言葉

2019年7月19日 (金)

日本のテレビは「いじめ」を助長している ――みんなで声を上げましょう――

イギリスの人気テレビ番組「Britain’s Got Talent (私訳: イギリスの隠れた才能発掘! BGTと略)」は、「いじめ」について、積極的に関わり、「いじめはいけない」「いじめを受けた子どもたち、受けている子どもたちよ、頑張れ」といったメッセージを出し続けています。

それに対して、日本の子どもたちは、日常的にテレビからどんなメッセージを受けているのでしょうか。サイモンと同じように、批判に晒され反省することでテレビ番組の内容が変ることを期待していますが、取り敢えず現状を簡単に見てみましょう。

日本のテレビ番組で、隠れた才能を発掘する目的を掲げているのは、テレビ東京の「カラオケバトル」があります。堺正章が「オウナー」ということで、高校生や中学生、時には小学生までが出場しています。それと、出場者は芸能人ですが、俳句や華、水彩画等の才能を評価する、TBSの「プレバト」くらいでしょうか。

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「プレバト」は私が好きな番組なのですが、それは、番組の大きな枠組みを無視して、純粋に才能の評価が行われている場面に限っての話です。まず、司会の「浜ちゃん」の言動は、テレビなら「いじめ」は許されるのか、と言っても良い暴力性に満ちています。人の頭を殴ることは日常茶飯事、しかも擬音まで使ってそれを強調しています。また、芸能界では「いじる」と表現されるようですが、本当は「いじめる」の短縮形だとしか考えられない言葉の暴力には辟易しています。さらに、さすがに今は減りましたが、俳句の先生である夏井いつきさんを梅沢富男という男が、「ババア」呼ばわりしていたことも、多くの人々の顰蹙を買っていました。

私たち大人なら、このような言動を不愉快だと思い、より大きな世界の判断基準に従って対処することは可能です。でも世界が狭い子どもたちにとって、ましてや、学校で「いじめ」に遭っている子どもの場合、周りの加害者からも先生からも「あれはふざけているだけのこと」と問題にされない場合、このような番組を見せられれば、「おかしいのは自分の方だ」と思い込んでしまうことがあっても不思議ではありません。

「いじめ」が原因で自殺した子どもたちのケースが何度も報道されながら、調査をしたはずの担任が、加害者と傍観者の「あれはふざけていただけ」を鵜呑みにしてしまう背景に、「プレバト」のような番組の、「いじめ」助長とも思われる言動があるとしたら、私たちがもっと声を上げなくてはいけないのではないでしょうか。

「カラオケバトル」では、さすがに子どもの頭を叩いたり、言葉による「いじめ」は見られませんが、それでも、信じられない光景を先日目にしました。

出演者は、北海道の高校に通っている女子高生です。工業系の学校だということで、一クラス約50人の生徒のうち、女子は2人だけだということでした。このような環境に置かれている女子生徒の立場が難しいことは誰でも理解できるはずですが、それでも耳を疑ったのは、この二人の女子生徒に対して、男子生徒は一切話し掛けもしないという事実があることでした。しかもそれは、一種の温かいエピソードとして扱われていて、「カラオケバトルで優勝したら話し掛けて貰えるかもしれない」ことが強調されていたのです。

でも考えてみて下さい。全員が男子だとして、二人だけ全く話し掛けてももらえない生徒がいるとしたら、それはどんな定義を適用したとしても「いじめ」です。でもその二人が女子生徒だと、途端にいじめではなくなってしまうし、学校側でも何の対応もしていないとは、呆れて物が言えません。

BGTとAGTでのサイモンの言動を問題にした人たちは、普通なら「いじめ」でもテレビで同じことをすれば称賛されるのはおかしくないか、と主張しました。それは、「被害」に遭った子どもたちの人権という視点からは当然のことです。日本のテレビ界でも、そろそろ、子どもの人権という視点から番組の内容を考えることをはじめても良いのではないかとも思いますが、皆さんは如何お考えになりますか。

[2019/7/19 イライザ]

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2019年7月18日 (木)

「いじめ」をなくそう (3) ――テレビ番組の役割――

イギリスの人気テレビ番組「Britain’s Got Talent (私訳: イギリスの隠れた才能発掘! BGTと略)」は、「いじめ」について、積極的に関わり、「いじめはいけない」「いじめを受けた子どもたち、受けている子どもたちよ、頑張れ」といったメッセージを出し続けています。

一寸穿った見方をして、仮にこのような姿勢が、「「涙もろい」視聴者の心理に付け込んで視聴率を上げるための商業的な意図」に基づいていたとしても、「いじめ」についての正しい考え方を発信し続けること、特に「いじめ」を受けている子どもたちに寄り添おうとすることには、大きな意義があります。これについて書き始めたのですが、二回にわたっての「準備」が必要になりました。

さらに、もう少し調べてみると、BGTやAGT(America’s Got Talent、つまりBGTのアメリカ版)のプロデューサーで、最近は一貫して「いじめ」に反対の姿勢を示している、審査員のSimon Cowell (サイモンと略)は、辛口のコメントで知られており、かつては番組の出演者に対する彼のコメントや行動が「いじめ」だとの批判を受けたこともあったようです。

Simon-cowell

サイモンのFacebookから

その反省があるからかもしれませんが、最近のBGTやAGTの番組でサイモンは、一貫して「反」「いじめ」に徹しています。何人か、「いじめ」に遭ったことのある出演者へのコメントは、人によって違うこともありますが、大体次のような内容です。

 

  • 「いじめ」に遭って辛かったであろうことに対する理解を示し被害者に寄り添う。
  • 被害者が「いじめ」に遭っていたことを公にして、社会的に共有したことについての高い評価を示す。
  • 「いじめ」に負けずに、闘ったことを評価する。[番組中の被害者の問題解決が転校による場合の多いことも、出演者の言葉から分ります]
  • 「いじめ」の原因は、被害者が加害者より優れているからだという「因果関係」を宣言する。
  • 自分も、被害者の側に立ち被害者に寄り添っていることを示すために、また「いじめ」は許せないというメッセージを発信するため「金色のボタン」を押すなどの行動を取る。
  • 「いじめ」の加害者に満足感を与えないために、「被害者」としての過去と決別することなどのアドバイスをする。

 

テレビや音楽界の大物のサイモンが「いじめ」についての姿勢を明確にしていることで、社会的にも「いじめ」についての理解が深まっていることは、例えば、前に紹介した「Bars and Melody」の番組が放映され、大きく広まったことで、「いじめ」の「加害者」から「被害者」に謝罪のメッセージが届いたことが報道されたりしていることに現れていると見ることも可能です。

それに対して、日本の子どもたちは、日常的にテレビからどんなメッセージを受けているのでしょうか。サイモンと同じように、批判に晒され反省することでテレビ番組の内容が変ることを期待していますが、取り敢えず現状を簡単に見てみましょう。また長くなったので、次回に。

[2019/7/18 イライザ]

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2019年7月12日 (金)

『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』 (3) ――何故「数学書」として読みたいと思ったのか――

私が、憲法をあたかも「数学書として読む」試みをしたいと思ったのには、いくつかの理由があるのですが、それを一言で言い尽してくれている至言があります。心理学者アブラハム・マズローの言葉です。

もしあなたが金槌なら、世界は釘に見える。

同様に数学を勉強した人間にとって、世界は数学システムのように見えてもおかしくはないのです。

それを、他の言葉を使って説明しておきましょう。その結果として、「数学」とはどんな学問なのかが少しは見えてくるような気がします。

一つには、数学書では、書かれている言葉は素直にその通り読みます。例えば、「Nは整数である」と書かれていれば、「本当のところは、Nは無理数でも良いんだ」という読み方はしません。しかし、憲法については、例えば99条で、天皇や公務員には憲法を遵守する「義務」があると書かれてはいるのですが、その解釈についての定説では、これは「義務」ではなく「道徳的要請」なのです。それを素直に。「義務である」と読んだらどのような結果が生じるのか、知りたいとは思いませんか?そのように素直に読んでみた結果の報告が『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』なのです。

次に、憲法には、「自衛権」という言葉は使われていません。数学書であれば、そこに使われていない言葉を引っ張り出してきて、それを根拠に定理を証明することなどありません。それと同じように、憲法の中には現れない概念や言葉は、憲法を解釈する上では使わないことにしたらどんな結果になるのか、その結論についての報告にもなっています。

さらに、数学書では、仮にNが整数であって、加えて、Mも整数だとすると、N+Mは整数になります。それは論理的な議論によって証明できます。それと同じような簡単かつ論理的な議論をすることで得られる結論もあります。例えば、このような論理的な読み方をすると、憲法は死刑を禁止しています。しかしながら、現実の世界では、「死刑は合憲である」ということが定説になっています。最高裁判所の判決があるからです。本当にそれで良いのか、敢て問題提起をすることも、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』では行っています。

その他の理由もありますが、それらをまとめて、なぜこの本を読むべきなのかをアピールしているチラシを法政大学出版局の方が作って下さいましたので、最後にそれを掲げて置きます。

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[2019/7/12 イライザ]

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2019年7月11日 (木)

『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』 (2) ――前口上も楽しさ一杯です――

単行本でも文庫本でも、多くの場合、カバーが掛っています。そのカバーを本から外すと、内側に書いてある部分も同時に読めますので、本の内容を一瞥して理解する上では役に立ちます。とは言え、やはり目次が大切であることは言うまでもありません。その目次の部分を御覧下さい。クリックすると大きくなります。

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裏表紙に目次が載っていますが、最初の「章」は「前口上」です。タイトルは、「なぜ前広島市長が憲法を語るのか」です。その前に、「数学書として憲法を読む」がメインのタイトルですので、そちらの説明が必要ですが、それは次回に回すことにして、後半にあるサブタイトル、「前広島市長の憲法・天皇論」の説明としての「なぜ前広島市長が憲法を語るのか」を要約しておきましょう。とは言え、これは小著の中に書いた視点とは少し違ってくるかもしれません。

まず、なぜこのような本を書こうと思ったのか、を自問自答している内に、「市長」という仕事をしていなかったら、このような本を書くエネルギーは生まれなかったのではないか、と思うようになりました。それは、議員と違って、市長は市民全ての代表だからです。

衆議院議員の場合が分り易いのですが、その略称としてよく使われるのが「代議士」です。これは市民に代って議論をする、代弁をするという議員の立場を強調する言葉です。つまり、自分に一票を投じてくれた選挙民の代表として、支持者の代弁をするのが代議士だと言えるのではないでしょうか。

対照的に、市長の場合は、全市に一人しか存在しない仕事ですから、全市民の代表として仕事をしなくてはなりません。自分に投票してくれた人たちだけではなく、対立候補の支持者の代表でもあるのですから、その点もしっかり踏まえた姿勢が求められます。このことを憲法では、第15条の第2項として明文化しています。

 

15条  (一項は略)

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

 

その公務員には、重い義務が課されています。99条です。

 

99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

地方公務員も公務員ですから、この条文に縛られます。そして市長も当然、公務員の一人ですので、憲法遵守義務があります。

この義務を果す上で、では憲法は具体的にどのような義務を課しているのかを知るために、憲法を字義通り、あるがままに読むことが大切だと思ったのです。

[2019/7/11 イライザ]

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2019年7月10日 (水)

『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』 ――いよいよ発売です――

まずは、本の表紙から御覧下さい。このブログを読んで下さっている皆さんには、こっそり耳打ちしますが、書店に並ぶときには帯の部分がちょっと変っているかもしれません。さてどこでしょうか。そして書店に並ぶのは、配送等の事情にも依りますので、恐らく、17日か18日くらいになると思います。Amazonで予約して頂くのが一番早いかもしれません。

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何年も掛って書いた本ですので、できるだけ多くの皆さんに読んで頂きたいのですが、そのためにこの本の効能もお知らせしておくべきですね。この本を読むと、お金持ちになるとか、運が向いてくるというのも「効能」ですが、私たちは知的動物ですから、その面からの効能も大切です。「この本」と言い続けるのも煩いので、「小著」を使います。

例えば、安倍総理は改憲論者です。それも第9条を「改正」したいと言っています。ところで、9条を変えるのは「改正」ではなく「改悪」だと考える人が多いのですが、憲法に出てくる言葉を使うと「改正」ですので、「改める」という意味でこちらを使います。そして、安倍総理の意図は小著を読まなくても分ることです。

でも恐らく、多くの皆さんは、憲法9条を改正すること自体が憲法違反であることまでは、御存知ではないのではないでしょうか。それは、「憲法には96条という規定があって、その手続きを踏めば改正することは構わないのだ」という主張をどこかで、恐らく「専門家」だと称する人から聞いて、「そうなのか」と思ってしまったからなのではないでしょうか。

小著では、この考え方は間違いで、9条の改正はできないことを証明しています。しかも、その「証明」はそんなに難しくはないのです。それだけならまだ他の本を読んでも理解できることなのですが、小著の特徴は、この証明の仕方を誰でも身に付けることが出来るという点です。

昔、高校一年になったとき、微分と積分の勉強をしたことがあります。そのとき読んだ教科書には「馬にも分る」と書いてありました。読んでみたら本当に良く分って、二晩で微分と積分はマスターすることが出来ました。大感激しました。それ以来、私が本を書くとき、講演をするときの目標は「馬にも分る」なのですが、小著も分り易さを目指しているからです。

「証明の仕方」が「身に付く」のは、証明をパターン化して、「憲法改正不可テスト」としてまとめてあるからです。たった2行のテストですが、そのテストをどのように使うのかを、今度は5行にまとめてあります。いわば「憲法改正不可テスト」のマニュアルです。このマニュアルに従ってテストをそのまま使うことで、誰でも「改正はできない」ことを「証明」できるのです。

しかも、このテストもマニュアルも「論理」という鎧に守られていますから、専門家を相手にしてもこのマニュアルを使えば、相手が専門家でも簡単に説得できるという利点があります。もっとも「専門家」の中にも強情な人はいますので、注意は必要です。

その他の「効能」はまたの機会に説明したいと思います。次回をお楽しみに!

 [2019/7/10 イライザ]

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2019年7月 5日 (金)

「論理チェック」と公務員の知的誠実さ

私たちが、例えば参議院議員選挙で誰に投票するのかを決める上で大切なことの一つは公約ですが、その公約を判断する上でカギになるのが、まずは「事実」そしてもう一つが「論理」です。

前回は、大航海時代が始まったのは、「事実」と「論理」がそれぞれの役割を果したことを指摘しました。再度掲げておきます。

「地球は丸い」は真実です。人類は、それまでの「地球は平ら」という「フェイクニュース」(と言わせて下さい)を、「ファクトチェック」によって否定し、この真実に辿り着いたのでした。この真実を元に、だとすると、西に向って航海して、もやがては東にある東洋に辿り着ける、という「論理チェック」の結果、大航海時代が始まったのです。

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複雑多様になった社会や政治が、出来るだけ多くの人の幸福のために機能する上で、憲法が最重要だと言い切ってしまっても良いと思うのですが、その憲法を「あるがままに読んでみよう」とした結果をまとめたものが、『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』です。憲法を論理的にかつ自己完結的に読んでみようという試みです。今月中には発売になりますので、少しずつ紹介をして行きます。

「ファクトチェック」という表現をお借りして、「○○チェック」という形で小著の特徴をまとめると、「論理チェック」と言えるかもしれないことは既に述べたのですが、そう思った時に頭に浮んだ「定理」があるのです。ここで、「定理」という言葉を使っているのは、憲法を「公理」の集りだと考えた上で、そこから導かれる結論を数学の言葉を使って「定理」と表現しているからです。

それは、公務員が守らなくてはならない義務を述べた「知的誠実さ定理」です。これは憲法15条から簡単に導かれる「定理」なのですが、数学の言葉では、「15条の系」という言い方もできますので、それも使っています。以下、小著からの抜粋です。

まず、憲法15条の第2項を掲げておきます。

第15条 (略)

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

[第15条の系] (知的誠実さ定理) 公務員は知的に誠実でなければならない。人類がこれまで獲得してきた真実を重んじ、それを元に事実を確認し共有するステップを論理的・科学的に冷静にしかも慎重に踏んで結論に至るべきである。

   憲法には、「公務員は知的に誠実であれ」という表現は明示的には使われていませんが、これまで何度も述べてきた、いわば科学的であることの基盤をこのような形で整理できたことこそ、憲法の強みなのだと言いたい気持です。

この系の証明は繰り返さなくても良いと思いますが、念のためにまとめておきましょう。公務員が、全体の奉仕者という役割を果すためには、意見や価値観、宗教等の異なる人たちの声を傾聴し、必要があれば特定の政策について違う立場の人たちの調整を行わなくてはなりません。その際に必要なのは、まず事実を事実として認め、それに対する判断は違っても何が事実であるかという点については合意することです。そしてその先は、言葉の意味を丁寧に素直に理解しながら、論理的推論を重ねて、それも誰それが言ったからという外からの権威を持ち出すのではなく、自立した個人として自分の頭で考えての結論を重んじつつ、次のステップに進むことです。このような最低限必要なプロセスを、通常私たちは「科学的」だと呼んでいます。そしてこのような議論の仕方が全体の奉仕者としての役割を果すための出発点であることも御理解いただけると思います。

そして、政治の場でこのような当り前のことを実現する上で、一番役立つのが、憲法そのものをあるがままに、しかもこのような姿勢で読むことです。つまり、「憲法を数学書として読む」ことです。

人類はこのような手続きの有効性を長い間掛って発見し、それを元に科学その他の学問を発達させ、人類を滅亡から救うだけでなく、より豊かで平和な社会を作ってきました。

現在の政治状況と官僚の実態、そして憲法99条との間の密接な関係については御理解いただけたとして、このような状況を改善することは、一定レベルの知的な能力を与えられている私たち人類の義務ではないかとも思います。次の世代の社会・世界がより豊かでより平和なものになるよう知的能力を活用することは、特に権力を持っている人たち――彼ら/彼女らは知的能力も高い人が多いはずなのですが――にとって最重要な知的責任の一つであると言って良いのではないでしょうか。

 

「公務員」の中には、総理大臣等の国会議員や、官僚そして裁判官も入ります。そして「知的誠実さ定理」の出発点が「真実」あるいは「事実」であることから、「ファクトチェック」の重要性も強調されていることも大切です。

[2019/7/5 イライザ]

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2019年7月 4日 (木)

「ファクトチェック」と「論理チェック」

昨日の続き、第二弾です。『ファクトチェック最前線』が、如何に楽しい、しかもためになる本なのかは、目次にざっと目を通すだけで分って頂けると思いますので、まずは目次です。

まえがき

1章 ファクトチェックとは何か

    ファクトチェックの定義

    フェイクニュースとファクトチェック

    ネットのフェイクニュース

    筆者のネットギーク取材体験

    誰でもできるファクトチェック

 

2章 ファクトチェックをリードするFIJの取り組み

    ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)の設立

    FIJ設立の趣旨

    ファクトチェックのガイドライン

    ファクトチェックへのメディアの参加

    「問題ある情報」を幅広く収集するために

 

3章 総選挙でのファクトチェック

    スマホでの問い合わせ

    総選挙をファクトチェック

    消費税2%の増税でなぜ5兆円強の税収なのか

    正社員になりたい人がいれば、かならずひとつ以上の正社員の仕事はある?

    野党党首の発言のファクトチェック

    内部留保300兆円は事実か

    ネットやメディアの情報もファクトチェック

 

4章 沖縄県知事選挙でのファクトチェック

    普天間基地をめぐる痛恨の記憶

    「沖縄にアメリカ軍基地は集中しているのか?」をチェック

    ファクトチェックは地味、されど大切な作業です

    NHK記者として沖縄赴任していた時のこと

    沖縄一括交付金の創設をめぐるファクトチェック

    調査報道から見える沖縄のファクト

    本土米軍の沖縄移転のファクト

 

5章 大阪ダブル選挙でのファクトチェック

    善悪を議論するのは止めましょう

    吉村候補「マニフェスト9割達成」発言のファクトチェック

    二重行政と都構想

    都構想をファクトチェック

    東京都創立の歴史的経緯

    ファクトチェック記事への反応

    飛び交うネットでの偽情報

    巧みなフェイクニュース

 

6章 ファクトチェックの国際的な潮流

    国際ファクトチェックネットワークと世界ファクトチェック大会

    ヨーロッパのファクトチェック

    世界がモデルとするアメリカのファクトチェック

    活発化するアジアのファクトチェック

    そのほかの地域

あとがき

著者紹介

 

この中に出てくる「FIJ」とは、「ファクトチェック・イニシャティブ・ジャパン」の略で、ウエブ・サイトには、「ファクトチェック」の訳が、「真偽検証」だという説明が付いています。

また、「ファクトチェック」を要領よく紹介しているコミックも掲載されていますので、そちらもクリックしてみて下さい。

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『ファクトチェック最前線』のテーマは当然「ファクトチェック」つまり、真実かどうか、事実かどうかをチェックすることなのですが、拙著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』を「○○チェック」という風に特徴付けるとなると、「論理チェック」と言ったら良いのかもしれません。もちろん世の中の様々な事どもは、この両者がないと動かないのですが、それは例えば、次のようなシナリオで理解して頂くのが手っ取り早いかもしれません。

「地球は丸い」は真実です。人類は、それまでの「地球は平ら」という「フェイクニュース」(と言わせて下さい)を、「ファクトチェック」によって否定し、この真実に辿り着いたのでした。この真実を元に、だとすると、西に向って航海して、もやがては東にある東洋に辿り着ける、という「論理チェック」の結果、大航海時代が始まったのです。

私の悪い癖で、本論に入るまでに時間が掛っていますが、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』と『ファクトチェックの最前線』との関係については次回に。

 [2019/7/4 イライザ]

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2019年7月 3日 (水)

『ファクトチェック最前線』を読んで「ファクトチェッカー」になろう

昨日の続きです。

『テニアン』の他にも、あけび書房は「今」私たちが必要としている情報やスキルを提供してくれる多くの良書を出しているのですが、最近出版されたものの内から、特にお勧めする一冊を取り上げたいと思います。立岩陽一郎氏著の『ファクトチェック最前線』です。

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その理由の一つは、近く発売になる小著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』で取り上げたトピックと、ピッタリ平仄のあっている書物だからです。

そもそも、嘘によって人を騙すこと、また洗脳によって多くの人を惑わし操ること、さらにこうしたことの結果として人心を掌握し権力者になること等は古くからおこなわれてきています。トランプ大統領以前から「フェイクニュース」はあったのです。しかし、コンピュータとインターネットの発達によって、例えばSNSといった形で、誰でも手軽にフェイクニュースの発信者になれる時代になりました。そんな時代背景を生かして力を握ったのが、「ドナルド・トランプ」という特異なキャラクターです。トランプ大統領の場合は、匿名ではありませんが、それ以上に問題にしなくてはならないのは、発信者がどのくらい信頼できる人間なのかは全く隠されたまま、フェイクニュースだけが独り歩きする現実です。

幸いなことにこれは両刃の剣です。SNSはフェイクニュースに対抗する手段でもあるのです。だから「アラブの春」や「オキュパイ」、そして今の香港でも多様なエネルギーをまとめる力になっています。多くの市民が協力することで、技術的にも組織的にも不可能に近い結果を残したという具体例もあります。

2003年にスペースシャトル「コロンビア」が大気圏突入後に空中分解し、7人の宇宙飛行士が死亡した事故がありました。その調査に当って、大気圏突入後のコロンビアの航跡を確定する必要があったのですが、それが正確にできたのは、全米で天体観測、特にスペースシャトルの観測を行っていた数えきれないくらい多くのアマチュアの撮った写真、しかも時間と撮影地点の情報が付いたものがあったからです。

こうした市民の力を生かして「フェイクニュース」に対抗するために、私たちが身に付けるべき具体的な方法を教えてくれるのと同時に、それを実践した著者の立岩氏がどのような成果を挙げて来たのかを報告してくれているのが『ファクトチェック最前線』です。彼の基本的なスタンスを見事に表している一節が「まえがき」の中にありました。ちょっと長いのですが、引用します。

 

 「立岩陽一郎って馬鹿なの? 国連の登録名が「北朝鮮」「南朝鮮」」


 最近、ツイッターで批判されることの多い私ですが、これはそのひとつです。このツイートは、私が日刊ゲンダイに連載している「ファクトチェック・ニッポン」で、「北朝鮮」という呼称を使うことを止めるべき、と書いたことに対する意見かと思われます。

 この記事で私は次の点を指摘しました。

 北朝鮮とは朝鮮民主主義人民共和国を略したものとして使われていること。その国の人々は、この北朝鮮という呼称を好ましく思っていないこと。通常、正式名称を略する場合、「北」といった新たな言葉を加えることはないこと。また、北朝鮮という国名は、かつての西ドイツと東ドイツのように、南朝鮮という国名があって初めて意味をなすこと。そして、日本では南朝鮮とは言わず、韓国と言っていること。

 そのうえで、略するなら「朝鮮」が妥当である、と書きました。

 時あたかも、安倍総理が日朝交渉に前向きな姿勢を示した時でしたから、「安倍総理は日本テレビの取材に、無条件で日朝交渉に応じる考えだと語ったそうだ。では、ひとつアドバイスしたい。まず、北朝鮮との呼称をやめるべきだ。そうした小さな取り組みもできないようでは、相手側に対話の機運は生まれない」と指摘しました。

 前記のツイートをされた方は、その内容が気に入らなかったのでしょう。もちろん、私の意見を批判するのは自由ですし、批判は歓迎します。しかし、「国連の登録名が「北朝鮮」「南朝鮮」」というのは事実ではありません。

 これは、国連のウエブサイトを確認すればすぐにわかることです。国連の加盟国のところには、「Democratic People’s Republic of Korea」と書かれています。これが登録名です。

ちなみに、自由奔放な発言で知られるアメリカのトランプ大統領は時折、DPRKを使います。これが正しい略だからです。もちろん、North Koreaとも言いますが、これは西ドイツ、東ドイツのケースと同じで、英語では、普通に朝鮮半島の南北を、South Korea とNorth Korea と言い分けているので、自然なことです。

 

実は、この考え方や論理の進め方が、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』を書く上での私の基本的なスタンスと一致しているのです。長くなりましたので、次回に続きます。

[2019/7/1 イライザ]

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コメント


の前に、まずはご著書『数学者として憲法を読む』をと、
amazon予約しました。
↑注文のたびに、町の本さんスミマセン🙇と。
(が、都心にいても老体には大助かりではあります)

「硬い心」様

コメント有り難う御座いました。そして、Amazonで予約して下さったのも、感謝・感謝です。

『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』を読むとどんな良いことがあるのかを、これから何回かに分けて説明しますので、多くの皆さんにお読み頂きたいと思っています。

 

 

 

2019年6月30日 (日)

宮島口のBocca Al-che-cciao ――もう一軒良いイタリアンに出会いました――

まずは、お店の名前の意味が良く分らなかったので、ネットで調べてみましたが、きちんと説明してくれているサイトがありました。そこに、「イルケッチァーノ」というタイトルでの説明が載せられていました。

まず、「bocca」は口という意味です。「ローマの休日」にも出てくる「真実の口」は、「Bocca della Verità(ボッカ・デラ・ベリタ)」と言います。そして残りの部分は、山形出身の奥田シェフに因んだ命名のようです。

 

どちらのお店の名前も一聴するとイタリア語!?に聞こえますが、

どちらも地元「山形弁」の言葉。

「そんなのソコにあるんじゃねーの!?」

......という様な意味の「あるけっちゃーの」

「奥田シェフはどこにいるのかって!? そこにいるんじゃねーの!?」

......ってな意味の「いるけっちゃーの」だそうです。。

 

ユーモア精神旺盛の良い名前ですし、人間味溢れる店の雰囲気と自然を生かした味にピッタリの名前です。まずは店の外から。

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左側は海ですが、宮島との往復フェリーの他に漁船も停泊しています。

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この店を短く略して「ボッカ」と呼びたいと思いますが、ボッカで印象深かったのはメニューです。一つには分り易いので、選ぶのに迷いがありません。もう一つは、その結果、食べたい物が沢山あることです。

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まずは、バーニャカウダですが、メニューでは、「カリフラワーのバーニャカウダソースと今日の地元野菜」と書かれています。

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そしてパスタは二種類。一つは、「あさりとミニトマトのボンゴレナポリ」もう一つは「山形牛入りシェフパスタ ラザーニャ風」です。美味しさについては言うことがありません。大満足でした。その中でやはり感心したのがアサリの大きさです。それがたくさん入っていて、久し振りにアサリを十二分に楽しみました。

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店の雰囲気もなかなか洒落ていて、何度も足を運びそうなお店がもう一つ増えました。

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[2019/6/30 イライザ]

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コメント


先日、町内会の行事に参加してもらったハワイアンバンドの名称は「Ka Lai Ko Ki Dandies」でしたが、ハワイ語ではなく、結成時の平均年齢が70歳の加齢古希男性というバンドでした。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

ユーモアのセンスと知性とは相関関係がある、と誰かが言っていました。私もダジャレが大好きです。

 

 

2019年6月28日 (金)

広島をどう発信するのか

私たちが政治家やオピニオン・リーダーと呼ばれる人たちに期待していることの一つには、自分では分っていてもいざ言葉にしようとするとそこで行き詰ってしまうような事柄について、スパッと分り易い言葉で、解決の方法を示してくれることがあります。あるいは自分でもあちらこちらで言い続けてきたことを、「これは自分が言ってきた事そのままではないか」という感じで、その上説得力がさらに大きくなった形で公にしてくれることも、その一つなのではないかと思います。

良く考えてみるとこれは、「政治家やオピニオン・リーダー」だけに期待していることではありません。若い世代の人たちにも同じような期待を持っていますし、加えて、自分たちの世代には考えもしなかったような視点が付け加わっていると、「驚き」や「爽快さ」とともに、次世代への信頼が大きく増してくるように思います。

実は最近そんな経験をしました。『週刊金曜日』の5月24日号、「論争」欄に掲載されていた「ヒロシマを発信して行く広島の役割」が期待に沿った内容でした。県職員の菅島章文さんの問題提起ですが、広島県・市がこのような姿勢で仕事をし、議会もそれを応援するという体制があれば、広島が日本一の地域として評価され続けても不思議ではなかったと思います。加えて、かつては「原爆記者」に代表される良識ある報道が特徴だった広島のマスコミが、その心意気を失わずにいてくれたら――、と無い物ねだりになってしまいましたが、まだまだ希望を捨ててはいけません。菅島さんと同じ気持ちの若い世代のリーダーたちが必ず立ち上がってくれることを信じています。

これ以上の多言は必要ではありません。『週刊金曜日』の当該ページをお読み下さい。

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 [2019/6/28 イライザ]

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コメント


心打たれる文章ですね。

「ココロ」様

コメント有り難う御座いました。

「文は人なり」と言われる所以ですね。

 

『月刊金曜日』から購読していながら、大いに恥じ入る次第です。
タイトルは読みましたがスルーしてしまいました。
言い訳しますれば、
同人雑誌的な面が多分にあるため(がため目減りの一途😢)、
「論争」「投書」欄も、そうだ!そうだ!!そのとおり!!!
の内容が多いので、つい...。
飛んで火に入る...的タイトルですと、ん!?→👀となるのですが。
にしても投稿された方、これだけでも相当の勇気がいったことと
思います。

 

「硬い心」様

コメント有り難う御座いました。

おっしゃるように、自分の意見を思う通りに公表することに勇気が必要な時代になりつつあります。もうなっているのかもしれません。だからこそ、勇気を持って発言することがより一層大切なのだと思います。

 

読んでいて胸が熱くなる気がしました。無料から有料、しかも50円とか200円とか…そこで単純計算される収支とは比較にならない大きなものを失ってしまうことに何故気付かないのでしょうか。
きわめて表面的な価値観に基づいて換算された金銭的な数値ばかりが必要以上に重視され、理念や理想といった換算不可能なものは「無かったもの」「無価値なもの」にされてしまう。そんな極端に振り切れてしまったバランスの振り子を、なんとかまともなものに戻したいものです。

 

「うみねこ」様

コメント有り難う御座いました。

おっしゃるように、心と心をつなぐための仕組み作りが理解されていない現状を変えなくてはなりませんね。

難しい理由の一つは、「反対のための反対」といった、「ネガティブな心」同士を結び付けて権力を動かすメカニズムが生きていることかもしれません。それに対する有効な対抗手段が、菅島さんの勇気ある投稿であり、それに応えるこのような皆さんのコメントなのだと思います。

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