向けて、再選挙に公認候補者を擁立しようとしているとすれば、広島県民を舐めきった「思い上がり」以外の何物でもない。」

自民党は再選挙に公認候補を出すという決定をしたのですから、郷原氏の結論、「広島県民を舐めきった」行為であることが証明されました。公認候補を擁立して選挙運動をする中には、河井夫妻から金を貰った現職の自民党議員が含まれています。そんな選挙で自民党候補に一票を入れることは、今以上に「舐められる」ことになるのですから、そんな選択をする人は少数だと思いますが、それだけで良いのでしょうか。

静かに、「粛々と」投票するだけではなく、声を大にして「人を舐めるのも好い加減にしろ!」と叫ぶことも必要なのではないでしょうか。

私たちの目の前にある政治腐敗は、河井夫妻の買収事件だけではありません。少しは改善されたように見える、新型コロナの感染も、まだまだ問題です。中止すべきだと考える市民が多数を占めているオリンピックを、ゴリ押しして開催しようとする内閣も組織委員会も、国民を甘く見ています。こうした重要案件を抱えて、誠心誠意、主権者である国民との対話を重んじ、より良い解決策を策定しなくてはならないにもかかわらず、与党議員たちもその下支えをすべき高級官僚たちの為体 (ていたらく) も、目を覆うべき状態です。

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総務省の官僚たちが菅総理大臣の長男の勤める東北新社から受けていた接待が、常識外れであることは改めて指摘するまでもないでしょう。それだけではなく、『週刊文春』が音声を公開していなければ、「記憶にない」等の虚偽の答弁を弄することは、森友・加計・桜から連綿と続く、「隠蔽」「言い逃れ」「知らぬ存ぜぬ」「記憶にない」等々の「悪事隠し」の手法は、国民を馬鹿にしているとしか言いようがありません。

仮に事実を認めても、せいぜい減給とか訓告・戒告等が主なものになり、重くて辞職です。罰則はないのも同然なのですが、私たちはそれに慣らされてしまっています。法律や制度がそうなっているからなのですが、そこから見直す必要があるのかもしれません。

この際、もう一度憲法を読んでお浚いしておきましょう。まず15条です。

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

国会議員も公務員という立場なのですが、通常の公務員も当然、15条に縛られます。高額の接待を受けること自体、「全体の奉仕者」としての意識の欠如なくしてはあり得ません。それでもう憲法違反です。重い罪でなくて何でしょうか。

さらに、12条が重要です。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

公務員の人事権を持つという「権利」も、「不断の努力」で守り続けなくてはならないのです。公務員が、全体の奉仕者としての立場を捨て、自分たちの持つ権力に驕っている場合、私たちが「怒り」をエネルギー源として、断固たる姿勢を示すことは、12条を遵守するための「義務」だとも考えられるのですが、如何でしょうか。

 [2021/2/26 イライザ]

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2021年2月25日 (木)

島根原発が立地する松江市の市議会議員選挙

 原子力規制委員会による島根原発2号機の規制基準適合性審査の「合格」が、今年中に出るのではないかといわれる中、4月11日告示、18日投票の予定で松江市長選挙と市議会議員選挙が行われます。

この大事な市議会議員選挙に、「島根原発増設反対運動」の声を届けるために立候補を予定されている芦原康江さんに松江市が抱える課題を聞きました。

 芦原さんが原発に反対したキッカケは?

 高校生の頃だったと思います。新聞に小さな記事で「鹿島(かしま)町(現・松江市鹿島町)、に原発が建設される」というのを見つけました。原子力という言葉に、広島に投下された原子爆弾のことがダブり、漠然とした原子力に対する不安感を感じました。その後、2号機増設問題が起こった時、子どもが3~4歳頃だったと思いますが、久米三四郎さんの講演を聞きました。久米さんの話しを聞いたのが大きなキッカケとなりました。

 今年は原子力規制委員会による審査で、2号機が「合格」になるという報道がされていますが、改めてそのあたりの状況を教えてください。

福島原発事故発生から2年が経った13年12月に、中国電力は「規制基準適合審査(再稼働)申請」を行いました。7年以上が経過し、大きな問題点の審査は、ほぼ終えたとされています。私の予想では、4月の市長と市議会議員選挙が終われば5月頃に「合格」が出るのではないかと思っています。でも延びる可能性はあります。

原子力規制委員会は自らも言ってますが、規制基準に合格したからといって、その原発の安全を保証するものではないとしています。

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島根原発の問題点は何でしょうか?

原発共通の問題点は別にして、島根県の三瓶山・鳥取県大山の火山噴火による影響の問題、地震の問題、津波の問題があります。昨年12月に大阪地裁で関西電力に対し、大飯原発の基準地震動の「ばらつき」問題で、設置許可を取り消す判決が出ましたが、このことは島根原発でも共通して抱えている問題です。

また大きな問題は避難のことです。島根原発から30キロ圏内には約46万人の人が住んでいます。この人たちは島根県西部、鳥取県東部に、そして岡山県や広島県に避難することになりますが、立地上の困難さ、コロナ禍、気象条件などを考えれば実効性のある避難は不可能だと思います。避難計画は原子力規制委員会の審査の対象ではないと逃げられるでしょうが、今後は30キロ内自治体はもとより、避難先の自治体に「再稼働を容認しないで」という声を届けることだと考えます。

そのために、米子・境港・雲南市などで住民投票条例の制定に向けての活動が準備されています。

市民の原発に対する気持ちはどうでしょうか?

原発に対する不安感はあります。しかしどこの立地自治体でも同様だと思いますが、原発関連の仕事に就いている人が多く、特に原発の在る鹿島町ではその傾向が強くあります。でも公けには言わなくても、一対一で話せば原発への不安を語る人はいます。

 

松江市は、全国で唯一の県庁所在地に原発が立地するという自治体です。隣の県の市議会議員選挙ですが、「島根原発再稼働反対」を訴える私たちにとって、関心を持たなければならない選挙です。

木原省治

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2021年2月24日 (水)

「軍都と被爆の証人 広島城」散策

コロナが若干落ち着いたかのように見えた昨年の10月のある日、通りかかった広島城を散策しました。天守閣はもともと見学するつもりはなかったのですが、Go Toの関係か人列ができていました。

2017年11月に原水禁学校のフィールドワークで訪れて以来の散策でした。入口から御門橋を渡り二の丸付近に被爆樹木の一つユーカリは今も生き残っています。

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 今回は旧大本営跡と防空作戦室跡周辺を再訪しました。

大本営が置かれる前に歩兵、砲兵、工兵等で構成された第五師団が広島に置かれ、対外戦争への準備のため港や鉄道の整備が着々とおこなわれ軍都広島として位置付けられました。大本営は言うまでもなく日清戦争時、1年半東京から広島に移され明治天皇も広島に入り、戦争の指揮を執り臨時の首都機能を有していました。

2021年度ヒロシマ平和カレンダーでは、6月に掲載があります。 http://www.hipe.jp/

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 防空作戦室は、戦争で学徒動員された比治山高等女学校の女学生たちが働いており、原爆投下により司令部の外にいた70名近くの女学生と先生が亡くなり、半分地下に建てられた防空作戦室に当時当番で居た岡ヨシエさんたちが、原爆投下により元の位置より2m飛ばされ、23分意識を失われた後に助かり、軍事専用電話を使って「広島全滅」の第一報を初めて広島市外に伝えられた場所です。天井の高さは約3mほどで、今でも四つの部屋が比較的良好に遺存されています。

「炎のなかに原爆で逝った級友の25回忌によせて」という体験集には、被爆時の様子が生々しく伝えられています。被爆直後、女学生たちは、親の顔も浮かんでこないほど必死で被爆者の治療に当たられていました。国のために教育され職場でいつでも死ぬ覚悟ができた様子が記されています。

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 防空作戦室はこの写真の石垣の向こう側辺りにあります。

この写真を撮りながら、岡さんたちが原爆投下直後、壕の土手に駆け上がり、瓦礫の街と化した残酷な様子を目にしたとされる場所なのだろうかと勝手に想像しました。

当時は3班に分かれ90名近くが作業に従事されていました。本来は学業に専念できた女学生が、時の政治状況で戦争にかり出され、死と向き合わなければならない、これほど人の尊厳を無視した時代があってはなりません。

このようなことは現在でも似たようなケースがあり、朝鮮学校の無償化裁判で、子どもたちが本来の学業とは別に裁判で争わなければならない部分と重なります。

 広島城の天守閣は原爆の爆風で倒壊し、1958年に再建され今に至っています。現在では、耐震化の問題が浮上し鉄筋コンクリートでの建て替えに対し、木造建築で再建すべきという意見もあるようです。

私はそのことよりも、広島城に来られる観光客に、意外と知られていない軍都広島と被爆当時のこのような出来事の目を向け、学習の場として訪れていただきたいと思います。その意味では、先に全国の新聞社で紹介された2021年度ヒロシマ平和カレンダー「軍都だった廣島」の購入を希望される関東、東北の方々が多くおられることに嬉しく思いました。

なぜ広島に原爆が投下されたのか、広島が軍都として果たしてきた役割と加害の部分を知ってほしいと思います。

安佐南区 輝き

<編集後記>20日の「学徒動員と原爆被爆その2-鳥取県の動員実態」で、「その3」は24日に紹介すると告知していましたが、沢山の原稿が届きましたので、3月2日に延期しました。

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2021年2月23日 (火)

2月のブルーベリー農園その3(東広島市豊栄町)

17~18日に強い寒波がきた。通所事業所の安芸の郷では送迎を行っているが安芸区周辺は幸い道路の凍結はなく通常運行ができて、いよいよ冬の弊害が終わってくれそうなのでほっとしている。ブルーベリー農園は広島県のほぼ真ん中で、標高約400mの場所にあるので18日の寒波で雪が降ったが、20日に農作業にいった時には春のような気温だった。ひたすらブルーベリーの剪定を続ける。

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2月20日(土)。

①.3段ある農園のブルーベリー畑。午後の陽気は春めいている。

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②.庭の片隅のアスファルトの隙間に咲くオオイヌノフグリはロックガーデンの風情。

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③.北川の里山のブルーベリー園では18日の寒波で降った雪が残る。21日にはすっかり消えていた。

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④.一番上のブルーベリー畑の剪定が続く。木の下のヒコバエのカットや、

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⑤.背伸びして手をいっぱい上げて枝を切る。

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2月21日(日)。

①.豊栄町にはホームセンターが2つある。しかも近い距離で。ブルーベリーの太い枝を切るのに使う鋸が切れなくなったので替刃を購入し取り換える。写真下がそれ。上の鋸が竹の伐採用。よく切れないと作業がはかどらないし気分も良くないので道具は大切。

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②.2人とも鋸はよく切れるものにして剪定をする。

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③.剪定の澄んだブルーベリーの列。見通しが良くなる。

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④.農園の庭や里山周辺にはヤブツバキをはじめ花色の違うツバキがある。まん丸のタイプのツバキが色づいている。

 

22日は妻と友人2人が農園に行った。午後2時間ばかりブルーベリーの剪定枝の野焼きを援農。写真はなし。

2021年2月15日

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年2月22日 (月)

三原地区・府中地区の「19の日行動」

三原地区・府中地区では、今月も恒例の「19の日行動」が実施されました。いつものように三原は藤本講治さん、府中地区は小川敏男さんからその様子を知らせるメールが届きましたので、あわせて紹介します。


三原地区

三原市民行動「19日行動」は,2月20日(土曜日)午後1時30分から1時間、20人が参加し三原駅前で実施しました。

7人の弁士が、次々とマイクを握り、菅首相のお粗末な政権運営や憲法無視の国会,やりたい放題の政治の状況について厳しく批判するとともに、いっしょに声を上げていただくよう強く訴えました。

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その中で、元三原市議の岡崎敏彦さんは,「日本国憲法が作られて74年目,改めて憲法前文と9条をしっかりと読み直していきましょう。」と呼びかけながら、宇都宮徳馬自民党元参議院議員が定期発行されていた「軍縮」に書かれていた「日本の危機管理は,いかなる場合も平和憲法と非核三原則の枠を越えてはならない」という言葉を紹介し,「大変重みのある言葉です。日本の安全保障の絶対守らなければならない大原則であると思います。そしてこの提言は、今、私達に対して、憲法がどういうものなのか,今,政治はどうかかわるべきか,私たちはどういうところに置かれているのかをしっかりと考えなければならないと投げかけているのです。」と熱く訴えました。

私は、今日も司会をしていましたが、いつもながら岡崎さんのアピールには,共感と学ぶことが多くありました。

府中地区

府中地区の「19日行動」は、定例の19日(金曜日)に、いつものように午後3時から上下Aコープ前、午後4時30分から府中天満屋前でスタンディングとリレートークを行いました。上下の行動参加者は8人でうち5人がアピールをしました。府中の行動参加者は10人で故これも5人がリレーでアピールしました。

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コロナ対策の問題とともに、特に力を入れて訴えたのは、河井夫妻の買収問題です。「府中市でいま問題なのは、『岡崎県議』の問題です。河井克行・案里議員の大規模な買収事件です。多くの市民が河井議員からもらった50万円は『なぜもらったのか、お金をもらって』もおかしいお金だと思わなかったでしょうか。いまだに説明もしていない。議員辞職もしない。多くの市民は議員辞職しろと言っています。しかし、岡崎県議は市民に全く説明をしていません。4月には参議院補欠選挙があります。わからない。知らない。関係ない。は認めたことになるそうです。一人ひとりが声を上げましょう。」

最後に石岡真由海さんが、前の弁士が訴えた「鶏卵生産会社アキタフーズの汚職事件で元農林大臣が収賄罪で起訴されたこと、緊急事態宣言下で自民党と公明党幹部による銀座のクラブ通いが明るみになり自民党を離党したこと、菅首相の長男の接待疑惑問題」を改めて訴えるとともに「安保法制が無くならない限り来月もこの場にお邪魔します」とあいさつし、それぞれの場所でのリレートークを終えました。車窓から手を振っての応援に私たちも手を振り返し元気にスタンディングとなりました。


いのちとうとし

<編集後記>この内容は、送られてきた情報をもとに編集者が作成したものです。文責は、編集者にあります。

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2021年2月21日 (日)

世界における広島の役割 ――広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務があります――

世界における広島の役割

――広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務があります――

 

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日の本欄では、15日に原水禁が市議会議長に提出した「意見と要望」を全文掲載しました。またその際に口頭で行った補足の要望や議長の反応等については、217日に金子代表委員からの報告がありました。

 念のため、意見募集についての市議会サイトのURLを貼り付けます。条例の素案は、そこから入ることができます。

 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/gikai/199719.html

 今回は改めて、世界という舞台上で「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」がどんな役割を果すのか、特に世界からどのような期待を持たれているのかという視点からこの条例素案を取り上げたいと思います。厳しい内容になりますが、それは、世界において広島の占める重要性の反映ですので、御理解頂ければと思います。

まず、女性蔑視発言で世界中から批判された、森喜朗元組織委員会会長の発言を考えましょう。この発言が世界的に注目されたのは、オリンピックが世界的に重要なイベントだからですし、東京開催も同様に関心の的になっているからです。仮にこの発言が、日本国内でもあまり名の知られていない、保守的で小さな町のボランティア団体会長の発言だったとすれば、その町で良く読ませている地方紙でさえ、報道しなかったのではないでしょうか。

 広島が世界的な存在であることは、例えば、広島への原爆投下が、AP通信社による「20世紀の最大のニュース100選」のトップとして選ばれていることからも分ります。仮にオリンピックと比べたとして、広島が同じくらい、あるいはそれ以上の位置付けになる可能性は、クロアチアのビオグラード・ナ・モルという都市の市民たちが広島に寄せる思いだけからも容易に推測できます。

 

(以下、『ヒロシマ市長』(秋葉忠利著・朝日新聞出版)131ページから引用)

 「ここでは、もう一つの(平和市長会議)副会長都市、クロアチアのビオグラード・ナ・モル市のユニークな活動だけ取り上げておきたい。「海に面した白い町」という意味の美しい街で、人口は約六〇〇〇人。古くから、アドリア海に面した観光地として知られているが、クロアチア紛争の際には、セルビア軍による攻撃でかなりの被害をこうむった。その体験から、戦争を繰り返さないこと、とくに核兵器の廃絶のためには熱心な都市になった。「観光」と「平和」が自然に結びついたよい例だろう。広島や長崎についてもいろいろと勉強し、中でも「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんと折り鶴の物語に、多くの子どもたちが感動したそうだ。この気持を表現するためにビオグラード・ナ・モル市のイヴァン・クネッツ市長は、折り鶴の碑を建てることにした。鉄製の五メートルほどの美しい碑である。

その除幕式では、市内のすべての子どもたちが折った折り鶴をこの碑の前に捧げることを計画した。子どもたちに鶴の折り方を教えたのは学校の先生だが、子どもたちは家に帰ってからも鶴を折る練習をしたらしい。子どもたちの練習を助けるためにお父さんやお母さんたちも鶴の折り方を習った。その結果、ビオグラード・ナ・モル市のすべての市民が鶴を折れるようになった。そう報告してくれたのは同市の国際・平和担当のヤスミンカ・バリョさんだった。」

 

一つの都市の子どもたち、その気持ちを汲んだ市長、学校の先生、そして保護者達全市民を巻き込んだこのような活動を可能にする力を「広島」は持っているのです。比較することが適切ではないかもしれませんが、オリンピックを凌駕していると考えることも可能なのではないでしょうか。

 ですから、ビオグラード・ナ・モル市の市民は広島市の「平和推進条例」に高い関心を持つはずです。それだけではなく、今や加盟都市が1万に近付いている平和首長会議の他のメンバー都市やその市民たちも同じように注目するでしょう。

 一例を挙げると、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジ市には、予算を付けた「平和委員会」があります。元々は、「核軍縮と平和教育のための委員会」でしたが、発展的に今の名前になりました。この委員会は、具体的な活動内容まで条例で決め、市民ボランティアから委員が選ばれています。そしてこの委員会の人事については市長にアドバイスをすること、逆に諮問を受けることなども仕事の一部になっています。世界的には他の都市でも同じような条例を作っていますので、広島の条例に対する関心は非常に高いはずです。

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ケンブリッジ市平和委員会の行事の一つ

 なぜならこの条例は、被爆後の75年以上の歴史の中で「世界の広島」において初めて作られる「平和推進」についての条例だからです。文書化されることに注目すると、文書として広島市が公式にまとめている、毎年86日の「平和宣言」の総まとめとしての役割を果すことになります。70年以上の「平和宣言」には、被爆者や市民、そして広島に心を寄せる世界中の人々の思いが込められています。その全てを条例の中に詳しく再現することは不可能ですが、その理想や精神は、条例の前文として格調高く述べられてしかるべきなのではないでしょうか。

 さらに重要なのは、「平和宣言」の持つ意味が如何に大きいものだったにしろ、「平和宣言」には法的拘束力がないという点です。森発言も法的拘束力を持たない、組織委員会の一人の役員の言葉です。仮に法的拘束力を持つ文書に、同じ内容が盛り込まれていたとしたら、その意味は全く異なっていたはずです。

この観点からも、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の素案を考える必要があるのではないでしょうか。まず、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」では、原水禁の「意見と要望」が指摘しているように、中心になっているのが、市民が行政に協力する義務と、表現の自由に抵触する可能性の高い「厳粛」つまり「自粛」なのです。

 条例素案の欠陥を是正するだけではなく、人類史的な立場、世界的立場からもお手本にしたいと言われるような内容にできないものでしょうか。全市民は勿論のこと、詩人や文学者も含めて、平和と広島に関心を持つ広島以外の識者や市民にも加わって貰うことで、「お手本」を作ることは今からでも遅くはないはずです。

[2021/2/21 イライザ]

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2021年2月20日 (土)

学徒動員と原爆被爆その2-鳥取県の動員実態

島根県から呉の海軍工廠への動員実態が、ほぼ把握できたことから、次に調べてみようと思ったのは、「呉海軍工廠への学徒動員の実態はどうだったのか」ということです。

島根県の実態が、島根県立図書館の協力で明らかになりましたので、全体像を調べるため広島県立図書館を訪ねました。いろいろな資料をあたっていただいたのですが、学徒動員で呉海軍工廠へ動員された学校や生徒数に関する全体像を示す資料を見つけることはできませんでした。後日のことになりますが、別の件で原爆資料館の資料室を訪ねた時、「ひょっとすると呉にある大和ミュージアムにあるかもしれないですね」とアドバイスを受け、大和ミュージアムに問い合わせたのですが、「当館には動員数についての資料は所蔵しておりません。」との返事が返ってきました。重ねて「学徒動員に関する資料はどんなものがありますか」と問い合わせたところ、「呉海軍工廠への動員に関する資料は、当館では学徒動員の様子を描いた絵画や、手記、当時使用していた鉢巻きがございます。」とのメールが送られてきました。呉市の市史編さん室にも問い合わせましたが、「動員の受け手である呉海軍工廠側の記録は所蔵していません。」との回答でした。学徒動員の実態は、当然記録されていたはずですが、結局、呉海軍工廠に学徒動員された人たちの記録は現存しないということです。終戦時、軍は大量の文書類を焼却したといわれていますので、その中に含まれていたとしか考えられません。「記録が残されていない」ことに疑問を感じますが、今日はこのことが主題ではありませんので、先に進みます。

県立図書館を訪れた時のことに戻ります。ここでも、全体像を示す資料は見つかりませんでしたが、一つの貴重な資料に出会うことが出来ました。その資料には、「鳥取県の動員実態」が書かれていました。

資料は「『4人の‟勤労動員学徒“日記』~呉海軍工廠・広海軍工廠から」のタイトルが付けられ、発行者として「鳥取敬愛高等学校社会部」と書かれています。

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鳥取敬愛高校は、鳥取市内にある私立の高等学校です。このパンフレットは、鳥取敬愛高校社会部の平成19年(2007年)の活動報告が、A4判で130ページ余りにまとめられています。主な内容は、4人(うち2人は呉海軍工廠へ、残りの2人は広海軍工廠へ)の学徒動員日記とそれをもとに調査して明らかになったことです。

豊富な内容ですが、その終わりの方に鳥取県から呉海軍工廠に派遣された学徒動員の人数が書かれています。それは、昭和19年(1944年)9月21日付日本海新聞の記事を書き写したしたもので「学園挙げて勤労動員 広島県へ二千余名出動」(原文は、旧漢字)とのタイトルで、広島県に動員される学校ごとの人数が書かれています。17の学校名と学校ごとに人数が書かれおり、合計すると2400名になります。この人数は、島根県の人数を上回っていますが、その理由は定かではありませんが、島根の今市高等女学校に陸軍被服支廠の学校工場ができたことなどが原因だったのでしょうか。それにしても島根、鳥取の両県あわせると4000名を超えることになります。びっくりする人数です。また、この新聞記事には、「県内出動」として県内に動員された学校名とそれぞれの人数も記載されています。こちらは、12校3473人となっています。両方に名前がある学校が6校あります。

鳥取敬愛高等学校の前身は、「鳥取高等家政女学校」ですが、この学校からは、呉に338名が動員されていますが、このパンフレットで取り上げているのは、別の学校・米子工業学校の動員者です。自分の学校のことは、前年に調査しているようですが、その資料は、県立図書館には存在しませんでしたので、どん内容か確認することが出来ませんでしたので、後日学校に電話をかけて問い合わせました。

このパンフレットに引用された日本海新聞の記事で、鳥取県からの学徒動員の実態を把握することが出来ましたが、パンフレットには、もう一つ「米子工業学校生の入市被爆」に関する貴重な調査報告が記されていました。

その内容は、電話でお聞きしたことや他の被爆体験記と共に次回(24日)紹介することにします。最後に、このパンフレットの「おわりに」に書かれていた次の文章を紹介し、今日の報告を終わります。

「鳥取県からは大勢の学徒が動員されたにもかかわらず、鳥取県にも呉市にも資料が残っていません。終戦直後に軍関係に資料が焼却処分されたからです。」

いのちとうとし

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2021年2月19日 (金)

学徒動員と原爆被爆その1-島根県の動員実態

島根県から呉に学徒動員され被爆した人たちのことを詳しく知りたいと思い、島根県立図書館に「島根学徒報国隊の動員の全体状況を記したものはないですか」と調査依頼をしました。数日後、詳しい情報を記したメールが返ってきました。一つにまとめられた資料はなく、当時の新聞や各学校の「学校史」等を丹念に調べていただいたことがわかります。島根県立図書館から提供を受けた情報をもとに、「島根学徒報国隊」について紹介します。

島根県でも、1944年(昭和19年)118日に出された「緊急学徒勤労動員方策要綱」、同年2月25日の「決戦非常措置要綱」により、県下の各旧制中学校・高等女学校から、県内外の工場に生徒が動員されました。そのうち、呉市の海軍工廠に派遣された生徒たちを「島根学徒報国隊」と呼んでいたようです。呉への動員が決まったのは、1944年(昭和19年)927日の中等学校校長会議です。そして、島根を出発したのは、それからわずか一週間後の10月5日と7日に分かれて出発しています。決定から派遣まで、非常に短期間ですので、生徒や家族にとって、準備などが大変だったことが想像できます。出発時の任期は、翌年1945年2月末までとなっていましたが、実際には多くの生徒が、終戦時まで呉に動員されたままだったようです。

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呉海軍工廠廣支廠

「松江北高等学校百年史」には、出発時の様子が「出雲部の動員学徒は一〇月五日夜、伯備線経由の臨時列車で、県外通年動員学徒の第一陣として呉方面に向った」「松江中学四年生の学徒報国隊は、呉市広町の第一一海軍航空廠に配属を割当られた」と記載されています。

問題は、島根から何人が動員されたかということです。「『島根新聞』昭和199292面」には、「島根学徒報国隊」の各学校から派遣された生徒数が記載されています。それによれば、松江、隠岐、そして津和野までの全県の13校から約1500人の生徒が動員されたことがわかります。私が以前このブログに書いた大社中学校からも130人が動員されています。

ところが、この13校の中には、島根県からの学徒動員のことを調べるきっかけとなった「益田高等女学校」の名前が入っていません。派遣時期が異なっていたのかもしれません。改めて、島根県立図書館に「益田高等女学校のことの記録はありませんか」と問い合わせたところ、「益田高等学校百年史」に次のような記載がありましたと回答がありました。「『四年生は二クラスで一一三名、(中略)残り約一〇〇人が島根学徒報国隊として呉に向かった。引率は交代で五名の教師が当たっている。(中略)動員期間は『県の指令では三ヶ月となっていたが、実際は五ヶ月以上』に及んだし、卒業後も「女子挺身隊」として勤め続けたようである。」

島県立図書館からの情報によれば、島根新聞に記載された学校以外に、益田高等女学校だけでなく今市裁縫女学校や島根師範学校の高史に「呉への学徒動員があった」ことの記載があるようです。このことから、島根県から1600人を超える生徒たちが、「島根学徒報国隊」の名によって、呉市の海軍工廠には動員されていたことが確認できました。

次に知りたいこと(最も知りたいことですが)は、この「島根学徒報国隊」の生徒たちのうち何人が被爆したのかという被爆者の問題です。

島根新聞によれば、この学徒動員の対象学年は、4年生だったと書かれています。当時の旧制中学(旧制中学校、高等女学校、実業高校)は、5年生だったようですので、任期となっていた翌年(1945年)2月を過ぎても、そのまま動員が続いたことが想像できます。ただ島根県立図書館のメールには、「出雲商業高校史」によればということで「著者は昭和20620日に出雲へ帰っており、呉空襲や原爆について詳しいことは書かれていません。」という情報も記載されていましたので、動員されていた全生徒が、終戦の日まで呉で作業に従事していたかどうかは、はっきりしません。終戦時に何人の学徒動員の生徒が、呉海軍工廠に残っていたのかの資料をさがしているのですが、まだ見つけることが出来ていません。

しかし、後日紹介する「被爆体験記」によれば多くの生徒たちが、呉で終戦を迎え、広島駅を経由した帰郷したことがわかります。やはり、これが島根県に入市被爆者が多い原因だと思われます。

呉の海軍工廠への学徒動員の実態を調べていると、隣の鳥取県からも学徒動員によって多くの生徒が、呉に動員されていることがわかりました。明日は、その実態を紹介します。

いのちとうとし

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2021年2月18日 (木)

二つの裁判―安保法制違憲訴訟と黒い雨訴訟―傍聴記

昨日は、今年初めてとなった裁判傍聴に行ってきました。

安保法制違憲訴訟

一つは、広島地裁201号法廷で午前10時に開廷した「安保法制違憲訴訟」の第12回口頭弁論です。今回の公判では、主に今後の審理の進め方が協議されました。その中で、原告弁護団が要請していた証人尋問が、次回4月21日の公判で行われることが決まりました。4月21日は、午前10時に開廷し、午前中に5人の原告尋問を行い、午後1時から2人の証人尋問が行われます。

5人の原告は、「①戦争の体験者②被爆者③自衛官の母親④元岩国市長⑤平和教育を行ってきた元教師」とそれぞれ違う立場から人たちが選ばれました。

午後の証人尋問は、次のお二人です。一人は、昨年「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」で講演をしていただいた防衛ジャーナリストの半田慈さん。半田さんは、主に「安保法制が成立して以降、さらに危険な道に進んでいる日本の軍事大国化」について証言されます。もちろん、「敵基地攻撃能力」の問題も証言されると思います。

半田さんは、3月27日(土)弁護士会館で広島弁護士会主催して開催される講演会の講師を務められます。

もう一人は、憲法学者の小林武さんです。小林さんは、南山大学、愛知大学大学院で教授を勤められた後、「日米安保問題を考えるとき、沖縄問題が一番重要だ」として、沖縄に居を移し、現在は沖縄大学客員教授として沖縄現地で頑張っておられます。

半田さんは、他の「安保法制違憲訴訟」でも証人とて証言されていますが、小林さんは、広島が初めての証人としての登場です。

まだ法廷が決まっていませんが、多くに人に聞いてほしい証人尋問になると思います。

原告弁護団からは、安保法制の国会審議に参加した小西洋之参議院議員の承認申請も行いましたが、残念ながら採用されませんでした。

最後に、次々回の公判は7月21日に開廷し、この日が最終弁論となり、裁判は終結することになりました。

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「黒い雨訴訟」控訴審

午後3時からは、「黒い雨訴訟」の第2回控訴審が開廷されました。コロナ対策で一般傍聴者に用意された傍聴席は、わずかに10席でした。私も、傍聴を希望したのですが、抽選に外れ傍聴することはできませんでしたので、公判終了後行われた「報告会」の様子を簡単に紹介します。

昨日の公判は、昨年11月18日に続く第2回の控訴審です。公判では、原告団事務局長の高東征三の意見陳述、そして弁護団竹森雅泰事務局長の意見陳述が行われました。高東さんの意見陳述の最後に」「国は、広島地裁判決を受け入れず、控訴しました。私たち黒い雨被爆者に残された時間は僅かしかありません。黒い雨被爆者は、1日1日をやっとの思いで生きてきました。原告だけでなく、その行方を見守っている全ての黒い雨被爆者を被爆者として認めてください。」と訴えました。

国は、この期に及んで大量の書証を提出したようですが、それらは、この控訴審で争われている「健康被害が生ずる可能性の有無」に対する主張ではなく、本来は地裁の公判で出されるべき内容の書証です。国が、「地裁では当然国が勝つもの」というおごった訴訟姿勢で地裁の審理に臨んでいたことを、この書証の提出状況が明らかにしています。

こうした国の姿勢に対し、裁判長は、真理を盡したとして「結審」を言い渡し、7月14日が判決日となりました。

2回の公判の進行を考えれば、当然「勝訴判決」が勝ち取ることが出来ると予測できます。

厳しい寒さの中での長い一日でした。

いのちとうとし

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2021年2月17日 (水)

広島市議会議長への「平和に関する条例案(素案)」に対する意見・要望書を提出

広島県原水禁は金子哲夫代表委員と渡辺宏事務局長が、215日午後1時に広島市議会を訪れ、山田春夫広島市議会議長と面談し、「『広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案』に関する意見と要望」を直接手渡しました。この場には、市議会政策立案検討会議の代表若林新三市議も同席されました。

「意見・要望」書を手渡した後、金子から改めて、その中味を説明しました。強調点は、第5条の「市民の役割」と第6条の「平和記念日」の第2項の「『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典』を『厳粛の中で行うものとする』こと」が明記されていることです。その中味は、昨日紹介した要望書を読んでいただければ、わかりますので、ここでは詳細は省略しますが、「市民への協力義務を課していること」や「個人の言論や表現の自由を規制する」ことは、看過できないことを口頭でも強調しました。

さらに、「オリンピック組織委員会森前会長の差別発言問題」を取り上げ、「この条例案は、森発言問題と同質の人権にかかわる問題を含んでおり、絶対に修正されなければならない」とも指摘しました。

最後に、拙速に「今回のパブリックコメントで終わり」にするのではなく、もっと幅広く意見を聴きながら、より良い条例案とすることが大切だということを提案しました。

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山田議長は「議会とした条例案づくりを進めることになり、各会派から一名の代表が参加し、時間をかけて論議してこの素案をまとめたものです。これまでにパブコメが400件余り届いています。政策立案検討会議で、きちんと論議したいと思います。みなさんの声もこの中に反映したいと思います。」との返答でした。第5条、6条問題に関しては、一昨年のローマ教皇の広島訪問時のことが持ち出され「厳粛なうちに行われた」と述べるだけで、「言論、表現の自由」など人権問題についても残念ながら明確な答えはありませんでした。また私たちが「さらに市民との積極的な意見交換を行う必要がある」という提案をしましたが、これに対しても明確な回答はなく、条例案採択の時期の明示もありませんでした。

その後の記者会見を行いました。多くの記者が議長との面談の場を取材していましたので、原水禁の基本的立場を簡単に説明するとともに「特に核兵器禁止条約が採択されて以降、若い人たちがさまざまな活動を展開しているので、市議会は、もっとこういう人たちの意見を聴く必要があるのではないか」ということを強調し、その後若干の質問を受け、記者会見を終了しました。

この一連の行動の中で、いくつか気になる情報を得ました。ある若者のグループが、市議会政策立案検討会議の委員に「計画したオンラインイベントへの参加」を呼びかけたところ、様々な理由で参加できないとしたうえ、複数委員から「今回の市民意見の募集にあたっては、様々なご意見に対し、当会議としての意見や回答について、個別には行わないこととしております」との回答が寄せられたということです。確かにパブコメを求める市議会のホームページにも「提出された意見に対する個別の回答はいたしませんので、予めご了解ください」と書かれていますが、その次に「提出された意見については、意見の概要と政策立案検討会議の考え方を市議会ホームページなどで公表します。」と書かれています。400件を超えたといわれるパブコメについて、政策立案検討会議がどのような検討を行い、どんな「考え方」が示されるのか、注目しなければなりません。

今のところ、この「政策立案検討会議の考え方」に対しての扱いは明確にされていませんが、当然のこととして「考え方」に対する意見や要望を聞く必要がるはずです。その意味でも今後の議会の姿勢を注視する必要があります。

いのちとうとし

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«問題だらけの広島市平和推進条例 ――世界平和の「原点」にはなりません――