文化・芸術

2017年8月14日 (月)

盆灯籠 ――関東では見ることのできない美しい伝統です――


盆灯籠

――関東では見ることのできない美しい伝統です――

 

30年も前、初めて広島でお盆を迎えた時の派手やかさに驚いたことを覚えています。五色の盆灯籠の美しさは、関東でのお盆との違いを視覚的に際立たせてくれていました。

 

子どもの頃の千葉でのお盆で一番記憶に残っているのは、816日から22日まで、一週間続く千葉神社の「だらだら祭り」ですし、送り火の苧殻を家の門近くで燃やして、キュウリやナスの牛馬は近くの海まで流しに行ったことですので、広島のお盆の雰囲気とはかなり違う感じです。

 

盆灯籠はコンビニやスーパー、ホームセンターなどでも手軽に手に入るものですが、近頃では、お盆が過ぎてからの処分の大変さや過度の華美化、火災等の事故に配慮して、盆灯籠を禁止する寺院もあるとのことです。しかし、何か工夫を加えることで、広島の風物詩を続けていって欲しいと願っています。

 

我が家の御近所のお墓には、今日も盆灯籠が供えられていました。御近所さんという御縁を有り難く思って、私も「南無阿弥陀仏」と唱えさせて頂きました。

 

                 

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2017年8月 4日 (金)

『The Face of Jizo』を読んでエッセイを書こう ――The Mainichiと毎日新聞広島支局が主催する国際コンテストです――


 

The Face of Jizo』を読んでエッセイを書こう

――The Mainichiと毎日新聞広島支局が主催する国際コンテストです――

 

井上ひさしさんの名戯曲『父と暮せば』は皆さん御存知だと思います。被爆した娘と父との二人芝居ですが、父・竹造は家の下敷きになり火にまかれて亡くなり、娘、美津江は父を助けることができなかっただけでなく、友人など多くの愛する人を失いました。その3年後の出来事という舞台設定です。美津江と、美津江の内心に潜んでいるもう一人の美津江の声を代弁する竹造の幽霊とが広島弁でやり取りをする二人芝居は、喜劇的でありながらそしてそうであるが故に、被爆体験の真実と意味をしっかり捉えて私たちに伝えてくれています。

 

               

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多くの舞台公演を通してまた映画としても私たちに感動を与えてくれた作品ですが、英・仏・独・ロ・伊等の外国語にも訳され世界的な評価も高い戯曲です。英訳は、作家、映画監督、翻訳家、劇作家、演出家として著名なロジャー・パルバース氏の手によります。

 

以前は『英文毎日』として多くの読者に知られていた毎日新聞の英語版は、現在、『The Mainichi』として、毎日新聞の英語の電子版としてのみならず独自の立場からも、世界に日本発のニュースとストーリーを届けています。そのThe Mainichiと毎日新聞広島支局との肝煎で、著作権をお持ちの井上ゆりさんとロジャー・パルバースさんの御厚意で、86日から1031日まで、『The Face of Jizo』がThe Mainichiにアップされます。幕数は14場ですので、一日一場ずつアップされる予定です。『父と暮せば』の日本語版(新潮文庫)とともに、夏休みの間に多くの若者に読んで貰いたいと思っています。

 

その上で、The Mainichと毎日新聞広島支局主催のエッセイ・コンテストに応募してみたらどうでしょうか。要領は以下の通りです。

 

応募資格は、13歳から23歳までの人。

エッセイは、『The Face of Jizo』をテーマにしたもので、英文1000語以内。

締め切りは20171031日。

The Mainichi”Contact Us”のページから送付すること。

その際、氏名、住所、生年月日、学校名、学年を明記すること。

件名は”Face of Jizo Essay”

厳正な審査によって、優秀作3名の方に各賞金$100が贈られる。

審査員は、訳者のロジャーパルバート、前広島市長の秋葉忠利、The Mainichi編集長の太田阿利佐の三氏です。

 

私たちが生きる意味や、歴史的な出来事の真実を理解し内面化する上で、第一印象はとても大切ですが、対象を一つに絞って、様々な角度からその対象を見詰め、集中することも同様に大切です。『父と暮せば』という傑作を対象に、広島弁のユーモアやユニークさを味わい、映画や芝居を通して自分とは少し違うかもしれない解釈に身を投じ、広島弁は翻訳不可能でも、井上ひさしワールドが忠実に再現されている英語に触れることで、被爆体験の意味を未来に残すために重要な鍵が見付かるはずです。今年の夏は、『父と暮せば』と一緒に暮してみませんか。

 

 

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2017年7月18日 (火)

サマーコンサート2017 当日!

 

サマーコンサート2017 当日!

 

         

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今年もあっと言う間の熱い2日間でした。

 

今回が25回目のサマーコンサートだったのですが、25年前の1回目からの成り立ちやエピソードなどの説明を司会の方が曲間に織り込みながら、1部では全国吹奏楽コンクールの課題曲や男声合唱、今年エントリーするコンクール自由曲の演奏がありました。2部ではポップスやジャズ、入学してまだ4ヶ月の中学1年生が法被姿で日本民謡縦断祭りの曲でリズムを竹で刻むパフォーマンス、そして今年ヒットした曲をメドレーで演奏します。

 

ヒット曲のメドレーは、ヒットパレード…略してヒッパレとしてコンサートの人気コーナーです。今年のヒッパレは、、、⑦パパさんが詳しく書いて下さるのでは?と期待しまして(笑)私は開場前のコンサート番外編をご報告したいと思います。

 

毎年二日間で約4000人のお客様ご来場下さるのですが、昔からずっと応援して下さる方や、熱狂的なファンの皆様、吹奏楽マニアの方々、出演者の同級生、出演者保護者や親戚、学校の先生も沢山来て下さいます。いつからか、開場前からかなりの行列が出来る様になり、熱狂的なファンと自他共に認めるUさんに至っては、朝の8時から並ばれるのだそうです。なんと23年そうしてコンサートを待って下さっているそうです。また、年配の方も多くいらっしゃいましたし、小学生が行列で宿題をする姿もありました。

 

行列に不公平がない様に、また他の用件で会館に来られた方にご迷惑のない様に、この行列の対応はOBがしてくれます。定期的に冷たいお水を紙コップでサービスして歩いたり、熱中症予防の飴を配ったり、この時期無料で貰えるウチワを持ち寄って配ってくれたりします。また、いよいよ行列に飽きた頃には、ロビーでコンサートやクイズのパフォーマンスがあり、これもコンサート前の楽しみです。

 

 

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退屈していた小学生も張り切って答えています。

 

ちなみに、この「年齢クイズ」は、28歳、27歳、26歳、20歳の4人だったのですが、20歳は誰も当てられませんでした!

 

もちろん、出演者に知り合いがいなくても充分楽しめるコンサートですが、何年か観て頂くと、演奏やパフォーマンスで記憶に残る出演者もいます。写真右端のメガホンを持っている彼は、6年間パフォーマンスで大活躍しました。彼が出ると会場はいつも大爆笑でした。OBになってもその腕は健在でした。

 

中学1年で初舞台を踏んだ頃は、息子が舞台で転んで迷惑かけないか、隣の先輩の楽器に息子の楽器がぶつからないか、、そんな心配でハラハラドキドキしていました。そんな経験を共有しながお母様達と同級生の成長や後輩達の成長をコンサートで確認して喜びあったり褒め合ったり(笑)そのうち、お世話になった先輩達の進学や就職、結婚まで知るところとなり、私にとっても毎年この日は、感動、興奮、涙と身体が燃えてしまう2日間です。

 

[by 42]


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コメント

42さん、サマコンの記事、書きました(笑)
ヒットバレードを詳しくではないですけど、
一部のかたには受けるかも😓

ありがとうございます!
⑦ちゃんのローマの祭りの酔っ払いトロンボーン、懐かしいです。H山吹奏楽部の演奏で1番記憶に残っているのは、ラッキードラゴン…第五福竜丸の記憶…福島弘和 作曲 です。

2017年7月 7日 (金)

ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町 ――Sky Gallery Lounge Levita が最高でした――

 

ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町

――Sky Gallery Lounge Levita が最高でした――

 

昔から略称の「アカプリ」で知られている赤坂プランスホテルには色々な御縁がありました。個人的な思い出を辿り始めるときりがありませんので省略しますが、近くで食事をした後ということもあり、最近オープンした「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」に行ってきました。

 

夕食後の時間でしたので、ゆっくり寛げるバーかラウンジということになるのですが、昔の「アカプリ」にも、夜景で有名なラウンジが最上階にありました。

 

ザ・プリンスギャラリーの中での配置は最上階ではなく、その一階下の35階のLEVITA(レビータ)です。

 

                   

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でも、35階に直接エレベーターで昇るのではなく、まず36階まで行ってから一階下に降りるという構造になっていました。

 

さて36階で降りると、エレベーター前の雰囲気は、ボストンのプルデンシャル・ビルとほぼ同じといって良いお洒落な空間になっていました。実は「プルデンシャル」とのお付き合いも長く、いつか思い出のいくつかは言葉にしておきたいのですが、まずは35階に降りなくてはなりません。それが簡単に行かなかったのは、下に続く階段の上からの景色に見惚れたからです。

 

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真正面に東京タワーが見えます。さて35階まで降りて席に着くと、そこからも東京タワーが目の前でした。下の写真の左下の方です。

 

 

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視線を右に移すと壁があるのですが、光を大胆に使ったデザインが見事でした。写真ではその立体感まではお伝えできませんが、近似値として御覧下さい。

 

 

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お絞りや水にも感激したのですが、次には飲み物の注文です。特別な夜には特別な飲み物ということで、紙のメニューではなくタブレットのメニューから選びました。

 

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「アカプリ」時代もそうでしたが、束の間とは言えども「非日常」の時を異次元空間で過すことができました。

 

 

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コメント

池原先生についてふれていただき、ありがとうございます。
私の担当で作った丹下先生設計の赤プリももう今はありません。
世の中、どんどん変わっていくのですね。
・・・・・

6/28 からの”久し振り”第3弾?!
都内在住ながら、こもりっきりのシニアには楽しくありがたい情報でした。
銀座編→老化現象か。 いえいえ。成熟都市から遠く離れて感がマックス 、なだけでは。日産ビルと松坂屋あとを、こうして同時に眺めますとその感は強まるばかり。ソニー・ビルあとはせめて”いつまでも右肩上がりが続くと思うなよ”的であってほしい。
赤坂編→わ、素晴らし。けど、今も昔もおハイソすぎて敷居は高いまま。ホテル関連は映画で味わうことにしよ。

先日、元安川さんから、20年前に作られた広島プリンスホテル(今のグランドプリンスホテル広島)のプロモーションビデオを見せて頂き、色々と思い出に耽っていたところでした。

ちなみに、私が初めてアカプリに泊まったのは30年以上前のことですが、Apple社の新製品「Apple III」の発表会で、それは東レの招待でした。

当時、Apple社の日本の総代理店は東レで、新製品発表会に地方の代理店まで交通費や宿泊費まで負担する、それも赤坂プリンスホテルという一流ホテルへの宿泊という時代でした。

「元安川」様

コメント有り難う御座いました。

「アカプリ」の設計は丹下健三先生でしたね。御指摘有難う御座います。「グランドプリンスホテル 広島」の設計をされたのが池原先生で先生の愛弟子の貴兄が、「アカプリ」と「グランドプリンスホテル 広島」と両方の担当をされたということから、勘違いをしてしまいました。間違った記述の部分は、早速削除させて頂きました。

丹下先生、池原先生ともに、広島には深い思いを寄せて下さり、大きな貢献をして下さいました。そのことをより詳しく、別稿で元安川さんに取り上げて頂ければ幸いです。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。赤ゲットの東京見聞記を、東京にお住まいの方にお読み頂き光栄です。また銀座についての感想を御理解頂けたことも大変嬉しく読ませて頂きました。

昔はただ忙しく走り回っていたところを、ゆっくり味わえる年齢になったのですから、これからも懐かしい場所を「再発見」して歩きたいと思っています。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

広島プリンスホテルができたのは、広島にとって画期的な出来事でした。それは「アカプリ」をはじめとするプリンス・ホテルの全国的評価があったからに違いはないのですが、美しい海岸線を工場が独占してしまい、市民にはアクセスできなかった時代の終りを告げていたことも大きかったのではないでしょうか。

そしてバブルの時代も今となると懐かしいですね。

2017年6月28日 (水)

久し振りの銀座 ――「銀座らしさ」が失われて行くのでしょうか?――


 

久し振りの銀座

――「銀座らしさ」が失われて行くのでしょうか?――

 

高校生の頃から銀座には良く足を運んでいました。理由は簡単で、当時の地下鉄は銀座線と丸ノ内線の二本しかなく、通学定期を持っていれば簡単に銀座に出られたからです。それからずっと銀座との付き合いが続いているのですから、自分自身に取っての「銀座」というイメージはかなりはっきりと形作られています。

 

今回、久し振りに銀座で時間を過ごすことになり、その変貌に戸惑っています。もちろん、時代とともに町は変って行きます。かつては銀座のシンボルだった森永の地球儀広告塔がなくなったり、松屋の前にAppleが登場したり、ディオールやブルガリといった一流ブランドが進出してくる等、変化する街には新しい魅力が付け加わっていたような気がします。

 

単に私の好みが独り善がりなだけなのかもしれませんが、今回気付いた大きな変り様に、我が目を疑いました。私の抱いている「銀座」のイメージとはずいぶん違うのです。一つは、4丁目の角の日産ビルです。写真も上手くは撮れていませんが、まずは御覧下さい。

 

             

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そしてもう一つが、松坂屋の後にできたGINZA SIX(ギンザシックス)です。これも写真を御覧下さい。

 

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こちらも、単に私の老化現象のせいで新しいデザインを受け付ける柔軟性が失われただけなら良いのですが、如何でしょうか。

 

でも、まだまだ「銀座」らしい雰囲気はあちこちに残っていました。和光のショー・ウインドーもお洒落でした。反対側にある日産ビルの影が写ってしまっているのが残念なのですが――。

 

 

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それといつも刺激を受ける松屋の吹き抜けのディスプレーです。梅雨の季節の傘から、7月には七夕をテーマにした美しさが登場するのでしょうか。

 

 

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特にお勧めの新発見は、数寄屋橋交差点にリニューアル・オーブンした東急プラザ6階のフリー・スペースです。数寄屋橋茶房の隣のスペースで、数寄屋橋交差点や4丁目交差点を眼下にゆっくり寛げるのが特徴です。こんな贅沢を許してくれる銀座や数寄屋橋であり続けてくれることを祈りつつ、銀座を後にしました。

 

 

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東急プラザからの眺め

上の方に見えるのが、銀座三越と4丁目交差点です

 

  

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2017年5月24日 (水)

内子座と内子蝋燭 ――愛媛県の内子町に行ってきました――

 

内子座と内子蝋燭

――愛媛県の内子町に行ってきました――

 

内子座とは、蝋燭や生糸の生産でよく知られている愛媛県の内子町に、1916年に建てられた芝居小屋です。一時取り壊されたりもした運命を辿り、1983年に復元されて今でも芝居小屋として高い評価を受けています。

 

午後からは町内の合同芸能発表会が開かれるため、内部の見学にはあまり時間がありませんでした。見るのに夢中で写真もうまく撮れませんでしたが、まずは正面です。

 

                 

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中に入ると、舞台の準備はもう整っているようです。

 

 

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二階から一階席を見ると、傾斜がついていて前の列より後ろの席の方が高くなっていることが良く分ります。

 

 

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そして二枚の写真からお分り頂けると思いますが、床も手すりも柱もピカピカに磨かれています。それでいて通路を歩いても全く滑らないのですから、日常的な手入れの完璧さが窺い知れます。

 

正面に戻ると、この日の出し物の一つ剣舞の準備をしている立川吟詠剣詩舞道の久保常義さんの佇まいに思わず足を止めました。一枚写真を撮らせて頂き、ブログへの実名掲載のOKも頂けました。でも、剣舞を鑑賞できなかったのはとても残念でした。

 

 

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もう一つ、和蝋燭を買う目的もありました。伝統的な和蝋燭の良さについては皆さん私以上に御存知だと思いますが、原料は漆科のハゼです。和蝋燭の特徴として典型的なものは、・炎が大きく明るい・煤が少なく風に強い・無風の場所での使用では蝋が垂れない、だと言われます。

 

大森和蝋燭店では、職人さんが和蝋燭を手作りする様子を見学できるのですが、これは次回のお楽しみに。

 

 

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とてもきれいな蝋燭です。実際に灯をともしてみると、和蝋燭の良さはすぐ実感できました。炎の動きが、風で左右に揺れるのではなく、芯を蝋が伝わりながら燃えるからなのでしょうか、上下に変化するのも風情があります。

 

 

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この写真では蝋が垂れていますが、それは位置を決めるために左右に動かしたせいです

 

内子の歴史的な街並みも有名なのですが、町役場のあるメイン・ストリートも落ち着いた雰囲気でまた来てみたい気持になりました。その理由の一つは、通りに沿って電信柱はあるのですが、電線の高さが普通より高く、視界を遮らないことを挙げておきたいと思います。写真のないのが残念なのですが、電線の地中化の前段階としては良い選択肢なのかもしれません。

 

 

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2017年5月18日 (木)

花のスケッチー森の工房AMA便り

    花のスケッチー森の工房AMA便り

 

サクラやヒラドツツジが終わっても5月もいろいろな花が忙しく咲く。障害者が毎日通う安芸の郷の2つの建物、森の工房AMAと第2森の工房AMAの庭でもこの季節は新緑と相まって毎日新しくいろいろな花が開花している。516日の様子を紹介。

 

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森の工房AMAの食堂は折り戸を開放して木々を通した風や緑を感じながら昼ごはんを頂く。

 

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庭の新緑のモミジにはこの時期薄紅色の羽をつけた種がたくさんついている。

 

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赤いブラシの形をしたカリステモンの花も咲きはじめた。

 

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搭屋の軒先の紫色のジャーマンアイリスはそろそろ終わり。

 

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そのジャーマンアイリスのスケッチが第2森の工房AMAの庭で午後から始まった。

 

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  庭にベンチを並べて

 

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 目の前に咲くジャーマンアイリスをスケッチする。この後室内で絵を完成させる。

 

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スケッチしているのは障害福祉サービス事業所の森の工房やの・生活介護の芸術クラブに所属する利用者の皆さん。毎週火曜日と木曜日は午後から作業をやめて自由活動を行うことにしているので、好きな絵を描く楽しみが体験できる。(森の工房やのの生活介護にはスポーツと芸術の2つのクラブがある)

 その作品を紹介。

 

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 描いた人 森の工房やの・生活介護くるみ班 女性 クレヨン・背景は水彩絵の具

 

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 描いた人 森の工房やの・生活介護オリーブ班 男性 クレヨン・背景は水彩絵の具

 

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 描いた人 森の工房やの・生活介護もくれん班 男性 クレヨン・背景は水彩絵の具

 完成した絵は作業室の掲示板に発表される。

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社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年4月21日 (金)

「広島・長崎の記憶を伝える」-藤登弘郎・水彩画展

「広島・長崎の記憶を伝える」-藤登弘郎・水彩画展

= 旧日銀広島支店 4月20日から23日=

 

昨日(20日)から、旧日本銀行広島支店で藤登弘郎(1936年生れ)さんの「ヒロシマ・ナガサキの記憶を伝える―被爆建物・被爆樹木・慰霊碑―」水彩画展が、開催されました。私もさっそく見に行きました。

 

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藤登さんは、定年退職後水彩画を始められ、最初は全国の近代建築や町並みを描いてこられましたが、その後「失われゆく被爆の‟証人を、自分なりに後世に残したい」と広島と長崎にある被爆建物や被爆遺構を水彩画で描き残そうと描き続けてこられました。さらに「被爆した兄から幾度も聞いた当時の光景を想像しながら絵筆を握りました」(自費出版「水彩画集・被爆建物は今」発刊にあたり)とも述べておられます。

 

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藤登さんの水彩画展は、今回が3度目ですが、これまでは「被爆建物」と「被爆樹木」を描いたものでした。今回は、最近描いてこられた「慰霊碑」を中心とした展示となっています。藤登さんは、「すでに86の慰霊碑を描いてきましたので、ぜひ多くの人に見てもらいたいと思って今回開催しました。今回はそのうち35枚を展示しています。その慰霊碑の多くは、学校や職場の慰霊碑となっています」と話しながら、さらに慰霊碑を描く思いを「特に、学校の慰霊碑を回るたびに、どんなに多くの若い人たちが、夢や希望をもちながら、無念の死を迎えただろうかと思わずにはいられません。」と話していただきました。今回展示された作品の中には、山王神社の片足の鳥居など長崎の被爆遺構を描いた絵5枚も展示されています。このいずれの作品にも藤登さんの「平和への願いと祈り」の強い思いと「次の世代への伝承の願い」が込められています。また開催期間中の22日(土)午後1時から、同じ会場で「被爆ピアノ平和コンサート」が開催されます。藤登さんによれば、被爆ピアノを管理されている矢川光則さんから「一度は水彩画展とコラボした被爆ピアノ演奏会をしたいですね」と言っていただいていたことが今回ようやく実現したとのことです。

 

この展示会は、23日まで開催されています。被爆ピアノ演奏会はもちろん、ぜひ一人でも多く参観していただければと思います。

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実は、藤登さんと私の出会いは、ちょうど10年前の2007年のことです。当時私は、写真家の鈴木賢士さんから「広島でぜひ東京大空襲写真展を開催したいので協力してほしい」という依頼を受けていました。写真展をやるなら「東京大空襲のあった3月10日中心に、会場は被爆建物である旧日銀で開催したい」と思い、広島市に会場の使用申し込みに行きました。同じ時期に自分の水彩画展を開こうと申し込みに来られていたのが、藤登さんでした。そして私の「どうしても3月10日を外せないのです」というわがままを聞いて、日程を変更していただいたのです。その縁で、今回の水彩画展の案内もいただいていました。

 

 

展覧会の成功を祈られずにはいられません。

 

 

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2017年4月17日 (月)

宝塚市長選挙 ――中川現市長が圧倒的な支持を受け三選――

 

宝塚市長選挙

――中川現市長が圧倒的な支持を受け三選――

 

49日に告示され、16日に投票が行われた宝塚市長選挙で、中川智子現市長が圧倒的な支持を受けて三選されました。開票が始まってすぐ「当選確実」が出たほどです。

 

49日の午後1時から阪急宝塚駅前で行われた告示日の大集会には、主催者の発表では1000人近い人が参加しました。応援弁士も華やかでした。

 

               

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発言順に、穀田恵二衆議院議員、津久井進弁護士、阿部知子衆議院議員、辻元清美衆議院議員、山本太郎参議院議員、そして秋葉忠利前広島市長で、司会は元国立市長の上原公子さんでした。

 

国会中継やニュース等で顔馴染の方ばかりですし、一家言をお持ちの皆さんですから一人一人の発言時間が短く感じられるほどでしたが、合計一時間以上の集会は熱気に溢れていました。最初から最後まで、途中参加の皆さんで駅前広場は膨れ上がり、中座する人は一人もいなかったと「断言」できるほど熱心に中川さん支援の言葉に聞き入っていました。

 

国会議員としての様々な活躍についても、かつての同僚として具体的な例を挙げて中川市長の政治家としての業績が語られましたが、中でも特筆すべきなのは、東日本大震災そして熊本震災でも被災者の皆さんの立場を守った「被災者支援法」でしょう。

 

中川市長は、阪神淡路大震災後、ボランティアとして被災者の救援に当っていたのですが、当時の国の法律では被災者個人を支援することができず、あれだけの被害を受けながらそこから立ち直ることは、「個人的な責任」の範疇に入ることになっていたのです。事実、当時の村山富市首相は「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」であると発言しています。

 

しかし、阪神淡路大震災の被害規模があまりに大きく、個人による生活再建では立ち直れない状況を前に、生協や多くの市民団体、オピニオン・リーダーそして政治家も動かし、1998年には議員立法として「被災者生活再建支援法」が成立しました。そのために中心的役割を果した議員の一人が中川智子さんだったのです。

 

そして8年前の宝塚市長選挙では、それまでの市長二人が汚職で逮捕されたという異常事態を前に、宝塚の汚名を挽回する目的で中川智子さんが立候補、きれいな政治と市民の立場での市政展開を期待した多くの市民の支持を受けて当選しました。

 

市長としての中川さん、つまり中川市長のこれまでの仕事振りも素晴らしいのですが、いくつか挙げておくと、市民病院の医師数を7年で75人から116人に増やし、救急車の受け入れ件数も2.2倍にすることができました。また、子どもの医療費は中学卒業まで無料にしましたし、認可保育所を8園作り定員を810人増やしました。学校給食は小中学校、養護学校の全37校で事項調理方式を採用しています。財政面でも、6年連続で正味の黒字で、実質単年度収支の合計は24億円です。そして3期目には、宝塚の文化・芸術の新拠点づくりを目指す施策を掲げています。

 

 

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今回の選挙も、これまでの二回同様応援に駆け付けましたが、多くのことを成し遂げた後の三期目ということなのだと思いますが、応援をしてくれる個人も組織も前より増えていました。特に初日の運動は盛り上げる必要があり、選挙カーの乗り手も十分すぎるほどでした。ということで、どうしても人手が必要な選挙事務所でのチラシの証書貼りを手伝ってきました。選挙中に配るチラシには、選挙管理委員会発行の証紙が貼られていないといけないのです。

 

その後、これまで行きたいと思っていた有馬温泉に

 

二日目の10日は、中川候補を推す市民団体の制作宣伝カーに乗り、市内の何か所かで中川候補のこれまでの活動や世界政治の中での都市の重要性等を訴え、中川候補への支援をお願いしてきました。

 

宝塚市民の皆さんからの反応は素晴らしいものでした。気を引き締めて投票日までこの長じて走り続ければ三選疑いなしだと確信できたのですが、結果はその通りになりました。これから4年の宝塚市の発展にさらなる期待を持っています。

 

 

 

 

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2017年4月 2日 (日)

「ヒロシマ・ナガサキ ZERO Project」 ――着々と準備が進んでいます――



「ヒロシマ・ナガサキ ZERO Project

――着々と準備が進んでいます――

 

原爆や核兵器についての歴史の中で、重要な役割を果した三人の著名人のお孫さんが3人とも核兵器廃絶のために頑張っていることを報告しましたが、その一人は『ヒロシマ』の著者ジョン・ハーシー氏の孫、キャノン・ハーシー氏でした。1月に来日されたときには芸術やフィルム、テレビ・プログラム等の分野でともにリーダーとして活躍中の西前拓氏と一緒でしたが、今回は西前氏一人での来広でした。

 

話が弾んで、写真を撮るのを忘れてしまいましたので、前回の写真を使わせて頂きます。キャノン・ハーシー氏と西前拓氏です。

 

                 

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1月にお会いしたときに伺った、プロジェクトは「平和円卓会議2020 Peace RoundTable(仮称)でしたが、「核なき世界」実現のための円卓会議を今後4年間にわたって開き、2020年までに実行可能なことを積極的に推進するという目的が掲げられていました。その計画がかなり進んで、今年の1029日に、「ヒロシマ・ナガサキ ZERO Project」として開かれることになりました。

 

クラウド・ファンディングを通して、支援者も募っていますので、こちらのページも御覧下さい。今日から始まったばかりなのですが、目標額100万円に対して、今これを書いている時点では、3000円の申し込みがありました。皆さんも御協力宜しくお願いします。

 

当日のプログラムですが、先ず袋町小学校の校庭を使って、黒田征太郎氏やキャノン・ハーシー氏がリーダーになって、遊んだりアート作成をすることから始まります。一つの目標は壁画作成ですが、それは皆さんに、黒田征太郎氏が準備したハガキ大の枠組をダウンロードして貰い、それに自らの手で絵や文字を描いたものを事前に送って頂くという準備が必要になります。それらのハガキを貼り付けながら壁画を作るという予定です。

 

その後、隣にある人まち交流プラザで、4つの分科会に分かれて、パネル・ディスカッションそしてワークショップを開きます。テーマは前回も御紹介しましたが、再度掲げます。

 

☆人権  Human Rights for Peace  核の問題は人権問題でもあり、各国の核被害者との連携が重要。 例;核被害者フォーラムや世界各地の被爆者との交流事業

 

☆環境  Healthy environment for Peace  核の問題は環境問題でもあり、地域社会、国際社会がいかに共同で取り組むべき問題である。 例;被爆樹木プロジェクトなど

 

☆コミュニティ  Community for Peace  自分たちの住むコミュニティ、町や村から平和を広げていくことが重要。 例;Mayors for Peace 平和首長会議

 

☆イノベーション  Innovation for Peace   テクノロジーの力で核問題に関する新たなコミュニケーションを生む。 例;オンラインソフトやアプリの開発、Hiroshima Archive

 

最後の「イノベーション」を考える上で、急速に変る社会を元にして新たな行動を考える必要のあること、そのためには「パラダイムの転換」という視点から社会を見直さないと間に合わないのではないかという感想を西前氏と共有することができました。

 

例えば、インターネットを通して使われるビットコインやアップルペイその他のアプリやシステムが進化しつつあって、銀行の必要ない経済さえ議論されている時代になり、私たちを取り巻く経済の枠組みそのものも大きく変わるであろうということ、自動運転やドローン等の技術の実用化は時間の問題で、そうなるとこれまでの政治の枠組で人類的な問題に対応しようとしている「今」の問題意識では解決が難しくても、解決への道筋が生まれるかもしれないこと、しかし、その中心にあるのは多くの人々の生命と生活であり、「都市」の本質的な役割を大切にして行かなくてはならないこと等が、話題になりました。

 

ワークショップのリーダーになるのは、以下のパネリストやゲストたちです。

 

■主なゲスト&パネリスト■

田上 富久/長崎市長・平和首長会議副議長

秋葉 忠利/前広島市長  

ウィリアム・ペリー/元アメリカ国防長官

渡部 朋子/ANT-Hiroshima (NPO)

近藤 紘子/谷本平和財団

中村 桂子/長崎大学RECNA准教授 

黒田 征太郎/アーティスト

加用 雅信/広島妙慶院住職 

スティーブ・リーパー/Peace Culture Village

キャノン・ハーシー/1Future (NPO) 代表    

西前 拓 /1Future (NPO) 代表                  

ドロシー・マスーカ/南アフリカの国民的歌手  

順不同

 

一日の最後はコンサートとプレゼンテーションです。ワークショップでの成果を、プレゼンテーションとしてまとめ、またコンサートのために駆け付けてくれるアーティストたちとともに、歌、踊り、プレゼン、展示等で盛り上がるフィナーレになりそうです。

 

このイベントに先立って、ニューヨークでも同じ趣旨のイベントが開かれるようですので、できたら参加したいと思い、先ずは旅費捻出のために宝くじを買うことから始めたいと思っています。

 

 

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