旅行・地域

2018年8月25日 (土)

北海道の自然 ――洞爺湖と昭和新山――


北海道の自然

――洞爺湖と昭和新山――

 

北海道を訪ねて、改めて自然の素晴らしさに言及するのは、余りにも定番過ぎて顰蹙を買うことになる物の言い方です。でも、西日本の豪雨災害があり、台風19号と20号による被害も大きかった季節には、自然の「脅威」に注目するのは当然ですので、その脅威も含めての自然という存在全体を考えることに意味があるかもしれません。

 

一日に何度も見る機会のあった洞爺湖と中の島、中島です。機構が変り易いときだと、数文で姿が全く違って見えてきます。先ずは雲に巻かれている洞爺湖です。

 

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夕方が近付いてくるとこんな具合に見えました。

 

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陽の当る洞爺湖ですが、私はこんな感じが好きになりました。

 

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そしてちょっと幻想的な洞爺湖にも魅力を感じました。

 

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洞爺湖だけでも「百聞は一見に如かず」の恒例なのですが、昭和新山でもその感を強くしました。

 

ウイキペディアによると、「1943年(昭和18年)12月から1945年(昭和20年)9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドーム」だとのことですが、戦時中だったため、この活動は伏せられ、それを自費で記録した当時の郵便局長三松正夫氏の業績が高く評価されています。また、昭和新山の地域で農業や酪農を営んでいた人々の生活の糧が失われたため、三松氏はこの土地を買い取ることで支援活動も行ったとのことです。この火山が私有財産である事実は知っていましたが、ほんの少しではありますが歴史を学んだことで、自然と人間との関りに新たな目を見開くことにもなりました。

 

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[2018/8/24 イライザ]

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2018年8月24日 (金)

小樽のにしん御殿 ――石狩挽歌の歌碑もありました――


小樽のにしん御殿

――石狩挽歌の歌碑もありました――

 

 

小樽で行って良かったと思ったのは、「にしん御殿」でした。小樽市街から15分も掛からない海辺の高台にある豪邸です。

 

その豪邸は、にしん大尽だった青山家の別邸でしたが、その後公に公開され、「貴賓館」という施設も併設されて、現在では小樽市の観光スポットとして多くの人に愛されています。まずは表門です。

 

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門を入るとすぐ左に「石狩挽歌記念碑」があります。歌碑の下には歌詞が刻まれていますが、その中で「オタモイ岬のニシン御殿も 今じゃさびれて オンボロロ」が耳に焼き付いています。

 

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歌碑の除幕式には、作詞のなかにし礼さん、作曲の浜圭介さん、そして歌手の北原ミレイさんが駆け付けてとても盛り上がった様子が覗われます。

 

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「にしん御殿」そのものの中に入るためには、まず貴賓館に入ります。入ってすぐ気付いたのは、大広間を圧する天井画です。一人の画家ではなく、多くの市民も参加して一枚ずつ描いた成果のようです。

 

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にしん御殿そのものの歴史も感動的でした。貴賓館のホームページでは次のように説明しています。

 

青山家は明治・大正を通じ、鰊漁で巨万の富を築き上げました。その三代目、政恵が十七歳の時、山形県酒田市にある本間邸に魅せられ大正六年から六年半余りの歳月をかけ建てた別荘が旧青山別邸です。
 旧青山別邸は平成22年、国より登録有形文化財に指定されました。
1500坪の敷地内に木造2階建てで建坪は190坪。家屋の中は6畳~15畳の部屋が18室、それぞれに趣が異なり、金に糸目をつけず建てられた豪邸です

 

御殿の中は撮影禁止ですので、雰囲気を知って頂くため、貴賓館のホームページから、画像をお借りしました。

 

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私が鰊を初めて認識したのは、戦後の配給で「身欠き鰊」と呼ばれる魚が届いて、食糧難の頃、大変貴重な動物性たんぱく質の供給源になった時です。ですから、私にとって鰊は食べ物なのですが、年間一万石、トン数では7500トンにも上った鰊のかなりの部分は、大きな鍋で煮上げて、「鰊粕」に仕上げられ、肥料として全国的に使われていたようです。

 

この豪邸の総工費は現在の価格では35億円にも上ると言われ、江戸時代以降の様々な美術品も見事でした。

 

あまりにも多くの美術品があるからかもしれませんが、中には陽に曝されているものもあり、ちょっと心配もしましたが、御殿の裏のアジサイの見事さに心が奪われた状態でにしん御殿を後にしました。

 

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[2018/8/22 イライザ]

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2018年8月23日 (木)

札幌から洞爺湖へ ――何とかお天気にも恵まれています――


札幌から洞爺湖へ

――何とかお天気にも恵まれています――

 

 

昨日見られなかった札幌を楽しんで、その後洞爺湖への移動をした一日になりました。

 

最初は大通公園でとうきびワゴンから、焼きとうきびとジャガイモのセットを食べてからという積りだったのですが、「雨が降りそうなので今日はお休み」という知らせが観光インフォメーション・センターにあったそうで諦めました。近くのラーメン屋さんでまた札幌ラーメンで腹ごしらえをして、大通公園の端にあるテレビ塔に。

 

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下から見たテレビ塔

 

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すっかり天気が良くなった大通公園をテレビ塔から

 

札幌と言えばクラーク博士なのですが、博士の像がある羊ケ丘展望台に行きました。像の隣で写真を撮るのには長い列に並ばなくてはなりませんので、ちょっと角度を変えてのショットです。

 

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浜口庫之助作詞作曲、石原裕次郎歌の「恋の町札幌」の歌碑もありました。裕次郎さんと私の間にクラーク博士の像が見えます。

 

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札幌の都市部とは全く違う展望台からは、札幌ドームと遠くに市街地を望むことが可能です。

 

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札幌を離れて、途中の室蘭に近い海岸です。まだシーズンのはずなのですが、人影はほとんど見えませんでした。

 

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そしていよいよ洞爺湖です。ちょっとガスっていますが、明日は綺麗に晴れそうですので、中島もきれいに見えるはずです。楽しみにしています。

 

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[2018/8/22 イライザ]

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2018年8月22日 (水)

サッポロビール博物館 ――北海道で飲むビールは格別です――


サッポロビール博物館

――北海道で飲むビールは格別です――

 

小樽では、にしん御殿をゆっくり見た後、札幌に移動しました。にしん御殿についてはまた稿を改めて報告したいと思っています。そして、夕方にはサッポロビール博物館でした。

 

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改めて日本のビールの歴史を辿りたいと思って、50分掛かるプレミアム・ツアーに参加しましたが、初めて知ることばかりで、とても勉強になりました。その内のいくつかを報告しておきたいと思います。

 

日本で初めてビールの醸造を行ったのは、当時の政府の機関だった開拓使麦酒醸造所なのですが、その責任者が中川清兵衛です。彼は幕府の禁を犯して1865年にイギリスに渡り、その後、ドイツに移ってビール醸造の技術を学びます。1875年に帰国した後、開拓使麦酒醸造所で学んだ技術を駆使し、1876年に日本で初めてのビール醸造に成功したのです。

 

ビール発祥の地がサッポロだということで、サッポロビールの存在が重みを持って伝わってきました。その後、サッポロビールは東京にも工場を造り、シェアが日本一になりますが、工場があったのは、墨田区にある現在のアサヒビールの本社の場所でした。

 

Asahi_breweries_headquarters_deriva

By 663highland - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15152452

 

それは、一時、サッポロビールとアサヒビール、そしてエビスビールが合併して大日本麦者株式会社になっていたからなのだそうです。ちなみに、当時の4大ビール会社は、サッポロ、エビス、アサヒ、そしてキリンだったそうです。

 

今は、エビスは札幌の傘下に収まっていますが、アサヒは別会社、そしてサントリーが参入しています。海外ブランドも各社を通して販売されていますので、当時と比べると多様化が図られていると言って良いのかもしません。

 

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大日本麦酒株式会社時代の3ブランド、左からエビス、サッポロ、アサヒ

 

その後の歴史の中での注目すべき出来事としては、「ビン生」や「黒ラベル」がありますが、コマーシャルとして一世を風靡した「男は黙ってサッポロビール」が何と言っても特筆に値するのではないでしょうか。

 

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最後に、ツアーのコンダクターがビールを美味しく飲む「三度注ぎ」を紹介してくれました。ちょっと時間は掛りますが、グラスの外にまで広がる泡 (英語では「head」、つまり頭と言いますが) はグラスを傾けてもそのまま泡であり続けるという素晴らしい注ぎ方です。

 

動画は撮らないようにということでしたので、一枚だけ写真を添えますが、YouTubeには動画が載っていました。それもエビスビールを使ってのものです。一度、私も試した上で、再度報告したいと思っています。


 

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今回は、結局ビールに飲み込まれてしまっている私の独白以外の何物でもありません。

 

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[2018/8/21 イライザ]

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2018年8月21日 (火)

小樽運河で小樽の人と ――北海道に来ています――


小樽運河で小樽の人と

――北海道に来ています――

 

我が家のメンバーは、北海道に縁がなく、これまで北海道まで足を延ばしたのは私だけでしたので、昨年からスケジュールを合わせて、ようやく北海道旅行にやってきました。最初の訪問地は小樽です。ここは全員初めて訪れる街なのですが、「小樽運河」や「小樽の人」という名曲を通して、馴染みの深い土地だと思い込んでいました。そして、実際に来てみるとこじんまりして気取りのない雰囲気に満ちていました。

 

ホテルについてまずは運河の周辺を散策しました。昼間の運河です。

 

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そして北海道の演歌には必ず出てくるカモメも、手の届くくらいのところに止って観光客を歓迎してくれていました。

 

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その後、ビール工場を覗いたり買い物をしたり。そして夕食もゆっくりと楽しみました。帰りの街はすっかり暗くなっていて、夜の運河もロマンチックでした。

 

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ホテルに戻ってから、田舎住まいではなかなかできないことを決行 することにしました。ドゥオモ・ルッソというバーに行ったのです。

 

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結構若い人たちもいて、バーの文化が消えていないことも、バーテンさんのシェーカーを振る音とともに懐かしく安心しながら見守りました。また、このバーで感激したのは、野菜スティックです。北海道産が美味しいということでしょうか。野菜そのものは柔らかいのに、シャキッとした食感は爽やかそのものでした。


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そして、バーの外からは夜の運河を上から見ることができました。このアングルからの小樽運河も風情があります。スマホですから、セピア色にまではできませんでしたが、どこかから「Yesterday」が聞こえてきたような気がしました。

 

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[2018/8/20 イライザ]

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2018年8月17日 (金)

飛行機の中でWi-Fiが使えます ――昔のサービスがようやく復活しました――


飛行機の中でWi-Fiが使えます

――昔のサービスがようやく復活しました――

 

地上ではWi-Fiの使える範囲がどんどん増えている上に、iPhoneのテザリングを使えば、先ずどこでも問題はなくなりましたので、残るは空の上そして船の上ということになりました。そして最近、飛行機の中でWi-Fiが使える、という昔のサービスが復活しました。

 

もう20年も前になるのだと思いますが、Boeing機の中、国際線では有料のWi-Fiサービスがありました。とても便利だったのですが、恐らく利用者が少なかったのでしょう、一二年で中止になりました。ボーイング社の幹部に知り合いがいたので、何とかならないか直訴したのですが、経済性の前には無力でした。

 

そのサービスがこのところ、ANAでもJALでも復活しました。しかも無料です。こんなことで社会全体の動きを予測しても意味はないのですが、社会が一度退化しても、やがてはそれ以上に良い形で進化する、と信じたいほどです。

 

但し、どのフライトでもこのサービスがある訳ではありません。サービスのある機体には、こんな標識が出ています。

 

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離陸してから恐らく1万メートルくらいに達した頃でしょうか、ANAWi-Fiページの左上の方に、「衛星通信可能」という文字が現れます。

 

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後は「インターネット接続はこちら」というエリアをタップするだけで良いのです。すると、画面は、次のように変ります。

 

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後は、普通にWi-Fiを使えば良いだけですが、ついつい嬉しくなって、どうでも良い写真を送り付けてしまいました。国際会議出席のため、国際線に乗り継ぐフライトだったので機内食が出たのですが、その写真です。

 

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飛行機の中でも仕事ができるようになったことを喜んではいるのですが、国内線の飛行時間は一時間一寸の場合が多いことも考えると、その間リラックスする方が時間の使い方としては賢明なのかもしれません。結論は先延ばしにするとして、取り敢えずは選択肢の増えたことを喜びたいと思います。

 

[2018/8/16 イライザ]

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2018年8月16日 (木)

手動式芝刈り機 ――昔懐かしい機械です――


手動式芝刈り機

――昔懐かしい機械です――

 

田舎の夏は、朝早くから始まります。まだ、陽が差さない内に、あちこちから草刈り機の音が聞こえて来るのです。「草刈り」の代りに「刈り払い」とも呼ばれるようです。田圃の畔は勿論のこと、田圃に降りる土手も、道路の縁まできれいに刈るのが決りになっているようです。公的スペースだと思われるところは、農事組合法人の仕事なのでしょうか、何人かの方からなるチームで素早く刈って行きます。頼もしい限りの姿です。その結果はこんな具合に美しい「田園」です。

 

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ここまで本格的ではありませんが、我が家でも、庭とその周辺の草刈りは定期的にしています。少し伸び過ぎると、親切な御近所さんが「ついでに刈っておきましたよ」というようなことになってしまいますので、「あまり伸びない内に」が鉄則です。

 

刈り払い機の定番はエンジン式です。プロの皆さんは大体こちらを使っているようですが、それも、2サイクルか4サイクルかで使う燃料が違います。4サイクルはガソリン、2サイクルは混合油だそうです。しかも、エンジンですからスパークプラグ等が必需品ですし、メンテには手間が掛ります。

 

出来るだけ簡単な機械をということで、電動式、しかも充電式ではなく、コードで電源につなぐ有線方式のものを買いました。広い田圃の草刈りには使えませんが、我が家のような庭とその周辺では全く問題がありません。

 

というのは、実は強がりで、何年も使っていると、そして年を取ってくるとコードを引っ張っての草刈りが、ちょっと面倒臭くなってきます。面倒臭さの理由の一つは、機械の重さです。(写真を撮るためだけに持っていますので、コードはつないでありません。)

 

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モーターを地面から少し離して持たなくてはなりませんので、その分の力が必要です。筋力増強も一つの解決法なのですが、それとは違う方式で欠陥を補える芝刈り機がありました。回転式、または手動式の芝刈り機です。

 

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これを押すだけで、回転する刃が草を刈ってくれます。しかも、刃の部分を手で持つ必要はなく、両側にある車輪が支えてくれていますので、必要なのは押す力だけなのです。こんなにエレガントな古典的芝刈り機は、1950年代のアメリカ映画にも登場していたくらいの実績があります。

 

斜面に使えないという不便さはありますが、一番広い平面の部分は問題なく芝が刈れます。ということで、その部分は手動式を使っての家人の担当ということになり、御近所さんを心配させることなく、綺麗な芝生を楽しんでいます。

 

[2018/8/13 イライザ]

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2018年8月 1日 (水)

「アベノミクス」に騙されるな! (その2) ――「アベノミクス」の実態は「安倍のミス」――

 

「アベノミクス」に騙されるな! (その2)

――「アベノミクス」の実態は「安倍のミス」――

 

立命館大学の大田英明教授の2007年の論文「所得格差および税制と経済成長 ――中長期的影響:分配なくして成長なし――」のはしがきを御紹介しましたが、それをさらに敷衍した二つの論文が、「アベノミクス」の真実の姿を完膚なきまでに、白日の下に晒しています。

 

一つは、(I) Why the monetary easing under ‘Abenomics’ has been ineffective in   recovery of the Japanese economy?:  Integration of the markets between the US and Japan」です。「アベノミクス」の下に行われた金融緩和が何故日本経済の回復に効果を挙げなかったのか--日米の市場の一体化」とでも訳しておけば良いのでしょうか。

 

もう一つは、(II) Economic Growth through Distribution of Income in Japan: Road to Stable Growth with Progressive Income Tax System」です。大雑把に訳しておくと、「所得配分による日本の経済成長――累進課税制度を元にした安定的成長への道」です。

 

「アベノミクス」とは、「三つの矢」として①金融緩和政策、②財政政策、③構造改革の導入を柱としています。最初の金融緩和のみ過去5年以上継続していますが全く実体経済の回復には効果がありませんでした。また、二番目の財政支出は2013年度の最初のみ公共支出を拡大しましたが、その後、政府は一貫して緊縮政策(GDP比で前年比マイナス)を継続しています。これは景気回復には逆効果です。また、3番目の構造改革は労働市場の自由化(派遣法の自由化、労働関係法案など)や経済特区を外資誘致の柱にする(例:カジノ法案など)を導入するものであり、直接的に経済成長を促進するどころかむしろこうした規制緩和は勤労者の賃金水準はますます低下するような政策をとっており、事実上、アベノミクスは経済成長を促進するものではありません。むしろ富裕層と大企業を優遇することのみ力点を置いたものです。これは一連の資産課税の減免、法人税の軽減措置の導入などにも表れており、法人税収は過去20年間一貫して低下しています。

 

その結果として、前にも示した経済の基本的な体系の内、賃金の増加については、高齢者であれば、年金額の減少と税金や保険料の上昇で、「増加」したのは支出だけということは実感されていると思いますし、働いている皆さんの中では、実際に賃金が増加しているとは感じていない方々の方が多いのではないでしょうか。この背景には、アベノミクスの第3の矢にあたる規制緩和策の一環として労働市場の完全自由化に伴う非正規雇用の拡大があります。このため、労働賃金全体を大幅に抑制することとなり、現在では、求人広告の過半数は非正規雇用です。非正規雇用は正規雇用の年収の/1/3にしかすぎません。このため、こうした規制緩和は着実に一般勤労者の賃金水準を低下させてきました。また、日本はOECD諸国でも貧困層の比率は本も高い国の一つです。

 

金融緩和によって、市場に出回っているお金の量が増えれば、その中の一定の割合が投資に回されますので、「投資の拡大」につながるはずなのですが、大田論文の(I)では、それが起きていないことを証明しています。ただし、大田論文についての解釈はあくまで私の独断と偏見に依存していますので、誤りがあったり、誇張があったりすれば、それは私の責任ですので、その点についてお断りしておきます。

 

さて、マスコミには「マイナス金利」とか「質的・量的金融緩和」とか「異次元金融緩和」といった

難しい言葉が飛び交っていますが、基本的には、日銀の操作で「市場」、つまりお金のやり取りをする世界のことをこう呼んでいます。その中で扱われるお金の量が「異常に」増えているということです。それが、回り回って景気を良くして、賃金も上がるといった未来図を描いているのが「アベノミクス」なのですが、大田論文(I)では、この「金融緩和」は経済成長率や実体経済の回復にはほとんど効果がなかった(株価は成長率にほとんど関係ありません)という結論になっています。つまり、「アベノミクス」は失敗だったのです。特に2013年のアベノミクス導入の重要目標とされたインフレ目標の年2%は依然として達成せず、デフレ脱却には至っていません。

 

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By Wiiii [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) or CC BY-SA 3.0  (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], from Wikimedia Commons

 

その結論に至ったのは、BVARという統計手法を使って、日米の金融や経済指標に関連のある数字を、分り易いモデルに変換し、しかもいくつかの数値の間の因果関係もハッキリさせたからです。こうした高度の分析の結果、金融緩和によっては実質的に経済が上向きにはならなかったことを示しています。

 

他の経済学者の分析と違う点は、一つには、日本という国内だけに視野を限らずに、日米両方を同時に考察したことです。またその際、日米の金融緩和政策の時間的な差も考慮した上での分析になっているという点です。

 

確かに、金融緩和によって、日米にはお金の量が増えました。しかし、それはアメリカの都合に依って時期・量が決められていたので、アメリカの景気回復には役立ったけれど、日本の景気回復とはつながらなかった、というのが一つの結論です。具体的には、米国の量的緩和(QE)の終了した201410月に合わせて日銀は量的・質的緩和(QQE)も第二弾としてマネー供給を大幅に拡大してきており、それが国際資本移動に伴い米国市場に流入し、大半は米国市場など国外に流出してきたことがあります。すなわち、日本よりむしろ米国のために大量のマネーを日銀は供給してきました。

 

さらに、日銀の金融緩和によって増えたお金は、日米ともに、生産性を高める部門に使われたのではなく、短期的かつ投機的な使い方をされてしまいました。日本国内では特に(米国では株価上昇による資産効果で一般国民も消費を増やし、企業も設備投資を増加させる効果がみられましたが、日本ではそれは見られませんでした(日本では株保有は資金に余裕のある富裕層が中心で一般庶民は米国のように保有せず銀行預金という特徴があるからです。)つまり、「アベノミクス」が目的とした「投資の拡大」にはならなかったというのが、もう一つの結論です。

 

それでは、日本経済を復活させるためにはどうすれば良いのか、という問に答えてくれるのが大田論文(II)です。解決策は、経済学の基本に戻って、しっかりした累進課税制度を採用することです。つまり、お金持ちからは、貧乏人よりたくさんの税金を払って貰うという税制にしよう、ということです。そして、所得の少ない人に取っては、裕福な人よりも大きな犠牲を払わなくてはならない消費税の「逆進性」を改善することで、その結果として大多数の国民の中低しょててく層の消費拡大が見込めます。

 

大田論文(II)は、(I)より分り易いので、次回をお楽しみに。

 

[2018/7/30 イライザ]

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2018年7月31日 (火)

7月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)・作業など

7月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)・作業など

76日に安芸の郷のある広島市安芸区、安芸郡一円でかってない集中豪雨で河川の決壊、山崩れ、土砂くずれの災害が起きた。安芸の郷の2つ目の建物第2森の工房AMAも後ろの山から大量の土砂、岩、流木が建物と庭に押し寄せた。728日森の工房AMAのブルーベリーまつりも中止にして復旧作業と利用者の支援の日々が続いている(これらの日々の様子は安芸の郷のブログ「アキノサトの日記」に掲載)。

安芸の郷にブルーベリーを納品している農園のある場所には、住んでいる船越からは国道2号線、県道375号線を通るのだが、あちこちが寸断された。14日にようやく農園にいくことができて、早速周囲を巡回したが、畑の法面が23か所小さく崩れた程度で済んだ。723日からは安芸の郷と福富町のしゃくなげファームから摘み取りの研修、ボランティア、友人、知人のみなさんの摘み取りが始まるので農園の環境整備を急いだ。

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714日。里山のブルーベリー園の草刈りと畑の防草シートを敷く作業を行う。

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718日。農園の家の前にテント設営、テーブルや椅子の設営。

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721日の農園から見る青空。豪雨の6日の翌日が梅雨明けでそれから暑い日が続いた。

 

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728日。安芸の郷のボランティアグループ「フレンドベリー」の皆さんや、農園の友人が摘みとりの援農にお見えになった。一年ぶりの農園訪問。籠を首にかけコンテナをもって摘み取りへ。

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728日。田んぼからブルーベリーに転作した畑が3段に分かれている。最初に一番下の畑にみんな入ってスタート。

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728日昼休み。畳の部屋で休む人、縁側やたたきで休む人。この日は台風12号の影響で風があり、雲もあってわりと涼しかった。収穫したブルーベリーを安芸の郷に納品できた。安芸の郷では選別した1キロパックの生食ブルーベリーとして主に販売される。

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夏の農園周囲の様子。

 青々とした田が広がる。721日。

 

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 ラビットアイ系のブルーベリーの青い実。722

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 農園の裏庭のホタルブクロ。718

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 728日。山のブルーベリー園のワイヤーメッシュの間からのぞくヒオウギズイセン

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社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2018年7月28日 (土)

「防災省」設置案・その5   災害後の対応・その2

 

「防災省」設置案・その5

災害後の対応・その2

 

災害後に大きな力を発揮するのが、重機だということは、連日の災害現場からの報道を御覧になっている皆さんにはお分りだと思います。また医療等の専門的知識によって被災者の生命や健康を守る貴重な活動も忘れてはなりません。「防災省」の仕事の説明に当って、その他の活動にも触れたいのですが、今回は特にこの二つを中心に、 (E) について説明したいと思います。

 

[災害発生後に視点を移しての防災省の仕事]

(A) ()

(B) ()

(C) ()

(D) ()

(E) 災害救助のために必要な専門的知識、そのために使用する機器・重機等は、専門組織や民間の所有する機器等に依存せざるを得ない面が大きいため、消防団組織をモデルに、専門的なノウハウや重機を「ボランティア」として提供して貰う仕組みを、(D)で言及した3レベルそれぞれに対応する形で整備する。

 

《解説》

 災害救助に当って、多くの人手が必要ですが、消防の正規職員だけではとても数が足りません。「ボランティア」として普段から訓練を受け、適切な災害対応能力を持つ「消防団員」が活躍する場になるのと同じように、重機にしても正規に消防が保有しているものだけでは到底数が足りません。自衛隊や消防庁の持つ重機もありますが、それを加えてもまだまだ足りないのが大災害のケースです。その不足分は、被災地域の建設業を中心に日常業務で重機を使っている企業に協力を要請し、「災害出動」をして貰うことになります。

 地域の建設業関連の企業では、「○○市建設協会」(以下協会と略)といったような名称の団体を作って、その○○市と協定を結んで、災害時には重機や重機のオペレーターを提供することで大きな社会貢献をする仕組みを作っているケースが多く見られました。このような仕組みが円滑に機能するためには、行政と協会の緊密な連携が必要です。そして、災害時に利益を上げるような印象は避けたいのが人情ですから、「ボランティア」という側面が強調されます。善意の活動とは言え、企業側の負担が大きいことは言うまでもありません。

 災害時に助けて貰うことから、行政の側から考えると「恩がある」という気持が強くなり、企業側ではマイナスになった分をどこかでプラスにしたいという気持があります。これまでには、そこから出発した談合が発生したこともあったそうなのですが、その是非はともかくとして談合の背景にはこうした事情のあったことも理解しておくべきだと思います。近年では、このような事例は減少し、行政と企業との関係は透明化され、完全なボランティアに徹するか、適正な対価が払われる方向に変ってきているようです。

 ボランティアに徹した素晴らしい実践例として、NPO法人「未来の環境を考える会」を紹介しておきたいと思います。2005年に発足したNPOですが、以下の活動内容の説明は、ここで私が言いたかったことを簡潔にまとめてくれています。

 「地元中小建設業者は、常に大型・小型の重機を自社で所有しております。日頃は下水道、道路工事等では住民の方々にご迷惑をかけ、ご協力を願っておりますお蔭様で、企業として成り立っております。重機等を使用して危険な作業に毎日従事していますので、災害が発生すれば、直ちに経験と技術力を生かして地域のため人命救助、災害復旧に協力できる体制です。地震災害時の緊急救助体制を整え、救助用重機だけでなくジャッキ、ポンプ等の機材も保有しております。また、重機の動力源の補給がたいへん困難であったことも現地で身にしみておりますので、対応として会員が燃料タンク車を自費購入して常備することに致しました。私たちは重機及び車両の種類、台数、緊急時の連絡体制整えております。」

 

             

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NPO法人「未来の環境を考える会」が提供できる重機の一例

 

 水道事業は自治体の仕事ですが、ここでも民間の協力は必要になりますし、ガスや電気は民間企業の守備範囲ですが、それでも、自社の正規職員以外の協力も必要になります。

 もう一つ、被災地で欠くことのできないサービスは医療です。そのために、2005年から都道府県単位で整備され始めた組織としてDMAT(ディーマット) があります。緊急時に立ち上がる一時的な組織ですが、ウィキペディアでは次のように紹介されています。

 「災害派遣医療チーム(さいがいはけんいりょうチーム)とは、医師、看護師、業務調整員(救急救命士・薬剤師・臨床工学技士・臨床検査技師・理学療法士・作業療法士・放射線技師・社会福祉士・コメディカル・事務員等)で構成され、地域の救急医療体制では対応出来ないほどの大規模災害や事故などの現場に急行する医療チーム」

 このように、行政と民間との協力が一体になって初めて機能するのが災害救助ですので、「防災省」が立ち上ったとすると、この「行政  民間」の間の協力関係をさらに密にする方向に進化させたいと思うのは人情なのではないでしょうか。そこで、注目したいのが、消防における消防団です。重機を提供する企業やそのオペレーターたちも消防団員と同じような位置付けで消防組織の一部として、実地訓練に参加し、災害の現場に参加し、同時に適正な報酬や手当を受け取れる仕組みを作れれば良いのではないかと思います。医療という専門集団については、DMATがかなりまとまった機能的活動ができるようになっていますので、それ以上を求める必要はないのかもしれませんが、消防団員についての次の心配を視野に入れると、違った対応があるかもしれないとも考えられます。

 それは、災害現場での活動には命の危険が伴う、という事実です。消防団員の場合には特にその点が心配なのですが、避難の勧告を個別に伝えたり、避難誘導をしたりしている際に土砂流に巻き込まれるケースなどがこれまでもありました。これは、二次災害なども視野に入れれば、DMATのメンバーにも当てはまります。「危険箇所には近寄らない」が鉄則ではあっても、必要かつ適正な保険制度等の整備も含めて、消防団の制度を改善した上で、改善版をモデルに、重機や専門的知見、そして善意を提供してくれる企業・団体・個人と行政との関係を整理することも「防災省」の任務の一つだと考えています。

 

[2018/7/27 イライザ]

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コメント

もう何年も前から石破さんが防災省の創設を掲げていますが、石破さんが首相になったら実現するでしょうか。

「自民糖」様

コメント有り難う御座いました。

石破氏には、この「公約」だけは実現して欲しいと思っています。でも、今、政権を担当している安倍内閣のときにこれだけ大きい自然災害によるダメージが出ているのですから、先ずは安倍内閣に、その反省を元に抜本的な災害対策を提示する責任があるのではないかと思います。

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