言葉

2017年5月11日 (木)

セックス・スクリーン・スポーツ ――数学者、岡潔先生の警告――

 

セックス・スクリーン・スポーツ

――数学者、岡潔先生の警告――

 

英国のEU離脱、トランプ大統領の誕生と、きな臭い政治的な動きが続いた後、フランスではマクロン大統領、韓国では文大統領が誕生しました。イデオロギーや政策はさておいて、手続き的には無難な手法を採用するようですので、少しは安定化への流れが始まっているのかもしれません。とは言え、不安定要素がなくなった訳ではありません。今という時代を理解するために、1960年代に遡って、大数学者、岡潔(おかきよし)先生の言葉からヒントを得られればと思います。

 

数学者、岡潔博士は、多変数解析函数の分野で世界的業績を挙げ、1960年に文化勲章を受章した天才数学者です。同時に1963年に毎日新聞社から刊行された『春宵十話』(しゅんしょうじゅうわ)を手始めに、日本と日本人についてまた日本と人類の未来についての多くのエッセイを発表しました。これらのエッセイを通して、私たちの生き方について、また教育の重要性について「警鐘」を鳴らしたことでも高い評価を受けています。

 

1965年に出版されたエッセイ集『春風夏雨』の中には、「60年後の日本」という随筆があります。1965年の60年後は2025年ですので、もうそろそろ岡先生の憂えた状況に近付いていてもおかしくありません。それを検証するために、まず、このエッセイを要約しておきましょう。

 

               

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岡先生は、人を中心に物事を考えるべきだという持論を述べた後、そのためには教育に力を入れなくてはならないことを強調しています。さらに、その年に発表された厚生省の調査で、「4歳児の3割までが問題児だ」と報告されていたことにショックを受け、この状態を改善するために三つの努力が必要だと説いています。

 

一つは、「戒律を守らせる教育」を行うこと。二つ目は、「国の心的空気を清らかに保って欲しい」こと。最後に男女問題について、「何を目標に」教育すべきなのか国は全力を挙げて究明すべきだが、時間が掛かるようなら当面は男女別学にすべきだ、と主張してます。

 

そして、この中で、次のような問題についても言及しています。

 

進駐軍が初めて来たとき「進駐軍は日本を骨抜きにするため、三つのSをはやらせようとしている」という巷説があった。セックス、スクリーン、スポーツである。今やこの三つのSはこの国に夏草のごとく茂りに茂っている。私に全くわからないのはこの国の人たちはこれをどう見ているのであろうかということである。

 

60年後の予測は、このような努力を行ったとしても、「六十年後には日本に極寒の季節が訪れることは、今となっては避けられないであろう。教育はそれに備えて、歳寒にして顕れるといわれている松柏のような人を育てるのを主眼にしなくてはならないであろう。」

 

1965年の時点で日本が崖っぷちに立っていることを指摘した岡先生の最後の文章は「もし転落し始めたら、今度こそ国の滅亡が待つばかりであろう」です。

 

「セックス、スクリーン、スポーツ」の内、「スクリーン」は今ならテレビとスマホなどの通信機器を指すのだろうと思います。それ以上に私たちが問わなくてはならないのは、今の日本の状況を「転落し始めている」と見るのか、その一歩手前と見るのか、いやまだまだ大丈夫と見るのかです。いくつかの可能性がありますが、皆さんはどう御覧になっているのでしょうか。

 

1965年とは時代も大きく変っていますし、岡先生の世界観、社会観、人間観はかなりユニークですので、私たち自身の頭と心を通して再吟味する必要がありそうです。特に処方箋の部分については、別の枠組からの検討も必要だろうと思います。同時に、岡先生が警鐘を鳴らさざるを得ないと思い詰めたほどの危機感の何分の一でも、私たちも持てないものだろうかと憂えてもいます。

 

 

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2017年5月 7日 (日)

総理大臣には憲法遵守義務があります ――しかし、私たちの想像以上に事態は深刻です――

 

総理大臣には憲法遵守義務があります

――しかし、私たちの想像以上に事態は深刻です――

 

2020年には改憲し新憲法を施行すると総理大臣が明言しました。主目的は9条に項目を追加して自衛隊を明文化することですが、自衛隊を合憲化するには、自衛隊の任務から軍事的側面を削除すれば良いことは、すでに述べた通りです。

 

それ以上に問題なのは、総理大臣がこのような発言をすること自体、憲法違反だということです。総理大臣だけではなく、全ての公務員は憲法遵守義務を負っています。この点については、昨年の憲法記念日にも言及していますが、改めて憲法遵守の規定である憲法第99条の条文を掲げます。


99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

ここで使われているのは「尊重」と「擁護」ですが、簡単に「遵守(じゅんしゅ)」とまとめて、「遵守義務」と書くことにします。これが大変重い規定であることはお分り頂けると思います。何しろ、天皇にまで憲法遵守義務があるのですから。

 

             

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文部省の『あたらしい憲法のはなし』から

 

自衛隊の「明文化」がそれほど重要なら、すでに明文化されている憲法99条の規定を忠実に守るべきはずなのですが、この点についての論理は一貫していません。

 

また憲法を「尊重し擁護する」ことイコール「改憲」では辻褄が合いません。改憲せずに憲法を「そのまま」尊重し擁護することだと読むのが自然なのではないでしょうか。

 

しかし、先日指摘したように、これまで憲法を蔑ろにしてきた人たちの常套手段は、憲法に明文化されていないこと、あるいは明文化されていることでもそれを無視して、戦争を正当化し軍国主義路線を実現することでした。自衛隊が明文化された暁には、まだ明文化されていないより大きな次の目標が待ち構えています。それは、核兵器を持つことです。そのための第一歩を踏み出す企みに同調することこそ無責任です。

そして戦争を美化し戦意を高揚、軍事路線こそが唯一の選択肢であるかのようなデマで多くの人々を洗脳するために自民党・公明党政権が恥も外聞も忘れて採用してきたのが、戦争放棄を謳った憲法第9条を無視し、軍隊を保持、さらには海外派兵まで可能にするシナリオでした。

 

しかし、これが憲法遵守を定めた99条違反であることは疑う余地もありません。しかし、「敵」もしたたかです。これも何回か指摘していることですが、憲法を遵守することは「法的義務」ではなく「道徳的要請」であるという判決が確定しています。

 

1977217日、水戸地方裁判所による百里基地訴訟の第一審判決では、「憲法遵守・擁護義務を明示しているが、これは、道義的な要請であり」法的義務ではない、との判断が示されていますし、198177日に東京高等裁判所による控訴審判決では、憲法99条は「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」と述べられています。

 

こんな御託宣があれば、総理大臣が良心の呵責はほとんどなく、とは言え道徳的には問題のあることくらいは理解してくれていると思いたいのですが、期限付きの改憲を「宣明」できるのかもしれません。

 

事態がこれまで私たちが考えていた以上に深刻なことは御理解頂けたと思いますが、さてどうすれば良いのでしょうか。当面思い付くのは、既に多くの皆さんが行動に移していることです。

 

改憲を許さない野党が協力して統一候補を立て、次の選挙で勝利すること、そして安倍内閣を退陣に追い込むことが急務です。選挙に勝つための作戦を立て、できるだけ多くの市民が参加できる体制を作って、動き始めましょう。

 

 

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2017年5月 6日 (土)

憲法解釈の違いは何に由来するのか ――リベラル派は理想の実現が可能だと考えている――

 

憲法解釈の違いは何に由来するのか

――リベラル派は理想の実現が可能だと考えている――

 

日米の憲法について、それぞれどのような点が問題になっているのかを比較して見ることで、立憲政治と民主主義の擁護について何らかの示唆が得られるかもしれないと思っていたのですが、「2020年までに改憲」という安倍発言から頭に浮んだ何点かを先ず文字にすることになりました。

 

そこで書き散らしたことを敷衍しながら整理すると、先ず、我が国では個人の自由を制限する特定秘密保護法や共謀罪の動きがあり、アメリカでも同様に、特定国の国民を入国させないといった方針が示されるなど、個人の基本的人権を狭める動きが顕著になっています。

 

同時に、トランプ大統領の誕生を可能にした条件の一つである2010年の最高裁判所の判断は、企業も表現の自由を持つことを確定しました。この判決も含めて企業の権利を大幅に広げる動きにも注目する必要があります。我が国でも、武器禁輸三原則が反故にされ防衛装備移転三原則が取って代るなど企業の権利をより大きくする方向の施策が取られています。

 

少し乱暴ですが、個人の権利は尊重し企業の権利は制限するという立場をリベラル派と呼ぶなら、正反対の立場、つまり個人の権利を制限し企業の権利を尊重するトランプ・安倍両政権は超保守派、あるいは反動派とでも呼べば良いのでしょうか。

 

リベラル派のもう一つの特徴は、知性を活用することによって人類の生きる環境を変え改善することができると信じていること、特に理想を目指す政治的な立場の持つ価値を重んじていることかもしれません。

 

その立場から、日米の憲法に関わる問題点をもう一度検証して見ましょう。

 

アメリカの最高裁が、「企業が選挙に使う金額には上限を設けてはいけない」と判断した理由は、

  企業にも、個人と同様に「表現の自由」が与えられている。それは「表現」することが可能などのような主体についても、この自由が保障されているからである。

  巨額の資金が使われているという事実だけから、政府がそれを「腐敗」であると断定することはできない。つまり、いくら以上なら腐敗であり、それ未満ならそうではないという客観的な基準を設けることができないからである。

  支出額の制限を加えることは、市民の知る権利を侵害する可能性がある。情報を広げるのにはお金がかかるという理由で作られた規制によって、ある情報が隠されてしまうのは市民の知る権利の侵害になり得る。

だったのですが、仮に、この中の①、つまり、企業も表現の自由を持つことを認めたとしても、それを実現する手段として「企業が選挙に使う金額には上限を設けてはいけない」という結論にはならないのではないかと思います。

 

   1787年のアメリカ憲法署名式

 

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特に、②では、支出金額が多いからと言ってそれを腐敗として認めようとすると、その客観的な「線引き」ができないから、という理由が述べられています。

 

確かに、抽象的な議論をすればそれには一理あるのですが、現実の世の中では利益の追求を最優先する企業あるいはビジネスと、生活する主体としての個人との間には明確な違いがあり、それを対立関係と捉えられる場合の多いことも事実です。

 

そして、選挙の際にビジネス側が使える選挙資金と個人とが支出できる金額には大きな差があります。公正な選挙と表現の自由との間のバランスをどう取るのかの問題になりますが、個人の使える額には当然上限がありますので、それに見合った上限を企業・ビジネスに課すことこそ、民主的な政治を維持する上での重要事項の一つになるのではないでしょうか。

 

つまり、企業の使える金額の条件は抽象的レベルで「客観的」に決めるべき事柄ではなく、公正な選挙により民意ができるだけ忠実に反映されるためにはどの程度の支出なら許されるのかを、これまでの選挙についてのデータや今後の動きの推定を元に、「合理的」に決定すべきことなのではないでしょうか。

 

「自衛隊の明文化」についての考察も続けて行いたいと思います。

 

 

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2017年5月 4日 (木)

憲法記念日は改憲阻止の日になりました ――まずは野党共闘で安倍内閣を退陣に追い込む――

 

憲法記念日は改憲阻止の日になりました

――まずは野党共闘で安倍内閣を退陣に追い込む――

 

こともあろうに憲法記念日を選んで、2020年までの改憲、そして改悪された憲法の施行を、安倍総理が明言しました。憲法9条の第一項、第二項はそのままにして、自衛隊の存在を許容する旨明文化するのが目的だそうです。

 

             

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自衛隊の存在を「合憲化」することが目的なら、もっと簡単な方法があります。自衛隊の任務から、軍事的側面を取り除き、自然災害その他の災害救助を主任務とすれば良いのです。この考え方については、またの機会に詳しく述べたいと思いますが、今、頭に浮んだ二三の思いをお読み頂ければ幸いです。

 

 まず、改憲を許さない野党が協力して統一候補を立て、次の選挙で勝利すること、そして安倍内閣を退陣に追い込むことが急務です。選挙に勝つための作戦を立て、できるだけ多くの市民が参加できる体制を作って、動き始めましょう。

 

 また安倍総理は改憲派に向けたビデオの中で、言うに事欠いて「多くの憲法学者や政党には自衛隊を違憲とする議論が今なお存在する。あまりにも無責任だ」とまで宣っています。しかし、これには世論を誘導する意図があります。

 

災害等で自衛隊に助けられた人、救助活動の報道を見て感動した人たちは多くいます。そのこととは別の次元で、自衛隊の存在を認めないという議論には確固とした法的な根拠があります。その点を誤魔化して、「あんなに立派な活動をしている自衛隊を『違憲』だというのは無責任だ」と糾弾する摩り替えを行い改憲に好意的な世論を作る、という意図です。

 

 「自衛隊の明文化」という言葉に騙されないで下さい。これまで憲法を蔑ろにしてきた人たちの常套手段は、憲法に明文化されていないこと、あるいは明文化されていることでもそれを無視して、戦争を正当化し軍国主義路線を実現することでした。自衛隊が明文化された暁には、まだ明文化されていないより大きな次の目標が待ち構えています。それは、核兵器を持つことです。そのための第一歩を踏み出す企みに同調することこそ無責任でしょう。これについても、再度取り上げたいと思います。

 

 「周回遅れの世界観」は破滅への道です。かつての歴史を振り返っても、「大日本帝国」は世界の変化を認識することができず、周回遅れで自分が先頭を走っている積りになっていました。1939年にナチスがポーランドに攻め込んで第二次世界大戦が始まり、日本はその翌年1940年にそのナチスならびにイタリアと三国同盟を締結し、1941年にはアメリカとの戦争を始めました。当時の為政者たちには、それが時代の最先端の動きに乗っていると見えたのかもしれません。でも、その4年後、1945年には原爆そして終戦が待っていました。

 

2020年は3年後ですが、4年後、5年後も一緒に考えて見たらどうでしょうか。かつての日本が「ナチス」と組んでから5年後には、周回遅れの現実が突き付けられたのですが、2017年版の「ナチス」は何を指すのかをしっかり見据えなくてはなりません。この点についても再度、詳説したいと思います。

 

 

 

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2017年4月19日 (水)

イギリスの解散・総選挙 ――どちらに転んでも損をしない選択肢かも知れません――

 

イギリスの解散・総選挙

――どちらに転んでも損をしない選択肢かも知れません――

 

イギリスのメイ首相が下院を解散し、68日に総選挙を行う意向を記者会見で表明しました。解散・総選挙の目的はEU離脱 (Brexit とも呼ばれています。イギリスの別名Britainと、離脱を意味するexitを合わせた言葉です) を遂行するための国民的合意を取り付けることだと言明し、今後、安定した政権運営をするためには今、選挙をすることが必要だとも述べています。

 

             

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一応の説明にはなっていますが、これまで官邸筋は解散・総選挙を否定してきていますので、それを踏まえるとすんなり受け入れられるシナリオでもありません。いろいろな論評が出てくると思いますが、日本のマスコミがあまり注目していない観点からの解説をしておきたいと思います。

 

そのための大前提ですが、保守的な政治家や力の支配を信奉している人々にとって核兵器の存在こそが最大の切り札だという事実です。例えば前にも言及しましたが、就任直後の議会でメイ首相は次のような発言をしています。

スコットランド国民党のジョージ・ケレバン議員が次のような質問をしました。「メイ首相は自ら、10万人の罪のない男女や子どもの命を奪う核兵器の使用を許可する覚悟があるのか」でした。それに対してメイ首相は、まず、躊躇することもなく「Yes」と言った後で、「核抑止で重要なのは、敵に我々が核を使用する用意があると知らしめることだ」と述べています。

(ニューズウィーク日本語版電子版2016721)

 

最近の北朝鮮を巡る緊迫した状況とも関係しているのかもしれませんが、「核を使用する用意があると知らしめる」ためには、先ず核を持っていなくてはなりません。しかしイギリスの場合、スコットランドが独立してしまうと、核兵器はなくなってしまいます。この点については何度か取り上げていますので、再度お読み頂ければ幸いです。

 

イギリスの保守派の主張通り、Brexitが実現すると、スコットランドの独立派は再度の住民投票で今度は勝つという作戦を立てていますので、ただ単に「離脱の手続きを粛々と進める」だけでは、イギリスが非核保有国になり下がるという「窮地」に追い込まれる可能性があるのです。それもかなり高い確率での話です。

 

となると、今、保守党の人気が高い内に選挙を行い、スコットランドでも保守勢力に勢いを付けておく、という作戦はあり得るだけでなくとても重要です。

 

しかし、私は敢えてもう一つの可能性に賭けたい気持です。それは、総選挙の結果にかかわらずスコットランド独立の意志は変らず、今度は独立が実現するというものです。そうなるとイギリスは非核保有国に「転落」します。

 

その時になって、保守派や力の支配信奉派は、Brexitを後悔し、その手続きを行ったメイ首相も、「Brexitを推進した」というラベルを張られて非難されることになるでしょう。でもそれに対する「反論」として、あれは「総選挙の結果だった」「国民の意志だった」と言えれば非難は国民にそのままブーメラングすることになります。

 

意地悪く考えると、このような「言い訳」を作っておくための選挙だということになるでしょうし、善意の解釈をすると、それだけ重みのある手続きだということを国民に周知し、EU離脱という結果になった国民投票後での「後悔」と同じ轍を踏まないようにするための選挙だと考えらます。

 

そのどちらになっても、解散・総選挙の意味があるとメイ首相は判断したのではないでしょうか。

 

 

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2017年4月13日 (木)

違和感のある日本語 ――「やんちゃ」と「いじる」――



違和感のある日本語

――「やんちゃ」と「いじる」――

 

気になり始めたのは、ここ数年のような気がしますが、このところ「やんちゃ」の使われ方が大きく変ってしまいました。

 

昔は――と言い始めるのは老化現象の典型なのですが、敢えて使います――「やんちゃ」というのは、「子供のわがまま勝手なこと。だだをこねたりいたずらをしてりすること」(広辞苑 第六版)ですし、大辞林の第三版には、「子供が活発で大人の言うことをきかないこと。いたずらやわがままをすること。また、そのさま。また、そのような人をもいう。」という定義が載せられていて、例としては 「やんちゃをする」 「やんちゃな子」 「やんちゃ坊主」 「やんちゃ盛り」が挙げられています。

 

「良い子」と比べて、奨励されているのではなくても、先ず犯罪性はありませんし、「困った子だよ」というレベルの親のため息があっても、特に周りの人に飛んでもない迷惑を掛けるまでは行かない、男の子の性質を表していたような気がします。

              

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「いじめ」?「やんちゃ」?

 

「お茶目な女の子」という表現もありました。その「お茶目」より少しは飛び出していることは

認めるとして、「やんちゃ坊主」に対して「お茶目な女の子」という対照ができるというくらいのレベルだったのではないでしょうか。

 

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「やんちゃ」の域を超えている?

 

 

しかし、最近での使われ方では、昔は「やんちゃ」だったと言えば、昔は不良少年だった、ぐれていた、犯罪行為に手を染めた、といったレベルのかなり問題のある行動をしていたことを示しているようです。

 

この線引きを曖昧にすることで、例えば「いじめ」も「やんちゃ」な行為なのだから許される、というニュアンスで許容されてしまう傾向さえあるような気がしているのですが、これは、不正確でしょうか。

 

それに関連して、「いじる」という言葉が大手を振って市民権を得てしまったようです。この言葉の語源にはいろいろな説があるようですが、落語の世界の「客いじり」という表現が元で、「いじる」が「いじめる」の代りに使われるようになったと考えている人たちもいるようです。

 

私は、単純に「いじめる」の「め」を抜いて隠語的に使われていた言葉が、これまた線引きの曖昧さとテレビの好い加減さとの相乗効果で、無害化されてしまった結果なのではないかと思っています。

 

この両方に共通しているのは、人格の否定や無視といった犯罪性のある行為や言葉が、新しい曖昧な言葉に置き換えらることで、こうした卑劣な言動に対する批判が「無粋」なこととでもいうようなラベルを張られ、益々広まることなのですが、正にそのような傾向が顕著になっているように思えます。私が心配症で、単なる「老の繰り言」であるのならまだ良いのですが。

 

 

 

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コメント

「やんちゃ」い関しては、子供から少年、大人になっていても
子供のレベルの善悪の曖昧さで悪いことをしてしまう、少年
大人に対して使う場合「ワル」の意味が加わっているのでは
ないかと思っています。

「いじる」に関しては、「=いじめる」の意味で使うのはマスコミ
だけではと思っています。普通は(私はかな)「おちょくる」って
意味でしか使いませんから。しかし、マスコミが使ってはいけま
せんよね。正しい言葉になって行ってしまいます。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。世代的な違いかもしれませんし、関東、関西の違いもあるのかもしれませんが、私の中では「やんちゃ」は、小学生くらいまで、せいぜい中学の低学年までで、それより上のそれなりに善悪や、自他の差が分る人に対しては使わない言葉なのです。

それがまずあるので、「不良少年」や「ぐれる」の代りの「やんちゃ」には違和感があるのだと思います。

2017年4月 3日 (月)

お節介なアプリを二つ削除 ――このブログの乱れも減るはずです――


お節介なアプリを二つ削除

――このブログの乱れも減るはずです――

 

このブログの「読者」の中には、たまに、ページのレイアウトが乱れていることに気付かれた方がいらっしゃると思います。気付き次第、苦労して変てこな改行やマージンの取り方を元に直してきてはいたのですが、何故そんなことが起きるのか分らずにいました。

 

今週末、ようやく犯人が分りました。

                

Ginger

             

 ブログを書くときの編集画面に、G) から始まって、英文の現れるときがあったのですが、これが「Ginger Page」という英文チェックのためのアプリで、私の使っているブラウザーでもなぜか拡張機能として、ブログ編集の時だけ顔を出していたのです。

 

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ワープロやメールを使うときには、それぞれスペルチェックの機能が付いていますし、提案機能もそれなりにあり、「Ginger Page」は顔を出さなかったので気付き難かったのですが、ブログの編集をするとき、つまりブラウザーを使っているとき、しかも日本語で書いているときに勝手にしゃしゃり出て、句読点やカギ括弧があると悪さをしていたのです。

 

早速、拡張機能から削除し、ソフトそのものも削除しました。今後はレイアウトの乱れは、ほとんどなくなるはずです。英文のチェックをするソフトですので、英文の時だけ顔を出してくれるのならそれなりに使えるとは思いますが、日本語で書いているのに勝手に英文のルールで、しかもこちらでは変えて欲しいとは一言も言っていないのに、勝手なことをするとは呆れてものが言えません。もし同じような現象で悩まれている方がいらっしゃれば、こんな可能性も考えて下さい。

 

もう一つは、Intel security 提供の「True Key」です。こちらもある日突然、起動画面に表れて、「パスワードなしで起動しませんか」とアピールしてきました。「Intel」社だから問題はないのかと思い、また「顔認証」でパスワードの入力が不必要になるのなら便利かもしれないと思い、登録しようとしたのですが、それが間違いの元でした。

 

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まず、顔の認証ができません。Skypeを使っての通話や会議をしたときにカメラを通してお互いの顔を見ることがありましたので、カメラもあり、それは今まで普通に使えていたにもかかわらず、何回試しても顔を認識して貰えません。

 

それでも、他の仕方があるのかと思いきや、一つのアプリから他のアプリに飛ぶ度に、今までは、保存してあったパスワードで簡単に入れたにもかかわらず、登録画面のようなところに入らされ、もう一度すべての情報を入力するように求められました。さすがにこれは、「フィッシング」の可能性が高いと思い、その時点で中止しました。

 

後で調べてみると、ホームページもきちんとしているようなので、問題はないのかもしれませんが、そもそも、「フィッシング」かもしれない、と思わせるようなアプリをIntelが提供するのは問題なのではないでしょうか。

 

私の誤解もあるのかもしれませんので、良く御存じの方がいらっしゃいましたら、御教示のほどお願い致します。

 

 

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コメント

機能拡張では便利がお節介になることもありがちなことで、ワープロソフトですら Microsoft の Word をはじめ殆どが英語圏で開発されたものなので、日本語では便利な機能がお節介になることも多く、DTPソフトを使う出版業界に限らず、文章を多く書く人も最終的な割付までシンプルなエディターで行う人が多いようです。

True Key は Intel が競合していた Password Box を買収して不評でしたが、iPhone版もあるので私も一時期使ってみたものの、特に Apple純正の Touch ID や Apple Watch を使ったログインに比べて優位性は感じられなかったので、あまり使いませんでしたが、特に Windows では他のセキュリティソフトとの絡みなどで不具合が起きやすく、そうなると面倒だろうということは想像できます。

不精な私は何でも自動が好きですが、高度な自動化は不具合が出た時の対応が大変で、True Key は、まだアンインストールが楽なことが救いですが、削除すら苦労するものも少なくないので、そうしたものを使う時には必ず削除の方法から先にチェックしています。

もう一つ捕捉しますと、True Key をすぐに使わなくなったのは無料で使えるのが15のIDまでで、私の場合、軽く100を超えていますし、有料サービスを一定期間無料で使える制度はあるものの、それこそNTTやdocomoですら、契約は簡単なのに解約には何十倍もの手間がかかることは良くあることなので、そこまでは試しませんでした。

「工場長」様

二つのコメント有り難う御座いました。便利さと安全性とは相反する方向を向いているのですから、上手い着地点がなかなか見付からないのも仕方のないことなのかもしれません。試行錯誤の末に、少しでも良い解決策が現れることを祈っています。

2017年3月25日 (土)

『MYB』新装第3号 ――特集は「日本人が変わり始めている 劣化か進化か」――  


MYB』新装第3

――特集は「日本人が変わり始めている 劣化か進化か」―― 

 

あまり耳にしたことのない雑誌名だと思いますが、今回は『MYB』を紹介したいと思います。発行しているのは「みやび出版」ですから、「MYB」が「miyabi」から母音を抜いた結果であると説明されれば納得して頂けるのではないでしょうか。「みやび」はその出版社の代表、伊藤雅昭氏の「雅」です。

 

私の『MYB』への思い入れが深いのは、伊藤氏とのお付き合いが30年以上になるからです。お会いしたのは、三省堂の優れた広報誌『三省堂 ぶっくれっと』の編集者時代でした。縦18.5センチ、横11.5センチほどの小冊子なのですが、多彩な書き手による読み応えのあるエッセイが集められていること、「辞書の三省堂」の名前通り、辞書や言葉についての、辞書の編纂者を初め専門家による蘊蓄を傾けた評論等に魅了されていました。

 

           

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やがて私も書き手の一人としてお仲間に加えて頂きました。さらには、拙稿をまとめる形で『夜明けを待つ政治の季節に』を出版して頂くなど、永年にわたってお世話になりました。その後、伊藤氏は独立してみやび出版を設立、『三省堂 ぶっくれっと』と同じ大きさの『MYB』が世に出ました。

 

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今回御紹介しているのは、その進化形で、B5叛、300ページ近い分量で、活字も大きくなり年二回出版される新装版です。

 

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新装第3号の特集は「日本人が変わり始めている――劣化か進化か」ですが、政治的な局面だけではなく思想史的、文化的、人類史的等のより大きな枠組みから、団塊の世代というもう一つの角度も大切にしつつ、今という「時」を見つめ直す企画です。

 

掻い摘んで内容をお伝えしたいのですが、先ずは目次を御覧下さい。(クリックすると画面が大きくなります。)

 

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お馴染みの加藤典洋、橋本一、吉岡忍、樋口恵子、岸田秀等、とても深みのある論考が揃っています。私も、「憲法の『内面化』から始めよう――『数学書』として憲法を読む」というタイトルで、このブログでも取り上げ、これからも取り上げる予定の「憲法論」を書かせて頂きました。

 

そして、新装版第3号の後半は「再録・辞書のはなし」です。言葉に関心のある方にはお勧めの特集です。

 

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MYB』はこれまでは、予約購読だけしかできませんでしたが、これからは書店でも買うことができるようになりました。一度手に取って見て頂ければ幸いです。定期購読を希望され方は、次のメールアドレスにお問い合わせ下さい。

 

books.miyabi@outlook.jp

 

または、☎/Fax  044-855-5723 までお願いします。

 

 

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2017年3月14日 (火)

漢字表記・用字辞典 ――最初は「用字便覧」を多用していました――  


漢字表記・用字辞典

――最初は「用字便覧」を多用していました―― 

 

「老化現象が進んでいると感じるとき」という題で高齢者の経験を募ったとして、必ず出てくるのは「漢字を忘れる」でしょう。

 

自慢ではありませんが、私はもう40年も前からこの経験をしています。アメリカに住み始めて少し経ってからのことなのですが、日本の友人からの手紙に、その前に私の方から出した手紙の一部が同封されており、間違って使った漢字の添削をしてくれていたのです。今でも覚えている間違いは「頂」と「預」ですが、他にもユニークな取り違いをいくつかしていました。

 

その対策として手に入れたのが、小桜書房発行の『用字便覧』です。

 

                 

Photo

           

 

新聞記者の友人に依頼して彼が使っているのと同じものを送って貰いました。確かにとても便利です。中身を御覧頂ければ分ります。

 

 

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もっともネット時代になり、読み方を入力して「エンター」キーを押せば、漢字は一発で出てきますので、最近はあまり使わなくなりました。でも、これも「糟糠の妻」ですので、今でも大切に書棚の一番目立つ場所に置いてあります。

 

と書いてしまうと、いかにも誠実で脇目も振らずに『用字便覧』だけを愛用してきたような感じを与えてしまうかもしれませんが、実は大きな浮気をしています。夏休みに帰国した際に、先ず真っ先に駆け込んだ本屋で『大きな漢字の 漢字表記辞典』(三省堂)を見付けたからです。

 

これも永年使い込みましたが、最近は紙が変色して読み難くなりましたので、その最新版『見やすい 漢字表記・用字辞典』を愛用しています。

 

 

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こちらの『辞典』が気に入った理由なのですが、クイズ風に中身を見て答を当てて見て下さい。

 

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一つには、単語だけでなくフレーズが付いているので分り易いことです。「肥やす」だけではなく「私腹を肥やす」で、使い方までリフレッシュして貰えます。もう一つは、画数の多い漢字を大きく表記してくれているので、実際に書くときに助かることです。因みに、左下の三つの漢字は上から、「ごまめ」「こめかみ」です。

 

そして三つめは、serendipityです。これは、引っ越し準備で思いがけない発見があった報告の時に使った言葉ですが、2ページを目の前にして、何か新しい発見がいつもあります。『用字便覧』でも、それは経験できるのですが、フレーズが並んだレイアウトと、漢字の位置のバランスが良く、こちらを使って楽しむようになりました。

 

 

グーグルでは味わえない楽しみですので、こちらも書棚ではすぐ手の届くところに置いてあります。

 

 

 

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コメント

この本いいですね。『見やすい 漢字表記・用字辞典』
確かにパソコン等で読みを入力したら候補の漢字がいくつか出ますが、どの漢字が適切なのかを悩むことがあります。
ネット検索をすれば簡単に出るのでしょうが、学生時代に辞書をめくりながら勉強してきたので辞書をめくる方がなじむので、パソコンの側には国語辞典や漢字辞書や英和辞書があります。(笑)

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。「昭和の歌を守る会」「筆記体を守る会」に続いて「昭和の辞書を守る会」を立ち上げましょうか。

2017年3月13日 (月)

田舎の学問より京の昼寝 ――ないものねだりではあるのですが――  


田舎の学問より京の昼寝

――ないものねだりではあるのですが―― 

 

一昨日、コンピュータのトラブルについて報告しましたが、ボタン電池は交換したものの、それで問題の解決になったのかのチェックができないまま家を飛び出したところで時間切れになってしまいました。

 

今日、帰宅してコンピュータに電源を入れ、BIOSのページで最低回転数や日付等、以前は保存できなかった情報を入力、F10を押して保存。一度電源を落としてしばらく放置した後、再度電源を投入しました。

 

見事成功です!!            

           

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日時も反映されるようになりました

 

日付も正しい数値がキープされていました。またBIOSに入るのに、ブルートゥース接続のキーボードも使えるようになり、こちらも元に戻りましたので、随分楽になりました。

 

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以下、昨日の続きです。

 

なぜ総理大臣は国民に対して「宣誓」をしないのでしょうか。その理由を考えたいのですが、一つには、天皇による「親任式」があるからなのかもしれません。それがあまりにも「重さ」を持っているが故に、日本の制度をデザインする人たちに取っては、「宣誓」といった西洋流の形が馴染み難い位置付けになり、制度的な整備には至らなかったのかもしれません。

 

もう一つは、総理大臣は国会で議員たちの投票によって選出されます。従って、総理大臣は、国会には責任を持つけれど、間接的に総理大臣を選んだ国民に対しては、それと同じレベルでの責任は持たなくても良いのだ、という考え方にはそれなりの理屈があるように思います。

 

しかし、それ以上に説得力があるように思えることがあるのです。憲法を数学書として読む試みを続ける内に「発見」した驚愕の事実が全ての説明になっているような気がするからです。それは、憲法第99条の規定、憲法遵守義務は「法的義務」ではなく「道徳的要請」だという確定判決があることなのです。

 

1977217日、水戸地方裁判所による百里基地訴訟の第一審判決では99条について、「憲法遵守・擁護義務を明示しているが、これは、道義的な要請であり」と法的義務ではない」と述べられています。続けて、198177日に東京高等裁判所による控訴審判決でも、99条は「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」と断定され、「法的義務」ではないという解釈が確定しています。

 

私が無知だったというだけなのかもしれませんが、憲法について私たちが護憲の立場から発言し、議論し行動する中で、この確定判決がほとんど取り上げられていないことももう一つの問題なのではないでしょうか。

 

そしてこの考え方がどう現れたのかも重要です。結論だけ述べますが、確定判決が出されたことによって99条の位置付けが確定したというよりは、それ以前から長期にわたって、行政と司法のエスタブリッシュメントの中では「常識」として、当り前のことだと受け止められていたことが明示的に示された、と考える方が、憲法を巡る様々な出来事との符丁が合うように私には思えます。

 

日本という国家、というより自分たちを国家だと自認してきた官僚や官僚制度の擁護者たちは、自分たちの作った法律はそれなりに尊重するが、「押し付けられた」憲法を遵守する気持は端から持たなかったという仮説さえ成り立つのではないでしょうか。それも正確に検証しておく必要がありそうです。

 

講演は中途半端なところで終ってしまったのですが、「話し足りなかった点は次の講演で聞かせて下さい」と何人かの方から言われましたので、次回までにはもう少し短時間で、本質を全てとは言えないまでもかなりの部分伝えられるプレゼンテーションを準備したいと思っています。

 

講演の後のディスカッション、そしてその他にも昔からの友人たち、雑誌のインタビューや翌日集まってくれた中学時代の同級生等、今回会うことができ話のできた人たちからは大きな刺激を受けました。そして癒されました。そこから今回のテーマになるのですが、東京には情報が集まっています。この数日で学べたことで今は目が眩みそうですが、しばらくは吸収・消化して新たなエネルギーに変えられればと思っています。

 

 

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