マスコミ

2018年4月20日 (金)

 日本は「無法地帯」になってしまったのか? ――今起きていることをしっかり確認する――

 

日本は「無法地帯」になってしまったのか?

――今起きていることをしっかり確認する――

 

今回から、日本社会が抱えている問題について何回かに分けて考えたいと思っていますが、その根底にあるのは、次のマーティン・ニーメラーの詩が伝えたかった危機感です。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

今回の一連の出来事については、まとめるまでもなく皆さん良く御存じだと思いますが、来年、再来年になって改めて読む機会が訪れるかもしれません。その際に、他を参照しなくても、一応の復習になるよう、簡単にまとめておきたいと思います。

 

『週刊新潮』が報道した女性記者 (A記者と呼びましょう) に対するセクハラの内容について、財務省ならびに福田淳一事務次官(以下F氏と略します) は事実無根だと主張し、新潮社を提訴するとまで明言しましたが、その後、F氏は一転して辞任しました。しかしながら、セクハラ発言はなかったとの主張は変えていません。

  

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公表された録音テープの声が、F氏のものであることは声紋の照合から確認されています。また、この録音テープが何カ所での声を継ぎ接ぎしたものであることも問題視されていますが、一年半にわたってのセクハラを録音したもの全てが一つにつながっているはずはありませんし、前後の関係のない部分まで聞かされても時間の無駄ですから、継ぎ接ぎしてあるのは当然でしょう。

 

真夜中に記者会見してこの女性記者が自社の職員であること等を公表したテレビ朝日の抱える問題も大きく、そこを出発点に、複数回、テレ朝だけではなく、マスコミの無責任さについて問題提起をしたいと思います。(遅まきながらA記者を守る姿勢を示したテレ朝は、他社よりは評価されるべきなのかもしれません。)


しかし、本丸が権力を握ってそれを私物化している政治家、官僚等であることは勿論です。その点も忘れずに考えて行きたいと思います。

 

まず一年半もの間、セクハラを受けていたA記者は、当然、上司に相談していたはずですが、『週刊新潮』にコンタクトする直前には、上司が彼女の言い分を聞かないほど、テレビ朝日社内のコンプライアンス違反は明確です。

 

法律的にも、整備はされています。例えば、男女雇用機会均等法等の法律を具体的に活用するための指針等も厚生労働省が公表していますし、その遵守をすることは法的義務です。一例を挙げれば、「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針」は、平成 28 年8月2日厚生労働省告示第 314 号として改正されたものが事業主には届いています。

 

この中でセクハラの定義もなされていますし、特に、「相談」については、「相談窓口」を作って、必要があれば外部機関への紹介も含めて対応することが定められています。さらに、セクハラが起きたのは、テレ朝の敷地内ではないでしょうが、職員が職務を行う場所であれば、またセクハラをした人間が職務として関わる必要のある立場の人であれば、それも対象にされることも明記されています。このような義務は、当然、財務省側にも課されています。

 

さらに、どのように「相談」を扱うのかについても、7ページ中の4ページにわたって詳細に説明されていますし、「適切」「迅速」「正確」等の要件も強調されていますし、被害者が二次被害を受けないようにすることもこの中で強調されています。「適切」の中には、法律違反が行われていれば、司直に通風する義務も含まれます。

 

詳しい具体的な指針ですのでこの通りの対応をする上での疑問はないはずです。テレ朝がこの指針通りに、最初の「相談」を受けていれば、A記者も少しは救われたと思います。こう書いている前提として、A記者が、今年4月という時点になって初めて相談をしたのではなく、随分前から相談をしていたとの仮定を設けています。でも、実際には、相談しようにも相談できずについ最近になって決心したという可能性ももちろんあります。

 

そうだとすると、その理由が何なのか考えなくてはなりませんが、かなり長くなってしまいましたので、その点について、また日本社会を覆っている深く淀んだ霧については、稿を改めます。

  

[2018/4/19イライザ]

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コメント

いつも不思議に思うのは、安倍首相の「福島は完全にコントロールできている」を筆頭に、今回の一連の問題についても、どうしてあれほど堂々と嘘がつける人達がトップに上り詰めているのかということです。

以前、読んだ社会科学の論文で、10年毎の道徳観・倫理観の調査の結果、社会全体では変化しているが、ある年代だけでみると、今の50代も30年前の20代も殆ど変わっていない、成人してから現役世代の間に道徳観・倫理観を変えられる人は僅かであり、社会の変化は人口の構成が変わる変化でしかない、というものがありました。

つまり、こうしたモラルの問題は、組織の変化を求めるためには、人を入れ替えないとダメだということではないかと思うわけで、先の公務員の採用などもそうですが、東大などの入試も三分の一は従来の試験、三分の一は面接のみ、三分の一はくじ引き、とか異なる基準で多様な人を選ぶことも必要ではないかと思ったりもします。

問題なのは法律を守るということを含めて社会倫理の変化に対してエライ人ほどズレているということではないかと思います。エライ人達は成功体験しかなく変わる必要を感じないのも当たり前でエライ人の集まる組織はまさに財務省のようになるのでしょう。ゴミを分別してもゴミはゴミですから財務省の3分の2は女性と障害者と生活保護受給者くらいで占めるのが良いかも知れません。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

「平気で嘘のつける」人だから権力を手にすることができるのか、権力の座に着くと「平気で嘘がつける」ようになるのか、という問も意味があるのでしょうか。これも、結局は同じことの両面かもしれませんし。

東大の入試改革は名案だと思います。

理想としてはどんな集団でも、「多様性」が尊重されることのような気がします。「集団」は二人から始まりますが、その二人の間でも、多様性の尊重は難しいのですから、大きな集団ではなお困難なのだろうと思います。それを乗り越えて、多様性確保のシステム作りのための知恵ですね。

「トット」様

コメント有り難う御座いました。

「ゴミを分別してもゴミはゴミ」は今の状況をピッタリ言い当てている表現ですね。

御提案のような、「多様性」確保のためのアイデアをどんどん出して行きましょう。改革につながる可能性もありますし、代替案を通して、今、何が起きているのかの本質がストンと胸に落ちることも大切です。

2018年4月16日 (月)

 百均のハンカチが世界的な活躍 ――久し振りにN響の定期演奏会で気付いたこと――

 

百均のハンカチが世界的な活躍

――久し振りにN響の定期演奏会で気付いたこと――

 

友人宅での夕食後、ワインを飲みながら、久し振りにN響の定期演奏会の録画を視ることになりました。

1878回の定期のAプログラムです。指揮者はピーター・ウンジャン、演目は、ベートーベンの「エグモント」序曲と、本邦初演のジョン・アダムズ作曲、「アブソリュート・ジェスト」、そしてホルストの組曲「惑星」です。

 

私たちは、二曲目の「アブソリュート・ジェスト」から見始めたのですが、弦楽四重奏は、トロントから出発し今は、スタンフォード大学のアンサンブル・イン・レジデンスを務めているセント・ロレンス弦楽四重奏団でした。オケとの共演ですが、「ジェスト」(道化、からかい)を現代音楽として弾くとこんな感じになるのかなと、納得しながら、そして第一バイオリンと第二バイオリンの動き、それを引き出す指揮者のタクトや表情も十分楽しめる楽曲でした。

 

でもそれ以上の発見に、テレビの前の私たちは釘付けになりました。テレビのスクリーンを写メしたので、動きがあり、ズレているところはありますが、第一と第二バイオリンはお分り頂けると思います。手前が第一バイオリンのジェフ・ナットールさん、そして紫のシャツを着ているのが第二バイオリンのオーウェン・ダルビーさんです。

 

Photo

                             

 釘付けになったのは、ダルビーさんの「肩当て」です。バイオリンと顎の間に挟んで、隙間や硬さの調節等に使うことが多いようです。実は、肩当てについても、掘り下げるといろいろと議論があるようなのですが、それは省略して、ダルビーさんの使っている肩当てを見て下さい。

 

私が日常的に、そしてその夜もワインのコースターとして使っていた、百均のハンカチと同じ柄の色違いだったのです。私のハンカチはこちらです。

  

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テレビの画面では何回もこの「肩当て」が映りましたので、確認できたのですが、縁取りの縫い目も同じでした。

 

ワインのコースターとしても気に入っていたのですが、世界のバイオリン界のトップの一人が、それも国際的な舞台で私と同じハンカチを使っていたのです! これも「ジェスト」の一環なのかもしれませんが、そうだとしたら、「お主、相当の遣い手よな」くらいの言葉を掛けて上げなくてはいけないかもしれません。

 

そして、写真を撮るために脱線してしまったN響の定期演奏会鑑賞なのですが、最後の曲、ホルストの「惑星」でも、音楽とは違うもう一つの発見がおまけに付いてきました。

 

先ずは、横からの全体像を御覧下さい。

 

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 チェロ奏者の前の床を見ると、そこに線が走っています。そして、その延長戦がどこに届くのかを見ると、舞台袖よりかなり前だということが分ります。ホルストの「惑星」には管楽器の数が多くなるのですが、舞台を広げて管の人たちが座れるようにしたのではないでしょうか。それを舞台の前面から確認しましょう。

 

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 元々のステージの前の客席を取り払って、臨時の舞台を「迫り出し」として造っているのです。一番前の席は20人弱の人しか座っていませんが、それは「せり出し」の結果です。

 

私の愛用する百均のハンカチが、世界の舞台で活躍していることを見て、世界が多様な次元でつながっていること、そしてこのような日常的品物もその一部であると、まとめてみたくなったのですが、こんなことでも世界が平和になる上で、チョッピリかもしれませんが貢献しているのではないかと思いました。

 

[2018/4/9イライザ]

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コメント

日本の著名な音楽家のインタビューをNHKラジオの番組でちょくちょく聴きますが、色々と工夫されて使わられているものには、有名だから高級品かと思いがちですが、けっこう100均の商品を使われているみたいですね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

音楽家や学者、俳優さんたちが、様々な楽しい工夫をしていることは知っていましたが、テレビの画面で視たハンカチが今目の前にある私のものと同じものだという偶然は、かなり確率が低いはずですので、「大発見」のような気持になりました。

2018年4月 9日 (月)

 中垣顕實法師から ――4月1日の質問に、ニューヨークからの返信です――

 

中垣顕實法師から

――41日の質問に、ニューヨークからの返信です――

 

「グローバル・ヒロシマ」というテーマで41日に開かれた中垣顕實法師と私の対談では、最後に会場の皆さんから興味深い発言がありました。そこで取り上げる時間のなかったものについては質問用紙に書いて頂いたのですが、中垣法師を指名しての質問が二つありました。ニューヨークに戻られた師から丁寧な回答がありましたので、二回にわたってアップします。

  

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以下、中垣師の回答を引用します。

**********************************

 

「浄土真宗では自らの内の愚かさとそれに対する慈愛を説くとお聞きしました。それを説く時、その教えはどのような力になるのでしょうか。」についての私のからの答えです。

 

質問ありがとうございます。短い質問ではありますが、仏教的平和構築という上では、とても大切なことの質問ですので、少し答えが長くなることをお許しください。

 

まず、内に愚かさということは、常に欲、怒り、愚痴といった煩悩を持ちながら生きているということの自覚です。これは聖徳太子の『憲法十七條』の第十條に書かれている、「ともに凡夫ならくのみ」という言葉にも置き換えられると思います。私は近年この「皆凡夫なんだ」「皆愚かさを持って生きているんだ」という言葉が平和を考える中で一番大切なのではないのだろうかと思うようになってきました。第十條には、愚かさを知ることには、私はいつも正しいのでもなく、聖者のように悟りきっているわけでもない、ということがあるわけで、だからこそ、自分だけが正しいと思っても、相手の意見を聞こうという姿勢がそこに出てくるべきだ、という趣旨のことが説かれています。白黒をハッキリさせるというより、白でもなく黒もないグレーの世界を人は生きているのだから、双方ともに理解し合い、その上で共に何かを作り上げていく努力がなされねばならない。その根底の力が「内なる愚かさ」の自覚から生まれます。

 

100%の善人もいなければ、100%の悪人もいない。それは自分自身もそうだから、常に学び、少しでも真理に近づこうとする力にもなります。ただ完璧な人間はいない、といってどうしようもないから何もしないということではないと思っています。完全でないから、そこ共に語り合い、聞き合い、話し合うことによってより真なる平和な社会を目指す方向にむかう力が内なる愚の自覚であると思うのです。自分が完全な人間であるなら、他人の言うことなどに耳を傾ける必要がないのです。よって、そこには対話は生まれません。白黒をはっきりさせ、二分化してものを考える西洋思想とは異なるものです。誰でも間違いはあるが、そこから学び、過去を許していくところも、愚かさの自覚に他ならないと思います。

 

私は「凡夫の知恵」、「愚者の知恵」と呼びたいと思います。この知恵が力となって平和が構築されていくべきだと私は思い、新たなNPONY平和ファウンデーション)を今年3月から始めましたが、まさにこの「愚の自覚」から始める対話による平和構築を推進するものです。 平和の第一歩は自分の声を聞き、他人の声を聞くことからはじまります。自分はこれが正しいと信じて、相手を悪と決めつけ、自分が正義だと思い上がるところに大きな悲劇をもたらし、正義の名の下でなされた戦争は多くの尊い命をうばってきました。これらの悲劇を繰り返さない道を選択する「二度と過ちは繰り返しません」という言葉にも呼応していくものだと考えています。

 

またそのような凡夫に如来の慈愛は向けられているのだと阿弥陀仏の本願には説かれている。ただ可哀そうだから慈悲がかけられているということだけでなく、その愚かな命は同時に仏になるべき尊い身であるいうことを意味しています。阿弥陀如来の本願には「一切衆生」すなわち、すべての生きとし生けるもの、という言葉ですべての人間、生命、が悟りへの可能性を秘めた存在として語られています。そこにすべての命がかけがえのない存在として、共に平和を作りあげる同志としての存在となっていくのだと考えます。平和は平等なる仏さまの慈愛の眼を通して生まれる世界だと思います。私も貴方も凡夫であるけれども、慈愛につつまれた存在としてお互いに敬い、ともに真理に近づけるように対話を続けるならば、人種、国境を越えた平和の道が開かれていく力になるのだと思っています。他人を恐れ、敵対するのではなく、互いに信頼して、理解し合えるのだという思いを持ち続けることができるのは、浄土真宗においては如来の慈愛がかけられた存在であるというところから出てくる力といえましょう。

 

以上です。

 

[ニューヨーク平和PRFファンデーションの創始者・会長 中垣顕實]

  

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2018年3月22日 (木)

「当事者意識」と言えば「原爆記者」   ――懐かしい方々ばかりです――


「当事者意識」と言えば「原爆記者」  

――懐かしい方々ばかりです――

 

かつては「原爆記者」という言葉が生きていて、しかもそう呼ばれていた方々が元気に活躍されていた時代がありました。今でもお元気で活躍されている方はいらっしゃいますが、その数は減っています。

 

おしどり マコ・ケンさんの精力的な仕事振りを伺って、広島・長崎なら「原爆記者」に相当するのではないかと思いました。それに呼応する言葉として「原発記者」があるのかどうかは知りませんが、両者に共通する「当事者意識」を軸に、今回はお二人の思い出を綴ってみたいと思います。

 

1970年代の後半から、毎年夏になると数週間は広島と長崎で過すようになりました。そのときに一番お世話になったのが、中国新聞の大牟田稔さんと中国放送の秋信利彦さんでした。このお二人の足跡を辿るときにABCC (原爆傷害調査委員会、米国の研究機関で、原爆が人体に与える影響を調査研究する目的で設立された。後に日米共同で運営する、RERF--放射線影響研究所に改組された。) の存在抜きには語れません。

 

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秋信さん・「タウンNEWS広島 平和大通り」から

 

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大牟田さん・中国新聞平和メディアセンターから

 

被爆者の中で一番若い人々は、「胎内被爆者」と呼ばれます。当時、3週齢から17週齢の間に母親の胎内で被爆した人たちだからです。出生後、この年齢の被爆者には、放射線の影響が小頭症その他の障害として現れました。この事実をABCCの研究者は1950年代に始まった調査で把握していたのですが、その事実は隠して、母親たちには「栄養が足りないから」といったような虚偽の説明をしていました。

 

しかし、秋信さんの辛抱強い調査で、胎内被爆者の存在が知られるようになり、1965年に内部告発によって全ての真実が明るみに出されました。時を同じくして、秋信さんと大牟田さんは、胎内被爆者とその家族を支える「きのこ会」を立ち上げ、その事務局してのお世話を始めます。さらに、この会を通して胎内被爆者が公的に「被爆者」として認定され国の補償を得られるようにするため、さらに核兵器の廃絶を実現するための運動も強力に進めています。大切なのは、このための時間は、中国新聞記者・中国放送記者としての仕事ではなく、あくまで「個人」の資格で行われていたボランティア活動だったという点です。

 

また、胎内被爆者やその家族がマスコミの報道で傷付いた経験を元に、きのこ会のメンバーのプライバシーを尊重する立場を貫き、他の報道関係者にもそれを尊重するように求めました。「プライバシーを優先すること、特ダネは書かないこと」という立場なのですが、後に大牟田さんは、「他社に特ダネを書くなという以上は、私自身も特ダネ報道はできません。だが、それでよかったと思います」と語っています。被爆者関連報道で、プライバシーが尊重されるようになったきっかけの一つはこうした「きのこ会」の方針だと考えられています。

 

これこそ、私が「当事者意識」という言葉でお伝えしたいことなのですが、5文字の漢字ではお二人の思いは十分には伝わらないような気がしてきました。

 

そして秋信さんを語るときに、19751031日に皇居で行われた昭和天皇の記者会見を避けては通れません。中国放送記者として、「戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか」と質問し、昭和天皇から歴史に残る「遺憾には思うが、戦争中のことであり、広島市民には気の毒であるが、やむを得ないことと思う」との発言を引き出したのです。

 

その後、昭和天皇の記者会見で原爆について触れられることはありませんでしたので、この質問の貴重さが分ります。

 

大牟田さんは1991年に当時の平岡市長に請われて、中国新聞社を退き1999年まで広島平和文化センターの理事長としてヒロシマの平和行政をリードし、2001年に71歳で逝去されました。

 

秋信さんは、大牟田さんの亡き後は、一人できのこ会のお世話を続け、2010年に75歳で亡くなっています。秋信さんについては河野美代子先生が最近のブログで取り上げていますが、「タウンNEWS広島 平和大通り」でも、2010年に秋信さんの追悼記事を、当時の首席執筆者だった故「グランパ」さんが書かれています。

  

また大牟田さんについては次男の聡さんが、広島市立大学に寄せられた『〝表現者〟としてのジャーナリスト~ヒロシマと大牟田稔の関わり』に詳しい記述がありますので、お読み頂ければ幸いです。

  

  

[2018/3/20イライザ]

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2018年3月 7日 (水)

広島の音楽危機  ――良く考えると教育そのものの危機では?――


広島の音楽危機

――良く考えると教育そのものの危機では?――

 

ベンジャミン・フリス氏のリサイタル会場で音楽に関心のある人達の間で話題になったことの一つは、広島の音楽教育が危機的状況にあるのではないかということでした。

 

初めて広島に定住することになって驚きとともに発見したこと、かつ嬉しく思ったのは広島が音楽の盛んな街であるということでした。コンサートに出掛けたときにプログラムと共に手渡される公演のチラシの数は東京と同じくらいの枚数がありましたし、もちろん、広響の存在そのものが大きかったのですが、それ以上に広島の「本気」度が伝わってきたのは、音楽高校があり、音楽大学まであるという事実でした。

 

しかし、音高として親しまれてきた広島音楽高等学校は昨年休校するに至りました。また、伝統のあるエリザベト音楽大学もより幅広い分野での人材育成のための教育課程を創設するなど、音楽大学としての存在意義を踏まえた展開をして頑張ってはいるのですが、でも、ピアノとか声楽といった「専科」を専攻する人数は減っているとのことです。音楽以外の分野まで視野に入れれば、京大で哲学科がなくなり、数学科が数理科学科になってしまうことと同根なのかもしませんが、次の世代に活躍する音楽家を広島で養成し続けることは難しくなってしまっているのでしょうか。

 

             

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エリザベト音楽大学のホームページから

 

確かに、部活としての吹奏楽やマーチング・バンド、そして合唱などの分野では頑張っている中高校、そして大学も多いのですが、正面から「専攻」するという形での若い世代の教育にもっと地域や国として力を入れることも大切なのではないでしょうか。その形を追求したいと考えている若者も多いはずなのですが、ネックの一つは就職です。

 

例えば、音楽大学を卒業しても、小・中・高の音楽の先生は余っていて、教師としての可能性は狭き門のようです。エリザベト音大でも、学生に幼稚園教諭の資格を取るためのコースを作りモンテッソーリ教育に力を入れたりと可能性を広げる努力はしています。さらに楽器店や一般企業への就職も広がっているようです。しかし、音楽専攻の強みが100パーセント生かされる選択肢をもっと増やす知恵をどなたかお持ちではないでしょうか。

 

この点を理解して頂くために、スポーツの世界と比べてみたいと思います。スポーツ専攻を正面に掲げた大学は日本体育大学くらいかもしれませんし、高校レベルでは部活が中心になっているのは、音楽と似たような状況なのかもしれません。しかし、大学のレベルでスポーツの専攻を選ばなくても、スポーツ関係の多くの部活が大学の存在の中でも重んじられています。そして卒業後は、スポーツとは全く関係のない職種の企業が、例えばヤマダ電機や天満屋などがすぐ頭に浮びますが、駅伝に出場できる程の層の厚い選手たちを雇用しスポーツ活動の支援をしています。

 

それ以上、あるいは同等の同じレベルの支援を音楽家にも、とまで言う積りはありませんが、企業も国も自治体も、そしてマスコミも、もう少しバランスの取れた支援策を採用したり推進したりはできないものでしょうか。

 

圧倒的多数の子どもたちがスポーツ選手を目指し、スポーツの面で芽の出ない若者たちはお笑い芸人を目指すような国にしてしまって良いとはとても思えないのですが―――。

 

さらに、もう少し幅広く考えて見ると、これは教育全てに関わる問題なのだということも分ります。それについては稿を改めて考えたいと思います。

 

[2018/2/17イライザ]

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コメント

バークレイ音楽院ではジャズもおしえているそうですが、
エリザベート音大では、ジャズだけでなく、ポップス、民謡、演歌も教えたらどうでしょうか。
漫画を教える大学もできてる時代です。
およそ音楽と名のつくものはなんでも教えたらいいと思いますし、
その発表会を8.6、8.9に開催したらどうでしょうか。

冬季オリンピックの種目も、
かって20種目くらいだったのが、
今では100種目を超えています。
おかげで選手層も極めて多様化しています。

「オンガク」様

コメント有り難う御座いました。

そうですね。多様化はエネルギーを得るための出発点ですから。

ボストンで羨ましいのは、バークリーはジャズに強く、New England Conservatory of Music はクラシックと、棲み分けができるほど層が厚いということかもしれません。その上、ハーバードやタフツ、MIT等の大学でも音楽で学士号が取れるような専攻科目が揃っていることです。

音楽大学だけの多様化ではなく、全ての大学での多様化が自然なのかもしれません。

音楽もそうですが、美術も同じような状況だと聞きます。
先日も東京芸大の受験者が減っていると聞いたばかりです。
東京芸大がそうなのだから、他の大学はもっと深刻でしょうね。
数年間をただただ芸術のために費やす…そんな余裕のようなものが
この国からなくなっていくような気がします。

「nancy」様

コメント有り難う御座いました。

美術でも同じことか起きているのは想像が付きます。予算がなくなるとまず切られるのは音楽や美術そして外国語、というのは世界共通の現象のようだからです。

一方、巨額の投資が行われているAIの分野では、将棋や碁のマスターを破るソフトが創られるのと同時に、藤井聡太6段のような俊才が現れています。

音楽や芸術の世界でも、バッハよりバッハ的な作曲をするAIソフトや、ミケランジェロよりうまくミケランジェロを描けるソフトなどについての報道はありますが、そうした存在を凌駕するような人間のしかも若き音楽家や美術家が躍り出て来ないように思えるのは何故なのでしょうか。

私が無知なだけかもしれませんので、どなたか御教示下さい。

ジャズ、ポップス、演歌等の新しいジャンルの音楽学部をつくるにあたっては、
スポンサーにシダックス、第一興商、ヤマハ、パナソニック、ヤマダ電機、RCC等にお願いし、
校舎には、今までの広島音楽高等学校の敷地、建物を活用するということも考えられますね。
「音楽で世界を平和に」というテーマのもと、
イライザさん、上村さんが呼びかけ人になって、狼煙をあげれば、
賛同者は世界中にひろがるのではないでしょうか。

憚りながら…
日本の大学の芸術教育が出発点が間違っているし、現在の多様性にまったく合っていないと私は思っています。そしてクラシックをなぞるだけでしたら、AIにすぐに凌駕されるでしょう。
そもそも芸術には優劣がないと思いますし、
真の芸術家の思考は未来から現在を見るという視点ですから
変化に寛容ですし、逆に今まで人間には不可能だったことをテクノロジーで補いながら、進化させていると思います。例えば本日私が紹介したBrad MehldauのAFTER BACHなど面白いちょっとした"事件"だと思います。路上アーティストのバンクシーなど、アナログで犯罪的でありながら、現代のネット社会で爆速で広がったことを思えば、面白い"事件"はこれからもどんどん出てくると思います。
一言でいうなら、日本の芸術に向き合う姿勢はあまりにもお上品でエリート的だからダメなんですよね。

「オンガク」様

コメント有り難う御座いました。

スポーツの世界では、誰かが呼び掛ける前に多くの企業が自発的に動いていますね。芸術の世界でも、そんな動きがもっと活発になっても良いと思うのですが。

「nancy」様

コメント有り難う御座いました。

「事件」として芸術を捉える感覚が凄いですね。ヨーコ・オノ的と言っても良いのでしょうか。それと重ねると、「芸術は爆発だ」といった岡本太郎の言葉の意味が、何となく分ってきたような気がします。「人生、即、芸術」も。

2018年2月27日 (火)

フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会  ――7年目の3月11日午前10時からです――


フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会 

――7年目の311日午前10時からです――

 

昨日、市役所内の記者クラブで、「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」についての記者会見を開きました。

 

                   

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会見内容の概要は次の通りです。

 

3.11福島原発事故から7年目を迎えます。福島では未だに6万人近い被災者が不自由な避難生活を強いられ、帰還の問題、生活の再建や復興、風評被害、子どもを中心とする健康被害、除染廃棄物の処理問題、原発の再稼働など課題が山積しています。

 

福島原発事故を風化させず、フクシマに連帯する取り組みとして、広島においては、3月11日に市民団体との共同行動で、「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」を下記のとおり開催します。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

 

 

1.日 時  2018年3月11日(日)10時~15時30分

2.場 所  広島弁護士会館・原爆ドーム前

3.主 催  「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」実行委員会

4.内 容  第1部 10時から12時(広島弁護士会館3階ホール)

講演:福島からの報告(人見やよいさん・福島原発告訴団役員)

            芸人・記者 おしどりマコ&ケンさんのトークライブ

(参加費:お一人1,000円・・・資料代等)

 

第2部 13時30分から15時30分(原爆ドーム前)

        集会:呼びかけ人挨拶・黙祷

        福島からのアピール・ヒロシマアピール採択

 

デモ:原爆ドーム前~中国電力本社前まで

 

呼び掛け文も、現在の状況を分り易くまとめてありますので、お読み頂ければ幸いです。

 

 

 
 

 

 

フクシマを忘れない!さようなら原発 ヒロシマ集会

呼びかけ文

 

 2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島事故から7年を迎えようとしています。被災地では発表されているだけでも6万人の人びとが苦しい避難生活を余儀なくされています。一部では帰還困難地区が解除されたとはいえ帰還される人はごく一部に限られ、多くの避難者はかけがえのない故郷を離れざるを得ない状況が進んでいます。追い打ちを掛けるように住宅支援なども打ち切りが進んでいるのが実態です。生業を戻せの裁判は政府や東電を相手に裁判が続いています。

 事故を起こした福島第1原発はこの期に及んでもデブリの実態がつかめず、廃炉の計画は遅々として進んでいません。膨大な費用をつぎ込んだ凍土壁も機能せず、放射能汚染水は増え続けていています。廃炉費用が未曾有に膨らむのは必至です。

 にもかかわらず政府は新たにエネルギー基本計画を策定するなかで、これまでどおり原発をベースロード電源として20~22%の比率を維持しようとしています。現在、川内原発、高浜原発、伊方原発を再稼働させ、玄海原発の再稼働を目論んでいます。さらに規制委は事故を起こした東電の柏崎刈羽原発まで「合格」としました。40年超の老朽原発も稼働させようとしています。世界は原発から自然ネルギーへシフトする中で、安倍政権は、福島原発事故の教訓をなに一つ学ばず、原発推進の姿勢はかえず、海外へ売り込んでいるのです。こうした中で広島高裁は松山の伊方原発3号機の運転差止の仮処分を決定しました。130km離れた阿蘇山の噴火による火砕流が原発事故を引き起こす可能性を認めた決定です。火山列島の日本でどこの原発も事故の危険性を無視することは出来ません。

 私たちは、福島原発事故を忘れてはなりません。被災者に寄り添い、第2、第3の原発事故を起こさせないために原発ゼロを訴えます。被爆地広島から原発も核もない未来をつくるために広島から声を挙げましょう。

 福島原発事故から7年目を迎える3月11日、「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」への参加を心から呼びかけます。

2018年2月

【呼びかけ人】

 坪井 直(被爆者)

鎌田七男(元むつみ園園長)

 秋葉忠利(前広島市長)

 森瀧春子(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表)

 山田延廣(弁護士)

 岡田和樹(ハチの干潟調査隊代表)

 

 

3月11日には、ヒロシマからそしてフクシマから、「忘れない」「諦めない」「過ちを繰り返さない、繰り返させない」そして「理想実現のため全力を尽す」というメッセージを強力に発信したいと思っています。

 

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コメント

情報ありがとうございます。
午前中だけになるかもしれませんが、参加できるよう予定を調整します

「和」様

コメント有り難う御座いました。午前中だけ宜しくお願いします。

2018年2月26日 (月)

第27回全国大学新人アルティメット選手権大会 ――親馬鹿レポートです――


27回全国大学新人アルティメット選手権大会

――親馬鹿レポートです――

 

平昌オリンピックで盛り上がっていますが、我が家ではもう一つのスポーツで盛り上がりました。アルティメットです。以前御紹介しましたが、事情があって削除しましたので、簡単にこのスポーツについて説明しておきましょう。

 

簡単に言ってしまうと、フリスビーを使ってのラグビー、というイメージが分り易いように思います。ウィキペディアでは、フリスビーを使ってのバスケットボールとフットボールを合わせたような競技という説明がありますので、そう理解しても良いでしょう。

 

競技の内容は、「100m×37mのコートで争われ、コートの両端から18m以内はエンドゾーンと呼ばれる。7人ずつ敵、味方に分かれて一枚のディスクを投げ、パスをつないでエンドゾーンを目指す。エンドゾーン内でディスクをキャッチすれば得点が記録される。」

 

この競技の大学選手権もあるのですが、今回は、224日と25日に静岡県富士市 富士川緑地公園で開催された第27回全国大学新人アルティメット大会です。参加できるのは一年生と二年生です。

 

その中継を「Fresh! by Abema TV」で観戦しました。優勝したのは息子Sが所属する早稲田大学ソニックスでした。前の年、第26回の全国大学新人アルティメット大会の優勝校は慶應義塾大学ホワイトホーンズで、息子Yがそのチームの一員でしたので、兄弟揃って新人戦では全国制覇をしたことになります。お恥ずかしい限りですが、親馬鹿丸出しのレポートでした。

 

             

Photo_2

           

優勝決定直後の早稲田チーム

 

そして準優勝は、偶然ですが二年とも大阪体育大学ボーシャーズでした。「来年は優勝」という声が聞えます。最後に、もう一つ親馬鹿の感想です。ウェブテレビで視るのも良いのですが、一度は現場で生の試合を見たいと思っています。

 

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コメント

おめでとうございます٩(๑´0`๑)۶嬉しい1日ですね
子どもを応援するのに親馬鹿にならないほうが無理ですよね(⌒▽⌒)

「和」様

コメント有り難う御座いました。

随分遅くまで、LINEで盛り上がりました。

その延長線上で考えたのですか、孫のある人は、孫への強い思い入れがあるようですね。でも、「親」馬鹿とは言っても「孫」馬鹿とは言わないようです。何故なのでしょうか、疑問が湧きました。

2018年2月 8日 (木)

アメリカの核態勢見直し  ――日本政府を動かすために――


アメリカの核態勢見直し

――日本政府を動かすために――

 

核態勢見直しを撤回させるためにアメリカでも活発な動きが起きていますが、日本政府の果せる役割が大きいにもかかわらず、トランプ政権そしてアメリカの軍産複合体に迎合する声しか出せない今の安倍政権は情けない限りです。

 

それを支えている河野外務大臣や岸田前外務大臣の罪については前回言及しましたが、ではどうすれば良いのでしょうか。一緒に考えて行きましょう。

 

国政選挙で、野党、特に安倍政権による軍事国家化や改憲に効果的に立ち向かってくれる政党に勢力を伸ばして貰いたいのは勿論ですが、それが、日常的な様々な努力の総合的な結果として実現できるよう、取り敢えず実行可能で少しは効果がありそう (だと私には思える) なアイデアを二つ三つ提案してみたいと思います。このような活動を既に実行されている方がいらっしゃれば、どうすればこのような活動を立ち上げられるのか、御自身の活動強化につながる協力の仕方にはどんなものがあるのか等について具体的なアドバイスを頂ければ幸いです。

 

 「外務大臣ウォッチ」を組織して、外務大臣ならびに外務省の活動についての市民レベルからの批判と提言を行う――特に、岸田氏や河野氏は、大臣就任前から広島の被爆者やPNNDの代表として、核兵器問題についての発言をしてきていますので、過去の発言と、大臣就任後の発言との整合性をチェックし、外務省ならびに外務大臣が、被爆者や平和を求める市民の立場から真摯に仕事をするように、タイミング良く提言をしたらどうでしょうか。

 

同時に、何よりも大切なのは、日本の外務大臣が日本の国民の利害関係のみならず、日本国民の意思を代弁して仕事をしているかどうかです。「核抑止論」というような抽象的お題目を究極的な目的として掲げることが、具体的な個々の政策として実施された場合、日本国民の意思を踏みにじっているかどうかを検証し、その結果をきちんとまとめた上での提言をすることは、憲法の精神を守るためにも、国民の人権擁護のためにも必要不可欠です。

 

そのためには、複数の市民や専門家のイニシャティブと協力が必要です。まず何人かで組織を立ち上げ、活動を始め、少しずつ活動を広げられれば、効果は挙がると思います。マスコミの協力も大きな力になるはずです。何方か手を挙げて頂けると素晴らしいのですが――。

 

                 

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外務省のホームページから

 

 「核軍縮・核不拡散議員連盟」の地方版を組織する――PNNDは国会議員の集まりですが、市町村などの自治体単位で、同じような趣旨の議員の集まりがあれば、その地域の平和活動家や平和運動組織と一体になって、強力な発信ができるのではないかと思います。「平和首長会議」や「非核宣言自治体協議会」との連携も考えられますし、PNNDを支えての世界的な連携も可能になると思います。そのためには、現職の自治体議員何人かの方が、最初に動いて下されば理想的ですが、議員の忙しさを考えると、複数の市民や専門家が何人かの議員に働き掛け、協力して組織を立ち上げ、なお活動のサポートをするという道筋でも良いのではないでしょうか。何方か手を挙げて頂けると素晴らしいのですが――。

 

 「○○から平和を発信するマスコミOBのブログ」のような、インターネット活用の平和情報の発信や意見交換を、職種別のグループで始める――一人でブログを書くのは大変ですが、何人かで分担すれば内容的にも面白く、多角的なアプローチのできる発信ができるはずです。もちろん、現職の皆さんが、核廃絶に絞った活動をして下さっても良いのですが、OBの皆さんの持つ時間を有効に活用して頂ければ素晴らしいと思います。

 

 上記のようなアイデアを元に、SNSを活用してのより効果的な発信を行う――私の力では、ブログが精一杯ですが、その他のインターネット・メディアを活用することで効果的な情報収集や発信ができるのではないかと思います。知恵を貸して下さい。

 

以上、夏井いつき先生の「多作多捨」の精神で、とにかくアイデアを書き出してみました。皆さんの御意見をお聞かせ頂ければ幸いです。

 

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2018年1月25日 (木)

相撲協会の世界観 ――外国人差別は残っている?――


相撲協会の世界観

――外国人差別は残っている?――

 

昨年からワイドショーのネタとして頻繁に取り上げられているのが日本相撲協会ですが、あれだけ多くの女性ファンがいながら、未だに女性は土俵に上がらせない「伝統」は守っています。これを「差別」と捉える人も多くいますが、それで思い出すのが、小錦の現役時代に大問題になった「外国人差別」です。しかし、その時には、相撲協会の差別体質が批判されたと言うよりは、相撲協会を批判した小錦へのバッシングのように見えました。当時、この点について『アキバ・ウィークリー』で触れていますので、まずそれをお読み下さい。

 

                             

Photo

KONISHIKIのホームページから

 

 

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小錦差別事件について

――日本社会での人種差別に対する対応は十分だろうか――

[アキバ・ウィークリー第13号 (1992 57日収録)]

 

皆さん、こんにちは。衆議院議員の秋葉忠利です。アキバ・ウィークリー第13号をお届けします。5月の第2週号です。

 黒人ドライバーに対して集団暴行を加えた件で起訴されていた、ロスアンゼルス市警察の白人警察官4人が29日全員無罪になりましたが、この無罪判決に怒った黒人を中心とする市民が暴動を起こしたことは皆さんご存知の通りです。

 あれほどはっきりしたビデオの映像があるにも拘わらず、何で無罪になってしまうのか疑問を感じた方も多いのではないかと思います。アメリカ社会に根強く残っている人種差別を追放するのが如何に難しいかを改めて目の前に突きつけてくれた事件であり評決でした。

 さて、ひるがえって、私たち自身、日本社会における人種差別に対して十分な対応をしているかどうかを考えると、残念ながらまだまだだという気がします。

 例えば、小錦発言が良い例です。先月20日付けの日本経済新聞、22日付けのニュヨーク・タイムズ紙に小錦の発言として、「横綱になれないのは人種差別のせい」という言葉が掲載されてから、ずっと小錦がこの発言をしたのかどうかが問題にされました。折角貴重な発言をしてくれた小錦が、あたかも悪者であるかのような扱いさえ受けたことも問題だと思いますが、しかしマスコミを含めて私たちが問題にすべきだったのは、小錦が横綱になれなかったのは、本当に人種差別のせいかどうか、もしそうなら、それをどう変えていくのかという点であって、だれがその問題提起をしたかではない筈です。

 この点について「文芸春秋」4月号に掲載された、小島襄氏の「"外人横綱"は要らない」を読む限り、横綱審議委員会、少なくともその委員の一人が外国人差別をしていることは明白です。横綱審議委員会としては、この小島氏の考え方に対する公式見解を示していないのですから、これを黙認している、あるいは、これが審議委員会の見解だと取られても仕方がないと感じるのは私だけではないと思います。これを裏付けるデータがあることも皆さんご存知の通りです。

 第一に、大関で二場所連続優勝またはそれに準ずる好成績という原則ですが、小錦より強さの点で劣る力士が過去横綱になっていることは皆さんご存知のとおりです。

 第二に、小島氏自身認めているように、横綱昇進の審議で過去人格が問題にされたことは、殆どありません。外国人力士の場合にだけ「品格」が問題にされるのであれば、これは立派な差別です。

 新弟子が少なくなった挙げ句の果てに、強くなれば横綱になれると外国人力士をリクルートし、その上、これほどあからさまに差別を行うことが許されるのでしょうか。横綱審議委員会ならびに相撲協会の品格ある対応を心から望みます。

 

 これで、アキバ・ウィークリー第13号を終わります。次号は515日にお届けします。皆さんのご意見、反論をお聞かせ下さい。

 

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1992年から四半世紀以上経った今、外国人が横綱になることは当り前どころか、日本人が横綱になれるかの心配 (その理由は外国人差別と全く関係はありませんが) をしなくてはならないほどになりましたが、相撲協会の外国人差別はなくなったのでしょうか。

 

次回はこの点について考えて見たいと思います。

 

 

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2018年1月17日 (水)

勉強するジャーナリストは輝いている ――過去と未来をつなぐ力を実感しました――


勉強するジャーナリストは輝いている

――過去と未来をつなぐ力を実感しました――

 

20178月に開かれた原水禁の世界大会の分科会で、私がかねてから尊敬している元朝日新聞記者の岩垂弘氏が、核兵器禁止条約についてフロアから発言してくれました。この条約が7月に採択された歴史的背景と平和運動の役割についての言葉にも重みがありましたが、この条約についての評価を知るために国会図書館に足を運んで、全国各地で発効されている日刊紙全てに目を通したことにもさらりと触れられました。

 

もう40年近くにもなる付き合いですが、現役を退いた後も、このような努力を続けられていることに敬服すると同時に、大きな感動に包まれました。私は、日頃からマスコミに対しては厳しい批判を続けていますが、それは、若い世代のマスコミ人たちにも、岩垂さんのような偉大なジャーナリスト、さらにはかつて「原爆記者」と呼ばれた多くの広島のジャーナリストたちと同じレベルでの仕事をして欲しいという期待を持っているからです。

 

批判をしながらも、若いジャーナリストたちの中で優れた仕事をしている人たちの頑張りには声援を送ってきましたが、今日は久し振りに、「勉強振り」では先輩たちにも引けは取らないだろうと思える若手のジャーナリストに取材を受けました。仮に、「Aさん」と呼んでおきましょう。

 

 

 

               

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東京から取材に来てくれたAさんとは、プリンスホテルでお会いしました。良い天気で海が綺麗でした。

 

 

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取材の目的や具体的質問については昨年の内にメールで、詳しく丁寧に書かれたものを受け取っていました。それに返信する形で、関連する未公開の資料等もお送りしておきました。

 

送ったものを読んで貰えるだろうとの期待はありましたが、それだけではありませんでした。テーマに関連する拙著もすべて読んでいてくれただけではなく、国会図書館で私の書いた関連論文を調べ、その中でも関連の深いものを読み込んだ上での質問が続いたのです。中には私が忘れていたインタビュー記事もあり、またテーマを語る上では必須のデータをエクセル等の図表、リストとしてしかも見易く色分けして作ってきてくれていましたので、より鮮明に記憶を辿ることができました。

 

Aさんは、岩垂さんや私たちの世代と比べるとはるかに若い世代に属しますが、国会図書館の有効活用という点では、ジャーナリスト魂、研究者魂をしっかり受け継いでくれているようでした。そして、私が記憶の糸を紡ぎながら話している最中、話の腰は折らずに、テーマとは関連のない事柄についてもメモを取り続け、タイミングを見て自分の質問を発してくれました。とてもリラックスして話せましたので、記憶の再生にも役立ちました。そして恐らく「ここは使える」と考えたであろう箇所については、私の記憶だけではなく、それをサポートする「物証」を確かめるというジャーナリストの基本も踏まえてのやり取りでした。

 

特にテレビが問題ですが、最近はあまりにも政府誘導型の言説が多くて、テレビもマスコミも敬遠する日々が続いていましたが、久し振りに、多くを学ぶことのできる報道が生れるであろうとの予感がしています。それは、私たちの世代が経験してきた過去を未来につなぎ、次の世代その先の世代の政治や社会が輝かしいものになる上で、大きな貢献をすることになるだろうと信じています。

 

最後にもう一つ。東京からのお土産として私の大好物である、とらやの羊羹まで頂きました。ことによると、このブログも読んでくれていたのかもしれません。

 

 

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