旅行・地域

2017年6月27日 (火)

福島原発被災地フィールドワーク➂ ――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

フィールドワーク最終日の626日(月)は8:30にホテルを出発し、昨日は霧のため十分には見ることのできなかった浪江町から始めて、大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町(福島第一原発近くの線量の高い地域)を視察しました。バスから降りて現地に触れ、また高線量の場所ではバスからの視察も含めて広範囲を訪れることができました。

 

案内役はいわき市議会議員の狩野光昭さんです。昼食(弁当)は、時間の関係でいわき市から郡山市への移動中のバスの中で、その後「まとめ」を行い、13時過ぎに郡山駅で解散しました。

 

浪江町では、避難指定解除後、帰還の準備をする中で必要性が強くアピールされた商店街を役場の敷地内に公設民営の形で作った「浪江町マルシェ」を視察しました。担当の係長さんの説明によると、飲食店は需要があり黒字だがその他の店は苦しい経営状況であること、日曜日にも開店していて欲しいという要望も強いことなどの現状が分りました。

 

             

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開店前のマルシェ

 

また、全部で10店がこのマルシェには開店してくれたけれど、必要な商品全てが揃っている訳ではなく、薬局は町外に出て買い物をするしかないこと、生鮮食料品を扱うスーパーがないこと、そして本格的ホームセンターのないことで、帰還のための条件が必ずしも整っていないことにも言及されました。

 

その後国道6号線を南下して福島第一原発のある双葉町に入り、できだけ原発に近い場所までバスで入る予定だったのですが、6号線から原発に至る道が閉ざされていて残念ながらその場からの写真を撮るだけに終りました。

 

次に、楢葉町の太平洋に近い場所にある天神岬公園から海を臨み、また、除染物質の減容施設と自治体毎にまとめてフレコンバッグの集積を行っている施設を上から俯瞰しました。

 

 

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今日通過した地域の中にはまだ帰還困難区域の指定のあるところもあり、信号機とともに表示されている線量も2.00を超えているなど、昨日とは桁の違う数字を現実として目の前にして、緊張感が走りました。残念ながら高線量を示しているモニターの写真は上手く撮れませんでした。

 

次に、自治労はつかいちユニオンの生永裕行さんが、最終日の案内人、狩野光昭いわき市議による原発作業員についての報告をまとめてくれました。

  

いわき市議会議員の狩野さんからは、原発で働く人々の健康被害や労働条件の酷さについての話がありました。現在、廃炉作業と除染作業にそれぞれ毎日6000人の作業員が従事しています。

 

作業員の中には、ごく一部ですが、賃金未払いや雇用契約に悩む作業員もおり、原発労働者相談センターを20152月に立ち上げ、労働問題の解決に取り組んでおられました。 作業員は全国から福島県に集まっており、福島県だけでなく、全国で労働者教育に取り組む必要があると感じました。

 

ボランティアとして調査活動を行いながら、原発労働者の相談センターを運営していることから得られた貴重なお話を伺うこともできました。

 

また、黒いフレコンバッグが山積みになっている様子を見ると、街が元の姿を取り戻すまでには、相当な時間を要すると思いますが、これからが本当の復興の正念場だと感じました。

 

 

さらに狩野議員からは、原発の建設、運営で膨大な利益を上げてきたゼネコンが、原発事故後も除染や防潮堤の建設、その他の様々な建築工事でさらなる利益を得ている構造についての指摘もありました。

 

今回の3日間にわたるフィールドワークで感じたことの一つは、チームワークの大切さです。一人で経験したのではなく、10人が福島で時間を共にすることで理解や共感が深まり、より豊かな全体像を把握することが可能になりました。

 

その全体像は現地での「体感」「体得」に基づいています。例えば、避難指定が解除されている地域で民家の9割方には誰も住んでいない様子を直接目にすることで、また物を買える店も周りにはない上、子どもたちの姿も見えないことから、帰還の難しさを肌で感じることが可能になったのです。

 

帰還できないのは、放射線量の高さが主な原因ですが、これも線量計の数値を現地で確認しながら問題の深刻さや理不尽さを共有できたと思います。

 

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そしてこれほど大規模かつ長期的、深刻な状況を創り出してしまった責任についての国や東電、原子力ムラの言動は許しがたいこと、またこうした事態がこれからも続くことが明白であるにもかかわらず、「収束化」を図ろうとする国や東電、原子力ムラに対して、私たちが声を上げ続けなくてはならないことを改めて強く感じました。

 

今回、福島で私たちのフィールドワークのために貴重な時間を割いて下さった多くの皆様に心から感謝しつつ、新たな決意を固めたことを再度、強調します。

 

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2017年6月26日 (月)

福島原発被災地フィールドワーク② ――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

フィールドワーク2日目の625()は、朝 8:30 にホテルを出発して飯館村役場へ。

 

研修IIは、飯館村の視察でした。視察させて頂いたのは、331日に居住制限区域解除された地域、そして除染物質集積作業です。案内役は前福島地方平和フォーラム事務局次長の菅野幸一さんでした。

 

飯館村では、今年の331日に、帰還困難区域である長泥地区を除いて「避難指示解除準備区域・居住制限区域」の避難指定が解除されました。今日の視察では、その一番南の端にある「減容化施設」の前――それは帰還困難地域としての指定が続いている浪江町との境界近くなのですが――まで、飯館村内の状況をつぶさに見ることができました。

 

                 

Photo

           

 

減容施設からの帰り道は「飯館発電」という名前で、村民の皆さんが中心になって進めているソーラー発電事業の現場を体感することができました。

 

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視察後の参加メンバーの報告と感想です。最初に私鉄広電支部の木村浩隆さんの寄稿です。

 

バスで飯館村南側半分を視察しました。ここは村の中でも線量の高い地域です。村全体の避難状況は人口約6000人、1800所帯で、被災当時と大きな変化はありません。日曜日のため除染作業は行われていませんでしたが、住民不安に対応するために設置されていた線量計が目立ちました。

 

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目盛りは0.619マイクロシーベルト/時です

 

これも大切なのですが、国が昨年8月に、「ネットで確認できる」という理由で線量データの定期的公開を止めてしまったため、地域ごとの比較や総蓄積量の把握等、困難・不便になったことも多くあります。

農作物についても線量の測定は行われていますが、特筆すべきなのは、コウダケ等のきのこ類の数値です。特に高いことが問題なのですが、高齢者の中には「仮に害が出ても、もう残り少ない人生だから」と言って食べる人も多いとのことでした。

大きな問題の一つは、医療です。市の診療所は、市外から医師が「往診」という形で週二回、午前中だけ来てくれて存続されている状況です。また、役場横にある老人ホームは、震災後避難はさせませんでした。移動に伴う身体的負担が大きいので、そのリスクを避けるためでした。さらに役場の裏には全国初の市営の本屋が作られていました。

減容施設のある蕨平地区は、村内で最も線量の高いところで、今は立ち入り禁止区域になっていますが、ここで減容化された放射線汚染物の再利用についても検討されています。

除染そのものは、昨年12月で一応完了されたことになっており、現在はスポット的に線量の高い場所についてのフォローアップ除染が行われています。また、除染された土やゴミを入れるフレコンバッグは数年しか持たず、今後、除染されたものをどう処理するのかという大問題には答が出ていません。

 

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現地に来て、テレビで視たときとは違う現実を目の当たりにして、問題の大きさを改めて実感しました。広島に持ち帰り、一人でも多くの人に認識を高めて貰い、私たちでできることをもっと広範に共有し頑張りたいと思いました。

 

同じく広電支部の松本知孝さんの追加のコメントです。

 

飯館村に入った時、震災前はのどかで平和な暮しがあったのだなと感じました。そして震災から6年経った今も、「復興」は見た目には感じられませんでした。それは、村内の至る所に除染物の仮置き場があることとも深く関わっています。

阪神淡路大震災の際は、6年経過した時点である程度の復興が見て取れました。しかし福島では原発事故故の大きな負担があり、被災地の復興を妨げています。

「原発さえなければ」という思いで、脱原発そして核なき世界を実現すべく訴え行動して行きたいと思います。

 

午後は13:00から、浪江町の331日に居住制限区域から解除された地域そして津波被害の視察、その後南相馬市の201721日に居住制限区域から解除された地域、ならびに津波被害を視察しました。案内役は相馬地方平和フォーラム代表の寺田亮さんです。

 

広島県原水禁常任理事、広教祖の石岡修さんは午後の視察を次のようにまとめてくれました。

 

浪江町請戸漁港を見下ろす震災慰霊碑に花を手向けながら、瞬時に日常を飲み込んだ深い悲しみに思いを寄せていました。

 

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そして午後に視察した二つの地域、困難を抱えながらも復興に向けて進み始めたかに見える南相馬と、見通しが立たないまま避難指示だけが解除された浪江町の現実を目の当たりにしました。

誰もが故郷に帰りたいと思うだろう。しかし、帰還率1.5%の浪江には、帰ることをためらわせる現実が横たわっていました。

6年の月日を経た我が家に愕然とし、動物に奪われた家を取り戻すためには解体を決意せざるを得ないのですが、その決断をためらう人の多いことも理解できます。子どもの声が聞こえない場所に未来を描けない、あるいは人が住まない土地で仕事が再開できるのか等、不安の種には事欠きません。その不安を何より増大させているのが、廃炉への見通しが全く立たない原発の存在そのものです。

「避難解除が復興の証」などと決して言わせてはなりません。そのためには多くの人が原発事故の引き起こした現実を確認し、証言することが不可欠です。そのことを何より強く感じた一日でした。

 

広島県原水禁常任理事・前事務局長の藤本講治さんによる追加のコメントです。

 

  浪江町と南相馬市は、大震災と大津波によって起こされた原発事故が元で放射線への不安が続き、未だに日常の暮しが取り戻せない地域です。

 

 

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津波で破壊され今でも取り残されている家

 

 27カ月ぶりに訪れた被災地は行政や地域住民の復興に向けた並々ならぬ営みの中で復興への道筋が出来上がりつつありました。

  しかし、除染物質集積の仮置き場が至る所にあるという現実にも心が痛みましたし、津波に流された街なみ、荒れ果てた田畑、子どものいない学校(廃校)など、原発震災の傷跡を目の当たりにして原発事故が終っていないことを痛切に感じました。

  「浪江町東日本大震災慰霊碑」に参加者一同献花をし、震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りするのと同時に、被災地の早期復旧・復興を願いました。「原発事故さえなかったら」という被災者の叫びを心に刻み、脱原発の取り組みを強めて行こうと決意を新たにした一日でした。

 

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2017年6月25日 (日)

福島原発被災地フィールドワーク① ――浪江町の状況を伺いました――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町の状況を伺いました――

 

広島県原水禁では、2017624日(土)から26 (月)までの三日間、福島の原発被災地を訪ね、多くの皆さんのお話を伺いながら、被災地の現状を確認した上で、私たちに何ができるのかを再確認しさらなる行動に発展させたいという思いを元に、フィールドワークを実施します。

 

開催の趣旨を簡単にまとめておくと次のようになります。

 

福島第一原発事故から6年。命を、くらしを、絆を、故郷を、奪われた人は数えきれません。今もなお8万人を超える被災者が苦しい避難生活を強いられ、帰還の問題、生活の再建や復興、風評被害、子どもを中心とする健康被害、除染廃棄物の処理問題など課題が山積する中で悩み苦しんでいます。

にもかかわらず、政府は福島への帰還政策を強引に進めています。さらに、各地の原発再稼働を強行しています。私たちは、原発政策に前のめりする政策に抗い続け、福島原発事故を風化させず、フクシマに連帯する取り組みを継続して行っています。

201411月には、福島県平和フォーラムの協力のもと飯館村内、浪江・南相馬沿岸、帰還困難区域境周辺を視察し被災地の現状を学んできました。今回、二度目になりますが、被災地を訪れ、被害の実態や復興状況などを視察して、改めて原発事故とは何だったのかを考え、今後の脱原発.原水禁運動に活かしていきます。

 

今回のフィールドワークの参加者は10名、一日目の24日午後3時にJR福島駅近くのコラッセふくしまの会議室に現地集合しました。

 

最初に、受入れて下さる側の福島県平和フォーラム事務局次長 湯野川 守さんによるオリエンテーションがあり、その後、浪江町長の馬場有さんと、浪江町の紺野則夫町議会議員から、「原発事故から6年――フクシマの現状と課題」をテーマに、浪江町を中心にこれまでの取り組み、課題、そして今後の展望や広島との連携の可能性等についてお話を伺いました。

 

馬場町長のお話のポイントは、被災した事実の「風化」と無責任な「風評」による被害、そして避難している町民の生活の再建と同時に、これから町を存続させて行けるのかどうかということでした。パワーポイントを駆使した講演でしたが、風化と風評被害を語り未来の世代への責任を果すべく決意を表明する馬場町長に人間としての「風格」を感じ、静かな闘志を垣間見たのは私だけではなかったはずです。詳細を載せるには時間が足りません。またの機会に是非御紹介したいと思います。

 

               

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馬場町長(左の人)

 

また紺野議員が強調されたのは、国や福島県の無責任さ、その結果として「二次災害」が起り多くの犠牲者が出たという点でした。例えば原発事故の直後に、浪江町周辺の放射線量のデータを国は持っていたのもかかわらず、それを被災地には伝えなかった。その結果、原発から遠い地点という理由で北西方向に避難した数千人の浪江町民が被曝したことです。

 

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紺野議員(左の人)

 

被災者の健康を優先する制度ができる日を思い描きながら、そのための基礎になるデータを書き込む「健康手帳」を広島・長崎の先例を見習って作ったこと、そして、やはり子どもたちの未来が一番心配で、被災者の医療費を無料にする恒久的な制度を作ることを最優先したい、そのためには、以前、一緒に案を練ったけれど実現できなかった、国際的な支援体制の構築にも取り組みたい、と強い決意を語ってくれました。

 

 

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健康手帳

 

その後、場所を移って、紺野議員や福島の受け入れ団体の責任者を交えての夕食交流会が開かれました。浪江町を訪問しお二人にお会いしたのは20133月でしたが、久闊を叙しさらなる協力体制について建設的な意見交換ができ、大変有意義だったと思います。

 

参加者の皆さんに取っても感慨深い一日目になったようです。参加者の一人、自治労広島県本部の鈴木孝文さんは短時間の内に次のような感想をまとめてくれました。

浪江町馬場町長からは、63カ月が経過し風化と風評被害があること、また避難の状況や国の対応の遅れにより、線量の高い地域に避難してしまったことが強調されました。それは、浪江町が原発から北西の方向に細長い形の町であること、そして放射線がその方向に放出されたためでした。その結果全町域が帰還困難になりました。

しかし、2017331日に、一部の地域でその指定が解除され、苦渋の選択の結果、町長として解除を承認した理由についても語ってくれました。

その一つは、帰りたいという人は少ない、それは若い世代の人たちの間では、避難先に定住を決めた人が多いからなのですが、「自分の家で最期を迎えたい」という高齢者も多く、その人たちの思いを尊重したことと、「最低限の形でも良い、次の世代に町を残したい」という意見に耳を傾けたためでした。

曾孫の世代が「町が残ってくれていて良かった」と思うような町作りをしたいと、町長としての力強い決意も示してくれました。

原発は町の全てを奪うと改めて感じ、原発はいらないことを再確認できた一時でした。

 

また、自治労はつかいちユニオンの瀬戸将央さんは紺野議員のプレゼンテーションについて次のような感想を寄せてくれました。

報道では決して語られることのない、2011311日、東日本大震災発生時の現場の生々しい話でした。

私が率直に感じたのは、国、東電の無責任さです。事実として、地震、津波ではなく、原発事故で、60人から70人の人が施設から避難先に向かうマイクロバスの中で亡くなっていること、子どもたちへの影響の可能性も出ていること、現在も放射線の影響の管理をしなければならないことなど、本来であれば最優先されるべき問題が後回しどころか、放置されていることなどが具体的事例です。

私たち、事実を知るに至った人間が情報発信をすることで、フクシマのミライに向けて、国際社会への訴えの第一歩を踏み出すことも含めて、進んで行きたいと思います。

 

第二日目は、現地での視察が中心になります。第一日目の今日は、現地での見聞をしっかり受け止めるための枠組みが私たちの中にできましたので、明日は現地でこの枠組みを元に多くの情報を整理しつつ、さらなる活動につなげられればと思います。

 

 

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2017年6月23日 (金)

ビールが好きな訳 ――一番民主的なお酒だから――

 

ビールが好きな訳

――一番民主的なお酒だから――

 

ビールが好きなことは何度か書いてきましたが、「何故」なのかについては触れてきませんでした。食べ物や飲み物の「好み」は主観そのものと言って良いでしょうから敢えて説明する必要もありませんし、説明しても自分とは違う感覚の持ち主にはあまり説得力がないと考えられるからです。

 

でも、「理屈っぽい」性格のせいかもしれませんが、「好み」つまり「味」以外に、他のお酒と比べてビールが好きな理由はあるのです。それは学生時代に先輩から教わった「知らない土地でお酒を飲むときには何を注文すべきか」から自然に導かれた結論でした。

 

「知らない土地」、特に外国でバーに入ったとして、外国人だということでぼられる危険性が高いという認識が共有されていた時代です。また、免税品店で高級ウイスキーを買って帰れば、日本国内の何分の一かで済むような時代でもありました。気軽に行けて安心な値段の外国のバーについての情報も、手に入れるのは不可能に近い時代でもありました。そんな環境で自分を守るための手段の一つが、何を注文するのかというノウハウでした。

 

答は「ビール」です。世界中どこにでもあり、仮にぼられたとしても、そもそもの値段は高が知れていますので、被害は少なくて済むということなのです。

 

他のお酒では、こんな具合に行かないことはお分り頂けると思いますが、それを別の言葉で表すと、「ビールが一番民主的なお酒」だからです。

 

ワインが好い例ですが、安い日常的なワインはありますが、ちょっと洒落た店で出てくるものの中には、一本何十万円もするものまであります。値段という面だけから考えても「ピンからキリまで」の幅が大きいお酒です。日本酒も同じです。対照的に、一本あるいは一缶何万円もするビールはありません。最近発泡酒等も出ていますので、安い方には動いているのかもしれませんが、それも含めて、庶民が普通に飲めるお酒の典型です。比較的好き嫌いが少ないお酒であることも、何人かが集まった席では「取り敢えずビール」が無難な選択だという事実が示しています。

 

ビールの中では何が好きなのかはまた別の話ですが、その歴史の一部はこれまでに御披露してきましたので、今回は写真を再掲しておきます。

 

                             

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かつてハマっていた「アサヒ・スーパー・ドライ」の30周年特別醸造

値段は普通の「アサヒ・スーパー・ドライ」と同じです

 

 

 

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最近の好みはエビスです

 

ビールを一杯飲む度に、民主主義や立憲主義の破壊に対抗する意思をさらに固くしています。

 

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2017年6月14日 (水)

梅雨入り

                   梅雨入り

 

梅雨がきた。11日はブルーベリーの手入れが目的で東広島市豊栄町のブルーベリー農園に昼頃ついたが、ここは小雨が降り続いて農作業にはならなかった。農園は静かでウグイスが鳴き、キジが遠くで「ケーン」と時おり鳴く声が聞こえる。雨音は小雨なので聞こえない。

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雨に煙る農園。ブルーベリーの枝が伸び、こんもりとした姿になってきた。

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                        ドクダミ草。

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12月に植えたバラ「ミミエデン」。まだ木も小さいので花も小さい。隣のハギの枝が伸びてきた。

農作業はあきらめて早めに帰路につく。着いてみると安芸区は薄日のさす、いい天気。

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家に帰り日暮れまでには時間があるので家の裏の水路を覗いてみた。この水路は昔はどぶといってもいい水路だが最近は下水道が整備され、生活用水が入り込まないので水は思った以上に澄んでいる。

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よく見るとコウヤトンボのメスが産卵をしている。水面にしっぽをはねるようにつけるとその勢いで水が弧を描いて飛ぶのが見える。毎年毎年この水路に卵を産んで、毎年新しいコウヤトンボが生まれてくる。幼いころからずーっと見てきた梅雨の晴れ間の光景。今も出会えるのがうれしい。

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水路の側の庭のガクアジサイ。こちらはコウヤトンボより歴史がうんと浅い。

2017611日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年5月27日 (土)

鬼太郎電車に乗りました

鬼太郎電車に乗りました

 

先日「憲法を守る境港市民の会」主催の講演会に講師を依頼され、鳥取県境港市を訪れました。講演会では、「安倍政権と共謀罪法案」というテーマで、1時間余り問題提起をさせていただきました。

 

これから書くことは、講演会のことではありません。境港に行くために利用した列車の話です。広島から鳥取県米子までは3時間20分バスでの移動。そして米子から境港までは、バスもありますが、一度は乗ってみたいと思っていたJRを利用しました。

 

ご承知の方も多いと思いますが、JR境線には、境港市出身の妖怪漫画家水木しげるさんの妖怪でラッピングされた列車が走っています。

 

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米子駅の0番ホームに入ってきた列車は、ピンクの車体の「ねこ娘列車」とグリーンの「目玉おやじ列車」の2両編成。それぞれのキャラクターが車体全体に描かれています。いよいよ乗車。またまたびっくり。座席ばかりか天井にまで、妖怪が描かれています。私の乗った車両の座席は、目玉・目玉の「目だまおやじ列車」。

 

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列車は、定刻通り15時28分米子駅を出発。車内案内の声が聞こえています。「これから境港までの案内は、私たち鬼太郎とねこ娘が行います。」声の主は、それぞれの声優が務めています。案内の続きです。「次は博労町・コロポックル駅です」。「コロポックル駅って?」

 

そうなんです。境線は、米子駅と境港駅を含め16の駅がありますが、時刻表に乗っている駅名とは別に、それぞれの駅に妖怪名の愛称がついているのです。博労駅は、愛称コロポックル駅ということなのです。ちなみに米子駅は、「ねずみ男駅」。境港駅は、「鬼太郎駅」です。

 

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駅には、時刻表で示された駅名表示板以外に、水木しげるさんの絵と説明が付けられた「妖怪駅名板」が、設置されています。次の駅が楽しみです。

 

境線の中ほどにある弓ヶ浜駅で列車のすれ違いがあります。停車中に急いで下車し、違う車両が並んだ姿をパチリ。実は、この日すれ違った車両は、「山陰ジオパーク号」でしたので、写真は翌日の帰りの時に撮ったものです。この時は、幸いにして上下線とも鬼太郎列車シリーズでしたので。

 

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砂地で形成された弓ヶ浜半島を走る境線の沿線には、水田ではなく畑の風景が続きます。

 

かつては、葉タバコ栽培や綿栽培が中心でしたが、最近では鍋にはなくてはならない「白ネギ」栽培が、中心のようです。成長とともに土を盛り上げる作業の続く「白ネギ栽培」には、この砂地が適しているようです。今の時期の「白ネギ」は、最盛期の秋から冬のものよりも少し細めのようですが、地元ではやはりなくてはならない作物のようで、一年中栽培されています。

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列車は、定刻の16時24分終着の境港・鬼太郎駅に無事到着。駅舎はもちろん、駅前広場からミズキロードへと妖怪が次々と登場します。もちろん、鬼太郎もいます。ねずみ男も。目玉おやじも。

 

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駅前広場の横には、こんな看板も。今年7月には、ここ境港で「世界妖怪会議」が開催されるそうです。どんな会議になるのやら。

 

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広島から山陰への旅の交通手段は、多くの人が車だと思いますが、JR境線の旅もなかなか楽しいものです。ぜひ一度試してみてください。

 

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私は、翌日再び、境線を利用しJRで松江まで移動。松江では、千茶荘で新茶の「煎茶」を購入し、すぐそばの「風月堂」で、あらかじめ電話予約していた羊羹と最中を受け取り、最後に、郷里松江に帰ったときの定番「中国山地蕎麦工房ふなつ」の割りごそばを食べ、広電バスで帰途につきました。

 

 

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2017年5月24日 (水)

内子座と内子蝋燭 ――愛媛県の内子町に行ってきました――

 

内子座と内子蝋燭

――愛媛県の内子町に行ってきました――

 

内子座とは、蝋燭や生糸の生産でよく知られている愛媛県の内子町に、1916年に建てられた芝居小屋です。一時取り壊されたりもした運命を辿り、1983年に復元されて今でも芝居小屋として高い評価を受けています。

 

午後からは町内の合同芸能発表会が開かれるため、内部の見学にはあまり時間がありませんでした。見るのに夢中で写真もうまく撮れませんでしたが、まずは正面です。

 

                 

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中に入ると、舞台の準備はもう整っているようです。

 

 

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二階から一階席を見ると、傾斜がついていて前の列より後ろの席の方が高くなっていることが良く分ります。

 

 

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そして二枚の写真からお分り頂けると思いますが、床も手すりも柱もピカピカに磨かれています。それでいて通路を歩いても全く滑らないのですから、日常的な手入れの完璧さが窺い知れます。

 

正面に戻ると、この日の出し物の一つ剣舞の準備をしている立川吟詠剣詩舞道の久保常義さんの佇まいに思わず足を止めました。一枚写真を撮らせて頂き、ブログへの実名掲載のOKも頂けました。でも、剣舞を鑑賞できなかったのはとても残念でした。

 

 

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もう一つ、和蝋燭を買う目的もありました。伝統的な和蝋燭の良さについては皆さん私以上に御存知だと思いますが、原料は漆科のハゼです。和蝋燭の特徴として典型的なものは、・炎が大きく明るい・煤が少なく風に強い・無風の場所での使用では蝋が垂れない、だと言われます。

 

大森和蝋燭店では、職人さんが和蝋燭を手作りする様子を見学できるのですが、これは次回のお楽しみに。

 

 

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とてもきれいな蝋燭です。実際に灯をともしてみると、和蝋燭の良さはすぐ実感できました。炎の動きが、風で左右に揺れるのではなく、芯を蝋が伝わりながら燃えるからなのでしょうか、上下に変化するのも風情があります。

 

 

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この写真では蝋が垂れていますが、それは位置を決めるために左右に動かしたせいです

 

内子の歴史的な街並みも有名なのですが、町役場のあるメイン・ストリートも落ち着いた雰囲気でまた来てみたい気持になりました。その理由の一つは、通りに沿って電信柱はあるのですが、電線の高さが普通より高く、視界を遮らないことを挙げておきたいと思います。写真のないのが残念なのですが、電線の地中化の前段階としては良い選択肢なのかもしれません。

 

 

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2017年5月23日 (火)

「絶景」(同じお題で書きましょう) ――修道大学からの帰り道に「多島美」の意味が分りました――

 

「絶景」(同じお題で書きましょう)

――修道大学からの帰り道に「多島美」の意味が分りました――

 

「絶景」と言えばこれしかないのが次の画像です。

 

                 

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「何故、こんな景色が?」と疑問を持たれて当然なのですが、実は、31年前、つまり1986年の夏、修道大学から市内へ車で帰る道、右へ曲がりすぐ左にハンドルを切った瞬間に瀬戸内海の島々目の前に現れるのです。これが「多島美」なのだと直感し大感激したのがこの地点なのです。

 

その後、マンションが建ったため、美しい瀬戸内海はこの地点からは望めなくなりました。

 

隠されてしまった美しさを再現してお伝えできればと、近くの高台まで行って同じような景色の写真を撮ってみました。

 

 

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もう少し大気の状態が違っていればもっときれいに見えるはずですし、県道71号線が下り坂に差し掛かる地点から見る島々の重なりは、この写真とはちょっと角度が違います。さらに動いている車から見るのですから、映像がぐんぐん近付いてくる迫力も加わって記憶に残ったのだと思います。

 

それだけではありません。関東で育った人間の多くにとっては平野部の景色が当り前で、大小の島々か折り重なって変化する景色そのものがとても珍しく、その美しさを想像することさえ難しいのです。

 

海から見た島、そして山の美しさとして忘れられないのは、子どものころ千葉の海で泳いでいるときに数回見るとこのできた富士山ですし伊豆大島です。普段、夏の東京湾から直接富士山が見えるのはまれなのですが、空気がきれいに澄んでいるときに見える富士山は陸から見るときよりはるかに大きく見えるのです。

 

伊豆大島はそれ以上の迫力がありました。これも数回しか見たことがないのですが、見えた時には、目の前に数百メートルの巨大な山が突然現れたような衝撃を受けました。

 

対照的に瀬戸内の島々は、特に修道からの帰りの景色は、島が自分と同じレベルまたは下に見えるのです。富士山や伊豆大島とは全く違う、関東では見ることのなかった種類の美しさなのです。

 

こう書きながらその他にも、これまでに経験することのできた多くの美しい風景が頭に浮んできました。写真として記録に残せたものもありますが、そうでないものも多く、今回の「お題」がなければその内に忘却の彼方に消え去ってしまったかもしれない美しさを記憶を辿りながら楽しんでいます。一つ思い出すともう一つ、という具合にいくつもの「絶景」が蘇り、そもそもそんな経験のできたことに感謝する機会にもなりました。⑦パパさん、有難う御座います。

 

 

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コメント

参加いただきありがとうございます。

瀬戸内生まれの瀬戸内育ちの私は
今の今まで「多島美」は当たり前の風景でした。
もっと足元の美を感じる感性を持たなければだめですね。反省です。

逆に、初めて見た延々島のない太平洋の景色には、恐怖を感じまし
た。こりゃ船が沈んだ時、どの島を目標に泳げばいいのか?とw

学生時代に毎日のように見ていた瀬戸の風景は、癒されました。
向島の高見山から見た瀬戸の多島美も絶景です。
また野呂山から眼下に見る瀬戸の風景は、時には潮の流れが見えます。
海外の高いから来る外国の方には、瀬戸の多島美や、江の川沿いの風景は、絶好の観光資源だと思います。
そういえば、昔に友人の友達親子が東京から広島に来た時に車で案内している時に、小学生の子か
「山が近くにある」と感動していたのを思い出しました。

「➆パパ」様

コメント有り難う御座いました。広島に10年住んで東京に戻った友人と、この話をしたのですが、「東京では周りに山が見えなくて、寂しい気持がした」と言っていました。

私も氷川丸で太平洋を渡った時には、最初の数日の船酔いと、船まで飲み込みそうな大波に、心細い思いをしました。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

記念切手を集めていた頃、「瀬戸内海国立公園」と言われても、瀬戸内の美しさは想像できなかったのですが、修道からの帰り道に、それが実感として分るようになりました。

家人は、関東まで初めて行ったときにデパートの屋上から見た、真っ平らな関東平野に驚いたと言っています。

子どもの頃に慣れ親しんだ景観が、人間の世界観形成にも影響を与えているのかもしれませんね。

2017年5月 2日 (火)

親切な御近所さん ――ワラビとタケノコを頂きました――

 

親切な御近所さん

――ワラビとタケノコを頂きました――

 

天気の良い日のウォーキングは「気分爽快」そのものです。同じように考える人も多いようで、そこここで「同志」に出会います。畑や田圃で仕事をしている人の中にも手を休めて挨拶をしてくれる人もいます。この地域の人たちの特徴は、勤勉かつフレンドリーという印象です。

 

昨日は、藪の向こうで赤のジャンパーを着た「同志」の一人、ウォーキングの道すがらたまに立ち止まって話をするSさんが作業をしていました。手に何かを持っているのですが、どうもワラビのようです。「沢山採れたから持って行きな」と一束頂くことになりました。

 

問わず語りに、ゴールデン・ウイークの間、息子さんが九州から帰省して野良仕事を手伝ってくれていること、息子さんは二人でお孫さんが三人いること、37年前に職場で一番のハンサムさんと結婚したこと、これまで働いてきた職場では上司に恵まれ、今でもその中の何か所かには花を持って激励に行っていることなどを伺い、ワラビだけでなく「幸せ」の御裾分けを頂きました。

 

           

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ウォーキングのルートでは美しい竹も見掛けます。

 

 

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そのオウナーから、タケノコも頂きました。「タケノコは大好きですので頂きます」と素直に受け取りましたが、袋一杯のタケノコを見て涎を垂らしてしまっていたのかもしれません。

 

 

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そのタケノコです

 

 

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Sさんから貰ったワラビ

 

タケノコもワラビも灰汁抜きをしないと食べられません。灰汁抜きの定番は米糠か米の磨ぎ汁、重曹といったところなのですが、今回は新たな試みをしました。ネットで調べると大根の下し汁を使って約一時間でできるレシピ―がありました。そしてこれまた大好物のメンマ風の調理方法も見付けました。早速挑戦です。

 

ワラビの灰汁抜きは、小麦粉を使ってのレシピ―を見付け、ナムルにするのが簡単なようでしたので、こちらはナムルに。

 

しかし、Z級のグルメでしかも料理と来たらからっきし駄目な人間ですので、梃子摺っていました。そこに真打の登場です。見事にメンマもナムルも作ってくれました。

 

料理は駄目でもワインは開けられます。飲むのも得意です。その結果がこちらです。

 

 

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良い天気に恵まれ、親切な御近所さんと料理上手の家人のお蔭で、心も体も「日本晴れ」の一日になりました。

 

 

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コメント

ゼンマイではなく、わらびです。

「さっちさん」様

コメント有り難う御座いました。「ゼンマイ」ではなく「ワラビ」だということ御指摘頂き感謝しています。

本文の方は訂正させて頂きました。

渓流釣り タラの芽

    渓流釣り タラの芽

 

今年もまた、Tさんにお願いし、渓流釣りに同行しました。釣り場は昨年と同じ太田川の源流の一つ中津谷川の支流・小川川(廿日市市吉和)です。

 

昨年もちょうど同じ時期でしたが、山並みの木々はもっと若葉が芽吹いていたように思いますが、今年はちょっと遅れているようでした。それもそのはず、渓流釣りの河畔沿いの道には、所々に雪が残っていました。

 

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現地に着くとまず最初に私の目的である山菜取りです。トゲトゲのある枝の先に芽を出した「タラの芽」。皮手袋をはめて慎重に。いくつかの枝の先は、すでに採った跡。それでも、今日の夕食には十分な量を採取。

Photo_6

下のほうに目を転ずれば、こごみを次々と見つけることができました。これも採取。でも昨年目にした蕨は全く芽を出していません。やっぱり今年は、冬が長かったようです。もちろんこれらの山菜は、その日の夕食でてんぷらにして味わいました。自分で採取した天然ものだけに、格別美味しい気がします。

 

Photo_7

いよいよTさんの渓流釣りの開始です。この渓流は、「キャッチアンドリリース」のフライ専用の川です。川は、10か所に区切られて、それぞれの場所で釣りができるのは、1日一人だけのようです。下流のほうではすでに、2~3人の釣り師が、竿を振っていました。

この川の常連であるTさんは、最上流の区画です。

下流から、少しづつポイントを狙って、フライを投げ込み、アタリを待ちます。一か所のポイントに2,3回トライすると、次へポイントを求めて上流に移動。

何度目かのポイントで、ようやく釣り上げました。「アマゴ」です。約22cmぐらい。

Photo_8

 

昼食をはさんで、約2時間半余り。上流に行くとかかる魚は、「アマゴからゴギ」へと変わっていきます。結局今日の釣果は、12匹。「キャッチアンドリリース」の川ですから、もちろんすべての魚はすぐ川に戻します。今日最も大きかったのは、25cmの「ゴギ」。中国地方にだけ生息する「ゴギ」ですが、近年なかなか見つからにないと言われています。しかし、この渓流では、不思議なくらい次々とヒットしました。

 

Photo_12
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釣りを終えての帰り道、車を止めってもらって自生しているわさびを採取。帰宅して、パソコンでレシピを検索しながら、「わさび葉のしょうゆ漬け」に挑戦しましたが、さてその結果は?

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今年もまた、Tさんのおかげで、天気にも恵まれ、きれいな空気をたっぷりと吸い込み、楽しい一日を過ごすことができました。

 

 

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