教育

2017年4月18日 (火)

回る地球儀 ――「永久」が12年であることも判明――

 

回る地球儀

――「永久」が12年であることも判明――

 

6年前に、Tufts 大学から記念品として自然に回る地球儀を貰いました。写真を添付しましたが、この地球儀が、何もしなくても回り続けるのです。中にモーターが入っているのだと思いましたが、忙しいこともあってどんなメカニズムで動き続けるのかはあまり気に掛けずに、でも動いていることは確認してその動きを楽しんでいました。子どもたちにも人気があって、遊びに来る子どもたちは必ず動く地球儀に気付いて不思議がっていました。

 

               

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何度か引っ越しをしたせいなのかもしれませんが、この地球儀が動かなくなったことに、つい最近気付きました。

 

地球儀は二層から成り立っています。外側に透明なプラスチックの容器があり、その中には透明な液体が入っています。その液体に浮ぶような感じで、表面に地球の模様を印刷した球体が収まっています。

 

恐らくその球体の中にはモーターがあるのだと思いますが、ネットで調べてみるとこの地球儀はMOVA社製で、中のメカニズムは、ソーラー電池と磁石そしてモーターがあり、磁場が上下方向を決め、光が電源、モーターが回転させているらしいことが分りました。iPocket社のホームページに説明がありますので、関心のある方は御覧下さい。

 

 

「半永久的に」自転する、という謳い文句なのですが、実際に動くパーツがあれば、それはいつかは壊れます。それでも6年ほど動き続けたのは見事だと思いますが、「半永久的」が6年だとすると、その倍の「永久」は12年ということになります。

 

ジョークはさておき、動かなくなった機械を直したい気持ちはあるのですが、内側の球体に傷を付けずに中の電池やモーターにアクセスするのは不可能なように思えます。それでは修理はできません。折角一度は動いていたのですし、動いた方が面白いことは確かなのですが、動かなくても綺麗な地球ですので、このままの状態で楽しみたいと思っています。

 

 

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2017年4月13日 (木)

違和感のある日本語 ――「やんちゃ」と「いじる」――



違和感のある日本語

――「やんちゃ」と「いじる」――

 

気になり始めたのは、ここ数年のような気がしますが、このところ「やんちゃ」の使われ方が大きく変ってしまいました。

 

昔は――と言い始めるのは老化現象の典型なのですが、敢えて使います――「やんちゃ」というのは、「子供のわがまま勝手なこと。だだをこねたりいたずらをしてりすること」(広辞苑 第六版)ですし、大辞林の第三版には、「子供が活発で大人の言うことをきかないこと。いたずらやわがままをすること。また、そのさま。また、そのような人をもいう。」という定義が載せられていて、例としては 「やんちゃをする」 「やんちゃな子」 「やんちゃ坊主」 「やんちゃ盛り」が挙げられています。

 

「良い子」と比べて、奨励されているのではなくても、先ず犯罪性はありませんし、「困った子だよ」というレベルの親のため息があっても、特に周りの人に飛んでもない迷惑を掛けるまでは行かない、男の子の性質を表していたような気がします。

              

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「いじめ」?「やんちゃ」?

 

「お茶目な女の子」という表現もありました。その「お茶目」より少しは飛び出していることは

認めるとして、「やんちゃ坊主」に対して「お茶目な女の子」という対照ができるというくらいのレベルだったのではないでしょうか。

 

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「やんちゃ」の域を超えている?

 

 

しかし、最近での使われ方では、昔は「やんちゃ」だったと言えば、昔は不良少年だった、ぐれていた、犯罪行為に手を染めた、といったレベルのかなり問題のある行動をしていたことを示しているようです。

 

この線引きを曖昧にすることで、例えば「いじめ」も「やんちゃ」な行為なのだから許される、というニュアンスで許容されてしまう傾向さえあるような気がしているのですが、これは、不正確でしょうか。

 

それに関連して、「いじる」という言葉が大手を振って市民権を得てしまったようです。この言葉の語源にはいろいろな説があるようですが、落語の世界の「客いじり」という表現が元で、「いじる」が「いじめる」の代りに使われるようになったと考えている人たちもいるようです。

 

私は、単純に「いじめる」の「め」を抜いて隠語的に使われていた言葉が、これまた線引きの曖昧さとテレビの好い加減さとの相乗効果で、無害化されてしまった結果なのではないかと思っています。

 

この両方に共通しているのは、人格の否定や無視といった犯罪性のある行為や言葉が、新しい曖昧な言葉に置き換えらることで、こうした卑劣な言動に対する批判が「無粋」なこととでもいうようなラベルを張られ、益々広まることなのですが、正にそのような傾向が顕著になっているように思えます。私が心配症で、単なる「老の繰り言」であるのならまだ良いのですが。

 

 

 

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コメント

「やんちゃ」い関しては、子供から少年、大人になっていても
子供のレベルの善悪の曖昧さで悪いことをしてしまう、少年
大人に対して使う場合「ワル」の意味が加わっているのでは
ないかと思っています。

「いじる」に関しては、「=いじめる」の意味で使うのはマスコミ
だけではと思っています。普通は(私はかな)「おちょくる」って
意味でしか使いませんから。しかし、マスコミが使ってはいけま
せんよね。正しい言葉になって行ってしまいます。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。世代的な違いかもしれませんし、関東、関西の違いもあるのかもしれませんが、私の中では「やんちゃ」は、小学生くらいまで、せいぜい中学の低学年までで、それより上のそれなりに善悪や、自他の差が分る人に対しては使わない言葉なのです。

それがまずあるので、「不良少年」や「ぐれる」の代りの「やんちゃ」には違和感があるのだと思います。

2017年4月 2日 (日)

「ヒロシマ・ナガサキ ZERO Project」 ――着々と準備が進んでいます――



「ヒロシマ・ナガサキ ZERO Project

――着々と準備が進んでいます――

 

原爆や核兵器についての歴史の中で、重要な役割を果した三人の著名人のお孫さんが3人とも核兵器廃絶のために頑張っていることを報告しましたが、その一人は『ヒロシマ』の著者ジョン・ハーシー氏の孫、キャノン・ハーシー氏でした。1月に来日されたときには芸術やフィルム、テレビ・プログラム等の分野でともにリーダーとして活躍中の西前拓氏と一緒でしたが、今回は西前氏一人での来広でした。

 

話が弾んで、写真を撮るのを忘れてしまいましたので、前回の写真を使わせて頂きます。キャノン・ハーシー氏と西前拓氏です。

 

                 

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1月にお会いしたときに伺った、プロジェクトは「平和円卓会議2020 Peace RoundTable(仮称)でしたが、「核なき世界」実現のための円卓会議を今後4年間にわたって開き、2020年までに実行可能なことを積極的に推進するという目的が掲げられていました。その計画がかなり進んで、今年の1029日に、「ヒロシマ・ナガサキ ZERO Project」として開かれることになりました。

 

クラウド・ファンディングを通して、支援者も募っていますので、こちらのページも御覧下さい。今日から始まったばかりなのですが、目標額100万円に対して、今これを書いている時点では、3000円の申し込みがありました。皆さんも御協力宜しくお願いします。

 

当日のプログラムですが、先ず袋町小学校の校庭を使って、黒田征太郎氏やキャノン・ハーシー氏がリーダーになって、遊んだりアート作成をすることから始まります。一つの目標は壁画作成ですが、それは皆さんに、黒田征太郎氏が準備したハガキ大の枠組をダウンロードして貰い、それに自らの手で絵や文字を描いたものを事前に送って頂くという準備が必要になります。それらのハガキを貼り付けながら壁画を作るという予定です。

 

その後、隣にある人まち交流プラザで、4つの分科会に分かれて、パネル・ディスカッションそしてワークショップを開きます。テーマは前回も御紹介しましたが、再度掲げます。

 

☆人権  Human Rights for Peace  核の問題は人権問題でもあり、各国の核被害者との連携が重要。 例;核被害者フォーラムや世界各地の被爆者との交流事業

 

☆環境  Healthy environment for Peace  核の問題は環境問題でもあり、地域社会、国際社会がいかに共同で取り組むべき問題である。 例;被爆樹木プロジェクトなど

 

☆コミュニティ  Community for Peace  自分たちの住むコミュニティ、町や村から平和を広げていくことが重要。 例;Mayors for Peace 平和首長会議

 

☆イノベーション  Innovation for Peace   テクノロジーの力で核問題に関する新たなコミュニケーションを生む。 例;オンラインソフトやアプリの開発、Hiroshima Archive

 

最後の「イノベーション」を考える上で、急速に変る社会を元にして新たな行動を考える必要のあること、そのためには「パラダイムの転換」という視点から社会を見直さないと間に合わないのではないかという感想を西前氏と共有することができました。

 

例えば、インターネットを通して使われるビットコインやアップルペイその他のアプリやシステムが進化しつつあって、銀行の必要ない経済さえ議論されている時代になり、私たちを取り巻く経済の枠組みそのものも大きく変わるであろうということ、自動運転やドローン等の技術の実用化は時間の問題で、そうなるとこれまでの政治の枠組で人類的な問題に対応しようとしている「今」の問題意識では解決が難しくても、解決への道筋が生まれるかもしれないこと、しかし、その中心にあるのは多くの人々の生命と生活であり、「都市」の本質的な役割を大切にして行かなくてはならないこと等が、話題になりました。

 

ワークショップのリーダーになるのは、以下のパネリストやゲストたちです。

 

■主なゲスト&パネリスト■

田上 富久/長崎市長・平和首長会議副議長

秋葉 忠利/前広島市長  

ウィリアム・ペリー/元アメリカ国防長官

渡部 朋子/ANT-Hiroshima (NPO)

近藤 紘子/谷本平和財団

中村 桂子/長崎大学RECNA准教授 

黒田 征太郎/アーティスト

加用 雅信/広島妙慶院住職 

スティーブ・リーパー/Peace Culture Village

キャノン・ハーシー/1Future (NPO) 代表    

西前 拓 /1Future (NPO) 代表                  

ドロシー・マスーカ/南アフリカの国民的歌手  

順不同

 

一日の最後はコンサートとプレゼンテーションです。ワークショップでの成果を、プレゼンテーションとしてまとめ、またコンサートのために駆け付けてくれるアーティストたちとともに、歌、踊り、プレゼン、展示等で盛り上がるフィナーレになりそうです。

 

このイベントに先立って、ニューヨークでも同じ趣旨のイベントが開かれるようですので、できたら参加したいと思い、先ずは旅費捻出のために宝くじを買うことから始めたいと思っています。

 

 

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2017年3月27日 (月)

仰げば尊し ――美しい日本語を継承して欲しい――


仰げば尊し

――美しい日本語を継承して欲しい――

 

卒業式の季節ですが、かつてはどの学校でも歌っていた『仰げば尊し』が最近では歌われなくなってきたようです。その代りに最近歌われているのは、例えば、『旅立ちの日に』や『YELL (いきものがかり)』、『3月9日 (レミオロメン)』等だそうです。どれも良い歌ですし、時代の変化を反映しているのだとは思いますが、今回は、『仰げば尊し』が復権することを願っている理由を述べてみたいと思います。

 

その前に、まずYouTubeにアップされている『仰げば尊し』を聞いて下さい。


 

 さらに歌詞も復習しておきましょう。

 

1. 仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば

2. 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば

3. 朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば

 

歌われない理由として、歌詞が難しい、教師への「恩」を強制している、立身出世主義を奨励している等の意見があるようですが、確かに歌詞は今の子どもたちには難しいかも知れません。教師への恩を強制していると読むことも可能ですが、歴史的事実として、多くの人たちがこれまで「師」に感謝してきたことを、若い世代にも受け継いで欲しい、そし教師の側からは、生徒たちにそう感じて貰うための努力を教師としてしっかりするという決意表明の歌として受け止められないものでしょうか。

 

「身を立て 名を上げ やよ励めよ」は、自立し、自分の名前に恥じない人間になるように努力して欲しいという、独立して行く子どもたちへの餞の言葉と考えてはいけないのでしょうか。

 

歌詞の解釈も大切ですが、それ以上に大切だと思うのは、この歌詞が日本語として美しいことです。日本語の美しさを若い世代に理解して貰いその美しさを伝え続けて貰うために、この歌を覚え歌い続けて欲しいのです。

 

美しさを表現している個所を挙げておきたいと思います。

 

一つは「今こそ別れめ」です。係り結びであることは、古文の時に習ったはずですが、「別れめ」は「別れむ」の已然形です。「こそ」は強調なのですが、「は」と同じような意味を持つとも言われていますので、「今は別れるけれど、再会しよう」という情緒を言葉としては言わないながらも伝えています。そんな気持ちを言外に美しく伝えられる係り結びを、日本語の中に残しておきたいと思うのですが、センチメンタル過ぎるでしょうか。

 

後は一つにまとめてしまいますが、「いと」「やよ」「いざ」といった詩語の美しさです。日本語の特徴の一つは、俳句や短歌といった短い詩の持つ美しさにあることは論を俟たないと思いますが、そのことは、ここに掲げた二音節の言葉の持つ美しさと切り離せないように思います。その美しさを感じて貰うために、そして日本語の美しさを大切にして貰うために、若い人たちに『仰げば尊し』を歌い続けて貰いたいと願っています。いや祈っています。

 

 

 

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コメント

本日「気まぐれ辛口」卒業します。長い間有り難うございました。

私の小学校の卒業式で
人類のためにがんばる子どもたちに
「身を立て名をあげ」
はなじまないので2番は歌わない。
という説明があり、
保護者はびっくりした、
というのを母から聞きました。

「気まぐれ辛口」様

コメント有り難う御座いました。お礼が遅くなりましたが、長い間楽しませて頂き有難う御座いました。今後も「気まぐれ」振りを発揮して、気の向いたときに「辛口」をお寄せ下さい。

「緩和ケア薬剤師」様

コメント有り難う御座いました。お礼が遅くなりました。

それも一つの考え方ではありますが、別の解釈成り立つのではないかと思って書かせて頂きました。

良い歌は歌い継いで行きたいですね。

2017年3月26日 (日)

軍事研究について学術会議が新声明 ――過去二回の声明を「継承」――



軍事研究について学術会議が新声明

――過去二回の声明を「継承」――

 

昨年9月に、軍学共同反対連絡会への参加呼びかけについて報告しました。その後、多くの皆さんの目には触れていなかったのかもしれませんが、大学や研究機関に属する専門家の皆さんは素晴らしい運動を展開して下さいました。


また学術会議の「学術会議の軍事研究拒否声明」見直し反対! 軍事研究解禁反対!の署名を集めていた「change.org」の運動についても報告しました。

 

学術会議は1950年と1967年の二回にわたって、「軍事研究拒否声明」、つまり軍事研究はしませんという決議を行い、その方針を守ってきたのですが、それを投げ捨てて軍事研究に走ろうとしている「科学者・専門家」の一部の動き、またその背後にある防衛省や政府の意図に対して市民の側から明確なメッセージを伝えることが目的でした。

 

学術会議でも当然重大問題として議論が続けられていましたが、昨324日に、新声明が決定されました。

            

Photo

                 

 その内容は、これまでの二つの声明を継承することが中心なのですが、それらが総会での決議によって採択されたのに対して、今回は幹事会での決定という形が取られています。詳しくは、前回も引用した東京新聞の望月衣塑子記者が、検討委員会の段階でまとめた記事をお読み頂きたいのですが、9月と同様に、新声明についての分り易い図が付けられています。

 

 

Photo_2


 また、学術会議の新声明全文は、次のサイトに掲げられています。

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/anzenhosyo/pdf23/170324-seimeikakutei.pdf

 

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2017年3月24日 (金)

点字プリンターと点字カラオケ ――日本テレソフトとカラオケ館高田馬場2号店に拍手――  


点字プリンターと点字カラオケ

――日本テレソフトとカラオケ館高田馬場2号店に拍手―― 

 

このブログでは、しばしば外務省批判をしていますが、今回は外務省も (つい、「たまには」と入れたくなってしまうのですが) 良い仕事をしていることの報告です。昨322日に、外務省からODA白書が発行されましたが、その中に、次のような記事が載っています。

 

               

Oda

             

 この点字プリンターを開発、製造して世界で販売しているのが「日本テレソフト」という会社です。私の友人が社長を務めていますが、気骨のある正義漢でしかも幅広い分野の人々との交流があり、時代を先取りできる素晴らしい能力の持ち主です。

 

以下、日本テレソフト社のホームページからの抜粋を中心に、同社の活動を紹介します。

 

まずODA白書には、日本テレソフト社による「セルビア国の視覚障害者団体を支援した草の根ODAが紹介されました。点字プリンターが同国の教育の向上などに貢献し、有意義に活用されているという内容です。日本テレソフト社では、同様の海外支援の取り組みを、ベトナム、ドミニカ共和国、グレナダ、南アフリカなど数カ国で行い、いずれも高い評価を受けています。」

 

Photo

点字プリンターの一つです

 

このプリンターの特徴は、画面にもあるように、点字と墨字の両方を同時印刷できることです。しかも静かな点が「売り」です。点字は物理的に凹凸を付けることが「印字」になる訳ですから、ある程度の速さを確保しようとすれば当然、音が出ます。その音がうまくコントロールできていないと、教室や事務室で使うのにはうるさ過ぎますので、高度の技術が必要なのです。となるとコストが高くなるのですが、それも合わせて良い製品として完成したところが、世界的に評価されています。

 

もう一つ、日本テレソフト社の製品で私のお勧めするのが「点字カラオケ」です。カラオケの歌詞は、最近は画面に表示されますが、視覚障碍者には利用できません。そこで、カラオケの機械とパソコンそして点字ディスプレーをつないで、画面の歌詞を点字に翻訳し、それを点字ディスプレーに表示する装置を開発・製作したのが日本テレソフトです。

 

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広島市もこの機械を購入して、無料で貸し出しをしています。窓口は「(社)広島市視覚障害者福祉協会(電話・ファクス 082-249-7177)」です。

 

カラオケボックスでは、高田馬場のカラオケ館高田馬場2号店 (☎ 03-5155-2458) が導入しています。ここで実際に体験をした方の感想が点字毎日に掲載されています。是非、お読み下さい。

 

 

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クリックすると文字が大きくなります

 

この点字カラオケを、ロスアンゼルスの展示会で、スティービー・ワンダーが実際に使ってくれました。自分の歌を点字でチェックして、「素晴らしい」とコメントしてくれたというエピソードもあります。

 

世間的にはあまり知られていませんが、日本テレソフトもカラオケ館高田馬場2号館にも大拍手を送りたいと思います。そして、世の中、多くの分野でこのような地道な取り組みをして頑張っている人や企業、団体等がもっともっとあるのだろうと思います。その全ての皆さんにも拍手です。

 

 

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2017年3月14日 (火)

漢字表記・用字辞典 ――最初は「用字便覧」を多用していました――  


漢字表記・用字辞典

――最初は「用字便覧」を多用していました―― 

 

「老化現象が進んでいると感じるとき」という題で高齢者の経験を募ったとして、必ず出てくるのは「漢字を忘れる」でしょう。

 

自慢ではありませんが、私はもう40年も前からこの経験をしています。アメリカに住み始めて少し経ってからのことなのですが、日本の友人からの手紙に、その前に私の方から出した手紙の一部が同封されており、間違って使った漢字の添削をしてくれていたのです。今でも覚えている間違いは「頂」と「預」ですが、他にもユニークな取り違いをいくつかしていました。

 

その対策として手に入れたのが、小桜書房発行の『用字便覧』です。

 

                 

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新聞記者の友人に依頼して彼が使っているのと同じものを送って貰いました。確かにとても便利です。中身を御覧頂ければ分ります。

 

 

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もっともネット時代になり、読み方を入力して「エンター」キーを押せば、漢字は一発で出てきますので、最近はあまり使わなくなりました。でも、これも「糟糠の妻」ですので、今でも大切に書棚の一番目立つ場所に置いてあります。

 

と書いてしまうと、いかにも誠実で脇目も振らずに『用字便覧』だけを愛用してきたような感じを与えてしまうかもしれませんが、実は大きな浮気をしています。夏休みに帰国した際に、先ず真っ先に駆け込んだ本屋で『大きな漢字の 漢字表記辞典』(三省堂)を見付けたからです。

 

これも永年使い込みましたが、最近は紙が変色して読み難くなりましたので、その最新版『見やすい 漢字表記・用字辞典』を愛用しています。

 

 

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こちらの『辞典』が気に入った理由なのですが、クイズ風に中身を見て答を当てて見て下さい。

 

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一つには、単語だけでなくフレーズが付いているので分り易いことです。「肥やす」だけではなく「私腹を肥やす」で、使い方までリフレッシュして貰えます。もう一つは、画数の多い漢字を大きく表記してくれているので、実際に書くときに助かることです。因みに、左下の三つの漢字は上から、「ごまめ」「こめかみ」です。

 

そして三つめは、serendipityです。これは、引っ越し準備で思いがけない発見があった報告の時に使った言葉ですが、2ページを目の前にして、何か新しい発見がいつもあります。『用字便覧』でも、それは経験できるのですが、フレーズが並んだレイアウトと、漢字の位置のバランスが良く、こちらを使って楽しむようになりました。

 

 

グーグルでは味わえない楽しみですので、こちらも書棚ではすぐ手の届くところに置いてあります。

 

 

 

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コメント

この本いいですね。『見やすい 漢字表記・用字辞典』
確かにパソコン等で読みを入力したら候補の漢字がいくつか出ますが、どの漢字が適切なのかを悩むことがあります。
ネット検索をすれば簡単に出るのでしょうが、学生時代に辞書をめくりながら勉強してきたので辞書をめくる方がなじむので、パソコンの側には国語辞典や漢字辞書や英和辞書があります。(笑)

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。「昭和の歌を守る会」「筆記体を守る会」に続いて「昭和の辞書を守る会」を立ち上げましょうか。

2017年3月 5日 (日)

感動的な卒業式 ――若い世代への期待がさらに大きく膨らみました―  


感動的な卒業式

――若い世代への期待がさらに大きく膨らみました―  

 

考えて見ると、感動的ではない卒業式に出席した記憶はないように思います。それぞれ特色のある、時代を反映し巣立つ子どもたちへの思い溢れる、そして見守る親や保護者たちにとって感慨無量な一時です。

 

今日は下の息子の高校卒業式でした。上の子から通算すると9年間お世話になった学校ですが、二人とも「スク―ルバンド班」に属して楽しく豊かな青春を謳歌することができた年月でした。先生方、同級生の皆さん、そして保護者や同窓会の皆さんにも感謝の言葉あるのみなのです。

              

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式後の校門付近


式は体育館で行われ、君が代、卒業証書の授与、校長先生の式辞、来賓挨拶、在校生の送辞、そして卒業生の答辞、記念品贈呈、賞の授与、校歌、蛍の光の順でした。最後には卒業生の飛び入りで、先生への感謝の気持が表明されました。ただ私たち世代から見ると「仰げば尊し」が、最近は歌われなくなっていることが残念です。

 

その後、組毎に教室に戻り、担任の先生から一人ずつ卒業証書を手渡され、一人ずつ卒業の言葉を保護者の前で披露してくれました。笑いが途切れないほどの素晴らしい雰囲気で、「このクラスで良かった」という全員の気持ちが伝わってきたような気がします。

 

最後に担任の先生の餞の言葉がありました。これから大人の仲間入りをして生きて行く上で、自分として感じている大切なことを三つ伝えておきたい、というテーマでした。

 

第一は、今いるところを大切にすること。理想を掲げるのももちろん大切だが、世の中には思い道理にならないことも沢山ある。そんなとき、理想を捨てて諦めるのという意味でもなく、不貞腐れて開き直るのでもなく、素直に今いるところを大切にすること。そのことを、今卒業生の多くが直面している受験と心学、あるいは就職後の仕事等、子どもたちの立場からの実例を挙げながら、しっかりと伝えてくれました。

 

二つ目は、親を大切にすること。自分は母を事故で失った。そのとき最初に浮かんだ言葉が「ごめん」だった。母への気持を素直に伝えていなかったことを悔やんだからだ。君たちには同じ経験をさせたくない。両親への感謝の気持ちを直接言えなければ、親の手伝いをすることで表しても良いし、手紙でも良い。場合によっては親から離れるという選択が最善の親孝行だという可能性もある。そんな場合も含めて親を大切に。

 

三つ目は、元気で。これは説明するまでもないと思ってしまいましたし、それ以上にその前の母上についてなされたときには、先生の声が詰まり私たちもほとんど涙で聞いていたために、耳では聞いていても内容まで聞き取れませんでしたので、報告はここまでしかできません。

 

子どもたちには勿論、先生のメッセージは伝わりましたし、私たち保護者も感動したのは、御自分の経験を元に、今子どもたちにとって一番大切なことを分かり易く説いて下さったからなのだと思います。

 

その先生は40代です。私から見れば「若者」世代なのです。その若者が、さらに若い子どもたちに人生の先輩として、私たち世代も教えられるような言葉を贈ってくれたことで、若い世代への私の期待は一段と大きく膨らみました。

 

 

 

そして、ワンコインシンポジウムにもお出で下さい。

 

 

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ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017 第5回シンポジウム

テーマ:  「託されたもの--大地と人と。」

201735() 13:30 ~~ 16:30

合人社ウェンディひと・まちプラザ

北棟6Fマルチメディアスタジオ

入場料  前売り券は500円。当日券は600円です。

主催 福島と広島をつなぐ、もみのきの会

 

  

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コメント

卒業おめでとうございます
うちの子も、いまだに学校と担任のことが
大好きです。
今は校長の、当時は一国語の先生も(笑)

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。人生のどこかで、尊敬できる「師」に巡り合えるって有難いですね。全ての若者がそんな「師」に出会えますよう。

2017年2月26日 (日)

第5回ワンコインシンポジウム ――ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017――  


5回ワンコインシンポジウム

――ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017――  

 

来週の日曜日、35日の午後1時半から、福島と広島をつなぐ、もみのきの会」主催の第5回シンポジウムが開かれます。テーマは「託されたもの――大地と人と。」です。袋町にあるひと・まちプラザの6階、マルチメディアスタジオでのシンポジウムのメイン・スピーカーは、ふくしまの樽川和也さんです。

 

             

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樽川さんの略歴は、1975年、専業農家の8代目として福島県須賀川市に生まれる。青森の大学で機械工学を学び、いわき市で会社勤めを経験。10年前から実家に戻り、父とともに農業に従事。原発事故後も放射能汚染と闘いながら、先祖から受け継いだ4haの農地を守って米を作り、胡瓜やブロッコリーなどの野菜作りに勤しむ。「生業を返せ、地域を返せ! J福島原発訴訟に原告として参加している。

 

樽川さんのメッセージは次の通りです。

 

わたしたちは、農の民です。

土を耕し、土からの恵みを受け、

土とともに生きてきました。

その土が理不尽にも汚された今、

わたくしたちは、どのように

生きていけばよいのでしょうか。

答えはありません。

ない答えを探すため、

わたしたちは、きょうも

土を耕し、土とともに

生きています。

 

ない答えを探すために、ひろしまからは、詩人でオピニオン・リーダーとして力強い活動を続けているアーサー・ビナードさんそして私が参加します。

 

福島と広島をつなぐ、もみの木の会のホームページも御覧下さい。

 

再度、シンポジウムについての情報をまとめておきます。

 

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ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017 第5回シンポジウム

テーマ:  「託されたもの--大地と人と。」

201735() 13:30 ~~ 16:30

合人社ウェンディひと・まちプラザ

北棟6Fマルチメディアスタジオ

入場料  前売り券は500円。当日券は600円です。

主催 福島と広島をつなぐ、もみのきの会

 

 

沢山の皆さんの御参加をお待ち致しております。

 

 

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2017年2月25日 (土)

論理と合理を捨てる ――その代りに「孤高の日本」そして「America First1」――  


論理と合理を捨てる

――その代りに「孤高の日本」そして「America First1」―― 

 

嘘を平気で吐きその時その時のテレビ受けを狙って過激な発言をし、差別的発言を繰り返しながらトランプ氏は大統領になりました。多くの人たちには毛嫌いされながら、それでも彼は信じられないほどの共感を得、多くの人たちの心をつかむことに成功しました。それは何故なのかを考える上で、ベストセラーになった『国家の品格』を下敷にしようと考えたのは、著者藤原正彦氏が「論理と合理」を諸悪の根源として糾弾しているからです。「論理と合理」の対極にあるような選挙運動を展開し勝利したトランプ氏の言動を理解する上でこれ以上の枠組はないかも知れないと思えたからです。それも日本的な背景を舞台に書かれ多くの人に読まれた一書ですので、私たちには分り易い材料でもあります。

              

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 『国家の品格』で、何を伝えたいのかを著者は「はしがき」で明確に述べています。

 

戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまったのです。

(中略)

欧米支配下の野卑な世界にあって、「孤高の日本」でなければいけません。「孤高の日本」を取り戻し、世界に範を垂れることこそが、日本の果たしうる、人類への世界史的貢献と思うのです。

 

このことを著者は7章にわたって情熱的に「証明」しています。論理は駄目だと主張している藤原氏が数学者であることは御存知だと思います。その結果、やはり数学者としての資質は捨て去ることはできなかったからなのだと思いますが、『国家の品格』の構成は論理的に実にしっかりしています。だからこそ、多くの人の共感を呼んだのだと思いますが、当然、藤原氏御本人もこの「矛盾」には気付いていたのではないでしょうか。

 

さて、『国家の品格』の内容を簡単にお浚いしたいのですが、第一章「近代的合理精神の限界の限界」では、現代世界の荒廃の原因が近代的合理主義の限界であることを、いくつかの例を引きながら説いています。

 

本書の構成上、それ以上に重要なのは第二章「「論理」だけでは世界が破綻する」です。そこでの主張は「どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底していくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります。」で、「これからそれを証明したいと思います。理由は四つあります。」との宣言の後、四つの理由が挙げられています。

 

 論理の限界

 最も重要なことは論理で説明できない

 論理には出発点が必要

 論理は長くなりえない

 

それぞれの内容については、大方御理解頂けると思いますが、③と④は少し説明が必要かもしれません。そのために、『「国家の品格」への素朴な疑問』 (吉孝也/前川征弘著・新風舎刊) に登場して貰いましょう。略して『疑問』と表記します。コメント付きの4つの理由の内容を理解して頂ければと思います。

 

「私は、人間社会は、論理だけで動いているわけではないと考えています。ですから、人間社会の問題解決にあたって、科学の問題を解くように論理を辿れば、一つの正しい解に行き着くとも思っていません。しかし、人間社会の問題解決においても、理性的・論理的に対応しないと、陰謀によって罪なき人が抹殺されるような、中世の暗黒が蘇る可能性があると怖れています。」

 

ですから、①についても②についても趣旨には問題がないという立場を取っています。『疑問』の異議は、それらの点を「証明」するに当って『国家の品格』中で取り上げられている事例の適切さと、それらが社会の中でどのような位置付けをされているのかという点が中心になっています。そして、①の結論とでもいうべき部分で『国家の品格』が主張している「重要なことは押し付けよ」については次のような反論がなされています。

 

「ところで、著者が言う重要なものとは、どのような集団の中で、誰にとって重要であり、誰に押しつけるかということです。著者は、どうやら日本という集団を意識しているようですが、あまりにも集団の規模が大きすぎるので、さまざまな問題が起きます。このような大きな集団では、重要なことを誰が決め、誰の手を借りて、どこで、どのように押しつけるのか、その合意形成が難しいでしょう。重要なものの具体的なイメージも、誰にとって重要かもいまだわかりません。」

 

「重要なことは押し付けよ」、あるいは「問答無用」と言って有無を言わさず自分の意思を通すことと、次の③とは大きな関係があります。

 

③で、藤原氏が指摘しているのは、数学なら「公理」と呼ばれる前提が必要だということです。それがなければ、「AならB」という論理の流れが作れないからです。そしてその前提が「重要なこと」である場合には「押し付けよ」が正当化される、というのが藤原氏の主張です。この点についての『疑問』のコメントの一部です。

 

「論理に出発点が必要なのは、自明のように思われます。しかし、私は、人間の現実の世の中では、論理の出発点とは何かはっきりしません。また、常に出発点が必要だとは思いませんし、仮説を立てて議論するものでもないと思います。人間社会の現実の諸問題を解決するには、論理的な帰結を求めるのではなく、現実に採りうる最善の方法の模索と、採用しようとしている方法が、関係者に最善だと思わせ、多くの人の賛同を得ることが重要だと思います。」

 

その出発点としては、次のような可能性を提案しています。

 

「ところで、著者の言う論理の出発点とは、昔、指導者に要求された仁徳や人生観
などに裏打ちされた総合判断力のことだと思うのですが、違うのでしょうか。」

 

そして④は、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の危うい因果関係を指しているのですが、これは、誰でも理解できることでしょう。同時に藤原氏が指摘しているのは、ワンステップやツーステップという短い論理的な結論にも問題があるということです。「国際化が大切、だから英語」というような短絡的な論理に騙されてはいけない、ということです。長くてもダメ、短くてもダメ、だから論理はダメという結論だと考えられそうです。

 

さて、このようなお膳立ての後に、本論が控えています。

 

 

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