死刑制度 (3) ――冤罪――
《冤罪》
これまで、死刑制度について、様々な問題点について検討してきましたが、もう一点大切なことがあります。刑罰の中で何よりも避けなくてはならないものは、罪のない人に与える刑罰、つまり「冤罪」です。中でも冤罪によって死刑を執行された人は、永遠に生き返ることがないのですから、究極の「残虐」さを持つ犯罪だと断定できます。そして冤罪による死刑の宣告が実際にあったことは、後に長く苦しい時間を経て無罪判決が出たにしろ、四大死刑冤罪事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)をみることだけでも明らかです。
死刑判決は受けなかったけれど、服役しながら冤罪を訴え、その結果無実が証明された例はかなりあるのですが、それは、冤罪だということを本人が一番良く分っていて、その本人が熱心に訴えを続けたために裁判所も最後には動かざるを得なかったからだと考えられます。死刑を執行されてしまってから、真犯人が分り冤罪であることの証明がされたりするケースはほとんどあませんが、それは、一番の当事者である本人がこの世にいないこと、従って、本人があくまでも「冤罪」であることを訴え続けることさえできなくなった事実、が最大の原因かもしれません。
冤罪によって、罪のない人が死刑に処せられるのは「残虐な刑罰」に相当することは御理解頂けたとして、それは「絶対に」行われてはならいことが36条の規定です。「絶対に」の意味は、「一人の例外もなく」です。この「一人の例外もなく」は、民主主義の理想形で述べた、全ての人が合意しなければ民主政治・国家と言えども人の命を奪うことはできない、という原理に呼応しています。
そして、人間は神ではありませんから、過ちを犯します。その可能性を認めた上で、「ただ一人の例外もなく」冤罪による死刑が起らないようにするためには、死刑そのものを廃止する以外に道はありません。冤罪という視点からも36条は死刑を廃止すべきだと主張しているのです。
[2019/5/18 イライザ]
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