日記・コラム・つぶやき

2018年4月19日 (木)

 「日本晴れ」を歩く ――花が綺麗でした――

 

「日本晴れ」を歩く

――花が綺麗でした――

 

健康維持のためにウォーキングを始めてから20年近くになりますが、その間、持ち歩いて耳から楽しんでいた音響機器も変りました。一番軽かったのはiPod nanoでしたが、最近は専らiPhoneです。nanoに比べて嬉しいのは、綺麗な写真が取れることですし、耳から聞ける本を何冊でも保存しておけることです。

 

素晴らしい天気に恵まれた某月某日、つい一週間前に届いたMartin Luther King牧師の演説と手記を聞きながら、花粉にも煩わされず、いつもよりちょっと時間を掛けて家の近くを歩きました。様々な花が咲いていましたので、写真を撮りましたが、花の名前は省略します。

 

それには訳があるのです。横着さを正当化する立派な理由です。

 

大学に入ってすぐ、理科系でも英語の授業がありましたが、とても学識のある、しかもかなり皮肉屋のS先生がテキストに選んだのは、舞台がアフリカのある国で起こる物語でした。毎回、誰かが当てられて日本語に訳すのですが、アフリカですので、知らない動物や植物の名前が沢山出てきます。大きな英和辞典で調べて、難しい学術用語を使って友人が訳し始めた途端に先生から一言。

 

S先生  「君は、今、校庭にある木の名前を知っているか」

 

学生  「分りません」

 

S先生  「日本の、自分の通う学校の木の名前も知らないのに、見たこともない土地の、それも見たこともない木の名前をわざわざ訳しても、何の意味もないだろう。これから木の名前が出てきたら、それは皆『木』と訳しておけばそれで宜しい」

 

とても説得力のある言葉でしたので、それ以来、S先生に敬意を表して、木の名前や花の名前を覚える努力を止めてしまいました。でも美しさは写真で伝わりますので、ここにアップします。

 

とは言え、やはり何の花なのかは気になります。教えて頂ければ、老化防止のため、今度は覚える努力をしたいと思っています。番号を振っておきますので、○○番の花は××、という形でコメントして頂けば有り難いのですが--。

 

中には名前を知っている花もありますが、それを書いてしまうと、あまりにも無知であることが如実に伝わってしまいますので、割愛させて下さい。そして、14枚写真を撮ったのですが、容量オーバーで全てはアップできません。残りはまたの機会を待つ積りです。

 

お礼に、拙著を差し上げます。(住所もお教え下さい。それは公開しませんので。)

 

 

 はこの木です。

             

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 お付き合い頂き、有難う御座いました。

 

[2018/4/18イライザ]

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コメント

通りすがりのものですが、何の木なのか私も木になります。

秋葉さん
こんにちは

音楽とお花が好きな洋子です。
写真のクイズありがとうございました。

①と②はパス。
③は三つ葉ツツジのようですね。山つつじで野生のものですね。

④は花すおうです。蘇芳という字かもしれません。平安時代の十二単の内の一色ではないでしょうか?

⑤は花を吸うと甘い蜜の出る、名前はど忘れしました。

本は多分みんな持っているのでいりません。

確か元安川さんの記事だったと思いますが花や木の名前を教えてくれるアプリがありました。GreenSnapでしたっけ。

「きるごろう」様

コメント有り難う御座いました。

何の木か分り次第、報告します。

「洋子: In 習志野」様

コメント有り難う御座いました。

教えて頂き、有難う御座います。やはり名前を知るのは楽しいですね。

「スマホ依存」様

コメント有り難う御座いました。

これも、AI等の技術を使うのではなく、花を知っている人が教えてくれるソフトなのですね。試してみます。

2018年4月18日 (水)

 人形町・今半 ――若者が多いお店でした――

 

人形町・今半

――若者が多いお店でした――

 

東京で頑張っている息子たちに、たまにはちょっと贅沢で美味しいものを食べさせたいと考えて希望を聞いたのですが、やはり「肉」が良いという返事でした。焼肉は前にも行きましたので、友達が紹介してくれた店で美味しさには定評のある人形町・今半ということになりました。

 

「新宿の今半」で分ると思っていたのですが、新宿だけで3店舗あるとのこと、ちょっと迷いましたが、でも何とか辿り着きました。

 

大きく分けて、すき焼きとしゃぶしゃぶなのですが、私たちはすき焼きにしました。Z級グルメですから、とても美味しかったと表現すれば責任は果したことになりますが、もう一つ、育ち盛りの若者でもお腹が一杯になったのは嬉しいことでした。息子たちの近況も良く分り、教科書代なども渡せましたので、満足できる一夜でした。

 

味を損なわないように、食事中は写メ禁止にしましたが、最後のデザートは私の好みのミツマメ・あんみつ系のアレンジでしたので、これは記念に写真を撮りました。

 

Photo

                             

 

お客さんと言えば、高齢者もいましたが、若者の多いのがちょっと意外でした。例えば、如何にも良家の子女風のカップルが印象的でした。50年前の秋、MITで開かれたボストン日本人会で初めて会った音楽家のW氏とMさんがそんな感じでした。二人ともニュー・イングランド・コンサーバトリー・オブ・ミュージックの学生でした。その後親しくなってからは、いろいろな音楽談義をしましたし、当時、MITのオーケストラで活躍していた大前研一氏なども交えての交友を、世紀をまたいで新宿で思い出す縁になりました。

 

買い物の荷物を沢山抱えて入って来たのは、中国人の若いカップルでした。メニューを見て、二人が目で合図をしながら、何を注文するのかを決めたようで、そのときに二人が財布を出して中のお金を確かめて頷いた様子には、かつて、ニュー・ヨークで、当時はかなり高級だった日本食のレストランに入った時の自分自身が重なって、微笑ましい思いでしばらく見詰めてしまいました。

 

もっとも、メニューをちゃんと見るとそれほど値の張らないものもありますので、それなりに納得はできました。

 

帰り道は迷わずに地下鉄に乗れましたが、丸ノ内線と銀座線しかなかった時代のイメージで東京の交通網を理解しようとしている私には、都営線の路線図を頭に入れることなど所詮は無理な話で、スマホの道案内が頼りになりました。

 

[2018/4/16イライザ]

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コメント

福岡の人形町今半はJR博多シティにあるので、帰りの夕食は博多シティでラーメンが多いのですが、時間に余裕がある時には今半ですき焼きのこともあります。広島駅に車を置いていない時は、濃い味の甘いタレにはカベルネやシラーなどのワインがよく合いますし、何より無精な私には中居さんがしっかりフォローしてくれるすき焼きが高得点です。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

すき焼きの味も東と西では違いますね。先日は、久し振りに江戸風のすき焼きでしたので、昔を思い出してしまったような気がします。

2018年4月15日 (日)

 浦島太郎 ――日本を留守にしている内に変ってしまったこと――

 

浦島太郎

――日本を留守にしている内に変ってしまったこと――

 

異国で暮して、故郷に戻って来たら、何もかも変ってしまったのが浦島太郎ですが、何年か海外で過した後に、同じような経験をされた方も多くいらっしゃると思います。

 

私も、日本に定住することになってから苦労したこともあるのですが、未だに引っ掛かっていること二つを御披露したいと思います。二つとも、まだ小さいときに経験したことと、現状とが違っているだけのことなのですが、「違和感のある日本語」とも関連しますので、共感して下さる方の出てくることもちょっぴり期待しています。

 

二つとも、駅のアナウンスで頻繁に出てくる言葉です。一つ目は、「山手線」です。千葉から総武線で秋葉原で乗り換え、山手線か京浜東北線で御徒町まで行って松坂屋で買い物をするのが母のお決まりのコースだったのですが、都会のシンボルが「山手線」だったと言っても過言ではありません。その「山手線」の最近の呼び方、駅のアナウンスは「やまのてせん」なのです。

 

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By aqz-tmin (NIKON CORPORATION NIKON D80 170709090144) [CC0], via Wikimedia Commons

 

一寸、歴史を振り返ると、戦前、元々は「山ノ手線」と書いて「やまのてせん」でした。それが、戦後になって「山手線」と書いて「やまてせん」になりました。そして、1970年代の初めに、「山手線」と書いて「やまのてせん」と読むようになったらしいです。

 

私が子どものときは、もちろん「やまてせん」でしたので、全く問題はありませんでした。浦島太郎に取っては、読み方は変えて漢字はそのまま、という変てこな変り方でした。あるいは読み方は元通りになったけれど、漢字は変えたまま、という解釈もできますが、読みと漢字を統一したらどうでしょうか。もう一つの問題点は、浦島太郎に取っての二つ目の戸惑いの後に回します。

 

二つ目は、「降り乗りは順序良くお願いします」といった感じのアナウンスです。昔は「乗り降りは」と、「乗る」方が先に来ていました。

 

混雑しているときには特にそうだと思いますが、降りる人が先に降りてくれないと、中には空きができませんので、電車には乗れません。だから「降りる」のが先で、「降り乗り」が正しい、という理屈らしいのですが、「乗り降り」が小さいときから耳に焼き付いていますので、聞く度に大いなる違和感です。

 

一つには、「乗り降り」とは一体の行為として、乗ることと降りることを指している言葉ですので、どちらが先に来るかで、どちらを優先しなくてはならないというルールを表現している言葉ではないからです。そのような言葉は日本語にはたくさんあります。例えば「損益計算書」の「損益」ですが、これは、ビジネスをするときに「損」を優先しなさいと主張している言葉ではありません。もう一つ挙げておくと、「虚実」もそうです。ないことより「実」の方が価値はあるでしょう。

 

このどれにも共通しているのは、発音のし易さですし、音としての美しさです。「降り乗り」も「益損」、そして「実虚」も、言い難いという点では半端ではありません。言い易い、聞いて快い言葉を大切にするのも、日本語の特徴、いや恐らくは全ての言葉の特徴だと思います。

 

そして最初に戻ると「やまてせん」と「やまのてせん」では、「やまてせん」の方が美しいと私は感じるのですが、これはもう好みの問題でしょうか。

  

[2018/3/28イライザ]

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コメント

「やまてせん」の方が美しいし、'60年代後半に地方から出てきた者でも、
断然、「やまてせん」。
東京は山の手の出でもないのに、ヤマノテと言うことに、気恥しさと、
おこがましさも感じるし。
(JRもいまだ国電と→国鉄民営化→この国のテイタラクの始まり→国鉄の
3人の友→国労をヤメなかったばっかりに→国鉄を追われ...→JRなどと
言ってたまるか😡)

先だってのポルシェ→写真に収まるなら→決めはサングラス→
『そういう悪ノりは好きでない』→そう、そこが人を惹きつけるとこね。

わたしの場合は、生まれたときからすでに「やまのて線」でした。
なぜ山の手じゃないのか疑問でした。
あと、海に近い京葉線は海の手線で良いのでは?と子どもながら思っていました。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

もっと昔は「省線」でした。鉄道省の線という意味でしょう。NTTもそうなのですが、全国的につながっていることが大きなメリットなのに、地域ごとに別会社を作るという意味が今一分りません。

それとサングラスだけではなく、もっとパリッとした格好で乗るべきでした。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。「京葉」は「京浜」に対抗して、東京と千葉から作ったらしいですが、それだからでしょうか、中国の古典に源を発する「湘南」ほどは、エレガントには聞えませんね。音としては、「海の手」の方が「山の手」より響きが良いように思いますが--。

2018年4月13日 (金)

 ポルシェに乗って見えたこと ――何事も経験してみるものですね――

 

ポルシェに乗って見えたこと

――何事も経験してみるものですね――

 

友人から「一度ポルシェに乗ってみる?」とお誘いを受けました。そう言えば、昔、助手席に乗せて貰ったことはあったのですが、運転した経験はありません。「何事も経験」と、喜んでお誘いを受けました。市内をゴチャゴチャ走るのでは醍醐味が味わえないと思って、広島高速3号線から2号線に入り、一号線を経て山陽道を飛ばして宮島まで、というルートを運転してみました。

 

友人の車ですから近くで見たことは何度もあるのですが、いざ自分で運転するという立場になると、以前は見えていなかったことにいくつも気付きました。

 

最初に驚いたのは、車幅が大きいことです。スポーツカーですし、デザインもまとまっていますので、一見それほど大きい車には見えないのですが、住宅街の道路の端に留めてあったポルシェは、道の半分以上を占めていました。車幅が180センチということですので、まあ当然なのでしょうが、まずは大きさが違いました。

 

左ハンドルであることは知っていましたが、運転席に座るとメーター類の多さに戸惑いました。もっと若いときなら、ドキドキの仕方が違ったはずですが、どれが何を示しているメーターなのかが一瞬では把握できず、安全運転に必要ないくつかはチェックして高速に乗りました。


 

Photo

                             

目を瞑っていますが、停車中に撮った写真です。

  

普段から軽い車に乗りつけているせいだと思いますが、運転してみるととても重い車です。でも、加速は素晴らしいですし、ようやく100キロを出した辺りでの安定性の良さは、マイカーとは比べものになりません。あまり速く走っている、という感じではなくなるので、スピード違反をする人が多くなるのはこのせいもあるのだ、と納得です。

 

車の性能以上の発見は、ポルシェを見掛けた人たちの反応の仕方です。ポルシェに対する偏見のようなものがあって、それを元にしての行動なのか、ポルシェを運転している人たちが特別の運転をするような人たちばかりなので、それに対する条件反射的な反応なのかは分りませんが、気付いたことを二つほど報告しておきたいと思います。

 

天気の良い日でしたので、ゆっくり走りながら景色も楽しむ積りで、走行車線を法定速度内、他の車の流れに合せて走っていたのですが、後続車の反応で気付いたことがありました。私の車のスピードがなかなか上がらないので、追い越す人も多かったのですが、ムキになって加速しているような感じを受けました。エンジン音が特大になり、「ざまあみろ」とか「敵を取ったぜ」みたいなメッセージを発しながらの追い越し方でした。

 

もう一つの方の「吃驚度」は半端ではありませんでした。直線が続くところで、少しスピードを出してみようかなと思って、追い越し車線に車を移したのですが、そこでの吃驚です。追い越し車線を走っていた前の二台の車が、瞬時に左側の走行車線に移動してしまったのです。

 

ポルシェが後ろに来ると煽られる、というインプットがされているような感じでした。その二台を追い越して一旦、走行車線に戻りましたが、これがポルシェに乗ることなのだ、という現実を見た思いでした。そしてこんな経験を日常的にしているポルシェ・オーナーの中には勘違いをする人が出てきてもおかしくはないということも実感できました。

  

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[2018/3/20イライザ]

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私がバブル期に勤めていた会社は社用車としてポルシェやNSX(当時の国産車で最高額)がありましたが、同じスーパーカーでも普通に雨漏りするフェラーリなどとは違い機械としての完成度の高さは群を抜いていたものの、日本で走るクルマではないとも感じていました。

EV(電気自動車)に乗り慣れると、そのポルシェでも「トロい」と感じますが、それは低速域(100キロ以下)でのことで、ポルシェやBMWに乗る人にとっては150キロからの加速が問題ですから、EVでは150キロからの加速が不十分だと感じるようです。

欧州車にディーゼルが多い一因もストップ&ゴーが少なく、普通に200キロ以上で走れる道路があることだとも聞いたことがあります。

いつかは乗ってみたいですね、ポルシェ。若い頃は「いつかはクラウン」というキャッチフレーズがありましたが、高級車というイメージと同時に、ヤクザが乗っているとか、暴走族が乗っているというイメージもありました。今は土建屋の社長はレクサスかベンツというイメージです。偏見かも知れませんけど。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

200キロで走るのはやはり勇気がいることだと思います。ドイツのアウトバーンでは160キロでも長距離は無理でしたので。

「後期中年」様

コメント有り難う御座いました。

自分で持つのも良いのですが、友人の車をたまに運転するという形も悪くないなと、今回感じました。そうなるといろいろの経験ができますし。

そう言えば思い出したのがテスラの自動運転に乗った時ですが、説明ではAIも付近にいる自動車の車種やドライバーの年齢や性別による挙動の傾向は分析し考慮しているそうです。

確かに私自身もガソリン車とハイブリッド車とEVの3台が自宅にあった時期、それぞれの自動車の性能というより気持ちの問題で運転の仕方が随分違うと妻にも指摘されていました。

今は街乗りのEVのみで長距離はレンタカーですが、地方では東京のようにグレードの高い車種がないのが残念です。

デミオEVに乗っていますが、飛ばしているポルシェやBMWあるいはRX-8、NSX、GTR、フェラーリなどを見ると本能的に追い抜いてしまい、音もなく追い抜くコンパクトカーに唖然とするドライバーを横目で見ながら我ながら大人げないと苦笑しています(笑)
ただし既に書かれているように150キロ以上になるとかないませんので、それ以上は出せない場所での勝負ですけど(汗)

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

高速で左に寄ってくれた車は、こちらの年齢や「イザっ!」みたいな気持を瞬間的に察知したのかもしれませんね。

私がレンタカーで借りてみたいのは、最近乗っていないアメリカ車です。でも。アメ車の需要はそんなに多くないような気もします。

「若輩者」様

コメント有り難う御座いました。

「音もなく追い抜くコンパクトカー」、さぞ気持がいいでしょうね。次はEV車を借りて、それに挑戦してみます。

アメ車のレンタカーは東京や沖縄なら専門店もあるようですし、民泊のように個人の自家用車をレンタルする仕組みもあり、以下は私も数年前に利用したことがあります。

http://cafore.jp

また、高速道路のスポーツカーを楽に追い抜くとなるとテスラやBMWのEVですが、ディーラーに行けば試乗できますし、キャンペーンで一週間とか、数日の貸出しもあり、私も広島のバルコムでBMWのEVを3日間、充電カードと一緒に借りて九州まで行きましたし、福岡ではテスラの試乗で高速道路を走りました。ディーラーなら無料です。

車高が低くてかまぼこ型の踏切が渡れない、急な勾配の
駐車場に入れないなど、ポルシェ大好き(3台所有、クラ
シックカー、レス用、普段用)の知人(開業医)がいってい
ました。1回だけ乗せてもらったけど、ウルサクテ、イヤ。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

カフォレのようなサービスが昔あれば、ずいぶん重宝したと思います。最近は、誘われたり必要に迫られないとなかなか動けなくなっています。齢ですかね。

「➆パパ」様

コメント有り難う御座いました。

ポルシェではなく、軽自動車ですが、車高が高くて立体駐車場に入れて貰えないので、ポルシェ・オーナーの気持もちょっとは分ります。

プレジデントにベンツに乗るといくらかかるかという記事があり、安いCクラスで地方都市でも一生50年で5500万円都市部なら6700万円という結果でした。ベンツでも上のクラスならもっとでしょうしポルシェなら億はいくのでしょうね。

キャデラック ブロアム1995年式 2020kg軽やかでした、、セルシオ 1800余kg重く感じました。。。単純には、味付けだろうと思います。ブロアム。長さ5725全幅1990センチ.認知度.無し。高速道。追い越し車線。譲る車少なし。 60sp.ふざけている訳ではありません。cadillac60special 昔に乗っていました.60spもブロアムも好きで乗っていました。両車共まだあります.メールは苦手です。ポルシェは1500kgぐらいでは、ないでしょうか。

「60sp」様

コメント有り難う御座いました。

'59年のキャデラックや'60年のキャデラックは、超懐かしいです。昔、友だちが父親の60年キャデラックで、シカゴのダウンタウンに連れて行ってくれたことがありました。帰りに追突されて大変でしたが--。

その後はほとんどフォローして来なかったので、キャデラック ブロアム1995年式は、初めて写真を見ました。やはりキャデラックですね。私ならバックミラーでフロントを見ただけで譲ります。

送信できたようなのでビールの話,させてください。。私もエビスにおちつきました、エビスは幾缶でも味が変わりません…スーパーフレスタ.。銀河高原ビール。。ヴァイツェン。コレは1本めだけは美味です。。2本めはうまくありません。。でも1本めは美味です。。エビスより濃いめです。広島県特約店は、、フレスタです。。3種類の1本です。。。。。ビールは。イオンが他店より安価です。。銀河高原ビールの。。ヴァイツェンという名の銘柄です。以前BEERCANコレクター.輸入缶。収集していました。。。大原亨さん、、師範で父の先輩でした。。秋葉先生とは。。何の接点もありませんが。。。。うちは大原氏とは。。そういうことでした。倉庫。物入。収納のお話.したいのですが未定です、、手前勝手で申し訳ありませんでした

「庶民」様

コメント有り難う御座いました。

こだわって、一生、○○以外は乗らないという人もいるようですが、それだけ掛けるのは、やはりお金には換えられない価値を見出している人たちだと思います。(それにそれだけのお金のあることが大前提ですが。)

そんな友だちが周りに何人かいると楽しいと思います。

「60sp」様

コメント有り難う御座いました。

ビールについての話は楽しいですね。銀河高原ビールのヴァイツェン、試してみます。他のヴァイツェンとも比べてみたいです。それと、ビールについてはまたまだ書きたいことがありますので、ここで楽しいやり取りができると嬉しいです。

音楽ではAmazon、Apple、Googleの聴き放題サービスが定着し、自動車も乗り放題=サブスクリプションサービスがアウディ、ボルボ、ポルシェ、そしてメルセデス・ベンツにまで拡がっていますが、日本でも月額19,800円から600もの車種に乗り換えられるというサービスがあるようです。

https://norel.jp

以上、参考まで

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

リースだと一年縛りのところ、もう少し柔軟に乗り換えられるというのが良いですね。これも昔、存在していれば、使ったサービスだと思います。

2018年4月12日 (木)

 「M・A・N」というファミリー・ワイン ――コストコで見付けた四角い箱のワインです――


 「MAN」というファミリー・ワイン

――コストコで見付けた四角い箱のワインです――

 

洒落たレストランで、ワインを楽しみながら寛ぐ図というのも捨てたものではありませんが、その「非日常」を家の中に取り入れて食事を楽しむための、「家飲みワイン」がずいぶん普及しています。でも「家飲み」と言うよりは「Family Wine」と呼んだ方がチョッピリですが、余所行きの感じは残るような気がします。

 

それにピッタリのFamily Wineをコストコで見付けました。四角い箱に入ったワインで、「Chardonnay」と大きく書かれています。そして、ブランド名は「MAN」なのです。

 

               

Photo

             

 

この箱の中に、普通のワイン・ボトルが入っているのかと思いきや、この箱が入れ物なのです。正面の幅は16.5cmで高さは20.5cm。奥行きは10.5cmで、その中に250ml、つまり2.5リットルのワインが入っています。どう注ぐのかは、ステップ・バイ・ステップで説明しますが、その前に、「MAN」という商品名の由来です。

 

このワインを作っている会社名は「MAN Family Wines」です。この会社を作ったのが、3人の友人たちとその妻、という説明があり、「平和を維持するために」会社名は3人の妻たちの名前、Marie, Annette そしてNickyを付けることにした、という説明があります。だから「MAN」なのです。

 

 

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開け方が良く分らなかったのですが、箱の底に英語、日本語、ハングルの説明が付いていました。

 

まず、ミシン目のある面を上にします。写真でミシン目が見えるのか心配ですが、良く見ると分ります。

 

 

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ここで「A」と印の付けてあるタブを起します。

 

A

 

プラスチックの袋に入っているワインが見えますね。次にその下の「B」という印の小さいタブを引っ張り出します。

 

 

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でもこの小さいタブは切り取ってしまいます。

 

 

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こんな具合です。箱の中からワインを注ぐための「蛇口」を取り出し、その開いた四角いところに、はめ込みます。

 

 

Photo_6

 

タブを元通りに直すと、こんな具合に蛇口だけが外に出ている機能的な箱に仕上がっています。さて、いよいよ、グラスに注いでみましょう。かなり勢いよく出てきますので、グラスは大きめの方がワインがこぼれなくて済みます。

 

 

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味もなかなかでした。しっかりしたボディーがあり、フルーティーです。メロンと柑橘類のフレーバーも楽しめましたし、オークの香りも加わっていました。Z級グルメの私にはこんな講釈は無理なのですが、箱の説明の受け売りです。

 

でも、美味しいことに変りはありません。ワインの報告というより「工作を楽しみました」という絵日記風になりましたが、次回のコストコでの買い物リストにはこのワインが入っています。

 

 

[2018/3/20イライザ]

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2018年4月 8日 (日)

 K.T ダイナー ――50年代、60年代のアメリカが味わえます――


 K.T ダイナー

――50年代、60年代のアメリカが味わえます――

 

トラットリア・ルッツォについては、以前御紹介しましたが、そこから吉和の方に向うと県道186号線に自然に入ります。そこから小瀬川沿いに少し行くと、右側にK.Tダイナーが見えてきます。年代物のアメ車が目印ですが、ドライブウェイを上がって行く風情が何とも言えません。

 

50年代、60年代のアメリカを再現してあるアメリカ式のダイナーだと聞いては、一度、どうしても訪ねない訳には行きません。

 

その日は、雨だったのですが、でも、下界の桜は散り始めていたのに、ここではまだ満開に近い感じでした。でも、道の上の花びらもきれいでした。

 

Kt_diner

                             

 正面からもうアメリカ風で、期待で胸が膨らみます。

 

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 桜の花びらが敷き詰められた階段と入り口を通って店の中に入るのも風流でした。そして、内部も凝った造りですが、ちょっと暗めの照明なので、少し目が慣れてからその素晴らしさがじわじわと伝わってきます。

  

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ここで頂いたのは、もちろん、ハンバーグ。そしてきのこサラダです。 (日本語ではハンバーグとハンバーガーとの違いがあるようですが、英語では使い方が少し違うので、ここはエディターによる訂正が入っています。)

 

Photo

 

 

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 二人で食べて丁度良い量でしたし、ハンバーグは当然ですが、サラダの味も文句なしでした。レストランには雑貨コーナーもありましたが、隅にあった、昨年の残りでしょうか、クリスマス・デコレーションが気に入りました。

 

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 もう一つ、K.T Dinerでお勧めなのが音楽です。50年代のアメリカン・ロックが主でしたが、選曲は私が好きな曲ばかりでしたし、音響が素晴らしいことに感激しました。アンプやスピーカーも良いのでしょうが、高い天井と木の壁の創り出す空間で、一時、青春時代に戻った気がしました。当時の仲間たちを誘って、ここを一夜借り切ってパーティーが開ければと、夢はさらに膨らみました。

[2018/4/6イライザ]

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2018年4月 5日 (木)

 IROHA villageを覗いて来ました ――暖かくなるのが楽しみです――

 

IROHA villageを覗いて来ました

――暖かくなるのが楽しみです――

 

商工センターから廿日市に向って、広島廿日市大橋のちょっと手前、五日市港に折れる道が何本かありますが、なぎさ中高の筋向いに新しいアトラクションが登場しました。藤い屋さんの「IROHA village」です。

 

Iroha_village_google_map

                             

 営業時間は午前10時から午後6時ですが、閉店時間直前だったので、カフェは閉っていましたし、工場見学の時間からもズレていましたので、魅力を十分にお伝えできませんが、IROHA village のホームページがありますので、そちらも御覧下さい。


Photo_4

 

暖かくなったらもう一度来たいと思った理由はいくつかあるのですが、一つは、屋上緑化です。建物の屋根の上に緑があるのは良いですね。

これには思い入れがあって、かつて教鞭を執っていたタフツ大学の図書館が、当時は屋上緑化の先進例として紹介されていた時期があったからです。下のカフェテリアでサンドイッチやハンバーガーを買って、同僚や学生たちと、緑に囲まれてランチを楽しめたのは懐かしい思い出です。

 

建物の中には、ショップとカフェがあり、ショップで買い物はできたのですが、カフェのラスト・オーダーが5時でしたので、そちらは次の機会に。また別棟は工場なのですが、中の様子はガラス窓越しに見ることができます。工場だけではなく、village全体のガイド付きツアーが10時と12時の2回ありますので、これも面白そうです。

 

建物の外にもいろいろ工夫が凝らしてありますが、訪れたときは工場の前の紅白の梅が綺麗でした。

 

Photo

 

 また、庭には畑もあり、これからが楽しみな場所です。

 

Photo_2

 

近くの五日市港には大型の観光客船も泊るようですので、外国からのお客さんでごった返すのも時間の問題かもしれません。その前に、ゆっくりIROHA villageを楽しんでおきたいと思います。

 

たまたま、友人夫婦が次の日にIROHA villageに行っていました。写真を送ってくれましたので、雰囲気をお伝えするため、その写真も添えました。

 

Photo_3

 

  

[2018/3/22イライザ]

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コメント

ウィリアム・ハート William Hurt (1950~)
... ボストンのタフツ大に進み、神学を学んだ。3年生の時、
演劇に専攻を変え、1年間ロンドンに留学したあと、...
( 『外国映画人名事典 男優篇』キネマ旬報社編1997 )

『 蜘蛛女のキス 』 '85 でオスカーをとっていますが、
あの彼が?? あ奴だよ!! などと学内で噂になったりしたのでしょうか。
(なぁんてまたミーハーむきだし)

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

彼が卒業した後にタフツで教え始めましたので、当時面識はありませんでしたし、その後の活躍についても、専門違いで学内であまり耳にしたことはありません。

でも、2005年にHurt氏はタフツから名誉博士号を貰っています。そのときには、私も一緒でしたので、何度か話をしましたが、「何か私に協力できることがあれば、言って欲しい」と親切なオファーがありました。上手く生かせなかったことを残念に思っています。

2018年4月 3日 (火)

 中垣さんとの対談会報告・その2 ――私にとって転機になるかもしれない経験の場でもありました――

 

中垣さんとの対談報告・その2

――私にとって転機になるかもしれない経験の場でもありました――

 

「グローバル・ヒロシマ」というテーマで、41日に開かれた浄土真宗の「フリーランス僧侶」、ニューヨーク在住の中垣顕實さんと私の対談の報告を続けます。

 

中垣師が現在力を入れている「卍とハーケンクロイツ」については、41日のブログで少し説明をしましたが、対談の場では十分に時間を割くことはできませんでした。幸い、若い大学生の質問が、全く別の視点からではありましたが、正に中垣師の問題提起の意味を問うものでしたので、それに答える形で会場の皆さんにもしっかり受け止めて貰えたのではないかと思います。再度、41日の記事もお読み頂ければ幸いです。


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 さて私の話したことなのですが、2016年、2017年、2018年と3年連続で、被爆者の願いである核兵器廃絶に関連のある大きな出来事が起きたことに焦点を合せました。オバマ大統領の広島訪問、核兵器禁止条約の締結、そして5月に予定されている米朝首脳会談です。

 

オバマ大統領には、2010年の一月、ホワイトハウスで直接、広島訪問の要請をしましたので、それが6年後に実現したことには、大きな感慨を持ちました。核兵器禁止条約は私が会長を務めていた平和市長会議が2003年に公表し、世界の都市が目標として努力し続けてきた「2020ビジョン」の中間目標として、2015年までの核兵器禁止条約を掲げていましたし、ノーベル平和賞を受賞したICANとも連携して大きな貢献をしてきましたので、2年遅れではありますが、これも、目標が達成できたもう一つの事例です。

 

米朝会談の成功のためには、現在進行形ですが、広島県原水禁としての働き掛けをすることになっていますので、5月の時点での良い結果につながれば、これも大変嬉しい出来事になります。

 

41日の対談で、こんなことを皆さんに報告しながら頭に浮んだのは、これら三つの事例だけでなく、私の人生の中で「目標」として掲げて、何らかの形でその実現のために努力してきた多くのことが、以前3回にわたって分析したように現実になっているという事実です。そして今回は、それには何らかの意味があるのかもしれないと感じたのです。

 

3回目の記事で予告した、1963年に立てた目標、「被爆者の代弁者として発言する」は、その後の「アキバ・プロジェクト」や市長として世界各地で、正にこのことを実現するための活動をしてきましたので、「実現」された中に入ります。

 

このように、私が立てた目標について、直接努力をした結果として実現したものもありますが、そうではないケースも多く、しかし、目標達成のための努力はしていたものがほとんどですので、何かが「実現」するかどうかの決定打を打ったかどうかとは別に、予測能力だけはかなり高いと言えるのではないかと自負しています。

 

仮にその能力が本物であれば、今後、それを意識して意図的に積極的に生かす、というもう一つの道が開けます。

 

「グローバル・ヒロシマ」の会場からの質問からも、未来への地図を描きその実現のための多くの人々の力を結集させることがいかに大切なのか、という方向性が改めて確認できました。それについては次回に。

 

[2018/4/2イライザ]

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2018年3月31日 (土)

3月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)

3月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)


農園が納品した安芸の郷のブルーベリーはコンテナ型の冷凍庫に保存され、ジャムやソースの加工に利用され、冷凍生食の
1キロ単位での販売も在庫があるので3月に入ってもほぼ毎日お客さんが購入においで頂いている。ブルーベリーは加工がしやすいのと冷凍での保存がきくので障害者の皆さんの作業も年間を通して作業が続いている。

夏の収穫期を前に冬から春はブルーベリーの剪定が品質の維持と木の生長に欠かせないので、こつこつと作業を続けている。3月も21日の彼岸が一日中雨。この雨は前々日から3日間続いたので作業はあきらめる。農園のブルーベリーの場所は家の前の畑が上中下の3つと家の北側の里山に東西2つからなっている。山側の剪定が325日に終わり一区切りついた。一区切りつくと過ぎた冬の季節にもお別れ気分になる。中旬になると生き物が出てくる。イノシシ、アマガエル、タヌキが地面を這い、キジ、ヒヨドリ、ウグイスなどが鳴き声を響かす。作業する目と耳から自然の営みの様子が入ってくる。


1

33日水路の法面の野焼き。いつもして頂いている隣の田んぼの農家の方が毎年この時期に伸びきったススキなどの草むらを焼いている。他の道路沿いの田んぼや畑の法面はそこの農家の方が刈ったり焼き払ったりして管理し景観を保っている。

2

311日。ナンテンの実。ところどころの実が取りがついばんでなくなっているがまだ全部ではない。冬の寒波がひどかったので実の色も大部分が黒ずんでいる。鳥にとってこの状態でのお味は?

 

3

317日。2月に続いて今度は柵をしている山の西側にイノシシが侵入。大きな穴を掘っていた。クズの根を掘って食べるのが目的のようだ。スコップでもとに戻し、周囲の柵を補修して回った。

 

4

318日、援農。一人黙々と剪定を手伝って頂いている安芸の郷の若者。下の畑に場所を定めてたくさんの木を切る体験を通してやり方を学んでいく。

 

5

318日。オオイヌノフグリ。地面低く咲く早春から咲く野の花。

 

6

325日。作業の手を休めて休憩後真ん中のブルーベリー畑で、生き物に出会った。一瞬ハクビシンかと思ったが動きがのんびりしているので狸らしい。モグラでもいるのかしきりに法面の中に口を突っ込んっでいる。このあと私たちを横目に悠然と茂みの中に入って行った。

 

7

325日。ブルーベリーの太い枝を切っているとアマガエルが出てきた。

 

8

325日。一区切りついた山側(里道を挟んで西と東にある)のブルーベリーの剪定が終了。今年は新梢が出るのを促す目的で古くなった太い枝を思い切って間引いたり、ホームベルという品種は全部切る方法もとった。

9

325日。真ん中のブルーベリー畑の剪定作業。山の剪定が終わり一区切りついて最初の一列目。気温が高く汗ばむ陽気だった。

 

10

325日。早生のタイプのチャンドラーの花芽。この一芽からせり出すように釣鐘状の花が10個くらい咲く。剪定も終わったのであとはミツバチの到来を待つ。

 

2018330

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2018年3月25日 (日)

銀座の魅力 モンブラン   ――修理はして貰えなくなりましたが、大切な贈り物を貰いました――


銀座の魅力 モンブラン  

――その場で修理はして貰えなくなりましたが、大切な贈り物を貰いました――

 

万年筆は、長い間モンブランを使っています。中学生の頃には、旺文社の雑誌『中学時代』から賞品として貰ったセーラーを使っていましたが、大学生になって家庭教師をしていた頃、海外からのお土産として頂いたモンブランに魅せられて、それ以来ずっとモンブランです。

 

               

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それからの〇十年、いろいろな種類のモンブランを買ったり貰ったりして、何を書くのか、何時書くのか等によって違ったモンブランを使い分けていました。アメリカに住んでいた頃にはあまり問題にはならなかったのですが、日本での生活が始まってから、インク漏れが起きるようになりました。キャップを外すと、ちょうど中指の当る辺りにインクが漏れているのです。

 

しかし、本数はあるのですから、仕事には別の一本を使って修理に出せば、問題は解決していました。しかし、今考えると、「修理」とは言っても、丁寧に洗ってもらうだけで問題が解決していたこともあったようです。

 

Photo_2

 

それも銀座のモンブランに持って行けば、待っている間に修理して貰えましたので、全く苦痛だとは思ってもいませんでした。

 

しかし、今回上京して、とんでもないことを告げられました。「もう銀座には技術者を置いていないので、工場に送ってそこでの修理になります。恐らく、2,3週間掛ります」ということになっていたのです。修理が終れば、自宅まで郵送して貰えますので、修理に出すのは銀座でなくても良いことになります。それなら広島から出そうかなと考えて、広島での修理を受け付けているところはと尋ねると三越だとのことでした。

 

一端家に戻って、修理に出すにせよ、このところ手を触れていなかったモンブランをきれいにしてからの方が良いだろうと、微温湯に浸けてしばらく置いた後、インクを抜いてまた微温湯を入れてという作業を何度か繰り返しました。

 

一晩、乾かした後、新しいインクを入れて使ってみると調子は前と変わらずにすらすら書けましたし、一晩おいて次の日にキャップを外してもインク漏れはありません。その後一週間以上、インクは漏れていませんので、インク漏れの原因は手入れの悪さにあった、という結論にしかなりません。「愛用」していた積りのモンブランを粗末に使っていた罰が当たったのですが、これからは、定期的に全てのモンブランの手入れをしたいと思います。

 

お世話になっていた銀座モンブランのサービスがなくなって、遅ればせながら道具の手入れの大切さに気付いたのですが、これも銀座からの贈り物だと思ってしまうほど私の罹っている「銀座病」は重症なのかもしれません。

  

[2018/03/04イライザ]

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コメント

山本薩夫監督『白い巨塔』'66で財前五郎はモンブランの万年筆を使っていた、ような。(ような→では弱い→たしかに)
郵便局から田舎の母に仕送りする時、一瞬キャップの頭が見えた。
現金書留封筒(と思う)にモンブラン。このギャップを見せたかったか。
原作は読んでいないので、原作通りかは、?!?
総務省だかが行っている「家計調査」の項目から【万年筆】が消えた時、時代の必然とはいえ、嗚呼!と。
不思議⇒欧米では長いことタイプ全盛であったのに→万年筆メーカーがあまり!?衰退しなかった??→映画でも→愛用の万年筆でどうのはあまり見かけず→手書きはもっぱらサインだけ→ほかにどういう時に万年筆を使うのかしらんと。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

アメリカでは、サインする機会はかなりありますし、重要な契約とか書類には万年筆という使い分けもあるようです。それと個人の「journal」、日記とか備忘録といった感じのものには万年筆という人もいました。

私は、原稿を書くとき、理性より感性に頼るときには万年筆を使っていました。書き直しをしなくて済むようにじっくり考えながらという時もあり、鉛筆で書いたものを清書するときに万年筆を使ったりです。

20代の頃はモンブラン146、プラチナ#3776
ウオーターマン、ペリカン、パーカーなど10本
近く持っていました。使わなくなると愛着も薄れ
欲しい人にあげていたら、手元にゼロになりま
した。今いくらするんだろうと調べたら、えらく
高かったw

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

イヤーッ! すごく気前のいい話で羨ましい限りです。貰った人たちは本当にラッキーでしたね。

...ウォーターマンに我がセンサー反応→さみだれコメント許されて...

『お役所の掟』がヒットの頃→『SPA!』に作者ともどもその万年筆が→ ! →すぐさま色違いを購入。が、しばらくして飽きてしまい、今はシェーファーのみ。('70年代初め『暮しの手帖』に”チープシックの万年筆”とかと→それが出会い→さすがに今はチープでないものを)
小田実の小説『現代史』でヒロインはシェーファーの万年筆を使っている。
きっとオダ・マコもご愛用とサインを頂戴した際たしかめた→ !→何度目かの時→紫がかったblueのインク!→こういう色があったとは→以来この色いちず→turquoise (前はpeacock blue)も気に入ってる。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

インクの色と言えば、梓みちよの『メランコリー』には、「緑のインク」が出てきましたね。これが英語では、turquoiseなのでしょうか。

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