心と体

2017年6月27日 (火)

福島原発被災地フィールドワーク➂ ――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察――

 

フィールドワーク最終日の626日(月)は8:30にホテルを出発し、昨日は霧のため十分には見ることのできなかった浪江町から始めて、大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町(福島第一原発近くの線量の高い地域)を視察しました。バスから降りて現地に触れ、また高線量の場所ではバスからの視察も含めて広範囲を訪れることができました。

 

案内役はいわき市議会議員の狩野光昭さんです。昼食(弁当)は、時間の関係でいわき市から郡山市への移動中のバスの中で、その後「まとめ」を行い、13時過ぎに郡山駅で解散しました。

 

浪江町では、避難指定解除後、帰還の準備をする中で必要性が強くアピールされた商店街を役場の敷地内に公設民営の形で作った「浪江町マルシェ」を視察しました。担当の係長さんの説明によると、飲食店は需要があり黒字だがその他の店は苦しい経営状況であること、日曜日にも開店していて欲しいという要望も強いことなどの現状が分りました。

 

             

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開店前のマルシェ

 

また、全部で10店がこのマルシェには開店してくれたけれど、必要な商品全てが揃っている訳ではなく、薬局は町外に出て買い物をするしかないこと、生鮮食料品を扱うスーパーがないこと、そして本格的ホームセンターのないことで、帰還のための条件が必ずしも整っていないことにも言及されました。

 

その後国道6号線を南下して福島第一原発のある双葉町に入り、できだけ原発に近い場所までバスで入る予定だったのですが、6号線から原発に至る道が閉ざされていて残念ながらその場からの写真を撮るだけに終りました。

 

次に、楢葉町の太平洋に近い場所にある天神岬公園から海を臨み、また、除染物質の減容施設と自治体毎にまとめてフレコンバッグの集積を行っている施設を上から俯瞰しました。

 

 

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今日通過した地域の中にはまだ帰還困難区域の指定のあるところもあり、信号機とともに表示されている線量も2.00を超えているなど、昨日とは桁の違う数字を現実として目の前にして、緊張感が走りました。残念ながら高線量を示しているモニターの写真は上手く撮れませんでした。

 

次に、自治労はつかいちユニオンの生永裕行さんが、最終日の案内人、狩野光昭いわき市議による原発作業員についての報告をまとめてくれました。

  

いわき市議会議員の狩野さんからは、原発で働く人々の健康被害や労働条件の酷さについての話がありました。現在、廃炉作業と除染作業にそれぞれ毎日6000人の作業員が従事しています。

 

作業員の中には、ごく一部ですが、賃金未払いや雇用契約に悩む作業員もおり、原発労働者相談センターを20152月に立ち上げ、労働問題の解決に取り組んでおられました。 作業員は全国から福島県に集まっており、福島県だけでなく、全国で労働者教育に取り組む必要があると感じました。

 

ボランティアとして調査活動を行いながら、原発労働者の相談センターを運営していることから得られた貴重なお話を伺うこともできました。

 

また、黒いフレコンバッグが山積みになっている様子を見ると、街が元の姿を取り戻すまでには、相当な時間を要すると思いますが、これからが本当の復興の正念場だと感じました。

 

 

さらに狩野議員からは、原発の建設、運営で膨大な利益を上げてきたゼネコンが、原発事故後も除染や防潮堤の建設、その他の様々な建築工事でさらなる利益を得ている構造についての指摘もありました。

 

今回の3日間にわたるフィールドワークで感じたことの一つは、チームワークの大切さです。一人で経験したのではなく、10人が福島で時間を共にすることで理解や共感が深まり、より豊かな全体像を把握することが可能になりました。

 

その全体像は現地での「体感」「体得」に基づいています。例えば、避難指定が解除されている地域で民家の9割方には誰も住んでいない様子を直接目にすることで、また物を買える店も周りにはない上、子どもたちの姿も見えないことから、帰還の難しさを肌で感じることが可能になったのです。

 

帰還できないのは、放射線量の高さが主な原因ですが、これも線量計の数値を現地で確認しながら問題の深刻さや理不尽さを共有できたと思います。

 

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そしてこれほど大規模かつ長期的、深刻な状況を創り出してしまった責任についての国や東電、原子力ムラの言動は許しがたいこと、またこうした事態がこれからも続くことが明白であるにもかかわらず、「収束化」を図ろうとする国や東電、原子力ムラに対して、私たちが声を上げ続けなくてはならないことを改めて強く感じました。

 

今回、福島で私たちのフィールドワークのために貴重な時間を割いて下さった多くの皆様に心から感謝しつつ、新たな決意を固めたことを再度、強調します。

 

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2017年6月26日 (月)

福島原発被災地フィールドワーク② ――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――飯館村、浪江町、南相馬市の視察――

 

フィールドワーク2日目の625()は、朝 8:30 にホテルを出発して飯館村役場へ。

 

研修IIは、飯館村の視察でした。視察させて頂いたのは、331日に居住制限区域解除された地域、そして除染物質集積作業です。案内役は前福島地方平和フォーラム事務局次長の菅野幸一さんでした。

 

飯館村では、今年の331日に、帰還困難区域である長泥地区を除いて「避難指示解除準備区域・居住制限区域」の避難指定が解除されました。今日の視察では、その一番南の端にある「減容化施設」の前――それは帰還困難地域としての指定が続いている浪江町との境界近くなのですが――まで、飯館村内の状況をつぶさに見ることができました。

 

                 

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減容施設からの帰り道は「飯館発電」という名前で、村民の皆さんが中心になって進めているソーラー発電事業の現場を体感することができました。

 

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視察後の参加メンバーの報告と感想です。最初に私鉄広電支部の木村浩隆さんの寄稿です。

 

バスで飯館村南側半分を視察しました。ここは村の中でも線量の高い地域です。村全体の避難状況は人口約6000人、1800所帯で、被災当時と大きな変化はありません。日曜日のため除染作業は行われていませんでしたが、住民不安に対応するために設置されていた線量計が目立ちました。

 

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目盛りは0.619マイクロシーベルト/時です

 

これも大切なのですが、国が昨年8月に、「ネットで確認できる」という理由で線量データの定期的公開を止めてしまったため、地域ごとの比較や総蓄積量の把握等、困難・不便になったことも多くあります。

農作物についても線量の測定は行われていますが、特筆すべきなのは、コウダケ等のきのこ類の数値です。特に高いことが問題なのですが、高齢者の中には「仮に害が出ても、もう残り少ない人生だから」と言って食べる人も多いとのことでした。

大きな問題の一つは、医療です。市の診療所は、市外から医師が「往診」という形で週二回、午前中だけ来てくれて存続されている状況です。また、役場横にある老人ホームは、震災後避難はさせませんでした。移動に伴う身体的負担が大きいので、そのリスクを避けるためでした。さらに役場の裏には全国初の市営の本屋が作られていました。

減容施設のある蕨平地区は、村内で最も線量の高いところで、今は立ち入り禁止区域になっていますが、ここで減容化された放射線汚染物の再利用についても検討されています。

除染そのものは、昨年12月で一応完了されたことになっており、現在はスポット的に線量の高い場所についてのフォローアップ除染が行われています。また、除染された土やゴミを入れるフレコンバッグは数年しか持たず、今後、除染されたものをどう処理するのかという大問題には答が出ていません。

 

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現地に来て、テレビで視たときとは違う現実を目の当たりにして、問題の大きさを改めて実感しました。広島に持ち帰り、一人でも多くの人に認識を高めて貰い、私たちでできることをもっと広範に共有し頑張りたいと思いました。

 

同じく広電支部の松本知孝さんの追加のコメントです。

 

飯館村に入った時、震災前はのどかで平和な暮しがあったのだなと感じました。そして震災から6年経った今も、「復興」は見た目には感じられませんでした。それは、村内の至る所に除染物の仮置き場があることとも深く関わっています。

阪神淡路大震災の際は、6年経過した時点である程度の復興が見て取れました。しかし福島では原発事故故の大きな負担があり、被災地の復興を妨げています。

「原発さえなければ」という思いで、脱原発そして核なき世界を実現すべく訴え行動して行きたいと思います。

 

午後は13:00から、浪江町の331日に居住制限区域から解除された地域そして津波被害の視察、その後南相馬市の201721日に居住制限区域から解除された地域、ならびに津波被害を視察しました。案内役は相馬地方平和フォーラム代表の寺田亮さんです。

 

広島県原水禁常任理事、広教祖の石岡修さんは午後の視察を次のようにまとめてくれました。

 

浪江町請戸漁港を見下ろす震災慰霊碑に花を手向けながら、瞬時に日常を飲み込んだ深い悲しみに思いを寄せていました。

 

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そして午後に視察した二つの地域、困難を抱えながらも復興に向けて進み始めたかに見える南相馬と、見通しが立たないまま避難指示だけが解除された浪江町の現実を目の当たりにしました。

誰もが故郷に帰りたいと思うだろう。しかし、帰還率1.5%の浪江には、帰ることをためらわせる現実が横たわっていました。

6年の月日を経た我が家に愕然とし、動物に奪われた家を取り戻すためには解体を決意せざるを得ないのですが、その決断をためらう人の多いことも理解できます。子どもの声が聞こえない場所に未来を描けない、あるいは人が住まない土地で仕事が再開できるのか等、不安の種には事欠きません。その不安を何より増大させているのが、廃炉への見通しが全く立たない原発の存在そのものです。

「避難解除が復興の証」などと決して言わせてはなりません。そのためには多くの人が原発事故の引き起こした現実を確認し、証言することが不可欠です。そのことを何より強く感じた一日でした。

 

広島県原水禁常任理事・前事務局長の藤本講治さんによる追加のコメントです。

 

  浪江町と南相馬市は、大震災と大津波によって起こされた原発事故が元で放射線への不安が続き、未だに日常の暮しが取り戻せない地域です。

 

 

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津波で破壊され今でも取り残されている家

 

 27カ月ぶりに訪れた被災地は行政や地域住民の復興に向けた並々ならぬ営みの中で復興への道筋が出来上がりつつありました。

  しかし、除染物質集積の仮置き場が至る所にあるという現実にも心が痛みましたし、津波に流された街なみ、荒れ果てた田畑、子どものいない学校(廃校)など、原発震災の傷跡を目の当たりにして原発事故が終っていないことを痛切に感じました。

  「浪江町東日本大震災慰霊碑」に参加者一同献花をし、震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りするのと同時に、被災地の早期復旧・復興を願いました。「原発事故さえなかったら」という被災者の叫びを心に刻み、脱原発の取り組みを強めて行こうと決意を新たにした一日でした。

 

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2017年5月18日 (木)

花のスケッチー森の工房AMA便り

    花のスケッチー森の工房AMA便り

 

サクラやヒラドツツジが終わっても5月もいろいろな花が忙しく咲く。障害者が毎日通う安芸の郷の2つの建物、森の工房AMAと第2森の工房AMAの庭でもこの季節は新緑と相まって毎日新しくいろいろな花が開花している。516日の様子を紹介。

 

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森の工房AMAの食堂は折り戸を開放して木々を通した風や緑を感じながら昼ごはんを頂く。

 

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庭の新緑のモミジにはこの時期薄紅色の羽をつけた種がたくさんついている。

 

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赤いブラシの形をしたカリステモンの花も咲きはじめた。

 

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搭屋の軒先の紫色のジャーマンアイリスはそろそろ終わり。

 

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そのジャーマンアイリスのスケッチが第2森の工房AMAの庭で午後から始まった。

 

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  庭にベンチを並べて

 

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 目の前に咲くジャーマンアイリスをスケッチする。この後室内で絵を完成させる。

 

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スケッチしているのは障害福祉サービス事業所の森の工房やの・生活介護の芸術クラブに所属する利用者の皆さん。毎週火曜日と木曜日は午後から作業をやめて自由活動を行うことにしているので、好きな絵を描く楽しみが体験できる。(森の工房やのの生活介護にはスポーツと芸術の2つのクラブがある)

 その作品を紹介。

 

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 描いた人 森の工房やの・生活介護くるみ班 女性 クレヨン・背景は水彩絵の具

 

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 描いた人 森の工房やの・生活介護オリーブ班 男性 クレヨン・背景は水彩絵の具

 

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 描いた人 森の工房やの・生活介護もくれん班 男性 クレヨン・背景は水彩絵の具

 完成した絵は作業室の掲示板に発表される。

2017517日  

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年5月13日 (土)

森滝市郎先生と座禅

森滝市郎先生と座禅

 

昨日、生前森滝市郎先生が、教え子たちとともに何度も通われた竹原市忠海町の小林窟(しょうりんくつ)座禅道場を、森滝春子さん(森滝先生の次女)とそのパートナー田室さんと一緒に訪問しました。 

小林窟道場は、勝運寺という古刹のすぐ上側の閑静な場所にあります。春子さんの来訪を心待ちにされていた第五代道場主・井上希道老師との懇談の時間は、静けさの中で心安らぐ思いで過ごすことができました。

 

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森滝市郎先生と座禅を行ってこられたことは、このブログでもかつて紹介したことがありますが、森滝先生にとっての座禅の原点ともいえる小林窟道場を森滝春子さんと一緒に訪ねたいと思っていましたが、それがようやく実現したのです。 

 

森滝先生の座禅との出会いは、学生時代のようですが、小林窟道場とのかかわりが深くなられたのは、広島大学に禅道会を作り、校内で学生たちとともに座禅修行を始められた時からのようです。その座禅の指導をされた方が、第3代道場主井上義光老師でした。

そのため先生は、広島大学出の座禅会を行うとともに、夏休みなどには学生たちと竹原市忠海の小林窟道場に出かけられ、修行を積まれたようです。

また先生は、この地に専用の座禅道場を作るため(それまでは、勝運寺の本堂が座禅堂となっていた)、学生たちとともに托鉢も行われたようです。その時の写真を今日拝見しました。

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                         托鉢に出られる森滝先生(一番左)

私はこれまで、「森滝先生と座禅」と言えば、慰霊碑前の座り込みとのつながりを想像するだけでした。ところが今回、この小林窟道場を訪ねるにあたっていろいろと調べてみたり、昨日井上老師のお話をお聞きすると、座禅は、森滝先生の人生のすべてに深く根差しているということがわかりました。そのことを私は、次のような文章の中から学びました。

 

森滝先生が被爆された8月6日の日記にこうした記述があります。

「一時間ばかりして重傷者とともに市内の病院に送らるるため、貨物自動車にて出門す。しかるに江波の町家屋破壊し、道路進み難く、付き添いの西山君ら道路の木材などを取り払いて車僅かに進む。(中略)行く手煙に包まれ、すでに車進み難く引き返す。(中略)自動車ようやく(造船)所に帰る。しばらく学徒教室に憩いようやくにして救急所に収容さる。結城眼科医診察し右眼失明覚悟を申し渡さる。眼部に包帯を施され、救急所一部に禅を組みて座す。しばらくありて所長・・・・」

失明の危機の中、そして混乱のさなかにも座禅を組まれた森滝先生。

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次は奥様しげさんの述懐です。先生の卒寿を記念して発刊された本への寄稿文からの引用です。

 

 

「そして退院の時、担当の先生が、これほど重傷だった肋膜炎が良く治ったね、と仰ったとき、私は勿論先生のお陰と頭が下がる思いをしたのであるが、その一方、学生のころから参禅していたという夫の、その座禅によって得た精神力というものも初めて感じたのでもあった。」(金子注:結婚された間もないころのこと)

 

夫は学生時代から参禅していて、これがいつ何をやるときも精神的な根底になっているようである。原爆に遭い、片眼を失って星田眼科に入院しているとき夫が得たもの―『力の文明より滋の文明を』というのもやはり禅と通じる道であり、『最大多数の最大幸福』と英国倫理学から学んだことも、実践に移してこそ、今日に生きる倫理となる。」

 

 

座禅で修得した胆力は原水禁運動への取り組みを強固なものとし、命を大切にすることは、これもまた学んだ倫理学の奥所であり、慈の文化の第一歩である。」

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森滝先生の運動の中には、幾多の困難な出来事や時期があります。それを森滝先生は、座禅で培われた精神力によって克服されてきたのだなと思います。

 小林窟からの帰りの車の中で春子さんからこんな話を聞きました。

「父は、外でどんなことがあっても家に帰って家族に話すようなことはありませんでした。でもそんなとき、必ず自分の書斎にこもり座禅を組んでいました。」

私にも、いつも優しく接していただいた森滝市郎先生の姿を改めて思い起こしています。

 

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2017年3月28日 (火)

凄い人にお会いしてきました ――ヒロシマに住んでいることの「役得」です――

凄い人にお会いしてきました

――ヒロシマに住んでいることの「役得」です――

 

人間社会で面白いのは、何事も「絶対的」ではないことなのかもしれません。例えば、広島に住むという選択をしても、それが常に「絶対的」に正しいと思える訳ではなく、「田舎の勉強より京の昼寝」といった感慨を催す日もありますし、前にも報告したように友人たち、そして今日のように時空がつなぎ合わせてくれた凄い人にお会いできるのも、広島に住んでいるからこそだと確認できホットする日もあります。

 

その「凄い人」をTさんと呼びますが、私の小学校の同級生の10歳年上のお姉さんです。

 

               

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真ん中がTさん


しかし、知力体力とも私が負けそうなくらい充実しています。それを裏付けるエピソードを話して頂きましたが、Tさんは戦後間もなく、千葉高女に進むのですが、そこで当時はまだ珍しかったテニスを始め、県大会で5回優勝し、国体にも5回出場、最後の年には三重県代表成川・島田組に負けて準優勝という「凄い」経歴の持ち主です。

 

これが凄いのではなく、Tさんがテニスをしてきたことを先ず紹介しないと話が通じませんので、「前振り」なのですが、最近、知り合ったのが近所のお宅に「お嫁に来た」女性Aさんなのだそうです。毎日テニスのラケットを抱えて家の前を通るので「あなたもテニスをなさるの」と声を掛けて、しばらくして「一度一緒にテニスをしましょうか」と話せるくらい仲良くなったのだそうです。

 

近くのテニスクラブに行くと、一時間5000円でコートが借りられることが分り、「時間がもったいないから休みなしで打ちましょう」という合理的精神で、50分みっちり楽しんだそうなのです。そして次の日、若いAさんから電話があり、「Tさん、腕と足が痛くありません?」とのこと。「私は何ともありませんよ」と答えたのに対してAさんは「私は腕と足が痛くて痛くて」だったのだそうです。

 

駅までお迎えに行ったのですが、ちょっと重そうな鞄をお持ちだったので、「持ちましょうか」と手を出したのですが、「大丈夫。自分で持てますから」と全く苦にならない様子でした。

 

本論に入るのに時間が掛っていますが、84歳で頭脳明晰、弁舌爽やか、人のお世話をするのが大好きで、口だけではなく有言実行を絵に描いたような人でした。今の政治状況を何とかするためには、彼女に国会で活躍して貰いたいと思ったくらいです。

 

中間を飛ばしても、一回に収まるかどうか分りませんが、文学を志すお兄さんに影響を受け佐多稲子さんの薫陶も受けたのですが、縁あって結婚、大阪に移ることになったのですが、そこで分譲をしていた千里ニュータウンに住むことになりました。

 

それからすぐ、それまで「グリーンベルト」という触れ込みで知らされていた場所にゴミ焼却場が建設されるという計画に変更されていて、もう工事が始まっていたことを知りました。そしてTさんはすぐ反対運動を始めます。1964年から1968年の間、つまり32歳から36歳までの間です。

 

今私たちが「市民運動」という言葉から連想する全てのことを実行し、政治家にも官僚にもマスコミにも働きかけ、万博のゴミを償却するための焼却場を、住んでいる人が近くにはいない万博開催地の隣に移させることに成功したのです。

 

行政が一度決定したことを変えさせるのは、今でも大変ですが、50年も前の日本でそんなに凄いことを市民の手で実現していたとは!!

 

それだけではありません。この闘争を担ったのは主婦たちだったのですが、法律や制度についてもしっかり勉強し、また行政や政治家マスコミ等との付き合いもしてきた人たちがそのまま「主婦」だけに戻ってしまうのはもったいないと考えて、この闘争に関わった人たちに呼び掛け、結局70名が参加する勉強会を組織したのです。会の名も、「踏まれても踏まれてもくじけない雑草」をイメージして「雑草グループ」と名付けたそうです。

 

毎月、第3金曜日の午後1時から4時まで集まり勉強をして、23年間活動を続け、今でも年二回集って近況報告をする会として存続しているそうです。その際に、現在の社会を見る価値観は変っていないことに勇気付けられていると、Tさんは言っていました。

 

最初に想定した通り、一回では終りませんでした。続きをお楽しみに。

 

 

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2017年3月14日 (火)

漢字表記・用字辞典 ――最初は「用字便覧」を多用していました――  


漢字表記・用字辞典

――最初は「用字便覧」を多用していました―― 

 

「老化現象が進んでいると感じるとき」という題で高齢者の経験を募ったとして、必ず出てくるのは「漢字を忘れる」でしょう。

 

自慢ではありませんが、私はもう40年も前からこの経験をしています。アメリカに住み始めて少し経ってからのことなのですが、日本の友人からの手紙に、その前に私の方から出した手紙の一部が同封されており、間違って使った漢字の添削をしてくれていたのです。今でも覚えている間違いは「頂」と「預」ですが、他にもユニークな取り違いをいくつかしていました。

 

その対策として手に入れたのが、小桜書房発行の『用字便覧』です。

 

                 

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新聞記者の友人に依頼して彼が使っているのと同じものを送って貰いました。確かにとても便利です。中身を御覧頂ければ分ります。

 

 

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もっともネット時代になり、読み方を入力して「エンター」キーを押せば、漢字は一発で出てきますので、最近はあまり使わなくなりました。でも、これも「糟糠の妻」ですので、今でも大切に書棚の一番目立つ場所に置いてあります。

 

と書いてしまうと、いかにも誠実で脇目も振らずに『用字便覧』だけを愛用してきたような感じを与えてしまうかもしれませんが、実は大きな浮気をしています。夏休みに帰国した際に、先ず真っ先に駆け込んだ本屋で『大きな漢字の 漢字表記辞典』(三省堂)を見付けたからです。

 

これも永年使い込みましたが、最近は紙が変色して読み難くなりましたので、その最新版『見やすい 漢字表記・用字辞典』を愛用しています。

 

 

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こちらの『辞典』が気に入った理由なのですが、クイズ風に中身を見て答を当てて見て下さい。

 

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一つには、単語だけでなくフレーズが付いているので分り易いことです。「肥やす」だけではなく「私腹を肥やす」で、使い方までリフレッシュして貰えます。もう一つは、画数の多い漢字を大きく表記してくれているので、実際に書くときに助かることです。因みに、左下の三つの漢字は上から、「ごまめ」「こめかみ」です。

 

そして三つめは、serendipityです。これは、引っ越し準備で思いがけない発見があった報告の時に使った言葉ですが、2ページを目の前にして、何か新しい発見がいつもあります。『用字便覧』でも、それは経験できるのですが、フレーズが並んだレイアウトと、漢字の位置のバランスが良く、こちらを使って楽しむようになりました。

 

 

グーグルでは味わえない楽しみですので、こちらも書棚ではすぐ手の届くところに置いてあります。

 

 

 

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コメント

この本いいですね。『見やすい 漢字表記・用字辞典』
確かにパソコン等で読みを入力したら候補の漢字がいくつか出ますが、どの漢字が適切なのかを悩むことがあります。
ネット検索をすれば簡単に出るのでしょうが、学生時代に辞書をめくりながら勉強してきたので辞書をめくる方がなじむので、パソコンの側には国語辞典や漢字辞書や英和辞書があります。(笑)

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。「昭和の歌を守る会」「筆記体を守る会」に続いて「昭和の辞書を守る会」を立ち上げましょうか。

2017年3月 9日 (木)

森の工房AMA春のブルーベリーフェア


森の工房AMA春のブルーベリーフェア

安芸の郷はいつもは障害者の皆さんが働いているところなので、ふだん地域の方々とふれあうのはcaféさくらでのお客様としての利用と、事業所の見学にお見えになる方々に大別される。この日常の合間に事業所内で4つの大きなイベントを開催して地域の皆さんとふれあう場づくりを行っている。3月と10月のブルーベリーフェア、8月のブルーベリーまつり、12月のクリスマスコンサートがそれで、利用者と職員で生産する製品販売や食の提供、ブルーベリーの楽しみ方の相談会、コンサートなどを事業所内外の空間をいろいろにしつらえて、ふれあいの場としてしばしの間楽しんで頂いている。

 

311日(土)は午前10時から午後1時半まで安芸の郷の建物森の工房AMAで春のブルーベリーフェアが開催される。

 

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森の工房みみずく、あやめ、やのの3つの事業所で作られる

 

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天然酵母のパンや、(当日もパンを焼くので焼き立ても購入できる)

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クッキー、ブルーベリージャムや苗木、工芸品に加えてこの日は10種類ものショートケーキなどのスイーツ、ブルーベリージュース、サンドなどを揃えて

 

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お客さんや利用者家族が食堂やデッキのある庭で食べながら買い物ができるフェアになっている。そして、

 

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冬から春はブルーベリーの剪定時期なので実演と育て方の相談も行われる。剪定の実際はブルーベリーの先進地大崎上島町での農家を対象とした剪定講習会以外にはあまり行われていないので毎回喜んで頂いている。もちろんブルーベリーの苗木と土の販売も行われる。このようにブルーベリーに関しては食べる、育てるトータルな楽しみ方を発信している。

 

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工芸品ではもう20年以上前から作っている広島カープ球団のカープ坊や、スライリーなどの絵ぞうきんや木工、藍染の製品が揃えてある。(球団のご厚意でライセンス使用料は無料の許可を頂いている)

 

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安芸の郷のパンの種類のチラシ。フェアの日はこの中から人気のパンの何種類かとフェア限定でブルーベリージャムと生クリーム入りのコッペパンを製造予定。なおこのパンは紙屋町の地下街シャレオの本通り側の「ふれあいプラザ」で火曜日と金曜日の夕方納品、販売している。

 

日本の春色の始まりは黄色からやってくる。それから桜色、紫色がつづく。事業所内でも春の黄色い花が咲いてきた。フェアでも楽しむことができる。

 

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森の工房AMAの庭のサンシュの花。

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2森の工房AMAの温室のミズナの花。

 

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2森の工房AMAのミモザの花。

 

幸い311日は晴れの天気のようなので利用者、職員、ボランティアグループで気持ちよくお向かえしたいと思っている。

 

201737日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良


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2017年3月 7日 (火)

ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017 続編 ――「託されたもの--大地と人と。」―  

ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017 続編

――「託されたもの--大地と人と。」―  

 

お父上の亡くなられた後、樽川さんは父上の残された詳細な日誌を読みながら自力で農業を続ける決心をしました。何故、農業を止めないのかという問には、「父が死んだら何もできなかった」と言われたくなかったからと答えたそうなのですが、それは自問自答によって決意を固める意味もあったのではないでしょうか。自力で努力して結果を出すまでには10年掛かるのかもしれないけれど頑張っている、「今」の報告にも多くのことを考えさせられました。

             

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発言する樽川さん(中央)。左から中澤、ビナード、樽川、秋葉

 

分らないところは人に聞けば教えて貰えるだろうが、できるだけ他人には頼らず、父のノートを参考に工夫を重ねたい。

 

売ることのできなかったキャベツは3週間後の検査で、セシウム134137合わせて86べクレルあることが分り、500ベクレル以下という基準は満たしていたけれど、県が出荷停止の決定をしたので売れなくなった。でも賠償請求ができることが分った。結局、一株200円×8000株で、160万円は取れた、でもそれは一年ぽっきりで、次の年からは販売実績がないと賠償は受けられない。

 

売るためには、放射能が残っている畑で栽培をし、低価格で出荷しなくてはならない。売れた値段と震災前の値段との差額を補償して貰える。でも、少しでも放射線のある作物を出荷する農家の気持は複雑だ。

 

国と東電への抗議行動も続けている。未だに、帰宅ができない人もいる。その人たちは、一人当たり月20万円貰っている。5人家族なら100万円。その人たちは文句を言わない。そして県内でも隔たりがある。私たちには、事故後一人当り8万円の賠償があった、そして次の年に4万円、合計12万円。それ以外には何もない。それでは納得が行かない。このような理不尽さを許してはならない、繰り返してはならないと考えている人たち4000人が集って、訴訟を起こした。「生業(なりわい)を返せ!地域を返せ!」訴訟だ。315日には判決が下る。

 

我慢できないことはまだまだある。うちでは五右衛門風呂を使っている。薪を燃やして風呂を沸かすのだが、燃やした後の灰の放射線量は高い。一キロ当たり18000ベクレルあった。薪のおが屑を調べて貰ったら、キロ当たり600ベクレルだった。燃やすと濃縮されるということだ。

 

これまでは、自分で取ってきた薪を使えたのに、それが出来なくなったのだ。汚染されていない薪を提供して欲しいと要請したが、それはできないということで、汚染されていない薪を買わなくてはならない。そのためには2年間で20万は掛かる。それもずっと続く。しかし、一時金として30万を提示されて、結局それで手を打つしかなかった。

 

自分で8代目になる農家として、今農業を止めて土地を売ることなど到底できない。拘束時間は長いができることは限られている上、自営業の限界もある。その中で生き延びるためには、父とは違う発想も必要になってくる。父は、少しでも多くの株を育てて数で稼ぐという方針で頑張った。でもそれはできないので、ハウスでの栽培を導入して、作物の時期をずらすことで独自性を持たせている。

 

まだ結婚はしていないが、結婚する気はある。でも毎日、農作業に明け暮れているので出会いがない。

 

最後のコメントは、シンポジウム後の打ち上げの席で、主催者側の一人が「結婚は?」と聞いた時の答です。良き伴侶を得ることで、樽川さんの闘いに新たなエネルギーが注入されることは間違いないと思います。そして年配者の一人として、そのためのお手伝いもできればと思いますが、それ以前の課題として、私たちがフクシマを忘れずに、被災者一人一人の立場に立って、寄り添い考え行動し続けなくてはならないことを肝に銘じたいと思います。

 

涙なくしては聴くことのできない樽川さんのお話でしたが、司会の中澤さんの一言「涙を流すより考えて欲しい」が耳に残っています。

 

 

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2017年3月 4日 (土)

大腸内視鏡検査 ――受ける側からはとても簡単になりました―  


大腸内視鏡検査

――受ける側からはとても簡単になりました―  

 

以前、大腸のポリープを切除して貰ったことがあり、それから定期的に検査を受けています。内視鏡もそれを使う技術も進歩していますので、検査を受ける側からはとても簡単になりました。それでも、先ずは腸内をきれいにしなくてはなりませんので、前の晩から下剤を飲む必要があり、検査当日には絶食、準備室に待機して下剤を飲み何度かトイレに行って腸内が空になって検査です。

            

Photo_2

            

右側にトイレが並んでいます

 

検査そのものは30分ほどですが、腸内の映像をモニター画面に映しながら、担当の医師が説明してくれる時代になるとは、子どもの頃には想像だにできませんでした。

 

その後、主治医のK先生から説明を受けましたが、切除すべきポリープがあったようで、次回は手術です。

 

よくポリープができるのは何故なのか当然、気になりますので、いろいろ調べて来ましたが、ネット上での説明で分り易いものがありました。簡単にまとめると、遺伝の影響、食生活、加齢、それにお酒の中でもビールの影響がありそうです。ビールを止めなくてはならないほどではないと思いますが、食生活に気を付け、運動も適度にして、ビールのドクター・ストップが出ないように心掛けたいと思っています。でも、検査終了の祝杯をビールで、と考えてしまう思考回路も要修正かもしれません。

 

 

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2017年2月15日 (水)

バレンタイン・デーの由来 ――チョコレートの他にも大切なことがあります――  


バレンタイン・デーの由来

――チョコレートの他にも大切なことがあります――  

 

214日は、バレンタイン・デーですが、2004年に上梓した『報復ではなく和解を(旧版)(岩波書店刊)と2015年刊の『新版 報復ではなく和解を』(岩波現代文庫)  の中で、その由来に触れています。ちょっとお説教臭くなってしまいましたが、読み易い形で再録してみましたのでお読み頂ければ幸いです。

 

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バレンタイン・デーというと今では義理チョコまで登場するような大変日本的な習慣になってしまいましたが、起源を見ると意味がかなり違います。

 

いろいろな説があるのですが、通説としでほぼ定着しているのは、西暦三世紀、ローマ皇帝のクラウディウス二世、大変過酷な悪政を布いた、しかも戦争が好きだったということで不人気だった皇帝です。

 

彼の治下、戦争に行きたくない若者が多かった。なぜ若者たちが戦争に行きたくないか、皇帝が考えたら、家族とか愛する人たちがいるからだという結論になりました。そこで皇帝クラウディウス二世は結婚を禁止しました。そのときローマのキリスト教司祭だったパレンチーノという人がいたのですが、英語の名前はバレンタイン、彼は秘密裡に若者たちの結婚を執り行なっていました。秘密が漏れない聞は良かったのですが、皇帝にばれて投獄され、遂に二月十四日に処刑されたという歴史があって、それがローマ時代のずっと長い間続いていた二月のお祭りと一緒になってバレンタイン・デーになったという説があります。

 

だとすると、バレンタイン・デーというのは、本当は反戦の日ではないか、戦争に反対をするとはどんなことなのか、あるいは戦争の意味について、家族について、愛の意味について考える日なのではないでしょうか。

 

                             

Photo_2

123RF画像


その愛の意味を非常に表面的なレベルで捉えているバレンタイン・デー、表面的なレベルといってしまってはちょっと言い過ぎかもしれませんが、もっと深い意味があることに心すべきなのではないでしょうか。

時代的に近いことで思い出すのは、ギリシャ時代のアリストパネースの『女の平和』という戯曲です。これまた、女性と平和についての非常にいい問題提起をしていると思います。芸術と平和の聞には切っても切れない関係がありますし、平和な世界を実現する上で女性の役割にもさらなる期待をしたいと思います。

 

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