ファッション・アクセサリ

2017年9月25日 (月)

英語で見る夢 ――田英夫さんを懐かしく思い出します――


英語で見る夢

――田英夫さんを懐かしく思い出します――

 

 

昔よく見た夢の一つは空を飛ぶ夢でした。子どもの時だけではなく大人になってからも良く見ましたが、最近はあまり見なくなりました。手を翼のように広げて動かし、体の角度を変えることで方向やスピードが自由に変えられますし、どこにでも行けるので楽しい夢でした。夢の中で飛んでいるのは自分ですので、その姿は見えません。ネットで見付けた、飛ぶ男性のイメージから想像するとこんな感じなのかもしれません。

 

               

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版権:robeo / 123RF 写真素材

 

もう一つ良く見た夢は、空港での乗り継ぎトラブルの夢です。出発ゲートが変ったり、時間が変更になって何とか間に合うケースなのですが、具体的なイメージでは昔の羽田空港、そしてニューヨークからボストンへの乗り継ぎの場合が多かったような気がします。

 

夢の中では、空港の係員やキャビン・アテンダントとのやり取りもするのですが、もちろん英語です。そして飛ぶ夢、空港の乗り継ぎだけではなく、私の見る夢の半分くらいは英語の夢だということに気付いたことがあります。

 

20年以上も前になりますが、そんな話をとても面白がってくれた人がいました。当時参議院議員だった田英夫さんです。元々は、TBSの人気報道番組のキャスターとして活躍しその後、社会党・社民党・その他護憲派のリベラル政党を立ち上げる等、市民派議員のリーダーとして活躍されました。特に、小選挙区制導入に反対するために超党派、つまり自民党の議員たちも仲間に加わっての活動で御一緒できたことは私にとっては貴重な経験でした。

 

政治家として尊敬してきた方ですが、頭のてっぺんから爪先まで「gentleman」つまり「紳士」という言葉がピッタリの方でもありました。

 

 

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参議院議員時代の田さん

 

ゴルフやスキーもお好きで、市民運動結集のためのイメージとして田さんが強調していた「南斜面の政治」がとても印象的でした。市民の作る政治は「南斜面」のように日が差し、明るさと希望に満ちている、そのイメージで市民運動を作って多くの人に集まって貰おうという呼び掛けです。

 

時代を先取りした政治感覚を共有できる人がもっと多ければ、田さんをリーダーとする大きな政治的な動きができたのだと思いますが、時代の変化は田さんの先見性に付いて行けなかったような気がしています。

 

田さんの先見性で思い出すのが、キャリーバッグです。海外旅行だけでなく、国内旅行でも今なら当り前になりましたが、私の使っていたのは、パイロット用のフライトバッグの時代です。スーツケースに滑車の付いた、しかも手で引くことのできるキャリーバッグが便利だと教えてくれたのが田さんです。

 

そして、私が英語で夢を見ることをとても面白がってくれたことも忘れられません。なじみのない人たちも交えた集まりでは、「アイスブレーカー」として、つまりその場の和やかさを作りだすために、「彼は英語で夢を見るんだよ」と話を切り出して、その場のぎこちなさを解消するネタに使ってくれていました。

 

田さんが亡くなられてから10年近くになりましたが、家人から「昨夜の寝言は英語だったよ」と言われるたびに田さんを懐かしく思い出しています。

 

 

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2017年9月14日 (木)

何故「カルバン・クライン」なのですか? ――本拠はニューヨークです――


何故「カルバン・クライン」なのですか?

――本拠はニューヨークです――

                

Calvin_klein_ad_in_manhattan

             

ニューヨークで物議を醸したCalvin Kleinの広告

版権: <a href='https://jp.123rf.com/profile_zhukovsky'>zhukovsky / 123RF 写真素材</a>

 

外国の固有名詞の片仮名表記で一番長くモヤモヤが続いていたのは、「カルバン・クライン」です。元々は「Calvin Klein」なのですが、何故「カルバン」?

 

ウイキペディアでも「カルバン・クライン」ですし、ネットで検索してもほとんど全て「カルバン・クライン」で統一されています。

 

御丁寧にYahoo!知恵袋での質問には、次のような回答もありました。「カルバン・クライン」と「ミッシェル・クラン」とどちらも「Klein」なのに、なぜ表記が違うのか、に対する「ベストアンサー」は、「カルバン・クライン」は英語読み、「ミッシェル・クラン」はフランス語読みだからというものなのです。「カルバン」は英語読み?という疑問符が付きます。

 

疑問を解くために、「Calvin Klein」の日本語公式サイトで確かめてみました。それが一番手っ取り早いはずですので、見てみると  Calvin Klein Japan – Official Online Storeは次のような感じです。つまり、目次を除いて日本語表記はありません。

 

Calvin_klein_official_online_shop

 

このサイトでも、本拠はアメリカであることが分りますし、ウイキペディアでも「Calvin Klein」の本拠はアメリカで、Calvin Klein氏本人もアメリカ人であると書かれています。となると、読み方はアメリカ英語の発音に従うのが自然でしょう。

 

では、アメリカ英語で「Calvin」をどう読むのかですが、このファースト・ネームを持つもう一人の有名人がいます。アメリカの第30代大統領の「Calvin Coolidge」です。その読み方ですが、「カルヴィン」または「カルビン」が普通です。今まで、クーリッジ大統領関連の片仮名表記で、「カルバン」は見たことがありません。

 

もうこれで十分だと思いますが、「Calvin Klein」は「カルビン・クライン」が元の発音に近く、「カルバン・クライン」は、それよりかなり離れています。耳でも確かめて下さい。困ったときのYouTubeのお出ましです。



 

 

まだ、納得が行かない方のために、「多数決原理」を採用してみます。複数のスピーカーが、どう発音しているのかを録音しているサイトがあります。矢印を次々に押してみて下さい。御自分の発音を残すこともできます。

 

 

最後に発音とは関係がないのですが、ちょっと目を引く「トリヴィア」です。「Calvin Klein」社のホームページで「About Calvin Klein」の説明を読んで初めて知ったことなのですが、「Calvin Klein」のブランドは「PVH Corporation」が所有し、世界中に製品を販売しているそうです。自社ブランドの他にライセンスされたブランドとして多くの名前で製品を供給しているのですが、その一つに「Donald J. Trump Signature Collection」、つまり、「ドナルド・J・トランプ コレクション」があるのです。

 

「カルバン」と「カルビン」の違いが大きいと感じるのは私だけかもしれませんし、「コスコ」と「コストコ」のような経緯があるのかも知れません。何か御存じの方がいらっしゃれば御教示下さい。

 

さて三回にわたって、英語の固有名詞を片仮名でどう表記するのかについてお読み頂き有難う御座いました。このシリーズは、続けて行きたいと思います。

 

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コメント

企業名やブランドの場合、イメージ=印象ということも大きな要素です。例えばメルセデス・ベンツの場合、欧米では「メルセデス」、日本や韓国では「ベンツ」とだけ呼ぶことが一般的で、それはベンツという名前が如何にもドイツを連想させるため、かつての欧米では印象(ドイツ=ナチス)が悪く、日本や韓国では印象(ドイツ=技術や医療の最先端)が良い、という理由ということでした。(最近は日本でもなるべくメルセデスに統一しようとしています)

Calvin Kleinは確かにアメリカの企業であり、創業者のCalvin Kleinもアメリカ生まれのアメリカ人ですが、日本のファッション業界ではアメリカよりフランスの方がイメージが良い、という意図もあって、敢えてフランス読みにしているのかも知れません。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

デザインではフランスの方が格が上、という理由は十分にあり得ますね。あるいは、フランス語を齧ったことのあるワンマン社長の思い込みとか、発音の難しさ易しさに配慮したとか、可能性としてはあり得るのですが、確証がないものでしょうか。

こういう場合、当事者に聞くのが一番確かだろうと、直接、と言ってもアメリカ人に聞いても仕方ないと思い、日本サイドで聞いてみました。

日本でCalvin Kleinを製造・販売しているのはオンワード樫山ですが、ブランドを管理しているのはPVHジャパンなので、そちらのカルバン・クライン担当からの回答です。

回答は「本人の発音も、アメリカで使われている発音も、カルビンよりカルバンに近かったので、当初からカルバンという表記にしており、それ以上の意図はない」ということでした。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。またPVHジャパンに問い合わせて下さり、有難う御座います。

YouTubeにアップされている発音から、片仮名表記だとどちらに近いのかは明らかだと思いますが、発声の段階を客観的に測ることはできても、それが耳でどう聞こえるのかの客観的なデータを取るのはかなり難しそうですので、そう言われてしまうとそれでお終いですね。

でも、片仮名表記に関わらず、英語の発音を正確に再現する努力はし続けても良いのかもしれません。

2017年6月28日 (水)

久し振りの銀座 ――「銀座らしさ」が失われて行くのでしょうか?――


 

久し振りの銀座

――「銀座らしさ」が失われて行くのでしょうか?――

 

高校生の頃から銀座には良く足を運んでいました。理由は簡単で、当時の地下鉄は銀座線と丸ノ内線の二本しかなく、通学定期を持っていれば簡単に銀座に出られたからです。それからずっと銀座との付き合いが続いているのですから、自分自身に取っての「銀座」というイメージはかなりはっきりと形作られています。

 

今回、久し振りに銀座で時間を過ごすことになり、その変貌に戸惑っています。もちろん、時代とともに町は変って行きます。かつては銀座のシンボルだった森永の地球儀広告塔がなくなったり、松屋の前にAppleが登場したり、ディオールやブルガリといった一流ブランドが進出してくる等、変化する街には新しい魅力が付け加わっていたような気がします。

 

単に私の好みが独り善がりなだけなのかもしれませんが、今回気付いた大きな変り様に、我が目を疑いました。私の抱いている「銀座」のイメージとはずいぶん違うのです。一つは、4丁目の角の日産ビルです。写真も上手くは撮れていませんが、まずは御覧下さい。

 

             

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そしてもう一つが、松坂屋の後にできたGINZA SIX(ギンザシックス)です。これも写真を御覧下さい。

 

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こちらも、単に私の老化現象のせいで新しいデザインを受け付ける柔軟性が失われただけなら良いのですが、如何でしょうか。

 

でも、まだまだ「銀座」らしい雰囲気はあちこちに残っていました。和光のショー・ウインドーもお洒落でした。反対側にある日産ビルの影が写ってしまっているのが残念なのですが――。

 

 

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それといつも刺激を受ける松屋の吹き抜けのディスプレーです。梅雨の季節の傘から、7月には七夕をテーマにした美しさが登場するのでしょうか。

 

 

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特にお勧めの新発見は、数寄屋橋交差点にリニューアル・オーブンした東急プラザ6階のフリー・スペースです。数寄屋橋茶房の隣のスペースで、数寄屋橋交差点や4丁目交差点を眼下にゆっくり寛げるのが特徴です。こんな贅沢を許してくれる銀座や数寄屋橋であり続けてくれることを祈りつつ、銀座を後にしました。

 

 

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東急プラザからの眺め

上の方に見えるのが、銀座三越と4丁目交差点です

 

  

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2016年9月 4日 (日)

制服 これも「昭和遺産」です

制服

これも「昭和遺産」です

 

自分で提案をしておいて、自分でハマってしまった「昭和遺産」ですが、やはり私たち世代の生きた時代を覚えていて欲しいという気持が、意識しないまでも強くあったのだと思います。それが「昭和遺産」という言葉をきっかけに表に出てきたのだとすると自分でも納得できるのですが、所詮、自己満足の域を出ないのかもしれません。

 

今回は「制服」です。まだ制服のある学校はたくさんありますので、厳密には「昭和遺産」とは言えないのかもしれませんが、私にとっては、とても残念な気持とともに覚えていて欲しいことの一つです。

 

中学時代に、どの高校に入るのかを決めるとき、いろいろな理由があって当たり前です。野球とかサッカーその他の部活を続けるため、そして全国大会に出る、といった大きな夢を実現したいと考える若者もいるでしょうし、進学のためという理由もあるでしょう。通学距離や家庭の事情等も大切です。

 

さて私の場合ですがとても単純で、制服に憧れて高校を決めました。

                

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 制服のない中学に入った時からずっとそう思い続けていた夢が叶ったときの嬉しさは今でも鮮明です。入学後は、真面目だけが取り柄の高校生でしたが、唯一制服だけは誇りに思っていました。

 

ところが、それから20年も経たずして、この制服が廃止されてしまったのです。後輩たちがそう決めたのですから仕方がありません。でも、先輩たちの意見も一度は聞いて欲しかったという思いが今でも残っています。

 

 

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