歴史

2017年12月13日 (水)

「押し付け」嫌いの皆さんへ ――アメリカに堂々と発言した時代を思い出しましょう――


「押し付け」嫌いの皆さんへ

――アメリカに堂々と発言した時代を思い出しましょう――

 

憲法を変えたいと主張する人たちの決まり文句の一つは、「アメリカに押し付けられた」憲法だからということなのですが、確かに「押し付けられ」て行動するのは、意に染まないですね。もっとも憲法については別の有力な議論がありますので、またの機会にして、ここでは核兵器の違法性についてです。

 

太平洋戦争中に日本政府のしたこと全てが違法だったり非人間的だったりということではありません。でも素直に自らの過ちを認めない人たちに対して事実を示して抗議し続けている内に、こちらは日本政府の非を指摘しなくてはなりませんので、その舌の根の乾かぬ内に、日本政府の正しさを褒めるのも、感情的には面白くありません。とは言え、歴史は客観的に捉えなくてはなりません。

 

核兵器禁止条約が発効すれば、核兵器の使用や核兵器による脅しは当然、国際法違反です。しかし、核兵器使用が国際法違反だという主張はもっと前からハッキリと国際舞台で表明されていたのです。

 

それを最初に指摘したのは、日本政府です。1945 8 10 日スイス駐在公使を通じてアメリカ政府に渡された抗議文に核兵器使用が国際法違反だと明確に述べられています。それを引用します。

 

抑々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与うべき兵器、投射物其の他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約附属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条()号に明定せらるゝところなり。米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ残虐性において、従来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられおる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民家などを倒壊又は焼失せしめたり、而して今や新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たな罪状なり帝国政府は自らの名においてかつまた全人類及び文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す」

 

大変立派な文章です。文語調ですので、分り易くするためポイントを要約しておきましょう。

 

この抗議文で根拠としている法律は1899 年ハーグ「陸戦の法規慣例に関する条約」です。日本政府は、原爆投下がこれに規定されている次の項目に違反していると主張します。

 

不必要な苦痛を与える兵器の禁止(第23 条)

無防守都市に対する無差別広域爆撃の禁止(第25 条)

軍事目標主義(第27 条)

 

さらに、原爆投下以前の日本各地での無差別爆撃も国際法違反だと主張しています。

 

           

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ハーグ陸戦条約が採択された第一回万国平和会議(1899年、ハーグ)

 

 

理路整然と、原爆の本質を突いた指摘ですし、今年採択された核兵器禁止条約の内容とも矛盾しないどころか、この日本政府の立場を敷衍したのが、核兵器禁止条約だと言って良いのです。

 

安倍総理、菅官房長官、河野外相、岸田前外務大臣、その他「押し付け嫌い」の皆さん。「アメリカからの押し付け」が嫌だから、国の基本である憲法さえ変えようという程の嫌悪感なのですから、そろそろ「押し付けられる」状態から脱して、先ずはその直前、つまり1945810日に戻って、核兵器は国際法違反と声高らかに宣言するところから始めて見ませんか。

 

 

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2017年12月 9日 (土)

12.8不戦の誓いヒロシマ集会

12.8不戦の誓いヒロシマ集会

 

 

12月8日は、76年前中国への侵略戦争を進めていた日本軍が、ハワイ・真珠湾への奇襲攻撃によって日米戦争へと突入した日です。再び戦争への道を歩まない不戦の誓いの日として、今年も、昨日午後6時から「憲法を守る広島県民会議、原水爆禁止広島県協議会、広島県平和運動センター、8の日平和行動ヒロシマ女の会、戦争をさせないヒロシマ1000人委員会」の共催で「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」が、開催されてきました。

 

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今年の集会は、「日本軍『慰安婦』問題と日本の戦争責任―植村パッシングとは―」と題して、元朝日新聞記者の植村隆さん(現・韓国・カトリック大学校客員教授)による講演が行われました。

「今日の歴史的な日に平和都市広島にいることを幸せに感ずる」という話から始まった植村さんの講演。在韓被爆者問題など広島への強い思いが語られながら、「日本軍『慰安婦問題』」へと話が移り、そして本題の「上村バッシング」の実態が、様々な事実に基づいて、詳細に語られました。そんな中で、いくつか強く印象に残ったことを述べてみます。

 

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言わば特ダネともいえる1991年8月11日の朝日新聞の「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」の記事を書くことになった従軍慰安婦の証言。その証言を引き出したのが、友人の被爆者の「自分のことを話しなさい」という後押しがあったから。同じ侵略戦争の犠牲者被爆者が「慰安婦」の発言を引き出したという指摘。その事実を伝えただけの記事が、その後のバッシングの対象となったしまったという経過は驚くべきことです。

2014年2月6日号の「週刊文春」の記事が引き金となったパッシングは、2014年8月5日の朝日新聞の検証記事以来、植村さんにも執拗に繰り返されるパッシングの嵐。ついには、家族、子どもにまで。そんな攻撃に果敢に戦った植村さん。そしてそれを支える人々。

淡々として、そして時には力を込めながら、経過を振り返りつつ指摘されたのが、バッシングの背景にある安倍首相に通じる歴史修正主義者たちの行動と思想です。さらにそのインチキぶりを事実に基づいて指摘する植村さんの話は、すべての参加者の胸を強く打ち、納得させる内容でした。

またそうしたバッシング攻撃は、上村さんにとどまらず、広島大学の講義に、灘中などへの教科書使用に、女たちの戦争と平和資料館へと広がっていることが指摘されました。

 

最後の上村さんは、ヴァイツゼッカー大統領のドイツ終戦40周年記念演説を紹介するとともに、河野談話(1993年)の「歴史の事実を直視し、歴史研究・歴史教育を通じてこの問題を記憶にとどめ、過ちを繰り返さない決意を表明する」の部分を引用しながら、「歴史の事実ときちんと向き合うこと」の重要性を強調されました。こうしたことが、私には強く印象に残りました。

 

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集会では最後に「私たちは改めて、戦争の歴史・教訓に学び、そしていま再び『戦争する国』へと暴走する事態を直視し、戦争につながる一切を拒否する鳥喰を強めなければなりません。戦後を戦前に回帰させないために、本日ここに集う私たちは、さらに広範な人々とともに平和と民主主義を守るための活動を一層強化すること」を誓う「集会アピール」を採択し、集会を終えました。

 

私は、今年7月、中国東北地方と北京の戦跡を訪ねる「平和の旅」に参加し、中国への侵略の歴史の一部を学んできました。実は今年は、日中国交正常化45周年、「日中戦争」の発端ともいわれる盧溝橋事件からちょうど80年という節目の年でもあります。しかし、残念ですが、80年前の7月7日を振り返る集いが日本で開かれたという話はあまり聞くことができませんでした。私たちは、「12・8」を忘れてはならない日として、毎年取り組みを進めていますが、もっとアジアの人々に目を向けることが、今の時代には必要だと改めて思わされた今日の集会でした。

 

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2017年12月 8日 (金)

原爆ドーム 世界遺産登録記念集会 ――決意を新たにする集会でした――


原爆ドーム 世界遺産登録記念集会

――決意を新たにする集会でした――

 

127日、原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録されてから21年目の記念集会が原爆ドーム前で開かれました。今年は、「核兵器禁止条約」が採択され、核兵器廃絶を目的とするNPOであるICANがノーベル賞を受賞するという特別の年であり、核兵器廃絶のために全力を尽してきた被爆者や広島市民そして平和団体が、原爆ドームをシンボルとして、決意を新たにする機会になりました。

 

                     

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原爆ドームの世界遺産登録は21年前ですが、原爆ドームの重要性はそれ以前から認識されており、保存の努力もずっと続いてきました。その歴史を、集会のプログラムでは次のようにまとめています。

 

 

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集会参加者全員が「原爆ドーム」を前に、亡くなった被爆者そして今も一緒に活動している被爆者の皆さんと共に核兵器廃絶への誓いを新たにしました。主催者の核兵器廃絶広島平和連絡会議を代表しての献花と献水にその心を込めました。

 

 

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最後にこの集会で採択された「アピール」です。核兵器の廃絶を一日も早く実現するためにともに頑張りたいと思います。

 

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原爆ドーム世界遺産登録記念集会アピール

 

今から72年前の194586日午前815分、この広島に人類史上最初に 原子爆弾が投下された。

爆新地近くにあった広島県産業奨励館は、「原爆ドーム」と呼称を変え、 その歴史とともに、ここに立ち続けている。

 

今から21 年前の1996127日、「原爆ドーム」のユネスコ世界遺産への登録が実現した。 原子爆弾の恐ろしさ、愚かさを後世に伝えるために、この「原爆ドーム」のユネスコ世界遺産登録に向けて、多くの市民や県民が一体となって、4 年 の歳月をかけて署名活動などの運動に取り組んだ。その熱い情熱の結集が 164万を超える請願署名となり、政府を動かし、世界遺産登録委員会の決定を手繰り寄せることとなった。

 

私たち、ヒロシマが求めてきたものは、「原爆ドーム」の建造物としての 文化的価値の評価ではなく、「原爆ドーム」に刻まれた被爆者の慟哭と被爆の実相を世界の人々へ伝え、核兵器の使用を決して許してはならないという警鐘を鳴らし続けることにある。

 

本年717 日、史上初めて「法的に核兵器を禁止する」 ことを目的とした 「核兵器禁止条約」が国連で採択された。

しかし、日本政府は「国際社会の分断を一層深める」とし、交渉会議にも参加せず、条約の制定に反対している。

また、2015年に開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、核保有国と非保有国との対立により決裂し、先の「核兵器禁止条約」 に関する決議に際しては、唯一の戦争被爆国であり、核兵器保有国と非保有国との橋渡し役として核兵器廃絶に向けた議論をリードする役割と責任がある日本政府 が反対票を投じた。

 

こうした危機的状況だからこそ、ヒロシマの果たす役割は重い。

 

私たちは、「原爆ドーム」世界遺産登録の意義を再認識し、国内外の世論喚起を図るとともに、被爆の実相を着実に次代に継承していくなど、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けた運動を強化していかなければならない。

 

私たちは、72年前の惨劇を目の当たりにし、今もなお「核兵器廃絶と世界の恒久平和実現」を無言で訴え続ける「原爆ドーム」とともに、想いを共有する多くの人との連帯の輪をさらに広げ行動することをここに誓う。

 

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 原爆ドーム世界遺産登録記念集会

 

 

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2017年12月 3日 (日)

『われ御身を愛す』 ――愛新覚羅慧生と大久保武道の遺簡集――


『われ御身 (おんみ) を愛す』

――愛新覚羅慧生と大久保武道の遺簡集――

 

あと一週間で、19571210日から60年になります。そのタイミングで再び注目されているのが、「天国で結ぶ恋」とも呼ばれた、愛新覚羅慧生さんと大久保武道さんの心中です。2017121日(金)放送、TBS系列「爆報!THEフライデー」でも取り上げられています。

 

60年前の1210日、二人は天城の山中で発見されましたが、4日の夕方に姿を消し、捜査願いが出されていました。捜索隊によって発見されたのが6日後なのですが、二人は学習院大学の同級生で、慧生さんは19歳、武道さんは20歳の若さでした。

 

               

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天城山

 

この事件は「天城山心中」と呼ばれ、「天国に結ぶ恋」とも評されて大々的に報道されました。それは、愛新覚羅慧生さんが清朝最後の皇帝で満州国の皇帝になった愛新覚羅溥儀の姪 (溥儀の弟溥傑の長女) であり、母は、旧侯爵の嵯峨浩 (さが ひろ) という身分が大きく影を落していたようです。溥儀については、映画「ラスト・エンペラー」がヒットしましたので、今の方が60年前よりは良く知られている存在かも知れません。

 

大久保武道さんは、青森県八戸の旧家の出身ですし、当時、アルバイトもせずに学習院大学に通っていたのですから、掛け値なしの「庶民」とは言えないような気もしますが、嵯峨家から見ると「身分」格差が大き過ぎたのかもしれません。

 

当時、私は中学生でしたが、高校2年の時に、二人の遺簡集『われ御身を愛す』が出版され、ベストセラーになりました。高校生の間でも、特に同級生女子たちの間では大きな話題になりました。

 

愛し合う二人の迎えた死はあまりにも悲し過ぎるのですが、マスコミを中心に「純愛」の物語として受け止める人たちが多かったように思います。今なら、石川さゆりの「天城越え」と結び付ける人もいるかも知れません。


「心中」の真相は二人にしか分りませんが、武道さんの遺族は、せめて天国で二人が安らかな一時を過ごしてくれたらと祈っているようですし、嵯峨家の関係者や友人たちは、慧生さんが最後まで武道さんを翻意させようと説得を続けたと信じているようです。

 

「心中」に使われたのは武道さんの父が憲兵時代に携帯していた拳銃ですが、もし、拳銃が身近になければ、このような悲劇は起きなかったかもしれないと考えてしまうのは短絡的な結論でしょうか。

 

そして、さらに大きな背景としては国家主義と戦争を考えない訳には行きません。満州国の存在抜きでは語れない昭和史が少し違った形を取っていれば、と考えるのも論理の飛躍かもしれません。こんな感慨をセンチメンタルな溜息としてのみ記憶するのではなく、次の世代への責任を果すためのエネルギーに変えられたらと思っています。

 

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2017年12月 1日 (金)

裁判官弾劾裁判所 ――制度ができて今年で70年目です――


裁判官弾劾裁判所

――制度ができて今年で70年目です――

 

トランプ大統領が誕生した時には、任期中に弾劾され罷免されるのではないかという予測もありましたが、このところ、物議を醸すことも少なくなっているようですので、弾劾の可能性も低くなったと言えそうです。

 

そして弾劾制度は、アメリカだけにあるのではなく、対象になるのは大統領だけではありません。我が国の裁判官弾劾制度は、憲法で規定されている制度ですので、憲法が発効した時にこの制度も発足し、今年で70年になります。

 

この制度に私が関心を持ったのは、20年前、50周年の時に『裁判官弾劾制度の50年』という分厚い書物を贈られてからです。

 

             

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最近書庫を整理していて見付けたのですが、我が国の制度の概要や歴史だけでなく、海外の弾劾制度の紹介もあり、時間があれば読んでみたいと思ってはいますが、何しろ大部ですので、まずは付録の冊子を読んでみました。もっとも、ネット上には、裁判官弾劾裁判所の公式ホームページがありますし、そちらには最近の状況も載っていますので、お勧めします。

 

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でも折角、概要が分りましたので、報告させて下さい。

 

この裁判所設置の根拠は憲法15条です。

 

15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

 

それに基づいて64条で、設置が規定されています。

 

64条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。

2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。

 

裁判官も人間ですから、過ちを犯すことはあります。その結果、裁判官としては相応しくないと法律で決めているような行為があった場合、裁判官訴追委員会と呼ばれる、いわば検察のような役割を果す委員会が、訴追することを決めれば、裁判官弾劾裁判所で裁判をすることになります。流れは次の通りです。

 

 

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弾劾裁判所は一審制で、職務停止や罷免になった裁判官が再審の請求をすることはできません。その代り、罷免されてから5年経つと、「資格回復請求」ができるようになっています。

 

制度ができてから実際に訴追され弾劾裁判が行われた件数は、全部で9件あります。最初の二件は、1948年、終戦直後という時代を反映して、両件とも闇物資に関わった案件でしたが、結果は「不罷免」でした。

 

その他の7件は、罷免になっているのですが、1977年の罷免事件は、「前内閣総理大臣」の関係する汚職事件の捜査において、「検事総長の名をかたり、不当な指揮権発動の言質を取ろうとして現職総理大臣に対してかけられた謀略電話」の録音テープを新聞記者に聞かせた、というものですが、これも時代の色が濃く映し出されています。

 

平成に入ってからは3件の罷免が行われていますが、それぞれ、「3人の少女に児童買春をした」、「ストーカー行為をした」そして「乗客の女性に対し下着を盗撮した」と、これも時代の流れが裁判官にまで及んでいることを示していると言って良いのかもしれません。

 

罷免された7人のうち、資格回復裁判によって、資格回復に至ったのは4人です。その他の内、一人は裁判の請求をしましたが、棄却され、残る二人は、資格回復請求の資格がないか、請求をしていないようです。

 

弾劾裁判にかけられる裁判官は、例外中の例外だと思いますが、だからこそと言うべきか、そんな人たちにもと言うべきなのか分りませんが、弾劾裁判の歴史が社会全体の変動を反映していることに一種の感慨を覚えています。

 

因みに、アメリカでは200年以上の歴史がありますが、その間、大統領も含めて19件の訴追があり、8人が罷免されています。

 

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2017年11月26日 (日)

広島の被爆遺構、被服支廠で「戦争の終わり」を学ぶ   

原水禁学校の第二回の報告です。

報告は本ブログのスター・ライターの一人中谷悦子さんです。

 

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2017年度2回目の原水禁学校は、被服支廠での被爆者の証言から始まった。被爆者は中西巌さん。原爆が投下された当時15歳。広島高等師範学校附属中学校の生徒だった。学徒動員で被服支廠での連日の作業に動員されていた。賃金はなし。文字通りただ働きだった。

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被服支廠は1913年に竣工され、南北500m、東西300mの広大な敷地に1号から13号までの倉庫、作業を行う建物、従業員のための保育所などが建造されていた。ここでは、兵士が戦場で使用する軍服、軍靴、ベルト、毛布、一人用のテントが作られていた。中西さんの言では六尺褌も作られていたそうだ。まるで兵士の死装束を作っているようだと思った。

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中西さんから面白い話を聞いた。動員学徒がストライキを決行したというのだ。戦争末期になると、布や靴下などの生活必需品が不足し、中には工場から品物が消えることもあったそうだ。そのため従業員の身体検査が行われた。それが学生たちまで拡大されるということに立腹し仕事をするのを止めたそうだ。軍人は弾圧しようとしたが 肝のすわった学生二人の訴えがみとめられたそうだ。お咎めはなし。逆に彼等の言葉は廠長の心を動かした。 

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8月6日。中西さんの命を救った3つの幸運とは。一つは市内中心部に荷物の運搬に出かけることになっていたがトラックが遅れたので出かけなかった。二つは建物の近くにいたため30度の角度で襲った熱線を浴びなくてすんだ。3つは実家が郊外で、爆心地から離れていったこと。

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次から次へと運ばれてきた被爆者たちのうめき声-水!水!これは地獄だと思った。「おかあさん、死にたくないよ」という女学生の声を未だに憶えていると語ってくれた。自分の名前や自宅の住所を叫び、家への連絡を頼む声も忘れられない。亡くなった人は穴を掘ってそこで焼かれた。

 

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 広島城では中国軍管区司令部跡と大本営跡で金子哲夫さんの話を聞いた。大本営跡に立つ明治二七二八戦役廣嶋大本営の碑を前に、日本と広島が歩んだ戦争の歴史を学んだ。明治二七二八戦とは日清戦争のこと。ここに大本営が置かれ、9月15日から翌4月27日まで明治天皇が滞在し帝国議会が開催された。東京ではなかなか決まらなかった戦費一億五千万円が一日で決まったという。

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大本営跡にある石碑はなぜか塗りつぶされている。この碑文を解明した人がいるらしい。「史蹟名勝天然記念物保存法に依り 大正十五年十月内務大臣指定」の文字を占領軍が広島に入った時あわてて塗りつぶした。あった歴史を隠し、真実が伝えられないのは現在も同じ?

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ここで面白い話を聞いた。広島市の水道の歴史だ。1899年1月に市水道として給水を開始している。広島市の水道は天皇の勅令により軍用の水道という形で敷設された。これはそれまで例がないことだったという。日清戦争が起こると多くの軍人が広島市に集まったことも大きな要因になった。疫病を防ぐにはきれいな水の確保が大切だったということであろうか。こんなところにも軍と歩んできた歴史がのぞく。

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[中谷悦子]


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2017年11月14日 (火)

AFS同期生との楽しい一時 ――いつの間にか、皆「ラディカル」になっていました――


AFS同期生との楽しい一時

――いつの間にか、皆「ラディカル」になっていました――

 

60年近くも前、今は横浜の山下埠頭に係留されている氷川丸で一緒に留学した仲間の何人かが集まって話をする楽しさは言葉にできません。誰かが一言喋り出すと、瞬時に全員がその内容を理解してしまう、といった感じで会話が弾みます。勿論、それぞれの分野での「専門家」として知られている人たちばかりですので、初めて聞くことも多く専門的な知見も披露されるのですが、でも話の筋は感覚的に分ってしまうのです。

 

             

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私たちを留学させてくれたのはAFSと呼ばれる団体です。私との関わりは、「目標リスト その3の中で説明していますが、再度簡単にまとめておきます。

高校生留学を一番昔から推進してきた団体なのですが、その団体のそもそもの発端は1914年の第一次世界大戦です。当時パリに住んでいたアメリカの青年たちが、戦場で救急車のボランティア運転手を務めたことから始まったのです。その後も活動は続きましたが、第二次世界大戦が終った時点でAFSは大きな方針転換をしました。戦争が始まってからのボランティア活動も大事だが、戦争が起らないようにするためのボランティア活動をしようということになったのです。その結果が高校生の交換留学推進です。

 

つまり、AFSという団体の目的には、国際理解や外国語の習得も含まれますが、大目標は世界平和ですし、その実現のためのリーダーの育成です。目標達成のために、大学生の留学ではなく高校生の交換留学を進めた最大の理由は、一年間、とは言え夏休みの間を除いて10か月間、ホスト・ファミリーの家族の一員として生活をし地域の高校に通うことにありました。そのことで、大学生になってからの留学なら、例えば寮に「隔離」され、周辺の地域ともしばしば利害関係が対立するという環境に置かれます。しかし、高校留学の場合には実際にその地域に住んで、日曜日には教会にも行き、その他の地域行事にも参加することで、普通の市民の「生活」を体験することになります。

 

 

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卒業した高校のYEARBOOKから

 

そして、その生活が、10か月続くことも大切です。「家族」としてそれだけ長い間一緒に過ごすのですから、一月なら何とか我慢できたるようなことでも、どこかで「衝突」するようなことにもなります。喧嘩も起ります。それを、「平和裡」に解決して家族としての関係を維持する経験を通して、本当の「異文化体験」が身に着くことになります。もう少し抽象的に言えば、多様性の内面化です。

 

ほぼ60年前にそんな経験をした私たちは、その10か月が人生を変えるような大きな贈り物だったような気がしています。ですから当然、若い世代の皆さんにも同じ体験をして貰いたいと考え、今も続いているAFSの活動を様々な形でサポートしてきました。

 

でも最近では、その活動にも大きな変化が見られるようになりました。留学したいと考える若者の数が減ってきていることに象徴されるのですが、「内向き志向」や「コスト」、そして「生きがい」についての考え方が変ってきていることなどが原因です。

 

学校も高校生自身も、「海外に留学して進学が一年遅れるより、早く良い大学に入る」という選択をするケースが増えていますし、留学費用がかなりの負担になることから、それを大学での学費に充てた方が良いと考える人も増えているようです。また、ホスト・ファミリーを引き受けることで生じる経済的その他の負担と、留学生との10か月という時間の意味とを比較衡量して、ホスト・ファミリーを希望する家庭が減ってきていることも問題です。

 

ではどうすれば良いのか、私たち同期生の間で、熱い議論をすることができました。いくつかの具体案も生まれましたので、すぐ実行して行きますが、成果が見える段階でまた報告させて頂きます。

 

その他、現在のわが国の政治、特に改憲の動きにどう対応すべきなのか、若い世代に私たちの世代の経験やそれに基づいた教訓をどう伝えて行けば良いのか等についても、突っ込んだやり取りができました。

 

それにしても、一つ一つの発言は、「根源的」という意味での「ラディカル」さ、そして、必ずしも世間の波には流されないという意味での「ラディカル」さに満ちていました。それは、私たちに残された時間が少なくなっていることにも関係があるのですが、「いやいや、まだまだ私たちでも役立つことが沢山ある」という結論にまとめることができました。

 

 

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コメント

アメリカへの留学→アメリカの理解→アメリカのフアンになる
という方程式は、
アメリカを日本といいかえても、中国、北朝鮮といいかえてもなりたつのではないでしょうか。。
相互理解は平和への道といえるようです。

「留学」様

コメント有り難う御座いました。

「交換」留学は、基本的には双方向での留学制度です。御指摘の通り、海外で生活することから「平和」を築くという考え方です。もっと多くの若者が参加してくれると良いのですが---。

2017年11月 7日 (火)

水島朝穂教授講演会 ――独裁者を正確に描くと笑い飛ばすことになってしまう――


水島朝穂教授講演会

――独裁者を正確に描くと笑い飛ばすことになってしまう――

 

安古市高校の後、112日は、アステール・プラザで早稲田大学の水島朝穂教授の講演会がありました。講演の始まる30分前から多くの人が会場に着いていて、先生の来場を待っていました。イギリスのガーディアン紙が報じていた「空席の目立つホールがイヴァンカを歓迎」とはかなり様子が違います。

 

               

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YouTubethe Guardianのページです。中央は安倍総理

 

水島教授は、かつて広島大学でも教鞭を執っていたことがあります。大変精力的で頭脳明晰、快刀乱麻という言葉がすぐ頭に浮びます。事実、2日の講演も詳しいレジュメがあったのですが、90分の内、1時間ほどはそれに関連した脱線に注ぐ脱線でした。それも「安倍加憲」の本質を詳細な歴史的事実や法文の引用を交えながら、笑い飛ばす痛快なプレゼンテーションでしたので、会場は笑いに包まれつつ、知的な刺激に唸る充実した一時になりました。

 

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7月末にはスタンダップコメディアンの松元ヒロさんの笑い、そして今回の水島教授の笑いを直接経験して、チャップリンの喜劇『独裁者』を思い浮べていました。そして気付いたことは、「独裁者」をできるだけ正確に描こうとすると、それは喜劇になってしまう、という事実です。独裁者の論理は独善的かつ矛盾に満ちています。それをつなぎ合わせて何とか解釈しようとすると、その結果は、私たちの常識とはあまりにも掛け離れた世界になってしまい、しかも、それを独裁者自身が真面目に受け止めているという自己中心性を加味すると、笑わざるを得ない状況になってしまう、ということなのではないかと思います。

 

と言って、どうしても補っておかなくてはならないのは、その被害を受ける側にすれば、「笑い」とか「喜劇」とかいう言葉を使うことさえ憚られる残酷・悲惨な運命を科されるという事実です。そのこともしっかり踏まえての行動が必要です。

 

しかし、私たちの多くは「善良」です。矛盾に満ち、大惨事をもたらしてしまうシナリオの中からできるだけ無害なしかも自分に都合の良い部分だけを取り出して、独裁者の意図を中和して解釈する傾向に陥り勝ちです。

 

水島教授の講演も新聞等のインタビューも、ホームページも、もちろん論文もそんな幻想を粉々にしてくれます。詳細をここで再現するだけの時間がありませんので、まずはホームページ、そして「直言」をお読み下さい。

 

この「直言」は199713日に始まり、週一回新たな「直言」が付け加えられて2015年には1000回を迎えています。私もできるだけ毎週目を通すようにしていますが、とても勉強になりますし、水島教授の情熱に触発されて元気になること請け合いです。

 

超高スピードで話をする水島教授の言葉をメモするのは大変だったので、断片的になりますが、それでも、本質的な「サワリ」を一つ二つ報告しておきましょう。

 

(A) 四字熟語

 私たちは四字熟語に弱い。それを上手く使って、為政者たちが政治を劣化させてきた歴史を重く受け止めよう。

 「国際貢献」とは、自衛隊の海外派遣のことだった。

 「政治改革」とは小選挙区比例代表並立制という悪しき選挙制度の導入のことだった。

 「規制緩和」の名の下、誰のため、何をどう規制するのかは問われずに、私たちを守ってきた規制が緩められてしまい、何でもありになってしまった。

 「憲法改正」が一番危険な四字熟語だ。

 

(B) 安倍総理の「改憲」をどう受け止めるのか、色々な表現の仕方があるが、「お試し改憲」「あら探し改憲」というのもあった。その後、「ねじれ解消」のための「自爆改憲」という可能性もあった。つまり、自らが倒れる傾きと勢いを使った「自爆改憲」だ。この危険性についても要注意。 

 

国会議員の4分の3が改憲賛成だと言われる結果になった総選挙後、国会で改憲の発議をさせないために、世論を高め、議員個人個人にも積極的に働きかける運動がますます重要になっている、という主催者からの呼び掛けが最後にあり、参加者一同新たなエネルギーを補充して貰って帰途に着きました。

 

 

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2017年11月 5日 (日)

「多様性」を中心に選挙制度を考える ――今の制度では民意が反映されていないと8割の人が考えています――


「多様性」を中心に選挙制度を考える

――今の制度では民意が反映されていないと8割の人が考えています――

 

昨日の続きです。「多様性」を確保するという視点から政治を考えて見ることが、今の時代を生きる上での基本になって欲しいという思いです。

 

                 

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多様性を最大限に保障する政治制度は、全員参加制度です。100人の集団で、100人すべてが最終決定に関われば、最も多様な意見が反映されることになるからです。その対極にあるのはその中の「一人」による独裁制であることも分って貰えると思います。

 

しかし、国という大きな単位で、常に全員参加の決定を行うのは難しいので、選挙で代表を決めることになります。そのためには、何らかの基準を設けて選挙制度を整備する必要がありますが、何のために選挙を行うのかの再確認から始めるべきだと思います。

 

「政治改革」の名の下に導入された小選挙区比例代表並立制というシステムを推進した人たちは、「政権交代のできる制度」こそ最優先されるべきだと主張しました。そのためには、民意の忠実な反映、特に多様性を確保することは二の次三の次という価値観をあからさまに表明して、マスコミもこぞってその考え方を支持しました。こんな暴論で事が進んだ背景にあったマスコミの驕り、そして一部の学者の知的不誠実さを忘れてはなりません。

 

もし政権交代をすること自体が、多様性以上に尊重されるべきであるのなら、選挙など行わずにジャンケンで決めることにした方がお金もかからず、確率的には半々で権力が変りますので、その方が良いという議論さえ可能です。

 

しかし、政権交代を実現するために選挙制度のデザインをすることは本末転倒です。元々の母集団でも大切だった「多様性」が選挙の結果にも保障されることが本則でなくてはなりません。つまり、選挙の本来の目的とは「多様性」の確保であり、それこそ最優先されるべきなのです。そして母集団と同じように、その多様性を生かすためには寛容さがなくてはなりません。力の強い側が、力を恃みにして弱者を押し除けてはいけないのです。つまり、話し合いと創造的な折り合いを付けることが基本です。

 

そのための選挙制度としては、少数派の意見も投票結果に反映される比例代表制度が当然の選択です。実は、この点を理解するためには、その正反対のことが起きればどうなるのかを考えて見ることが役に立ちます。

 

極端なケースとして独裁制を考えると、そこで否定されている最大の要素は「多様性」だと言って良いでしょう。もう一つ、独裁制の下では、独裁者が全てを決めることになるので、当然、時間は掛りません。時間の有効活用等、時間を持ち出して話し合いを拒否する、あるいは話し合いの時間を短くすることは、独裁制につながる道であることもしっかり確認しておく必要があります。

 

もう一つ、多くの政治家や政党が「自らの身を切っての改革」といった旗印の下、推進しようとしている「議員数削減」も、「多様性」の視点から考えると決して陥ってはいけない落とし穴です。

 

数学ではしばしば、物事の本質を理解するために、「極端な」ケースを想定して、つまり「思考実験」として物事を考えることが有効です。議員削減の極端なケースとは、議員数を極限まで減らして一人にしてしまうことです。それは、独裁制ですので、「議員削減」が何を目指しているのかはこのことだけからも明らかでしょう。

 

しかも、多くの場合、「身を切る」あるいは「身を切られる」のは、少数派、あるいは弱者の代表で、議員数削減に賛成する人たちは、削られることはなく身分は安泰である場合がほとんどです。「身を切る」改革とは結局、弱者を排除し切り捨てるための口実として使われていることが分ります。

 

最後に二つのグラフを御覧下さい。最初は内閣府が2014年に行った世論調査で、今の政策に民意が反映されているかどうかを聞いています。大雑把に総括すると、8割ほどの人は「反映されていない」と考えています。そして残りの2割くらいが「反映されている」という意見ですが、小選挙区比例代表並立制が導入された1994年くらいから急激に乖離が進んだことは記憶しておくべきでしょう。

 

 

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そして民意が反映されないのは、小選挙区制が原因です。5割に満たない得票率で、8割もの議席を占有する結果に多くの有権者が不満を持っているということなのですが、得票率と議席占有率の大きな乖離もグラフとして見ておきましょう。

 

Photo_3

 

安古市高校の生徒さんたちの質問は次回に回さざるを得なくなりましたが、質問は素晴らしかったのに、十分には答えられなかったことも補足しての「回答」を、次回アップします。

 

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コメント

多様性は別の見方をすれば解りにくいと言う事も出来ます。投票率の
低さもこの辺が原因ではないでしょうか。私は欧州の選挙制度の方が
良い様に思う。各政党が旗の色を鮮明に出しフリーハンドで選挙戦を
行い、民意の結果によって一つの政党が過半数を取れなければ初めて
連立を模索するという事です。国民には解り易い選挙といえます!

「鯉の応援団」様

コメント有り難う御座いました。

ここで言及されているのはフランスの過半数当選式小選挙区制のことでしょうか。それとも国会における総理大臣の指名についてなのでしょうか。

後者だとすると、例えばドイツでも日本でも下院における投票で過半数を得た人が指名され、日本の場合は参議院との関係はありますが、過半数を得た人がいない場合は決選投票になります。ここで、「連立」の可能性が出てきますが、基本的にドイツと日本の間で制度的な違いはないと考えた方が良いように思います。

前者だとすると、ドイツは小選挙区当選優先拘束名簿式比例代表制で、フランスとは違います。基本的には比例代表で、小選挙の当選者が多いと「超過議席」が与えられるという仕組みです。

政党色を出して選挙を行っている政党は、日本にもあります。「フリーハンド」で選挙という意味が私には良く分りません。

わたしは、市民連合が「多様性重視」のこういう方向の議論を提起し、各野党の統一綱領として提案していくことが大事だと思っており、すでに内部的に提起しています。各野党が変に合併せずに、それぞれの良さを活かしたほうが、野党全体のパイも伸びるでしょう(参院一人区と衆院小選挙区では次回一回限りの棲み分けは仕方がないですが)。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。

野党全体として推進できる共通の指針を一つか二つ明確に示せれば、政治の状況はかなり変ってくると思います。そのためには「多様性」のように少し抽象的でも、これからの社会の本質をハッキリ召している概念が大切だと思います。

市民連合、頑張って下さい。

2017年11月 4日 (土)

明治維新の原動力は藩の多様性 ――安古市高校での講演から――


明治維新の原動力は藩の多様性

――安古市高校での講演から――

 

多様性が大きな力になった例として、司馬遼太郎は「明治維新」を挙げています。

 

                   

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つまり、明治維新の原動力になったのは、当時300ほどあった藩の多様性だということなのです。今の時代では、人口で考えると、都市といっても良いと思いますが、各藩にそれぞれ特色のあったことは時代劇などにも反映されています。その中で注文すべきなのが、教育制度だというのが司馬の指摘です。(文春文庫『この国のかたち 一』「14 江戸期の多様さ」参照)

 

例えば、大隈重信の出身地、佐賀藩では、

 

 

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 67歳で藩校に入校、25, 6歳で卒業。

 「不出来のため学齢に即した段階に進めない者に対しては役人にしないばかりか、家禄の10分の8を削った」

 

西郷隆盛を輩出した薩摩藩では、それと対照的な教育をしていたようです。

 

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 「意識的に学問を軽んじた」

 藩士の教育など、初等ていど。学問をすると、理屈っぽくなり峻烈果敢な士風が鈍磨する、考えられていた

 その代り、若衆宿である「郷中(ごじゅう)」を組織し、「郷中頭」が若者を統御・訓練する制度を作っていた

 

このような教育の結果、藩のリーダーたる人材が特定され、政治や経済の方針を決めたのですが、そのリーダー、今で言えば官僚でしょうが、の登用の仕方が長州藩では一風変っていました。長州藩の出身者で有名なのは伊藤博文ですが、彼はこの制度によって武士になりました。

 

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長州藩で、藩士士分に取り立てて貰う方法

 「ハグクミ」では家士が誰かを扶養し、弟分とみなすだけで武士

 家士が「手附き」つまり家来だと届けることで、藩士として扱われる

 のちの伊藤博文は、こうして藩士として扱われることになった

 

多様性が現在の世界にどう生きているのかは、フロリダ教授の研究成果を引用して説明しましたが、続いて、政治を考える際、特に選挙のあるべき姿をデザインする上でも最優先されなくてはならないことを、歴史的な事例も含めて説明しました。

 

一人一票という選挙の大原則は、人権という立場からとても大切なのですが、それを含めて、「多様性」という立場から見直すことも重要です。

 

多様性を最大限に保障する政治制度は、全員参加制度です。100人の集団で、100人すべてが最終決定に関われば、最も多様な意見が反映されることになるからです。その対極にあるのはその中の「一人」による独裁制であることも分って貰えると思います。

 

しかし、国という大きな単位で、常に全員参加の決定を行うのは難しいので、選挙で代表を決めることになります。そのためには、何らかの基準を設けて選挙制度を整備する必要がありますが、何のために選挙を行うのかの再確認から始めるべきだと思います。そこで、多様性を生かすことを優先する制度が登場します。

 

随分長くなりましたので、選挙制度については次回に回します。

 

最後に、司馬遼太郎の代表作の一つ『坂の上の雲』について、今年の初めに総理大臣談話を分析した一環として取り上げています。多くの司馬ファンの考え方とは違っていますが、こちらも参考のためにお読み頂ければと思います。

 

 

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