経済・政治・国際

2017年7月19日 (水)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト⑥ 市民によるロビー活動・(3)――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト⑥ 市民によるロビー活動・(3)――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels”20154月号から転載

 

前回まで説明してきた諸々の活動は立派な「ロビー活動」ですが、具体的な内容は千差万別です。どのような可能性があるのか、できるだけ具体的な活動が分るように、WPCのメンバーがどのようなことをして来たのかを整理した形で説明しましょう。

 

例えば、NGOのメンバーがかなりのレベルの専門家(A氏と呼びましょう)で、B国の国連代表部の新任の軍縮担当官で関心は持っていても軍縮については抽象レベルでの知識に留まっているC氏と話をしたとしましょう。これまでのWCPの活動を説明するだけではなく、フランスの核実験から始まる歴史や、これから国連内で予定されている活動等を説明することになるはずです。話の内容から表現すると「教育活動」と言っても良いでしょう。

 

一方、A氏とは様々な場で同席した経験があり自分自身も核廃絶のために努力してきたベテランの外交官D氏との会談は、これから他の国を交えてどのような会合が開かれるのか、その会合ではどの国がどんな主張をするのか、最終的にスケジュールはどうなり、「勧告的意見」実現のためにそのスケジュールが役立つのかどうか、そのように時間的制限の中でのこれからのD氏の動きはどうなるのか、といった内容になっても不思議ではありません。となると、これは、「戦略会議」だと言うと分り易いはずです。

 

それだけではありません。ある国Eが、核兵器についてはこれまで決まっていた方針に従って国連では活動してきたとして、世界情勢が変わってきたので、それに合わせて国連での動きを元にE国の方針を微調整すべきか、あるいはかなり大きく変えるべきなのかといった判断に迫られることもあります。そのE国の担当者F氏と日頃から情報の交換をしているA氏に、情勢判断の基礎になる最新情報の提供を依頼することも稀ではありません。その際に大切なのは、その情報が客観的なものであり、手に入り易い公開情報であることです。

 

しかし、核廃絶とは反対の立場をとる人たちも、自分たちに有利な情報を提供するはずです。その際に、矛盾する内容をどう解釈するのかまで、十分な勉強をしていないと、役に立ちません。善意があり熱意があり、知的にも体力的にも優れている人がボランティア活動に飛び込んだとしても、NGOとしての実質的な活動を続けるためには、人並み以上の勉強が必要なのです。

 

また、複数の国を対象にセミナーを開いたり、複数の国と共に文字通りの「作戦会議」を開いたりということも必要です。核廃絶には反対している国からの妨害活動について市民への情報提供をし、市民の力を借りて反論したり、マスコミを通してきちんとした対応をすることも時には必要です。

 

また逆に、エキスパートである外交官や学者、政治家等からから専門的な知識やそれぞれの立場の人たちが持っている深い知識についてのレクチャーを受けることになる場合もあります。

 

もう一つ、ロビー活動で大切なことがあります。これも人を説得する仕事をしたことのある人たちの間では常識なのですが、説得するのは、目の前にいる人だけではないのです。前に挙げた、C氏やF氏に戻れば、C氏やF氏は説得できたとしても、次にはC氏やF氏の上司や本国の担当者の説得をする必要があります。本国の大統領の説得が必要になることもあります。その説得をするのはC氏でありF氏です。その際に役立つ情報や説得のための材料を提供することで、何歩も前に進めるという点も大切です。

 

NGOの仕事の中には、活動費、有能なスタッフに助けて貰うための人件費を含む事務所の維持費等の資金を調達する仕事、そのための準備等も必要ですし、NGO内部での方針決定やそのための会議、多くの市民との間の連携の仕事、マスコミとの連携や広報等々、まだまだ多くの仕事があり、それらの総体が、「結果」として現れるのです。

 

こうした活動を何年か続け、多くの国の支持を取り付けた結果が、WHOや国連総会での、市民の声を反映した決議になりました。1993年5月14日、WHOが総会で、ICJに勧告的意見を求めるよう決議、9月にはICJに受理され、次いで、1994年12月15日には、国連総会はICJに勧告的意見を求める決議を採択、数日で受理されました。

 

WHOの付託した問題については、33か国が陳述書を提出、国連総会の付託した問題については、28か国が陳述書を提出、1995年10月30日から11月15日まで、22か国および、WHOICJの法廷で口頭陳述--歴史的多数の陳述だったのですが、日本からは、政府だけではなく、広島・長崎両市の市長が陳述したことには既に触れました。

 

日本ではあまり報道されなかった、NGOの努力とその具体的姿の一端、そして勧告的意見の持つ意味について、少しでもお伝えすることができたでしょうか。

 

改めてここでお伝えしたかったことを二つに整理しておきたいと思います。一つは、核兵器の廃絶にしろ、地雷の禁止にしろ、国際的な場で政治を動かす仕組みの中で、市民としてどのような活動ができるのかを少しは具体的に知って頂きたかったのです。国際政治を動かすことは可能ですし、成功した事例から、それがどのような活動の結果なのかを知って頂きたかったのです。もう一つは、このような地道な活動の結果として、例えば国際司法裁判所での感動的な陳述が行われたのですが、その舞台を作る仕事があって初めて、それが可能になったことにも注目して欲しいのです。特に若い人たちには、この舞台作りの場で活躍して欲しいと思いつつ、今回の報告を行った積りです。

 

最後に、時期的には2005年とWCP後の活動ですが、NPT再検討会議の際の「ロビー活動」の写真をアップしておきます。最初はオノ・ヨーコさんに銀の折り鶴の贈呈をしました。そして国連の本会議場での写真です。

 

           

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2017年7月17日 (月)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト⑤ 市民によるロビー活動・(2)――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト⑤ 市民によるロビー活動・(2)――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels”20154月号から転載

 

WCPに戻って、国際的なロビー活動の具体的な姿を描いてみたいと思います。まず、ニュージーランドの市民と政府が一体となってICJの勧告的意見を求めようと決意をしたのですが、それを実現するためには、次のステップとして国連あるいは専門機関での決議が必要になります。その決議を実現するためには、当然、世界各国に賛成して貰わなくてはならず、そのためにはICJの勧告的意見が何故必要なのかから始まって、最後には、決議に賛成して貰えるように説得しなくてはなません。

 

国際社会に働きかけるのは、建前として国が行うことになっています。国としてのニュージーランドが動くという形を取るのですが、その実質を考えると随分難しい仕事でもあります。なにしろ国連加盟国だけでも200近くあるのですから、その一つ一つの国の代表と会い説得をすることにはエネルギーも時間もかかります。

 

その全てを、人口500万に満たない国の責任で行うだけでも大変です。しかも国の中の外務省というお役所が形式的には全てを仕切るとは言っても、ニュージーランドは小さな国です。ニュージーランドという国の存亡に関わるという問題意識もあったはずですが、それ以上に、世界・人類の存亡に関わる問題でもあります。他の国々の協力があって当然なのですが、それでも政府のお役人という立場で仕事をする人たちが使える「資源」つまり能力がありこの問題に精通している人たち、さらにその人たちを支える環境や資金には限りがあります。

 

さらに、国の外交の仕事にはWCPの他にも大切な「日常業務」も含まれています。それらを熟しながら、新たに付け加わったWPCの仕事を世界の200か国を相手に精力的に行うには、時間と人手そしてお金が必要だということです。

 

           

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ニュージーランド外務省のスタッフ数は約1400人--同省ホームページから

 

そこに登場するのが、国境を越えた集団であり、かつ専門的な知識やノウハウを提供することのできるNGOです。事実、WCPでは、その支援をするためのNGOが誕生し、実質的にこの運動を引っ張って行くことに成功しました。

 

国際平和ビューロー、核戦争防止国際医師会議、国際反核法律家協会という核廃絶に熱心なNGOが中心になって、ケイト・デュース、ロバート・グリーン、そしてアラン・ウエアというニュージーランドきっての活動家3人が加わった、WPCの国際運営委員会が1992年に作られ、ここから実に効果的に国連大使を含む外交官、各国の外交担当者や議員、マスコミ等に最新の情報と市民からのメッセージを発信する仕事を分担したのです。

 

最後に何か国かの外務省職員数の比較グラフを掲げておきます。外務省が作成したものです。人口当たりの職員数の少ないことが日本の特徴です。人口一万人当たりの職員数では、日本が0.42であるのに対して、ニュージーランドは、2.8で、約7倍です。ただし、ニュージーランドは貿易の仕事も外務省の管轄ですので、それも考慮すると、数値はかなり下がります。

  

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2017年7月14日 (金)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト④ 市民によるロビー活動――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト④ 市民によるロビー活動――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels”20154月号から転載

 

国際的なレベルでのロビー活動と聞くと、かなり高級なことをしているような感じを受けますが、ロビー活動はもっと日常的な存在です。国際的な活動だけでなく、国内でも、それも国会だけではなく地方議会等でも、多くの人が毎日のようにロビー活動をしています。ロビー活動の主体、つまり誰がこの活動をするのかというと、個人、企業、業界、NGO、圧力団体等々、ほとんどの人が何らかの形で、どこかでロビー活動をしているとさえ言えそうです。

 

ロビー活動をもう少し幅広く捉えると、地方自治体、国さえもこうした活動をしています。地方自治体と国との関係では「陳情」と言った方が分り易いかもしれませんし、力関係の違いが大きかった時代背景の下に行われた「直訴」も広い意味での「ロビー活動」だったと言って良いのではないでしょうか。

 

             

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直訴する田中正造--野州日報から

 

「陳情」をするのが地方自治体だけではないことは言うまでもないのですが、「清々しい」といったイメージと結び付かないのは、これが上下関係を前提にした言葉で、権力を持つ者に対して、下々が実情を陳べ善処を要請することを指しているからです。もっとも近年では、官僚社会も上下関係を余りにもあからさまに表現している言葉であることに気付いて、「提案」とか「パブリックコメント」といった表現を使ったりしています。

 

長い間の因習として私たちの頭の中に、「陳情」と切っても切り離せない存在としてインプットされているのが賄賂です。公務員に便宜を図って貰うために金品等を贈る行為ですが、「贈収賄」「汚職」「疑獄」といった文字がマスコミで報道される頻度の高いことから、陳情そのもの、政治家や官僚に働きかけること自体に問題があるかのような雰囲気も作り出されてしまいました。

 

しかし、「陳情」の本来の目的である政策面での「提案」、それ以前の問題として、主権者である市民の主張や知見を立法・行政・司法のあらゆるレベルに反映させることは、健全な民主主義を創るためには必要不可欠ですし、それこそ、民主主義そのものだと言っても良いくらいの重みがあるのではないでしょうか。こうした本来の、民主主義の働きの一環としての活動を表す言葉として、当面「ロビー活動」という言葉を使いたいと思います。

 

過去の、汚れた面が目に付いたロビー活動とは袂を分かって、あるべき姿のロビー活動を展開し、世界規模での民主主義を手作りで実現し始めたのが、新しい世代の、環境や人権、福祉、平和等の世界的な活動を行って来たNGOです。献金をしたり、裏取引によって自分たちの言い分を通すという旧来のやり方ではなく、客観的なデータを元に、論理的・合理的な筋道を辿って結論に至るプロセスを、ある時は極めて知的に、またある時は情に訴えて、市民レベルでの支持を増やしつつ、民主的な政治に理解のある官僚や政治家たちを仲間に加え、その結果、多くの分野で成果を挙げてきました。

 

最近の良く知られた例では、対人地雷禁止条約締結のために大きな力を発揮したICBL(International Campaign to Ban Landmines――地雷禁止国際キャンペーン)があります。ダイアナ妃が応援したことでも有名ですが、彼女の果した役割は、彼女なりの「ロビー活動」だと言えるのではないかと思います。そして数回にわたって取り上げてきたWCPは、ICBLの先駆けとして、同じように効果的かつ大きな足跡を残しました。

  

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対人地雷埋設地域でのダイアナ妃

 

 


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2017年7月12日 (水)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト③ 市民から政府へ――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト③ 市民から政府へ――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels" 20153月号から転載

 

《草の根の「非核宣言」と政府》

 

核兵器の使用あるいは使用すると脅すことは国際法違反であることを国際司法裁判所に認めて貰うために、市民たちは力強く、効果的に動きました。

 

目標は、国際司法裁判所に「勧告的意見」を出して貰うことなのですが、そのためには国連総会か専門機関、例えば世界保健機構(WHO)が、その要請をする必要があります。現実には、この両方が要請をしたのですが、それもただ見ているだけで起ったのではありません。まずは運動の発祥地、ニュージーランドの政府を説得し、ニュージーランド政府とともに国連加盟国の中でも、志を同じくする国々に働きかけて、国連総会やWHOで、勧告的意見を国際司法裁判所に要請する決議を採択して貰うというシナリオを描いてその通りの結果を作り上げたのです。

 

この流れを簡単に整理しておきましょう。

 

l 1986年、元判事のハロルド・エバンズ氏が世界法廷プロジェクトを提案

l 1989年、IPB(国際平和ビューロー), IALANA(国際反核法律家協会), IPPNW(核戦争防止国際医師会議), PGA(世界的活動のための国会議員連盟)等のNGOの間でWCPへの支持が高まる

l 1993年5月14日、WHOが総会で、ICJに勧告的意見を求めるよう決議、9月に受理された

l 1994年12月15日、国連総会はICJに勧告的意見を求める決議を採択、数日で受理される

 

このような結果を出すために、市民たちは署名集めや集会、街頭からの呼び掛けという世界共通の手段も使いました。同時に、自分の属している組織毎の「非核地帯宣言」運動では、各家庭から始まって、職場、学校、教会、趣味の集まり等々、あらゆるレベルの団体に協力を呼び掛け、非核地帯宣言を出して貰うことに成功しています。

 

日本の自治体でも非核自治体宣言を積極的に出した時期がありました。しかし、その後の活動がどう続いているのかも大切です。庁舎や自治体内の目立つところに看板を立てることや、周年記念行事を催すことも続ける価値はあるのですが、ニュージーランドで行われたように、学校や家庭での「非核宣言」の場合には、子どもたちも巻き込んでの意見の交換や意思表示になります。子どもたちにとっては多くの場合、言葉だけ「非核」と言えばそれでことが済んだことにはなりません。次には何をすれば放射線の被害から身を守れるのかを考え問い詰めます。そこから次の行動が生まれるのです。

 

その影響だと考えて良いのだと思いますが、私が参加したニュージーランドでの平和集会には、驚くほど多くの若者の姿がありました。しかも、大切な役割を担っている人が多く、自らの考えもしっかりしていますし、明るく積極的かつごく自然に平和集会と向き合っていたのです。

 

ニュージーランド政府が動いた背景には、こうした世論がありました。でも世論の通りに政府が動いてくれないことも、世界の至る所で見られます。その点でもニュージーランドは特筆に値するのかもしれません。特にロンギ首相の果たした役割の大きさはもっと評価されるべきだと思います。彼の言葉を引用しておきましょう。

 

               

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ロンギ首相

 

「もしニュージーランドのような国が核兵器に対してノーと言えないのならば、どのような国が核兵器に対してノーと言えるのか。もしニュージーランドのような国が核抑止論なくしては安全であり得ないとするならば、どのような国がそれなくして安全であり得るのか。」

 

日本政府の言葉であっても良いくらいの内容です。残念なことに、(別の意味では幸運なことに、とも言っておきましょう)、日本ではなくニュージーランドで、国民と政府とが一体になって核兵器のない世界を創るために努力をしたということなのです。

 

さて、国から世界への広がりには、ニュージーランドと同じ志を持つ国々、その中でもNAMという略称で呼ばれる非同盟諸国、そして多くのNGOが力を発揮しました。

 

国際社会に働きかける上では、国単位の枠組みが尊重されますので、国としてのニュージーランドが中心に動くという形を取るのですが、そこから先も大変です。国連加盟国だけでも200近くあるのですから、その一つ一つの国の代表と会い説得をすることはエネルギーも時間もかかる仕事です。政府の仕事を全てNGOが請け負うなどということは、当然不可能なのですが、NGOが政府の支援をするという立場で出来る仕事、それが政府の負担を減らすことになる種類のものもたくさんあるのです。市民の立場や視点を世界に広める、そしてその立場からまとめた核廃絶や勧告的意見等についての最新情報を、多くの国の外交官たちの伝えることはその一つです。

 

そのために、国際平和ビューロー、核戦争防止国際医師会議、国際反核法律家協会が中心になって、ケイト・デュース、ロバート・グリーン、そしてアラン・ウエアの3人が加わった、WPCの国際運営委員会が1992年に作られ、ここから効果的に国連大使を含む外交官、各国の外交担当者や議員、マスコミ等に最新の情報と市民からのメッセージを発信するだけでなく、ICJでの勧告的意見につながることはできる限り何でも引き受けて対応するという超人的な仕事を分担しました。

 

(次回はロビー活動について)

 

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2017年7月11日 (火)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト② 仏核実験――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト② 仏核実験――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels 20153月号から転載

 

《フランスの核実験》

 

世界法廷プロジェクトの前段階として、フランスの南太平洋における核実験に対する大きな反対運動がおこり、それが成功したことを特筆したいと思います。

 

そもそもフランスは、1963年の部分核実験禁止条約は批准せずに大気中の核実験を続け、サハラ砂漠での実験に対する反対が大きくなると、ヨーロッパから離れた南太平洋に実験場を移しました。1966年から1974年の間に、ムルロア環礁、ファンガタウファ環礁で44回の大気圏核実験を行い、それに反対する多くの市民不安と怒りが大圧力を作り出し、反対運動は1972年から急速に広がりました。一つのピークは、フランスの核実験に抗議する「平和船団」にフランスの海軍の船の衝突でした。このことが報道されると、国際的な世論にも一気に火が点いたのです。

 

市民の声に応えてニュージーランド政府はフランスを国際司法裁判所に提訴して、フランスに核実験を止めさせることに成功しました。もっとも当初、ニュージーランド外務省はICJへの提訴には反対だったのですが、世界的世論の後押し、特に、放射能の害に対して母親たちをはじめとする女性の声が大きな圧力となり、1973年5月と6月に、ニュージーランドとオーストラリア政府がICJに提訴、6月にICJは、8対6で、ニュージーランドとオーストラリアの立場を認める仲裁的意見を発表し、フランスは大気中核実験の中止を決定、1974年12月、ICJは訴訟の継続を打ち切る、という一連の動きがあったのです。

 

しかし、それからもフランスは核実験を続けます。1985年には、フランスの諜報機関が抗議船を爆破し、死者まで出す騒ぎになっています。それでも、大気中核実験を続け、ICJの勧告的意見が出た後に包括的核実験禁止条約に調印するといった形で、一応終止符は打ったものの、フランスの拘りは並大抵のものではありませんでした。

 

穿った見方になりますが、ICJの勧告的意見が実現した裏には、フランスが「悪玉」として、完膚なきまでにその役割を果した点も一つのポイントではあった、と歴史的な分析をしておくこともどこかで役立つかもしれません。「勧善懲悪」の映画のように、核実験については、誰から見ても――とはいってもフランス政府はそう考えていなかったのでしょうから、そこが怖いのですが――理不尽な態度を取り続け、どちらの「味方」になるべきかは誰にでも明らかだったからです。

 

フランスに対して効果のあったICJへの提訴と、その背後に控えていた世論を合わせて考えた時に、「勧告的意見」という制度を使おうというアイデアが浮かんだとしても不思議ではありません。

 

こうして核実験は中止されましたが、その被害者が今でも苦しんでいることは、昨年何回かにわたって報告した通りです。昨年はフランスの核実験が開始されてから50年の節目の年でした。核実験による被害者を救済するために立ち上がった若い世代そして宗教家たちを中心にタヒチのパペーテで集会が開かれました。その背景と運動の今後について、下記の記事を再度お読み頂ければ幸いです。

 

               

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パペーテでの集会

 

「モルロアでの仏核実験から50年」

「モルロアの課題」

「核実験被害者の記念碑」

193の会とキリスト教」

「タヒチの独立」

「独立 = 平和」

 

次回は、フランスの核実験を中止させた市民運動がさらに大きな「世界法廷プロジェクト」に取り組み様子を復習します。

 

 

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コメント

フランスと言えば、ドゴールが、アルジェリア戦争でも核実験を威嚇に使ったことを思い出しました。そしてソ連の軍拡を招いたことも含め、フランスが、「脇役の悪役」として歴史の流れをつくっているという感想を懐きました。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。

核保有国の中で、特にフランスが注目されることはあまりないように見えますが、御指摘のように十分「悪役」としての活動をしています。

同時に、核実験被害者に対しての無責任さはどの核保有国も同じですし、自分勝手な理屈を平気で主張し続けることについても、どの核保有国も引けを取りません。

「核」がこうした国々の良識や正常な思考力を奪っていると考えると、核の罪深さが一層際立ちます。

2017年7月 8日 (土)

核兵器禁止条約の案文がまとまります ――そこに至る道を振り返ってみましょう――

 

核兵器禁止条約の案文がまとまります

――そこに至る道を振り返ってみましょう――

 

ニューヨーク時間の77日、国連で開かれている核兵器禁止条約交渉会議で、条約の案文が採択される予定です。その後、世界中の国々が署名できることになり、署名後、各国はそれを自国に持ち帰り、議会での批准を経て条約に正式に加盟し、一定数の国の批准を待って正式に発効ということになります。批准国の中に、どこそこの国が入らなくてはならない等の条件が設けられることもあります。

 

最終の条約文は日本時間の8日にならないと確定しませんので、その後、報告したいと思いますが、まずはこの段階にまで世界が動いたことを確認し、条約の案文をしっかりと理解し、次の段階でどんな行動をすべきなのか、中でも世界や未来から笑われるであろう信じられない判断・行動をしている日本政府に翻意を促すにはどうすれば良いのかを考えるための集会が、今日8日の午後3時から原爆ドームの東側の広場で開かれます。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

 

核兵器禁止条約案採択を歓迎する原爆ドーム前集会

日時  7月8日(土) 15:00~15:30 

雨天決行(注意報・警報が出ている場合は中止。午前10時に決行か中止かをメーリ

ングリストで連絡)

場所  原爆ドーム東側(キャンドルメッセージと同じ場所)

主催  核兵器禁止条約のためのヒロシマ共同行動実行委員会

 

趣旨  国連の核兵器禁止条約交渉会議で7日(現地時間、日本時間では8日)禁止条

約案が採択され、世界は核兵器廃絶へ向けて歴史的な一歩を踏み出す。核被害の原点

であるヒロシマから条約案の成立を熱烈に歓迎するメッセージを世界に先駆けて発

し、秋の国連総会での条約採択に向け、条約制定に反対する日本政府に翻意を促し、制定に賛成するよう迫る。

 

             

Photo

               

 

ここまでに至ったのは、「こんな思いを他の誰にもさせてはならぬ」と決意し、世界的な運動を展開してきた被爆者の皆さんそして被爆者とともに生きてきた多くの方々の努力の成果ですが、それは同時に「世界」という場を民主的に動かそうという運動の成果でもあります。これまでの道筋を振り返って、今後のエネルギーを創り出す一助にしたいのですが、中でも「世界法廷運動」に注目したいと思います。1996年に国際司法裁判所が、「核兵器の使用または威嚇は一般的には国際法違反である」という勧告的意見を出しましたが、それを実現したのは実は世界の市民たちによる運動の力だったのです。

 

その歴史を簡単にまとめたものを、数学の先生方が発行している月刊誌『数学教室』(国土者刊)の連載として2年前に掲載しました。次回から、それを何回かに分けてお届けしたいと思います。

 

 

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2017年6月30日 (金)

政治は言葉です ――マスコミの責任放棄も重大です――

 

政治は言葉です

――マスコミの責任放棄も重大です――

 

言葉の通じない人にその事実を言葉で説明する矛盾を感じつつ、それでも、政治が言葉であることを繰り返したいと思います。

 

言葉を大切にすることから始めなくてはなりませんが、「有言実行」と「嘘を吐かない」はその大前提です。客観的な事実を認めなかったり、約束を勝手に反故にしたり、相矛盾することを平気で言い続けたりすることを前提にして言葉を使うのであれば、結果的に何を言っても良いことになってしまいますし、何を真実と取り何を無視すれば良いのかの区別が付かず、言葉によるコミュニケーションが成り立たないからです。

 

そして政治とは言葉です。勿論、犯罪を犯したり法律で定められていることを守らなかった場合には、権力によって罰を与えたり強制する力は認められていますし、議会での議決は多数決ですので数の力も関わってきます。その視点から、究極的に政治とは数だ、あるいは力だと主張することも可能です。

 

しかし、政治が理想としている姿は力を使わずに合理的な判断がなされ、最大多数の最大幸福が実現されることなのではないでしょうか。力を使わずに合意を形成しそれを実行するためには、言葉による以外の道はありません。

 

しかし、最近報道されている政治家の言動は目に余ると言っただけではとても表すことのできないレベルに達しています。

 

テレビ等で何度も繰り返し放映・報道された豊田真由子議員の言葉を上手くまとめられる語彙をお持ちの方は少ないのではないでしょうか。「言語道断?」「傍若無人?」「厚顔無恥?」と四字熟語を並べてもその酷さは伝わりません。一人の人間の言動として許される最低限度を超えているのではないでしょうか。j

 

しかし、稲田防衛大臣の発言は、何度も繰り返して酷いレベルの言葉が続いていることを考えると、それ以上に容認できないとも言えそうです。

 

                 

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都議会議員選挙中、板橋区で開かれた集会で、「防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としても、お願いしたいと思っているところだ」と述べたようですが、これは明確に憲法違反、自衛隊法違反、そして公職選挙法違反です。

 

憲法第15条2項では「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定しています。

 

自衛隊法の第61条は次の通りです。

 

隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない

 

公職選挙法の第136条の2です。

 

次の各号のいずれかに該当する者は、その地位を利用して選挙運動をすることができない。
 国若しくは地方公共団体の公務員又は特定独立行政法人若しくは特定地方独立行政法人の役員若しくは職員
 沖縄振興開発金融公庫の役員又は職員(以下「公庫の役職員」という。)
 前項各号に掲げる者が公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)を推薦し、支持し、若しくはこれに反対する目的をもつてする次の各号に掲げる行為又は公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)である同項各号に掲げる者が公職の候補者として推薦され、若しくは支持される目的をもつてする次の各号に掲げる行為は、同項に規定する禁止行為に該当するものとみなす。公務員の地位を利用した選挙運動を禁止。自衛隊員は自衛隊法第61条によって、選挙権の行使を除く政治的行為が制限されている。

 

つまり、自衛隊員は自衛隊法第61条によって選挙権の行使を除く政治的行為が制限されていますし、自衛隊員を含む公務員は公職選挙法第136条の2で公務員の地位を利用した選挙運動を禁止されています。

 

それ以上に、「自衛隊」として自民党の候補をお願いするという意味は、戦争が起きた際、あるいは災害による被害者を救済する場合、自民党支持者以外は見捨てますよ、といったメッセージの発信だとも受け止められ兼ねないことです。こんな発言は、自衛隊員にとっては大きな侮辱です。そのことに反発しない自衛隊員は少ないのではないでしょうか。

 

発言は撤回されたようですが、一度発せられた言葉やイメージを完全に拭い去り忘れ去ることはできません。

 

このことについて記者団から質問された安倍総理の返答は「おはよう」だと報道されています。つまり、稲田防衛大臣の発言には問題はなく、いつも通りの挨拶で事足りるという意思表示です。任命責任について考える姿勢など全くないどころか、総理大臣も同じ考え方を持っていることの証明になってしまっています。

 

さらに、マスコミの追及も大甘です。例えば、「大臣としての資質があると思うか」と官房長官に聞いている記者がいるのですが、資質があってもなくても、きちんとした言葉で職務を果たすことが第一なのではないでしょうか。資質がなくても責任を全うすれば、それは公務員として合格です。資質があってもそれができなければ失格です。問うべきはその点です。

 

稲田発言は、どう言い訳をしても撤回をしても、大臣としてまた国会議員として失格だということを自らの言葉によって天下に示してしまったのですから、それに対する答は決っています。手遅れにならない内に自らの判断で出処進退を明らかにすべきです。

 

 

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コメント

最近は何があっても『都議会選挙への影響』が語られ嫌になります。

「広島市民」様

コメント有り難う御座いました。同感です。そのうちに、「スポーツや勝負事への影響」「オリンピックへの影響」なども現れて、政治についての議論は、陰に隠されてしまうかもしれません。

それにしても自己防衛も出来ない人が防衛大臣とはシャレにもなりません。

「ポッポ」様

コメント有り難う御座いました。おっしゃる通りですね。

その上、不用意な言葉で相手を怒らせてしまうようなことをしょっちゅうしている人が防衛大臣なのですから、それれが原因で戦争に突入などという最悪のシナリオさえ頭に浮んでしまいます。

2017年6月27日 (火)

福島原発被災地フィールドワーク➂ ――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

フィールドワーク最終日の626日(月)は8:30にホテルを出発し、昨日は霧のため十分には見ることのできなかった浪江町から始めて、大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町(福島第一原発近くの線量の高い地域)を視察しました。バスから降りて現地に触れ、また高線量の場所ではバスからの視察も含めて広範囲を訪れることができました。

 

案内役はいわき市議会議員の狩野光昭さんです。昼食(弁当)は、時間の関係でいわき市から郡山市への移動中のバスの中で、その後「まとめ」を行い、13時過ぎに郡山駅で解散しました。

 

浪江町では、避難指定解除後、帰還の準備をする中で必要性が強くアピールされた商店街を役場の敷地内に公設民営の形で作った「浪江町マルシェ」を視察しました。担当の係長さんの説明によると、飲食店は需要があり黒字だがその他の店は苦しい経営状況であること、日曜日にも開店していて欲しいという要望も強いことなどの現状が分りました。

 

             

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開店前のマルシェ

 

また、全部で10店がこのマルシェには開店してくれたけれど、必要な商品全てが揃っている訳ではなく、薬局は町外に出て買い物をするしかないこと、生鮮食料品を扱うスーパーがないこと、そして本格的ホームセンターのないことで、帰還のための条件が必ずしも整っていないことにも言及されました。

 

その後国道6号線を南下して福島第一原発のある双葉町に入り、できだけ原発に近い場所までバスで入る予定だったのですが、6号線から原発に至る道が閉ざされていて残念ながらその場からの写真を撮るだけに終りました。

 

次に、楢葉町の太平洋に近い場所にある天神岬公園から海を臨み、また、除染物質の減容施設と自治体毎にまとめてフレコンバッグの集積を行っている施設を上から俯瞰しました。

 

 

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今日通過した地域の中にはまだ帰還困難区域の指定のあるところもあり、信号機とともに表示されている線量も2.00を超えているなど、昨日とは桁の違う数字を現実として目の前にして、緊張感が走りました。残念ながら高線量を示しているモニターの写真は上手く撮れませんでした。

 

次に、自治労はつかいちユニオンの生永裕行さんが、最終日の案内人、狩野光昭いわき市議による原発作業員についての報告をまとめてくれました。

  

いわき市議会議員の狩野さんからは、原発で働く人々の健康被害や労働条件の酷さについての話がありました。現在、廃炉作業と除染作業にそれぞれ毎日6000人の作業員が従事しています。

 

作業員の中には、ごく一部ですが、賃金未払いや雇用契約に悩む作業員もおり、原発労働者相談センターを20152月に立ち上げ、労働問題の解決に取り組んでおられました。 作業員は全国から福島県に集まっており、福島県だけでなく、全国で労働者教育に取り組む必要があると感じました。

 

ボランティアとして調査活動を行いながら、原発労働者の相談センターを運営していることから得られた貴重なお話を伺うこともできました。

 

また、黒いフレコンバッグが山積みになっている様子を見ると、街が元の姿を取り戻すまでには、相当な時間を要すると思いますが、これからが本当の復興の正念場だと感じました。

 

 

さらに狩野議員からは、原発の建設、運営で膨大な利益を上げてきたゼネコンが、原発事故後も除染や防潮堤の建設、その他の様々な建築工事でさらなる利益を得ている構造についての指摘もありました。

 

今回の3日間にわたるフィールドワークで感じたことの一つは、チームワークの大切さです。一人で経験したのではなく、10人が福島で時間を共にすることで理解や共感が深まり、より豊かな全体像を把握することが可能になりました。

 

その全体像は現地での「体感」「体得」に基づいています。例えば、避難指定が解除されている地域で民家の9割方には誰も住んでいない様子を直接目にすることで、また物を買える店も周りにはない上、子どもたちの姿も見えないことから、帰還の難しさを肌で感じることが可能になったのです。

 

帰還できないのは、放射線量の高さが主な原因ですが、これも線量計の数値を現地で確認しながら問題の深刻さや理不尽さを共有できたと思います。

 

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そしてこれほど大規模かつ長期的、深刻な状況を創り出してしまった責任についての国や東電、原子力ムラの言動は許しがたいこと、またこうした事態がこれからも続くことが明白であるにもかかわらず、「収束化」を図ろうとする国や東電、原子力ムラに対して、私たちが声を上げ続けなくてはならないことを改めて強く感じました。

 

今回、福島で私たちのフィールドワークのために貴重な時間を割いて下さった多くの皆様に心から感謝しつつ、新たな決意を固めたことを再度、強調します。

 

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2017年6月26日 (月)

福島原発被災地フィールドワーク② ――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

フィールドワーク2日目の625()は、朝 8:30 にホテルを出発して飯館村役場へ。

 

研修IIは、飯館村の視察でした。視察させて頂いたのは、331日に居住制限区域解除された地域、そして除染物質集積作業です。案内役は前福島地方平和フォーラム事務局次長の菅野幸一さんでした。

 

飯館村では、今年の331日に、帰還困難区域である長泥地区を除いて「避難指示解除準備区域・居住制限区域」の避難指定が解除されました。今日の視察では、その一番南の端にある「減容化施設」の前――それは帰還困難地域としての指定が続いている浪江町との境界近くなのですが――まで、飯館村内の状況をつぶさに見ることができました。

 

                 

Photo

           

 

減容施設からの帰り道は「飯館発電」という名前で、村民の皆さんが中心になって進めているソーラー発電事業の現場を体感することができました。

 

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視察後の参加メンバーの報告と感想です。最初に私鉄広電支部の木村浩隆さんの寄稿です。

 

バスで飯館村南側半分を視察しました。ここは村の中でも線量の高い地域です。村全体の避難状況は人口約6000人、1800所帯で、被災当時と大きな変化はありません。日曜日のため除染作業は行われていませんでしたが、住民不安に対応するために設置されていた線量計が目立ちました。

 

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目盛りは0.619マイクロシーベルト/時です

 

これも大切なのですが、国が昨年8月に、「ネットで確認できる」という理由で線量データの定期的公開を止めてしまったため、地域ごとの比較や総蓄積量の把握等、困難・不便になったことも多くあります。

農作物についても線量の測定は行われていますが、特筆すべきなのは、コウダケ等のきのこ類の数値です。特に高いことが問題なのですが、高齢者の中には「仮に害が出ても、もう残り少ない人生だから」と言って食べる人も多いとのことでした。

大きな問題の一つは、医療です。市の診療所は、市外から医師が「往診」という形で週二回、午前中だけ来てくれて存続されている状況です。また、役場横にある老人ホームは、震災後避難はさせませんでした。移動に伴う身体的負担が大きいので、そのリスクを避けるためでした。さらに役場の裏には全国初の市営の本屋が作られていました。

減容施設のある蕨平地区は、村内で最も線量の高いところで、今は立ち入り禁止区域になっていますが、ここで減容化された放射線汚染物の再利用についても検討されています。

除染そのものは、昨年12月で一応完了されたことになっており、現在はスポット的に線量の高い場所についてのフォローアップ除染が行われています。また、除染された土やゴミを入れるフレコンバッグは数年しか持たず、今後、除染されたものをどう処理するのかという大問題には答が出ていません。

 

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現地に来て、テレビで視たときとは違う現実を目の当たりにして、問題の大きさを改めて実感しました。広島に持ち帰り、一人でも多くの人に認識を高めて貰い、私たちでできることをもっと広範に共有し頑張りたいと思いました。

 

同じく広電支部の松本知孝さんの追加のコメントです。

 

飯館村に入った時、震災前はのどかで平和な暮しがあったのだなと感じました。そして震災から6年経った今も、「復興」は見た目には感じられませんでした。それは、村内の至る所に除染物の仮置き場があることとも深く関わっています。

阪神淡路大震災の際は、6年経過した時点である程度の復興が見て取れました。しかし福島では原発事故故の大きな負担があり、被災地の復興を妨げています。

「原発さえなければ」という思いで、脱原発そして核なき世界を実現すべく訴え行動して行きたいと思います。

 

午後は13:00から、浪江町の331日に居住制限区域から解除された地域そして津波被害の視察、その後南相馬市の201721日に居住制限区域から解除された地域、ならびに津波被害を視察しました。案内役は相馬地方平和フォーラム代表の寺田亮さんです。

 

広島県原水禁常任理事、広教祖の石岡修さんは午後の視察を次のようにまとめてくれました。

 

浪江町請戸漁港を見下ろす震災慰霊碑に花を手向けながら、瞬時に日常を飲み込んだ深い悲しみに思いを寄せていました。

 

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そして午後に視察した二つの地域、困難を抱えながらも復興に向けて進み始めたかに見える南相馬と、見通しが立たないまま避難指示だけが解除された浪江町の現実を目の当たりにしました。

誰もが故郷に帰りたいと思うだろう。しかし、帰還率1.5%の浪江には、帰ることをためらわせる現実が横たわっていました。

6年の月日を経た我が家に愕然とし、動物に奪われた家を取り戻すためには解体を決意せざるを得ないのですが、その決断をためらう人の多いことも理解できます。子どもの声が聞こえない場所に未来を描けない、あるいは人が住まない土地で仕事が再開できるのか等、不安の種には事欠きません。その不安を何より増大させているのが、廃炉への見通しが全く立たない原発の存在そのものです。

「避難解除が復興の証」などと決して言わせてはなりません。そのためには多くの人が原発事故の引き起こした現実を確認し、証言することが不可欠です。そのことを何より強く感じた一日でした。

 

広島県原水禁常任理事・前事務局長の藤本講治さんによる追加のコメントです。

 

  浪江町と南相馬市は、大震災と大津波によって起こされた原発事故が元で放射線への不安が続き、未だに日常の暮しが取り戻せない地域です。

 

 

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津波で破壊され今でも取り残されている家

 

 27カ月ぶりに訪れた被災地は行政や地域住民の復興に向けた並々ならぬ営みの中で復興への道筋が出来上がりつつありました。

  しかし、除染物質集積の仮置き場が至る所にあるという現実にも心が痛みましたし、津波に流された街なみ、荒れ果てた田畑、子どものいない学校(廃校)など、原発震災の傷跡を目の当たりにして原発事故が終っていないことを痛切に感じました。

  「浪江町東日本大震災慰霊碑」に参加者一同献花をし、震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りするのと同時に、被災地の早期復旧・復興を願いました。「原発事故さえなかったら」という被災者の叫びを心に刻み、脱原発の取り組みを強めて行こうと決意を新たにした一日でした。

 

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2017年6月25日 (日)

福島原発被災地フィールドワーク① ――浪江町の状況を伺いました――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町の状況を伺いました――

 

広島県原水禁では、2017624日(土)から26 (月)までの三日間、福島の原発被災地を訪ね、多くの皆さんのお話を伺いながら、被災地の現状を確認した上で、私たちに何ができるのかを再確認しさらなる行動に発展させたいという思いを元に、フィールドワークを実施します。

 

開催の趣旨を簡単にまとめておくと次のようになります。

 

福島第一原発事故から6年。命を、くらしを、絆を、故郷を、奪われた人は数えきれません。今もなお8万人を超える被災者が苦しい避難生活を強いられ、帰還の問題、生活の再建や復興、風評被害、子どもを中心とする健康被害、除染廃棄物の処理問題など課題が山積する中で悩み苦しんでいます。

にもかかわらず、政府は福島への帰還政策を強引に進めています。さらに、各地の原発再稼働を強行しています。私たちは、原発政策に前のめりする政策に抗い続け、福島原発事故を風化させず、フクシマに連帯する取り組みを継続して行っています。

201411月には、福島県平和フォーラムの協力のもと飯館村内、浪江・南相馬沿岸、帰還困難区域境周辺を視察し被災地の現状を学んできました。今回、二度目になりますが、被災地を訪れ、被害の実態や復興状況などを視察して、改めて原発事故とは何だったのかを考え、今後の脱原発.原水禁運動に活かしていきます。

 

今回のフィールドワークの参加者は10名、一日目の24日午後3時にJR福島駅近くのコラッセふくしまの会議室に現地集合しました。

 

最初に、受入れて下さる側の福島県平和フォーラム事務局次長 湯野川 守さんによるオリエンテーションがあり、その後、浪江町長の馬場有さんと、浪江町の紺野則夫町議会議員から、「原発事故から6年――フクシマの現状と課題」をテーマに、浪江町を中心にこれまでの取り組み、課題、そして今後の展望や広島との連携の可能性等についてお話を伺いました。

 

馬場町長のお話のポイントは、被災した事実の「風化」と無責任な「風評」による被害、そして避難している町民の生活の再建と同時に、これから町を存続させて行けるのかどうかということでした。パワーポイントを駆使した講演でしたが、風化と風評被害を語り未来の世代への責任を果すべく決意を表明する馬場町長に人間としての「風格」を感じ、静かな闘志を垣間見たのは私だけではなかったはずです。詳細を載せるには時間が足りません。またの機会に是非御紹介したいと思います。

 

               

Photo

             

馬場町長(左の人)

 

また紺野議員が強調されたのは、国や福島県の無責任さ、その結果として「二次災害」が起り多くの犠牲者が出たという点でした。例えば原発事故の直後に、浪江町周辺の放射線量のデータを国は持っていたのもかかわらず、それを被災地には伝えなかった。その結果、原発から遠い地点という理由で北西方向に避難した数千人の浪江町民が被曝したことです。

 

Photo_2

紺野議員(左の人)

 

被災者の健康を優先する制度ができる日を思い描きながら、そのための基礎になるデータを書き込む「健康手帳」を広島・長崎の先例を見習って作ったこと、そして、やはり子どもたちの未来が一番心配で、被災者の医療費を無料にする恒久的な制度を作ることを最優先したい、そのためには、以前、一緒に案を練ったけれど実現できなかった、国際的な支援体制の構築にも取り組みたい、と強い決意を語ってくれました。

 

 

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健康手帳

 

その後、場所を移って、紺野議員や福島の受け入れ団体の責任者を交えての夕食交流会が開かれました。浪江町を訪問しお二人にお会いしたのは20133月でしたが、久闊を叙しさらなる協力体制について建設的な意見交換ができ、大変有意義だったと思います。

 

参加者の皆さんに取っても感慨深い一日目になったようです。参加者の一人、自治労広島県本部の鈴木孝文さんは短時間の内に次のような感想をまとめてくれました。

浪江町馬場町長からは、63カ月が経過し風化と風評被害があること、また避難の状況や国の対応の遅れにより、線量の高い地域に避難してしまったことが強調されました。それは、浪江町が原発から北西の方向に細長い形の町であること、そして放射線がその方向に放出されたためでした。その結果全町域が帰還困難になりました。

しかし、2017331日に、一部の地域でその指定が解除され、苦渋の選択の結果、町長として解除を承認した理由についても語ってくれました。

その一つは、帰りたいという人は少ない、それは若い世代の人たちの間では、避難先に定住を決めた人が多いからなのですが、「自分の家で最期を迎えたい」という高齢者も多く、その人たちの思いを尊重したことと、「最低限の形でも良い、次の世代に町を残したい」という意見に耳を傾けたためでした。

曾孫の世代が「町が残ってくれていて良かった」と思うような町作りをしたいと、町長としての力強い決意も示してくれました。

原発は町の全てを奪うと改めて感じ、原発はいらないことを再確認できた一時でした。

 

また、自治労はつかいちユニオンの瀬戸将央さんは紺野議員のプレゼンテーションについて次のような感想を寄せてくれました。

報道では決して語られることのない、2011311日、東日本大震災発生時の現場の生々しい話でした。

私が率直に感じたのは、国、東電の無責任さです。事実として、地震、津波ではなく、原発事故で、60人から70人の人が施設から避難先に向かうマイクロバスの中で亡くなっていること、子どもたちへの影響の可能性も出ていること、現在も放射線の影響の管理をしなければならないことなど、本来であれば最優先されるべき問題が後回しどころか、放置されていることなどが具体的事例です。

私たち、事実を知るに至った人間が情報発信をすることで、フクシマのミライに向けて、国際社会への訴えの第一歩を踏み出すことも含めて、進んで行きたいと思います。

 

第二日目は、現地での視察が中心になります。第一日目の今日は、現地での見聞をしっかり受け止めるための枠組みが私たちの中にできましたので、明日は現地でこの枠組みを元に多くの情報を整理しつつ、さらなる活動につなげられればと思います。

 

 

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