歴史

2018年4月17日 (火)

 中国のワインをお土産に頂きました ――ワイン造りには紀元前からの歴史があるそうです――

 

中国のワインをお土産に頂きました

――ワイン造りには紀元前からの歴史があるそうです――

 

北京に住んでいる友人が一時帰国しましたので、最近の中国事情など、興味ある話を聞くことになりました。何度か北京に行ったことはありますが、そのときの印象を元にした私のイメージでは、自転車が水平線を覆って動いている街、ホテルの前の川で日がな一日釣をしている老人の姿、訪ねる度に舗装が進んでいる高速道路、近代的なビルの屋上に載っている中国風の屋根、といった雑多なものなのですが、テレビで見ているだけでも、これらがもう「古臭い」時代のものになっていることが分ります。

 

「北京での生活はどう?」と軽い気持で聞いたのですが、即座に「とても快適」という答が返ってきました。これは意外でした。その理由とは、とにかく、どこへ行くのも何をするにも、「カード一枚」で済む生活だからということでした。もう慣れっこになってしまっているので、広島市内の公共交通機関を使うのにも複数のカードが必要で、買い物にはまた別のカードという生活に、たまには不満のあるものの、極めて不便とは感じていない日々を送る身として感じたのは、それでも「カード一枚」で全てが済んでしまえば、ウォレットの膨らみから解放されることは間違いないだろうという点でした。

 

そんな生活ができるのも、中央集権政治が徹底している中国ならではのことなのだと思いますが、日本で日常的に悩まされている、PM2.5や黄砂、その他の中国発の環境面での問題です。それについても、黄砂は自然相手になるので、様子が違うけれど、PM2.5対策はかなり進んでいるとのことでした。これも政府が力を入れればすぐ効果につながる例だとのこと。

 

会っているのに会っていないと言ったり、保存してある文書なのに「存在しない」と言ったり、取っておかなくてはならない文書を破棄するように指示したり、嘘がばれそうになると口裏を合わせ、自分が膿であることも自覚できずに、あるいは自覚していても、「膿を出し切る」とだけ言い張って何も責任を取らない政治、そして世界の動きについて行けず、周回遅れの時代観だけが目立つ外交が横行している様子に毎日付き合わされている目から見ると、良し悪しは別として、中国では政治が動いているという違いがあるように思えました。

 

極め付きはワインでした。ウイグル産のワインで、北京でも人気のあるブランドなのだそうですが、英語名は「Skyline」。漢字では「天塞」です。

 

Photo

                             

 ラベルも見て頂くと分りますが、「Skyline of Gobi」、つまりゴビ砂漠のスカイラインです。そして、品種は、カベルネ・ソビニョーンとメルローのブレンドです。

 

Photo_2

 

 中国全体のワインの消費量は急激に伸びていて、2016年から2020年までの増加量、率ともに世界一になり、2020年には18,000万ケースになるとのことです。ちなみに、アメリカが一番多くて、33,400万ケース、日本は約4,000万ケースという予想です。

 

2016年の実績でも日本の3,700万ケースに対して、中国は15,000万ケースですから正に桁違いです。消費量が多ければ、その品質も高くなって当然です。

 

という背景を考えて、特別な機会に「天塞」を開けたいと思っています。美味しいワインであることを祈っています。

 

[2018/4/14イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

  

広島ブログ
広島ブログ

コメント

カードについては韓国も一枚で済みますが、日本はJR各社ですら違うとか、クレジット・カードとは別にETCカードがあったり、PASPYのように意味なくカードの種類が増えているように思います。

PM2.5については日本も結構酷いのですが、報道は中国のことばかりで、国連の調査でも日本で大気汚染のために交通事故の5倍もの日本人が亡くなっているというのに警告も対策も殆どありません。

外交も内政も民間の技術も、日本だけが停まっているように思えます。

昔から中華料理には張裕解百納(チャンユー・カベルネ)の特選級をよく飲みます。それほど重くはありませんが結構辛口でタンニンが強く中華料理など脂っこい料理に合います。正直なところ結構バラツキがあるようにも感じます。天塞は知りませんでしたが感想を楽しみにしています。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

政治・経済・環境・技術等々、停滞している日本ですが、マスコミの能力や気骨も大きな問題です。流されてしまっている庶民の側から変えるための知恵が必要ですね。

「中華好き」様

コメント有り難う御座いました。

張裕解百納(チャンユー・カベルネ)は、良く知られているワインですね。今まで中国のワインを飲んだことがないので、今度、中華料理と一緒に注文してみます。

Z級グルメを自認していますので、天塞について正確に表現できるかどうか自信はありませんが、報告はします。

2018年4月15日 (日)

 浦島太郎 ――日本を留守にしている内に変ってしまったこと――

 

浦島太郎

――日本を留守にしている内に変ってしまったこと――

 

異国で暮して、故郷に戻って来たら、何もかも変ってしまったのが浦島太郎ですが、何年か海外で過した後に、同じような経験をされた方も多くいらっしゃると思います。

 

私も、日本に定住することになってから苦労したこともあるのですが、未だに引っ掛かっていること二つを御披露したいと思います。二つとも、まだ小さいときに経験したことと、現状とが違っているだけのことなのですが、「違和感のある日本語」とも関連しますので、共感して下さる方の出てくることもちょっぴり期待しています。

 

二つとも、駅のアナウンスで頻繁に出てくる言葉です。一つ目は、「山手線」です。千葉から総武線で秋葉原で乗り換え、山手線か京浜東北線で御徒町まで行って松坂屋で買い物をするのが母のお決まりのコースだったのですが、都会のシンボルが「山手線」だったと言っても過言ではありません。その「山手線」の最近の呼び方、駅のアナウンスは「やまのてせん」なのです。

 

Yamanote_line_04_set_akihabara_stat

                             

By aqz-tmin (NIKON CORPORATION NIKON D80 170709090144) [CC0], via Wikimedia Commons

 

一寸、歴史を振り返ると、戦前、元々は「山ノ手線」と書いて「やまのてせん」でした。それが、戦後になって「山手線」と書いて「やまてせん」になりました。そして、1970年代の初めに、「山手線」と書いて「やまのてせん」と読むようになったらしいです。

 

私が子どものときは、もちろん「やまてせん」でしたので、全く問題はありませんでした。浦島太郎に取っては、読み方は変えて漢字はそのまま、という変てこな変り方でした。あるいは読み方は元通りになったけれど、漢字は変えたまま、という解釈もできますが、読みと漢字を統一したらどうでしょうか。もう一つの問題点は、浦島太郎に取っての二つ目の戸惑いの後に回します。

 

二つ目は、「降り乗りは順序良くお願いします」といった感じのアナウンスです。昔は「乗り降りは」と、「乗る」方が先に来ていました。

 

混雑しているときには特にそうだと思いますが、降りる人が先に降りてくれないと、中には空きができませんので、電車には乗れません。だから「降りる」のが先で、「降り乗り」が正しい、という理屈らしいのですが、「乗り降り」が小さいときから耳に焼き付いていますので、聞く度に大いなる違和感です。

 

一つには、「乗り降り」とは一体の行為として、乗ることと降りることを指している言葉ですので、どちらが先に来るかで、どちらを優先しなくてはならないというルールを表現している言葉ではないからです。そのような言葉は日本語にはたくさんあります。例えば「損益計算書」の「損益」ですが、これは、ビジネスをするときに「損」を優先しなさいと主張している言葉ではありません。もう一つ挙げておくと、「虚実」もそうです。ないことより「実」の方が価値はあるでしょう。

 

このどれにも共通しているのは、発音のし易さですし、音としての美しさです。「降り乗り」も「益損」、そして「実虚」も、言い難いという点では半端ではありません。言い易い、聞いて快い言葉を大切にするのも、日本語の特徴、いや恐らくは全ての言葉の特徴だと思います。

 

そして最初に戻ると「やまてせん」と「やまのてせん」では、「やまてせん」の方が美しいと私は感じるのですが、これはもう好みの問題でしょうか。

  

[2018/3/28イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

  

広島ブログ
広島ブログ

コメント

「やまてせん」の方が美しいし、'60年代後半に地方から出てきた者でも、
断然、「やまてせん」。
東京は山の手の出でもないのに、ヤマノテと言うことに、気恥しさと、
おこがましさも感じるし。
(JRもいまだ国電と→国鉄民営化→この国のテイタラクの始まり→国鉄の
3人の友→国労をヤメなかったばっかりに→国鉄を追われ...→JRなどと
言ってたまるか😡)

先だってのポルシェ→写真に収まるなら→決めはサングラス→
『そういう悪ノりは好きでない』→そう、そこが人を惹きつけるとこね。

わたしの場合は、生まれたときからすでに「やまのて線」でした。
なぜ山の手じゃないのか疑問でした。
あと、海に近い京葉線は海の手線で良いのでは?と子どもながら思っていました。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

もっと昔は「省線」でした。鉄道省の線という意味でしょう。NTTもそうなのですが、全国的につながっていることが大きなメリットなのに、地域ごとに別会社を作るという意味が今一分りません。

それとサングラスだけではなく、もっとパリッとした格好で乗るべきでした。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。「京葉」は「京浜」に対抗して、東京と千葉から作ったらしいですが、それだからでしょうか、中国の古典に源を発する「湘南」ほどは、エレガントには聞えませんね。音としては、「海の手」の方が「山の手」より響きが良いように思いますが--。

2018年4月 7日 (土)

 卒業式・入学式 ――子どもたち・学ぶ側の視線ではいけないのでしょうか?――

 

卒業式・入学式

――子どもたち・学ぶ側の視線ではいけないのでしょうか?――

 

34月は、卒業そして入学のシーズンです。卒業や入学を祝う行事があり、感動的な歌もいくつも作られています。『仰げば尊し』もその一つですが、何時までも歌い続けて欲しい歌の一つです。

 

今回、トピックとして取り上げたいのは「卒業式」と「入学式」という言葉です。実は、この卒業式と入学式について、長い間、気付かなかったことで、50代になってからハッと気づいたことがあるのです。その頃から、公立学校の卒業・入学式に招かれることが多くなり、何だか変だなと思いつつ、ずっと気になっていたことなのですが、恐らく皆さんの中でも気付かなれていない方の方が多いのかもしれません。まずは次の写真を御覧下さい。

  

Photo


手元に手頃な写真がなかったので、ネットからお借りしましたが、「卒業式」ではなく「卒業証書授与式」なのです。ほとんどの公立学校では、少なくとも広島市内の公立学校では、「証書授与」という麗々しい4文字を加えて式典が取り行われています。

 

「卒業証書授与式」の方が古くからある使い方のようなのですが、私が違和感を持ったのは、「卒業式」と「卒業証書授与式」の視線の違いです。「卒業式」は「入学式」と同じく、学校に入る、卒業するという子どもたち、学ぶ側の視線の言葉です。それに対して「卒業証書授与式」は、卒業証書を「授与」する学校側、上から目線の言葉です。

 

それだけではありません。『仰げば尊し』で歌われているような、学ぶことによって培われる師弟の愛や、同じ学び舎で学ぶ若者たちの友情、そして同じ時期に同じ環境で暮すことのできた子どもたちを取り巻く同時代意識など、学校教育の本質を「証書授与」という官僚的な一言でバッサリ切り捨ててしまう、という野蛮な結果までもたらすことになっています。

 

「入学式」のほうには「入学許可式」などという野暮な言い換えはありませんので、両方とも統一して「入学式」「卒業式」にできないものでしょうか。

 

Photo_2

 

 

これもネットからお借りしましたが、「卒業証書授与式」などという変てこな、かつ無理な言葉を使わなくてはならないのは、やはり文部科学省の差し金ではないか、と私も思ったのですが、そうではありませんでした。文部科学省に問い合わせた人がいるのです。その結果、文部科学省では「卒業式」を使っている上、学習指導要領にもそう書かれているとのことです。詳しくはこちらのブログを御覧下さい。

 

だったら、広島市内や県内でも、子どもや学ぶ側の視線に立って、来年からは「卒業式」にできないものでしょうか。

 

広島市内でも私立校では「卒業式」を使っているところもあるのは当然ですが、証拠写真も添付しておきます。

 

20170304_23_09_17

 

 

[2018/3/22イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

 

 

広島ブログ
広島ブログ

コメント

① 長い方がかっこいいから。
② 3月末日まで籍があるので、それまでは卒業していないから「授与式」
こんなんじゃないでしょうか

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

① それで、加計学園・岡山理科大学では、「入学宣誓式」にしたのですね!!

② こちらはかなり「官僚的」視点からの理由付けですが、それを卒業ではなく、入学に当てはめると、通常4月1日には入学していることになっていますので、「入学」式ではなく、「入学宣誓式」「入学許可式」とかにすべき、ということになりませんか??

色々、理屈を考えて見るのも一興ですね。

2018年4月 6日 (金)

 行動する宗教者・中垣法師 (その3) ――会場からの問題提起も本質を突いたものでした――

 

行動する宗教者・中垣法師 (その3)

――会場からの問題提起も本質を突いたものでした――

 

浄土真宗の「フリーランス僧侶」、ニューヨーク在住の中垣顕實さんと41日に対談をし、その後の打ち上げでも、多くの皆さんと話すことができました。また会場で頂いた質問も貴重でしたし、その場では発言して頂く時間がなかったため質問用紙に書いて頂いた御意見や質問にも目を通して、改めて41日にとても良い機会を頂いたことに感謝しています。

 

かつては激しい運動をすると、翌日には筋肉が痛くなっていましたが、最近は数日経ってから身体に影響が出るようになりました。老化現象なのですが、知的・精神的な刺激についても同じことが起きているようです。このところ、中垣師との再会そして41日の対談と影響が心の中に残っていて、それを丁寧に反芻しながら次の仕事に取り掛りたいと思っています。

 

中垣師の魅力の一つは「お人柄」ですが、対談の中でもまたその後の車の移動中や打ち上げ等でも、心から感心したのは「嫌いな人にはこちらから話し掛けている」という言葉とその実行です。「知らない人には挨拶する」も一対になっての対人関係の基本ですが、「嫌いな人に話し掛ける」のは、誰にでもできることではありません。そして、話し掛けることで相手との関係が変り、善循環を作るためには、話し掛ける際の自然さや真剣さや、そして己を虚しゅうできるのかどうかといったことに懸かってくるはずなのですが、これも、「言うは易し」の範疇に属している事柄のように思えます。

 

と言って足踏み状態でも困るのですが、でも、中垣師が強調したもう一つのことは、そこから抜け出す簡単な方法でした。「難しいことは言わなくても良い。考え過ぎることもない。まずは行動すること」――ここから始めれば良いのです。

 

Jpg

                             

 

会場からの質問と宿題として頂いた質問や意見ですが、その全てを報告するだけのスペースがありませんので、独断と偏見でその中のいくつかを取り上げさせて頂きます。

 

 今若者の間で話題になっていることの一つに「二次創作」があります。一つのストーリーの中のキャラクターを別の環境や派生する場で活躍させたりということなのですが、広島も、その視点から見ると「ヒロシマ」が出てきたりしています。でも、元の「広島」に戻ることも大切なのではないかと思いますが、どうでしょうか。

 

(ア) 和歌で言う本歌取りに共通する考え方ですが、中垣師が最近、取り上げている「卍とハーケンクロイツ」の問題は、正にその点についての考察だと思います。長い間、幸せのシンボルだった「卍」が邪悪な目的のために使われ、その犠牲者たちに取っては究極の悪のシンボルになった。それを無視することはできないにしろ、元々の意味とどのような形での和解を図るのか、という問題提起です。この点については、彼の著書『卍とハーケンクロイツ』に詳しいのでそちらに譲りたいと思います。

 

会場から「宿題」として頂いた質問は、大きく分けると二つに分類できそうです。一つは、被爆体験を広島の外にもそして未来にも届けるために、それも効果的に行うためにどんな方法があるのか、という問題です。さらに、未だ発言をしていない被爆者たちの記録をどう残したらよいのかという問題提起もありました。

 

もう一つは、現在の社会のあり方についての問題提起です。情報の規制や操作が行われている中で、どうしたら正しい情報を得ることができるのか、その情報を元にした私たちの声を、これも効果的に広げるためにどうすれば良いのか。特に、平和についての声を広げるためには活動資金も必要になるけれど、戦争には投資しても平和には投資しない社会で、資金的な面で良い知恵はないだろうか、といった内容でした。

 

特に中垣師への質問が二つありました。

 

(A) 911以降のアメリカが変ったと言われますが、ニューヨークではどのような感じで変ったのでしょうか。またトランプ大統領後のアメリカの変化は? そして311以降の日本をアメリカから見るとどう映っているのでしょうか?

 

(B) 浄土真宗は自らの愚かさと、それに対する慈愛を説くと聞いていますが、平和を説くときそれはどのように力になるのでしょうか? 

 

どれも大変重要な問題です。このブログで皆さんと一緒に考えてきたテーマも混じっています。一回でお答えするにはスペースが足りませんので、過去のどの記事が参考になりそうなのか等も含めて、次回以降、順次取り上げて行きたいと思います。

 

中垣師はニューヨークに戻ったばかりでお疲れだと思いますので、しばらくしてからこのブログに投稿して頂くか、師のホームページで取り上げて頂くのか、お決め頂いた上で、再度お知らせします。

 

改めて素晴らしいイベントを開いて下さった皆さんに心から御礼申し上げます。

  

[2018/4/5イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

広島ブログ

2018年4月 1日 (日)

 エープリル・フールの今日くらい真実に触れよう ――ニューヨーク在住の中垣法師との対話です――

 

エープリル・フールの今日くらい真実に触れよう

――ニューヨーク在住の中垣法師との対話です――

 

今日、41日はエープリル・フールの日です。嘘を吐いても良い日、嘘を吐かれても怒らない日、ユ-モアを楽しむ日ですが、安倍政権の暴走、それに盲従する高級官僚、そして追従するマスコミのせいで、我が国は、365日、一日24時間、一週7日間、全て嘘で塗り固められてしまったかの感があります。

 

海外でも、トランプ大統領の登場で、「フェイク・ニュース」が大手を振って歩くようになった結果、せめて41日くらいは真実を報道しようと、意図的に嘘を控えるメディアも登場しているようです。

 

それに倣って、今日の広島でも、真実を語り真実を聴くことを重んじましょうという呼び掛けです。大変、勝手味噌なお知らせになりますが、一昨日お知らせしたように、今日、午後二時から国際会議場で、中垣顕實法師と私の対談の会が開かれます。

                           

Photo


中垣法師は、2010年にお会いした当時、ニューヨーク本願寺の住職でしたが、その後はフリーランスの僧侶として、仏教という軸に沿っての、平和や国際理解、地域の一員としての地道な活動などを続けて来られた方です。例えば、1994年から毎年85日に、広島・長崎原爆法要「恒久平和の日の集い」をニューヨークで開催されていますし、2002年から10年間、911日にハドソン川で、9.11同時多発テロ犠牲者追悼灯ろう流しを続けて来られました。

 

ニューヨークは人種のるつぼとも言われたことがあるほど、多様な人々が住んでいる地域です。それでも少数派の苦労は並大抵ではありません。「仏教」という立場も明確にしながら、地域に溶け込み、その地域を象徴する存在でもある警察との連携を密にして来られた実績には敬服します。

 

そして今回、8年振りにお会いするに当って、中垣師の近著『卍とハーケンクロイツ』を読ませて頂きました。こんなに凄い仕事をされていたのだということが分り、新たな敬意を抱いています。

 

「ハーケンクロイツ」とはナチスのカギ十字です。ホロコーストを経験された方はもちろん、西欧社会でのハーケンクロイツの位置付けは究極の悪のシンボルです。カギ十字を小さなデザインであろうとどこかに使うことは許されませんし、ナチスとの関連を知らずに使ったとしても囂々たる非難を受けるような存在です。

 

私自身の経験を振り返ると、小学生の時、未だナチスについての知識は全くなかった時代に、地図の記号としての「卍」を習っていました。物心が付いてからナチスについての知識も増え、特にアメリカで生活するようになってからは、カギ十字に嫌悪感を持つ気持も良く分るようになりました。

 

しかし、寺院のシンボルである「卍」と究極の悪のシンボルであるカギ十字との関連については、その必要もなかったのだと思いますが、ほとんど考えたことはありませんでした。

 

『卍とハーケンクロイツ』は、その関連を明快に解き明かしてくれるだけでなく、東洋そして世界における幸せのシンボルとしての「卍」の存在の意味を、説得力を持って伝えてくれています。内容については、「おわりに」から、中垣師の言葉を引用しておきます。

 

本書の基本は日本や東洋で使われる卍とヒトラーが使ったハーケンクロイツとの相違点また類似点を明確にすることであった。そしてそれを認識することが、現在、西洋と東洋での卍に関する諸問題の解決の糸口になると考えたのだ。

 

邪な行為のシンボルになってしまったデザインが、それ以上の長い人類史の中で果してきた役割、そして今後も果しうる役割を冷静に見詰めることで、人類史をどう捉えるのか、その中での特定の時期、特定の人々の体験をどう位置付けるのかという、歴史の捉え方についての学術的かつ分り易い一書になっています。一読をお勧めしますし、その著者の中垣師の謦咳に接する良い機会でもありますので、多くの皆さんの御来場をお持ちしています

 

Photo_2

  

[2018/3/31イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

  

広島ブログ
広島ブログ

2018年3月27日 (火)

 『生類憐みの令――道徳と政治』 ――追悼 板倉聖宜先生 (2)――

 

『生類憐みの令――道徳と政治』

――追悼 板倉聖宜先生 (2)――

 

201827日に逝去された板倉聖宜先生が手掛けた分野の一つ、そして私自身が大きな影響を受けた歴史や社会の見方についての名著には、『生類憐みの令――道徳と政治』と『差別と迷信――被差別部落の歴史』(共に仮説社)、さらには『禁酒法と民主主義――道徳と政治と社会』があるのですが、恐らく知られていない事実も多く盛り込まれている『生類憐みの令――道徳と政治』を御紹介しましょう

 

「生類憐みの令」とは、江戸時代の第5代将軍徳川綱吉 (1646~1709) が発した一連の法令の総称で、特に犬を大切にすることが強調されたと、私たちは教わってきました。そのため、綱吉は「犬公方 (いぬくぼう)」というあだ名まで付けられました。このことは御存知かもしれません。ちなみに、「公方」というのは征夷大将軍の別称です。

 

Photo

                             

By 日本語: 土佐光起 English: Tosa Mitsuoki ("歴代徳川将軍の肖像") [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

 

綱吉が何故「生類憐みの令」を出すに至ったのかという理由として「俗説」では次のようなストーリーが流布されています。『生類憐みの令』の説明を少し変えて引用します。

 

世継ぎを病気で失った綱吉は,何とか子どもが欲しいと思っていましたが、隆光という僧侶が,「上様に子どもができないのは,前世で犯した殺生の罪の報いです。ですから生類、つまり生き物を憐れんで殺さないようにするのが一番大切です。特に上様は戊年生まれだから犬を大切にしなさい」と勧め、その結果、綱吉は「生類憐みの令」という一連の法令を出し,犬を殺したり傷つけたりしたものを厳罰に処するようにした。

 

その結果、犬を虐待したことを理由に島流しや死刑といった重い刑罰を下された人も多く、今でも「悪法」の典型だ、と考えている人たちも多くいます。

 

その一方、「生類憐みの令」文字通り現代的に訳してみると、「動物愛護法」ということになるのですから、世界史的に見ても、17世紀にそんな素晴らしい法律があった日本は世界に誇る動物愛護国だったという解釈も成り立つはずです。

 

この「生類憐みの令」を取り上げる板倉聖宜先生の姿勢はと言うと、裏表紙の言葉が分り易いと思います。

 

道徳的にせよ政治的にせよ,正しいこと,正義を広め実現していくには,社会の運動法則をきちんと見極めてかからないと,とんでもない逆効果をおこしかねません。

本書は,問題を予想しながら楽しく読み進むうちに,「生類燐みの令」の本当のすがたが,はっきりと理解できるようになっています。また,「生類憐みの令」という歴史的事件の実態を追っていくことによって,道徳や政治の問題を社会の法則とからめながら考えることができるようになるでしょう。

また,学校での授業ですぐに使えるように「授業書」も収録してあります。本書があれば,道徳や在会科の時間にすぐに授業にかけることができます。

 

現代語の訳は「動物愛護法」なのですから、犬以外の動物も保護の対象になっていたと考えらますが、本当はどうなのでしょうか。「予想」しながら考え、そして資料に当って事実を確認する板倉方式の特徴である「問題」を一つ二つ見てみましょう。問題の前の解説も引用します。

 

魚の中でも<生きたまま売られていて比較的大衆的な食べ物>もありました。ウナギとドジョウです。ウナギとドジョウは生きたものをザルなどに入れて運び歩いて,注文があるとお客の目の前で生きたまま料理したのです。これも残酷といえば残酷です。[中略]

 

〔問題6 )

では,このときに,ウナギやドジョウを生きたまま売ることは許されたでしょうか。どうでしょう。

 

予想一一ウナギやドジョウを生きたまま売ることは,

 

.禁止された。

.例外とされて,許可されていた。

 

答は、バナーの後に。

 

今でもそうですが、江戸時代も犬は身近な動物でしたから、犬を大切に、という綱吉の政策が多くの市民に影響を与えたことは事実です。そして、その実を上げるために綱吉は「犬小屋」を設置するまでになりました。そこで問題です。

 

〔問題4 )

綱吉は,いまの東京都中野区のJR線中野駅近くに,幕府直営の犬小屋を建てさせて,江戸中の野犬をそこに集めて育てることにしました。

それなら,その犬小屋ができてまもなくして,その幕府

の直営の犬小屋に収容された野犬は何匹くらいになったと

おもいますか。

 

(参考〉当時の江戸の町人の人口は40~50万人でした。

 

予想

ア· 100匹ぐらい

イ· 1000匹ぐらい

ウ· 1万匹ぐらい

10万匹ぐらい

.その他(       匹くらい)

 

答は、バナーの後に掲載しますが、『生類憐みの令』という本の楽しさを少しは伝えることができたでしょうか。

 

こんなに楽しい本を子どもたちが小さい頃に、どの予想が正しいのかをワイワイガヤガヤ話しながら、一緒に読むことができなかったことは、子どもたちに申し訳なかったと思っていますし、私自身そんなに楽しい時間を味わえなかったことを残念に思っています。

 

先生の著書は仮説社でお求めになれます。アマゾンでも扱っています。それと、先生のお弟子さんのサイトだと思いますが、「板研情報局」でも役に立つ情報を読むことができます。

 

[2018/3/8イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

[]  ウナギやドジョウももちろん禁止されていました。でもそれでは生きて行けない魚屋たちは、例えば「アナゴ」と称して売るという手段で何とか法の目を逃れていたようです。

次の問題ですが、『徳川実紀』によると「エ」の10万匹です。別の資料では、82000匹はいただろうと書かれているとのことです。

 

 

2018年3月26日 (月)

追悼 板倉聖宜先生   ――私見では、クイズ番組を面白くしてくれた先生です――


追悼 板倉聖宜先生  

――私見では、クイズ番組を面白くしてくれた先生です――

 

201827日に板倉聖宜 (いたくらきよのぶ) 先生が逝去されました。御冥福をお祈り致します。板倉聖宜先生と聞いて、「あゝ、あの先生」と答えて下さる方は少ないと思いますが、教育者、科学史家、哲学者として、科学教育の根本的な見直しを提案・実践して来られた先駆者です。その先生の残された足跡を簡単ですが、御紹介したいと思います。

 

板倉先生の数ある著作の中で、「誰もが知っている」一冊を挙げろと言われると、『仮説実験授業』(仮説社)になるだろうと思います。その内容についても、御紹介する積りですが、先ずは親しみを感じて頂くために、板倉先生が手掛けたもう一つの分野、そして私自身が大きな影響を受けた歴史や社会の見方について、を取り上げましょう。

 

そして、これは全く私の独断と偏見に基づいた評価ですが、テレビのクイズ番組の質を上げ、面白いものにした最大の功労者は板倉先生だということも御理解頂ければと思います。

 

まず、最初に最近のクイズ番組の問題から、本稿に関係のあるものを紹介します。

 

[問題] 硬貨の重さについての問題です。次の三つの硬貨の内、一番重いのはどれか?

 100円玉

 50円玉と10円玉を合わせたもの

 500円玉

 

Photo

                             

        ②       ③

 

硬貨の重さは法律で決められており、次の通りです。

 

1円玉  1g

5円玉 3.75g

10円玉 4.5g

50円玉 4.0g

100円玉 4.8g

500円玉 7.0g

 

Photo_2

 

 

ですから、①は4.8g、②は8.5g、③は7.5gで、正解は②なのです。

 

このクイズ問題を最近テレビで視て、板倉先生の『おかねと社会』という本を思い浮べていました。貨幣の歴史を分り易く解説した本ですが、この問題はそれの現代版とも言えそうです。

  

板倉先生が、歴史を理解しようとする基礎にあるのは「理科的な見方・考え方」です。その特徴はできるだけ一次資料に当って事実を元に考える、そして論理的に考えることなのですが、これなら歴史学者も当然実践していることです。板倉先生がそれに加えて重んじているのが、出来るだけ「数値化」して物事を捉える、さらに「仮説」を立ててそれを実験で確かめながら一歩ずつ理解を進める、という手法です。

 

これも、「科学」と名前の付いている学問では、一応、建前として掲げられていることなのですが、先生の名著の一つである『おかねと社会』のはしがきで、さらに踏み込んでその意味を強調されています。ちょっと長くなりますが、引用します。

 

 おかね(貨幣)は人間の経済活動の主役のようなものです。そこで、貨幣制度は、政治の中心ともなります。しかし、おかねは政治権力者の意のままになるとは限りません。おかねにはおかねの、経済には経済の法則があるのです。しかも、おかねはものですから、のちのちの時代まで伝わります。書かれた文書には、それを書いた人の主観が大きく反映しますが、おかねにはそんなことはほとんどありません。

 じつは、私は「おかねの歴史をしらべてみてはじめて、<経済法則と支配者と被支配者との関係>といったものがよく理解できるようになった」と思いました。そして、「日本の歴史の大きな流れといったものもよくわかるようになった」思ったのです。そこで、私は、そのよろこびをみんなとわかち合いたくて、この本を作ったというわけです。

 

この本でも、「仮説」「実験」という姿勢が貫かれています。小学生にも読んで貰うという理由もあったのだと思いますが、「問題」が提示され、それを考えて「予想」つまり「仮説」を立てることから始めて、その答が出てくるという順序になっています。大切なのは「問題」そのものが既に政治と経済の本質を抉る内容を持っていることです。例えば、これをお読みの皆さんの中で、次のような疑問を「自然に」持たれた方はそれほど多くはないのでないかと思います。私も持っていませんでした。以下引用です。

 

[問題 2]

古代の天皇政府がはじめておかねを作ったとき,人々はそのおかねをよろこんで使うようになったと思いますか。

 

予想

. おかねというものを使い慣れていないので,ものをおかねにかえるのをいやがった。


. おかねは米や布などで物々交換するよりずっと便利なので,人々はよろこんで使うようになった。

 

. 政府の作るおかねにはあまり価値がないので,ものをおかねにかえるのをいやがった。

 

江戸時代の物語には必ず出てくる大判や小判とか、落語の二八蕎麦などを元に考えると「イ」が答だと考える方も多いでしょう。ネタをばらしてしまうのは、推理小説と同じくらいルール違反なのですが、おかねを使う人は多くなかったようなのです。この問題ではその理由も一緒に考えることが必要です。「ア」が正解なのか「ウ」が正解なのか、その両方なのかという問題も提示されていますので、それは次の問を考えることにつながり、さらにその先に発展するという面白みがあるのです。

 

そして、このような視点から、面白いクイズ番組の問題が作られるようになったのは、板倉先生の著書が広まり始めた頃だったという記憶があるので、「クイズ番組が面白くなったのは板倉先生のお陰だ」と、敢えて主張しています。

 

実は、私が読んだ先生の本の中で一番印象的だったのは『生類憐みの令』と『差別と迷信』(共に仮説社)なのですが、次回はその紹介です。

 

先生の著書は仮説社でお求めになれます。アマゾンでも扱っています。それと、先生のお弟子さんのサイトだと思いますが、「板研情報局」でも役に立つ情報を読むことができます。

 

[2018/03/07イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2018年3月22日 (木)

「当事者意識」と言えば「原爆記者」   ――懐かしい方々ばかりです――


「当事者意識」と言えば「原爆記者」  

――懐かしい方々ばかりです――

 

かつては「原爆記者」という言葉が生きていて、しかもそう呼ばれていた方々が元気に活躍されていた時代がありました。今でもお元気で活躍されている方はいらっしゃいますが、その数は減っています。

 

おしどり マコ・ケンさんの精力的な仕事振りを伺って、広島・長崎なら「原爆記者」に相当するのではないかと思いました。それに呼応する言葉として「原発記者」があるのかどうかは知りませんが、両者に共通する「当事者意識」を軸に、今回はお二人の思い出を綴ってみたいと思います。

 

1970年代の後半から、毎年夏になると数週間は広島と長崎で過すようになりました。そのときに一番お世話になったのが、中国新聞の大牟田稔さんと中国放送の秋信利彦さんでした。このお二人の足跡を辿るときにABCC (原爆傷害調査委員会、米国の研究機関で、原爆が人体に与える影響を調査研究する目的で設立された。後に日米共同で運営する、RERF--放射線影響研究所に改組された。) の存在抜きには語れません。

 

Photo

                             

秋信さん・「タウンNEWS広島 平和大通り」から

 

Photo_2

 

大牟田さん・中国新聞平和メディアセンターから

 

被爆者の中で一番若い人々は、「胎内被爆者」と呼ばれます。当時、3週齢から17週齢の間に母親の胎内で被爆した人たちだからです。出生後、この年齢の被爆者には、放射線の影響が小頭症その他の障害として現れました。この事実をABCCの研究者は1950年代に始まった調査で把握していたのですが、その事実は隠して、母親たちには「栄養が足りないから」といったような虚偽の説明をしていました。

 

しかし、秋信さんの辛抱強い調査で、胎内被爆者の存在が知られるようになり、1965年に内部告発によって全ての真実が明るみに出されました。時を同じくして、秋信さんと大牟田さんは、胎内被爆者とその家族を支える「きのこ会」を立ち上げ、その事務局してのお世話を始めます。さらに、この会を通して胎内被爆者が公的に「被爆者」として認定され国の補償を得られるようにするため、さらに核兵器の廃絶を実現するための運動も強力に進めています。大切なのは、このための時間は、中国新聞記者・中国放送記者としての仕事ではなく、あくまで「個人」の資格で行われていたボランティア活動だったという点です。

 

また、胎内被爆者やその家族がマスコミの報道で傷付いた経験を元に、きのこ会のメンバーのプライバシーを尊重する立場を貫き、他の報道関係者にもそれを尊重するように求めました。「プライバシーを優先すること、特ダネは書かないこと」という立場なのですが、後に大牟田さんは、「他社に特ダネを書くなという以上は、私自身も特ダネ報道はできません。だが、それでよかったと思います」と語っています。被爆者関連報道で、プライバシーが尊重されるようになったきっかけの一つはこうした「きのこ会」の方針だと考えられています。

 

これこそ、私が「当事者意識」という言葉でお伝えしたいことなのですが、5文字の漢字ではお二人の思いは十分には伝わらないような気がしてきました。

 

そして秋信さんを語るときに、19751031日に皇居で行われた昭和天皇の記者会見を避けては通れません。中国放送記者として、「戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか」と質問し、昭和天皇から歴史に残る「遺憾には思うが、戦争中のことであり、広島市民には気の毒であるが、やむを得ないことと思う」との発言を引き出したのです。

 

その後、昭和天皇の記者会見で原爆について触れられることはありませんでしたので、この質問の貴重さが分ります。

 

大牟田さんは1991年に当時の平岡市長に請われて、中国新聞社を退き1999年まで広島平和文化センターの理事長としてヒロシマの平和行政をリードし、2001年に71歳で逝去されました。

 

秋信さんは、大牟田さんの亡き後は、一人できのこ会のお世話を続け、2010年に75歳で亡くなっています。秋信さんについては河野美代子先生が最近のブログで取り上げていますが、「タウンNEWS広島 平和大通り」でも、2010年に秋信さんの追悼記事を、当時の首席執筆者だった故「グランパ」さんが書かれています。

  

また大牟田さんについては次男の聡さんが、広島市立大学に寄せられた『〝表現者〟としてのジャーナリスト~ヒロシマと大牟田稔の関わり』に詳しい記述がありますので、お読み頂ければ幸いです。

  

  

[2018/3/20イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2018年3月19日 (月)

原水爆禁止運動   ――言語化から裁判へ――


原水爆禁止運動  

――言語化から裁判へ――

 

闇に葬られようとしていた森友問題の真相が明らかにされつつあるのと時を同じくして、311日には「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」が開かれました。その集会での人見やよいさんとおしどり マコ・ケンさんたちのトークに触発され、森友問題が象徴する絶望的な日本政治を蘇生するためのキーワードは「言語化」と「当事者意識」の二つなのではないかという問題提起を何回か連続で行ってきました。

 

少し視野を広げて考えて見ると、現在人類が生存し続けているのは、安倍政治危機以上の「絶望的」な幾多の苦境を乗り越えて来たからに他ならないのですが、その経験からも「言語化」と「当事者意識」の大切さは読み取れるはずです。広島の歴史を振り返ることで、この点を検証したいと思います。

 

運命の194586日、「生き地獄」を体験し「この世の終り」だと思った被爆者たちは、直観的に自ら今全身で感じている事実が、人類生存と直接関わっていることを理解していました。しかし、人類史上未曽有の出来事を前に、それをどう捉えたら良いのかを短時間に「言語化」することは不可能でした。

 

それに輪を掛けたのがGHQ (連合国駐留軍) による「プレス・コード」と呼ばれた検閲制度でした。被爆者の間でさえ原爆についての情報のやり取りが行えないような厳しさでした。そんな環境下、それでも被爆の真実を言葉にした勇気ある作家や詩人がいました。正田篠枝、大田洋子、原民喜、峠三吉、栗原貞子等の人々です。

 

しかしながら、広島県被団協が2009年に出版した記念誌のタイトルが『空白の10年--被爆者の苦闘』であることは、多くの被爆者に取って、講和条約が結ばれ、プレス・コードがなくなった1952年を契機にしてようやく社会全体とのつながりができたことを示しています。コミュニケーションの手段としては言葉が中心ですので、これは被爆体験についての集団的な「言語化」が形を見せ始めたのが「空白の10年」後であることを示していると考えられます。

 

それを象徴する出来事として、後に平和記念資料館の館長を務められた高橋昭博さんが、1955年に開かれた第一回原水爆禁止世界大会で御自分の体験を話したことを挙げておきましょう。高橋さんの感動的な陳述を大会出席者一同が理解し共有してくれたのですが、それは高橋さんの胸を打ち、後に高橋さんは「生きていて良かった」という言葉で何度も当時の思いを語っています。

 

また、福屋前の電車の中で兄とともに被爆した石田明先生は、その後、法政大学を卒業して教師としての活動を始めます。全国被爆教師の会を立ち上げその会長を務めることをはじめ、平和教育や平和運動に大きな足跡を残しました。詩人としての活動は、被爆体験を元に綴った作品、『曖光20年』で1966年に第一回日教組文学書を受けていることに凝縮されています。


 

Photo

                           

後には県会議員としても多くの人に慕われ頼りにされた存在でしたが、政治活動のしっかりした軸は核兵器の廃絶・平和運動でした。被爆者援護法の制定にも力を入れたことは勿論なのですが、御自分の目が白内障になり、それが多くの被爆者共通の悩みであることを強く感じた結果、「石田原爆訴訟」と呼ばれる裁判を起し、その裁判で勝訴、被爆者援護のための道を大きく広げました。

 

政治を動かすためには、被爆者援護法という法律制定が標準的な道筋です。同時に、言語化、法制化、そしてそれを厳密に適用するための裁判という手段も、その究極の形として今後も生かされなくてはなりません。

 

福島で人見さんたちも同じような道筋を辿りつつ頑張っています。こうした努力と、被爆者たちがこれまで闘ってきた軌跡も重ね合わせ、重層的な人類の歩みを感じつつ、志を次の世代につなげて行って欲しいと願っています。

  

[2018/3/18イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2018年3月 8日 (木)

人は何故、退職後に真実に気付くのか?  ――権力を手にしていた時のネガティブな貢献は帳消しになるのか?――


人は何故、退職後に真実に気付くのか? 

――権力を手にしていた時のネガティブな貢献は帳消しになるのか?――

 

小泉純一郎元首相が原発に反対する意思を公にしたために、反原発運動にはかなりの勢いが付いているように思います。 (「反」原発とか「脱」原発等、色々な表現があって微妙なニュアンスの違いを表現しなくてはならないような風潮も見受けられますが、それって、反原発運動の力を削ぐための戦略に乗せられてしまっているような気がします。「大きく」まとめて「反」原発と言っておきます。)

 

               

Junichiro_koizumi_cropped_during_ar

             

By White House photo by Paul Morse [Public domain], via Wikimedia Commons

 

小泉元首相が、反原発の立場を取らずに今でも原発推進の旗振り役として頑張っているという可能性もあった訳ですから、それと比べると、もちろん、反原発の立場を表明したことは評価に値しますし、彼も巻き込んでの大きな運動を創って行くことも大切です。

 

同じように世界的に注目されたケースでは、20071月に、アメリカの元国務長官だったヘンリー・キッシンジャーとジョージ・シュルツ、元国防長官のウィリアム・ペリー、そして上院の外交委員長を長く務めたサム・ナンの4氏が『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に「核兵器なき世界」と題する論文を寄稿して、核兵器の廃絶を提唱しています。この4人を「賢人」とまで持ち上げる報道もされましたが、政府の高官であった時代には、核抑止論の強力な信奉者・推進者であり、アメリカが核超大国であり続けるための中心的役割を果して来た人たちでしたから、世界に与えたショックは大変大きいものがありました。

 

 

4

 

ここでも小泉元総理と同様に、引退後も核兵器・核抑止論の強力な信奉者として、リーダー的役割を果したとしてもおかしくはない人たちでしたので、それと正反対の立場に立ってくれたことは世界的に大歓迎されました。

 

同時に、いくつかの本質的な疑問も頭に浮びました。それを「批判」という形で述べることもできるのですが、それ以上に核廃絶 (核兵器だけでなく原発も含む「核」です) を実現したいと願っている私たちの心の中には、政治の枢要の立場にいる人たちが退職後ではなく、実際に権力を行使できる間に頭の切り替えをしてくれていたとすれば、私たちの目標はもっと確実にそして早く実現できたかもしれないのに、という願望そしてそれとは違ったシナリオで事が起きていることへのフラストレーションや悔しさと言ったら良い感情があることも事実です。

 

それを疑問という形で表現しておきましょう。「何故、退職後にしか真実に気付かないのでしょうか?」あるいは「何故、退職後にしか、真実を表明できないのでしょうか?」、そして核廃絶へのプロセスを加速するためには、仮に退職後の覚醒が多くの人にとって抵抗が少ないからだと仮定して、「どうすればもっと多くの人が、退職後に真実に気付くようになるのでしょうか?」さらには、「現役の時代に覚醒して貰うためには、何が必要なのでしょうか?」も知りたいですし、「退職後に反核の立場を取ることで、現役時代の核推進への貢献は帳消しになっているのでしょうか?」も関連してきます。

 

そして、対照的なケースとして、スポーツ選手としての最盛期の数年を棒に振ってもベトナム戦争反対・人種差別反対の立場を明確にしたモハメッド・アリや、オリンピックから排除される結果になってもメキシコ・オリンピックで人権擁護のために「スタンド」に立ったトミー・スミス、ジョン・カーロス、そしてピーター・ノーマンが頭に浮びます。

 

人生のどの時点で真実に目覚めることになるのかは別として、真実に目覚め行動することの意味を再度強調したいと思いますが、若い世代に希望を与える人生という側面も、同時に、良いお手本として残していって欲しいと思うのは欲張り過ぎでしょうか。

 

[2018/3/1イライザ]

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

コメント

(正式dinner級の問いかけにいつものfast food的コメント+seniorのtime lag許されよ)

「 「3:2:5」の構図 」 と「 ネオ小泉のトリセツ 」
昨秋、アソウ某が(たしか)、日本人は右3割・左2割・中道5割云々と。
それを受けて??(まさか)
小熊英二氏が『世界』1月号 で 「 「3:2:5」の構図 」 として考察。

「2」→先細りを防ぐには、とにかくも「5」を取り込まねば。
のためには→何を今さらのネオ小泉でも利用せねば。
あの人が!と思わせる何かがまだ残っている間に、
とことん旗振ってもらおう。今までの罪滅ぼしに。
(中道→同調行動・沈黙・無関心
左→弱者の側に立つ人、と考えたい)

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

かつては、政治的な意見の分布は、右と左がそれぞれ、25パーセント、中間が50パーセントと言われた時がありました。その内の5パーセントが変ったのかもしれませんが、何故そんなシフトが起きたのかを考える必要があるのかもしれません。

20世紀の後半は、テレビの高視聴率のトップにニュース番組が並んでいた時代だったこと、でも今ではその影さえないこととも関係があるのかもしれません。

より以前の記事一覧

2018年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30