高齢者

2018年6月15日 (金)

都府楼跡と観世音寺 ――博多の同窓会の二日目(1)――


都府楼跡と観世音寺

――博多の同窓会の二日目(1)――

 

博多での同窓会の二日目は、大宰府に足を延ばしました。菅原道真の天満宮はMUSTですが、その前に、Y君が強く勧めてくれたのが、都府楼跡と観世音寺です。

 

都府楼とは、当時の太宰府の政庁のことですが、今は広い野原になっています。当時の礎石のレプリカがあるのだそうですが、そこまでは行かず、野原を前に、Y君とH君の古代史についての蘊蓄に耳を傾けました。

 

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神功皇后時代の日本と百済の関係について、それぞれ豊かな知識を披露してくれたのですが、何しろ私自身の知識が付いて行きません。参考書はと聞いたところ、H君からは古田武彦氏の古代史についての一連の著作が面白いとのことでした。何冊かを読んだ上で、さらに、報告したいと思います。あるいは、H君あるいはY君に「初歩の古代史」を短く書いて貰うのも一つの可能性かもしれません。お願いしてみたいと思います。

 

次に訪れたのは、西戒壇です。どんなところなのかについての説明版を御覧下さい。

 

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戒壇院とも呼ばれ、僧尼として守るべき戒を受ける場所で、それなしには正式の総尼とは認められなかったのだそうです。鑑真によって開山されました。その山門です。前に立っているのがH君とY君です。ここには戒壇院と書かれた門札が掛っています。

 

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そして本尊の盧舎那仏です。お寺としては、江戸時代に観世音寺を離れていて現在は禅宗に属しているそうです。

 

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その後に隣の観世音寺を拝観するのが順序だろうとは思いますが、Y君の先導で、観世音寺の梵鐘(国宝)に見入りました。京都の妙心寺の梵鐘と兄弟の関係にあり、7世紀末に造られた日本最古の梵鐘として知られています。

 

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その隣にある観世音寺の宝蔵には一見の価値あり、というY君のガイドで、宝蔵でもゆっくり時間を過しました。中での写真は禁止されていますので、宝蔵の概観と、収蔵された仏像いくつかの写真を載せたポスターをここでは紹介します。

 

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多くの人の背中越しではあっても、ルーブル美術館のモナリザや、著名な仏像を自分の目で見ることは大切だと思いますが、観世音寺のように、人波に揉まれることなく、ゆっくりと古代の仏像の前に佇む時間も貴重でした。

 

年齢のせいもあるとは思いますが、若かった頃は、ずいぶん昔の時代に属している仏様という感じで今の時代との関連が実感としては捉えられなかったのですが、今、こうして目の前にある馬頭観音や千手観音、地蔵菩薩や阿弥陀如来坐像と面と向うとき、当時の人々の息吹まで感じることができるようになりました。観世音寺は、ずっと記憶に残るはずです。

 

そしてつぎに向ったのが天満宮です。

 

[2018/6/14 イライザ]

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2018年6月14日 (木)

博多での同窓会 ――半日ゆっくり楽しみました――


博多での同窓会

――半日ゆっくり楽しみました――

 

高校時代一緒にアメリカに留学した仲間4人で、同窓会、ミニ・リユニオンを開きました。一番忙しいY君の住んでいる福岡に、横浜、名古屋、広島から駆け付けたのですが、とても楽しかった一日目の報告です。長い入院生活に耐えて退院したむH君の全快祝いが目的の一つでしたが、元気になったH君の姿に一同大安心しました。いつもの幹事役Wさん、そして今回は地元の幹事・案内役のY君にも大感謝です。

 

ホテルに集合してまずは、お茶を飲んで長旅の3人の疲れを癒し、最初に訪れたのは櫛田神社です。

 

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お目当ては、祇園祭に市内を練り歩く山笠を見ることだったのですが、一年の内、改装のために15日間だけ見られない日の一日に当って、骨組みだけしか見られませんでした。でも貴重な画像ですので、御覧頂ければ幸いです。

 

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その後、中洲を歩いて福博出会い橋の近くの、旧福岡県の公会堂・貴賓館で満潮になるまで待って、リバークルーズ船に乗り、那珂川から福岡と博多湾を堪能しました。

 

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博多湾には、中国の巨大客船が停泊していました。数日前に広島に寄港していた船かもしれません。

 

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夜は、美味しい水炊きで満腹になり、その後、カラオケで昔懐かしい寮歌や校歌の復習をして、明日は大宰府の予定です。

 

[2018/6/12 イライザ]

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2018年6月 4日 (月)

ラブリーシンガーズフレンド ――サマーフェスティバル’18に参加しました――


ラブリーシンガーズフレンド

――サマーフェスティバル’18に参加しました――

 

「ラブリーシンガーズフレンド」とは、歌と踊りの研鑽を続ける方々と、指導者の皆さん、プロの歌手や舞踏家の皆さんが集われている会ですが、中心になってこの会を主宰されているのは青野治子先生です。

 

この会の「サマーフェスティバル’18」が、ここ数年恒例の会場であるアステールプラザ中ホールで開かれました。今年で31回目になる伝統ある催しです。

 

青野先生とサマーフェスティバルの実行委員長である松本喜展さんからのお声掛りで、毎年、ゲスト参加させて頂いています。

 

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来賓として挨拶をさせて頂きましたが、やはり昨今の嘘に嘘を重ねる安倍政権が頭を離れず、言わずもがなかとは思いましたが、次のような趣旨の言葉でこの会の大切さを強調しました。

 

嘘が横行し、社会全体が歪んでしまっているような時代ですが、それに対して歌を愛する私たちのできることは、歌詞と曲とを大切にしつつ歌の美しさを通して、言葉によって真実を語る風潮を強く出来るのではないでしょうか。その真実を基本にして人間の未来を考えるときに、より良き社会像が浮かび上がってくることを信じています。

 

司会を務めて下さった、三原みず江さん西孝恵さんにも、様々な会でお手伝い頂いてきましたが、今回は三原さんのインタビューも交えて、『蘇州夜曲』とウェスト・サイド・ストーリーから『Tonight』を歌わせて頂きました。

 

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青野先生は、私より少しお年を召していらっしゃるのだと思いますが、先生の名唱には完全に脱帽です。力強く、特に表現力では素晴らしいお手本を聴かせて頂きましたし、バックのダンスもとてもお洒落でした。

 

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実行委員長・松本さんの歌も、年を重ねてますます円熟味を加えて来たように思います。「熱唱」という言葉が相応しいかもしれません。100人ほどの出演者の皆さんの歌や踊りにも魅了されましたが、その他にも、衣装の大切さ、中でも靴の意味などについてもとても勉強になる機会でした。皆さんお元気でこれからもこの会を続けることで、広島の音楽文化、そして平和を支えて行って下さい。

 

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[2018/6/3 イライザ]

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コメント

〈 またもアンコ椿 〉
♪蘇州夜曲♪ → ♡♡♡
次回→♪この素晴らしき世界 What A Wonderful World♪はいかが。
落合恵子さんが『一冊の本』6月号で、
...この季節になると、繰り返し聴きたくなる歌...
...この歌に*彼は反戦のメッセージをこめたという記事をどこかで読んだことが...
と『グッドモーニング・ベトナム』1987でこの曲が使われたことにも触れておられる。

映画はたいして面白くもなかったが、
青々とした水田が映り、そこにこの曲が流れる。
このシーンには涙が出た。
: コメを作ってつつましく生活しているアジアの小国に、
遥か遠くの大国が大量の兵器を持って殺しに来る :
を、何分かの曲で訴える。

日曜夜BS-TBS 9時「週刊報道LIFE」👏 10時「外国人記者は見た」もなかなか。
openingにこの曲がちょっと流れ、番組の終わりに曲のendingも流れる。
*Louis Armstrongでない誰ぞがアップテンポで歌っている。
最後の oh,yeah~(←ですよね)まできちんと。これが素晴らし。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

What a Wonderful World!は良いですね。練習しておきたいと思います。

同名の曲で、Sam Cookeが1960年に歌っとヒットした軽快な曲もあります。高校生の歌ですが、「三角関数は分らないけれど、あなたを愛していることは良く分っている」というように趣旨の歌詞が高校生にアピールしたのだと思います。

2018年5月27日 (日)

ドイツリートの夕べ ――岡野泰子先生の下に集う皆さんによる好演でした――


ドイツリートの夕べ

――岡野泰子先生の下に集う皆さんによる好演でした――

 

526日の午後、廿日市市のさくらぴあ小ホールで、第26回、広島ドイツリート協会の皆さんによる、ドイツリートの夕べが開催されました。声楽家の岡野泰子先生の門下生を中心にした、ドイツリートをこよなく愛する皆さんの集団です。

 

独唱をされたのは11人。最後には岡野先生の「夜曲」 (シューベルト) が圧巻でしたが、その他の10人の皆さんの歌唱からも、ドイツリートの素晴らしさと、天地の間に存在する人間の思いが切々と伝わってきました。

 

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クラリネットの翁優子さん、ビアノの小嶋素子先生と小川百合子さん

 

ピアノ独奏は三島良子さんによるモーツァルトのアダージョ (K.540) が、全体の真ん中に位置付けられていたことで、全体を俯瞰するポイントになりました。ピアノで強調しておきたいのは、伴奏をされた方々のレベルの高さです。萩原麻未さんを育てた小嶋素子先生をはじめ、これだけのピアニストに伴奏をして歌える機会に恵まれた歌手の皆さんは幸せだなぁと思いました。

 

合唱は、四つのグループに分かれて、最初にヒロシマドイツリート協会合唱団初級部、中頃にコール・ウィスタリアと広島ドイツリート協会合唱団混声部、そして最後に、広島ドイツリート協会合唱団女性部という構成でした。

 

女性部は2005年の「85 慰霊の夕べコンサート」のマタイ受難曲の全曲演奏に当って、市民合唱団の中核としてこのコンサートの成功に大きく貢献したことでも知られています。もちろん、その時の合唱の指導は岡野先生でした。

 

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岡野先生指揮するコール・ウィスタリア

 

今回のコンサートの出演者の皆さんのバックグラウンドも興味深いのですが、もちろん皆さん音楽、そして歌うことの好きなかたばかりなのですが、大学で声楽を専攻した方々の他にも、「第九ひろしま」への参加が切っ掛けになった方、ドイツ語と歌が好きで、自然にドイツリートへの道が開けてきた方、経済を勉強しながら音楽との二足の草鞋を選ばれた唯一の男性である寺島巨史さんなど、志の高さ、そして進境の著しさに敬意を抱かざるを得ません。

 

そんな皆さんをより高い音楽性へと導いているのが今年76歳になられた岡野先生ですが、私も僭越ながら御指導頂いた経験から、門下生の皆さんが研鑽を積む上での目標であり、そして「師」という言葉の相応しい存在であることを改めて実感しました。

 

次回にも、さらなる境地に達していらっしゃるであろう皆さんの、今まで以上の精進に期待しています。

 

[2018/5/26 イライザ]

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2018年5月19日 (土)

カラオケで誕生日会 ――バースデーケーキのサービスもありました――


カラオケで誕生日会

――バースデーケーキのサービスもありました――

 

少し前になってしまいましたが、東京に住んでいる友人が広島に滞在している間、久し振りにカラオケにでもということになりました。場所はいつも利用しているシダックスの本通りクラブ。60歳以上の割引があり、ルーム料金30%引きというクーポンも使いました。そして、友人Aの誕生月だと伝えると、お店のスタッフの方が、事前予約してあればバースデーケーキのサービスがあったのにと、一緒に残念がってくれました。

 

でも少し経ってから、「二時間待って貰えれば、バースデーケーキのサービスが可能ですけど」とわざわざ知らせてくれました。ケーキ屋さんと打ち合わせをしてくれたようです。元々3時間の予定でしたので、こんなに嬉しい気遣いは大歓迎かつ大感激。シャンメリーと記念写真のサービスもありました。

 

時間は前後しますが、2時間も待たずに届いたバースデーケーキです。Aさんは今年76歳になったのですが、数え年で祝うのが習いだとすると「喜寿」になりますので、とてもお目出度い一時になりました。

 

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高齢者が3人並んだ写真、しかも印画紙から写メしたので、あまり美しくはありませんが、それでもサービスして貰った、私たちの幸福感も共有したくてアップさせて頂きます。

 

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いつも採点するのが恒例なのですが、今回はスキップ。それでもレパートリーは増えていて、一人カラオケで練習しているのか、カラオケ教室で先生に付いているのか、歌唱力も見違えるようでした。

 

誕生日ボーイのAさんのレパートリーには、内藤やす子の『六本木レイン』が加わっていましたし、情緒たっぷりに歌ってくれている姿から、やはり、カラオケ教室の先生の影響だとしか考えられない、とBさんと私とは確信しています。

 

そのBさんは、車を運転しているときには必ずチャゲアスのCDを掛けていると宣うだけあって、連続してチャゲアスの曲を披露してくれました。とは言え、その時代に私は日本に住んでいなかったせいで、ほとんど初めて聞く曲ばかり、それでもBさんの上手さにはいつものように痺れました。

 

そして私は、最近機会があると披露させて頂く渡辺はま子の『蘇州夜曲』と、ウエスト・サイド・ストーリーから『Tonight』の練習をさせて頂きました。

 

数えで考えると、Aさんも私も後2年で今度は傘寿です。2年後も私たちは元気な積りですが、それまで、シダックスも元気で営業を続けていて欲しい、そのためにはシダックスに何度も足を運んで応援しなくてはならないと、固い決意までした誕生日会でした。

 

[2018/5/18 イライザ]

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コメント

素敵なお友達ですね。

「トモ」様

コメント有り難う御座いました。

良い友達に恵まれることが人生で本当に大切なことだと、年を重ねるごとに痛感しています。

2018年5月12日 (土)

追悼・福富節男先生 ――輝ける時間も御一緒させて頂きました――


追悼・福富節男先生

――輝ける時間も御一緒させて頂きました――

 

数学者・市民運動家の福富節男先生が昨年12月に98歳で亡くなられました。今から50年も前になりますが、ベトナム戦争に反対する市民運動として当時の世論を引っ張っていた「ベトナムに平和を! 市民連合」 (略してべ平連) のリーダーの一人として大活躍された方です。

 

実はそれと並行して「ベトナム問題に関する数学者懇談会」 (略称はベト数懇) を立ち上げて、数学者の良心をまとめ代弁し行動に移す役割も果して下さっていました。

 

福富先生とのお別れの会が、4月に東京で開かれたのですが、市民運動でかつて御一緒した方々や数学を教えて頂いた先生方にお会いできると思い、駆け付けました。その会で、御挨拶をさせて頂きましたが、その内容をここで紹介させて頂きたいと思います。

 


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ダグラス・ラミスさんの挨拶

 

福富先生との出会いは私の学生時代でした。先生と私はともに専門分野が位相幾何学でしたので、「トポロジー・セミナー」と呼ばれた定期的な勉強会で日常的にお会いしていました。

 

どの世界でも同じなのかもしれませんが、数学のセミナーでは、偉い先生方が一番前の席に座り、学生たちはその後ろの方に陣取るのが普通です。印象に残っているのは、福富先生が、後ろの方で、かなり年の離れた私たち学生たちと一緒に講義をお聴きになっていたことです。

 

学問の世界にも、「白い巨塔」に代表されるような力関はありますが、そんな中で一番フラットかつ民主的な組織は数学者のそれだと思います。でもそれほど純粋な数学界にもそれなりの力関係はあるのですが、それに対しての福富先生の姿勢を示されていたのかもしれません。

 

今から考えると、その頃はべ平連の活動等、市民運動面でも随分お忙しい時期だったのではないかと思いますが、同時に数学へのコミットメントも疎かにしていなかった先生には頭の下がる思いです。

 

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かつてのベト数懇のリーダーだった先輩数学者、数学も教えて頂きました。

左から齊藤先生、上野先生、笠原先生

 

1960年代の後半、ベトナム戦争に反対する世界の若者の声が一つになって、世界的に大きな変革が起きるのではないかとの期待を、私たちの世代も共有していました。そんな中で、開かれたべ平連主催の日米市民会議での福富先生の発言が今でも耳に残っています。

 

場所はサンケイホールだったと思いますが、その会議の中で、福富先生はベト数懇の報告をされました。それは世界の数学者を代表しての報告でもありました。アメリカの数学者スメールからのメッセージもあったはずなのですが、それ以上に力の入っていたのは、日本の数学界の重鎮、彌永昌吉先生の言葉を引用しながら、日本の数学者たちが真理を追究する学徒として、また人間としての責任を果していることをベト数懇の活動など具体的な事例を挙げながら、報告して下さったことです。

 

福富先生の声には、数学者たちの熱い心がしっかりと乗り移っていましたし、福富先生がその数学者たちの一員であることを如何に誇りに思っているのかが会場に伝わったのではないかと思います。

 

実は、大学生の頃から原水禁の世界大会で通訳としてお手伝いをしてきた縁で、私はその会議の同時通訳として参加していたのですが、福富先生の報告を訳しながら、私まで誇らしい気持で一杯になったことを覚えています。

 

ベトナム戦争に反対して、アメリカ軍から脱走した4人の兵士を日本から無事出国させるまでの援助をした「JATEC」という組織もべ平連と連携して活動していました。正式名称は、「Japan Technical Committee to Aid Anti War GIs (反戦脱走米兵援助日本技術委員会) ですが、その会の打ち合わせのとき、通訳としてお手伝いに行ったこともありました。福富先生からの依頼だったと思います。

 

その席では、内容も分らぬまま、とにかく「訳せ」と言われて、文脈も主語も分らないままに通訳などできないと言ったところ、福富先生から厳しく、「訳せば好いんだ」と言い渡された思い出があります。

 

福富先生と御一緒したデモや集会はその後も多くありましたが、私は大学院のときからアメリカに行きっ放しになってしまいましたので、その後、日本に戻って国会そして広島市長という政治の現場からのお付き合いになりました。

 

ベト数懇・べ平連以来の筋の通った福富先生の後塵を拝して、数学者としてまた人間として自分なりではあっても良心に従う言動を貫けたのは、福富先生という立派なお手本があったからなのではないかと信じています。

 

[2018/5/4 イライザ]

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コメント

福富節男氏。
オダ・マコトがらみのシンポジウムや小さな集会でお見かけしました。
ダグラス ・ラミスさんもなつかしい。
1987『ラディカルな日本国憲法』
帯にも記されていたのだったか、宣伝コピーの(たしか)、
〈 押しつけが たりない日本国憲法 〉 にびっくり。
それまで→〈 押しつけ 〉=改憲派の専売特許→それが対極から!?!
すぐさま購入。
国民が権力者に押しつけるもの! Σ( ̄□ ̄|||)
習ってない、教えてもらってない、考えもしなかったと、
いいトシして、うなだれてしまいました。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

ラミスさんの憲法論は、とても面白く、ためになりました。『ラディカル・デモクラシー』も勉強になりました。

2018年3月19日 (月)

原水爆禁止運動   ――言語化から裁判へ――


原水爆禁止運動  

――言語化から裁判へ――

 

闇に葬られようとしていた森友問題の真相が明らかにされつつあるのと時を同じくして、311日には「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」が開かれました。その集会での人見やよいさんとおしどり マコ・ケンさんたちのトークに触発され、森友問題が象徴する絶望的な日本政治を蘇生するためのキーワードは「言語化」と「当事者意識」の二つなのではないかという問題提起を何回か連続で行ってきました。

 

少し視野を広げて考えて見ると、現在人類が生存し続けているのは、安倍政治危機以上の「絶望的」な幾多の苦境を乗り越えて来たからに他ならないのですが、その経験からも「言語化」と「当事者意識」の大切さは読み取れるはずです。広島の歴史を振り返ることで、この点を検証したいと思います。

 

運命の194586日、「生き地獄」を体験し「この世の終り」だと思った被爆者たちは、直観的に自ら今全身で感じている事実が、人類生存と直接関わっていることを理解していました。しかし、人類史上未曽有の出来事を前に、それをどう捉えたら良いのかを短時間に「言語化」することは不可能でした。

 

それに輪を掛けたのがGHQ (連合国駐留軍) による「プレス・コード」と呼ばれた検閲制度でした。被爆者の間でさえ原爆についての情報のやり取りが行えないような厳しさでした。そんな環境下、それでも被爆の真実を言葉にした勇気ある作家や詩人がいました。正田篠枝、大田洋子、原民喜、峠三吉、栗原貞子等の人々です。

 

しかしながら、広島県被団協が2009年に出版した記念誌のタイトルが『空白の10年--被爆者の苦闘』であることは、多くの被爆者に取って、講和条約が結ばれ、プレス・コードがなくなった1952年を契機にしてようやく社会全体とのつながりができたことを示しています。コミュニケーションの手段としては言葉が中心ですので、これは被爆体験についての集団的な「言語化」が形を見せ始めたのが「空白の10年」後であることを示していると考えられます。

 

それを象徴する出来事として、後に平和記念資料館の館長を務められた高橋昭博さんが、1955年に開かれた第一回原水爆禁止世界大会で御自分の体験を話したことを挙げておきましょう。高橋さんの感動的な陳述を大会出席者一同が理解し共有してくれたのですが、それは高橋さんの胸を打ち、後に高橋さんは「生きていて良かった」という言葉で何度も当時の思いを語っています。

 

また、福屋前の電車の中で兄とともに被爆した石田明先生は、その後、法政大学を卒業して教師としての活動を始めます。全国被爆教師の会を立ち上げその会長を務めることをはじめ、平和教育や平和運動に大きな足跡を残しました。詩人としての活動は、被爆体験を元に綴った作品、『曖光20年』で1966年に第一回日教組文学書を受けていることに凝縮されています。


 

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後には県会議員としても多くの人に慕われ頼りにされた存在でしたが、政治活動のしっかりした軸は核兵器の廃絶・平和運動でした。被爆者援護法の制定にも力を入れたことは勿論なのですが、御自分の目が白内障になり、それが多くの被爆者共通の悩みであることを強く感じた結果、「石田原爆訴訟」と呼ばれる裁判を起し、その裁判で勝訴、被爆者援護のための道を大きく広げました。

 

政治を動かすためには、被爆者援護法という法律制定が標準的な道筋です。同時に、言語化、法制化、そしてそれを厳密に適用するための裁判という手段も、その究極の形として今後も生かされなくてはなりません。

 

福島で人見さんたちも同じような道筋を辿りつつ頑張っています。こうした努力と、被爆者たちがこれまで闘ってきた軌跡も重ね合わせ、重層的な人類の歩みを感じつつ、志を次の世代につなげて行って欲しいと願っています。

  

[2018/3/18イライザ]

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2018年3月18日 (日)

当事者意識が日本政治蘇生のカギ   ――おしどり ケン・マコさんが良いお手本です――


当事者意識が日本政治蘇生のカギ  

――おしどり ケン・マコさんが良いお手本です――

 

日本政治蘇生のキーワードとして「言語化」「当事者意識」の二つを選びましたが、それは311日に開催された「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」で、人見やよいさんとおしどり マコ・ケンさんたちのトークに触発されたからです。


 

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前回は人見さんの言葉を通して「言語化」の意味を探りましたが、今回はおしどりさんのパフォーマンスを通して「当事者意識」について考えて見たいと思います。

 

おしどり マコ・ケンさんは、夫婦コンビの吉本「芸人」として関西で活動していましたが、7年前の東日本大震災前から活動の舞台を東京に移しました。震災後に、子どもたちを対象にしたイベントに参加していたのですが、そのイベントに呼ばれていた芸能人たち、さらには公共広告機構での「東日本 頑張れ」のコマーシャルに出演している人たちも、どんどん関東から離れていくことに気付き、大きな違和感を持ちました。子どもたちには真実を伝えたいと考えて、お土産として渡すものの中に自分で書いたメッセージを入れることにしたそうです。子どもたちに間違ったことを伝えてはいけないと強く感じて、さらなる勉強に弾みが付き、そのプロセスで、東電の催す記者会見が大切な情報源であることに開眼します。テレビが東電の記者会見の中継を止めた後もインターネットでの中継を見続け、そして勉強のためにその内容を全部書き起こす作業を続けましたが、その内に、会見で質問のできる人が限られているパターンのあることに気付きます。

 

多く質問している人たちとは違って、フリーランスや週刊誌の記者たちの質問は、自分たちが知りたいと思っていることを鋭く付いていること、でも、良く質問に当る人たちは「そんな質問はいらない!」というような声で、質問者の発言を遮るようなことにも義憤を感じました。

 

そんな声が上がった時には「私たちは聞きたい!」とヤジるために、とは言っても実際にヤジることはなかったそうですが、東電の記者会見に出席し始めました。最初の内は100人以上いた記者たちもだんだん少なくなり、最近では23人ということもあったし、テレビのカメラが一台も入らない会見もあったということなのですが、おしどりさんは、ずっと記者会見に通い続けました。また福島にも足を運び、さらには、記者会見で得た知識、自分たちで勉強した結果を元に、分らないことは専門家に聞いたり現地に出掛けて取材・調査・研究を続けたとのことでした。

 

その結果をお二人は、地道に各種のメディアで報告し続けてきましたが、それが世界的にも伝わり外国からの講演等の招待もあるとのことでした。こうした活動の一環を今回の集会で披露してくれました。

 

2014年の86日に公表された「福島原子力事故における未確認・未解明事項の調査・検討結果~第2回進捗報告~」に添付された、「事故時に観測された中性子と燃料溶融との関連について」という資料から、メルトダウンを起こした2号機について、「中性子が出てきたタイミング」と「2号機メルトダウンのタイミング」が同じである事実を正確に読み取り、その意味を先日の集会でも分り易く説明してくれたのです。

 

これほどこだわる「理由」こそ、「当事者意識」だと思います。私たちは、森羅万象全てのことに同じような関心を持ち続けることは不可能です。今住んでいるところから離れた場所での出来事には、関心が薄れるのは、いわば自然なことです。歴史的にも少し時間が経てば忘れるのは避け難いことですし、未来のことでも明日への関心の方が一年先のことよりは強くて当然です。

 

同時に、世界の全てのことは有機的につながっています。そして、グローバル化された現在では、世界の「片隅」の出来事を、実は私たちのすぐ隣のこととして受け止めなくてはならないケースも増えてきています。さらに、私たちにとって一番身近な事柄に、究極的には影響を与える政治や経済の動きも大切です。それも私たち自身が関わることで方向を決められる場合が、実は多いのです。

 

ですから、社会全体の動きを見詰めて、未来も含めての私たちにとって本質的な影響のある事どもについて、「それは私自身の問題だ」と認識し行動する必要もあるのです。つまり、「当事者」として関わらなくてはならないケースも多いのです。おしどり マコ・ケンさんは、そのお手本を示してくれています。

 

もう一つ、マコ・ケンさんが示してくれたのが、「継続して」「長い時間」関心を持ち続けることの大切さです。東電の記者会見でも担当者が何人も変る中、マコ・ケンさんはずっと同じ場所で、継続して「取材」を続けてきました。東電の「嘘」も簡単に見破れますし、これほど「博識」の取材者を前に東電の担当者も襟を正さなくてはならなくなっています。それ以上に、東電の会見担当者がおしどりマコ・ケンさんから正しいことを学ばないと、仕事ができないレベルにまでなってしまっています。このこと自体、東電はお二人に感謝状くらい出してお礼を言うべきだと思います。そして、これだけの時間を掛けた行動自体が、東電への大きな圧力になっています。さらに、私たち、一つの問題に長い間関わって来た高齢者に取っての大きな励ましにもなっています。

 

「言語化」と「当事者意識」の意味が少しは届いたことを祈っていますが、振り返って考えると、広島でもそして長崎でも、さらに世界の至るところで、人見さんやおしどりさんたちの多くの先輩が同じように血の滲む努力をしてきたことにも思いが広がります。それも参考にすることで、私たち自身の内なるエネルギーを爆発させる準備ができればと思います。

  

[2018/3/17イライザ]

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2018年3月 9日 (金)

断捨離? 終活?  ――「ほかす」という言葉もありました――


断捨離? 終活? 

――「ほかす」という言葉もありました――

 

物がない時代に育ったからだと自分では言い訳に使っているのですが、とにかく物を捨てることに罪悪感まで持ってしまう世代です。これも世代のせいではなく、ただ単に私がそうなのかもしれませんが、数千冊 (数万冊かもしれません) ある本の中には不要なものも多いはずです。いやかなりの数は不要なのです。でも、なかなか捨てるだけの決心が付かなかったのです。

 

理由は沢山あります。その証拠に、いざ捨てるとなると、「いやこれは、あの件について、この雑誌に書くときに使えそうだから取っておこう」といった理由が必ず浮んで来るのです。そしてそれが何回か続くと、「これは、取っておくことに決めたあの本に関係しているから読んだら面白いかもしれない」になり、「買った時には良い本だと思ったのだから暇ができたら、少なくとも何ページかは読んでみないと」といった具合に、捨ててはいけない理由はどんどん増えるのです。結局、「これ以上、選別を続けても捨てる本はあまり出て来そうもないから次の機会にしよう」ということになって、整理は頓挫する――こんなことを繰り返してきました。

 

こんな風に物事を先送りすることを表すのに、私にとって一番ピッタリ来る言葉は英語の「procrastination」です。片仮名に移すと「プロクラスティネーション」ですが、「プロウ、 クラスティ、ネーション」といった感じで繰り返してみて下さい。先送りする気持良さが音として感じられませんか?

 

「断捨離」とか「終活」という言葉が流行り、多くなり過ぎた所有物を整理しようという「国民的」なプレッシャーが生れたのも、逆効果でした。天邪鬼だからという理由もあるのですが、それ以前に言葉への違和感が大き過ぎました。特に「断捨離」という漢字も表現も頂けません。とても自分の価値観として採用したくない種類の表現です。それに、「終活」よりは「就活」をしたいと考えている日々なのに、「就活」より「終活」を優先する気にもなれませんでした。

 

それが、3月に入るや否や気持が切り替わりました。「整理整頓」に気持が動いたのです。先ずは書斎の一角を占めていた新聞・雑誌類、ニュースレター類に手を着けることからスイスイ仕事が運びました。その成果は、6個の「ゴミ袋」です。

 

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紙類ですので米袋一杯にしてしまうと重くてとても持てません。半分くらいしか入れませんでしたが、それでも結構重くて、ゴミ処理場に運ぶのは一苦労でした。

 

でもなぜ、捨てる気持になったのか種明かしをしなくてはフェアではありません。一つには、一年以上前に御紹介した「多作多捨」がようやく身に着いてきたからなのだと思います。それには、「⑦パパ」さんDr.でぶ+ブログ」さんの俳句道場等での活躍に刺激されたことも大きいと思っています。

 

もう一つ理由があるのですが、それは、「断捨離」や「終活」を使わなくても、「ほかす」という京都弁を頭に描いてゴミ袋に投げ込めば良いということに気付いたからです。「もったいない」という気持が胸の底の方にあるのを無理に捻じ伏せて捨てるのではなく、お公家さんが優雅に蹴鞠で遊んでいるかのような雰囲気で要らなくなったものを「ほかす」図は、絵になるような気がしたのですが―――。「自己陶酔」の誹りを免れないかもしれませんが、それでも、一生読むことのないであろう紙類を処分する方が大切だという気もしています。

 

[2018/3/2イライザ]

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コメント

あ~ビックリした。「断捨離」で自分の名前が出て来るなんてw
我が家も「ほかす物」ばかりです。いつかしなくてはいけないと
は思っているのですが(汗)

ご紹介下さりありがとうございます!
活躍だなんて・・・そんな。
オイラは乱高下の激しい株式市場みたいなもんですから(笑)

「⑦パパ」様、「Dr.でぶ」様

コメント有り難う御座いました。

ブロガー仲間の皆さんの俳句を楽しく読ませて頂いています。それに、お二人とも俳句の才能をお持ちなんだと感心しています。これからも、楽しみにしています。

2018年3月 8日 (木)

人は何故、退職後に真実に気付くのか?  ――権力を手にしていた時のネガティブな貢献は帳消しになるのか?――


人は何故、退職後に真実に気付くのか? 

――権力を手にしていた時のネガティブな貢献は帳消しになるのか?――

 

小泉純一郎元首相が原発に反対する意思を公にしたために、反原発運動にはかなりの勢いが付いているように思います。 (「反」原発とか「脱」原発等、色々な表現があって微妙なニュアンスの違いを表現しなくてはならないような風潮も見受けられますが、それって、反原発運動の力を削ぐための戦略に乗せられてしまっているような気がします。「大きく」まとめて「反」原発と言っておきます。)

 

               

Junichiro_koizumi_cropped_during_ar

             

By White House photo by Paul Morse [Public domain], via Wikimedia Commons

 

小泉元首相が、反原発の立場を取らずに今でも原発推進の旗振り役として頑張っているという可能性もあった訳ですから、それと比べると、もちろん、反原発の立場を表明したことは評価に値しますし、彼も巻き込んでの大きな運動を創って行くことも大切です。

 

同じように世界的に注目されたケースでは、20071月に、アメリカの元国務長官だったヘンリー・キッシンジャーとジョージ・シュルツ、元国防長官のウィリアム・ペリー、そして上院の外交委員長を長く務めたサム・ナンの4氏が『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に「核兵器なき世界」と題する論文を寄稿して、核兵器の廃絶を提唱しています。この4人を「賢人」とまで持ち上げる報道もされましたが、政府の高官であった時代には、核抑止論の強力な信奉者・推進者であり、アメリカが核超大国であり続けるための中心的役割を果して来た人たちでしたから、世界に与えたショックは大変大きいものがありました。

 

 

4

 

ここでも小泉元総理と同様に、引退後も核兵器・核抑止論の強力な信奉者として、リーダー的役割を果したとしてもおかしくはない人たちでしたので、それと正反対の立場に立ってくれたことは世界的に大歓迎されました。

 

同時に、いくつかの本質的な疑問も頭に浮びました。それを「批判」という形で述べることもできるのですが、それ以上に核廃絶 (核兵器だけでなく原発も含む「核」です) を実現したいと願っている私たちの心の中には、政治の枢要の立場にいる人たちが退職後ではなく、実際に権力を行使できる間に頭の切り替えをしてくれていたとすれば、私たちの目標はもっと確実にそして早く実現できたかもしれないのに、という願望そしてそれとは違ったシナリオで事が起きていることへのフラストレーションや悔しさと言ったら良い感情があることも事実です。

 

それを疑問という形で表現しておきましょう。「何故、退職後にしか真実に気付かないのでしょうか?」あるいは「何故、退職後にしか、真実を表明できないのでしょうか?」、そして核廃絶へのプロセスを加速するためには、仮に退職後の覚醒が多くの人にとって抵抗が少ないからだと仮定して、「どうすればもっと多くの人が、退職後に真実に気付くようになるのでしょうか?」さらには、「現役の時代に覚醒して貰うためには、何が必要なのでしょうか?」も知りたいですし、「退職後に反核の立場を取ることで、現役時代の核推進への貢献は帳消しになっているのでしょうか?」も関連してきます。

 

そして、対照的なケースとして、スポーツ選手としての最盛期の数年を棒に振ってもベトナム戦争反対・人種差別反対の立場を明確にしたモハメッド・アリや、オリンピックから排除される結果になってもメキシコ・オリンピックで人権擁護のために「スタンド」に立ったトミー・スミス、ジョン・カーロス、そしてピーター・ノーマンが頭に浮びます。

 

人生のどの時点で真実に目覚めることになるのかは別として、真実に目覚め行動することの意味を再度強調したいと思いますが、若い世代に希望を与える人生という側面も、同時に、良いお手本として残していって欲しいと思うのは欲張り過ぎでしょうか。

 

[2018/3/1イライザ]

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コメント

(正式dinner級の問いかけにいつものfast food的コメント+seniorのtime lag許されよ)

「 「3:2:5」の構図 」 と「 ネオ小泉のトリセツ 」
昨秋、アソウ某が(たしか)、日本人は右3割・左2割・中道5割云々と。
それを受けて??(まさか)
小熊英二氏が『世界』1月号 で 「 「3:2:5」の構図 」 として考察。

「2」→先細りを防ぐには、とにかくも「5」を取り込まねば。
のためには→何を今さらのネオ小泉でも利用せねば。
あの人が!と思わせる何かがまだ残っている間に、
とことん旗振ってもらおう。今までの罪滅ぼしに。
(中道→同調行動・沈黙・無関心
左→弱者の側に立つ人、と考えたい)

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

かつては、政治的な意見の分布は、右と左がそれぞれ、25パーセント、中間が50パーセントと言われた時がありました。その内の5パーセントが変ったのかもしれませんが、何故そんなシフトが起きたのかを考える必要があるのかもしれません。

20世紀の後半は、テレビの高視聴率のトップにニュース番組が並んでいた時代だったこと、でも今ではその影さえないこととも関係があるのかもしれません。

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