環境

2017年8月15日 (火)

8月のブルーベリー農園その1

 

8月のブルーベリー農園その1

 

安芸の郷の3つの事業所が一緒に行う第14回森の工房AMAブルーベリーまつりは森の工房AMA、第2森の工房AMAを会場にして85日(土)に開催され1400人を超える人たちで賑わった。

 

まつりの名前が「ブルーベリー」なので、大量のブルーベリーを用意して、1キロと100gパックにして販売しないといけないので7月末からまつり前日まで東広島市豊栄町のブルーベリー農園で摘み取った実を森の工房AMAに届ける毎日だった。まつりが終わると今度は生食の1キロパックの予約注文を受け付けるので、休む間もなく摘み取りを続けるが、摘みとりは安芸の郷としゃくなげファームの利用者の研修受け入れ、安芸の郷のボランティアの皆さん、農園の友人知人の方々のご協力で進む。感謝の日々でもある。

 

1_2

農園には太陽が照つけ続け、気持ちのいい空が広がる。(813日)

 

2_2

「さあこい」と言わんばかりのブルーベリー。(ラビットアイ系ティフブルー)

 

3_2

一番下の畑に入り(812日、矢野民児協、ボランティアグループ森のくまさんの皆さん)

 

4_2

山の西側に入ってブルーベリーを摘み取る。(811日。農園の友人知人の皆さん。こちらは親子連れ)

 

5_2

昼休憩。離れ、縁側、軒先とお気にいりの場所で昼食。(812日)

 

6_2

山や畑で摘み取りをしていた皆さんが午後の休憩で摘み取ったブルーベリーをもって母屋に移動。待っているのは、

 

7_2

ブルーベリージュース。みんなで摘み取った実とグラニュー糖、氷を入れてミキサーにかけて出来上がり。暑い中の摘み取りの後のジュースは皆さん絶賛。(813日)

 

9月上旬まで多くの皆さんのご協力で収穫作業が続き、森の工房AMAに納品されていく。

 

8_2

隣の田んぼの稲は早生の品種らしくもう稲穂がたわわについている。

 

9

山のブルーベリー園の法面のナデシコ。(813日)

 

10

同じ法面にハギの花も咲きだした。(813日)

 

標高約400mの農園の周辺はそろそろ秋の気配。でもブルーベリーは40日間かけて実っていくのでまだ半分が残っている。森の工房AMAの注文もたくさんはいている。後半、もうひと頑張り。

 

2017814日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

[お願い]

 

この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

 

広島ブログ 広島ブログ

2017年8月 6日 (日)

被爆72周年原水爆禁止世界大会 国際会議 ――なぜ日本で脱原発が進まないのか?――

被爆72周年原水爆禁止世界大会 国際会議

――なぜ日本で脱原発が進まないのか?――

 

被爆72周年原水爆禁止世界大会の二日目は分科会と国際会議が開かれました。その他に、「ひろば・ワークショップ」等のイベントもありました。全てについての報告をするには時間がありませんし、スペースも限られていますので、以下、国際会議のホンのさわりだけです。

 

               

20170805_17_54_50

             

 

開会挨拶は世界大会実行委員長の川野浩一さん、その後のキーノートスピーチは事務局長の藤本泰成さんでした。パネル・ディスカッションのメンバーは、壇上の写真の右から、発言順でもありますが、司会の伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)、九州大学教授の吉岡斉さん、台湾大学教授のシュウ・グァンロンさん、そして韓国の環境省中央環境政策委員のイ・ユジンさんです。上の写真でイさんのプレゼンテーションを横で同時通訳しているのは、キム・ポンニョさんです。

 

パネリストの発言からもそしてフロアからのコメントどちらからも、これまで知らなかった多くのことを学べましたし、テーマの「なぜ日本では脱原発が進まないのか?」という現状認識そのものについても、ちょっぴり修正が必要なのかも知れないとさえ感じるようになりました。

 

日本・台湾・韓国の大きな違いはそれぞれの国のトップの姿勢です。今年の一月には「全ての原子力発電施設は2025年までに運転を停止する」という法改正を行った台湾の蔡英文(ツァイ・インウェン)総督、選挙公約に掲げた脱原発を大統領就任後、公的に宣言した韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と比較すると、全く異質なのが、世界に原発を売り歩く安倍晋三首相です。にもかかわらず、脱原発の方向に向かっているという客観情勢を指摘してくれたのが、吉岡さんでした。

 

 再稼働される原発の数には上限がある。

まず、201255日から75日にかけての2か月間、稼働していた原発はゼロ、そして20139月から20159月までの約2年間も、原発ゼロ状態が続いた。201785日現在、運転中の原子炉は5基。今年中には玄海34号機が再稼働する見込みだが、それでも7基。

福島事故前に法的に運転可能な原子炉は54基あったが、福島第一原発の6基を含め、12基が廃止された。つまり、原子力規制委員会の審査をパスすれば運転可能な原子炉は現在42基ある。その中で、5基しか動いていない。大半は停止したままだ。

今後、再稼働する原子炉の基数は少しずつ増えると予想されるが、安全性の難点、立地自治体の反対、電力会社がコスト・リスク回避のため原子炉廃止へ動く可能性などを考えると、2020年ころに最大15基〜20基で、これがピークになるだろう。

新増設がなければ老朽化とともに減少しゼロに向って行く。

 

 行政レベルの原子力政策

民主党政権は20129月、原発の新設・増設は行わず、2030年代までに原発をゼロにするという目標を掲げた。しかし、201212月の衆議院選挙で情勢が変り、安倍内閣は原子力政策の基本を福島原発事故前に戻し、出来るだけ多くの原子炉の再稼働を目指しているが、すでに指摘したように実績は芳しくない。

 

 日本で脱原発を進める根拠――原子力は万人を不幸にしているから

以前は「多くの人を不幸にしている」と言っていたが、今は「万人」に改めたい。一部利益を得ている人々もいるが「原発さえなければ」の思いは、多くの人に共有されている。

[立地地域の住民の損害・被害についても詳しい説明がありましたが、福島のフィールドワークの報告等をお読み頂きたく、今回は省略します。フィールドワーク第一日目第二日目三日目]

都市住民も損失を被っている。過酷事故による生命・健康・財産リスクは都市住民にも及ぶが、過酷事故の後始末コストを含めたコストは火力より高く、その結果、無用の電気料金を払わされている。

電力会社は加害者だが、被害者としての面もある。東京電力は国家資金の投入がなければ存続できない会社になり、東芝は原発輸出に社運を賭けたが、子会社のウェスティングハウス社の巨額債務により存亡の危機にある。

   

 原発なしでも電力供給は問題ない

世論調査によると、国民の多数派が原発の即時または将来の脱原発を支持している。再稼働についても過半数は批判的。

脱原発世論の第一の要因は、福島の原発事故。

第二の要因は、原発の大半が停止していても電力不足に陥らない事実。それは、電力自由化前に過剰気味に発電施設が作られたことと、エネルギー消費の急速な減少による。リーマン前の電力需要のピーク時と比べると2015年には、14.4%の減少になっている。原発が電力需要の3割を賄っていたのだから、残りの約15パーセントの中、約5%は再生可能エネルギーで、残る10%は、人口減・労働力減も含む様々な省エネで圧縮できる。

 

 脱原発を進める政治体制作り

  国会の衆参両院における多数派により脱原発政権が作られ、数年以上にわたり政権を維持し、粘り強く脱原発に関連する法令体系の整備を進めることが必要。ドイツでの経験から、脱原発が政治的に決定されてから10年くらいは掛ると覚悟した方が良い。

  脱原発政権誕生前にも、また脱原発政権を作るためにも有効な手立ては多くある。

(1) 住民投票制度の活用

(2) 裁判による意思表示

(3) 国レベルでの市民の側に立つ専門家集団による政策決定権独占への挑戦

(4) 地方自治体による脱原発のための施策展開

(5) 自治体首長の活用

 

脱原発が進まない理由は政治の貧困さにある、と言ってしまうとあまりにも陳腐かつ一般的な表現でしかなくなるような気がしますが、それは、安倍政権の醜態にようやく気付いた大多数の市民が、遅かれ早かれ諦めてしまうかも知れまないという、これまで繰り返されたパターンが頭を過ぎるからかもしれません。吉岡教授が描いてくれた鳥瞰図は、流行り廃れの激しい世の中でも、希望の持てる大きな流れのあることを示してくれています。これをもっと多くの人たちに共有して貰うことで、核兵器禁止条約ができたのと同様の成果を挙げることが可能だと確信できました。

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

 

広島ブログ
広島ブログ

2017年8月 2日 (水)

ラジコンヘリでの農薬散布 ――安全性は大丈夫?――

 

ラジコンヘリでの農薬散布

――安全性は大丈夫?――

 

数日前の昼過ぎ、近くの田圃でかなり大きな音がするので窓から見ると、ラジコンヘリが飛んでいました。しかも、時々液体を散布しているようです。恐らく農薬だと思うのですが、暑い最中、家中の窓を開けていますので、風に乗って臭いが入り込んできます。

 

               

20170801_23_06_02

             

 

安全なのかを確認しようと外に出て話をしたのですが、どうも要領を得ません。いくつもの田圃で農薬散布をしているのですから、田圃の持ち主ではないかもしれませんが、御近所さんの可能性もありますので、「厳しく追及する」のではなく、「素人なので安全なのか心配です」というくらいの調子でいくつかの点の確認をしようとしました。

以下、会話の結果分ったこと、分らなかったことです。相手の言い分をそのまま書いた部分が多くなりますが。

 

 数人の方が関わっていましたが、どなたなのか、どのような団体なのかは分りませんでした。

 「協議会を作って県の指導を受けて散布している」

 「撒いているのは農薬」

 「人畜に害がないように薄めてあるので問題はない」 (でも、稲の病虫害には効果のある農薬が、100パーセント無害だとは考えられない。農薬の種類や希釈度等のデータは提供すべきでは?)

 「ヘリが低い位置にいる時にしか散布していないので、広がらない」 (でも、写真から分るように家の屋根より高い位置で噴射はしている)

 

このような方法で農薬を散布していても、100メートルも離れていない家で農薬の被害を受けることはないのか、県でもそれ以外の主体でもデータを持っているはずなので、そのデータを見せて欲しいとリクエストしましたが、見せてくれるのかどうかの確約は取れませんでした。

 

数日待って、連絡がなければ県に問い合わせをしようと思っていますが、農薬散布について知識のある方がいらっしゃれば、安全性について御教示頂ければ幸いです。

 

田圃の近くに住む以上、稲作をしている人たちの生活にも配慮するのは当然だとは思いますが、健康にかかわる問題ですので、こちらにもそれなりの配慮があっても良いのではという気持もあります。

 

例えば、農薬が空中に止まる時間がどのくらいかは分りませんが、仮に短時間で拡散してしまうのなら、散布時間中は家の窓を閉めておくという自衛手段を取ることは可能です。しかし、それなら事前に通知する等の手続きがあっても良さそうなものなのだと思うのですが―――。

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

コメント

農薬の空中散布は航空法による許可と農薬散布における申請が必要ですが、実施にあたり許可証の携帯は義務付けられていますし、近隣住民への周知徹底や人はもちろん野生生物への影響なども考慮した対策が求められています。

ただ、日本は大気汚染についての基準は甘く、そのために兵器にもなりうるほどの高性能小型無人ヘリが開発されたといわれており、基準そのものは満足していても安心できるものではないことも付け加えておきます。

メディアは花粉の飛散情報は伝えても命に関わる(年間4万人の日本人が亡くなるとされる)PM2.5の飛散情報は流しませんし、2011年3月14日から関東に大量に降り注いだ放射性物質についても報道することはなく、政治家の家族など一部の人を除き、多くの人が避けられたはずの内部被曝をしたというのが現実です。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。おっしゃる通り、大気汚染についての意識はまだまだですね。

稲に農薬を散布するのは、1000粒に2粒以上の「斑点米」が混じらないよう、カメムシ等を駆除するためだというネット情報がありました。

http://ilikeeveryone.jugem.jp/?eid=204

混じっても味は変らないそうなのですが、味は同じでも曲ったキュウリが売れないのと同じ理屈で、危険物質の空中散布につながっているのでしょうか。

その他、たばこの副流煙も含めて、大気汚染についての意識が高まるよう何かしたいですね。

2017年7月31日 (月)

7月のブルーベリー農園

 

        7月のブルーベリー農園

 

広島市豊栄町のブルーベリー農園は妻の実家であり、7月はこれまで家族でコツコツとブルーベリー栽培を続けてきた成果が約40日つづく実りの季節をもたらしてくれるのでうれしいが、気ぜわしい季節となる。

 

ブルーベリーの摘みとりは家族だけでは無理なので、安芸の郷にかかわるボランティアグループ、農園の友人知人、そのまた友人知人、職員といった方々が援農においでいただくのでにぎやかになる。


1

梅雨が明けて夏雲が暑い夏を象徴し、木々の緑は濃く青さを増す。手前のブルーベリー農園は実りの季節。717日(月)

Photo


田んぼの稲は青さをまし、どんどん伸びる。畦の草は刈ってもルドベキアの黄色い花は刈らずに残して景色にアクセントがつく。(77日)

 

P7216860


721日から安芸の郷の3事業所の摘み取り研修がこのブルーベリー農園で始まる。車で約70分かけてこの日からブルーベリーの摘みとりスタート。とった実は持ち帰り選別、加工に回される。


Photo_2

724日からはブルーベリー農園の隣町の福富町にある障害者の事業所「しゃくなげファーム」からも参加して摘み取り研修が始まる。ベニヤ板に15mmの穴をあけて大きさに迷ったらこれに合わせて点検する工夫が研修らしい。


Photo_3

ブルーベリーの実り具合が本格的になってきたのに合わせて29日、30日の土日からボランティアの皆さんが摘みとり援農においで頂く。(730日)



Photo_4

炎天下の合間の休憩時間は、みんなで摘んだとれたてのブルーベリーを使った冷たいジュースを飲んだりして会話がはずむ。


Photo_5

29日午後2時ごろの雷雨、雨が激しく降る。


Photo_6

29日の午後の雷雨の合間のブルーベリーの実。28日も午後から雷雨だった。

85日が安芸の郷の第14回森の工房AMAブルーベリーまつりが午後4時半から開催されるのでブルーベリーの実もたくさんストックしておかないといけないので、収穫後のブルーベリーは安芸の郷のコンテナ型の冷蔵庫に保管される。

摘みとりは9月上旬まで続く。

*お知らせ。安芸の郷のほかに紙屋町の地下街シャレオの本通りそばの「ふれ愛プラザ」で火曜日、金曜日の夕方100gパックを納品しており、おかげさまで好評。


Photo_7

ブルーベリー園の周囲に住むキジも元気そう。(729日雨上がりの夕方)


Photo_8

イトトンボ(717日)

2017731日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

[お願い]

 

この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

 

広島ブログ 広島ブログ

2017年7月16日 (日)

クマゼミが鳴き始めた

クマゼミが鳴き始めた

 

715日朝。8時頃「シャンシャンシャン」の音。クマゼミの夏の第一声だった。空は薄く曇っているが「梅雨は終わり!夏じゃっ!」と言われているよう。以下は狭いベランダの朝の様子。

 

P7156774

3階のベランダの前のイチョウの木でクマゼミは鳴いている。

 

P7156770

目の高さの位置にとまって鳴いている。

 

P7156772

これから盛夏中に毎朝このイチョウの木にとまっては鳴き続ける。今住んでいる船越は山が近いのでセミも多い。小学生の頃はクマゼミ取りに夢中になっていたが・・・。

 

P7156782

ベランダに咲いている花。ルリトラノオ。

 

P7156778

夏中しっぽが長く伸びながら先に向けて咲き続ける。

 

P7156779

乾燥に強いローズマリーも先週位から開花。

 

P7156781

1個だけついたオリーブの実。去年も1個だった。

 

 

2017715日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ
広島ブログ

2017年7月 6日 (木)

家族でロンドンに行ってきました。その2

 

家族でロンドンに行ってきました。その2

 

フードマーケットの禁煙ゾーン

 

1_2

2日目の午後からウインブルドンにある大学の卒業制作展の会場に行く。娘の作品はその入り口にあった。学生に示された卒業作品のテーマは「移民」だそうで、私の父の姉と母の兄もハワイに移民しておりその事実を織り込んで作られた作品となっている。移民はヨーロッパだけの問題ではないことに気づかされた。先生や学生の方に紹介されながら会場の作品を見て回った。

2_2

滞在中は毎日地下鉄を使って移動していたので、車窓からの景色の中に中国が原産地のブッドレアの花が沿線にたくさん咲いていた。写真のようにこぼれ種から生えて駅ホームの間にも咲いている。ウインブルドンの住宅の庭にもアジサイとともによく植えられていてどこか見慣れた風景を連想させる。(ウインブルドンまでの地下鉄は地上に出ている)

 

3_2

ロンドン交通局発行のオイスターカードが便利だった。滞在中の移動はこのカードを一人1枚購入していたので移動がスムースにできた。そして安い。使用エリアはロンドン中心部からゾーン制で1から6までありウインブルドンは3のゾーンになる。このゾーンの7日間のトラベルカードを38.7ポンドで購入して、写真のオイスターカードにチャージさせて使う(娘の説明)。バス、地下鉄の改札口で日本と同じようにカードを読み取り機にカードを押しあてればよかった。広島でもイコカカードがJR、広電などの電車やバスに使えるようになっているが、割引率は随分差があるようだ。

 

4_3

大英博物館のカフェ。サンドとともにたくさんのスイーツが並ぶ。飲み物と、サンドと、スイーツでお腹がいっぱいになる。特別展示会場は「北斎」展が行われていたがパス。ビッグウエーブとして人気が高いことが分かった。

館内散策の途中、階段の踊り場に展示されているコバルトブルーの大きな花瓶が突然目に入った。「ひょっとして東広島市で作陶している木村芳郎さんの作品?」と説明書きをみると確かに木村さんだった。東広島市に勤務していたので、木村さんが西条町に窯を開いたころから存じ上げていたがここで作品にお目にかかるのも旅の楽しさか。

 

5

ウインブルドンの借りている家の近くのパン屋さん。朝7時から開いている。パンの他にてんこ盛りのマフィンなど菓子パンもたくさん並べてある。

 

6

ロンドン、ヴィクトリア駅近くのカフェ(モロッコ料理)で時間つぶし。交差点を行き交う人々は様々な国のひとでいっぱいで人の流れを飽きることなく眺める。

昨夜は夜遅くまでミュージカルを見てホテルに一泊した。前々日予約で「キンキー・ブーツ」が19ポンドで一番後ろの席が取れたので鑑賞。地元の高齢女性たちが2階席に陣取ってしきりと掛け声をかけ最後は総立ちの拍手だった。歌も踊りも演奏もシッカリしていて家族全員で楽しめた。

また街中のポスターで広島を舞台にしたアニメ「この世界の片隅に」があったが、娘によるとイギリスでも好評なのだそうだ。

 

7

最終日。ヒースロー発上海行の飛行機は夜の9時20分発。バスで時間をかけていくことにして午前中から昼にかけてフードマーケットの「バラ・マーケット」に行く。線路のガード下やアーケードの中に色々な食材を扱い、すぐに食べられるものが色々ある。

 

8

マーケットに掲げられている看板には禁煙のマークもある。屋内全面禁止もまだできていない日本に比べ、ロンドンオリンピックを経験したこの都市では、このアーケードと屋外テントの店がたくさんある半屋外のエリアでも外でしかタバコは吸えなくしているので、誰もが気持ちよく利用できるマーケットになっていた。それと犬もダメとある。

2020年の東京オリンピックまでに屋内全面禁煙や、受動喫煙防止のタバコ規制の法律は間にあうのか。このブログサイトでも62日付けの「531日は世界禁煙デー」で紹介しているように、一日も早く実現しないといけない課題だと思う。そうでないと世界にたいして恥ずかしい。

 

9

8日間家族と過ごした住宅。右のドアから上がって3階の2つの窓のある部屋がそれ。ここからタクシーでロンドン市内のホテルに1泊して帰途についた。ちなみに次の借主は73日から始まるテニスのウインブルドン大会に出場する選手だそうだ。タクシーからちょっとだけセンターコートの建物が見えた。

 

10

終わりに、3つ目の花。ロンドンから100㌔あまりの国立公園内のセブンシスターズの丘に咲くバラ(たぶんハマナスの一種)

 

201776日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

[お願い]

この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ 広島ブログ

2017年7月 5日 (水)

家族でロンドンに行ってきました。その1

 

          家族でロンドンに行ってきました。

          その1-障害者割引適用の体験

 

イギリスのウインブルドンの大学に行っている娘が7月に卒業なので、その前に卒業制作展を見に行く目的で620日から628日まで家族3人が広島からロンドンまでの長旅を行った。

滞在中の家族の希望は、①大学の卒展に行き、先生や学生に会うこと。②息子は大英博物館、ロンドン交通博物館、自然史博物館見学、2階建てロンドンバスに乗ること、④妻はバッキンガム宮殿の衛兵の交替式の見学とロンドンバスで市内巡り、③私は大英博物館見学とチャンスがあればミュージカル鑑賞、④娘はセブンシスターズを案内する、というものだった。

そのなかで印象的だった事柄を紹介したい。

1

ヴィクトリア&アルバート博物館のアジサイ。アーツ&クラフト運動でいられるウイリアム・モリスの手掛けた2つの部屋はカフェになっているが、その前の中庭の両サイドの壁周りはすべてアジサイで今が満開。花が斜めに盛り上がるように計算されて剪定されているようだ。イギリスの風景に日本のアジサイは溶け込んでいた。この博物館も無料。

2

ウインブルドンの住宅の庭のアジサイ。日本原産のアジサイは今日広くヨーロッパで鑑賞用として愛されていることがよくわかった。

3

ロンドンの交通博物館でのできごと。(ロンドンに行く前に息子がしっかりチェックしていたJTBパブリッシンク・イギリスより転載)。

4

館内の様子。馬車で引いていた昔からロンドンバスは2階建てでその変遷がよくわかった。

この博物館は有料で、18歳以下は無料、大人は16ポンドだった。他に優遇措置がある表示があったので入り口の受付で娘が、兄が知的障害者であることを申し出たところ、結果的に本人と付き添う父の私が1名半額で入場できることになった。

 

学生らしき受付の女性は落ち着いて対応し、分からないところがあるので担当の職員の指示を受けて、本人と付き添い者の名前を求められたのちチケットを発行してくれた。その際付このチケットに付き添いの私のサインを求められ署名したところ、次回来るときにこのチケットを提示すれば入場できることを説明された。受付のコンピューターにもその旨入力されたようだ。

 

日本ではこうした場合必ず息子の療育手帳の提示を求められるのだが、この博物館では私たちの申し出と息子の様子を確認しただけでこうした扱いを行って頂けた。担当者の表情、所作に何の動揺もなかったのにも感心した。

 

他にも電車や、地下鉄に乗った際にも息子の様子を瞬時に見て席を譲ろうとする人たちもいて乗り物も安心して利用できた。ベビーカーに子どもをのせた母親たちも、臆することなく堂々と利用し、周りがすぐに席を譲り、時には会話も弾む光景もほほえましかった。

 

日本の場合、たとえば平和公園の資料館にお見えになる外国人の方々にもこうした対応ができるかどうか考えさせられた。資料館の案内には障害者の場合、「手帳をお持ちの方」、65才以上の方の場合、「年齢を確認できる公的証明書の提示」となっているが。証明する物の提示を求められるのが常だ。また、有料対象も小学生までだが、18歳未満にならないかなど。

 

5

ウインブルドンに借りた部屋からみる住宅街は一方通行。道路の向こうがメインの道路。これらの住宅の様式はどれもほぼ一緒で、下から、半地下、1階、2階、3階、屋根裏部屋となっているものが多い。私たち家族が借りたのはこうした建物の3階のフロアで屋根裏部屋はなかった。

滞在中道路工事が始まり、終わるまで見ることができたが歩道の下30センチくらいにあるケーブル(有線か通信のどちらか)をつないで反対側の住宅まで配線をしているらしかった。日本の地下に埋めるケーブルなどはどれも規制が強く1m以上の深さが殆どなのでコストは随分低くてすむと思った。

6_2

滞在中の食事。朝ごはん。焼いた卵の色が薄いのも面白い。キッチンもあるので毎日ウインブルドンの駅前の3軒のスーパーマーケットで買い物をして朝夕食事を作り、食べ、洗濯をし、掃除をして出かけ、外食はファーストフード店が便利でほとんどこういった店で済ませた。

 

201775日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

[お願い]

この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ 広島ブログ

2017年7月 3日 (月)

蛍の里に住んでいました ――家の庭にまで飛んできてくれていました――

 

蛍の里に住んでいました

――家の庭にまで飛んできてくれていました――

 

つい最近、御近所の方から教えて貰って、家の近くの川と農業用水の周りに蛍が生息していることを知りました。この二日間、幸い雨が上っていましたので、夜を待って蛍を探しに外に出てみました。でも「探す」までもなく、たくさんの蛍が飛び交っていました。道から足を踏み外さないように、でも蛍には光を当てないように注意しながら懐中電灯を一時的に点けて、水辺まで行きました。

 

三脚を使って、絞りは全開にして時間を掛ければたくさんの蛍のイメージをお伝えできるのですが、スマホで撮った写真では、ようやく一二匹の姿を捉えるのが精一杯でした。

 

             

20170702_22_14_20

               

左の方に一匹。下は川です。

 

 

2_20170702_22_14_59

今度は二匹の蛍が写りました

 

よく見ると、我が家の庭まで蛍が飛んできてくれていました。全国的にも蛍が減少したり絶滅したりする地域が増えているようですので、この辺りでもその心配をしなくてはなりません。近くの畑や水田の農薬使用量が増えませんようにと祈りつつ、そして光の害その他の人害で蛍が悪影響を受けないよう気を付けながら、蛍の来訪を歓迎しています。

 

蛍が通って行く後を追うと、西の空には、半月そして金星がきれいに見えました。それも写真に撮りましたが、スマホには半月の形まで写す能力はなく、金星は月の光との相対的な強さで写っていませんでした。肉眼での自然との触れ合いに感謝しながら、しばらくの間、天が与えてくれた恵みを大切にしたいと思います。

 

20170702_22_15_31

月は半月で、金星は画面の中央近くなのですが――

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2017年6月27日 (火)

福島原発被災地フィールドワーク➂ ――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

フィールドワーク最終日の626日(月)は8:30にホテルを出発し、昨日は霧のため十分には見ることのできなかった浪江町から始めて、大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町(福島第一原発近くの線量の高い地域)を視察しました。バスから降りて現地に触れ、また高線量の場所ではバスからの視察も含めて広範囲を訪れることができました。

 

案内役はいわき市議会議員の狩野光昭さんです。昼食(弁当)は、時間の関係でいわき市から郡山市への移動中のバスの中で、その後「まとめ」を行い、13時過ぎに郡山駅で解散しました。

 

浪江町では、避難指定解除後、帰還の準備をする中で必要性が強くアピールされた商店街を役場の敷地内に公設民営の形で作った「浪江町マルシェ」を視察しました。担当の係長さんの説明によると、飲食店は需要があり黒字だがその他の店は苦しい経営状況であること、日曜日にも開店していて欲しいという要望も強いことなどの現状が分りました。

 

             

20170626_16_02_48

               

開店前のマルシェ

 

また、全部で10店がこのマルシェには開店してくれたけれど、必要な商品全てが揃っている訳ではなく、薬局は町外に出て買い物をするしかないこと、生鮮食料品を扱うスーパーがないこと、そして本格的ホームセンターのないことで、帰還のための条件が必ずしも整っていないことにも言及されました。

 

その後国道6号線を南下して福島第一原発のある双葉町に入り、できだけ原発に近い場所までバスで入る予定だったのですが、6号線から原発に至る道が閉ざされていて残念ながらその場からの写真を撮るだけに終りました。

 

次に、楢葉町の太平洋に近い場所にある天神岬公園から海を臨み、また、除染物質の減容施設と自治体毎にまとめてフレコンバッグの集積を行っている施設を上から俯瞰しました。

 

 

20170626_16_01_34

 

今日通過した地域の中にはまだ帰還困難区域の指定のあるところもあり、信号機とともに表示されている線量も2.00を超えているなど、昨日とは桁の違う数字を現実として目の前にして、緊張感が走りました。残念ながら高線量を示しているモニターの写真は上手く撮れませんでした。

 

次に、自治労はつかいちユニオンの生永裕行さんが、最終日の案内人、狩野光昭いわき市議による原発作業員についての報告をまとめてくれました。

  

いわき市議会議員の狩野さんからは、原発で働く人々の健康被害や労働条件の酷さについての話がありました。現在、廃炉作業と除染作業にそれぞれ毎日6000人の作業員が従事しています。

 

作業員の中には、ごく一部ですが、賃金未払いや雇用契約に悩む作業員もおり、原発労働者相談センターを20152月に立ち上げ、労働問題の解決に取り組んでおられました。 作業員は全国から福島県に集まっており、福島県だけでなく、全国で労働者教育に取り組む必要があると感じました。

 

ボランティアとして調査活動を行いながら、原発労働者の相談センターを運営していることから得られた貴重なお話を伺うこともできました。

 

また、黒いフレコンバッグが山積みになっている様子を見ると、街が元の姿を取り戻すまでには、相当な時間を要すると思いますが、これからが本当の復興の正念場だと感じました。

 

 

さらに狩野議員からは、原発の建設、運営で膨大な利益を上げてきたゼネコンが、原発事故後も除染や防潮堤の建設、その他の様々な建築工事でさらなる利益を得ている構造についての指摘もありました。

 

今回の3日間にわたるフィールドワークで感じたことの一つは、チームワークの大切さです。一人で経験したのではなく、10人が福島で時間を共にすることで理解や共感が深まり、より豊かな全体像を把握することが可能になりました。

 

その全体像は現地での「体感」「体得」に基づいています。例えば、避難指定が解除されている地域で民家の9割方には誰も住んでいない様子を直接目にすることで、また物を買える店も周りにはない上、子どもたちの姿も見えないことから、帰還の難しさを肌で感じることが可能になったのです。

 

帰還できないのは、放射線量の高さが主な原因ですが、これも線量計の数値を現地で確認しながら問題の深刻さや理不尽さを共有できたと思います。

 

20170626_17_02_42


そしてこれほど大規模かつ長期的、深刻な状況を創り出してしまった責任についての国や東電、原子力ムラの言動は許しがたいこと、またこうした事態がこれからも続くことが明白であるにもかかわらず、「収束化」を図ろうとする国や東電、原子力ムラに対して、私たちが声を上げ続けなくてはならないことを改めて強く感じました。

 

今回、福島で私たちのフィールドワークのために貴重な時間を割いて下さった多くの皆様に心から感謝しつつ、新たな決意を固めたことを再度、強調します。

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2017年6月26日 (月)

福島原発被災地フィールドワーク② ――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

フィールドワーク2日目の625()は、朝 8:30 にホテルを出発して飯館村役場へ。

 

研修IIは、飯館村の視察でした。視察させて頂いたのは、331日に居住制限区域解除された地域、そして除染物質集積作業です。案内役は前福島地方平和フォーラム事務局次長の菅野幸一さんでした。

 

飯館村では、今年の331日に、帰還困難区域である長泥地区を除いて「避難指示解除準備区域・居住制限区域」の避難指定が解除されました。今日の視察では、その一番南の端にある「減容化施設」の前――それは帰還困難地域としての指定が続いている浪江町との境界近くなのですが――まで、飯館村内の状況をつぶさに見ることができました。

 

                 

Photo

           

 

減容施設からの帰り道は「飯館発電」という名前で、村民の皆さんが中心になって進めているソーラー発電事業の現場を体感することができました。

 

20170625_16_28_13

 

視察後の参加メンバーの報告と感想です。最初に私鉄広電支部の木村浩隆さんの寄稿です。

 

バスで飯館村南側半分を視察しました。ここは村の中でも線量の高い地域です。村全体の避難状況は人口約6000人、1800所帯で、被災当時と大きな変化はありません。日曜日のため除染作業は行われていませんでしたが、住民不安に対応するために設置されていた線量計が目立ちました。

 

Photo_2

目盛りは0.619マイクロシーベルト/時です

 

これも大切なのですが、国が昨年8月に、「ネットで確認できる」という理由で線量データの定期的公開を止めてしまったため、地域ごとの比較や総蓄積量の把握等、困難・不便になったことも多くあります。

農作物についても線量の測定は行われていますが、特筆すべきなのは、コウダケ等のきのこ類の数値です。特に高いことが問題なのですが、高齢者の中には「仮に害が出ても、もう残り少ない人生だから」と言って食べる人も多いとのことでした。

大きな問題の一つは、医療です。市の診療所は、市外から医師が「往診」という形で週二回、午前中だけ来てくれて存続されている状況です。また、役場横にある老人ホームは、震災後避難はさせませんでした。移動に伴う身体的負担が大きいので、そのリスクを避けるためでした。さらに役場の裏には全国初の市営の本屋が作られていました。

減容施設のある蕨平地区は、村内で最も線量の高いところで、今は立ち入り禁止区域になっていますが、ここで減容化された放射線汚染物の再利用についても検討されています。

除染そのものは、昨年12月で一応完了されたことになっており、現在はスポット的に線量の高い場所についてのフォローアップ除染が行われています。また、除染された土やゴミを入れるフレコンバッグは数年しか持たず、今後、除染されたものをどう処理するのかという大問題には答が出ていません。

 

20170625_21_48_10_2

現地に来て、テレビで視たときとは違う現実を目の当たりにして、問題の大きさを改めて実感しました。広島に持ち帰り、一人でも多くの人に認識を高めて貰い、私たちでできることをもっと広範に共有し頑張りたいと思いました。

 

同じく広電支部の松本知孝さんの追加のコメントです。

 

飯館村に入った時、震災前はのどかで平和な暮しがあったのだなと感じました。そして震災から6年経った今も、「復興」は見た目には感じられませんでした。それは、村内の至る所に除染物の仮置き場があることとも深く関わっています。

阪神淡路大震災の際は、6年経過した時点である程度の復興が見て取れました。しかし福島では原発事故故の大きな負担があり、被災地の復興を妨げています。

「原発さえなければ」という思いで、脱原発そして核なき世界を実現すべく訴え行動して行きたいと思います。

 

午後は13:00から、浪江町の331日に居住制限区域から解除された地域そして津波被害の視察、その後南相馬市の201721日に居住制限区域から解除された地域、ならびに津波被害を視察しました。案内役は相馬地方平和フォーラム代表の寺田亮さんです。

 

広島県原水禁常任理事、広教祖の石岡修さんは午後の視察を次のようにまとめてくれました。

 

浪江町請戸漁港を見下ろす震災慰霊碑に花を手向けながら、瞬時に日常を飲み込んだ深い悲しみに思いを寄せていました。

 

20170625_21_46_12

 

そして午後に視察した二つの地域、困難を抱えながらも復興に向けて進み始めたかに見える南相馬と、見通しが立たないまま避難指示だけが解除された浪江町の現実を目の当たりにしました。

誰もが故郷に帰りたいと思うだろう。しかし、帰還率1.5%の浪江には、帰ることをためらわせる現実が横たわっていました。

6年の月日を経た我が家に愕然とし、動物に奪われた家を取り戻すためには解体を決意せざるを得ないのですが、その決断をためらう人の多いことも理解できます。子どもの声が聞こえない場所に未来を描けない、あるいは人が住まない土地で仕事が再開できるのか等、不安の種には事欠きません。その不安を何より増大させているのが、廃炉への見通しが全く立たない原発の存在そのものです。

「避難解除が復興の証」などと決して言わせてはなりません。そのためには多くの人が原発事故の引き起こした現実を確認し、証言することが不可欠です。そのことを何より強く感じた一日でした。

 

広島県原水禁常任理事・前事務局長の藤本講治さんによる追加のコメントです。

 

  浪江町と南相馬市は、大震災と大津波によって起こされた原発事故が元で放射線への不安が続き、未だに日常の暮しが取り戻せない地域です。

 

 

Photo_4

津波で破壊され今でも取り残されている家

 

 27カ月ぶりに訪れた被災地は行政や地域住民の復興に向けた並々ならぬ営みの中で復興への道筋が出来上がりつつありました。

  しかし、除染物質集積の仮置き場が至る所にあるという現実にも心が痛みましたし、津波に流された街なみ、荒れ果てた田畑、子どものいない学校(廃校)など、原発震災の傷跡を目の当たりにして原発事故が終っていないことを痛切に感じました。

  「浪江町東日本大震災慰霊碑」に参加者一同献花をし、震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りするのと同時に、被災地の早期復旧・復興を願いました。「原発事故さえなかったら」という被災者の叫びを心に刻み、脱原発の取り組みを強めて行こうと決意を新たにした一日でした。

 

 [お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

より以前の記事一覧

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31