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2021年6月20日 (日)

ベトナムの歴史(その4)

ベトナム最古の人類

地球上に私たち人間の遠い祖先(猿人)が誕生したのが約500万年前、そして原人→旧人へと進み、現代人と同じグループの新人類の登場が約20万年前と言われています。ベトナム最古の人類の痕跡はベトナムの北部、中国との国境・ランソン省(地図★)の約40~30万年前の地層から見つかった原人の歯です。

 ホモ・サピエンス(新人)の段階に入ると、約3万~2万年前の遺跡がタイグエン省(地図1)、フート省(同2)、ライチャウ省(同3)、ソンラ省(同4)、バクザン省(同5)、タインホア省(同6)、ゲアン省(同7)など北部地域で発見されています。「移動しながら生活していたと推定」されています。

ちなみに首都ハノイ(Ha Noi)は地図上の2に位置します。

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日本列島では約3万8000年前に大陸から渡ってきたホモ・サピエンスによって歴史が始まったといわれ、その痕跡として長野県佐久市の香坂山(こうさかやま)遺跡がよく知られています。遺跡の年代は出土した炭化物の放射性炭素年代測定によって3600035000年前と判明、国内最古の遺跡です。

 ベトナムには原人の遺跡が残っていますが日本列島には原人、旧人の痕跡はなく、新人(ホモ・サピエンス)が出発のようです。新人の痕跡は10万年ほど前にアフリカで誕生して中東(4万8000年前)→中央アジア(4万5000年前)→中国北部(4万4000年前)→朝鮮半島(4万2000年前)、そして日本列島(3万8000年前)へと、想像すらできないとてつも長い時を下りながら広がってきたのです。

 ベトナムに残る新人(ホモ・サピエンス)の痕跡が約3万年前、日本が2万8000年、遅れること数千年。自然に対して「無力」に等しい私たちの祖先が、どのようなルートをたどり日本列島に着いたのか。その困難を極める旅を経て、今日の私たちが存在している・・・・と、想像するだけでロマンです。

余談ですが、人類進化学者の海部陽介さんが3万年前の航海徹底再現プロジェクト」のドキュメンタリー映画(国立科学博物館企画・製作)『スギメ』のオンデマンド配信が717日から始まります。

詳細は、映画公式サイトへ! https://www.kahaku.go.jp/sugime/

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(出典:「世界中に広がっていくホモ・サピエンス:国立科学博物館」)

 

ベトナム最古の国家 文郎国

時代は一気にくだります。フート省、タインホア省で3500~4000年前の新石器時代の遺跡から磨製石器が発見されます。さらに時代はくだり紀元前8~7世紀、「現在の北部と北中部にある紅河(ホン川)のデルタに似た言語や経済活動様式を持つ大きな集落が幾つか形成されるようになった」。そして、現在の「フート省・バックハクに都」を置く「文郎国が成立し、雄王を頂点として人々を統治する国家が誕生した。」(世界の教科書シリーズ『ベトナムの歴史』56㌻)。ベトナム最初の国、文郎国(ぶんろうこく:Văn Lang)です。

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その後、紀元前257年、中国の秦と戦った蜀泮(しょくはん)が甌雒国(あうらくこく)を建てます。ベトナムにとって無視できない歴史的関係の国、言うまでもなく隣国の中国です。当時の中国は春秋・戦国時代を経て、紀元前221年に初めて中国を統一した秦(紀元前905~紀元前206年)の時代でした。ベトナムは、絶え間ない中国からの侵略に晒されてきました。

 

中国の脅威にさらされ、北属期へ

紀元前218年、秦は国土拡大のため南方へ進軍しますが、ベトナム軍の抵抗に遭い紀元前206年に退却します。翌年の紀元前207年、ベトナムで初めての国家・南越国Nam Việt Triệu)が趙佗(ちょうだ)によって建てられます。南越国は2度にわたり漢に朝貢し、漢の「外臣」になりますが、第7代皇帝・武帝によって紀元前111年、約100年続いた南越国は漢の武帝の侵略を受け滅亡します。

中国との戦い勝利した後も「朝貢外交」をとり続けたベトナムの姿勢は、今日まで形を変えて続いているように思えます。しかし、それは決して無抵抗ではなく、いかなる謀略と侵略にも断固としてハネ返すという意思を込めた、「したたかな対中国外交」の歴史でもあります。

次回は、紀元前111年以降の「北属期」と呼ばれる「中国1000年の支配」を辿ってみたいと思います。

(注)本文の主な参考文献は世界の教科書シリーズ『ベトナムの歴史』、フリー百科事典『ウィキペディア』など。

(2021年6月20日、あかたつ)

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2021年6月19日 (土)

サッカースタジアム建設予定地の被爆遺構見学記

今日は、私が見た被爆遺構の紹介です。

発掘現場には、こんな表示がありました。発掘は、来年3月1日まで行われるようです。

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現場はフェンスで囲われていますが、東側の基町住宅につながる歩道部分は、柵はありますが、フェンスではありませんので、発掘作業を身近にみることが出来ます。

20210615_154118

解説をしてくれる人もいませんので、写真を並べるしかありません。15日の中国新聞の写真には、手前にはっきりとした敷石が映っていますが、今はこの部分には、シートで覆われていますので、直接敷石を見るとことはできません。手前の柵のすぐ向こう側です。

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発掘面は、私が建っている地面とより当然のことですが、掘り下げられていますので、手前は見難くなっています。

発掘作業現場の真ん中あたりの少し奥側に敷石が並んでいるのが見えます。上の写真の左側のテント附近です。

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手前の方に、レンガでつくられた構造物が残っています。これはかなりきちんとした形です。

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何に使われた場所かわかりませんが、レンガ造りですから、軍の施設であったことは間違いないと思います。

さらに北側に進むと、水路のような構造物が、はっきりと確認できます。石積みでしっかりした構造です。

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今度は北側から見た全景です。

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北側(写真では、右端の部分)では、被爆時の面からさらに掘り下げが進んでいるように思えます。ここには、軍の施設の以降はなかったのだろうかと気になります。

発掘現場は、旧陸軍の輜重隊(馬や自動車で武器弾薬や食料の運搬を担う部隊)があった場所といわれていますが、軍の施設がいかに広大なものだったかもよくわかります。

今まで簡単に紹介した発掘現場は、東側半分です。ということを知ったのは、現場で作業中の方から「いま盛り土がある向こう側も発掘していますよ。トイレのあるあたりからだったら、少しですが見ることが出来ます」と教えていただいたからです。

そこで、フェンス伝いにトイレのあるあたりまで移動しました。ここは、かつて大田洋子の文学碑を探すために訪れたところです。フェンスのところどころにある網目状のところから、中をのぞいていました。

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カメラのレンズに網目が映らないように写真を撮りましたのではっきり映っているのですが、人間の目で見ようとすると、網目が邪魔になってほとんど見ることはできません。写真を見る限りでは、東側程はっきりした遺構を確認することはできません。

報道によれば、発掘現場からは、軍隊で使われていた鉄カブトや軍用食器なども発掘されたようですが、今は別の場所に保管されているようで、見ることはできません。

現場を訪れて、発掘された遺構が具体的にどんなものだったのかの解説を聞きながら、現場を見たいということを改めて強く感じました。

そして、サッカースタジアムが具体的にどの位置に立つのか公表されていないため不明なことが多いのですが、東側の発掘現場は、建設予定地の東端になると思われますので、少し位置をずらすなどの設計変更をして、軍事施設の被爆遺構を残す道はないのかと、強く感じました。

この後、旧陸軍の輜重隊ゆかりの場所を訪ねましたので、22日紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2021年6月18日 (金)

サカスタ用地に被爆遺構―どうするの広島市?

「サカスタ用地に被爆遺構」 6月15日の中国新聞一面のトップ記事の見出しです。31面にも関連記事が書かれています。

第一印象は、「すごいものが出て来たな」ということです。この場所には、何度が足を運んでいましたので、サッカースタジアム建設の前に埋蔵文化財の調査のための掘り起こしが進められていることは知っていました。その時は「広島藩時代の以降はどんなものが出るだろうか」ということで、残念ながら被爆遺構のことは頭に浮かびませんでした。

その日のある人のメールに「いのちとうとしさんはお分かりでしょう。あそこを掘れば出てくるのは分かっていたことですが」と書かれていましたので、穴に入りたい思いでした。さらにそのメールには「一昨年だったか、発掘調査が始まった時、○○さんが、あそこを掘れば色々でるはずだが城下町の遺構のことしか言わない。何か取り組む気はないですかと投げかけられていました」とも。

早くから、あの場所を掘り返せば、被爆遺構が出てくることを当然のことと思っていた人がいたのです。

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とにかく現場を見なければと、その日の午後現地に行ってきました。が、その前に広島市の対応について書いておきたいと思います。

新聞記事に「市民への現地説明会を開く検討をしていたが、新型コロナウイルスの感染拡大を理由に見送った」と書かれていましたので、事情を聴こうと広島市役所に電話を入れました。担当は、文化財振興課文化財担当です。

私:「非常に貴重な被爆遺構が出て来たようですが、現地での説明見学会を行っていただけませんか」

広島市:「一度予定していたのですが、コロナ禍で実施できませんでした。いずれ何らかの形で、説明会はしたいと思っていますが、作業日程もあるので、現地説明会は難しいと思います」

私:「現地で現物を見ながら説明を受けるということが、大切だと思います。ぜひ市民の公開してほしいのですが。20日までの緊急事態宣言は、解除される予定のようですから、その後ぜひ計画してください。密にならないようにということだったら、人数を制限するとかすればできるのではないですか。全て終わった後、記録を取られた写真などを使っての説明会では、意味がないとは言いませんが、不十分ですよ」

広島市:「今のところ現地での市民への説明会は、考えていません。コロナの問題があり、イベントなども中止になっていますから。マスコミには公開しなければと思っています。それと時間が限られていますので(サッカースタジアム建設の日程のこと)」

私:「もし緊急事態宣言が解除されたら、資料館などでも人数を制限しながらかもしれませんが、当然入館を認めることになりますよね。だから、緊急事態宣言が解除されたら見学会を実施してください。20日に緊急事態宣言が解除になったらもう一度電話を入れます」

ちょっと長くなったのですが、これが広島市とのやり取りです。このやり取りで私が感じたことです。広島市には、この遺構が市民の共有の財産だという認識が乏しく、「とにかく発掘調査をしなければならないので、調査はするが出来るだけ早く終了し、出来れ遺被爆遺構をあまり多くの人に見させずに、サッカースタジアムの工事をはじめたい。『被爆遺構を保存しろ』などといわれると大変だ」と考えているのではないかということです。

被爆遺構の発掘現場に行って、そのことを確認できました。作業を監督されている人を姿が見えましたので、こう問いかけました。「広島城時代の以降までたどり着こうと思えば、被爆遺構を動かさなければならないと思いますが、復元のためには、移動させるとき敷石などに番号を振っておく必要がありますよね。そうなっていますか」

ちょっとためらう形でしたが「広島市からはそんな指示が出ていませんので、今のところ何もしていません」との答えです。

私は現地に15日、17日の二度訪れ、別々の人にその度に同じ質問をしたのですが、答えは同じでした。これで理解できると思います。

広島市は、調査はするがどんな遺構が出ても保存する気はなかったのです。15日の夕方のテレビ各局の報道番組で、一斉にこのニュースが流れ、広島市は慌てているともいわれています。

当たり前のことですが、埋蔵文化財の調査では、調査する前には、予測はできたとしても何が出るかは、はっきりしません。しかし、調査によって貴重なものが出てくれば、立ち止まって「保存が必要か、保存するための計画変更できない」などを慎重に検討することが、当然のことだと思います。貴重なものが八来るされたため、計画が変更されたという例は、全国を見ればいくらでもあります。

今回の場合、被爆遺構ですからなおさらです。松井市長は最近「平和文化」という言葉をよく使われますが、「平和文化」というなら、被爆遺構を保存する事こそ、大切な「平和文化」ではないのかと私は思います。

今日も長くなりましたので、肝心な「サカスタ用地に被爆遺構」の現地報告は、明日になってしまいました。

いのちとうとし

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2021年6月17日 (木)

広銀本店1階 アンデルセンカフェで

「いのちとうとし」さんが、613日に書いておられた「広島銀行慰霊碑」に関連して。

広銀本店の慰霊碑、本店の東口(裏口)から出て、すぐ北側にあったので、私も写真撮りました。

今日は、建物の中を紹介します。

56日に新築オープンした広銀本店の1階、アンデルセンカフェ・イベントスペースがあります。

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奥のドアが東側出入口

 ここには、本がたくさん置いてあって、「自由にお読みください」とあるので、仕事帰りとか買い物途中に休憩して本を読んでいます。

自分では買わない本もあって、ちょこっと読むのには便利。

SDGsの本とか、Zoomの設定の本とか、広島関連の本とか。

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 最初に読んだのは、「戦争は女の顔をしていない」というコミック。

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(第二次大戦中にドイツ戦線に従軍した少女たちの証言をスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんがまとめたものを、小梅けいとさんがコミカライズしたもので、以前、三井マリ子さんが「買った」と紹介されていたので目に止まった。驚くことに、少女たちは自ら志願して従軍し、狙撃兵や衛生兵として戦闘に参加している。)

カフェは、使い捨てカップを使っているのと味がいまいちなのが残念だけど、トイレには、WWF(世界自然保護基金)のトイレットペーパーが置いてあって、ちょっといいな~

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 カフェ利用なしで、ちょっと休憩だけもOK。現在はコロナで18時までですが、通常は19時まで。

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東口から慰霊碑等のある外に出るとヤマボウシが満開でした。

(YOKO)

<編集記>6月13日の「広島銀行慰霊碑」を読んでいただいたYOKOさんから、素敵な写真とともにこの原稿が届きました。ありがとうございます。

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2021年6月16日 (水)

全会一致は民主主義の全否定 ――広島市議会の平和推進条例案策定の「手続き」こそ問題です――

全会一致は民主主義の全否定

――広島市議会の平和推進条例案策定の「手続き」こそ問題です――

前回は、コロナとオリンピックを巡っての「専門家」に責任について考えました。今回はその続きの予定でしたが、一昨日6月14日の記事で、いのちとうとしさんが報告して下さった、「慎重審議を求める要望書」に関して、これまで取り上げられていない重要なポイントに焦点を合わせることにしました。専門家の責任は、次の機会まで延期します。

今回の要望書は市議会の「政策立案検討会議」での審議について市議会議長に提出しました。議長の判断が賢明なものになることを祈っています。

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さて、いのちとうとしさんと私がこれまで何度にもわたって、この条例案を取り上げてきたのは、事、平和については世界から注目され、「ヒロシマ」という世界的にも平和の発信拠点である都市の条例がその名に相応しいものなのか、そして憲法の原理原則に忠実に従っているのか、という「内容」について大きな問題があるからなのでした。

これらの問題提起をこのブログの記事からお読み頂くために、リストを作っておきました。

 

2月16日 問題だらけの平和推進条例

2月17日 広島市議会議長に意見・要望書を提出

2月21日 広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務がある

3月11日 国内他都市の条例と比較しても問題あり

3月16日 条例案は憲法や被爆者の心も無視

4月18日 政策立案検討会議傍聴記―その1

4月19日 政策立案検討会議傍聴記―その2

6月2日 市民の声が無視された「広島市平和推進条例」(案)の検討

6月14日 「『広島市平和の推進に関する条例(仮称)』の慎重審議を求める要望書」を提出

 

今回は、この議会案の「内容」ではなく、これまでの検討の「手続き」が、民主主義の原則を逸脱していること、また核兵器廃絶のためにゆっくりとではあっても前進してきた世界の歴史に照らすと、この歴史を蔑ろにすることになる、という二点を指摘しておきます。

《「全会一致」は民主主義の否定》

まず、民主主義の大原則は「多数決」です。より多くの人の考えで物事を決めて行こうという原則です。念のために、100人が参加して、何かを決定することを想定して、何人が賛成すればどのような結論に至るのかを表にしてまとめておきましょう。

普通の場合の多数決決定

賛成者数

反対者数

多数決の場合の結果

100

0

賛成

99

1

賛成

9851

249

賛成

50

50

未確定

490

51100

反対

 

つまり、賛成が51人以上なら、結果は賛成で、50人の場合は、例えば議長に一票を投じて貰って決めるといった対応をしないと決まりません。賛成が49人以下の場合は、否決、つまり反対派が勝ちます。

次に、「全会一致」という決定の仕方を見てみましょう。別の言い方をすると、どの人にも「拒否権」を与えるということなのですが、しばしば見落とされている重要な点を指摘したいと思います。そのために、100人の会議で、多数決の場合と全会一致の場合、何人が賛成すると結果はどうなるのかを表にして比べてみましょう。(クリックすると表が大きくなります)

100人の会議で、多数決と「全会一致」とは何が違うのか

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まず、ケース⑤を見て下さい。多数決でも、全会一致でも、「反対派」が多数であれば反対派の意見が通りますので、どちらの決定方法でも「反対派」、今の場合は「少数派」の権利は守られています。

対して、「賛成派」、今の場合は「多数派」の声はどう変るのでしょうか。その違いを色でて示しておきました。

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「賛成」が51から99の場合、その「多数派」としての声は最終決定には全く反映されなくなるのです。つまり、「多数決」という民主主義の大原則が否定されることになるのです。

つまり、100人という集団の中で、多数決による決定をする場合には尊重され権利が守られる「多数派」の意思は否定され、全会一致という非常にまれな場合以外は、「反対派」の意見が全て通るのが「全会一致」の特徴なのです。

「ヒロシマ」が象徴している「平和」は、民主主義抜きには実現不可能なものです。そして仮に民主主義を否定して世界平和が実現する道があったとしても、その道を選んではならないほど重要です。平和に至る道としては民主主義しかあり得ないことを、「平和」の象徴である「ヒロシマ」として示さなくてはなりません。そのためにも、「全会一致」方式で準備された条例を通してはいけないのです。

これを逆の立場から考えることも重要です。会議の参加者一人一人が「拒否権」を持つのですから、「個人の意見がそれだけ尊重されているのだ」と強弁することも可能だからです。しかし、民主主義の決定プロセスは、それを採用せずに多数決を採用しているのです。

ただ、考え得る限りの世の中の決定事項で、「拒否権」が正当性を持つ場合もあります。それは、「多数決で人を殺してはいけない」という原則です。少し単純化してしまうと、アメリカの裁判制度では、死刑を宣告する際に陪審員全員が賛成しないといけないことになっています。非可逆的な決定、しかも何よりも重い人の命を奪うという決定をする際に、一人でも反対をする人がいれば、それは不可能になるのです。

ですから、日本の裁判員制度のように、多数決で「死刑」の判決が下せるような制度は一考の余地があると思います。しかし、このような例外を除いて、通常の決定についてはやはり「多数決」が大原則ですし、より慎重に決定しなくてはならない場合には、極端に走って「全会一致」にするのではなく、例えば日本国憲法で採用されているような「3分の2」の賛成が必要というように、少しだけハードルを高めるという方法がとられてきたのです。

市議会の「政策立案検討会議」が、仮に慎重の上にも慎重に審議をしたいと願ったのであれば、極限的な「全会一致」ではなく、「3分の2」多数決を採用するといった可能性がありました。にもかかわらず、「全会一致」という決定をしたのですから、何故、通常の「多数決」ではダメなのか、あるいは「3分の2」多数決ではダメなのかを市民の納得が行くような説明をする必要があります。

《核廃絶への道は「全会一致」否定の道》

次に指摘しておきたいのは、核廃絶を目指して前進してきた世界の運動の歴史です。今年の1月1日からシリーズでお届けしてきましたが、画期的な成果として、1996年の国際司法裁判所による勧告的意見と2017年の核兵器禁止条約の採択、そして今年の発効を挙げておきましょう。(ここをクリックして頂くと、1月1日の記事に飛びます。)

続いて1月11日

1月21日

2月1日

2月6日

2月11日

このシリーズで強調したのは、①核廃絶が進まないのは、核保有国・各依存国が「拒否権」を行使して、つまり「全会一致」という制度に頼って、核廃絶を拒否してきたからであること。②それを乗り越えて、国際司法裁判所の勧告的意見や核兵器禁止条約が実現したのは、国連総会やWHOの総会、OEWGといった多数決が生きている場を選んで、多数決の力によっての決定ができたという事実。でした。

広島市も平和市長(首長)会議の会長としてこのプロセスを先導してきたのですから、そして、世界の都市だけではなくNGOも世界の国々も注目しているのですから、自らの行動の大原則を否定するような仕方で条例を作ることは、自らの首を絞めるに等しいことを肝に銘ずるべきなのではないでしょうか。

 [2021/6/16 イライザ]

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2021年6月15日 (火)

6月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町)

9日に休みを取って農園に行き、12日の土曜日は午後に新型コロナワクチン接種を受けたので農作業はお休み。13日は一人で午後から農園の見回りと軽作業を行う。3段ある農園の畑の草刈りと防草シートを敷く作業が終わる。あとは里山の2か所のブルーベリーの剪定が残るのみ。といったところが週末農業の進み具合。

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6月9日(水)。

①.3段あるブルーベリー畑の真ん中の草刈り前の様子。夕方までかかってこの畑の草を刈り、11日の金曜日に妻と友人2人が来園して刈った後に防草シートを敷いて頂く。感謝。

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②.里山のブルーベリー園の剪定が続く。

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③.作業の合間に早生のブルーベリーを摘み取り杭にぶら下げる。毎朝食べるヨーグルトに入れてぽりぽりの食感が楽しめるシーズン到来。

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6月13日(日)。

①.この日は一人作業。農園の近くの麦畑。

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②.もうそろそろ刈り取りかも。

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③.先週防鳥ネットを張ったが、張ったままで帰ったのでこの日は穴の開いたところの補修を行う。

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④.ネットの補修が終わった4時過ぎから雨。

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⑤.庭のショウブにも、

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⑥.ドクダミ草にも

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⑦.カエルにも雨が落ち雨だれが落ちる。「雨が空から降れば/オモイデは地面にしみこむ/雨がシトシト降れば/オモイデはシトシトにじむ/ ・・・ しょうがない/雨の日はしょうがない」(「雨が空から降れば」作詞/別役実 作曲/小室等/歌小室等 から)。早じまいで農園を後にした。

 

2021年6月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年6月14日 (月)

広島市議会議長に「『広島市平和の推進に関する条例(仮称)』の慎重審議を求める要望書」を提出

広島県原水禁は今日(14日)午前11時、山田春男広島市議会議長に「『広島市平和の推進に関する条例(仮称)』の慎重審議を求める要望書」を提出します。

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」に対する市民意見を協議した市議会政策立案検討会議の様子は、このブログでも4月19日と6月2日の2回にわたって紹介しました。

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広島市議会公式ホームページ「山田春男(議長)プルフィール」より

無修正のまま議長に報告された素案が、6月15日から開会される6月議会で成立するとの報道もあり、広島県原水禁も緊急に以下の要望書を提出することにしました。


「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の慎重審議を求める要望書

 広島市民の生活の安心、平和行政の推進のため、ご尽力されていますことに、敬意を表します。

 マスコミ報道によれば、広島市議会は、6月定例議会において先に市民意見を公募された「広島平和の推進に関する条例(仮称)」を議決すると伝えられています。

 私たち広島県原水禁は、次のような理由から、6月議会での拙速な議決は行わず、改めて慎重に協議されることを強く求めます。

第1の理由は、貴重な市民意見が全く取り上げられなかったことです。

この意見公募に対し、1000件を超える意見が寄せられたと承知しています。私たち広島県原水禁も、去る2月15日に貴職に対し「「広島平和の推進に関する条例(仮称)素案」に対する要望書を提出し、素案の修正を求めてきました。

ところが、4月1日から始まったこの市民意見に対する「政策立案検討会議」での協議では、市民の意見によって素案が修正されることは、全くありませんでした。

市民の意見が取り入れられなかった原因は、政策立案検討会議が「素案の修正は、全員一致でなければならない」との原則を確認されていたからです。もちろん政策立案検討会議の運営方法をどうするかは、その構成メンバーで決められることを否定するものではありませんが、市民からの貴重は意見が、ただ全員一致でないからといて、全て取り上げられなかったことは、絶対に容認できません。

私たちも、4月1日からの全ての「政策立案検討会議」を傍聴してきました。確かに、一定の時間をとり、項目ごとに協議はされましたが、議論を聞いている限り、各委員の主張を述べるだけで、異なる意見を認めあいつつ妥協点を模索し、原案を修正することで「一つでも多くの市民の意見を取り入れよう」という姿勢が全く見えなかったことです。9人中8人が市民意見に賛成しながら、一人の委員の反対で市民意見が否定されるという場面を何度か見ることになりました。中でも、前文中に「核兵器禁止条約の発効」の文言を入れることが、否決されたときには、「これが広島市議会の議論なのか」とあぜんとしました。ここに、「全員一致がなければ修正しない」の問題点がはっきりしていると思います。

「平和の定義」の狭さとともに、これすら入れることのできない条例では、とても広島の「平和条例」には、値しないといえます。

第2は、憲法違反との疑いが払しょくされていないことです。

私たち広島県原水禁が申し入れた第5条、6条については、法律の専門家集団である広島弁護士会が、2月12日の会長声明で「市民の役割(第5条)に関する『本市の平和の推進に関する施策に協力するとともに,』との文言及び平和記念式典の実施(第6条第2項)に関する『市民の理解と協力の下に,厳粛の中で』との文言を改めるなどして,本条例案の制定によって,市民の表現の自由を制約しないよう求める。」として、憲法に保障された「表現の自由」を制約すると危惧し、修正を求める意見が出されていました。

しかし、「政策立案検討会議」のおいては、この弁護士会の会長声明について、深く論議されることはなく、「市民の表現の自由を制約しない」内容への修正は行われていません。

また第6条2項については、被爆者団体からも「『厳粛に』の文言は必要ない」との意見も出されていることは、充分斟酌されるべきです。

 終わりに、重ねて要望します。

本6月議会での拙速な「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」制定は行わず、改めて慎重に協議し、市民意見を取り入れ、市民の理解が得られる条例となるよう努力すべきです。

以上


今日の申し入れは、もちろん別々の文章ですが、広島県被団協の箕牧智之理事長代行と一緒に行いました。広島弁護士会からも、この問題に対し2月11日の会長声明が反映されていないとして、6月11日に改めて「広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案」に関し,市民の意見を取り入れつつ慎重かつ十分な審議を求める会長声明 | 広島弁護士会 (hiroben.or.jp)」が出されています。

今後の広島市議会の対応を注視したいと思います。

いのちとうとし

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2021年6月13日 (日)

広島銀行慰霊碑

今年3月に、竣工した「ひろぎんホールディング本社ビル」(以下「広銀ビル」)の広島銀行本店が、営業開始して一カ月余りが過ぎました。

時々小雨がぱらつく昨日、買い物途中でこの「広銀ビル」の北側の道路を歩いていた気づいたことがあります。これまでも何度か、この道は通っていたのですが、見過ごしていました。

それは広銀ビルの北側に作られた緑地帯の中に設置されたモニュメントがあることです。樹木で整備された緑地帯の東側部分に据えられた被爆時の建物・芸備銀行本店の柱の頭部に取り付けられていたギリシャ風イオニア式の装飾が目に入りました。

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いつもの方向、道路を東側から西向きに進むと木に隠れていてちょっと気付きにくいのですが、昨日は反対方向から東向きに歩いていましたので、気づくことが出来たようです。

碑の右側には説明版があります。当時の写真とともに簡単な解説が書かれています。

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写真では見にくいのですが、当時この飾り石が使われていた位置が記されています。この写真からは、大きさが想像できないのですが、実物を見るとずいぶんと大きなものだったことがわかります。

広島市発行の「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建物は語る」には、被爆当時の様子が次のように書かれています。「爆心地から250メートルで被爆した芸備銀行は、屋根が押し下げられ、窓枠や金具類もアメのように歪み、いたるところで発火した火災は8月10日まで続き、内部は灰燼に帰し、本店勤務者20人が犠牲となり、鎮火後に収容された遺体は、男女の区別もつかずなかば白骨化していたという。」

芸備銀行は、その後広島銀行と名をかえましたが、この建物は使われ続けました。5階建ての建物でした。しかし、1962年11月に解体されました。

この被爆柱頭と向き合う位置に、「広島銀行役職員物故者慰霊碑」があります。

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この慰霊碑は、広銀ビルが建て替えられる前はビルの屋上に設置されていました。そのため、事前連絡が必要といわれていましたので訪れたることがなく、私が目にしたのは、今回が初めてです。

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碑の横に設置された説明版には、「芸備銀行(広島原稿の前身)のうち、広島市内本支店には、役職員約450名が勤務していましたが、このうち144人が死亡、33人が重要を負い、生存した職員もほとんど負傷しました。店舗は、本店をはじめ8店が全焼し、3店が半焼しました。」と被爆時の被害の状況が書かれています。その後に、「被爆後から苦難の道を切り開いてきた」との歴史が書かれています。

最後は、次の文章で締めくくられています。「本慰霊碑は、原爆死没者をはじめ、創業以来の全物故役職員の御霊を慰め、その偉業をたたえるため、創業90周年となる1968(昭和43)年11月2日に建立されました。作・伊藤顕」

「原爆の碑」を紹介した本の中の多くが、「広島銀行慰霊碑」とだけ紹介していますが、この説明文を読むと、この慰霊碑は、原爆犠牲者だけでなく、これまでに亡くなられた全ての行員のみなさんの御霊を慰める碑として建立されたことがわかります。

台座の表面には「慰霊」、裏面には、「役員物故者のみたまここに鎮まる その偉業をたたえ景慕敬弔の誠を捧げる」と当時の頭取井藤勲雄さんが揮毫された文字が刻まれています。

ただ、現在の碑は、台座の周りだけでなく、すぐ後ろには木が植えられ、きれいに整備されていますので、裏面を見ることは難しいような気がします。私も、裏側は見ていません。

この碑の訪問記の一つに「2002年5月22日に再度訪れたら、ちゃんと案内出来る方が配置されており体験記なども含めた資料を頂けました。」と書かれているのを見つけました。今度この碑を訪れた時には、資料が今も配布されているのか、聞いてみようと思っています。

いのちとうとし

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2021年6月12日 (土)

国民投票法を改めて考える

昨日、参議院本会議において「憲法改正手続きに関する改正国民投票法」(以下「国民投票法」)が、採決され賛成多数で可決され、成立しました。しかし、何時部修正されたとはいえ、まだまだ問題が残る法律だということは、5月12日のブログ「改正されても問題が残る国民投票法: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で指摘した通りです。

今日は、そもそも「国民投票法」とは何かを考えたいと思います。この法律は、「憲法改正手続きに関する改正国民投票法」という法律名が示す通り、憲法改正に必要な国民投票法の手続きを定めたものだということは、改めて強調する事でないほど、周知の事実です。

ところが、国会の論議を見ていると、この当たり前のことが理解されているのだろうかと危惧せざるを得ないのです。

まずはっきりさせておきたいことは、「憲法改正」ができるのは誰かということです。いうもでもないことですが、どれだけ多くの国会議員(憲法上は、衆議院も参議院も議員の三分の二以上が必要)が、「憲法改正案」に賛成したとしても憲法を改正することはできません。国会議員にできることは「憲法改正案を発議する」ことしかできないのです。重ねて言いますが、国会議員に許されているのは「憲法改正案を発議する」ことだけです。

法律を作る手続きとは全く違い、「憲法改正」を決めることが出来るのは、有権者だということを忘れてはいけません。

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参議院本会議場

最近行われた学習会で、「なんでこんな欠陥だらけの国民投票法が、当時の民主党も一緒になって賛成し、成立したのですか」との問いに対する講師の答えはこうです。「当時の民主党は、『環境権などを憲法に加えたい』との考えがあり、それを実現するため、国民投票法の成立を急いだのではないかと思う」。

私も、当時の民主党の国会対応には、そうした思惑が強くあったことは想像していましたが、その時から強い疑問を持っていました。講師の答えを聞いながら、そのことを思い出しました。

疑問を持った理由の一つは、今までにも指摘してきたことですし、今でも問題になっているように欠陥だらけの法律の成立をなぜそんなに急いだのかということです。

もし、仮に私や講師が想像しているとおりの理由で、当時の民主党が国会対応をしていたとすれば、「党利党略」によって成立を急いだといわれても仕方ないことです。私が疑問だ、大問題だと考えるのは、国の基本法を変える憲法改正が、こうした党利党略が優先されて、実施されてはならないと考えているからです。決して憲法改正に反対だから言っていることではありません。

もちろん、私は民主党だけを責めるつもりはありません。当時の国会で多数を占めていたのは、自民党であり、その総裁は安倍晋三だったのですから、採決を急がせたのは自民党の改憲勢力であったことは間違いない事実として、忘れてはなりません。

元に戻りますが、憲法を改正できるのは、国民だけです。

そして国の最高法規である憲法を改正するための手続き法である「国民投票法」は、主権者である国民が納得し、瑕疵のない手続きが定められることは、ごくごく当たり前のことです。

しかし、私には、この基本ともいえる考え方が、最近の「国民投票法改正」を巡る論議の中では、後景に押しやられているように思えて仕方がありません。こう思うのは、私だけでしょうか。

ですから、憲法条文の改正論議を進める事よりも先にやるべきことは、欠陥法である「国民投票法」がきちんとした内容となるよう改正させることです。その法律改正の権限を持っているのは、今度は国会議員だけです。国会議員の責任は重いといわざるを得ません。

もちろん、改憲を進めようとする勢力によって「国民投票法が改正されたのだから」として、強引に憲法改正論議に進めようとする危険性があることを私も十分承知していますし、多くの人が危惧していることです。

しかし、だからといって「国民投票法」の改正は進める必要がないということにはならないというのが、私の考えです。

いのちとうとし

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2021年6月11日 (金)

騙されてもまだ信じ続けるのですか? ――専門家としての責任とは――

騙されてもまだ信じ続けるのですか?

――専門家としての責任とは――

 

前回は、IOCの関係者による、日本という独立国家の主権侵害について異議を唱えました。菅総理がG7首脳会議で主張すべきなのは、独立国としての主権の神聖さです。

次に、「このようなパンデミックという状況でオリンピックを開くなどということは、普通はあり得ない」という趣旨の尾身発言を取り上げました。田村厚労相の「自主的研究」が、時代錯誤であることも指摘しました。

でもそれだけでは十分だとは言えません。マスコミは、「真理・科学を守る尾身会長」のようなイメージで尾身氏を持ち上げ、科学の側に立つマスコミという雰囲気づくりに走っていますが、それも眉唾です。

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首相官邸ホームページ, CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, via Wikimedia Commons

ここでは、「専門家」という権威の下、私たち素人を欺いてきた人たち、仮に「欺く」という意図はなかったにしろ、多くの素人たちに誤った印象を与え、結果的に世論操作という重大な政治的役割を果した人たちを俎上に載せます。もちろん、危険を冒して、しかも命を削って現場で頑張って下さっている医療関係者、その他の皆さんには感謝の気持で一杯です。

《「全国一斉休校」の正当化》

マスコミではそれほど大きく取り上げられなかったのですが、「専門家」が責任放棄をした例として重要なのは、昨年3月2日に発表された、「専門家会議による見解」です。

その中で、「専門家」たちは、2月27日に突然、安倍総理が宣言し、29日には記者会見で説明した「全国一斉休校」に科学的根拠があることを、明示的には言っていませんが、論理的にはその結論になってしまうという形で、保証しているのです。

詳しい内容は、昨年のこのブログの4月16日の記述を中心に、数回にわたる説明をお読み下さい。簡単に要約しておくと次のような趣旨なのです。

  • この一両日中に北海道のデータも含めて分ったこととして、若者が感染しても症状が軽いため街中や遠隔地に旅行することで、中高年層に感染を広めている。
  • そして、見解の最後に「10代、20代、30代の皆さんへ」と特に、10代をその中に入れて、次のような強いアピールをしているのです。

 

6.全国の若者の皆さんへのお願い

10代、20代、30代の皆さん。

若者世代は、新型コロナウイルス感染による重症化リスクは低いです。でも、このウイルスの特徴のせいで、こうした症状の軽い人が、重症化するリスクの高い人に感染を広めてしまう可能性があります。皆さんが、人が集まる風通しが悪い場所を避けるだけで、多くの人々の重症化を食い止め、命を救えます。

③ つまり、全国一斉休校をして、10代の若者が人の多く集まるところに行かなければ中高年への感染や重症化を食い止められるという意味なのです。

④ しかし、この時点までのデータでは、特にクラスターの発生を見ても10代の若者が感染したという事実も、彼らが元になってクラスターが生じたという事実はありませんでした。しかも、クラスターの発生場所や施設等の機能を見ても、10代の若者が利用したり行ったりすることはほとんどあり得ないものばかりでした。

④ そしてそれまでに公表されていたWHOの報告では、10代の子どもたちの感染は家庭内感染が多く、それも大人から子どもへの感染であることが示されていた事実も無視しての結論だったのです。

このように、科学的・論理的な筋道から逸れてまで、安部総理大臣の全国一斉休校には「科学的」根拠があるかのような「見解」を示すことは、「専門家」としての責任を放棄したことになるのではないでしょうか。

《「37.5度以上の発熱が4日続いたら相談して欲しい」》

厚労省は昨年2月17日に、コロナに感染しているかどうかについて、PCR検査を受けられるかどうかの基準として、「37.5度以上の発熱が4日以上続いた場合」(高齢者や妊婦、基礎疾患のある人については2日)という「相談・受診の目安」を示しました。マスコミでも広く報道され、現場で相談や受診を取り仕切る保健所でも、4日経過しなければPCR検査を受けさせない、という徹底した運用が行われてきました。

しかし、4月22日の記者会見で、専門家会議のメンバーである釜萢敏・日本医師会常任理事は、「普段は診察を受けないような人でも、4日間経過を見て症状が続くようなら相談してほしいという趣旨だ」に相当する発言をしています。公的機関や医療機関が相談に応ずる上での最低必要条件として、4日間症状が続かなくてはダメだ、3日ではダメなのだという運用をし、それをそのまま受け止めてきた私たちが、「誤解」していたのだと言わんばかりの説明なのですが、でも「4日間」は変っていなかったのです。

とは言え、重症化の危険性のある人については、「2日間経過を見て」という条件が削除され、症状が現れたらすぐというように改められましたので、この点は評価できるのかもしれません。

しかし、昨年3月29日に亡くなられた志村けんさん、そして4月23日に亡くなられた岡江久美子さんのお二人とも、まず症状が出て、その後、自宅で様子を見ている2、3日のうちに容体が急変し、搬送されて病院で治療を受け、その後のPCR検査でコロナの陽性が分るという順序なのです。

お二人とも、高齢者ですので、コロナの可能性のある症状が出た段階でPCR検査を受けて下さい、という政府の方針があれば、あるいは検査を受けたい人は誰でも検査をうけられるという方針が採用されていれば、危機的状況になる前に、あるいはそれが避けられなかったのであれば、何とか危機を脱することができた可能性もあったのではないでしょうか。

そして、「37.5度以上の発熱が4日続いたら相談して欲しい」という方針は、専門家がその気になれば撤廃できたはずなのです。

国民の命を最優先するのが政治の役割であるのなら、また、感染の危険性を「検査」という手段で判定して、適切な医療を提供するのが「専門家」の役割であるのなら、それぞれの役割を果さなかった責任を問われても当然ではないでしょうか。

ここまで書いてきて気付いたことは、「専門家」という権威をまとって、恐らくは善意で発言してきた結果として、私たち素人の期待を裏切った人たちにも責任があることを論じつつ、その背景には、「専門家」、特に医療の専門家には私たち一般的庶民のレベルを超えた役割を担い果してほしいという期待、悪く言えば甘えがあることです。さらに、それが社会一般に広く浸透している価値観だとすると、その一部である「専門家」の側にもその期待に応える責任も生じているということです。

[2021/6/11 イライザ]

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