スポーツ

2018年2月23日 (金)

『天才を育てた女房』  ――「セックス、スクリーン、スポーツ」への警告には触れられていないかもしれませんが――


『天才を育てた女房』 

――「セックス、スクリーン、スポーツ」には触れられていないかもしれませんが――

 

今夜、223日の夜9時からNTV、広島では広テレの金曜ロードショウが素晴らしい番組を放映します。『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛』です。モデルは、私が尊敬する数学者、岡潔先生と先生の奥様みちさんです。

 

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岡先生の簡単な紹介と、先生が警鐘を鳴らし続けた問題点については、「セックス、スクリーン、スポーツ」というタイトルで、昨年の5に御紹介しましたが、その中でも注目に値するのが、1965年に出版されたエッセイ集『春風夏雨』の中の次の一節です。

 

進駐軍が初めて来たとき「進駐軍は日本を骨抜きにするため、三つのSをはやらせようとしている」という巷説があった。セックス、スクリーン、スポーツである。今やこの三つのSはこの国に夏草のごとく茂りに茂っている。私に全くわからないのはこの国の人たちはこれをどう見ているのであろうかということである。

 

それに続けての先生の60年後の予測は、このような努力を行ったとしても、「六十年後には日本に極寒の季節が訪れることは、今となっては避けられないであろう。教育はそれに備えて、歳寒にして顕れるといわれている松柏のような人を育てるのを主眼にしなくてはならないであろう」でした。

 

安倍政権という「極寒」の時代に、「松柏」は既に現れているのでしょうか。松柏に期待しつつ昨年を振り返ってみると、岡先生の予言が60年を待たずして的中してしまった感さえあります。ではどうすれば良いのかを考えていたのですが、そこで閃いたのが、先生の当時の状況分析では「悪の権化」とでも言って良いかもしれない「アメリカのスポーツ」を検証してみたらどうかというアイデアです。それが、アメリカ社会やアメリカ文化、そしてその中での「スポーツ」に注目する理由です。日本社会を毒する最悪のものの一つが、岡先生流に表現すればスポーツ、特にアメリカ流のスポーツだとすると、「悪」そのものを理解することから新たに見えてくるものがあるかもしれないからです。

 

そのために、モハメッド・アリを手始めに、メキシコ・オリンピックの三人のヒーローオーストラリア政府の謝罪女子学生のトニー・スミスフットボール選手のキャパ―ニック等を取り上げ、アメリカ社会とスポーツの歴史を見てきました。そうすることで、我が国のスポーツのあり方、そして社会との関連についてを考える上でも参考になることがあるのではないかという問題提起の積りだったのです。

 

これも老化現象なのかも知れませんが、岡先生とアメリカのスポーツの関係について、きちんと説明した積りでいたのですが、今回チェックしてみたところ、数学教育の専門誌『数学教室』 (国土社刊、20184月号) には書いたものの、このブログには書いた積りになってしまっていて一言も触れていなかったことが分りました。説明不足も良いところなのですが、今回特にその部分だけをお読み頂くために、本稿をアップしています。

 

私の問題提起はともかく、キャストも豪華陣が揃っていますので、『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛』は是非御覧下さい。

 

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2018年2月18日 (日)

アスリートの労働組合  ――アスリートの権利を守るため憲法が勧めている団体です――


アスリートの労働組合

――アスリートの権利を守るため憲法が勧めている団体です――

 

2016_20180217_23_05_51

                             

2016910日、巨人戦出らリーグ優勝した時黒田投手

(この記事とは関係ありませんが、この写真を自慢したくて載せました)

 

覚えていらっしゃる方は少ないかもしれませんが、日本のプロ野球でストライキの行われたことがあります。近鉄バッファローズとオリックス・ブルウェーブの合併、ひいては2リーグ12球団制度から1リーグ制への移行までを見込んだ球界再編の動きに反対して、2004年の918日と19日の土日にストライキを決行しました。

 

その結果、2リーグ制は維持され、その他のプロ野球界の改革も進んだのですが、こんなことができたのは、日本プロ野球選手会が労働組合として認められ、団体交渉権を保障されているからです。そしてこの団体交渉権、そしてストライキを決行する権利は憲法第28条で保障されています。

 

28条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

 

日本プロ野球選手会は1980年に設立され、1985年に東京都地方労働委員会に認められ、正式に「労働組合」としての登記をしています。

 

日本プロ野球選手会の活動は、ホームページで御覧頂けますので、そちらに譲ることにしたいと思います。そして、最近問題になっている大相撲の力士会についても、簡単な比較をしたいと思います。

 

Ryogoku_kokugikan_tsuriyane_0521200

 

By Goki (Own work) [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html), CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/) or CC BY-SA 2.5 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)], via Wikimedia Commons

 

まず力士会は労働組合ではありません。親睦組織です。ウイキペディアでは、簡単な歴史が紹介されています。

 

昨年11月に開かれた力士会の内容は、日馬富士の暴力事件に隠れてあまり大きく報道はされていませんが、スポーツ報知の電子版では、かなり深刻な悩みの吐露されていたことが分ります。サワリの部分を引用します。

 

横綱・白鵬(32)=宮城野=は、元幕内の幕下・翔天狼(35)=藤島=ががんで闘病中だと明かし、人間ドック受診の義務化などが必要だと主張した。横綱・鶴竜(32)=井筒=は相次ぐ故障者の減少を願い、新年に関取衆全員で神社に出かけ、お祓(はら)いや必勝祈願を提案。会合では巡業の食住改善要求も出た。

 

「食住改善」とは、巡業中にビジネスホテルに宿泊することなどもあるようなのですが、例えばその際の食事を普通の宿泊者と同じ分量ではなく、多くして欲しい、部屋やベッドも大きなものが必要といった内容だと報じられています。力士の食べる食事の量が多いことは常識だと思いますが、力士会でこのような要望が出ること自体、呆れて物が言えません。これって人権侵害なのでは。

 

しかし、それ以上に相撲協会と力士会の関係を如実に示している報告がネット上にありました。「シジフォス」というブログです。このブログのユニークなのは、八百長を正式に認めることが力士の人権上の問題だという主張にあるのですが、それはブログを直接お読みの上判断して頂くことにして、力士会を労働組合にすべきだという点は傾聴に値すると思います。

 

シジフォスに引用されていた201121日付の毎日新聞の議事を、以下孫引きしますが、力士会の「要望」に対する協会側の「ゼロ回答」を見ると、対等な立場での交渉ができる労働組合として力士会を認めることが――そのためには世論の力が必要です――出発点なのではないかと思います。

 

大相撲の十両以上でつくる力士会と日本相撲協会執行部との初めての意見交換会が1日、東京・両国国技館であった。

力士会から会長の横綱・白鵬をはじめ70人中67人が出席し、放駒理事長ら4人の理事と約30分間話し合った。会は非公開で行われ、力士会から出された要望について、協会側が回答する形で進行したという。

協会側の説明によると、現在禁止されている自動車の運転を許可してほしいとの要望があったが、事故防止の見地から「これまで通り認めない」と回答。また、野球賭博への関与で昨年7月に協会を解雇された元大関・琴光喜が引退相撲をする場合に力士会として協力することへの是非の確認があり、「参加は各自の判断に委ねる」と答える一方、国技館の使用は認めないとした。

この他、力士会側から公傷制度(本場所の土俵でのけがによる休場は救済する)復活を求める声が上がったが、協会側は「すぐに復活させることはない」と説明した。

初場所中、幕内力士2人が酒に酔って飲食店内の備品を壊すトラブルがあったことから、席上、放駒理事長が力士会側へ注意した。会合後、白鵬は「協会の看板である関取として、自覚と責任を持ってやっていきたい」と語った

 

その他に、不祥事を起こした力士の処分に力士会の意見を述べる機会を与えてほしいとの要望は却下されたとのことで、結局力士会側からの要望で認められたのは協会と力士会との協議の継続だけ、というのでは、力士たちの声がいかに認められていないかが如実に分る「意見交換会」ではありませんか。これで思い出すのは、かつての社会党の代議士会です。どんな提案をしても、ほとんどすべて却下でしたが、執行部の報告ではそれなりの理屈が付けられていたのです。

 

そして、それから6年経った2017年に、巡業中に与えられる食事ではお腹が一杯にならないという悲鳴が出てくるのでは、あまりにも力士たちが可哀相だと思うのは、私だけでしょうか。

 

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2018年1月25日 (木)

相撲協会の世界観 ――外国人差別は残っている?――


相撲協会の世界観

――外国人差別は残っている?――

 

昨年からワイドショーのネタとして頻繁に取り上げられているのが日本相撲協会ですが、あれだけ多くの女性ファンがいながら、未だに女性は土俵に上がらせない「伝統」は守っています。これを「差別」と捉える人も多くいますが、それで思い出すのが、小錦の現役時代に大問題になった「外国人差別」です。しかし、その時には、相撲協会の差別体質が批判されたと言うよりは、相撲協会を批判した小錦へのバッシングのように見えました。当時、この点について『アキバ・ウィークリー』で触れていますので、まずそれをお読み下さい。

 

                             

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KONISHIKIのホームページから

 

 

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小錦差別事件について

――日本社会での人種差別に対する対応は十分だろうか――

[アキバ・ウィークリー第13号 (1992 57日収録)]

 

皆さん、こんにちは。衆議院議員の秋葉忠利です。アキバ・ウィークリー第13号をお届けします。5月の第2週号です。

 黒人ドライバーに対して集団暴行を加えた件で起訴されていた、ロスアンゼルス市警察の白人警察官4人が29日全員無罪になりましたが、この無罪判決に怒った黒人を中心とする市民が暴動を起こしたことは皆さんご存知の通りです。

 あれほどはっきりしたビデオの映像があるにも拘わらず、何で無罪になってしまうのか疑問を感じた方も多いのではないかと思います。アメリカ社会に根強く残っている人種差別を追放するのが如何に難しいかを改めて目の前に突きつけてくれた事件であり評決でした。

 さて、ひるがえって、私たち自身、日本社会における人種差別に対して十分な対応をしているかどうかを考えると、残念ながらまだまだだという気がします。

 例えば、小錦発言が良い例です。先月20日付けの日本経済新聞、22日付けのニュヨーク・タイムズ紙に小錦の発言として、「横綱になれないのは人種差別のせい」という言葉が掲載されてから、ずっと小錦がこの発言をしたのかどうかが問題にされました。折角貴重な発言をしてくれた小錦が、あたかも悪者であるかのような扱いさえ受けたことも問題だと思いますが、しかしマスコミを含めて私たちが問題にすべきだったのは、小錦が横綱になれなかったのは、本当に人種差別のせいかどうか、もしそうなら、それをどう変えていくのかという点であって、だれがその問題提起をしたかではない筈です。

 この点について「文芸春秋」4月号に掲載された、小島襄氏の「"外人横綱"は要らない」を読む限り、横綱審議委員会、少なくともその委員の一人が外国人差別をしていることは明白です。横綱審議委員会としては、この小島氏の考え方に対する公式見解を示していないのですから、これを黙認している、あるいは、これが審議委員会の見解だと取られても仕方がないと感じるのは私だけではないと思います。これを裏付けるデータがあることも皆さんご存知の通りです。

 第一に、大関で二場所連続優勝またはそれに準ずる好成績という原則ですが、小錦より強さの点で劣る力士が過去横綱になっていることは皆さんご存知のとおりです。

 第二に、小島氏自身認めているように、横綱昇進の審議で過去人格が問題にされたことは、殆どありません。外国人力士の場合にだけ「品格」が問題にされるのであれば、これは立派な差別です。

 新弟子が少なくなった挙げ句の果てに、強くなれば横綱になれると外国人力士をリクルートし、その上、これほどあからさまに差別を行うことが許されるのでしょうか。横綱審議委員会ならびに相撲協会の品格ある対応を心から望みます。

 

 これで、アキバ・ウィークリー第13号を終わります。次号は515日にお届けします。皆さんのご意見、反論をお聞かせ下さい。

 

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1992年から四半世紀以上経った今、外国人が横綱になることは当り前どころか、日本人が横綱になれるかの心配 (その理由は外国人差別と全く関係はありませんが) をしなくてはならないほどになりましたが、相撲協会の外国人差別はなくなったのでしょうか。

 

次回はこの点について考えて見たいと思います。

 

 

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2018年1月13日 (土)

懐かしい写真 ――子どものときから社会に出るまで――


懐かしい写真

――子どものときから社会に出るまで――

 

フィリピンのRMAFという財団から、e-アルバムをまとめるので、子ども時代や学生時代の写真を合わせて10枚ほど選んで送るよう、依頼がありました。iPhoneの性能も良くなっていますので、いわば「写メ」するだけで良いようです。

 

折角ですので、その中の何枚かを皆さんにも見て頂きたいと思いました。最初は生まれてすぐの写真です。母に抱かれているので、お宮参りのときの写真でしょうか。

 

                             

Baby_picture_with_mother_20180112_1

 

東京に住んでいた頃の写真のはずですので、2歳くらいでしょうか。この写真撮って貰ったことは憶えています。とは言っても記憶違いは誰にでもあることですので、それに該当するかもしれません。

 

Two_year_old_in_front_of_the_tokyo_

 

 

次は小学校6年のときの写真です。学級新聞の編集をしています。どれが私かは以下、省略します。当ててみて下さい。

 

 

Six_grade_editing_school_paper_2018

 

中学ではサッカー部のキャプテンをしていました。

 

 

Junior_high_soccer_club_20180112_11

 

高校になって、アメリカに留学しましたが、シーズン毎に参加できるスポーツが変りました。冬になっての花形競技の一つがレスリングでした。

 

High_school_wrestling_team_20180112


大学生になって夏休みには、原水禁世界大会の通訳のバイトをしていました。分裂した1963年の第9回大会の写真です。このときは眼鏡をかけていました。

 

 

Interpreter_at_an_antinuke_internat

 

そして、時代はかなり経ちますが、1979年のRCCのシンポジウムです。

 

 

Akiba_project_symposium_20180112_11

 

まだまだあるのですが、取り敢えず、お目汚しまで。

 

 

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コメント

小学校6年生の写真
左から3番目 黒板近くの席におられる方でしようか?

≪ 美しすぎる!お母上 ≫
のコメント、殺到ですね。
お坊ちゃんもキッとカメラを見つめて、
将来大物の感、すでに。

マジ ⇒アメリカ映画・軽い現代劇・字幕では
すでに Jesus のカジュアル語訳。
ほかに、
OK → だよね
××××off → うぜぃ
wife → ヨメ
等々。けど最近は”だよね”の気分で秘かに楽しんでいます。

「和」様

コメント有り難う御座いました。

黒板の前の坊主頭が私ですが、当時は、「坊ちゃん刈り」から、中学生になる辺りで坊主頭にするするのが普通でした。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

このコメントを母が読んだら、照れながら、でも小躍りして喜んだと思います。

「マジ」を「Jesus」と訳すのは完璧ですね。ただし、昨今の「ヨメ」の使い方には大なる違和感を持っています。これについては、またの機会に!!

2018年1月 6日 (土)

黒人差別に抗議したフットボール・スター ――キャパ―ニック選手の投げ掛けた波紋――


黒人差別に抗議したフットボール・スター

――キャパ―ニック選手の投げ掛けた波紋――

 

2003年、マンハッタンビル・カレッジの女子バスケットボール・チーム選手、トニー・スミスはゲームの始まる前の国歌の吹奏の際にアメリカ国旗に背を向け、イラク戦争反対の意思表示をしました。それから10年以上経っていますが、20168月には、サンフランシスコ・フォーティ・ナイナーズのクォーターバック、コリン・キャパ―ニック選手が黒人差別に抗議する行動を取りました。国旗掲揚・国歌吹奏の際に起立はしないで最初は座り込んでいたのですが、後にスタイルを変えその後、地面に膝を着く姿勢を貫いたのです。

 

これは、相続く白人警察官による黒人射殺事件、そしてその後警官が不起訴になったり、仮に裁判になっても、白人警官に有利な結果になっていることに端を発しています。

 

こうした事実は、2014年にホルダー米司法長官が公表した報告書に盛り込まれています。

 

産経ニュースの報道によると、「ホルダー長官が4日発表したクリーブランドの警察に関する報告書は、過剰な発砲など「不合理かつ不必要な武器使用」があったと認定。また、「過剰な権力行使は散発的なものではない」として組織の体質自体に問題があると指摘した。

 

同報告書に記載された事例は、201013年の約600件。この中には、警官が1211月、丸腰の黒人住民2人が乗る車と約35キロにわたってカーチェイスを繰り広げた後、車両に約140発の実弾を撃ち込み、2人を死亡させたという事件も含まれている。同警官は訴追された。

 

その他、この地図が示すように、アメリカの南西部や山岳部の州では特に、警察官による殺人事件の率が高いようです。

 

               

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By Lauren Thibert (Own work) [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

 

さて、キャパ―ニックがこの行動を始めてすぐ、2016年の9月にオクラホマ州で起きた白人警官による黒人射殺事件も引き金になり、多くのプロフットボール選手がキャパ―ニックを支持して、国旗掲揚・国歌吹奏の際に座り込むか、膝を着くといった行動に出るようになりました。その他のスポーツでは、サッカー、野球、バスケットボール、バレーボール、アイスホッケー等の選手が同様の行動を取るようになりましたし、プロ以外の場でも、大学生や高校生のアスリートたちがそれにジョインしました。

 

マスコミや企業でも、キャパ―ニック支持の声は多くありましたが、同時に選手たちの中にも、また市民の中にも「国旗や国歌に対する侮辱だ」と考え、キャパ―ニック批判の声も広がり、支持か糾弾かという分裂が至る所で見られるようになりました。

 

しかし、キャパ―ニックと共に闘おうとする声は一向に収まらず、トランプ大統領は就任後の9月に、「国歌吹奏の際に起立しないプレーヤーは首にすべし」という趣旨のツイートを何度も発しました。それに対して、プロリーグNFLの選手たち、それもほとんどのチームのプレーヤーたち少なくとも200人は、抗議のために、国歌吹奏の際には膝を着いたり、ロッカールームに止まってその場には参加しないという行動を取る結果になりました。

 

フットボールチームのオーナーたちの中には、トランプ大統領に巨額の寄付をした人もいますので、トランプ支持派も多いのですが、選手たちの表現の自由を認めるオーナーもいて、ここでも両極端に分れることになりました。

 

さて、キャパ―ニック選手に戻ると、彼は、2016-2017のシーズンを終えてフリー・エージェントになりましたが、その後、どのチームからもオファーがなく、NFLのチーム・オーナーたちが談合によって彼を排除していると見られても仕方がない状態が続いています。キャパ―ニック選手は、NFLを談合により彼自身の働く権利を奪った廉で訴えています。

 

今年になって早々、その訴訟の手続きが始まっています。シャバーニっくとともに行動する多くの選手たちの熱は収まらず、同時にキャパ―ニックをシンボルとする人権派、リベラル派に対する攻撃も一層激しさを増してきています。

 

経済的格差によってアメリカという社会が分断されていることは周知の事実ですし、独裁政治か民主主義かという抗争も激しさを増しています。人種を初めとして様々な線で区分けをした結果、少数派としての立場に追いやられた人々の切り捨ても容赦なく行われています。

 

そんな中、「政治とは一線を画す」が金科玉条であるとされてきたスポーツの世界でも、その考え方そのものが実は非常に重い政治性を持つ事実に気付いた人々が声を上げ始めているということなのではないでしょうか。そして既得権を持つ人々はそれを守ろうと躍起になり、その結果としての分断が起っています。その中で良識派が闘い地歩を固め、多くの人に勇気とエネルギーを与えています。今後の展開がどうなるのか予断を許しませんが、トランプ政権そのものに大きな打撃を与え得るほどの影響力をスポーツ界は持っています。

 

それと対照的に日本の状況を考えると、安心する気持にはなれませんが、スポーツ界そのものの体質も問われているような気がするのは私だけでしょうか。

 

 

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2018年1月 5日 (金)

トランプ大統領を窮地に追い込むのは ――フットボール選手その他のアスリートかもしれません――


トランプ大統領を窮地に追い込むのは

――フットボール選手その他のアスリートかもしれません――

 

暮に御紹介した、デーブ・ズィリンの著書『アメリカのスポーツと抵抗運動』は2005年に出版されていたのですが、そのオーディオ版がつい最近リリースされ、それを聞くことで新たな展望が開けてきました。そこで学んだことを復習しながらお伝えしてきたのですが、この本は10年以上前までしか触れていません。最後の方で取り上げられている2003年の出来事とその後のアメリカスポーツ界はどうなっているのかにも興味を持ちましたので、調べて見ました。

 

その結果、私にとっては驚くべき発見がありました。我が国のマスコミは取り上げていませんが、今でもアメリカのスポーツ界はアメリカ社会全体を動かすほどの大きな運動を展開しるのです。それに真っ向から対峙しているのがトランプ大統領なのですが、ことによると最後のジョーカーをつかまされるのは大統領かもしれないと思えるほどの広がりを持ちつつあります。

 

何回かに分けて、その動きを御紹介します。その前に、それに至る歴史から始めましょう。

 

2001年のアメリカ同時多発テロ以後、スポーツ界そしてアメリカ中で大きなニュースになったのは、NFLのスター・プレーヤーだったパット・ティルマンがフットボールとその後の巨額の契約を捨てて軍に志願し、イラク戦争に従軍したことでした。(残念なことに2004年には、友軍の弾に当って、ティルマンは戦死します。)

 

しかし、アメリカのメディアは、ティルマンの行動を英雄的なものとして褒め称えました。そして、2004年の戦死も同様の扱いで取り上げられました。

 

でも、アメリカのスポーツ界も多様です。2003年には、ニューヨークにあるマンハッタンビル・カレッジという小さな大学の女子バスケットボール・チームのシニアだった、トニー・スミスはゲームの始まる前の国歌の演奏の際にアメリカ国旗に背を向けました。彼女はイラク戦争は正義に反していると感じ、そんなことをしているアメリカという国家の国旗そして国歌に敬意を表すことはできないと考えたのです。

 

             

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ニューヨーク・デイリー・ニュースから

 

両隣の二人の選手も手をつないで頭を垂れ、国旗に背は向けてはいませんが、スミスを支持しています。

 

この行動を心配した大学の学長は、言論の自由・表現の自由という立場からスミスを守ろうとしますが、マスコミは徹底的に彼女と学長の批判に明け暮れました。「この行動はゴミだ。アメリカよ消えてしまえと言っているに等しい。そしてこれから国のために命を捧げようとしている人たち、そして既に国のために究極の貢献をした人たちに背を向け、彼らを愚弄する行為だ」といった調子の言葉が二人に浴びせられました。

 

そんな批判が起ることなど全く考えてもいなかったスミスは傷付きますが、それでも自分の考え方を変えることはありませんでした。その後彼女はマンハッタンの、子どもたちを犯罪に向わせ兼ねない環境を改善する仕事に現場で関わっています。

 

同時に彼女の行動は、1968年のメキシコ・オリンピックの際のトニー・スミスとジョン・カーロスの勇気と重ねて語られることも多く、多くの若者の間に浸透したことも事実です。そして2003年から10年以上経った2016年に、再び、彼女の勇気の再来だと言われる事件が起ります。

 

 

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2017年12月29日 (金)

オーストラリア政府の謝罪 ――サンノゼ州立大学には三人の立像もあります――


オーストラリア政府の謝罪

――サンノゼ州立大学には三人の立像もあります――

 

1968年のメキシコ・オリンピックでスミスとカーロスが黒い手袋をしようと考えたのは、当時のブランデージIOC会長が、白人至上主義者かつ女性差別主義者だったことが原因です。IOC会長が全てのメダルを授与し、握手をする習わしになっていると理解していた二人は、ブランデージ会長との握手はどうしてもしたくない、そのためには手袋が必要だ、それも黒人を象徴する色でと考えて黒の皮手袋を準備していたとのことです。

 

一言お断りしておきますが、この原稿は、アメリカのスポーツ・ジャーナリストであるデーブ・ズィリンの著書『アメリカのスポーツと抵抗運動』そして雑誌『The Nation』の記事等を参考に、前回そして今回の原稿を書いています。

 

さて、メキシコ・オリンピックでは男子200メートルのメダルはブランデージ会長が渡すのではないことが分り、「ブラック・パワー・サリュート」によって世界へのアピールが行われることになりました。その時点で、ノーマンは「私はあなた方と行動を共にする」と伝え、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを付けました。そして表彰台に近付くときに手袋を忘れたカーロスに片方の手袋を渡したらと提案したのもノーマンでした。

 

オーストラリアがノーマンの偉大さに気付き、それまでノーマンに対して行われた非道な行為に謝罪するのは、彼の死後6年たった2012年になりますが、スミスとカーロスは、ノーマンの亡くなる一年前、2005年には母校であるサンノゼ州立大学に彼ら二人の功績を讃える立像が作られることで、名誉回復を遂げています。

 

               

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像の除幕式には、ノーマンも招待され出席していますが、彼が当時立っていた第二位の台には彼の姿がありません。「二人と自分の立場は違うから」という理由と「二人を支えた私と同じ立場に立つ人々が多くいる。彼らにその場に立って貰うことで、自分の足跡を理解し引き継いで欲しい」という理由からでした。その趣旨の言葉が、第二位の台座には刻まれています。物理的存在としてのノーマンはそこにはいませんが、でも、この立像には三人の姿が見事に描かれていると思うのは私だけではありません。

 

残念なことに、ノーマンは次の年2006年に、祖国オーストラリアからの理解を得られないまま63歳で亡くなります。しかし、自分の行動が正しかったことについて、彼はは生涯、微動だにすることなく確信を持っていました。葬儀では、スミスとカーロスが、彼の棺を担いで歩む姿が印象的でした。

 

 

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そして、それから6年後の2012年、オーストラリア議会は満場一致で、ピーター・ノーマンの偉業を讃え、彼に対してのしわれなき仕打ちに対して謝罪する決議を採択しました。

 

まず、陸上選手としてノーマンが、オーストラリア記録保持者であるほどの素晴らしい業績を打ち立てたこと、そして1968年のオリンピックで、スミスとカーロスとともに自らの信念を公にしたことの勇気を讃え、彼を1972年のオリンピック代表に選ばなかった非についての謝罪をし、人種差別撤廃のためにノーマンが非凡な役割を果したことを認めています。

 

現在では、ピーター・ノーマンの果した役割はオーストラリアの教科書でも取り上げられ、子どもたちも彼の人生を知るまでになりました。その陰には、ピーターの甥であるマット・ノーマンが、叔父についての真実を残さなくてはいけないと考えて制作した映画『サリュート』が世界的評価を受け、ピーター・ノーマンのコミットメントを多くの人が知るに至ったことも重要です。

 

スポーツ選手が世界を変える上で大きな役割を果して来た歴史の一端はお伝え出来たと思いますが、もう一つの教訓があります。それは国家、そして政府の果たす役割です。

 

国家を絶対視し、「国家は過ちを犯さない」と信じている人たちには、オーストラリア議会 (それには当時の首相の意向も反映されていました) の取った行動は理解できないでしょう。しかし、国家も人間の集団ですから過ちは犯します。その事実を謙虚に受け止め、未来に生かさない限り、国家として、その過ちに対する責任を果したことにはなりません。

 

現在のアメリカはトランプ政権によって方針が変ってしまいましたが、過去には、第二次世界大戦中に強制収容所に収監され基本的人権を奪われた日系市民に対する謝罪を、慰謝料を払うことも含めて公的にしています。

 

翻って、日本政府が過去の過ちに対してどのような態度を取って来たのかを考え、それが日本の未来へつながっていることを認識すると、戦慄を感じるのは私だけではないでしょう。

 

一年を振り返りつつ、新年を期して私たちが取り組まなくてはならない課題の大きさに改めて2018年の意味を重ねつつ、エネルギーを蓄える必要性を感じています。

 

 

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コメント

'74と'77にフィルムで見た「民族の祭典」'38を思い出しました。
今では??「民族の祭典+美の祭典」=「オリンピア」と言うらしいのですが、
当時、「民族の祭典」で見たのが「オリンピア」だったのか忘れてしまいましたが。

印象深かったのが、陸上短距離で大活躍・オーエンス選手(米)のささやかな、それでした。
国旗掲揚の時、誇らしげに顔をあげない、ずっとうつむき加減。
強い意志を持って、ではなく、どうしても星条旗に目がいかないという感じ。
後年、そう廉価でもないDVDを。
ら!アメリカンバージョンであったせいか、オーエンス選手のそれは見事にカット!
マラソンで金メダルの孫選手も日の丸をあまり見てなかった→こちらはカットされず。
手を加えないDVDがあるのやら。
(レニ・Riefenstahl(←変換可能!)→「意志の勝利」ともども賛否あろうけど、
記録としてはやはりスゴイ)

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

1936年のベルリン・オリンピックを振り返ると、2020年の東京オリンピックについても、色々分ることがありそうです。一度、考えて見たいと思います。

良いお年をお迎え下さい。

2017年12月28日 (木)

ブラック・パワー・サリュート ――オリンピックで真実を訴えた三人――


ブラック・パワー・サリュート

――オリンピックで真実を訴えた三人――

 

「スポーツに政治を持ち込むな」は良く聞かれる言葉です。きちんと決められたルールにのみ従って勝敗を決するスポーツに、それ以外の議論を持ち込むべきではないという考え方ですが、スポーツも人間の活動ですから、その「人間」と100パーセント切り離して存在する訳には行きません。

 

政治とはきわめて人間的な活動であり、それが社会のあらゆる側面と密接に関わっていることも事実です。そして、多くの人間的活動の場で見られるように、物事の定義そのもの、そしてルールそのものさえ、何らかの意味での「政治的力」を持つ人々の意思によって決められてしまう傾向があります。

 

しかし、このような形で作られてきた社会の歪みは、人類史の中で多くの人たちの努力で表現され言語化され、政治的な課題として捉えられ、さらに多くの人たちが力を合わせることで、全ての人間にとってより公平で理想に近い形に修正されてきました。

 

一年を振り返る毎年の習慣に倣って思いを巡らせる内に、スポーツ選手たちの果した役割が如何に大きかったのかを改めて咀嚼しています。モハメッド・アリに続いて、今回は1968年のオリンピックでの三人のアスリートの勇気に触れたいと思います。

 

                 

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By Angelo Cozzi (Mondadori Publishers) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

有名な写真ですので、御存知の方は多いと思いますが、1968年のオリンピックで男子200メートルの表彰台の三人です。金メダルはアメリカのトミー・スミス、銀はオーストラリアのピーター・ノーマン、銅はアメリカのジョン・カーロスです。

 

スミスとカーロスは頭を下げ、黒い手袋をはめて、拳を突き上げる「ブラック・パワー・サリュート」(黒い力の敬礼)をしています。靴は履かずに、アメリカの黒人の貧しさを示すために黒いソックス、スミスは黒人の存在と誇りを示す黒いスカーフを巻き、カーロスは、白人至上主義者によってリンチその他の方法で殺された黒人の慰霊のためのロザリオを掛けていました。

 

そして、銀メダルのノーマンはというと、ただその場にいたのではなく、胸に、二人と同じ「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを付けていたのです。

 

当時のアメリカは、国外ではベトナム戦争を起こし、国内では戦争反対の声と、200年にわたる黒人差別に対する怒涛のような反対が公民権運動として大きなうねりとなる大変動期でした。1964年には公民権法ができて、成果は上っているようにも見えたのですが、差別やリンチは続いていました。そして1968年には、20世紀後半の世界を象徴するような運動のリーダーだったマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、さらに、政府側から運動を支えてきた大統領候補のロバート・ケネディーも暗殺されるという、大きな痛手を受けていた年でもありました。

 

メキシコ・オリンピックにも参加すべきではないという主張も黒人アスリートの中では多くの選手に支持され真剣に検討されてはいたのですが、参加することにしたスミスとカーロスは、表彰台での明確な意思表示をする決意をしていました。英語の表現がその力を示しています。「take a stand」、つまり台の上で、自分たちの意思を疑う余地のないハッキリとした形で世界中の人たちに届けるという決意です。この時、スミスは24歳、カーロスは23歳でした。

 

 

John_carlos_tommie_smith_1968

By Angelo Cozzi (Mondadori Publishers) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

IOCの会長だったエイベリー・ブランデージは、スミスとカーロスをアメリカ・チームから除名し選手村から追放しました。二人はオリンピックからも永久に追放されました。さらに二人はアメリカのメディアからも厳しく批判されますし、カーロスの妻の自殺といった平坦ではない人生を送ることになりましたが、その後も陸上やフットボールの世界で活躍することができました。もちろん、オリンピックとは全く縁のない世界での活躍ではありましたが。

 

一方、ノーマンは、オリンピックからは追放されませんでしたが、白豪主義のオーストラリアではアメリカ以上の批判を受け、今でも破られていない200メートルのオーストラリア記録を作りながら、帰国時の空港には誰一人として出迎える人がいないほどの孤立無援の状態に置かれます。その後のオリンピックにも、記録を見ると誰よりも先に出場して良い力がありながら、オーストラリア代表には選ばれず、生活を維持するための低賃金の仕事を転々とする日々が続きました。

 

こうした三人のオリンピック後を総括して、「勇気ある行動の付けは大きかった」という形で、「だからオリンピックを政治利用してはいけない」という結論に導こうとする人たちも多いのですが、実は三人の友情と、ノーマンの勇気は今でも多くの人に希望を与えています。

 

[続きます]

 

 

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2017年12月27日 (水)

世界を変えたアスリート ――モハメッド・アリが生れてから75年――


世界を変えたアスリート

――モハメッド・アリが生れてから75年――

 

年の瀬になって、今年一年の出来事が色々頭に浮びます。良いことも悪いことも沢山ありましたが、大相撲の暴力事件とその後の混乱はまだ続いています。スポーツ界のヒーローたちは、多くの子どもたちの憧れの的であり、大きくなったらこんな人になりたいという目標にもなっています。

 

ですから、彼ら/彼女らの社会的・道義的な責任は大変大きいのですが、もちろんスポーツの世界で秀でた仕事をする人全てが聖人君子ではありませんし、その必要もないでしょう。しかし、彼ら/彼女らの影響力の大きさは無視できませんし、また多くのスポーツ・ヒーローたちが素晴らしいロール・モデルとして子どもたちのお手本になってきたことを思い起すと、やはり期待をしてしまいます。2003年の広島市の平和宣言には、次のような期待の言葉が述べられています。

 

世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄(ろう)せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。

 

そして今思い出しているのが、ボクシングのヘビー級チャンピオンだったモハメッド・アリです。昨年の12月にも取り上げていますが、1942年生まれで、昨年亡くなっています。生きていれば今年は75歳です。ボクサーとして、また全てのアスリートの象徴として良く知られていますが、アメリカにおける市民権運動、そしてベトナム戦争反対運動、世界平和のための発言と行動でも、世界を引っ張る存在でした。

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By Ira Rosenberg [Public domain], via Wikimedia Commons

 

恐らく一番良く知られているのは、1966年に、アメリカの徴兵基準が緩められ、アリもほぼ真っ先に召集される事態になった時、「私は、ベトコンに何の恨みもない。だから、ベトナムには行かない」と、徴兵を忌避する態度を公にしたことでしょう。その後、テレビ番組や新聞・雑誌等のインタビュー、各地での講演等で同じ趣旨のことを力強く訴えています。

 

マスコミの前での次の言葉は有名です。

 

私はベトコンと喧嘩をしているのではない。私の故郷ルイビルで、黒人が基本的人権を認められず犬のように扱われているのに、何で制服を着て、我が家から一万キロも離れたところで、肌の茶色の人たちに爆弾を落し、また銃で撃って殺さなくてはならないのだ。

 

また、ある学生集会では次のように述べています。

 

私の敵は白人だ。ベトコンでも、中国人でも日本人でもない。私が自由を欲しいときにそれに反対する奴らだ。私の欲しい正義に反対する奴ら、そして平等を要求する私に反対する奴らだ。アメリカ国内で、私の信教の自由のためには闘わず、私を外国に送って戦争をさせる。でも、このアメリカで私の権利のためには立ち上がってくれないお前たちだ。

 

しかし、アリは逮捕され、下級裁判所では有罪判決を受けます。ボクシングのタイトルも剥奪され、3年間は国内外で試合する権利さえ奪われます。1971年には最高裁判所で無罪を勝ち取りますが、ボクサーとして最も活躍できたであろう3年間を棒に振らなくてはならない過酷な試練に晒されます。

 

あまりにも多くのものを失ったのではないかという質問に彼は次のように答えています。

 

私は何も失っていない。それどころか、私は多くのものを得ている。私の心は平穏だ。そして魂にも平和が宿っている。今目の前にいる皆さんからの尊敬の念を勝ち得た。それだけではなく世界の人々から私への温かい共感を貰うことができた。

 

自らのキャリアで一番大切な時に、それを投げ打って、平和・人権・平等といった理想実現のために働く勇気を持つことは誰にでもできることではありません。でも、それにほんのチョッピリでも近付こうとする努力くらいはしても、罰は当らないと思うのですが。

 

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コメント

日本の国技と称する競技の選手たちにも見習って欲しいものだと思ってしまいました。

「見習い」様

コメント有り難う御座いました。

モハメッド・アリの他にも見習いたいアスリートは沢山います。そして、社会を変えるための表現や行動も多様です。このシリーズで、その中の何人かを御紹介できれば幸いです。

2017年12月12日 (火)

佐北駅伝 ――66年の歴史がある楽しい駅伝です――


佐北駅伝

――66年の歴史がある楽しい駅伝です――

 

 

暮から新年にかけて、いくつもの駅伝があります。新年の箱根駅伝はいよいよ96回目です。それには及びませんが、今年66回になる佐北駅伝が1210日の日曜日に開かれました。旧佐伯町の北部を走る駅伝です。1224日の全国高校駅伝の男子の部が68回目ですので、どちらも、戦後始まっています。

 

大きく男子と女子に分かれていて、男子の場合は、男子一般・高校・中学の三つのグループでの競走、女子は、女子一般と中学の二つのグループです。距離は男子が27.8キロメートル、女子は14.6キロメートルです。チームの編成ですが、チーム監督 1 名、選手6名(但し、中学男子、一般女子、中学女子の部は5 名)、そして補欠2名という構成です。

 

今年の参加チームは70です。コース図を掲げておきますが、右下の方が廿日市市街です。太い灰色の線は旧佐伯町の境界ですので、大体の位置はお分り頂けると思います。

 

                 

Photo

           

 

出発点の大沢峠から、女子と中学生のための第二中継所のある永原説教場のちょっと先、玖島分れで右へ曲るまでは、県道292号線を走ります。1月末の広島男子駅伝は、繁華街や宮島街道を走りますので、沿道では随分多くの人が応援していますが、この辺では、道路沿いの人たちがチラホラ見えるくらいでした。

 

拍手をして、走ってくる選手たち一人一人に、「頑張れ!!」と声を掛けましたが、スタート地点から2~3キロの地点で、かなりの差が出ています。できるだけ固まって走っているシーンを写真に撮りました。

 

 

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ちょっと吃驚したのは、選手と言葉を交せたことです。「キツイで~~す」と言って走り過ぎた選手もいました。「大丈夫、頑張れ」と激励しましたし、「あとどれくらい?」と聞いた選手もいました。中継所はすぐ近くですので、「もう一寸だ、頑張れ」と励ましました。

 

さて結果ですが、翌11日の月曜日は新聞休刊日でした。近くの玖島コミュニティー・センターに問い合わせたところ、スタッフの方が、親切に主催者に問い合わせて下さいました。優勝チームを部門別に掲げておきます。

 

一般男子の部は、修道大学Aチーム

高校男子の部は、広島皆実

中学男子の部は、広島市立三和中学校 (大会新記録でした)

一般女子の部は、舟入高校

中学女子の部は、広島市立三和中学校

 

午後からは雨になりましたが、駅伝の最中は曇り空で風もなく、良いコンディションでした。テレビで観戦する駅伝の楽しさも捨てられませんが、選手たちに直接声援を送りながら観戦する楽しさも久し振りに味わうことができました。

 

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