国連

2017年2月 2日 (木)

詭弁の技法・その2 ――戦争責任をどう誤魔化すか――


詭弁の技法・その2

――戦争責任をどう誤魔化すか――

 

戦後70年総理大臣談話 (以下「談話」と略す) が、詭弁の典型であることを検証しています。第二回目は、「戦争責任」について、「全ての真実」を述べないことでどう誤魔化しているのかの具体例です。

 

「談話」の中の次の一節を取り上げます。

 

あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 

後段の「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」は、国籍に関係なくすべての人間が持つ責任だと言って良いでしょう。このように普遍的に正しい命題を改めて持ち出す目的として、前段との関連が重要になってきますので、前段では何を言っているのかを丁寧に読み解いてみましょう。

 

ここで使われている「あの戦争には何ら関わりのない」は、時間的経過として、戦後70年経ち、今の若い世代やこれから続く世代の人たちは、時間的にあの戦争には全く関わりのない存在だ、という意味だと取るのが自然です。だとすれば、それは正しい記述です。

 

しかし、この「談話」で問題にしているのは戦争についての直接体験があるかどうかではなく、「戦争責任」です。となると、「あの戦争には何ら関わり」があるかないかを問うのではなく、ここで問題にすべきなのは「あの戦争の責任」が誰にあるのかです。そうであれば、責任の主体として「子や孫」に言及する以前に、戦争を起こした当時の日本政府や軍隊を視野に入れなくてはなりません。それは、「責任」を問う上では因果関係がなくてはならないからです。原因を作る立場になかった「子や孫」の責任を持ち出してくるのは、お門違いですし、何らかの意図があると考えなくてはなりません。さらに、仮に未来の時点での戦争責任の取り方について言及したいなら、未来の日本政府が謝り続けるのかどうかが問題になるはずです。

 

そして未来の日本政府を考える上で、現在の日本政府は「関係ない」どころか、大いに関係があるのです。二つの理由を挙げておきましょう。

 

一つは、「行政の継続性」です。新しいことをしたくない、あるいは改革に抵抗する際に官僚が好んで使う言葉です。例えば、20151013日に、沖縄県の翁長雄志知事が、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設で、公有水面埋立法に基づく辺野古の埋め立て承認に瑕疵(欠陥)があったとして承認を取り消す手続きを行ったことに対して、菅官房長官は記者会見で「行政の継続性からこのようなことは認められない」という趣旨の発言をしています。

 

しかし、「行政の継続性」は両刃の剣でもあります。つまり、1945815日に存在した日本国政府と、それから70年経った2015年の日本国政府とは、同じ主体であると考えるべきだということです。その意味では「謝罪し続ける宿命」を背負わされているのは日本国政府です。しかし、「談話」中、日本国政府の謝罪責任についての言葉はありません。責任の主体を「子や孫」に摩り替えてしまっているからです。そして「子や孫」が出てくると私たちの目は曇りがちになります。

 

もう一つの理由は、それとほぼ同じ内容なのですが、国連における日本国という国家の位置付けです。日本国は依然として、国連憲章第53条と第107条に規定されている「敵国条項」による「敵国」なのです。対照的にイタリアとドイツは最早「敵国」とは見做されていません。イタリアは、降伏後ドイツと日本に宣戦布告したからですし、ドイツは近隣諸国への真摯な謝罪と外交努力によって「敵国」とは見做されなくなりました。しかし日本は依然として「敵国」のままなのです。

 

               

Photo

             

 

この状態を解消するための一番論理的かつ分り易い、しかもドイツが試験済みの解決手段は、「戦争責任を持つ」国家としての日本が、真摯な謝罪を行い、それが近隣諸国をはじめ全世界に受け入れられることです。その結果として「敵国条項」が外されることになるというシナリオが自然の流れです。

 

近隣諸国から日本政府の真摯な謝罪が受け入れられれば、その結果、この「談話」に述べられている願望は、近隣諸国からの「もう謝罪は必要ないよ」という言葉によって実現されるのです。つまり、日本政府に対して「まだ十分な謝罪をしていない」というクレームはなくなります。国家を構成する国民という位置付けの「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたち」が「謝罪を続ける」必要もありません。それを実現するのに最低限必要な要件は「政府の責任」を認めることなのですが、それがすっぽり抜け落ちているところが重要です。

 

過去そして現在の政府の言動とは全く関係のない文脈を作り上げて、国際社会から戦争責任そのものを背負わされているのが、未来の「子どもたち」であるかのように表現すること自体、無責任極まりないのですが、国家と国民という図式で考えると、国家、あるいは政府自体が、臆面もなく無責任振りを曝け出してきた記録もきちんと残っています。それは再度、取り上げます。

 

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2016年12月28日 (水)

海外派兵は滅亡への道


海外派兵は滅亡への道

 

日本の歴史を振り返って、500年前の「国と国」が戦争をするのが当り前であった時代から、「県と県」の戦争など考えられない今という時代になったことは、日本が平和になってきたことを示す大切な事実です。

 

歴史を振り返るのは、そこから得られる「教訓」を未来のために有効活用する目的があるからですが、日本が平和になってきている歴史的事実からはどんな教訓が得られるのでしょうか。あるいはどんな教訓が元になってこのような傾向が生まれたのでしょうか。

 

この問に答えるために、現在の日本で、これまでの歴史的事実を否定して、戦国時代のように「国と国」、今なら「県と県」(都、府、道も特別の場合として含めます)が戦争できるように憲法や政治制度を変えようとしている人がいるかどうか、を考えて見て下さい。皆さんの周囲にそんな人はいないはずです。歴史を逆戻りさせようとしている、あるいは周回遅れのコースを走っていることに気付かない安倍政権でも、そんな提案はしていません。(とまで書いて、「今のところは」と断った方が良いかも知れないと考えざるを得ない理由がいくつも挙がるのは、情けない限りです)

 

日本人、そして日本という国家は、国内での平和は戦争に勝る、という教訓を得てそれを実現してきたのです。平和であることの一例は、犯罪率が国際的にも低いことです。殺人のためにしか役立たない拳銃の携帯も許されていません。刀剣の所持も厳しく規制されています。それ以上に、私たちが平穏に日常生活を送れることですし、夜でも街を安心して歩けるほど治安の良いことです。国連本部にある「ねじれた銃」を自ら作った国とも言えるのではないでしょうか。

 

             

Photo

               

 

憲法の三大原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」が挙げられますが、「平和主義」の基礎は、このような国内での平和に依拠していることが重要です。

 

その国内での平和を国際関係でも実現して行こうという方針を「平和主義」と呼んでも良いと思いますが、それは、日本社会が世界の範たるシステムを国内的には実現しているからこそ可能なのです。「歴史を振り返る」というところまで戻ってまとめると、日本の歴史から得た教訓を「戦争の拒否と平和の実現」として掲げそれを積極的に世界に広げる方針を「平和主義」と呼んで良いでしょう。安倍政権がこの歴史の教訓を理解できないことが何よりも残念です。一例を挙げれば、「武器輸出三原則」を放棄して死の商人になり下がり、その上、アメリカ提案の「政府側にも反政府側にも武器を売らない」という安保理決議案に日本は棄権し「周回遅れ」の姿を世界に晒しています。

 

その最大の理由は、日本政府、特に安倍政権になってから顕著なのですが、「海外派兵は滅亡への道」という歴史の教訓を無視し続けているからだと言えそうです。

 

これまで日本が関わった外国との戦争を振り返ると、「海外派兵は滅亡への道」が日本にとって 、そして他の国にとっても、大切な教訓であることが分ります。

 

まずは元寇を見てみましょう。白村江まで遡りませんが、ポイントは十分伝わるはずです。

 

1274(文永の役)1281(弘安の役)、元と高麗の連合軍が日本侵攻を企てて当時最大級の艦船を率いて北九州を襲いましたが、二度とも日本側の勝ちとなり、元・高麗連合軍は大きな損害を受けて逃げ帰った、というのが超短い歴史です。文永・弘安のどちらでも「神風」が吹いたため、兵力では圧倒的に有利だった元・高麗連合軍が敗北したという伝説まで作られましたが、台風が戦況を決めたのは弘安の役だけだったようです。

 

さて、元寇からどのような教訓が得られたのかを考えると、大敗を喫した元そして高麗がその後衰退することになった主たる原因の一つがこのような戦争を仕掛けたことでした。元はその後も日本侵攻を試みようとしますが、敗戦という手痛い経験と国全体が戦争の結果疲弊したことを理由に、それ以後の侵攻はなく、地理的にはその後王朝が変わっても中国、そして朝鮮半島から日本に対して戦争を仕掛けてこなかったことは、元寇からの教訓を汲んだからだとも考えられます。それ以後も日本に対する侵略はありませんでした。両国は「海外派兵は滅亡への道」という教訓を得たと言っても良いのではないでしょうか。

 

次の歴史からの事例は、豊臣秀吉による朝鮮出兵 (文禄の役・慶長の役) です。

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

  

広島ブログ
広島ブログ

コメント

日本の平和は、難民や移民を認めない事で成り立っている部分もえるのではと思います。
トランプ氏の違法移民を認めないことは、国内平和を望む事でもあると思います。
それと日本は、日本で生まれ育っても強制退去する国なのに、トランプ氏を責める前に考えることは大きいと思います。
ハワイでの安倍首相の話で、日本の爆撃で亡くなっ米兵について語ってましたが、この過去の悲しい話は明日の自衛隊員だとは思わないのでしょうか。
全ての戦争は、他国への侵略侵攻が始まりですね。駆けつけ警護もその国には侵攻ですね。
あの透明な盾で、何が守れるのか?国民を馬鹿にしてますね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。侵略戦争を侵略だと公言して戦争をすることは、最近ではあり得なくなっています。他国からの侵略に対して自国を守るという原則を口だけにしろ前に出すのが、「建前」になっています。

しかし、他国への派兵が出来なければ、この建前と本音の違いはなくなります。それを為政者に知らしめるために、海外派兵をすれば、あなたが自滅しますよ、というメッセージは効果があるのではと思っています。

2016年12月 6日 (火)

「原水禁学校」第3回講義    RMI提訴棄却の理由


「原水禁学校」第3回講義

RMI提訴棄却の理由

 

「核兵器廃絶と日本の役割」をテーマにした原水禁学校の講演アウトラインの続きです。

 

 今回は国際司法裁判所 (ICJ) がマーシャル諸島共和国 (RMI) の提訴を棄却した理由を取り上げます。この訴訟でRMIが求めていたのは、核保有国が自らの義務を果たしていないことを確認し、その義務放棄行為の差し止め救済措置(declaratory and injunctive relief)をICJが取ることです。つまり、核保有国が誠実な交渉を行うよう適切な措置をICJが取ることを求めています。

           

Icj

                   

 マーシャル諸島共和国(法律的に正確かどうかはわかりませんが、通常の用語を使って原告国と呼んでおきます)が提訴をしても自動的に裁判が始まる訳ではありません。最初に問題になるのが「管轄権」があるかどうかです。その最初の段階で、提訴された側、(普通の言葉を使って「被告国」と呼んでおきましょう) が、この裁判を受けるかどうかが問題になります。

 

被告国は受けなくても良いのですが、「強制的管轄権」を認めている国は、受けて立つ以外の選択肢はありません。「強制的管轄権」とは、「原告国」が強制的管轄権を受諾している場合 (RMIは受諾していますので、この場合に該当します) には、自らも同じくICJの強制的管轄権を受諾することを一般的な原則として認めている場合を指します。9つの核保有国のうち、イギリス、インド、パキスタンは強制的管轄権を認めていますので、この3カ国には「受けて立つ」以外の選択肢はありません。その他の国は「受諾しない」という選択肢があるのですが、これら6カ国は見事に「受諾」を拒否しました。

 

次にICJが裁判する権限を持つかどうかが議論されます。つまり、ICJがこの件について裁判をする力を持つという法的確認が必要になります。そのための「予備審査」が行われてきたのですが、今年3月にはそのヒアリングが行われました。予備審査の結論は、105日に言い渡され、RMIの提訴が「棄却」または「却下」されました。またこの決定は最終的なもので、上訴することはできないことも示されています。

 

理由は、三つとも同じで、「dispute (係争あるいは紛争) が存在するという明確な根拠がない」ので、ICJは管轄権を持たないということだそうです。つまり、係争の「存在証明」ができないという理由です。係争のあるということはどのように検証するのかも示されています。それをまとめてみましょう。予備審査は、RMI対イギリス、RMI対インド、RMI対パキスタン、という三つのケースとして扱われました。内容はほぼ同じですので、RMI対イギリスを取り上げておきます。

 

 ICJが管轄権を持たなくてはならない。

 そのためには、当事者両国の間に、「係争」のあることが確認されなくてはならない。

 確認のためには、(a) 原告国が被告国の言動に異議を唱えていることだけではなく、(b) 原告国が異議を唱えていることを、被告国が知っている必要があり、(c)  被告国はそれに異議を持っている必要もある。

 これらの判断は、原告国が提訴を行う前の事実だけを対象にして行われる。

 

この内、③が判断基準なのですがその中の(a)は、RMIが、イギリスは第6条違反をしていると、公の場で発言しているのかどうかを問題にしています。(b)は、そのことをイギリスが知っているかどうか、そして(c)は、そのRMIの発言に対してイギリスが、それは違う、といった意思表示をしているかどうかが問題にされているということです。

 

これに対して、RMIはこれまで様々な場で、NPT6条違反について述べていることを挙げて、基準を満たしていることを主張しました。スペースの関係で、個々の発言は省略します。

 

それに対するICJの最終判断は次の通りです。

 

 ノルウェーの会議での発言は、イギリスが欠席した会議で述べられているから認められない。

 その発言、またその他の発言も、核軍縮のための交渉について言及しているのではなく、より一般的な、核兵器の人間に対する影響の問題として述べられている。

 さらにこれらの陳述は一般的に全ての核保有国の言動についての批判であって、イギリスが具体的に義務を果していないということの指弾にはなっていない。

 こうした非常に一般的な内容と文脈で行われた陳述に対して、イギリスは特別の反応を示すことはなかった。

 

この段階でも、このような判断が如何に理不尽なのかはお分かり頂けると思いますが、それに対する少数意見を見てみましょう。モロッコのモハメッド・ベヌーナ判事の意見です。

 

 係争の不存在という理由だけで管轄権がないと結論付ける判断は、ICJ史上初めてである。

 判断基準の③の(c)と、④は、これまでのICJの判例に反している。

 特に、③については、この提訴を取り下げて、再度、同じ内容の提訴を行えば、今回ICJの場で表明されている当事者両国の言い分から、全ての項目は満たされるので、このような技術的な条件で棄却すべきではない。

 

常識的に考えて、ベヌーナ判事の指摘している事実①と②が正しいとすれば、法律的な見地からだけ考えても、RMIの提訴を棄却したICJの判断はおかしいのではないでしょうか。それ以上に問題なのは③です。提訴する前の時点での言動のみに限って議論することの不毛さが明らかにされています。こんなに人工的な基準を作って、人類の存否が問われるような問題についての判断をすること自体、厳しく批判されるべきものであることはお分かり頂けたのではないでしょうか。

 

そして、棄却するかどうかの判断は賛成8、反対8の同数で、最後に裁判長が「棄却」に一票を入れて決定が行われたのですから、少数意見の重みと、判例違反までして核大国を守った判事たちの責任は重いと言わざるを得ません。日本の小和田判事は、当然「棄却」の立場です。

 

しかし、日本政府が本当に被爆体験を大切にし、市民の声を重んじていれば、結果は正反対になっていました。一票の違いでRMIの提訴の実質審議が始まり、核保有国のエゴが俎上に載せられることで、核廃絶への道が開ける端緒にはなり得たのです。

 

 

 [お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

  

広島ブログ
広島ブログ

2016年12月 5日 (月)

改訂版  「原水禁学校」第3回講義     日本政府の裏切り


改訂版  「原水禁学校」第3回講義

日本政府の裏切り

 

「核兵器廃絶と日本の役割」をテーマにした原水禁学校の講演アウトラインの続きです。

              

Photo_3

               

 国連の第一委員会で採択された決議「L.41」が画期的なものであり、世界の未来を導く新たな光を照らすことになるのは、核兵器の廃絶に関心を持ってきた人なら誰でも分ることです。内容は極めて単純なことで、基本的には次のように要約できます。

 核兵器禁止条約締結に向けての多国間交渉を来年2017年から始める。

 日程は、2017327日から31日までと、615日から77日までの間の20日間。

これほど簡単なこと、しかも核不拡散条約(NPT)の第6条に「誠実な交渉義務」として、全ての締約国に義務付けられていたことが、これまでの46年間、核保有国の妨害によって実現されなかった点が問題だったのです。

 

その決議に、「被爆国」を標榜する日本政府は「反対」しました。それについては1030日に「核兵器禁止条約締結への大きな一歩!112日の「外務省の詭弁に市民はどう対抗できるのか」113日の「「亀裂を深めている」だけでなく「作り出している」日本政府・外務省」 で、取り上げましたので、再度お読み頂ければ幸いです。

 

核兵器廃絶という大切な目標を実現する上で、日本政府はこれまでも被爆者や市民を「裏切って」来ましたが、第一委員会決議に対する「反対」はそれらの全てを代表するものです。私たちがもっと厳しく批判の声を上げなくてはならないのではないでしょうか。

 

そのために、もう二例、「日本政府の裏切り」を報告しておきましょう。

 

一つ目は、元々オーストリアが提案し、20154月にはNPT再検討会議に提出した「人道の誓約」に署名していないことです。この誓約に署名したのは全世界で127カ国、さらに、この誓約を「決議」として採択した際には、それらの国に加えて23カ国が賛成しています。つまり、国連加盟国193カ国中、150カ国が賛成しているのです。その内容は、日本政府がどうしても賛成できないような難しい点を含んでいるのでしょうか。以下、内容の要約です。

 

核兵器の危険性や歴史、そして人類に与える破滅的な影響等についてまとめた後、次の三つの誓約をする文書。

 NPT6条を守り、核廃絶に至る道にある「法的ギャップ」を取り除く努力をする。

 それが実現するまで、核兵器による危険性を低減させるための中間措置を取る。

 法的にも道徳的にも核兵器が忌むべき存在して廃棄されるよう、あらゆる個人・団体・市民社会等との協力体制を作る。

 

説明を加えておくと、①は「法の支配」を強調しています。力の強い国の言いなりになるのではなく、NPTにも決められているように、多国間交渉により、例えば核兵器禁止条約を作りましょう、という内容です。②は、条約ができたとしても核兵器が廃絶されるまでには時間が掛かるので、その間にも中間的な措置として、核実験を止めたり、即応態勢にある核兵器を少しずつでもその態勢から解除し、すぐには使えない状態に転換する等のことをしましょうという現実的な内容です。そして③は、できるだけたくさんの人や組織等と協力しましょうということですから、全く問題のないことはお分かり頂けたと思います。

 

二つ目は、マーシャル諸島共和国の国際司法裁判所(ICJ)への提訴却下についてです。同国が、核保有9カ国を相手取ってNPTの第6条違反の廉でICJに提訴をしたことは何度か取り上げてきましたが、その提訴が却下されました。この点については、107日の「マーシャル諸島共和国の提訴は「却下」 でも、判事の評価は 8 : 8、そして109日の「In Good Faith (誠実に) RMI提訴の却下と「白紙領収書」」でも取り上げました。

 

残念ながら、あまり時間がなかったために、これまでICJがどんな理由で却下したのかについては詳しく報告して来ませんでしたが、122日の原水禁学校では、この点にも触れましたので、できるだけ分り易く説明しておきたいと思います。ただし、却下理由は極めて人工的・技術的ですので、読むのは大変かもしれません。稿を改めてしっかりまとめたいと思います。

 

  

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

  

広島ブログ
広島ブログ

「原水禁学校」第3回講義    日本政府の裏切り


「原水禁学校」第3回講義

日本政府の裏切り

 

間違ってアップしてしまいましたので、「日本政府の裏切り」は削除します。明日御覧頂ければ幸いです。今日はこの下の「法の支配とアメリカ」をお読み下さい。


[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

  

広島ブログ
広島ブログ

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31