生活

2017年7月20日 (木)

浄水器    一生、縁がないと思い込んでいましたが――

 

浄水器

一生、縁がないと思い込んでいましたが――

 

本格的な暑さの季節になり、冷たく美味しい水の有り難さを身に沁みて感じています。それも、二三日前から、水を飲む度に痛感するようになりました。浄水器を買ったからです。

 

実は、十数年前からもう一生、浄水器とは縁がないのだろうと思い込んでいました。それは、広島市の水道水がとても美味しいからです。広島市の水道は1898(明治31)に牛田の浄水場が竣工して以来、119年の歴史があります。その間、1945年の86日にも、職員の必死の努力で全市域の断水を避けることができました。その結果、「水道の歴史」 イコール 「不断水の歴史」という、正に市民サービスのお手本となる金字塔を打ち立てています。

 

広島の水道水は太田川から取っていますが、吉和に水源涵養林を確保するなどの努力もその一因になっているはずです。また、その美味しさについても、全国的に評価されています。毎年、フラワーフェスティバルには、「水のひろば」を開いて、冷水のサービスや利き水体験を通して、水の美味しさのアピールをしています。ここにその報告があります。

 ゆるキャラ「じゃぐっちー」によるPRもかなり広まっていますし、じゃぐっちーが手にしている、500mlの水道水を詰めたボトル「飲んでみんさい!広島の水」も、10年ほど前から売られています。

 

               

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広島市の水道水に対して水道局職員の抱く思いも強く、「広島の水道に浄水器を付ける必要はありません」という言葉は何回も聞かされました。事実、東京の水道水の不味さに辟易して広島に戻った時には、何杯も水を飲んでしまうほどでした。強く意識した訳ではありませんでしたが、浄水器とは縁がなくなったなぁ、と漠然とは感じていたように思います。

 

事情が変わったのは、広島市の外に引っ越したからです。美しい自然や田畑に囲まれ、空気は澄んで、夏でも平地よりは涼しい素晴らしいところです。Z級グルメを自認する私ですから気付かなくて当然なのですが、今年の春から夏、生活全般についての改善を少しずつ進めている中で水の話になりました。家人は、飲み物用の氷はスーパーやコンビニで買っていたのですが、その原因は水道水にありました。カルキ臭が強過ぎるということなのです。

 

水源は同じ太田川なのだと思いますが、その後の処理の仕方が違うのかもしれません。水道局のホームページには、安全面から考えて浄水器は必要ない、と書かれていますし、雑菌が繁殖する可能性についての言及もありましたが、物は試しで、浄水器を買いました。据え置き型で、フィルターは、直径10cm、高さ17cmの本体の方にあります。

 

 

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写真を撮るために本体は動かしました。ホースが長いので調理等の邪魔にはなりません。

 

 

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浄水と原水との使い分けも簡単です。

 

カルキ臭は消え、「美味しい」水が飲めるようになりました。これで、水のボトルも氷も買わなくて済みます。梅雨明け後は気象も安定して、これ以上の災害が起きないよう祈りつつ、夏の暑さを乗り切る上での力強い援軍に感謝しています。

 

 

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2017年7月16日 (日)

クマゼミが鳴き始めた

クマゼミが鳴き始めた

 

715日朝。8時頃「シャンシャンシャン」の音。クマゼミの夏の第一声だった。空は薄く曇っているが「梅雨は終わり!夏じゃっ!」と言われているよう。以下は狭いベランダの朝の様子。

 

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3階のベランダの前のイチョウの木でクマゼミは鳴いている。

 

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目の高さの位置にとまって鳴いている。

 

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これから盛夏中に毎朝このイチョウの木にとまっては鳴き続ける。今住んでいる船越は山が近いのでセミも多い。小学生の頃はクマゼミ取りに夢中になっていたが・・・。

 

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ベランダに咲いている花。ルリトラノオ。

 

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夏中しっぽが長く伸びながら先に向けて咲き続ける。

 

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乾燥に強いローズマリーも先週位から開花。

 

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1個だけついたオリーブの実。去年も1個だった。

 

 

2017715日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

 

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2017年7月 6日 (木)

家族でロンドンに行ってきました。その2

 

家族でロンドンに行ってきました。その2

 

フードマーケットの禁煙ゾーン

 

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2日目の午後からウインブルドンにある大学の卒業制作展の会場に行く。娘の作品はその入り口にあった。学生に示された卒業作品のテーマは「移民」だそうで、私の父の姉と母の兄もハワイに移民しておりその事実を織り込んで作られた作品となっている。移民はヨーロッパだけの問題ではないことに気づかされた。先生や学生の方に紹介されながら会場の作品を見て回った。

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滞在中は毎日地下鉄を使って移動していたので、車窓からの景色の中に中国が原産地のブッドレアの花が沿線にたくさん咲いていた。写真のようにこぼれ種から生えて駅ホームの間にも咲いている。ウインブルドンの住宅の庭にもアジサイとともによく植えられていてどこか見慣れた風景を連想させる。(ウインブルドンまでの地下鉄は地上に出ている)

 

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ロンドン交通局発行のオイスターカードが便利だった。滞在中の移動はこのカードを一人1枚購入していたので移動がスムースにできた。そして安い。使用エリアはロンドン中心部からゾーン制で1から6までありウインブルドンは3のゾーンになる。このゾーンの7日間のトラベルカードを38.7ポンドで購入して、写真のオイスターカードにチャージさせて使う(娘の説明)。バス、地下鉄の改札口で日本と同じようにカードを読み取り機にカードを押しあてればよかった。広島でもイコカカードがJR、広電などの電車やバスに使えるようになっているが、割引率は随分差があるようだ。

 

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大英博物館のカフェ。サンドとともにたくさんのスイーツが並ぶ。飲み物と、サンドと、スイーツでお腹がいっぱいになる。特別展示会場は「北斎」展が行われていたがパス。ビッグウエーブとして人気が高いことが分かった。

館内散策の途中、階段の踊り場に展示されているコバルトブルーの大きな花瓶が突然目に入った。「ひょっとして東広島市で作陶している木村芳郎さんの作品?」と説明書きをみると確かに木村さんだった。東広島市に勤務していたので、木村さんが西条町に窯を開いたころから存じ上げていたがここで作品にお目にかかるのも旅の楽しさか。

 

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ウインブルドンの借りている家の近くのパン屋さん。朝7時から開いている。パンの他にてんこ盛りのマフィンなど菓子パンもたくさん並べてある。

 

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ロンドン、ヴィクトリア駅近くのカフェ(モロッコ料理)で時間つぶし。交差点を行き交う人々は様々な国のひとでいっぱいで人の流れを飽きることなく眺める。

昨夜は夜遅くまでミュージカルを見てホテルに一泊した。前々日予約で「キンキー・ブーツ」が19ポンドで一番後ろの席が取れたので鑑賞。地元の高齢女性たちが2階席に陣取ってしきりと掛け声をかけ最後は総立ちの拍手だった。歌も踊りも演奏もシッカリしていて家族全員で楽しめた。

また街中のポスターで広島を舞台にしたアニメ「この世界の片隅に」があったが、娘によるとイギリスでも好評なのだそうだ。

 

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最終日。ヒースロー発上海行の飛行機は夜の9時20分発。バスで時間をかけていくことにして午前中から昼にかけてフードマーケットの「バラ・マーケット」に行く。線路のガード下やアーケードの中に色々な食材を扱い、すぐに食べられるものが色々ある。

 

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マーケットに掲げられている看板には禁煙のマークもある。屋内全面禁止もまだできていない日本に比べ、ロンドンオリンピックを経験したこの都市では、このアーケードと屋外テントの店がたくさんある半屋外のエリアでも外でしかタバコは吸えなくしているので、誰もが気持ちよく利用できるマーケットになっていた。それと犬もダメとある。

2020年の東京オリンピックまでに屋内全面禁煙や、受動喫煙防止のタバコ規制の法律は間にあうのか。このブログサイトでも62日付けの「531日は世界禁煙デー」で紹介しているように、一日も早く実現しないといけない課題だと思う。そうでないと世界にたいして恥ずかしい。

 

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8日間家族と過ごした住宅。右のドアから上がって3階の2つの窓のある部屋がそれ。ここからタクシーでロンドン市内のホテルに1泊して帰途についた。ちなみに次の借主は73日から始まるテニスのウインブルドン大会に出場する選手だそうだ。タクシーからちょっとだけセンターコートの建物が見えた。

 

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終わりに、3つ目の花。ロンドンから100㌔あまりの国立公園内のセブンシスターズの丘に咲くバラ(たぶんハマナスの一種)

 

201776日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年7月 5日 (水)

家族でロンドンに行ってきました。その1

 

          家族でロンドンに行ってきました。

          その1-障害者割引適用の体験

 

イギリスのウインブルドンの大学に行っている娘が7月に卒業なので、その前に卒業制作展を見に行く目的で620日から628日まで家族3人が広島からロンドンまでの長旅を行った。

滞在中の家族の希望は、①大学の卒展に行き、先生や学生に会うこと。②息子は大英博物館、ロンドン交通博物館、自然史博物館見学、2階建てロンドンバスに乗ること、④妻はバッキンガム宮殿の衛兵の交替式の見学とロンドンバスで市内巡り、③私は大英博物館見学とチャンスがあればミュージカル鑑賞、④娘はセブンシスターズを案内する、というものだった。

そのなかで印象的だった事柄を紹介したい。

1

ヴィクトリア&アルバート博物館のアジサイ。アーツ&クラフト運動でいられるウイリアム・モリスの手掛けた2つの部屋はカフェになっているが、その前の中庭の両サイドの壁周りはすべてアジサイで今が満開。花が斜めに盛り上がるように計算されて剪定されているようだ。イギリスの風景に日本のアジサイは溶け込んでいた。この博物館も無料。

2

ウインブルドンの住宅の庭のアジサイ。日本原産のアジサイは今日広くヨーロッパで鑑賞用として愛されていることがよくわかった。

3

ロンドンの交通博物館でのできごと。(ロンドンに行く前に息子がしっかりチェックしていたJTBパブリッシンク・イギリスより転載)。

4

館内の様子。馬車で引いていた昔からロンドンバスは2階建てでその変遷がよくわかった。

この博物館は有料で、18歳以下は無料、大人は16ポンドだった。他に優遇措置がある表示があったので入り口の受付で娘が、兄が知的障害者であることを申し出たところ、結果的に本人と付き添う父の私が1名半額で入場できることになった。

 

学生らしき受付の女性は落ち着いて対応し、分からないところがあるので担当の職員の指示を受けて、本人と付き添い者の名前を求められたのちチケットを発行してくれた。その際付このチケットに付き添いの私のサインを求められ署名したところ、次回来るときにこのチケットを提示すれば入場できることを説明された。受付のコンピューターにもその旨入力されたようだ。

 

日本ではこうした場合必ず息子の療育手帳の提示を求められるのだが、この博物館では私たちの申し出と息子の様子を確認しただけでこうした扱いを行って頂けた。担当者の表情、所作に何の動揺もなかったのにも感心した。

 

他にも電車や、地下鉄に乗った際にも息子の様子を瞬時に見て席を譲ろうとする人たちもいて乗り物も安心して利用できた。ベビーカーに子どもをのせた母親たちも、臆することなく堂々と利用し、周りがすぐに席を譲り、時には会話も弾む光景もほほえましかった。

 

日本の場合、たとえば平和公園の資料館にお見えになる外国人の方々にもこうした対応ができるかどうか考えさせられた。資料館の案内には障害者の場合、「手帳をお持ちの方」、65才以上の方の場合、「年齢を確認できる公的証明書の提示」となっているが。証明する物の提示を求められるのが常だ。また、有料対象も小学生までだが、18歳未満にならないかなど。

 

5

ウインブルドンに借りた部屋からみる住宅街は一方通行。道路の向こうがメインの道路。これらの住宅の様式はどれもほぼ一緒で、下から、半地下、1階、2階、3階、屋根裏部屋となっているものが多い。私たち家族が借りたのはこうした建物の3階のフロアで屋根裏部屋はなかった。

滞在中道路工事が始まり、終わるまで見ることができたが歩道の下30センチくらいにあるケーブル(有線か通信のどちらか)をつないで反対側の住宅まで配線をしているらしかった。日本の地下に埋めるケーブルなどはどれも規制が強く1m以上の深さが殆どなのでコストは随分低くてすむと思った。

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滞在中の食事。朝ごはん。焼いた卵の色が薄いのも面白い。キッチンもあるので毎日ウインブルドンの駅前の3軒のスーパーマーケットで買い物をして朝夕食事を作り、食べ、洗濯をし、掃除をして出かけ、外食はファーストフード店が便利でほとんどこういった店で済ませた。

 

201775日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年7月 1日 (土)

物置を設置しました ――基礎作りの大切さが良く分りました――

 

物置を設置しました

――基礎作りの大切さが良く分りました――

 

庭の草刈りや、草花の手入れのために少しずつ揃えてきた鍬やシャベル、鋏等の道具や肥料、殺虫剤や殺菌剤、培養土といった、屋外に置いておきたい物類がかなり増えてしまいました。雨曝しにはしないよう気を付けてはきましたが、この際、思い切って物置を設置することにしました。

 

近くのホームセンターで手頃な大きさのものを選びましたが、物置そのものの値段と、設置のための費用が大体同じくらいになりました。ちょっと驚きましたが、それは設置の際の仕事を見て納得できました。また、物置そのものを、コンクリートを流し込んで作る「基礎」に「アンカー」で止めないと、台風時の風で吹き飛ばされてしまった家もあったということで、安全のための出費は優先順位を高くしました。

 

設置は職人さん一人、休みなしで頑張ってくれて2時間弱で済みましたが、そのかなりの部分は基礎作りのための時間でした。ブロックを6つ並べる「だけ」と言ってしまえば簡単なのですが、ブロックを置く場所が軟弱だとすぐ傾いてしまいます。土を固めつつ、水準器でブロックを水平に並べて行く作業には時間が掛かります。

 

                 

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6個のブロックの位置が決ると、その上に底板が乗ります。

 

 

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後は、側面と背面の板を立て、天板を載せれば、あっという間に物置の形になります。

 

 

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中の棚を付けるのにも時間は掛かりません。

 

 

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開閉扉も付いて出来上がり。


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いやもう一つ、アンカーでコンクリートの基礎に固定する作業が残っています。

 

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早速、道具や肥料等を中に入れましたが、もう一杯です。高さ160センチ、幅150センチ、奥行き75センチですが、これ以上物を増やさないようにやり繰りをするのがこれからの課題です。

  

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コメント

稲田大臣は弁護士という「法律の専門家」でありながら違法な発言を繰り返し、自民党の政調会長という「政策通」でありながら政策についての発言は聞こえてこない。大臣になる前は勇ましい発言はよく聞いたが。それにしてもこういう大臣をみてると岸田外相が少しはまともに見えるから悲しい。

「国民」様

コメント有り難う御座いました。

稲田大臣の発言は、次から次へ、歪が大きくなっているようです。他の物言わぬ大臣に比べることも大切ですが、アメリカのトランプ大統領と比べるのも参考になりそうです。

2017年6月27日 (火)

福島原発被災地フィールドワーク➂ ――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

フィールドワーク最終日の626日(月)は8:30にホテルを出発し、昨日は霧のため十分には見ることのできなかった浪江町から始めて、大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町(福島第一原発近くの線量の高い地域)を視察しました。バスから降りて現地に触れ、また高線量の場所ではバスからの視察も含めて広範囲を訪れることができました。

 

案内役はいわき市議会議員の狩野光昭さんです。昼食(弁当)は、時間の関係でいわき市から郡山市への移動中のバスの中で、その後「まとめ」を行い、13時過ぎに郡山駅で解散しました。

 

浪江町では、避難指定解除後、帰還の準備をする中で必要性が強くアピールされた商店街を役場の敷地内に公設民営の形で作った「浪江町マルシェ」を視察しました。担当の係長さんの説明によると、飲食店は需要があり黒字だがその他の店は苦しい経営状況であること、日曜日にも開店していて欲しいという要望も強いことなどの現状が分りました。

 

             

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開店前のマルシェ

 

また、全部で10店がこのマルシェには開店してくれたけれど、必要な商品全てが揃っている訳ではなく、薬局は町外に出て買い物をするしかないこと、生鮮食料品を扱うスーパーがないこと、そして本格的ホームセンターのないことで、帰還のための条件が必ずしも整っていないことにも言及されました。

 

その後国道6号線を南下して福島第一原発のある双葉町に入り、できだけ原発に近い場所までバスで入る予定だったのですが、6号線から原発に至る道が閉ざされていて残念ながらその場からの写真を撮るだけに終りました。

 

次に、楢葉町の太平洋に近い場所にある天神岬公園から海を臨み、また、除染物質の減容施設と自治体毎にまとめてフレコンバッグの集積を行っている施設を上から俯瞰しました。

 

 

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今日通過した地域の中にはまだ帰還困難区域の指定のあるところもあり、信号機とともに表示されている線量も2.00を超えているなど、昨日とは桁の違う数字を現実として目の前にして、緊張感が走りました。残念ながら高線量を示しているモニターの写真は上手く撮れませんでした。

 

次に、自治労はつかいちユニオンの生永裕行さんが、最終日の案内人、狩野光昭いわき市議による原発作業員についての報告をまとめてくれました。

  

いわき市議会議員の狩野さんからは、原発で働く人々の健康被害や労働条件の酷さについての話がありました。現在、廃炉作業と除染作業にそれぞれ毎日6000人の作業員が従事しています。

 

作業員の中には、ごく一部ですが、賃金未払いや雇用契約に悩む作業員もおり、原発労働者相談センターを20152月に立ち上げ、労働問題の解決に取り組んでおられました。 作業員は全国から福島県に集まっており、福島県だけでなく、全国で労働者教育に取り組む必要があると感じました。

 

ボランティアとして調査活動を行いながら、原発労働者の相談センターを運営していることから得られた貴重なお話を伺うこともできました。

 

また、黒いフレコンバッグが山積みになっている様子を見ると、街が元の姿を取り戻すまでには、相当な時間を要すると思いますが、これからが本当の復興の正念場だと感じました。

 

 

さらに狩野議員からは、原発の建設、運営で膨大な利益を上げてきたゼネコンが、原発事故後も除染や防潮堤の建設、その他の様々な建築工事でさらなる利益を得ている構造についての指摘もありました。

 

今回の3日間にわたるフィールドワークで感じたことの一つは、チームワークの大切さです。一人で経験したのではなく、10人が福島で時間を共にすることで理解や共感が深まり、より豊かな全体像を把握することが可能になりました。

 

その全体像は現地での「体感」「体得」に基づいています。例えば、避難指定が解除されている地域で民家の9割方には誰も住んでいない様子を直接目にすることで、また物を買える店も周りにはない上、子どもたちの姿も見えないことから、帰還の難しさを肌で感じることが可能になったのです。

 

帰還できないのは、放射線量の高さが主な原因ですが、これも線量計の数値を現地で確認しながら問題の深刻さや理不尽さを共有できたと思います。

 

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そしてこれほど大規模かつ長期的、深刻な状況を創り出してしまった責任についての国や東電、原子力ムラの言動は許しがたいこと、またこうした事態がこれからも続くことが明白であるにもかかわらず、「収束化」を図ろうとする国や東電、原子力ムラに対して、私たちが声を上げ続けなくてはならないことを改めて強く感じました。

 

今回、福島で私たちのフィールドワークのために貴重な時間を割いて下さった多くの皆様に心から感謝しつつ、新たな決意を固めたことを再度、強調します。

 

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2017年6月26日 (月)

福島原発被災地フィールドワーク② ――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

フィールドワーク2日目の625()は、朝 8:30 にホテルを出発して飯館村役場へ。

 

研修IIは、飯館村の視察でした。視察させて頂いたのは、331日に居住制限区域解除された地域、そして除染物質集積作業です。案内役は前福島地方平和フォーラム事務局次長の菅野幸一さんでした。

 

飯館村では、今年の331日に、帰還困難区域である長泥地区を除いて「避難指示解除準備区域・居住制限区域」の避難指定が解除されました。今日の視察では、その一番南の端にある「減容化施設」の前――それは帰還困難地域としての指定が続いている浪江町との境界近くなのですが――まで、飯館村内の状況をつぶさに見ることができました。

 

                 

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減容施設からの帰り道は「飯館発電」という名前で、村民の皆さんが中心になって進めているソーラー発電事業の現場を体感することができました。

 

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視察後の参加メンバーの報告と感想です。最初に私鉄広電支部の木村浩隆さんの寄稿です。

 

バスで飯館村南側半分を視察しました。ここは村の中でも線量の高い地域です。村全体の避難状況は人口約6000人、1800所帯で、被災当時と大きな変化はありません。日曜日のため除染作業は行われていませんでしたが、住民不安に対応するために設置されていた線量計が目立ちました。

 

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目盛りは0.619マイクロシーベルト/時です

 

これも大切なのですが、国が昨年8月に、「ネットで確認できる」という理由で線量データの定期的公開を止めてしまったため、地域ごとの比較や総蓄積量の把握等、困難・不便になったことも多くあります。

農作物についても線量の測定は行われていますが、特筆すべきなのは、コウダケ等のきのこ類の数値です。特に高いことが問題なのですが、高齢者の中には「仮に害が出ても、もう残り少ない人生だから」と言って食べる人も多いとのことでした。

大きな問題の一つは、医療です。市の診療所は、市外から医師が「往診」という形で週二回、午前中だけ来てくれて存続されている状況です。また、役場横にある老人ホームは、震災後避難はさせませんでした。移動に伴う身体的負担が大きいので、そのリスクを避けるためでした。さらに役場の裏には全国初の市営の本屋が作られていました。

減容施設のある蕨平地区は、村内で最も線量の高いところで、今は立ち入り禁止区域になっていますが、ここで減容化された放射線汚染物の再利用についても検討されています。

除染そのものは、昨年12月で一応完了されたことになっており、現在はスポット的に線量の高い場所についてのフォローアップ除染が行われています。また、除染された土やゴミを入れるフレコンバッグは数年しか持たず、今後、除染されたものをどう処理するのかという大問題には答が出ていません。

 

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現地に来て、テレビで視たときとは違う現実を目の当たりにして、問題の大きさを改めて実感しました。広島に持ち帰り、一人でも多くの人に認識を高めて貰い、私たちでできることをもっと広範に共有し頑張りたいと思いました。

 

同じく広電支部の松本知孝さんの追加のコメントです。

 

飯館村に入った時、震災前はのどかで平和な暮しがあったのだなと感じました。そして震災から6年経った今も、「復興」は見た目には感じられませんでした。それは、村内の至る所に除染物の仮置き場があることとも深く関わっています。

阪神淡路大震災の際は、6年経過した時点である程度の復興が見て取れました。しかし福島では原発事故故の大きな負担があり、被災地の復興を妨げています。

「原発さえなければ」という思いで、脱原発そして核なき世界を実現すべく訴え行動して行きたいと思います。

 

午後は13:00から、浪江町の331日に居住制限区域から解除された地域そして津波被害の視察、その後南相馬市の201721日に居住制限区域から解除された地域、ならびに津波被害を視察しました。案内役は相馬地方平和フォーラム代表の寺田亮さんです。

 

広島県原水禁常任理事、広教祖の石岡修さんは午後の視察を次のようにまとめてくれました。

 

浪江町請戸漁港を見下ろす震災慰霊碑に花を手向けながら、瞬時に日常を飲み込んだ深い悲しみに思いを寄せていました。

 

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そして午後に視察した二つの地域、困難を抱えながらも復興に向けて進み始めたかに見える南相馬と、見通しが立たないまま避難指示だけが解除された浪江町の現実を目の当たりにしました。

誰もが故郷に帰りたいと思うだろう。しかし、帰還率1.5%の浪江には、帰ることをためらわせる現実が横たわっていました。

6年の月日を経た我が家に愕然とし、動物に奪われた家を取り戻すためには解体を決意せざるを得ないのですが、その決断をためらう人の多いことも理解できます。子どもの声が聞こえない場所に未来を描けない、あるいは人が住まない土地で仕事が再開できるのか等、不安の種には事欠きません。その不安を何より増大させているのが、廃炉への見通しが全く立たない原発の存在そのものです。

「避難解除が復興の証」などと決して言わせてはなりません。そのためには多くの人が原発事故の引き起こした現実を確認し、証言することが不可欠です。そのことを何より強く感じた一日でした。

 

広島県原水禁常任理事・前事務局長の藤本講治さんによる追加のコメントです。

 

  浪江町と南相馬市は、大震災と大津波によって起こされた原発事故が元で放射線への不安が続き、未だに日常の暮しが取り戻せない地域です。

 

 

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津波で破壊され今でも取り残されている家

 

 27カ月ぶりに訪れた被災地は行政や地域住民の復興に向けた並々ならぬ営みの中で復興への道筋が出来上がりつつありました。

  しかし、除染物質集積の仮置き場が至る所にあるという現実にも心が痛みましたし、津波に流された街なみ、荒れ果てた田畑、子どものいない学校(廃校)など、原発震災の傷跡を目の当たりにして原発事故が終っていないことを痛切に感じました。

  「浪江町東日本大震災慰霊碑」に参加者一同献花をし、震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りするのと同時に、被災地の早期復旧・復興を願いました。「原発事故さえなかったら」という被災者の叫びを心に刻み、脱原発の取り組みを強めて行こうと決意を新たにした一日でした。

 

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2017年6月25日 (日)

福島原発被災地フィールドワーク① ――浪江町の状況を伺いました――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町の状況を伺いました――

 

広島県原水禁では、2017624日(土)から26 (月)までの三日間、福島の原発被災地を訪ね、多くの皆さんのお話を伺いながら、被災地の現状を確認した上で、私たちに何ができるのかを再確認しさらなる行動に発展させたいという思いを元に、フィールドワークを実施します。

 

開催の趣旨を簡単にまとめておくと次のようになります。

 

福島第一原発事故から6年。命を、くらしを、絆を、故郷を、奪われた人は数えきれません。今もなお8万人を超える被災者が苦しい避難生活を強いられ、帰還の問題、生活の再建や復興、風評被害、子どもを中心とする健康被害、除染廃棄物の処理問題など課題が山積する中で悩み苦しんでいます。

にもかかわらず、政府は福島への帰還政策を強引に進めています。さらに、各地の原発再稼働を強行しています。私たちは、原発政策に前のめりする政策に抗い続け、福島原発事故を風化させず、フクシマに連帯する取り組みを継続して行っています。

201411月には、福島県平和フォーラムの協力のもと飯館村内、浪江・南相馬沿岸、帰還困難区域境周辺を視察し被災地の現状を学んできました。今回、二度目になりますが、被災地を訪れ、被害の実態や復興状況などを視察して、改めて原発事故とは何だったのかを考え、今後の脱原発.原水禁運動に活かしていきます。

 

今回のフィールドワークの参加者は10名、一日目の24日午後3時にJR福島駅近くのコラッセふくしまの会議室に現地集合しました。

 

最初に、受入れて下さる側の福島県平和フォーラム事務局次長 湯野川 守さんによるオリエンテーションがあり、その後、浪江町長の馬場有さんと、浪江町の紺野則夫町議会議員から、「原発事故から6年――フクシマの現状と課題」をテーマに、浪江町を中心にこれまでの取り組み、課題、そして今後の展望や広島との連携の可能性等についてお話を伺いました。

 

馬場町長のお話のポイントは、被災した事実の「風化」と無責任な「風評」による被害、そして避難している町民の生活の再建と同時に、これから町を存続させて行けるのかどうかということでした。パワーポイントを駆使した講演でしたが、風化と風評被害を語り未来の世代への責任を果すべく決意を表明する馬場町長に人間としての「風格」を感じ、静かな闘志を垣間見たのは私だけではなかったはずです。詳細を載せるには時間が足りません。またの機会に是非御紹介したいと思います。

 

               

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馬場町長(左の人)

 

また紺野議員が強調されたのは、国や福島県の無責任さ、その結果として「二次災害」が起り多くの犠牲者が出たという点でした。例えば原発事故の直後に、浪江町周辺の放射線量のデータを国は持っていたのもかかわらず、それを被災地には伝えなかった。その結果、原発から遠い地点という理由で北西方向に避難した数千人の浪江町民が被曝したことです。

 

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紺野議員(左の人)

 

被災者の健康を優先する制度ができる日を思い描きながら、そのための基礎になるデータを書き込む「健康手帳」を広島・長崎の先例を見習って作ったこと、そして、やはり子どもたちの未来が一番心配で、被災者の医療費を無料にする恒久的な制度を作ることを最優先したい、そのためには、以前、一緒に案を練ったけれど実現できなかった、国際的な支援体制の構築にも取り組みたい、と強い決意を語ってくれました。

 

 

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健康手帳

 

その後、場所を移って、紺野議員や福島の受け入れ団体の責任者を交えての夕食交流会が開かれました。浪江町を訪問しお二人にお会いしたのは20133月でしたが、久闊を叙しさらなる協力体制について建設的な意見交換ができ、大変有意義だったと思います。

 

参加者の皆さんに取っても感慨深い一日目になったようです。参加者の一人、自治労広島県本部の鈴木孝文さんは短時間の内に次のような感想をまとめてくれました。

浪江町馬場町長からは、63カ月が経過し風化と風評被害があること、また避難の状況や国の対応の遅れにより、線量の高い地域に避難してしまったことが強調されました。それは、浪江町が原発から北西の方向に細長い形の町であること、そして放射線がその方向に放出されたためでした。その結果全町域が帰還困難になりました。

しかし、2017331日に、一部の地域でその指定が解除され、苦渋の選択の結果、町長として解除を承認した理由についても語ってくれました。

その一つは、帰りたいという人は少ない、それは若い世代の人たちの間では、避難先に定住を決めた人が多いからなのですが、「自分の家で最期を迎えたい」という高齢者も多く、その人たちの思いを尊重したことと、「最低限の形でも良い、次の世代に町を残したい」という意見に耳を傾けたためでした。

曾孫の世代が「町が残ってくれていて良かった」と思うような町作りをしたいと、町長としての力強い決意も示してくれました。

原発は町の全てを奪うと改めて感じ、原発はいらないことを再確認できた一時でした。

 

また、自治労はつかいちユニオンの瀬戸将央さんは紺野議員のプレゼンテーションについて次のような感想を寄せてくれました。

報道では決して語られることのない、2011311日、東日本大震災発生時の現場の生々しい話でした。

私が率直に感じたのは、国、東電の無責任さです。事実として、地震、津波ではなく、原発事故で、60人から70人の人が施設から避難先に向かうマイクロバスの中で亡くなっていること、子どもたちへの影響の可能性も出ていること、現在も放射線の影響の管理をしなければならないことなど、本来であれば最優先されるべき問題が後回しどころか、放置されていることなどが具体的事例です。

私たち、事実を知るに至った人間が情報発信をすることで、フクシマのミライに向けて、国際社会への訴えの第一歩を踏み出すことも含めて、進んで行きたいと思います。

 

第二日目は、現地での視察が中心になります。第一日目の今日は、現地での見聞をしっかり受け止めるための枠組みが私たちの中にできましたので、明日は現地でこの枠組みを元に多くの情報を整理しつつ、さらなる活動につなげられればと思います。

 

 

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2017年6月21日 (水)

夏の食べ物 [同じお題で書きましょう] ――夏は「飽食」の季節でした――

 

夏の食べ物 [同じお題で書きましょう]

――夏は「飽食」の季節でした――

 

夏の食べ物と言えば、トウモロコシ、スイカ、トマト、アイスクリーム等々好きな物ばかりです。そして飲み物はビール。

 

小さい頃、夏は茨城の田舎に住んでいた祖母と叔母のところに一週間くらい滞在するのが常でした。そこでは、夏の野菜が食べ放題。毎日、大好物に囲まれていましたので大満足でした。中でも、トウモロコシの美味しさは格別でした。極端に言ってしまえば、朝トウモロコシから始まり、昼もトウモロコシ、当然夜もトウモロコシです。

 

             

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満足しているだけならそれはそれで良い思い出話になるのですが、多分、小学校6年生くらいの夏の終りに、食べられるだけのトウモロコシを食べた後、「もうトウモロコシなど見たくもない」状態になりました。飽食の付けが回ってきたのだと思います。

 

「腹八分目」「ものには限度」等、様々な警告があるにもかかわらず、食べたいだけ食べた結果ですのでこれは「自業自得」です。でも、この症状は二三年で治まりました。数年後、アメリカで食べたトウモロコシも、とてもおいしかった記憶あります。

 

でも、トウモロコシの教訓はほかの食べ物には生かされませんでした。ある夏、スイカも食べたいだけ食べて、夏の終りには見るのも嫌になりました。大人になってからは、ビールで同じことが起きました。前にも書きましたが、日本に帰省した夏に出会った「アサヒ・スーパー・ドライ! (あのコマーシャルの口調を思い出しながら書いています) にはまってしまい、それからは一年以上、「アサヒ・スーパー・ドライ!」以外は見向きもしませんでした。その結果、ある時突然、「アサヒ・スーパー・ドライ!」を見るのもコマーシャルを聞くのも嫌になりました。

 

 

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「アサヒ・スーパー・ドライ!」の発売から30周年という今年、特別のバージョンが売り出されていました。これからじっくり味わいたいと思います。

 

人間、見捨てたものではないと思えるのは、その後、食べ物や飲み物の「飽食」はしなくなりましたし、その結果として「見るのも嫌になる」という経験もしていません。少しは成長している証拠でしょうか。

 

 

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2017年6月13日 (火)

ウォーキング用のリュック ――小走りのインターバルも組み込めます――

 

ウォーキング用のリュック

――小走りのインターバルも組み込めます――

 

健康のためにウォーキングを始めてから20年以上になります。とは言っても、仕事のために1万歩歩いた日も含めて考えていますし、歩く機会が少ない仕事になってからは、朝5時起きして歩いていた時もあります。最近は時間的に余裕があり、歩きながら景色を楽しんでいます。

 

             

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桜の季節には立ち止まる時間が長くなります

 

 

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田植えの後の景色にも見惚れます

 

今でも一日は約一時間のウォーキングから始まります。友人の中には、一日三時間歩いている人もいて、もう少し効果的なウォーキングをしたいと思っていました。

 

そのためには、ウォーキングの途中に数分単位のジョギングを入れると良いというテレビの番組がありました。試してみると効果はありそうですので、今までよりチョッピリ頑張ったウォーキングになっています。

 

もっとも問題がない訳ではありませんでした。走るときに、今までウォーキング用に使っていた肩掛けのバッグは手で押さえないといけなくなったのです。少しの距離ですのでそれでも良いかなと思っていたのですが、毎日のこととなるとちょっと煩わしくなってきました。

 

 

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iPadが丁度入る大きさのバッグです

 

 

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中に入れて持ち歩くのは、汗を拭くタオル、サングラス、老眼鏡、メモ帳とボールペン、そして水筒

 

走っても手で押さえなくて済むのはリュックサックですので、取り敢えず、気に入ったデザインの物を買いました。少し大きめですが、大は小を兼ねるので、しばらくこれを使う積りです。

 

 

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中に入っているものを取り出すときにはリュックを下さなくてはなりませんが、小休止をしながら歩いたり走ったりする機会を増やした方が景色も楽しめそうですし、夏に向っては大切なことになりそうですので丁度良いかもしれません。

 

 

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コメント

リュクは楽ですよね。
通勤、町歩きもすっかりリュクになりました。

「ゲン」様

コメント有り難う御座いました。

リュックの便利さに気付いたのが今の時期で、夏には背中の汗が問題なのかもと、ちょっと心配しています。

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