歴史

2017年6月20日 (火)

核も戦争もない平和な21世紀を!

      核も戦争もない平和な21世紀を!

被爆72周年原水爆禁止世界大会広島県実行委員会結成総会

 

広島県原水禁は、昨日「被爆72周年原水爆禁止世界大会広島県実行委員会結成総会」を自治労会館で開催し、8月4日から6日まで開催される広島大会の成功に向けて現地の取り組みを強化することを確認しました。結成総会には、被爆者団体や反原発の市民グループ、労働組合代表など、約40人余りが参加しました。

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今年の原水禁世界大会のメイン・スローガンは、

 

核も戦争もない平和な21世紀を!

 

くり返すな原発震災!めざそう!脱原発社会

 

です。

 

今年の大会の大きな柱は、

 

Ⅰ 核兵器廃絶の課題・・・

    歴史的な核兵器禁止条約交渉と東北アジアの平和と安定に向けた現状と課題の認識を 共有する

 

 

Ⅱ 脱原発の課題・・・

   原子力政策の根本的な転換をめざし、原発に頼らないエネルギー政策の展開を提起する

 

Ⅲ ヒバクシャの課題・・・

  広島・長崎の原爆被害者の残された課題(原爆症認定、在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世など)の解決をめざす。世界に広がる核被害者との連帯を深める。福島原発事故での労働者や住民被曝問題を考える。

 

 

 

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実行委員会結成総会では、主に次のような広島大会の日程を確認しました。

 

主な大会日程は、

 

8月4日(金) 16時00分 折り鶴平和行進

             17時15分 被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会開会総会

 

8月5日(土)  9時30分 「平和と軍縮」「脱原子力」など7分科会

              14時00分 「ヒバクを許さないつどい」など自主的な交流会 

        13時30分 国際会議「なぜ日本で脱原発が進まないのか?」

 

8月6日(日)  9時30分 被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会まとめ集会

 

また7月27日から8月3日までの日程で、県内3コースで「平和行進」を実施します。

 

現在、ニューヨークの国連本部で開催されている「核兵器禁止条約第2回交渉会議」は、被爆者の願いである「核兵器廃絶」への道を大きく切り開く「核兵器禁止条約」が、圧倒的多数の国々の賛成で、承認される歴史的な年となることは間違いありません。

今改めて、1955年に開催された「第1回原水爆禁止世界大会」の「大会宣言」を思い起こしてみたいと思います。

「原水爆被害者の不幸な実相は、ひろく世界に知られなければなりません。その救済は世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。それがほんとうの原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます。」

 

宣言は訴えています。核兵器が禁止されなければ、真の原爆被害者の救済はありません 原水禁運動の原点を改めて再確認するのも今年の原水禁大会の大きな課題です。

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2017年6月 3日 (土)

「資料館に一度も入ったことがないんですよ」-安楽寺前住職・登世岡浩治さん

「資料館に一度も入ったことがないんですよ」-安楽寺前住職・登世岡浩治さん

 

昨日、広島宗教者平和協議会が、安楽寺(広島市東区牛田本町1丁目5-29)本堂で開催した「登世岡浩治さんからお聞きする被爆体験談」の会に参加しました。

 

登世岡さん(87)のお話の最初はこうでした。「私は、本願寺別院の平和活動の中心的な役割も担ってきたのですが、自分自身の被爆体験は、断片的にしか話しかしてこなかったのですよ。話ができなかったのです。話すと怖くなるのです。資料館にも一度も入ったことがないんですよ。見れば思い出して怖くなるからです。しかし、子どもたちには行きなさいといっています。」ちょっとびっくりです。

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続いて被爆体験を語るきっかけとなった話に移りました。「1994年、平成6年の3月の終わりです。被爆49周年ですが、仏教では50回忌です。初めてタイのバンコクで原爆体験を話しました。日タイ友好協会の平和シンポジウムに参加した時、どうしても話してくれと繰り返し頼まれて、ようやく原稿に書いてみました。」「200人ぐらいの人がいるところで、被爆体験と平和の願いを話しました。」「終わると20から30人くらいの人が集まってきて、次々と質問が出てきました。」

 

この体験がきっかけとなって登世岡さんは、日本でも話そうと思われてということです。

国内で被爆体験を話された最初は、近くの小学校の子どもたちでした。

 

「その4年後に、牛田小学校の先生から『被爆の話を子どもたちにしてほしい』と依頼をされて平成10年(1998年)6月、3年生の子どもたちがお寺に来てくれて、話をしました。毎年続いています。今は早稲田小学校でも話しています。今年は、192名にも増えたものですから、本堂の床が抜けてもならないと、小学校の体育館で話すことになっています。」

いよいよ被爆体験です。

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「72年前。私は中学校4年生、15歳でした。被爆地は、江波の軍需工場です。学徒動員で働いていました。製缶工場で鉄板のガス切断や溶接の作業をしている時でした。」当時の模様が続きます。「お日さんが出るときの何倍もの明るさ。窓から飛び出して広島の中心部を見ると、白い雲が立ち上り、ピンク色の雲が上がってと思ったら、今度は黒い雲が上がった。」実に鮮明なお話です。「工場から逃げようとした時であった『顔は焼け、服はボロボロ手を挙げて歩いてくる人たち』。幽霊とはこんなものかと思った」

 

「さらに逃げる途中で黒い雨にあった。一旦古江のおばさんの家に行ったが、家が気になるので帰ることにした。線路伝いに歩きながら、白島の工兵橋で見た黒焦げの死体。焼けてしまった牛田の街の姿。何とか庫裏が残った家にたどり着いたが、小網町の建物疎開に行っていた中1の弟の純治さんは帰っていなかった。」

 

さらに話は続きます。「ずぶ濡れの服のままお母さんと二人で、白島線をたどりながら京口門付近まで弟さんを探しに行った。『水を下さい、水をください』という女学生に出会ったが、何もできなかった。京口門から先には行けず、弟さんを見つけることもできず、家に帰ってきた。」

Photo_3                             被爆後の安楽寺 中心から左側に本堂の骨組みや銀杏が映っている

ようやく弟さんと出会うことができたのは「工兵橋たもとの田所さんから連絡が入り、ようやく純治を見つける。顔がむくれ上がってみてもわからないほどやけどを負っていたが、ベルトのバックルを見て確信した。夕方担架に載せて寺まで連れ帰った。」

そして弟さんとの悲しい別れ。「なくなる2日前には、枕元で両親と2番目の姉と一緒にお経を唱えた。純治さんも一緒に口を動かしていたが、途中で止まり、4人に『ありがとう』の言葉を最後に、意識は途絶え、12日昼過ぎに亡くなった。庫裏の天井をはがし、棺桶を作り、近くの公園で火葬した。弟を火葬にする。これほどむごいことはない。」

 

最後に「核兵絶ということを真剣に考えて欲しい。」と呼びかけて約1時間半余りの被爆体験が終わりました。

改めて、被爆者一人ひとりに重い体験があるのだということを実感させられました。

 

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ここ安楽寺は、爆心地から2キロ余りありますが、本堂は骨組みだけを残して全壊しました。その後その残った木を使って本堂は、再建されたそうです。

 

安楽寺に近づくと、門の屋根を突き破る形で上に伸びた被爆銀杏の巨樹が元気に葉を茂らせています。この銀杏のおかげで、お寺から北側は、延焼を免れたともいわれています。安楽寺の前の小路には、「いちょう小経」の名がつけられています。

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少し早めについた私は、本堂裏に広がっている墓地に入ってみました。私が目にしただけでも、いくつものお墓に「昭和20年8月6日」の文字が刻まれていました。中には「原爆死」という言葉も。

 

6月15日からニューヨークの国連では、2回目の「核兵器禁止条約交渉会議」が始まります。語りたくない被爆体験を語る被爆者の思いが、この交渉会議の参加者に伝わることを強く望まずにはいられません。

 

そして、今度こそ「核兵器廃絶への道」を確かなものにしなければなりません。それは広島にいる私たちの役割だと改めて決意した一日でした。

 

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2017年5月22日 (月)

日韓「合意」は解決ではない―歴史の証人 李 容洙(イ・ヨンス)ハルモニは訴える!

 

             日韓「合意」は解決ではない

==歴史の証人 李 容洙(イ・ヨンス)ハルモニは訴える!==

日本軍「従軍慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク結成5周年集会

 

「私たちはなぜやられてばかりいなければならないのですか。言いたいことも言えずに」

「生きている証人・本人がいる。本人さえ『日韓』合意のことは知らなかった。日本政府が、韓国政府をだました。泥棒の行為だ。とんでもないこと」

「私が合意しなければならないはずだ。聞いてもいない。印鑑もついていない。私はこの合意を無視します。」「日本には、法律はないのですか。歴史の生き証人が生きているのに無視されているのです。」「法的に謝り、法的に賠償すべきだ。」

日本軍「慰安婦」として証言の場に立った李 容洙(イ・ヨンス)は、一昨年末に結ばれ「日本軍『従軍慰安婦』問題は解決済み」とする「日韓合意」」について、厳しく断罪しました。

 

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「日本軍『従軍慰安婦』問題を解決するひろしまネットワークが主催する講演会が、昨日(21日)午後1時30分から広島弁護士会館で、100名を超える市民が参加し開催されました。

歴史の証人として証言を行った李 容洙(イ・ヨンス)ハルモニは、「歴史の生き証人としてこの場にいます。久しぶりに話すので、ちょっと恥ずかしい思いもありますが、すべてを話します。」と、自らの体験を語り始めました。

「証言は私のいのち。私のことを伝えようと思うと涙が出ます。」「数え年16歳の時・・・」と自らの体験を時には涙を流し、時には声を大きくし、時には日本語を交え、1時間半ありの証言が続きました。

連れられて別の場所に移動するとき、「お母さんのところに帰りたいといったら、頭の髪を握られて、手を足を殴るけるの暴力にあった。気絶したこともある。」「大邱から慶州、慶州から平壌、そして大連。大連から兵隊とともに船に載せられて上海。船中で犯され、着いたところが台湾の慰安所。」。そして慰安所での実態、繰り返される暴力。「腹に銃剣を突き付けられ死ぬ寸前。」

「終戦間際の空襲では、自分は助かったものの可愛がってくれた二人の姉は建物の下敷きになって死亡。」「そんな日本軍の中で親切に優しくしてくれた軍人さんは、特攻隊で出撃しかえってこなかった。」続く証言に会場は、声もありませんでした。

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李 容洙さんは、11日から広島に滞在し、県内各地で重い証言を繰り返してこられました。

その証言の最後に「日韓合意をどう思いますか」と問われて答えたのが、最初の証言です。

 

そして李 容洙さんは、強く言われました。

「私たちは、先の大統領選挙で政治を変えました。私は、選挙前に文在寅(ムン・ジェイン)さんとこの服を着て、ハグし応援しました。私が作ったのです。」

「今度は、日本の政治を変えるべきです。安倍を辞めさせるべきです。日本の皆さんの仕事です。」何度もこの言葉が出てきました。

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 厳しい指摘ですが、この優しい笑顔の90歳の李 容洙ハルモニに、今度は私たちがきちんと応える番です。「安倍政権を辞めさせる。」重い課題ですが。私たちにとっても最も緊急で重要な課題です。

村山政権時代にも失敗した「従軍慰安婦」問題の解決。その根本的な問題は、問題の解決にとって最も大切にされるべき被害者が置き去りにされていることではないでしょうか。

求められているのは、日本政府が「従軍慰安婦」の事実とその実態をきちんと認め、そして一人ひとりの被害者に政府の責任で直接謝罪をし、補償・償いをすべきです。

 

私たち国民一人ひとりがきちんとこの問題と向き合うことも求められています。そのことがなければ、この問題が解決することはありえません。

 

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2017年5月21日 (日)

憲法51条も忘れないで下さい ――大西健介議員、高須克弥院長の言い分は別にして――

 

憲法51条も忘れないで下さい

――大西健介議員、高須克弥院長の言い分は別にして――

 

2017517日の衆議院厚生労働委員会で民進党の大西健介議員の次の発言が波紋を呼んでいます。

 

「(美容外科の)CMも陳腐なものが多いんですね。皆さんよくご存じのように、例えば『イエス○○』とクリニック名を連呼するだけのCMとか」

 

これに対して、名指しも同然に例示された高須クリニックの高須克弥院長が「まったく無関係で、僕が悪者の仲間みたいになっちゃうから、怒りますよ」と反発し(Sanspo記事)、大西議員、民進党、同党の蓮舫代表、そして国を相手取って名誉棄損の訴えを起しました。

 

双方の言い分は、HUFFPOSTが引用していますので、それをお読み頂くのが簡単だと思いますが、このニュースから私がすぐ思い出したのは、憲法51条です。


〔議員の発言表決の無答責〕

51両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

 

大西議員の言い分も分りますし、事実関係についての高須院長の主張が正しければ、大西議員の発言が誤解を生みかねないという趣旨の院長の言い分も分ります。しかし、それとは別次元のもう一つ大切な点があります。それが憲法51条です。

 

この条文の大切さを理解して貰うために、アメリカの例を引きたいと思いますが、それは劇的な形で議員の良心を賭けた行動が保証される大切さを示しているからです。

 

1941年、対日戦争の開戦を認め、宣戦布告を承認する決議案に、下院議員の中でただ一人反対票を投じたのが、共和党のジャネット・ランキン議員でした。

 

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Rankin's portrait, by Sharon Sprung, in the House of Representatives Collection 

                 

また、2003年の対イラク戦争開戦に下院議員としてただ一人反対票を投じたのは、民主党のバーバラ・リー議員でした。リー議員には何度かお会いしたことがありますが、彼女の勇気ある行動がアメリカ市民だけではなく世界中の多くの人に感動を与え、彼女に続く多くの若者がいることもお伝えしました。

 

現在の日本の政治状況では、与党議員にこのような勇気と良識を求めること自体ナンセンスなのかもしれませんが、その一因になっているのが、「党議拘束」と呼ばれている慣行です。政党が決めた方針に背いてでも自分の良心に従って行動すると、党則によって何らかの懲戒処分を受けることを指しています。

 

政党は憲法51条の規定の中にある「院外」の存在ですから、そこで処罰を受ける謂れはないはずなのですが、アメリカの場合と違って「党議拘束」が厳しく課せられているのが日本の現状です。

 

大西議員と高須院長の見解の相違を超えた次元で、もう一度「党議拘束」と議員一人一人の良心にあり方についての議論が始まれば素晴らしいのですが------

 

 

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コメント

小選挙区も党議拘束も間接民主主義を危うくするもので、アメリカでは小選挙区を基本としながらも、司法の独立性や党議拘束がないことなどと合わせて、最後の最後は民主主義に期待できるのではないかと感じますが、報道の自由度ランキングまで下がり続ける日本では絶望すら感じることがあります。

ただ、そんな政治状況でも日本は素晴らしいものが多く、それは単に地政学的なものだけではなく、遺伝的なものだけでもなく、ここに暮らす人々の良識と誠意であり、それだけに伸び代はまだまだあり、希望もあるのだとも思います。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。おっしゃる通り、権力を握る側が劣化し制度の面でもそれに釣られての改悪が続く中、それでもまだ希望が持てるのは市民の側の良識と誠意なのだと思います

東京中心の表現になってしまいますが、「江戸っ子」という言葉が伝えたかったのは、そんな庶民の心意気なのかもしれません。

まだ生まれていない未来の世代からの声を汲み取ることで、私たちもまだまだ踏ん張りなさいという、激励の声にも聞こえます。

2017年5月13日 (土)

森滝市郎先生と座禅

森滝市郎先生と座禅

 

昨日、生前森滝市郎先生が、教え子たちとともに何度も通われた竹原市忠海町の小林窟(しょうりんくつ)座禅道場を、森滝春子さん(森滝先生の次女)とそのパートナー田室さんと一緒に訪問しました。 

小林窟道場は、勝運寺という古刹のすぐ上側の閑静な場所にあります。春子さんの来訪を心待ちにされていた第五代道場主・井上希道老師との懇談の時間は、静けさの中で心安らぐ思いで過ごすことができました。

 

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森滝市郎先生と座禅を行ってこられたことは、このブログでもかつて紹介したことがありますが、森滝先生にとっての座禅の原点ともいえる小林窟道場を森滝春子さんと一緒に訪ねたいと思っていましたが、それがようやく実現したのです。 

 

森滝先生の座禅との出会いは、学生時代のようですが、小林窟道場とのかかわりが深くなられたのは、広島大学に禅道会を作り、校内で学生たちとともに座禅修行を始められた時からのようです。その座禅の指導をされた方が、第3代道場主井上義光老師でした。

そのため先生は、広島大学出の座禅会を行うとともに、夏休みなどには学生たちと竹原市忠海の小林窟道場に出かけられ、修行を積まれたようです。

また先生は、この地に専用の座禅道場を作るため(それまでは、勝運寺の本堂が座禅堂となっていた)、学生たちとともに托鉢も行われたようです。その時の写真を今日拝見しました。

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                         托鉢に出られる森滝先生(一番左)

私はこれまで、「森滝先生と座禅」と言えば、慰霊碑前の座り込みとのつながりを想像するだけでした。ところが今回、この小林窟道場を訪ねるにあたっていろいろと調べてみたり、昨日井上老師のお話をお聞きすると、座禅は、森滝先生の人生のすべてに深く根差しているということがわかりました。そのことを私は、次のような文章の中から学びました。

 

森滝先生が被爆された8月6日の日記にこうした記述があります。

「一時間ばかりして重傷者とともに市内の病院に送らるるため、貨物自動車にて出門す。しかるに江波の町家屋破壊し、道路進み難く、付き添いの西山君ら道路の木材などを取り払いて車僅かに進む。(中略)行く手煙に包まれ、すでに車進み難く引き返す。(中略)自動車ようやく(造船)所に帰る。しばらく学徒教室に憩いようやくにして救急所に収容さる。結城眼科医診察し右眼失明覚悟を申し渡さる。眼部に包帯を施され、救急所一部に禅を組みて座す。しばらくありて所長・・・・」

失明の危機の中、そして混乱のさなかにも座禅を組まれた森滝先生。

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次は奥様しげさんの述懐です。先生の卒寿を記念して発刊された本への寄稿文からの引用です。

 

 

「そして退院の時、担当の先生が、これほど重傷だった肋膜炎が良く治ったね、と仰ったとき、私は勿論先生のお陰と頭が下がる思いをしたのであるが、その一方、学生のころから参禅していたという夫の、その座禅によって得た精神力というものも初めて感じたのでもあった。」(金子注:結婚された間もないころのこと)

 

夫は学生時代から参禅していて、これがいつ何をやるときも精神的な根底になっているようである。原爆に遭い、片眼を失って星田眼科に入院しているとき夫が得たもの―『力の文明より滋の文明を』というのもやはり禅と通じる道であり、『最大多数の最大幸福』と英国倫理学から学んだことも、実践に移してこそ、今日に生きる倫理となる。」

 

 

座禅で修得した胆力は原水禁運動への取り組みを強固なものとし、命を大切にすることは、これもまた学んだ倫理学の奥所であり、慈の文化の第一歩である。」

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森滝先生の運動の中には、幾多の困難な出来事や時期があります。それを森滝先生は、座禅で培われた精神力によって克服されてきたのだなと思います。

 小林窟からの帰りの車の中で春子さんからこんな話を聞きました。

「父は、外でどんなことがあっても家に帰って家族に話すようなことはありませんでした。でもそんなとき、必ず自分の書斎にこもり座禅を組んでいました。」

私にも、いつも優しく接していただいた森滝市郎先生の姿を改めて思い起こしています。

 

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2017年5月12日 (金)

大統領の弾劾(1) ――「土曜の夜の虐殺」から始まった――


大統領の弾劾(1)

――「土曜の夜の虐殺」から始まった――

 

アメリカ時間の59日、火曜日に、FBI長官のジェームズ・コミー氏が突然解任されました。長官の任期は10年、大統領はどのような理由であれFBI長官を解任できる権限を持っていますが、その力が一番最近使われたのは1993年、クリントン大統領の時代で、理由は公私混同等の倫理的なものでした。

 

今回は、表向き、クリントン元国務長官の私用メール問題の捜査における不手際だと発表されていますが、実は、トランプ大統領や側近たちとロシアとの関係についての捜査の本格化を妨害するためなのではないかと、多くのメディアが報道しています。

 

この解任劇が火曜日に起きたため、「火曜の夜の虐殺」と呼ばれていますが、それは、19731020日、土曜日に起きたもう一つの解任劇である「土曜の夜の虐殺」に準えて今回の事件を捉えている人が多いからです。

 

「土曜の夜の虐殺」では、ウォーターゲート事件の捜査のために「特別検察官」として任命されたアーチボルド・コックス氏が解任され、氏を特別検察官に任命したエリオット・リチャードソン司法長官とウィリアム・D・ラッケルズハウス副長官は、コックス氏の解任はできないと拒否して辞任をしています。そこまで司法当局を追い詰めたのは、自分自身が捜査の対象になっていた第37代のリチャード・ニクソン大統領でした。

 

           

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37代大統領リチャード・ニクソン氏の肖像画

 

今回も、FBIの捜査の対象になっているトランプ大統領が、捜査の責任者であるコミー氏を解任したのですから、この二つの事件の関連性に注目するのは当然でしょう。

 

1973年には「土曜の夜の虐殺」が引き金になって、ニクソン大統領の弾劾という大場面に近付くのですが、結局彼は弾劾されませんでした。大統領は、下院で訴追決議の行われる直前に辞任してしまつたのです。

 

「土曜の夜の虐殺」と「火曜の夜の虐殺」とが対になって出てくるのには、より大きな背景もあります。解任だけがニクソン氏とトランプ氏の共通点ではないのです。

 

ニクソン氏はウォーターゲート事件で悪徳政治家の代名詞にさえなった政治家ですし、彼のあだ名は「Tricky Dick」つまり、「悪賢いディック」が、一般的印象を良く表しています。さらに、歴史を遡って検証すると、ニクソン氏の政治的言動、特に権力を手に入れる手法、例えば嘘の吐き方等は、トランプ氏のそれと類似点があまりにも多過ぎるという指摘もあるほどです。ニクソン氏の政治手法が結局ウォーターゲートで破綻したように、トランプ氏の手法も、ニクソン氏の場合より早く破綻するだろう、あるいは弾劾されるだろうとの予測も、特に「火曜夜の虐殺」以降多くなりました。

 

次回は、アメリカの弾劾制度について、そしてその可能性がかなりあることを検証したいと思います。

 

 

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2017年5月 5日 (金)

施行70年 いいね! 日本国憲法 平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会-1500人参加

施行70年 いいね! 日本国憲法

平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会-1500人参加

 

一日遅れとなりましが、5月3日中央公園ハノーバー庭園で開催された「平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会」の模様を報告します。

 

5月3日の憲法記念日に別々の護憲集会を開催してきた県内の各団体や市民が結集して昨年初めて共同開催された「5・3ヒロシマ護憲集会」が、今年も午後1時から「ストップ戦争法ひろしま実行委員会」の呼びかけで、好天に恵まれ1500人が参加して開催されました。

 

憲法違反の戦争法や特定秘密保護法を強行成立させ、さらに共謀罪の成立を目論む安倍政権が、声高に「改憲」を主張しているだけに、参加者の多くが「憲法の危機」を感ずる中での集会となりました。

 

若い女性弁護士依田有樹恵さんの司会でスタートした集会では、主催者を代表して広島県平和運動センター議長(県原水禁代表委員)の佐古正明さんが、「70年前の5月3日日本国憲法は動き始めました。安倍政治への怒りの声が大きくなっています。これまでの運動を上回る活動によって安倍政権を退陣に追い込みましょう。」とあいさつ。

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続いて歌手の二階堂和美さんによる歌のアピール。ただ一曲でしたが選ばれた歌は、美空ひばりさんが1974年に開催された「第一回広島平和音楽祭」で、この音楽祭のために作詞、作曲され歌った「一本の鉛筆」。二階堂さんは、美空ひばりさんが、横浜大空襲を体験したことに触れながらその思いを紹介し、「憲法はいま改めて見直されるとき。理想は掲げもっていかなければならない」と訴え、「一本の鉛筆」を熱唱。会場からは、共感の拍手が大きく広がった。「フラワーフェスティバルのメインテーマ曲として毎年うたわれるべき」との声も。

 

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いよいよ今日のメイン、日体大教授で「戦争させない1000人委員会事務局長代行、九条の会世話人」の清水正彦さんの「市民と野党共闘で安倍政権を止める!」と題した記念講演。

 

清水さんの講演は、「けんぽうと言っても少林寺拳法ではありません。」とユーモアを交えながら始まりました。

 

最初に、現憲法の根本を覆す自民党の改憲草案(①国家主義②人権規定➂平和主義)を厳しく批判。人権規定では、「大幅な規制」を加え「義務規定を拡大する」問題を指摘しながらも、私たちの人権意識への問題指摘も。いわく「こうした講演会の後にはよく懇親会が開かれるが、その会場に入ったとたんに他人の迷惑も考えずタバコを吸う人がいる。人権を言う人の中にも、本当に理解しているのかと考えてします。」と。

 

続いて「日本国憲法の平和主義の意義」を改めて強調。特に9条のみならず憲法前文の大切さが訴えられた。「平和主体は、日本国民だけに限っているのではない。全世界の人々の平和を訴えている」と。さらに「日本国憲法をぜひ読んでください」との呼びかけ。私の憲法講演会でも強調していることですから「そうだそうだ」と共感。

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さらに「戦争法反対運動の成果と課題」にテーマが移り、中央での主要な3団体の共闘の実態や組織の概要・活動内容、そしてその成果詳しく報告しながら「下からの積み上げが、なかなか動きが鈍かった国会議員動かした大きな力になった。」と運動の意義と役割を強調された。

その中で私の印象に残ったことは「1959年の安保闘争時は、組合の組織率は32.2%。でも今は、17.5%しかない。より広範な運動になっているといえる」と指摘しながらも「平和フォーラム(広島では平和運動センター)の果たして来た役割も大きかった」と話されたことです。私たち「戦争をさせない1000人委員会」が果たさなければならない役割を再確認しました。

 

清水さんは、さらに昨年参議院選挙の参議院選挙の一人区の市民との野党共闘の成果を消化し、「次期衆議院選挙で改憲勢力を3分の2以下に抑えるためには、野党統一候補の擁立がどうしても必要だ」と訴えられました。

 

終わりに、今後の課題として「自己満足にならずに、一人で来ないでください。そして若者に働きかけてください。その時は、上から目線でなく。」と言いながら「今日、だれか一人でもこの集会に誘いましたか」との問いかけ。

さらに社会に関心を持つことが大事だとし、東京新聞の記事を例に「選挙では、新聞を読んでいる人の投票率は、86.1%と高い」ことも紹介。そして最後に「安倍の反憲法の動きにNOを言わなければならない」ことを強調され講演は終わりました。

 

1時間余りの短い時間でしたが、滑舌よく、まとまりのある内容は、多くの参加者に共感を呼びました。

 

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集会の最後に、参加者全員で「アベ政治を許さない」をシュプレヒコールするとともにフライヤーを掲げて今後も共同してがんばる決意を固めました。

 

安倍首相は、同じ日に都内で開いた改憲集会にビデオメッセージを寄せ、2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と明言したそうです。

いよいよ私たちの護憲運動が、正念場を迎えました。決意を新たに運動の輪を広げたいと思います。

 

当日会場で集まったカンパ額は、306486円でした。ご協力をいただいた皆さんありがとうございました。

 

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2017年4月22日 (土)

ビデオ判定 ――野球やサッカーでの本格的な導入がまだなのは何故?――

 

ビデオ判定

――野球やサッカーでの本格的な導入がまだなのは何故?――

 

緒方監督の退場処分について、⑦パパが書かれている通り、どう考えても納得が行きません。それも退場だけではなく、コミッショナーから厳重注意かつ10万円の罰金を科せられているのですから何をか言わんやです。

 

しかし、ビデオを見れば、「誤審」であることは一目瞭然です。

 

このような不愉快な出来事をなくす、あるいは減らすために何ができるのかを考えて見たのですが、一番理想的なのは、審判が神様のような存在で、「絶対に」過ちを犯さないことです。でもそれは不可能です。

 

人間である審判の判断がたまには間違うこともある、という前提で考えると、間違いが生じた場合、あるいは間違いだと見える判断がなされた場合にどう対応するのかが問われていると言って良いでしょう。

 

そこで登場するのがビデオ判定です。テニスではお馴染みですし、他の種目でも導入されています。

 

             

Photo

               

 

ここで大切なのは、ビデオ判定と一体になっている「チャレンジ」制度です。テニスの場合、判定に不服がある場合には、「チャレンジ」して確認を申請できることになっています。回数は、1セットに3回まで、しかも、判定が間違っていたなら権利は保持、つまり回数は減らないのです。

 

ビデオ判定が導入されているスポーツは、アメリカン・フットボール、ラグビー、バレー・ボール、バスケット・ボール、ボクシング、レスリング等多数ありますが、野球もホームランの判定など一部は導入されていますが、先日のような塁審の判定には導入されていませんし、サッカーでもゲームの複雑さのためもあってテニスほど本格的には使われていないのが現状です。

 

しかし、多くのファンが誤審によって蒙る落胆や憤り等を考えると、野球とサッカーでの導入の効果は、他の種目以上に大きいように思われます。この二種目でのビデオ判定の早期導入に賛成する人は多いのではないでしょうか。

 

最後に取り上げておきたいのは相撲です。私の趣味なのかもしれませんが、正確な判定に役立つだけではなく、相撲の醍醐味を味わう上でも役立っているように思うのですが、如何でしょうか。

 

大相撲では既に1969年の五月場所からビデオ判定が導入されています。その前の場所の大鵬-戸田戦が誤審と判断された結果なのですが、同時に審判長の説明も始まっています。もちろん、ビデオ判定の前に行われる、伝統の「物言い」も生きています。

 

未だに女性は土俵に上がれないほど保守的な大相撲でさえ、大胆にビデオ判定を取り入れているにもかかわらず、導入の効果はかなり大きいと思われるにもかかわらず、より「近代的」だというイメージの野球やサッカーが後れを取っているのは何故なのでしょうか。

 

 

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コメント

私はスポーツには疎いのですが、この試合は昨年から俄カープファンの妻も観ていて、遅くに帰宅した息子に「明らかにセーフだったのに」と言い、息子は「ビデオ判定はホームランと本塁クロスプレーにしか使われないから」と説明していました。

私も初めて知りましたが、メジャーですらチャレンジ制を導入したのは、この2−3年のことで、IT先進国の韓国ですら本塁打に限られているということには驚きました。

ただ、本塁クロスプレーのビデオ判定が導入されたのも昨年からであったり、サッカーなどでもFIFAが実証実験のようなことを始めたのも昨年ということですから、導入が進む方向にはあるように思えます。

相撲の方が導入が早かったのは、試合の流れに影響しないことや、対象の速度と映像機器の性能、必要な設備の規模などの関係もあるのではないかとも思います。

今のビデオ判定は時間がかかり、試合の流れを中断するという弊害もあるようですが、それはAIによって瞬時となり、いずれ審判もAIになるのかも知れません。

それにしても、有名な誤審にはカープが絡み、それもカープに不利な誤審ということですから、カープファンとしては余計に早くビデオ判定の導入を進めて欲しいですね。

紹介およびご賛同いただきありがとうございます。
試合時間が延びるから導入されないようですが、
抗議の時間より短くなると思うのですが!W

大相撲では大鵬の46連勝がかかった大一番での誤審の反響が大きくビデオ判定への道を開いたようで、プロ野球では本塁打のビデオ判定も巨人に不利な誤審から巨人が強く訴えたことからなので、カープではなく巨人に不利な誤審がないと進まない気もしますが、巨人に不利な誤審をする審判も少ないのかも知れませんね。

フィナンシャル・タイムズが実施した調査研究で人が携わる約2千種類の仕事のうち3割はロボットへの置き換えが可能であり特に日本に限ると主要国で最大となる5割強の業務を自動化できることも明らかになりましたが審判もその中に含まれているはずです。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。おっしゃるように導入の方向には向いているようですが、「動いている」という実感を持てないのが残念です。

導入について、御指摘のような問題に加えて、審判の仕事が減る、あるいは審判の権威が揺らぐという可能性についての配慮もあるのではないかと思います。それも必要だと思いますが、全てのスポーツの本質に関わる「フェアネス」の担保にこそ注力して欲しいと思っています。

カープに不利な誤審の多いことも偶然ではなさそうですね。そしてチャレンジ制度が導入されていれば、緒方監督にあんな情けない思いをさせずに、「チャレンジ」とだけ声を上げて貰って、済んだ話だけに、とても残念です。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

試合時間か延びるのが問題なら、「チャレンジ」の回数に制限を付ければ済む話だと思います。それ以上に、おっしゃる通り、「抗議」の時間は無くなり、「チャレンジ」という形で処理することなるので短縮されると思います。

「カープファン」様

コメント有り難う御座いました。

おっしゃる通り、巨人に不利な誤審が多ければすぐ改善されることなのかもしれません。そしてカープに比べて巨人に不利な誤審が少ないという事実の重みもコミッショナーには感じて貰いたいと思います。

「労働者」様

コメント有り難う御座いました。

AIが発達すると存在しなくなる仕事の中に弁護士が入っているくらいですから、野球の審判が入るのは当然なのではないでしょうか。

テレビで見ていて、田中選手の場合はその時は微妙に感じましたが、小窪選手の時はビデオで見る以前にプレーそのものでセーフでした。
最近のカメラは性能が良いから、ビデオで検証すれば昔はわかりにくいものも明らかになってしまいますね。
ビデオ判定は賛成ですが、複数の審判員がいるのですから、抗議があった場合は審判員全員で協議しても良いかと思います。
まあ、あの審判は立つ位置が間違っていると思いますから、それを指導する組織も必要だと思います。
審判の資格の審査はどうなっているのでしょうか?

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

大相撲では、「物言い」が付くと「協議」が行われますが、小さい頃からこの制度が上手く機能してきたことを見てきましたので、他の競技でお手本にしないことが不思議でなりません。それでも、大相撲では大鵬-戸田戦を契機にビデオ判定を導入したのですから、そのことも見習って欲しいと思います。

2017年4月20日 (木)

バーバラ・レイノルズさんとフェニックス号 ――川底に沈んでいる船を引き上げる運動が始まりました――

 

バーバラ・レイノルズさんとフェニックス号

――川底に沈んでいる船を引き上げる運動が始まりました――

 

私たちの世代の人間にとって、「バーバラさん」、つまりバーバラ・レイノルズさんは神懸った存在でした。彼女の信仰心の篤さと平和への献身的な姿勢から、私たちが近寄り難いほどのオーラを感じ取っていたからだと思います。

 

今日、バーバラさんの娘であるジェシカ・レンショーさんからメールを頂きました。川底に沈んでいるヨット、フェニックス号を引き上げ、再び世界平和のための航海ができる形に復元するプロジェクトが始まっているのだそうです。フェニックス号はバーバラさんが家族とともに乗り込み世界を駆け巡って平和を訴えたヨットです。

 

Phoenix of Hiroshima Project(ヒロシマのフェニックス号プロジェクト) と名付けられていますが、先ずは、ホームページのURLを御紹介しておきます。

 

https://phoenixofhiroshima.org/

 

                 

Raisingthephoenix

           

フェニックス号プロジェクトのホームページから

 

ここまで書いてきて、若い世代の皆さんの中にはバーバラさんやフェニックス号についてあまり御存知でない方も多そうだと気付きました。バーバラさんの思いやフェニックス号の活躍を若い世代の皆さんに引き継いで貰うために、何回かに分けてバーバラさんや御家族の皆さん、そしてバーバラさんの撒いた種について、さらにその種がどのように成長しているのかについて説明したいと思います。

 

今回はまずバーバラさんの記念碑を取り上げます。平和公園の100メートル道路に近い、平和大橋寄りにある記念碑です。

 

 

Photo

広島市のホームページから

 

記念碑は2011612日に除幕されました。建立の目的は「被爆後60年以上が経過し被爆体験の風化が懸念される中、「私の心はいつもヒロシマとともにある」という信念のもと、ヒロシマの世界化に尽力したバーバラ・レイノルズ氏の功績を顕彰するとともに、広島市民及び修学旅行生をはじめとする国内外の来広者に彼女の核廃絶への願いを継承することを目的とする」と記されています。建立したのは、バーバラさんが創設したワールド・フレンドシップ・センターです。

 

碑文は英文併記なのですが、ここでは日本語だけを掲げておきましょう。

 

私もまた被爆者です 
私の心は いつも ヒバクシャ ヒロシマ とともにあります

 

バーバラ・レイノルズ (1915-1990)
広島市特別名誉市民 

ワールド・フレンドシップ・センター創立者

 

1990年に亡くなられた時、まだ75歳という若さでした。でも彼女の生涯を振り返ると、その何倍もの時間を生き世界平和のために尽してくれていたような気がしてきます。それほど存在感のある人でした。

 

広島市の平和記念資料館の記述を借りて、バーバラさんの生涯を振り返っておきましょう。

 

アメリカの平和運動家。1951(昭和26)に当時、原爆傷害調査委員会(現、放射線影響研究所)研究員だった夫とともに広島を訪れ、原爆被害の悲惨さを知った。1958年に、太平洋エニウェトク環礁の立ち入り禁止海域にヨットで乗り入れ、米国の水爆実験に抗議した。1962年から「ヒロシマ平和巡礼」、1964年には「広島・長崎世界平和巡礼」を実施。被爆者や学者等と共に世界各国を平和行脚した。

1965年に、南観音に「ヒロシマの世界への窓口」として、“ワールド・フレンドシップ・センター”を創設。 日本及び世界各国で平和運動に尽力した功績により、 19751015日に広島市の特別名誉市民に推挙された。

 

Photo_2

 

バーバラさんの活動や「広島のフェニックス号プロジェクト」について、これから何回かに分けて取り上げて行きます。お付き合い頂ければ幸いです。

 

 

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2017年4月10日 (月)

かき船問題を考える―その3

世界遺産原爆ドームの景観は守られたのか

   =なぜか開催されなかった広島市景観審議会=

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「かき船かなわ」が、平和大橋下流から400m上流の現在地(元安橋下流・原爆ドームから200m の近さ)に移動すること明らかになった2015年1月日本イコモス国内委員会は、調査団を派遣し「世界遺産原爆ドームバッファゾーン内における牡蠣船移動設置への懸念表明」を広島市に提出しました。その中で、バッファゾーンの役割について「単に世界遺産周辺の景観を規制し整えるゾーンというだけでなく、この資産の持つ鎮魂と平和への祈念の意味との深いつながりを持ったエリアと認識されるべきです」と指摘し、かき船移設への強い懸念を表明ました。特に「鎮魂と平和への祈念」ということを指摘していることは、原爆ドームが他の世界遺産と違う「負の遺産」という性格を持っていることを示しています。しかし、残念なことに広島市は、この日本イコモス国内委員会の懸念表明に答えることなく、計画を推進してしまいました。

 

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そもそも世界遺産のバッファゾーン(緩衝地帯)は、その遺産を適切に保護するため、世界遺産登録申請とともに申請者によって明示したものです。それは、申請した日本政府、そして広島市の共同の意思だったはずです。しかし、今回の「かき船」問題では、最初に検討されるべき「世界遺産原爆ドームの景観について」は、十分な検討がなされていないばかりか、むしろそれをないがしろにして推進されてきたのです。

 

情報公開によって入手した資料などからいくつか指摘したいと思います。

 

「かき船の元安橋すぐ下への移転」問題が行政の具体的テーマとなったのは、2013年度(平成25年度)からです。バッファゾーン内への移設の問題は、その年の9月19日に行われた国土交通省太田川河川事務所と広島市の協議の中で「景観への配所について」が議題となり、国側の問いに対し広島市は「原爆ドームのバッファゾーンの場合は、重要事項に該当するので景観審議会にかけるべきだと判断している」と明確に答えています。ところが開示文書を見ると「バッファゾーン」のことについて広島市の担当部局(観光ビズネス)が初めて市民局平和推進担当に問い合わせが行ったのは、翌年の5月になってからです。平和担当は、無視されたままだったようです。しかも、広島市は、国に「景観審議会に諮る」と約束しながら、実際には景観審議会には一度も諮っていません。広島市は、景観審議会に諮らなかった理由を「かき船は『船』だから」と理屈にならない理由を挙げていますが、あまりにも不自然です。

広島市は、事前の協議で約束したことを無視したばかりでなく、国土交通省には「景観審議会を開催しなかった」ことを知らせていません。ですから太田川河川事務所は、私の指摘によってはじめてその事実を知ることになったのです。ところが国土交通省は、広島市が明らかに約束違反をしているのもかかわらず、許可を取り消そうとはしなかってのです。何か取り消せば不都合なことがあったのでしょうか。こうした広島市に遠慮する(無批判な)姿勢は、その後も続きます。

問題はそれだけではありません。国土交通省は、「景観への配慮」について独自の検討を行う責任があったにもかかわらず、その検討を全く行っていません。これは許されないことです。1996年に国が行った原爆ドームの世界遺産登録申請にあたって、国は、ユネスコに対し、文化財保護法などとともに、河川法を明示し、原爆ドームとその周辺を含め保存し、保護することを約束しています。そのことは、今回の問題で国は、むしろ河川法によって「世界遺産の景観を保護する」責務を果たすべきだったはずです。

 

当時広島市は、「広島市景観計画」を策定するため、何度も景観審議会を開催していたのですから、景観審議会の意見を求めることは、できる環境にありました。だから余計に「なぜ景観審議会に諮らなかったのか」という疑問がわきます。

 

Photo

 

ところで2014年7月4日に広島市長名で「広島市景観計画」が公示されました。その中では、この原爆ドームのバッファゾーン中心とした地域が「平和都市ひろしまを象徴する景観づくり」の「景観計画重点地区」となっています。かき船が設置された地域は、その中でも最も重要な「A地区(平和記念公園地区)」に指定され「景観形成の方針」として「平和記念公園と平和大通りなどの道路、橋りょう、河川、河岸緑地を含む地区とし、平和記念公園の役割にふさわしい良好な景観保全及び形成を図ります。」としています。「かき船は平和公園の役割にふさわしいのですか」「河川を含めるのであれば当然、船も該当するはず」「保全って今の景観を大切にということでは」と疑問がわくのは当然のことです。市長自らが定めた「景観計画」になぜ自らが反するようなことをするのでしょうか。

 

結局広島市は、かき船問題で景観審議会をはじめ第三者の意見を全く聞いていません。イコモスの懸念表明にも同じ説明を繰り返すのみですした。これでは理解を得ることはできません。

 

確かにこれまで何度か世界遺産原爆ドームの景観をめぐる問題が起きています。ただ今回大きく違うのは、「原爆ドームとバッファゾーンを保存整備し、世界的価値を後世に伝える役割を持つ」国や広島市が所有し管理する場所で起こっていることです。

 

原爆ドームの世界遺産化は、165万筆を超える市民の署名が大きな力となって実現したことを忘れてはなりません。国や広島市は、市民から原爆ドームを後世に正しく伝える責務を負っているはずです。世界遺産原爆ドームは、世界の人々の共有の財産であることを忘れてはなりません。

 

 

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