生活

2017年6月27日 (火)

福島原発被災地フィールドワーク➂ ――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

フィールドワーク最終日の626日(月)は8:30にホテルを出発し、昨日は霧のため十分には見ることのできなかった浪江町から始めて、大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町(福島第一原発近くの線量の高い地域)を視察しました。バスから降りて現地に触れ、また高線量の場所ではバスからの視察も含めて広範囲を訪れることができました。

 

案内役はいわき市議会議員の狩野光昭さんです。昼食(弁当)は、時間の関係でいわき市から郡山市への移動中のバスの中で、その後「まとめ」を行い、13時過ぎに郡山駅で解散しました。

 

浪江町では、避難指定解除後、帰還の準備をする中で必要性が強くアピールされた商店街を役場の敷地内に公設民営の形で作った「浪江町マルシェ」を視察しました。担当の係長さんの説明によると、飲食店は需要があり黒字だがその他の店は苦しい経営状況であること、日曜日にも開店していて欲しいという要望も強いことなどの現状が分りました。

 

             

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開店前のマルシェ

 

また、全部で10店がこのマルシェには開店してくれたけれど、必要な商品全てが揃っている訳ではなく、薬局は町外に出て買い物をするしかないこと、生鮮食料品を扱うスーパーがないこと、そして本格的ホームセンターのないことで、帰還のための条件が必ずしも整っていないことにも言及されました。

 

その後国道6号線を南下して福島第一原発のある双葉町に入り、できだけ原発に近い場所までバスで入る予定だったのですが、6号線から原発に至る道が閉ざされていて残念ながらその場からの写真を撮るだけに終りました。

 

次に、楢葉町の太平洋に近い場所にある天神岬公園から海を臨み、また、除染物質の減容施設と自治体毎にまとめてフレコンバッグの集積を行っている施設を上から俯瞰しました。

 

 

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今日通過した地域の中にはまだ帰還困難区域の指定のあるところもあり、信号機とともに表示されている線量も2.00を超えているなど、昨日とは桁の違う数字を現実として目の前にして、緊張感が走りました。残念ながら高線量を示しているモニターの写真は上手く撮れませんでした。

 

次に、自治労はつかいちユニオンの生永裕行さんが、最終日の案内人、狩野光昭いわき市議による原発作業員についての報告をまとめてくれました。

  

いわき市議会議員の狩野さんからは、原発で働く人々の健康被害や労働条件の酷さについての話がありました。現在、廃炉作業と除染作業にそれぞれ毎日6000人の作業員が従事しています。

 

作業員の中には、ごく一部ですが、賃金未払いや雇用契約に悩む作業員もおり、原発労働者相談センターを20152月に立ち上げ、労働問題の解決に取り組んでおられました。 作業員は全国から福島県に集まっており、福島県だけでなく、全国で労働者教育に取り組む必要があると感じました。

 

ボランティアとして調査活動を行いながら、原発労働者の相談センターを運営していることから得られた貴重なお話を伺うこともできました。

 

また、黒いフレコンバッグが山積みになっている様子を見ると、街が元の姿を取り戻すまでには、相当な時間を要すると思いますが、これからが本当の復興の正念場だと感じました。

 

 

さらに狩野議員からは、原発の建設、運営で膨大な利益を上げてきたゼネコンが、原発事故後も除染や防潮堤の建設、その他の様々な建築工事でさらなる利益を得ている構造についての指摘もありました。

 

今回の3日間にわたるフィールドワークで感じたことの一つは、チームワークの大切さです。一人で経験したのではなく、10人が福島で時間を共にすることで理解や共感が深まり、より豊かな全体像を把握することが可能になりました。

 

その全体像は現地での「体感」「体得」に基づいています。例えば、避難指定が解除されている地域で民家の9割方には誰も住んでいない様子を直接目にすることで、また物を買える店も周りにはない上、子どもたちの姿も見えないことから、帰還の難しさを肌で感じることが可能になったのです。

 

帰還できないのは、放射線量の高さが主な原因ですが、これも線量計の数値を現地で確認しながら問題の深刻さや理不尽さを共有できたと思います。

 

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そしてこれほど大規模かつ長期的、深刻な状況を創り出してしまった責任についての国や東電、原子力ムラの言動は許しがたいこと、またこうした事態がこれからも続くことが明白であるにもかかわらず、「収束化」を図ろうとする国や東電、原子力ムラに対して、私たちが声を上げ続けなくてはならないことを改めて強く感じました。

 

今回、福島で私たちのフィールドワークのために貴重な時間を割いて下さった多くの皆様に心から感謝しつつ、新たな決意を固めたことを再度、強調します。

 

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2017年6月26日 (月)

福島原発被災地フィールドワーク② ――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

フィールドワーク2日目の625()は、朝 8:30 にホテルを出発して飯館村役場へ。

 

研修IIは、飯館村の視察でした。視察させて頂いたのは、331日に居住制限区域解除された地域、そして除染物質集積作業です。案内役は前福島地方平和フォーラム事務局次長の菅野幸一さんでした。

 

飯館村では、今年の331日に、帰還困難区域である長泥地区を除いて「避難指示解除準備区域・居住制限区域」の避難指定が解除されました。今日の視察では、その一番南の端にある「減容化施設」の前――それは帰還困難地域としての指定が続いている浪江町との境界近くなのですが――まで、飯館村内の状況をつぶさに見ることができました。

 

                 

Photo

           

 

減容施設からの帰り道は「飯館発電」という名前で、村民の皆さんが中心になって進めているソーラー発電事業の現場を体感することができました。

 

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視察後の参加メンバーの報告と感想です。最初に私鉄広電支部の木村浩隆さんの寄稿です。

 

バスで飯館村南側半分を視察しました。ここは村の中でも線量の高い地域です。村全体の避難状況は人口約6000人、1800所帯で、被災当時と大きな変化はありません。日曜日のため除染作業は行われていませんでしたが、住民不安に対応するために設置されていた線量計が目立ちました。

 

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目盛りは0.619マイクロシーベルト/時です

 

これも大切なのですが、国が昨年8月に、「ネットで確認できる」という理由で線量データの定期的公開を止めてしまったため、地域ごとの比較や総蓄積量の把握等、困難・不便になったことも多くあります。

農作物についても線量の測定は行われていますが、特筆すべきなのは、コウダケ等のきのこ類の数値です。特に高いことが問題なのですが、高齢者の中には「仮に害が出ても、もう残り少ない人生だから」と言って食べる人も多いとのことでした。

大きな問題の一つは、医療です。市の診療所は、市外から医師が「往診」という形で週二回、午前中だけ来てくれて存続されている状況です。また、役場横にある老人ホームは、震災後避難はさせませんでした。移動に伴う身体的負担が大きいので、そのリスクを避けるためでした。さらに役場の裏には全国初の市営の本屋が作られていました。

減容施設のある蕨平地区は、村内で最も線量の高いところで、今は立ち入り禁止区域になっていますが、ここで減容化された放射線汚染物の再利用についても検討されています。

除染そのものは、昨年12月で一応完了されたことになっており、現在はスポット的に線量の高い場所についてのフォローアップ除染が行われています。また、除染された土やゴミを入れるフレコンバッグは数年しか持たず、今後、除染されたものをどう処理するのかという大問題には答が出ていません。

 

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現地に来て、テレビで視たときとは違う現実を目の当たりにして、問題の大きさを改めて実感しました。広島に持ち帰り、一人でも多くの人に認識を高めて貰い、私たちでできることをもっと広範に共有し頑張りたいと思いました。

 

同じく広電支部の松本知孝さんの追加のコメントです。

 

飯館村に入った時、震災前はのどかで平和な暮しがあったのだなと感じました。そして震災から6年経った今も、「復興」は見た目には感じられませんでした。それは、村内の至る所に除染物の仮置き場があることとも深く関わっています。

阪神淡路大震災の際は、6年経過した時点である程度の復興が見て取れました。しかし福島では原発事故故の大きな負担があり、被災地の復興を妨げています。

「原発さえなければ」という思いで、脱原発そして核なき世界を実現すべく訴え行動して行きたいと思います。

 

午後は13:00から、浪江町の331日に居住制限区域から解除された地域そして津波被害の視察、その後南相馬市の201721日に居住制限区域から解除された地域、ならびに津波被害を視察しました。案内役は相馬地方平和フォーラム代表の寺田亮さんです。

 

広島県原水禁常任理事、広教祖の石岡修さんは午後の視察を次のようにまとめてくれました。

 

浪江町請戸漁港を見下ろす震災慰霊碑に花を手向けながら、瞬時に日常を飲み込んだ深い悲しみに思いを寄せていました。

 

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そして午後に視察した二つの地域、困難を抱えながらも復興に向けて進み始めたかに見える南相馬と、見通しが立たないまま避難指示だけが解除された浪江町の現実を目の当たりにしました。

誰もが故郷に帰りたいと思うだろう。しかし、帰還率1.5%の浪江には、帰ることをためらわせる現実が横たわっていました。

6年の月日を経た我が家に愕然とし、動物に奪われた家を取り戻すためには解体を決意せざるを得ないのですが、その決断をためらう人の多いことも理解できます。子どもの声が聞こえない場所に未来を描けない、あるいは人が住まない土地で仕事が再開できるのか等、不安の種には事欠きません。その不安を何より増大させているのが、廃炉への見通しが全く立たない原発の存在そのものです。

「避難解除が復興の証」などと決して言わせてはなりません。そのためには多くの人が原発事故の引き起こした現実を確認し、証言することが不可欠です。そのことを何より強く感じた一日でした。

 

広島県原水禁常任理事・前事務局長の藤本講治さんによる追加のコメントです。

 

  浪江町と南相馬市は、大震災と大津波によって起こされた原発事故が元で放射線への不安が続き、未だに日常の暮しが取り戻せない地域です。

 

 

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津波で破壊され今でも取り残されている家

 

 27カ月ぶりに訪れた被災地は行政や地域住民の復興に向けた並々ならぬ営みの中で復興への道筋が出来上がりつつありました。

  しかし、除染物質集積の仮置き場が至る所にあるという現実にも心が痛みましたし、津波に流された街なみ、荒れ果てた田畑、子どものいない学校(廃校)など、原発震災の傷跡を目の当たりにして原発事故が終っていないことを痛切に感じました。

  「浪江町東日本大震災慰霊碑」に参加者一同献花をし、震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りするのと同時に、被災地の早期復旧・復興を願いました。「原発事故さえなかったら」という被災者の叫びを心に刻み、脱原発の取り組みを強めて行こうと決意を新たにした一日でした。

 

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2017年6月25日 (日)

福島原発被災地フィールドワーク① ――浪江町の状況を伺いました――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町の状況を伺いました――

 

広島県原水禁では、2017624日(土)から26 (月)までの三日間、福島の原発被災地を訪ね、多くの皆さんのお話を伺いながら、被災地の現状を確認した上で、私たちに何ができるのかを再確認しさらなる行動に発展させたいという思いを元に、フィールドワークを実施します。

 

開催の趣旨を簡単にまとめておくと次のようになります。

 

福島第一原発事故から6年。命を、くらしを、絆を、故郷を、奪われた人は数えきれません。今もなお8万人を超える被災者が苦しい避難生活を強いられ、帰還の問題、生活の再建や復興、風評被害、子どもを中心とする健康被害、除染廃棄物の処理問題など課題が山積する中で悩み苦しんでいます。

にもかかわらず、政府は福島への帰還政策を強引に進めています。さらに、各地の原発再稼働を強行しています。私たちは、原発政策に前のめりする政策に抗い続け、福島原発事故を風化させず、フクシマに連帯する取り組みを継続して行っています。

201411月には、福島県平和フォーラムの協力のもと飯館村内、浪江・南相馬沿岸、帰還困難区域境周辺を視察し被災地の現状を学んできました。今回、二度目になりますが、被災地を訪れ、被害の実態や復興状況などを視察して、改めて原発事故とは何だったのかを考え、今後の脱原発.原水禁運動に活かしていきます。

 

今回のフィールドワークの参加者は10名、一日目の24日午後3時にJR福島駅近くのコラッセふくしまの会議室に現地集合しました。

 

最初に、受入れて下さる側の福島県平和フォーラム事務局次長 湯野川 守さんによるオリエンテーションがあり、その後、浪江町長の馬場有さんと、浪江町の紺野則夫町議会議員から、「原発事故から6年――フクシマの現状と課題」をテーマに、浪江町を中心にこれまでの取り組み、課題、そして今後の展望や広島との連携の可能性等についてお話を伺いました。

 

馬場町長のお話のポイントは、被災した事実の「風化」と無責任な「風評」による被害、そして避難している町民の生活の再建と同時に、これから町を存続させて行けるのかどうかということでした。パワーポイントを駆使した講演でしたが、風化と風評被害を語り未来の世代への責任を果すべく決意を表明する馬場町長に人間としての「風格」を感じ、静かな闘志を垣間見たのは私だけではなかったはずです。詳細を載せるには時間が足りません。またの機会に是非御紹介したいと思います。

 

               

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馬場町長(左の人)

 

また紺野議員が強調されたのは、国や福島県の無責任さ、その結果として「二次災害」が起り多くの犠牲者が出たという点でした。例えば原発事故の直後に、浪江町周辺の放射線量のデータを国は持っていたのもかかわらず、それを被災地には伝えなかった。その結果、原発から遠い地点という理由で北西方向に避難した数千人の浪江町民が被曝したことです。

 

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紺野議員(左の人)

 

被災者の健康を優先する制度ができる日を思い描きながら、そのための基礎になるデータを書き込む「健康手帳」を広島・長崎の先例を見習って作ったこと、そして、やはり子どもたちの未来が一番心配で、被災者の医療費を無料にする恒久的な制度を作ることを最優先したい、そのためには、以前、一緒に案を練ったけれど実現できなかった、国際的な支援体制の構築にも取り組みたい、と強い決意を語ってくれました。

 

 

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健康手帳

 

その後、場所を移って、紺野議員や福島の受け入れ団体の責任者を交えての夕食交流会が開かれました。浪江町を訪問しお二人にお会いしたのは20133月でしたが、久闊を叙しさらなる協力体制について建設的な意見交換ができ、大変有意義だったと思います。

 

参加者の皆さんに取っても感慨深い一日目になったようです。参加者の一人、自治労広島県本部の鈴木孝文さんは短時間の内に次のような感想をまとめてくれました。

浪江町馬場町長からは、63カ月が経過し風化と風評被害があること、また避難の状況や国の対応の遅れにより、線量の高い地域に避難してしまったことが強調されました。それは、浪江町が原発から北西の方向に細長い形の町であること、そして放射線がその方向に放出されたためでした。その結果全町域が帰還困難になりました。

しかし、2017331日に、一部の地域でその指定が解除され、苦渋の選択の結果、町長として解除を承認した理由についても語ってくれました。

その一つは、帰りたいという人は少ない、それは若い世代の人たちの間では、避難先に定住を決めた人が多いからなのですが、「自分の家で最期を迎えたい」という高齢者も多く、その人たちの思いを尊重したことと、「最低限の形でも良い、次の世代に町を残したい」という意見に耳を傾けたためでした。

曾孫の世代が「町が残ってくれていて良かった」と思うような町作りをしたいと、町長としての力強い決意も示してくれました。

原発は町の全てを奪うと改めて感じ、原発はいらないことを再確認できた一時でした。

 

また、自治労はつかいちユニオンの瀬戸将央さんは紺野議員のプレゼンテーションについて次のような感想を寄せてくれました。

報道では決して語られることのない、2011311日、東日本大震災発生時の現場の生々しい話でした。

私が率直に感じたのは、国、東電の無責任さです。事実として、地震、津波ではなく、原発事故で、60人から70人の人が施設から避難先に向かうマイクロバスの中で亡くなっていること、子どもたちへの影響の可能性も出ていること、現在も放射線の影響の管理をしなければならないことなど、本来であれば最優先されるべき問題が後回しどころか、放置されていることなどが具体的事例です。

私たち、事実を知るに至った人間が情報発信をすることで、フクシマのミライに向けて、国際社会への訴えの第一歩を踏み出すことも含めて、進んで行きたいと思います。

 

第二日目は、現地での視察が中心になります。第一日目の今日は、現地での見聞をしっかり受け止めるための枠組みが私たちの中にできましたので、明日は現地でこの枠組みを元に多くの情報を整理しつつ、さらなる活動につなげられればと思います。

 

 

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2017年6月21日 (水)

夏の食べ物 [同じお題で書きましょう] ――夏は「飽食」の季節でした――

 

夏の食べ物 [同じお題で書きましょう]

――夏は「飽食」の季節でした――

 

夏の食べ物と言えば、トウモロコシ、スイカ、トマト、アイスクリーム等々好きな物ばかりです。そして飲み物はビール。

 

小さい頃、夏は茨城の田舎に住んでいた祖母と叔母のところに一週間くらい滞在するのが常でした。そこでは、夏の野菜が食べ放題。毎日、大好物に囲まれていましたので大満足でした。中でも、トウモロコシの美味しさは格別でした。極端に言ってしまえば、朝トウモロコシから始まり、昼もトウモロコシ、当然夜もトウモロコシです。

 

             

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満足しているだけならそれはそれで良い思い出話になるのですが、多分、小学校6年生くらいの夏の終りに、食べられるだけのトウモロコシを食べた後、「もうトウモロコシなど見たくもない」状態になりました。飽食の付けが回ってきたのだと思います。

 

「腹八分目」「ものには限度」等、様々な警告があるにもかかわらず、食べたいだけ食べた結果ですのでこれは「自業自得」です。でも、この症状は二三年で治まりました。数年後、アメリカで食べたトウモロコシも、とてもおいしかった記憶あります。

 

でも、トウモロコシの教訓はほかの食べ物には生かされませんでした。ある夏、スイカも食べたいだけ食べて、夏の終りには見るのも嫌になりました。大人になってからは、ビールで同じことが起きました。前にも書きましたが、日本に帰省した夏に出会った「アサヒ・スーパー・ドライ! (あのコマーシャルの口調を思い出しながら書いています) にはまってしまい、それからは一年以上、「アサヒ・スーパー・ドライ!」以外は見向きもしませんでした。その結果、ある時突然、「アサヒ・スーパー・ドライ!」を見るのもコマーシャルを聞くのも嫌になりました。

 

 

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「アサヒ・スーパー・ドライ!」の発売から30周年という今年、特別のバージョンが売り出されていました。これからじっくり味わいたいと思います。

 

人間、見捨てたものではないと思えるのは、その後、食べ物や飲み物の「飽食」はしなくなりましたし、その結果として「見るのも嫌になる」という経験もしていません。少しは成長している証拠でしょうか。

 

 

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2017年6月13日 (火)

ウォーキング用のリュック ――小走りのインターバルも組み込めます――

 

ウォーキング用のリュック

――小走りのインターバルも組み込めます――

 

健康のためにウォーキングを始めてから20年以上になります。とは言っても、仕事のために1万歩歩いた日も含めて考えていますし、歩く機会が少ない仕事になってからは、朝5時起きして歩いていた時もあります。最近は時間的に余裕があり、歩きながら景色を楽しんでいます。

 

             

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桜の季節には立ち止まる時間が長くなります

 

 

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田植えの後の景色にも見惚れます

 

今でも一日は約一時間のウォーキングから始まります。友人の中には、一日三時間歩いている人もいて、もう少し効果的なウォーキングをしたいと思っていました。

 

そのためには、ウォーキングの途中に数分単位のジョギングを入れると良いというテレビの番組がありました。試してみると効果はありそうですので、今までよりチョッピリ頑張ったウォーキングになっています。

 

もっとも問題がない訳ではありませんでした。走るときに、今までウォーキング用に使っていた肩掛けのバッグは手で押さえないといけなくなったのです。少しの距離ですのでそれでも良いかなと思っていたのですが、毎日のこととなるとちょっと煩わしくなってきました。

 

 

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iPadが丁度入る大きさのバッグです

 

 

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中に入れて持ち歩くのは、汗を拭くタオル、サングラス、老眼鏡、メモ帳とボールペン、そして水筒

 

走っても手で押さえなくて済むのはリュックサックですので、取り敢えず、気に入ったデザインの物を買いました。少し大きめですが、大は小を兼ねるので、しばらくこれを使う積りです。

 

 

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中に入っているものを取り出すときにはリュックを下さなくてはなりませんが、小休止をしながら歩いたり走ったりする機会を増やした方が景色も楽しめそうですし、夏に向っては大切なことになりそうですので丁度良いかもしれません。

 

 

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コメント

リュクは楽ですよね。
通勤、町歩きもすっかりリュクになりました。

「ゲン」様

コメント有り難う御座いました。

リュックの便利さに気付いたのが今の時期で、夏には背中の汗が問題なのかもと、ちょっと心配しています。

2017年6月12日 (月)

木製コーヒー・カップの補修をしました ――人工漆(カシュー塗料)が便利でした――



木製コーヒー・カップの補修をしました

――人工漆(カシュー塗料)が便利でした――

 

永年使っている木製のコーヒー・カップの縁の塗料が剥げてきました。毎日何回も使っていますので、漆にしろ、ニスにしろ剥げてくるのは仕方ないのですが、このままお蔵にするには愛着があります。

 

何を塗れば良いのか思案に暮れていたのですが、ネットで調べている内に人工漆という代物があることを知りました。漆に似た仕上がりなのですが、かぶれず、乾燥時間も短く値段も安いのですから、日用品の補修には打って付けです。カシュー塗料とも呼ばれますが、それはあのカシュー・ナッツの木から採る油が原料だからです。早速近所のホームセンターで小さな刷毛と一緒に購入してきました。

 

               

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カップの縁ですので、面積は少ないのですが、丁寧に塗って、しかも一日置いて二度塗りもしてみました。その結果です。「before」の写真を取り忘れましたのです、言葉で説明すると、縁のこげ茶の部分は剥げて白っぽくなっていたのです。

 

 

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完璧ではありませんが、かなりうまく塗れたと思っています。縁の部分を拡大してみました。

 

 

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これでもうしばらく、デザインも気に入っている、毎日気軽に使えてしかも軽いコーヒー・カップの寿命が延びました。

 

 

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コメント

カシューはその製法上食器には使えませんよ。

コメント有り難う御座いました。また、カシュー塗料の安全性についての御指摘感謝します。

消費者庁のホームページには、カシュー樹脂塗料を食器に使った場合の表示についての手引きが乗っているのですが、このカシュー樹脂塗料は通常、カシュー塗料と呼ばれているものとは違うのでしょうか。

http://www.caa.go.jp/policies/policy/representation/household_goods/guide/zakka/zakka_19.html

2017年6月11日 (日)

自転車の鍵が錆び付きました ――虫の方は簡単に取り換えられたのですが――

 

自転車の鍵が錆び付きました

――虫の方は簡単に取り換えられたのですが――

 

昨年9月にパンクして修理をした自転車ですが、まずは修理後の雄姿から御覧下さい。

                           

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その後何回か乗った後、一冬、全く乗る機会がありませんでした。数日前、近くのスーパーまで自転車で行ってみようかと思い立ち、引っ張り出したのは良いのですが、今回は後輪がパンクしていました。前回の教訓を生かして虫をチェックすると、見事になくなっていました。近くのホームセンターで虫を購入、今回は約100円で済みました。

 

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でも本当のトラブルはその後にありました。後輪の鍵がビクともしません。リング錠というらしいのですが、冬の間に錆び付いてしまったようです。

 

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念のために電動アシスト用のバッテリを固定する装置の鍵もチェックしましたが、こちらも動きません。

 

 

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早速定番のCRC5-56を持ち出して、鍵穴にたっぷり注入しましたが、それでも全く動きませんので、一晩待つことに。

 

 

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朝になるのも待ち切れずに再度試してみましたが、ウンともスンとも言いません。こんなトラブルにあっているのは私だけではないはずですので、この自転車を買ったカナガキに電話で聞いてみましたが、「スペア・キーを作ったら」と頓珍漢な答えしか返ってきませんでした。そこで頼りになるネットでのアドバイスを探すと、ありました。「鍵穴のクスリII」です。早速ホームセンターまで出掛けて購入。鍵穴に注入しましたが、今のところ反応はありません。

 

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明日の朝まで待って、問題が解決していないようなら、ラディカルに鍵を壊す、といった手段も考えなくてはならないかもしれません。できれば、錆が上手く取れて滑らかな結末になると良いのですが。

 

 

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2017年6月10日 (土)

八雲でバースデー・ディナー ――「まぜまぜ」が逸品です――

 

八雲でバースデー・ディナー

――「まぜまぜ」が逸品です――

 

もう30年以上、八雲のファンです。郷土料理の老舗として多くの人に愛されてきた八雲の魅力は――私の独断と偏見を述べれば――他では食べられない、生野菜とあさりの「まぜまぜ」なのです。もちろん、すすぎ鍋も好きですし、小鰯の刺身やその他の料理も素晴らしいのですが、とにかく「まぜまぜ」なのです。

 

             

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美味しそうでしょう

 

そして、誕生月には特別のプレゼントが付いてきます。「まぜまぜ」のときもありますが、その他の料理が一品プレゼントされます。それに釣られて誰かの誕生日には八雲ということが多いのですが、6月は家人の誕生月ですので、先日八雲に行ってきました。

 

毎回、女性の担当者が付きっきりできめ細かい心の籠ったサービスをしてくれるのですが、今回オヤッと思ったのは、「何歳になられたのですか」と聞かれたことです。本人が気軽に答えていましたので、問題はないのですが、何でこんなことを聞くのかなという疑問は残りました。

 

でもいつも通り美味しい料理の数々を堪能しました。家人にとっても楽しいバースデーだったと思います。

 

その後に、サプライズが待っていました。くす玉の登場です。

 

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紐を引っ張ると、お祝いのメッセージが飛び出してきました。

 

 

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それだけではありませんでした。バースデー・プレートのプレゼントもありました。これで、「何歳ですか」の疑問が氷解。とてもお洒落な誕生日プレゼントが、美味しい食事と時間を忘れられない記憶にしてくれました。

 

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コメント

48歳、
お若い!!
素晴らしいですね。

「ゲン」様

コメント有り難う御座いました。私自身が48歳の時は、色々やりたいことが沢山あって、とても焦っていたことを覚えています。

2017年6月 9日 (金)

スズランの缶詰 ――上手く育ってくれると良いのですか――

 

スズランの缶詰

――上手く育ってくれると良いのですか――

 

好きな花はたくさんありますが、その一つがスズランです。これは我が家の全員の好みでもあります。ですから、スズランの花を貰う度に、次の年にも花を楽しめればと庭やプランターに植えてきました。でも、上手く育った試しがありません。

 

理由が分らないままに、ネットでたまたま変ったスズランの育て方に出会いました。「すずらん缶詰」です。北海道からスズランを缶詰にして送ってくれるサービスですが、今までの育て方とは違った可能性が花開くことを信じて、さっそく注文してみました。

 

缶詰は65日に届きました。これがその缶詰です。

 

                 

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缶詰のスズランなんて初めてですので、どうすれば良いのか分りませんでしたが、取り扱い説明書を読むと簡単なようです。

 

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「切り口で手を切らないよう」にと、親切な心配もしてくれています。まずは缶の蓋を開けました。説明書通り、水ゴケが載せてありました。

 

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水ゴケを取り除くと、スズランの芽らしきものが見えました。

 

 

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取説に従って、たっぷり水をやり、陽の当るところに置きました。後は発芽を待つだけです。そして、68日には、芽がかなり大きくなっていました。

 

 

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芽はもう一本あるようですが、それも時間の問題だと思います。そして芽が育ち、花が咲くのが楽しみですが、その様子を「スズラン日記」として折に触れ紹介させて頂ければと思います。

 

 

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2017年6月 8日 (木)

タブレット寿司に行きました ――回転寿司ですが、タブレットで注文します――

 

タブレット寿司に行きました

――回転寿司ですが、タブレットで注文します――

 

食べ物屋の近くを通った時、美味しそうな匂いに釣られて店に入ってしまうことは良くあるのですが、誰でも経験のあるのは鰻屋かもしれません。でも最近は、寿司屋の前で誘惑に勝てなくなってしまうことも多くなりました。江戸前の高そうな店以上に回転寿司の誘惑が強いのは、値段の魅力もあるからでしょう。

 

先日も、ついふらふらと入ってしまったのですが、「タブレットの注文だけになります」と言われて、一瞬戸惑いながら、それは店のタブレットから注文するだけで良いという意味だということがすぐ理解できました。

 

テーブルに座ると、端の方に、新幹線のレールのような装置があって行く先は調理場のようです。時々、誰かが注文したのであろうお寿司やそのほかの品が、「スルスルッ」という音とともに、調理場の方から出てきます。

 

               

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注文するのに忙しくて、タブレットを手に取って注文している様子や、「注文」というボタン等の写真はありませんが、このタブレット上で注文したい写真をタップして、その後出てくる画面で「注文」というボタンを押せば良いのです。しばらく待つと、注文した品物が届きます。

 

 

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船のような台に乗ってくるのですが、注文した品「軍艦」を思わせるような登場振りです。

 

 

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上段のレールから品物を取っているところですが、下段のレールで届くのはどうも軍艦巻が主なもののようです。

 

タブレットの後ろ側には、まだお寿司を載せてきた台が残っていますが、タブレットの「返却」ボタンを押すと、この台が調理場の方に戻って行きます。

 

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これを何度か繰り返して、テーブルの上は結構豪華な品々で埋まりました。

 

 

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もともとの回転寿司では、目の前を通り過ぎて行くお皿を取ってテーブルで食べるのが基本でしたが、何度か回っているお皿では、ネタが乾いているものもありました。ですから、店員さんに「○○」と別に注文する人も多くなったようです。それだと人手が掛かりますので、経営者の側から考えると何とか改善すべき点だったのではないかと思います。タブレットの注文は、注文後に握ってそれを人手を使わずに届けてくれるので、この問題は解決されました。

 

でも最終的には味がどうかで決まるのですが、「Z級グルメの」舌ではなかなかイケた部類に属します。値段も手頃でしたので、次回来た時には、もう少し近くから注文の様子やメニューの内容などアップしたいと思っています。

 

さて最後まで取っておいて「秘密」ですが、どうもこのタブレットはApple社製ではないようです。それなら堂々と、「iPad」と銘打っておいた方がアピール力は増すはずなのですが、料理飲食業専門の会社のサービスであることが明記されていましたので。

  

 

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