平和

2017年12月13日 (水)

「押し付け」嫌いの皆さんへ ――アメリカに堂々と発言した時代を思い出しましょう――


「押し付け」嫌いの皆さんへ

――アメリカに堂々と発言した時代を思い出しましょう――

 

憲法を変えたいと主張する人たちの決まり文句の一つは、「アメリカに押し付けられた」憲法だからということなのですが、確かに「押し付けられ」て行動するのは、意に染まないですね。もっとも憲法については別の有力な議論がありますので、またの機会にして、ここでは核兵器の違法性についてです。

 

太平洋戦争中に日本政府のしたこと全てが違法だったり非人間的だったりということではありません。でも素直に自らの過ちを認めない人たちに対して事実を示して抗議し続けている内に、こちらは日本政府の非を指摘しなくてはなりませんので、その舌の根の乾かぬ内に、日本政府の正しさを褒めるのも、感情的には面白くありません。とは言え、歴史は客観的に捉えなくてはなりません。

 

核兵器禁止条約が発効すれば、核兵器の使用や核兵器による脅しは当然、国際法違反です。しかし、核兵器使用が国際法違反だという主張はもっと前からハッキリと国際舞台で表明されていたのです。

 

それを最初に指摘したのは、日本政府です。1945 8 10 日スイス駐在公使を通じてアメリカ政府に渡された抗議文に核兵器使用が国際法違反だと明確に述べられています。それを引用します。

 

抑々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与うべき兵器、投射物其の他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約附属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条()号に明定せらるゝところなり。米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ残虐性において、従来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられおる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民家などを倒壊又は焼失せしめたり、而して今や新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たな罪状なり帝国政府は自らの名においてかつまた全人類及び文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す」

 

大変立派な文章です。文語調ですので、分り易くするためポイントを要約しておきましょう。

 

この抗議文で根拠としている法律は1899 年ハーグ「陸戦の法規慣例に関する条約」です。日本政府は、原爆投下がこれに規定されている次の項目に違反していると主張します。

 

不必要な苦痛を与える兵器の禁止(第23 条)

無防守都市に対する無差別広域爆撃の禁止(第25 条)

軍事目標主義(第27 条)

 

さらに、原爆投下以前の日本各地での無差別爆撃も国際法違反だと主張しています。

 

           

800pxthe_first_international_peace_

                 

ハーグ陸戦条約が採択された第一回万国平和会議(1899年、ハーグ)

 

 

理路整然と、原爆の本質を突いた指摘ですし、今年採択された核兵器禁止条約の内容とも矛盾しないどころか、この日本政府の立場を敷衍したのが、核兵器禁止条約だと言って良いのです。

 

安倍総理、菅官房長官、河野外相、岸田前外務大臣、その他「押し付け嫌い」の皆さん。「アメリカからの押し付け」が嫌だから、国の基本である憲法さえ変えようという程の嫌悪感なのですから、そろそろ「押し付けられる」状態から脱して、先ずはその直前、つまり1945810日に戻って、核兵器は国際法違反と声高らかに宣言するところから始めて見ませんか。

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

 

広島ブログ
広島ブログ

2017年12月11日 (月)

ICAのノーベル平和賞を祝い、核兵器禁止条約の早期発効を求めるヒロシマ市民集会

ICAのノーベル平和賞を祝い、核兵器禁止条約の早期発効を求めるヒロシマ市民集会-核兵器禁止条約の発効へ決意新たにー

 

 

12月10日、ノルウェーのオスロでは、ノーベル平和賞授賞式が行われました。

広島でも、この授賞式に連帯する市民集集会が、「核兵器禁止条約のためのヒロシマ共同行動実行委員会」(広島県原水禁など27団体が参加)の呼びかけで、昨日午後1時から原爆ドーム横で開催されました。

何とか雨が降らないでほしいという参加者の思いが伝わらず、集会を始める直前から雨が降り始めるというあいにくの天気でしたが、100名余りの市民が集まり、オスロへのメッセージを届けるともに、「核兵器禁止条約」の早期発効へ目指して、とりわけ日本政府への働きかけを強めるアピールを広島から発信しました。

 

集会参加者は、最初にオスロへ届ける私たちの思いを込めた3本のバナーを次々と掲げました。

 

1

 

▲核兵器禁止条約・ICANのノーベル平和賞おめでとう!

   Congrats, ICAN, for nuclear-ban treaty receiving Nobel Peace Prize!

▲サーロー節子さん ありがとう!頑張って!

   Setsuko Thurlow, many thanks and cheers!

▲核禁条約で核なき世界を!世界の人々と!

    United with global people, let's achieve a nuke-free world with nuclear-ban treaty!

 

渡辺朋子さんの司会で始まった集会では、4人のリレートーク。

最初は、バチカンを訪問したカトリック正義と平和協議会の牧山員子さん。

続いて、第20代高校生平和大使の久永風音さんのメッセージ。久永さんは、今年の夏、高校生平和大使としてスイスを訪問して体験した「『外国に来て核兵器廃絶を訴える前に、まず日本国内での意見をまとめるべきだ』と指摘された」ことを紹介しながら「日本は、アメリカの核の傘に守られている国という以前に、核兵器の本当の恐ろしさを知っている唯一の被爆国です。私たちはどのような立場をとるべきでしょうか」と指摘し、最後に「私たちはこれからが始まりです。共通のゴールをめざし、これからも励ましあうことで、核兵器の廃絶と平和な世界の実現という理想郷を現実のものへと変えていきましょう。」と呼びかけました。

 

2

 

次に原爆胎内被爆者全国連絡会広島支部長の二川一彦さん、そして最後に昨年の平和記念式典で「平和の誓い」子ども代表を務めた中学生の中奥垂穂さんからのメッセージ。

 

4

 

雨の中、リレートークの発言をメモに取ることができませんでしたので、スピーチ原稿をいただくことができた久永さんだけの内容紹介になってしまいました。他の皆さんゴメンナサイ。

そして実行員会事務局長森滝春子さんが「市民集会声明」を提案、最後に広島県原水禁代表委員の秋葉忠利さん(前広島市長)が、閉会のあいさつ。

 

3

 

秋葉さんは、久永さんのトークに触れながら、「核兵器開始条約に反対する日本政府の政策を変えさせること。そのためにもこの集会の模様をネットなどで拡散させよう」と私たちの課題に触れながら、行動を呼びかけました。

 


 

核兵器禁止条約を実現したICANのノーベル平和賞を祝い、

   禁止条約の早期発効を求めるヒロシマ市民集会 共同声明

 

今日、20171210日、人類の生存を保証するための歴史的な核兵器禁止条約実現に決定的な貢献を果たした「核兵器廃絶国際キャンペーンICAN」にノーベル平和賞が授与されます。

米国による原爆投下で受けたヒロシマ・ナガサキの非人間的悲惨の極みをもたらし、数十万の命を何が起こったかも知る由もなく一瞬にして虐殺し、家族と身体的機能を奪われて生き残った者に72年間も放射能障害をはじめとする痛苦を与え続けてきました。

 201777日に、国連で核兵器を国際的規範で違法とし、核兵器の開発、製造、実験、所有、譲渡、使用の威嚇などを禁じる核兵器禁止条約が122もの国々の固い決意のもとに採択されました。「核と人類は共存できない」というヒロシマ・ナガサキをはじめとする世界中のあらゆる核被害者の世界への叫びがやっと届いたものです。

 一方、核保有国とその同盟国は、人類破滅をもたらす核兵器に安全保障を依存するという恥ずべき姿勢を維持するのみならず、核兵器禁止条約の採択に賛同した国々に圧力をかけ批准を妨害しています。

ヒロシマは信じます。禁止条約の採択に賛同した叡智ある国々が1日も早く署名・批准を成し遂げ、人類の生存のための最も有効な手段である核兵器禁止条約の発効に寄与することを。

 核はその開発の段階から核は軍事利用、商業利用の区別を問わず先住民や太平洋諸島島民をはじめとする弱き側の民衆に大きな犠牲を強要してきました。放射線被害は未来を担う世代にも大きな被害をもたらしてきました。禁止条約はその苦悩に向き合い光を充てたものでもあります。核被害を根底的から告発し、核なき世界を求めてきたてきた私たちヒロシマ市民が大きな希望を持つことができる所以でもあります。

日本政府の核抑止力依存政策は禁止条約で禁じる「核使用の威嚇」に抵触するものであり、被爆国でありながら核保有国の側に立ち、核兵器禁止条約に反対していることを、私たち日本の市民は決して許さしません。私たちは全力をあげて、日本政府をして、署名・批准の良識ある行動に立たせることを誓います。

 本日ノーベル平和賞授賞式で、世界のヒバクシャを代表してヒロシマの被爆者であるサーロー・節子さんが世界に核廃絶を訴えます。私たちはサーロー・節子さんと共にあります。感謝と激励のメッセージを届けようと原爆ドームに集いました。

ICANは、私たちにとって希望溢れるNGOです。その若い力強さで核廃絶の実現に世界を牽引してくれることを心から期待しています。

 

  核兵器禁止条約・ICANのノーベル平和賞おめでとう!

  サーロー・節子さん ありがとう!がんばって!

  核兵器禁止条約で核なき世界を! 世界の人々と連帯して!

 

    20171210

 

 核兵器禁止条約を実現したICANのノーベル平和賞を祝い、

       禁止条約の早期発効を求めるヒロシマ市民集会 参加者一同 

 

[お願い]

 

この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

     

広島ブログ 広島ブログ

2017年12月 9日 (土)

12.8不戦の誓いヒロシマ集会

12.8不戦の誓いヒロシマ集会

 

 

12月8日は、76年前中国への侵略戦争を進めていた日本軍が、ハワイ・真珠湾への奇襲攻撃によって日米戦争へと突入した日です。再び戦争への道を歩まない不戦の誓いの日として、今年も、昨日午後6時から「憲法を守る広島県民会議、原水爆禁止広島県協議会、広島県平和運動センター、8の日平和行動ヒロシマ女の会、戦争をさせないヒロシマ1000人委員会」の共催で「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」が、開催されてきました。

 

Photo

 

今年の集会は、「日本軍『慰安婦』問題と日本の戦争責任―植村パッシングとは―」と題して、元朝日新聞記者の植村隆さん(現・韓国・カトリック大学校客員教授)による講演が行われました。

「今日の歴史的な日に平和都市広島にいることを幸せに感ずる」という話から始まった植村さんの講演。在韓被爆者問題など広島への強い思いが語られながら、「日本軍『慰安婦問題』」へと話が移り、そして本題の「上村バッシング」の実態が、様々な事実に基づいて、詳細に語られました。そんな中で、いくつか強く印象に残ったことを述べてみます。

 

Photo_2

 

言わば特ダネともいえる1991年8月11日の朝日新聞の「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」の記事を書くことになった従軍慰安婦の証言。その証言を引き出したのが、友人の被爆者の「自分のことを話しなさい」という後押しがあったから。同じ侵略戦争の犠牲者被爆者が「慰安婦」の発言を引き出したという指摘。その事実を伝えただけの記事が、その後のバッシングの対象となったしまったという経過は驚くべきことです。

2014年2月6日号の「週刊文春」の記事が引き金となったパッシングは、2014年8月5日の朝日新聞の検証記事以来、植村さんにも執拗に繰り返されるパッシングの嵐。ついには、家族、子どもにまで。そんな攻撃に果敢に戦った植村さん。そしてそれを支える人々。

淡々として、そして時には力を込めながら、経過を振り返りつつ指摘されたのが、バッシングの背景にある安倍首相に通じる歴史修正主義者たちの行動と思想です。さらにそのインチキぶりを事実に基づいて指摘する植村さんの話は、すべての参加者の胸を強く打ち、納得させる内容でした。

またそうしたバッシング攻撃は、上村さんにとどまらず、広島大学の講義に、灘中などへの教科書使用に、女たちの戦争と平和資料館へと広がっていることが指摘されました。

 

最後の上村さんは、ヴァイツゼッカー大統領のドイツ終戦40周年記念演説を紹介するとともに、河野談話(1993年)の「歴史の事実を直視し、歴史研究・歴史教育を通じてこの問題を記憶にとどめ、過ちを繰り返さない決意を表明する」の部分を引用しながら、「歴史の事実ときちんと向き合うこと」の重要性を強調されました。こうしたことが、私には強く印象に残りました。

 

Photo_3

 

集会では最後に「私たちは改めて、戦争の歴史・教訓に学び、そしていま再び『戦争する国』へと暴走する事態を直視し、戦争につながる一切を拒否する鳥喰を強めなければなりません。戦後を戦前に回帰させないために、本日ここに集う私たちは、さらに広範な人々とともに平和と民主主義を守るための活動を一層強化すること」を誓う「集会アピール」を採択し、集会を終えました。

 

私は、今年7月、中国東北地方と北京の戦跡を訪ねる「平和の旅」に参加し、中国への侵略の歴史の一部を学んできました。実は今年は、日中国交正常化45周年、「日中戦争」の発端ともいわれる盧溝橋事件からちょうど80年という節目の年でもあります。しかし、残念ですが、80年前の7月7日を振り返る集いが日本で開かれたという話はあまり聞くことができませんでした。私たちは、「12・8」を忘れてはならない日として、毎年取り組みを進めていますが、もっとアジアの人々に目を向けることが、今の時代には必要だと改めて思わされた今日の集会でした。

 

[お願い]

 

この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ 広島ブログ

2017年12月 8日 (金)

原爆ドーム 世界遺産登録記念集会 ――決意を新たにする集会でした――


原爆ドーム 世界遺産登録記念集会

――決意を新たにする集会でした――

 

127日、原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録されてから21年目の記念集会が原爆ドーム前で開かれました。今年は、「核兵器禁止条約」が採択され、核兵器廃絶を目的とするNPOであるICANがノーベル賞を受賞するという特別の年であり、核兵器廃絶のために全力を尽してきた被爆者や広島市民そして平和団体が、原爆ドームをシンボルとして、決意を新たにする機会になりました。

 

                     

20171207_22_37_06

       

 

原爆ドームの世界遺産登録は21年前ですが、原爆ドームの重要性はそれ以前から認識されており、保存の努力もずっと続いてきました。その歴史を、集会のプログラムでは次のようにまとめています。

 

 

Photo

 

集会参加者全員が「原爆ドーム」を前に、亡くなった被爆者そして今も一緒に活動している被爆者の皆さんと共に核兵器廃絶への誓いを新たにしました。主催者の核兵器廃絶広島平和連絡会議を代表しての献花と献水にその心を込めました。

 

 

20171207_22_35_00

 

 

20171207_22_36_09

 

最後にこの集会で採択された「アピール」です。核兵器の廃絶を一日も早く実現するためにともに頑張りたいと思います。

 

***********************************

 

原爆ドーム世界遺産登録記念集会アピール

 

今から72年前の194586日午前815分、この広島に人類史上最初に 原子爆弾が投下された。

爆新地近くにあった広島県産業奨励館は、「原爆ドーム」と呼称を変え、 その歴史とともに、ここに立ち続けている。

 

今から21 年前の1996127日、「原爆ドーム」のユネスコ世界遺産への登録が実現した。 原子爆弾の恐ろしさ、愚かさを後世に伝えるために、この「原爆ドーム」のユネスコ世界遺産登録に向けて、多くの市民や県民が一体となって、4 年 の歳月をかけて署名活動などの運動に取り組んだ。その熱い情熱の結集が 164万を超える請願署名となり、政府を動かし、世界遺産登録委員会の決定を手繰り寄せることとなった。

 

私たち、ヒロシマが求めてきたものは、「原爆ドーム」の建造物としての 文化的価値の評価ではなく、「原爆ドーム」に刻まれた被爆者の慟哭と被爆の実相を世界の人々へ伝え、核兵器の使用を決して許してはならないという警鐘を鳴らし続けることにある。

 

本年717 日、史上初めて「法的に核兵器を禁止する」 ことを目的とした 「核兵器禁止条約」が国連で採択された。

しかし、日本政府は「国際社会の分断を一層深める」とし、交渉会議にも参加せず、条約の制定に反対している。

また、2015年に開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、核保有国と非保有国との対立により決裂し、先の「核兵器禁止条約」 に関する決議に際しては、唯一の戦争被爆国であり、核兵器保有国と非保有国との橋渡し役として核兵器廃絶に向けた議論をリードする役割と責任がある日本政府 が反対票を投じた。

 

こうした危機的状況だからこそ、ヒロシマの果たす役割は重い。

 

私たちは、「原爆ドーム」世界遺産登録の意義を再認識し、国内外の世論喚起を図るとともに、被爆の実相を着実に次代に継承していくなど、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けた運動を強化していかなければならない。

 

私たちは、72年前の惨劇を目の当たりにし、今もなお「核兵器廃絶と世界の恒久平和実現」を無言で訴え続ける「原爆ドーム」とともに、想いを共有する多くの人との連帯の輪をさらに広げ行動することをここに誓う。

 

2017127

 原爆ドーム世界遺産登録記念集会

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2017年12月 4日 (月)

安陪9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名 ――福屋前で署名をお願いしました――


安陪9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名

――福屋前で署名をお願いしました――

 

これまで、毎月19日に、街頭に立って安倍政権の戦争政策を阻止するための行動を行ってきました。2015919日に、政府・与党が強行採決を行うことで、日本を戦争国家にするための「戦争法」を形の上では成立させた日を記憶し、その「法律」を破棄するための世論を創るためでした。

 

               

20171203_17_48_04

             

 

しかし、1022日の総選挙で自民・公明が圧倒的多数を占めることになり、改憲への動きがさらに急になってきたことに対応するため、憲法記念日が53日であることから、毎月「3日」に改憲を阻止するための行動を行うことになりました。

 

昨日123日は、その第一回目で、福屋前と、本通りの青山前の二班に分かれて、市民の皆さんに署名を呼び掛けました。

 

 

20171203_17_49_41

 

安陪総理が憲法9条に自衛隊の存在を書き込みたいと言ったのは、今年2017年の憲法記念日でした。その理由は「災害時の救援活動で頑張る自衛隊が憲法違反では気の毒」であり、「今でも自衛隊は存在しているのだから、それを憲法に明記しても何も変らない」です。

 

でもこんな甘言に騙されてしまうと、臍を噛むのは私たちの子どもや孫の世代です。

 

憲法に書き込まれる自衛隊は、災害救援で頑張る自衛隊ではなく、戦争を主たる任務にする自衛隊です。米軍と一体になって世界のどこへでも出かけて戦争をする自衛隊です。それを憲法が認めるということなのです。

 

そして、憲法に明記しても変らないのであれば、書き込む必要はないであろう自衛隊を何故書き込みたいのかというと、法律の世界では、「後からできた新しい法律は古い法律より優先される」という原則があるのです。つまり、米軍と一緒になって戦争をする自衛隊がまず優先して認められて、それに矛盾しなければ、戦争の放棄や戦力を持たないという9条の古い条文が認められる、ということです。でもそれはないですね。戦争をする自衛隊を認めてしまえば、それと矛盾する戦争放棄や戦力の不保持は認められないということになるのですから。

 

簡単に言ってしまえば、安倍9条を認めれば、日本は北朝鮮やアメリカ、韓国や中国やロシア等の「戦争国家」と同じ種類の国家になってしまうということです。そしてそれらの国々が、核軍拡競争の舞台で競い合っていることは皆さん御存知の通りです。

 

子どもたち孫たちが戦場に駆り出され、人を殺したり殺されたりするに任務に就かなくても良いように、あるいは戦場で食べ物がなく飢え死にしなくても済むように、今、戦争国家への道を選んではいけない、憲法9条を変えてはいけない、という署名に御協力ください。また、このメッセージを様々な手段に一人でも多くの人に伝えて下さい。

 

日曜日ということもあって、またお天気にも恵まれ、福屋前は多くの人で賑わっていました。子ども連れのお父さんやお母さん、恒例の御夫婦などの姿が目立ちました。署名運動に参加してくれた皆さんの中にも子ども連れの方もいましたし、何時もより多くの方々に協力して貰えました。全部で54人です。そして、頂いた署名は110筆ほどでした。全国での目標3000万に向けた一歩ですが、私たちの声に耳を傾けて下さった方々の数はいつもより多かったような気がしましたし、頷いて賛意を示してくれている人も多かったように思います。少しではありますが、危機感は共有されている、と感じた一時でした。

 

 

20171203_17_51_08

 

 

なお、2018年の13日は、お休みです。23日から来年の「3の日」行動は始まります。

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

コメント

わたしは青山前に参加しました。途中、広告のポケットティッシュを配っている女性から仲間がポケットティッシュを受け取ると、その女性もこちらのチラシも欲しいと言ってくださいました。良いエールの交換になりました。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。エールの交換、良かったですね。

署名をして貰いながら意見交換をするようなシーンも見られました。安陪9条改憲の「胡散臭さ」が、じわーっと広がっているような感じです。

2017年11月26日 (日)

広島の被爆遺構、被服支廠で「戦争の終わり」を学ぶ   

原水禁学校の第二回の報告です。

報告は本ブログのスター・ライターの一人中谷悦子さんです。

 

Photo

 1  

 

2017年度2回目の原水禁学校は、被服支廠での被爆者の証言から始まった。被爆者は中西巌さん。原爆が投下された当時15歳。広島高等師範学校附属中学校の生徒だった。学徒動員で被服支廠での連日の作業に動員されていた。賃金はなし。文字通りただ働きだった。

Photo_2

2


被服支廠は1913年に竣工され、南北500m、東西300mの広大な敷地に1号から13号までの倉庫、作業を行う建物、従業員のための保育所などが建造されていた。ここでは、兵士が戦場で使用する軍服、軍靴、ベルト、毛布、一人用のテントが作られていた。中西さんの言では六尺褌も作られていたそうだ。まるで兵士の死装束を作っているようだと思った。

Photo_3

3


中西さんから面白い話を聞いた。動員学徒がストライキを決行したというのだ。戦争末期になると、布や靴下などの生活必需品が不足し、中には工場から品物が消えることもあったそうだ。そのため従業員の身体検査が行われた。それが学生たちまで拡大されるということに立腹し仕事をするのを止めたそうだ。軍人は弾圧しようとしたが 肝のすわった学生二人の訴えがみとめられたそうだ。お咎めはなし。逆に彼等の言葉は廠長の心を動かした。 

863

4

8月6日。中西さんの命を救った3つの幸運とは。一つは市内中心部に荷物の運搬に出かけることになっていたがトラックが遅れたので出かけなかった。二つは建物の近くにいたため30度の角度で襲った熱線を浴びなくてすんだ。3つは実家が郊外で、爆心地から離れていったこと。

86

5

次から次へと運ばれてきた被爆者たちのうめき声-水!水!これは地獄だと思った。「おかあさん、死にたくないよ」という女学生の声を未だに憶えていると語ってくれた。自分の名前や自宅の住所を叫び、家への連絡を頼む声も忘れられない。亡くなった人は穴を掘ってそこで焼かれた。

 

Photo_5



Photo_4

 広島城では中国軍管区司令部跡と大本営跡で金子哲夫さんの話を聞いた。大本営跡に立つ明治二七二八戦役廣嶋大本営の碑を前に、日本と広島が歩んだ戦争の歴史を学んだ。明治二七二八戦とは日清戦争のこと。ここに大本営が置かれ、9月15日から翌4月27日まで明治天皇が滞在し帝国議会が開催された。東京ではなかなか決まらなかった戦費一億五千万円が一日で決まったという。

Photo_6 Photo_7


大本営跡にある石碑はなぜか塗りつぶされている。この碑文を解明した人がいるらしい。「史蹟名勝天然記念物保存法に依り 大正十五年十月内務大臣指定」の文字を占領軍が広島に入った時あわてて塗りつぶした。あった歴史を隠し、真実が伝えられないのは現在も同じ?

Photo_8

Photo_9

ここで面白い話を聞いた。広島市の水道の歴史だ。1899年1月に市水道として給水を開始している。広島市の水道は天皇の勅令により軍用の水道という形で敷設された。これはそれまで例がないことだったという。日清戦争が起こると多くの軍人が広島市に集まったことも大きな要因になった。疫病を防ぐにはきれいな水の確保が大切だったということであろうか。こんなところにも軍と歩んできた歴史がのぞく。

Photo_10

 

[中谷悦子]


[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2017年11月18日 (土)

晩秋の安芸の郷の様子

晩秋の安芸の郷の様子

紅葉がきれいです

 

広島市安芸区矢野東にある社会福祉法人安芸の郷は障害者の皆さんが土日祝日を除く毎日働くことをベースにして通所されており、このための必要な支援を行いながら日々を送っている。通所して働く場としては森の工房・みみずく、あやめ、やのの3つの事業所があり、短期入所の事業所が併設されている。

建物は森の工房AMAと第2森の工房AMAの2つで、事業所内の庭にはいろいろな樹木が植えられ、屋上ではブルーベリーの栽培がおこなわれている。

晩秋の今頃は2つの建物にある木々が紅葉して心休まる空間が広がっている。以下は1117日の2つの建物と周囲の様子。

Photo_11

2森の工房AMAの屋上のブルーベリー。こちらは早生の品種。

 

Photo_12

森の工房AMAの屋上の様子。

 こちらのブルーベリーは晩生の品種。どちらの建物のブルーベリーも葉がひときわ赤くなっている。

 

Photo_13

 屋上の見回り中に出会うヤマガラ。サクラの枝にとまっている。後ろの木はメタセコイアとラクウショウ。どちらも落葉針葉樹。

 

Photo_14

 ブルーベリーの木から木にかけてあるクモの巣の主はジョロウグモ。巣に触れたのでブルーベリーの葉までそろそろと移動した。怖いか、警戒のためか。

 

Photo_15

 コブシの花芽。後ろはイチョウ。

 

Photo_17

 ナンキンハゼ。後ろの上の建物は矢野中学校の校舎。

 

Photo_18

2森の工房AMAではブルーベリーの苗木の生産をしている。今日はボランティアグループ「みのり会」の出勤日なので今年3月に挿し木したブルーベリーの鉢上げ作業を行う。資材を運んで、

 

Photo_19

プラポットに植えていく。今日で挿し木苗の植替えが終わった。この作業はボランティアの皆さんの協力が欠かせないのでとても助かっている。

 

Photo_20

森の工房AMAの庭のモミジ。この木は毎年ひときわ赤い紅葉で楽しませてくれる。

Photo_21

ところで秋は食欲の秋。森の工房AMAの屋上のブルーベリー畑の下の作業室の一つに森の工房あやめのパン工房がある。午後1時すぎ天然酵母のパンがこんがりといい具合に焼きあがった。手前の丸いのがメランジェカンパーニュ。上のラグビーボールのようなのがくるみと野ぶどう。どちらもくるみや野ぶどうが練り込んである。夕方中区紙屋町の地下街の「ふれあいプラザ」にもっていき販売される。毎週火曜日と金曜日の夕方配達している。

11月は安芸区内の公民館のまつり、安芸区民祭りなどが毎週のように開かれるので出店を頑張っている。19日は安芸区阿戸町の町民まつりが福祉センターで開催されるのでこちらにも出店して今日焼いたパンも販売される。

20171117

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

[お願い]

 

この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ 広島ブログ

2017年11月14日 (火)

AFS同期生との楽しい一時 ――いつの間にか、皆「ラディカル」になっていました――


AFS同期生との楽しい一時

――いつの間にか、皆「ラディカル」になっていました――

 

60年近くも前、今は横浜の山下埠頭に係留されている氷川丸で一緒に留学した仲間の何人かが集まって話をする楽しさは言葉にできません。誰かが一言喋り出すと、瞬時に全員がその内容を理解してしまう、といった感じで会話が弾みます。勿論、それぞれの分野での「専門家」として知られている人たちばかりですので、初めて聞くことも多く専門的な知見も披露されるのですが、でも話の筋は感覚的に分ってしまうのです。

 

             

Photo

               

 

私たちを留学させてくれたのはAFSと呼ばれる団体です。私との関わりは、「目標リスト その3の中で説明していますが、再度簡単にまとめておきます。

高校生留学を一番昔から推進してきた団体なのですが、その団体のそもそもの発端は1914年の第一次世界大戦です。当時パリに住んでいたアメリカの青年たちが、戦場で救急車のボランティア運転手を務めたことから始まったのです。その後も活動は続きましたが、第二次世界大戦が終った時点でAFSは大きな方針転換をしました。戦争が始まってからのボランティア活動も大事だが、戦争が起らないようにするためのボランティア活動をしようということになったのです。その結果が高校生の交換留学推進です。

 

つまり、AFSという団体の目的には、国際理解や外国語の習得も含まれますが、大目標は世界平和ですし、その実現のためのリーダーの育成です。目標達成のために、大学生の留学ではなく高校生の交換留学を進めた最大の理由は、一年間、とは言え夏休みの間を除いて10か月間、ホスト・ファミリーの家族の一員として生活をし地域の高校に通うことにありました。そのことで、大学生になってからの留学なら、例えば寮に「隔離」され、周辺の地域ともしばしば利害関係が対立するという環境に置かれます。しかし、高校留学の場合には実際にその地域に住んで、日曜日には教会にも行き、その他の地域行事にも参加することで、普通の市民の「生活」を体験することになります。

 

 

Ephsyear_book

卒業した高校のYEARBOOKから

 

そして、その生活が、10か月続くことも大切です。「家族」としてそれだけ長い間一緒に過ごすのですから、一月なら何とか我慢できたるようなことでも、どこかで「衝突」するようなことにもなります。喧嘩も起ります。それを、「平和裡」に解決して家族としての関係を維持する経験を通して、本当の「異文化体験」が身に着くことになります。もう少し抽象的に言えば、多様性の内面化です。

 

ほぼ60年前にそんな経験をした私たちは、その10か月が人生を変えるような大きな贈り物だったような気がしています。ですから当然、若い世代の皆さんにも同じ体験をして貰いたいと考え、今も続いているAFSの活動を様々な形でサポートしてきました。

 

でも最近では、その活動にも大きな変化が見られるようになりました。留学したいと考える若者の数が減ってきていることに象徴されるのですが、「内向き志向」や「コスト」、そして「生きがい」についての考え方が変ってきていることなどが原因です。

 

学校も高校生自身も、「海外に留学して進学が一年遅れるより、早く良い大学に入る」という選択をするケースが増えていますし、留学費用がかなりの負担になることから、それを大学での学費に充てた方が良いと考える人も増えているようです。また、ホスト・ファミリーを引き受けることで生じる経済的その他の負担と、留学生との10か月という時間の意味とを比較衡量して、ホスト・ファミリーを希望する家庭が減ってきていることも問題です。

 

ではどうすれば良いのか、私たち同期生の間で、熱い議論をすることができました。いくつかの具体案も生まれましたので、すぐ実行して行きますが、成果が見える段階でまた報告させて頂きます。

 

その他、現在のわが国の政治、特に改憲の動きにどう対応すべきなのか、若い世代に私たちの世代の経験やそれに基づいた教訓をどう伝えて行けば良いのか等についても、突っ込んだやり取りができました。

 

それにしても、一つ一つの発言は、「根源的」という意味での「ラディカル」さ、そして、必ずしも世間の波には流されないという意味での「ラディカル」さに満ちていました。それは、私たちに残された時間が少なくなっていることにも関係があるのですが、「いやいや、まだまだ私たちでも役立つことが沢山ある」という結論にまとめることができました。

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

コメント

アメリカへの留学→アメリカの理解→アメリカのフアンになる
という方程式は、
アメリカを日本といいかえても、中国、北朝鮮といいかえてもなりたつのではないでしょうか。。
相互理解は平和への道といえるようです。

「留学」様

コメント有り難う御座いました。

「交換」留学は、基本的には双方向での留学制度です。御指摘の通り、海外で生活することから「平和」を築くという考え方です。もっと多くの若者が参加してくれると良いのですが---。

2017年11月 7日 (火)

水島朝穂教授講演会 ――独裁者を正確に描くと笑い飛ばすことになってしまう――


水島朝穂教授講演会

――独裁者を正確に描くと笑い飛ばすことになってしまう――

 

安古市高校の後、112日は、アステール・プラザで早稲田大学の水島朝穂教授の講演会がありました。講演の始まる30分前から多くの人が会場に着いていて、先生の来場を待っていました。イギリスのガーディアン紙が報じていた「空席の目立つホールがイヴァンカを歓迎」とはかなり様子が違います。

 

               

Ivanka_trump_welcomed_by_emptry_sea

             

YouTubethe Guardianのページです。中央は安倍総理

 

水島教授は、かつて広島大学でも教鞭を執っていたことがあります。大変精力的で頭脳明晰、快刀乱麻という言葉がすぐ頭に浮びます。事実、2日の講演も詳しいレジュメがあったのですが、90分の内、1時間ほどはそれに関連した脱線に注ぐ脱線でした。それも「安倍加憲」の本質を詳細な歴史的事実や法文の引用を交えながら、笑い飛ばす痛快なプレゼンテーションでしたので、会場は笑いに包まれつつ、知的な刺激に唸る充実した一時になりました。

 

20171106_11_20_42

 

7月末にはスタンダップコメディアンの松元ヒロさんの笑い、そして今回の水島教授の笑いを直接経験して、チャップリンの喜劇『独裁者』を思い浮べていました。そして気付いたことは、「独裁者」をできるだけ正確に描こうとすると、それは喜劇になってしまう、という事実です。独裁者の論理は独善的かつ矛盾に満ちています。それをつなぎ合わせて何とか解釈しようとすると、その結果は、私たちの常識とはあまりにも掛け離れた世界になってしまい、しかも、それを独裁者自身が真面目に受け止めているという自己中心性を加味すると、笑わざるを得ない状況になってしまう、ということなのではないかと思います。

 

と言って、どうしても補っておかなくてはならないのは、その被害を受ける側にすれば、「笑い」とか「喜劇」とかいう言葉を使うことさえ憚られる残酷・悲惨な運命を科されるという事実です。そのこともしっかり踏まえての行動が必要です。

 

しかし、私たちの多くは「善良」です。矛盾に満ち、大惨事をもたらしてしまうシナリオの中からできるだけ無害なしかも自分に都合の良い部分だけを取り出して、独裁者の意図を中和して解釈する傾向に陥り勝ちです。

 

水島教授の講演も新聞等のインタビューも、ホームページも、もちろん論文もそんな幻想を粉々にしてくれます。詳細をここで再現するだけの時間がありませんので、まずはホームページ、そして「直言」をお読み下さい。

 

この「直言」は199713日に始まり、週一回新たな「直言」が付け加えられて2015年には1000回を迎えています。私もできるだけ毎週目を通すようにしていますが、とても勉強になりますし、水島教授の情熱に触発されて元気になること請け合いです。

 

超高スピードで話をする水島教授の言葉をメモするのは大変だったので、断片的になりますが、それでも、本質的な「サワリ」を一つ二つ報告しておきましょう。

 

(A) 四字熟語

 私たちは四字熟語に弱い。それを上手く使って、為政者たちが政治を劣化させてきた歴史を重く受け止めよう。

 「国際貢献」とは、自衛隊の海外派遣のことだった。

 「政治改革」とは小選挙区比例代表並立制という悪しき選挙制度の導入のことだった。

 「規制緩和」の名の下、誰のため、何をどう規制するのかは問われずに、私たちを守ってきた規制が緩められてしまい、何でもありになってしまった。

 「憲法改正」が一番危険な四字熟語だ。

 

(B) 安倍総理の「改憲」をどう受け止めるのか、色々な表現の仕方があるが、「お試し改憲」「あら探し改憲」というのもあった。その後、「ねじれ解消」のための「自爆改憲」という可能性もあった。つまり、自らが倒れる傾きと勢いを使った「自爆改憲」だ。この危険性についても要注意。 

 

国会議員の4分の3が改憲賛成だと言われる結果になった総選挙後、国会で改憲の発議をさせないために、世論を高め、議員個人個人にも積極的に働きかける運動がますます重要になっている、という主催者からの呼び掛けが最後にあり、参加者一同新たなエネルギーを補充して貰って帰途に着きました。

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

2017年11月 3日 (金)

安古市高校での講演 ――生徒さんたちも先生方も素晴らしい高校です――


安古市高校での講演

――生徒さんたちも先生方も素晴らしい高校です――

 

112日、安古市高校同窓会主催の文化講演会で講師を務めました。体育館で生徒の皆さんに約一時間話をしてその後、質疑の時間には核心を突いた質問があり感心しましたし、最後に謝辞を述べてくれた生徒代表の女生徒がしっかりと講演の中身を理解してくれていたことで、話が伝わったという実感を持つことができました。

 

生徒の皆さんは床に座って聞いてくれたのですが、暖かい日でしたので苦痛ではなかったと思います。その約1時間20分の間、先生方の多くは立ったまま聞いて下さいました。そのことにも感激ました。以下の写真は、同窓会の広報担当の方から頂きました。プロの写真はさすが違います。

 

                 

Img_6605

           

立って聞いて下さった先生方はこの写真には写っていません。(右側の壁の後方)

 

講演のタイトルは「21世紀をになう皆さんに、私たちの世代から」、副題は「多様性と寛容さ」です。内容はこれまでこのブログで何回か取り上げてきた事ばかりなのですが、簡単にお浚いをしておきます。

 

最初は「孟母三遷は正しい」ことを再確認して、高校生が自分たち同士で「同化」したいという強い傾向のあることを再認識して貰いました。

 

 孟母三遷は正しい。

 ジュディス・ハリス著「子育ての大誤解」がそれを学問的に実証。

 例 親子で米国に移住すると、親は英語が喋れない、でも子どもはペラペラという場合が多い。

 それは、子どもの環境に順応する能力が高いから?

 毎日視ているテレビの英語を身に付けるのではなく、一緒に学び遊んでいる子供たちの英語が身に付くことから、周りの子どもたちに同化する能力が高いことが分る。

 これは、家庭の教育によって子どもの非行を止めさせるのはかなり難しいことにもつながる。

 

これほど、「同化」する傾向があるにもかかわらず、一人一人の違いが如何に大きいのかを「平均は存在しない」事実を目の前で見て貰い体感して貰いました。これは、以前のブログで取り上げていますので再度お読み頂ければ幸いです。

その「実験」のために、事前に船津校長先生から頂いていた、学年そして男女別の平均値の内、高校二年生の男子の身長、体重、握力を使いました。

 

2年男子(127名) 

身長   169.3cm

体重  57.5kg

握力  41.99kg

 

まず、二年生の男子127名に手を挙げて貰いました。その中で、身長が169センチから170センチの間の人に今度は立って貰いました。前にブログで取り上げたアメリカ空軍のケースでは、30パーセントの幅を付けてありましたが、今回は数が少ないので、一センチ幅にしました。

 

驚いたことに、この段階で残った人は10名ほどでした。その中で、体重が57キロから58キロの間の人には立ち続けて貰ったのですが、この範囲に入った人はゼロでした。つまり、平均的な身長と体重を持つ2年生男子はいなかったのです。

 

個人のレベルで多様性のあることは、身長や体重を通して分って貰ったとして、社会・政治・歴史において、この多様性がどのような役割を果して来たのかを、司馬遼太郎さんの鋭い観察を紹介することで具体的に理解して貰いました。それは、「明治維新の原動力は、藩の多様性にあった」ということです。この点はとても面白い内容ですので、次回にまとめて御紹介します。

 

では現代社会で多様性がどう生きているのでしょうか。これについては、トロント大学教授のリチャード・フロリダ氏の明快かつ感動的な研究結果があります。

 

 世界の経済は都市、そして広域都市圏が引っ張っている

 都市の経済的活力は、都市の多様性に由来する

 多様性を生かすために、市民がお互いの違いに寛容で、上手く折り合って生活していることが重要


その寛容さを測るための分り易い指標を見付けたこともフロリダ教授の業績です。

 

 寛容性を簡単に示している指標で一番信頼できるのは「ゲイ・レスビアン指標」(または、「LGBT指標」)

 「芸術家」の割合を示す「ボヘミアン指標」や「人種指標」も相関関係は高い。

 アメリカの都市で、この指標の高いのは、例えば、シリコンバレー (サンフランシスコ)、オースチン、あるいはボストンである。

 

これら三都市は、経済的にはシリコンバレーのようにアップルがあったり、長い間アメリカの科学・技術の中心地としての役割を果し最近ではバイオテクノロジーで注目されているボストン、そして世界最大のコンピュータ製造会社デルの本拠地だったオースチンと、それぞれゆるぎない地位を誇っています。

 

LGBT」指標の方については、サンフランシスコは、少数派の権利を守るために、アメリカの都市の中でも突出した役割を長い間、果してきていることで知られています。ボストンがあるマサチューセッツ州は、アメリカの中でも同性間の結婚を合法化した最初の州として知られています。保守的なテキサス州の州都であるオースチンは、デルの本社があることで、若い世代の人々が大量に移住した結果、リベラルな街に変貌したのです。

 

 

Photo

左から時計回りにサンフランシスコ、ボストン、オースチン

 

たった一時間しか話さなかったのですが、こうしてまとめて見ると、ものすごいボリュームの話をしていました。となると高校生に理解するのは難しかったのかもしれないと反省しています。しかし、伝わったことも多かったはずですので、それも含めて次回も続きます。

 

 

[お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

 

広島ブログ
広島ブログ

コメント

孟母三遷という言葉、半分は呆れられながら、言われたことが何度かあります。
それが正しかったかは別として、
子どもたちが多様性と寛容さを身につけるためには
多くの人たちと交わっていかなければなりません。
その機会が今の日本の学校ではとても難しいと感じました。
貴重な講演だったと思います。私もお聞きしたかったです。

”種まく人” ですね。
中学・高校時代に見た映画→どうってことない映画でも心揺さぶられた。
よいお話はその比ではありません。ラッキーな高校生たち。
ド田舎は中1の時→社会の先生(最年少で兵隊にとられたらしい)が
「もらった憲法なので(特に9条)変えねばという勢力があるが、
もらったものでも、いいものはいいのだ」と。
以来、護憲・非武装派に。
今日の朝日《改憲の足音 公布71年》
赤坂真理さんの、...もらった..という言葉、なつかしい。
ピーター・バラカンさんも、もちろん拍手もの。

『私にとっての憲法』で保阪正康氏が、
...いってみれば非軍事憲法...と。
この呼び名のほうがラジカルでよろし。もっと広まれ。
の前に、文化の日を明治の日などとさせてはならぬ、こちらも止めねば。

「nancy」様

コメント有り難う御座いました。

多様性の大切さが比較的簡単に分るのは、外国に留学したり、留学生を受け入れたりすることだと思いますが、少し頑張れば、受け入れの方は何とかなるような気がします。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

中学や高校の時、随分有名な人が学校まで来てくれて話をしてくれたことは覚えているのですが、内容の方となると---。ということから、何か一言だけで良いので覚えていてもらえるような魅力的な「単語」を使うよう心掛けています。

憲法の条文では9条も大切ですが、私は憲法の遵守義務を規定した99条の重要性を強調したいと思っています。

より以前の記事一覧

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31