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2019年5月

2019年5月31日 (金)

積水ハウス20年チェックの報告書が届きました

一週間ほど前に、「積水ハウス20年メンテナンス訪問」のチーム3人に、我が家のチェックをして貰いました。高性能カメラなども利用しての本格的調査でしたし、問題のある個所もその場で手入れして貰えました。

そして、昨日、調査報告書が届きました。まずは屋根や外壁など外側の報告書です。

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報告書の内容ですが、基本的には問題なしという診断でした。写真付きの説明ですので、とても分り易く、説得力もあります。

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家の外側以上気になるのが内側ですが、それも問題点はほとんどありませんでした。

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「屋内」となると、必ずチェックしておきたいのは、床下、つまり基礎の部分です。そこも全く問題はありませんでした。床下まで潜っての作業でしたが、大柄なTさんにはちょっと申し訳ないような気持になりました。

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これで、後20年間、しっかり住み続けられる自信も湧いてきました。

 [2019/5/31 イライザ]

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コメント

>>3日遅れどころではないコメント<<

「明月庵ぎんざ 田中屋(西武8F)」「越後へぎそば 一真」
制覇しました。
池袋→ 若き友と。
飯田橋→ 半世紀来の友3人と。

全員”天付へぎそばセット”+皆でシェア”厚焼き玉子”を。
お店の皆さん、スレていない感じが良きでした。
蕎麦の好み、としては、ん~、 T かな。
そのあと、ℍグランドパレス(金大中!)23Fラウンジ(←眺望絶佳)で
☕🍨・☕🍰・☕・☕ を。 
出不精ロートル ブログに導かれて久々オン の日でした。五月尽。

「硬い心」様

コメント有り難う御座いました。

田中屋とへぎそばの一真に行って下さったとのこと、有難う御座います。小生が何故「Z級グルメ」と自称しているのかがお分りになったかもしれませんね。

近い内に、アップする積りですが、最近は中野の居酒屋にも足を延ばしています。

 

 

2019年5月30日 (木)

お気に入りの商品が消えて行く

洗濯用の洗剤には長い間「アタック Neo 抗菌EX Wパワー」 (以下、「Wパワー」と略します) を使ってきました。いろいろと効能書きはあるのですが、若い男の子二人の汚れ物の洗濯にはとても効果的かつコスパも良かったので、満足度は高かったのです。

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ところが最近、ドラッグストアの棚からだけではなく、スーパーにも、ホームセンターにも見当たらなくなりました。高齢化して視力にも問題ありですので、特に丁寧に探してはみたのですが、見付かりません。

それもそのはずです、ドラッグストア、スーパー、ホームセンターの棚は、「アタックZERO」で溢れているではありませんか、

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使う時に分量を測らなくて良いとか、洗浄力その他でこれまでの商品よりはるかに優れているとかいう説明があるのですが、そんな「高性能」の洗剤を望んでいる訳ではないのです。今までのWパワーで十分なのです。

車でも同じことでしょう。走り始めてから時速100キロの速さに達するのに、5秒しか掛らない車などいらないのです。軽自動車で十分なのです。(ただし、Wパワーを軽自動車と言ってしまうのは、ちょっと問題ですが。)

さらに、コマーシャルも、かっこいい男性を4人使って新しさをアピールしているようです。ドラッグストアの垂れ幕もそれに呼応しています。

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コマーシャルに誰を使おうと、全く気にはならないのですが、ドラッグストアでも、スーパーでも、ホームセンターでも、どこかでWパワーを買えるようにして欲しいだけなのです。

そう言えば、我が家の大好物のマカデミア・ナッツも、グレープフルーツ・ジュースもスーパーの棚から消えてしまっています。愛好者が少ないためなのかもしれませんが、かつては海外旅行で「高級」なお酒を買って帰るのが当り前だった時期があったように、我が家の海外旅行は、マカデミア・ナッツとグレープフルーツ・ジュース調達のための旅になるかもしれません。

それでも調達できないWパワーはどうしたら良いのでしょうか。

[2019/5/30 イライザ]

 

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2019年5月29日 (水)

往復はがきの印刷が上手く行かない ――解決策はPDF――

家人がお世話になっているある会で、案内状の作成と発送の担当になりました。文面等はこれまで担当された方が、毎年ファイルを残して下さっていますので、それをアップデートすれば良いのですから、それほど手間は掛りません。

出欠の返信も頂きたいのですから、案内状は当然、往復はがきということになります。そこで我が家のプリンターの出番です。良く使っていますので、数年に一度は新型機に買い替えてきましたが、ここ30年くらいは全て、HP、つまりヒューレット・パッカード社製の複合機を使ってきました。トラブルに見回れたこともありましたが、HP社の神対応ですべて解決して貰えました。

しかし今回は一寸厄介でした。往復はがきの印刷が上手く行かないのです。元の原稿はワードで作っていますし、印刷画面で「往復はがき」の範囲にきちんと収まっています。

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でも、これを「印刷」すると、この画面通りには印刷されず、往復はがきの上部は白くなってしまいます。左右の両方とも、上の部分には印字されていないことを確認して下さい。どこがハガキの境界なのかが分り難いと思いますが、全体のバランスを御覧下さい。

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この状態を改善するためには、ワード側、そしてプリンター側の両方での設定が間違っていないことを確認するのが、第一歩です。それは何回も確認しましたが、何の変化もありません。結局その日は諦めて、次の日の午前中に、HP社のサポート窓口に電話をしました。

担当者は、中国語アクセントがちょっと残ってはいますが、とても正確な日本語を話す女性で、大変親切に対応してくれました。まずは私が前日に行ったチェックを再度実行し、その結果、何の変化も起らないことを確認してくれました。そのとき感心したのは、仮にマニュアルに従っているにしろ、一つ一つのステップを音声化して確認してくれたことです。「○○して下さい」という指示の後には必ず「××の表示は□□ですね」という形での確認も欠かせませんでした。さらに、不愉快な言葉を使う人もいておかしくはない状況で、礼儀正しく丁寧な対応を貫いてくれたことです。

その結果、一つ私が見落とした変更をしてくれました。

印刷の設定をする画面の一番下を変えるのです。そこのプルダウンメニューを開くと、「往復はがき」という選択肢があるので、それを選ぶ必要があったらしいのです。その結果がこちらです。

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往復はがきの大きさを示す数値が現れました。これで大丈夫だろうと、印刷をしてみると、何と言うことでしょうか。結果は次のようになりました。

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上下のバランスは上手く取れるようになったのですが、全体としては、印字面が縮小されてしまっています。これでは往復はがきとしては使えません。ここまで来るのに、2時間近く、電話をつなぎっぱなしで、また印刷された結果を見て貰うために、HPからの遠隔操作もして貰っての結果です。

そこで、担当の女性と私とほぼ同時に、もう一つの可能性のあることに気付きました。それは、ワードの文書を印刷するのではなく、ファイルをPDFとして保存し、PDFの文書として印刷することです。その結果ですが、もう言うまでもないと思います。上手く行きました。

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さらに恥ずかしいことには、かなり前に、ワード文書が上手く印刷できないことがあり、そのファイルをPDFに変換してから印刷することで上手く行った経験があったのです。担当の女性も「このことにもう少し早く気付けば、時間の節約になったのに」と言っていましたので、思いは同じようだったようです。

結局、ワードの設定もHPプリンターの設定も問題がなく、何故、往復はがきにはきちんとした印刷ができなかったのかは分りませんが、解決策だけは分りました。そして、以前にもHP社の神対応について取り上げたことがありましたが、今回の経験で信頼度がさらに高くなりました。プリンターなら無条件でHPをお勧めします。

これで一件落着。お昼にはビールで乾杯しました。

[2019/5/29 イライザ]

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2019年5月28日 (火)

電動歯ブラシの効用

ここ一年程、電動歯ブラシを使っています。KiVOSというブランド名は聞いたことがありませんので、恐らく台湾製か中国製なのだと思います。

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電動歯ブラシの効能は知られている通りで、高速の振動で歯を磨いてくれますので、とてもきれいになりますし、歯茎のマッサージもしてくれますから、歯周病予防にも効果があります。その上、超音波の作用でさらなる効果も期待できるというのですから、使わない手はありません。

髪の毛を染めるような場合とは違って、翌日にはすぐ目に見える効果があるというケースではありません。でも、歯磨き後の爽快感はありますし、歯が痛くなったり沁みたりといった症状もこのところありませんので、電動歯ブラシには満足しています。

しかし、それだけでは私の受けた恩恵を十分示したことにはなりません。数か月前に気付いて、その後ずっと有り難いと思っている効能があるのです。それは、毎朝必ず、2分間歯磨きを続けていることです。

思い起してみると、朝は忙しいこともあって、これまでの何十年間、歯磨きとは言っても、チョコチョコと30秒も掛けずに一応「歯磨き」をした積りになっていたのです。その結果、歯医者さんに行っても、「歯磨きは満点」と言われたことがありません。

でも電動歯ブラシを使い始めてから、毎日必ず、2分間の歯磨きをするようになったのです。その理由は簡単です。KiVOSの電動歯ブラシは、30秒経つと、一瞬止まるというメカニズムになっています。続いてまた30秒と、それを4回続けて、電動のスイッチが切れるのです。つまり、2分間掛けないと電動歯ブラシは止まらないのです。

こんなところで、歯磨きの習慣が改善されるとは思ってもみなかったのですが、もう一つ、驚いたことがありました。それは、この電動歯ブラシに付いている電池が長持ちしているということです。これも数か月前に充電したのですが、未だに問題なく歯ブラシは動いているのです。

スマホは毎日充電しなくてはなりませんし、ラップトップのPCも、数回使うと充電が必要です。でも、この電動歯磨きは、「ことによると永遠に動き続けるのか」と考えたくなるほど長時間作動し続けています。

こんな驚きも含めて、電動歯ブラシには感謝していますし、これからも長いお付き合いになりそうです。

こう書いてからすぐ、バッテリーが死にました。早速充電したのですが、やはり、寿命のあることがハッキリしました。

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さらに、びっくりしたのは、替えブラシが高いことです。そろそろ補充しようと思ってアマゾンに出品されている品物の値段を見てみたのですが、替えブラシ4本で5000円です。プリンターと同じく、本体はそれほど高くはないのですが、必需品であるインクが高いのと同じです。どんな対応策があるのか、これから考えたいと思っています。

[2019/5/28 イライザ]

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コメント

KiVOSは中国の深センにあるメーカーで、超音波振動電動歯ブラシだと思いますが、ブラシはデュポン社のものだったと思います。有名ブランドのものだとプリンターのインクと同じように互換ブラシがありますが、新興メーカーのものは探し難いかも知れません。

ところで、最近、シリコンバレーで働いている知人が深センに行き、その発展ぶりに驚いていました。バスやタクシーは電動化が進み、新しい駐車場の半数の枠にはEV充電器が設置され、テスラもかなりの台数みたそうです。さらに、彼の専門である分野の技術的な話も聞きましたが、財閥で固定されている韓国メーカーとは違い、新しいメーカーが次々と生まれ、かつてのシリコンバレーの様相を呈しているとのことでした。アメリカの焦りも分かるだけに、日中戦争の行方も心配です。

歯磨きは普通のブラシを使ってますが、3〜5分くらいは磨いてます。
でも、問題は歯間なんで、歯間ブラシも使ってます。
歯間ブラシより、ジェットウォッシャーがよく取れるそうなので、気になってます。
若い頃には気にもかけてませんでしたか、今は磨き残しによる口臭が気になります。それと磨き残しは歯周病の原因だそうですね。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。深圳の凄さについて、マスコミ等でも特集が組まれているようですが、一度訪問してみたいですね。

とは言え、現地に行ったからといって成長の理由が目に見える訳ではないのですが――。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。機会に頼らなくても3分から5分歯磨きのできる人は、無条件で尊敬します。

デンタル・フロスや歯間ブラシも、テレビの推理ドラマに合わせて使うと快適です。

2019年5月27日 (月)

返品の山 ――アマゾンは大丈夫でしょうか――

「返品の山」と言っても、木久蔵ラーメンの話ではありません。アマゾンの話です。

アマゾンが日本に進出してから、ずっと大ファンとして買い物を続けてきました。ほとんどの品物に大満足してきたのですが、このところ、恐らく「初期不良」だと思われる商品が多くなって、ちょっと心配しています。

不良品は、迅速にかつ効率的に返品出来ますので、その点は問題ありません。心配なのは、これまでの経験より返品の頻度が増えているような気がしますので、アマゾンシステムのどこかに問題があるのではないかという点です。

ここ6か月間に返品しなくてはならなかった商品をざっと挙げておきましょう。

これはプリンターのインクです。

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次は、Windows 10です。Windows 7が入っていたPCにインストールするためです。

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猫背サポーターですが、姿勢を良くするために役立ちそうだったのですが、一人では装着できませんでした。

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そして伸び縮みする山水ホースです。ホースの口径のせいでしょうか、水圧が低くて遠くまで届きませんでした。

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最後にどう脱撃退記ですが、恐らくメーカーは同じだと思える商品を数年前に買って効果があったので、再度購入しました。音はしないはずなのにジージー音がして、数日で機能しなくなりました。

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これまでも、初期不良品に当る頻度は多いような気がしていたのですが、アマゾンでの返品ですので、やはり気になっているのです。

[2019/5/28 イライザ]

 

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コメント

Amazonの魅力はいつでもどこからでも簡単に注文できて、安くて速いことですが、あくまで流通システムです。そこで販売する業者は、Amazonのシステム(返品対応など)が優れていることと、ブランドイメージがAmazonに隠れてしまうため、品質を上げるコストと、返品対応するコストの比較において、どうしても後者を軽くみる傾向にあると思います。

ただ、私も結構買っていますが、初期不良は年に1度あるかないか、1%以下だと思いますので、イライザさんは多いようにも思いますし、最近増えたというころであれば、当たり年ということで、宝くじでも買ってみると良いかも知れません。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

実は「不良品」に当るかも、と考えながら注文したものもありますので、ここでの書き方は「誇張」の面もあることは否めません。

御提案のように、宝くじを買ってみるのが最善の対応策だと思います。

大学の工学部では「フォード・ピント事件」から、フォードが自動車の欠陥対策にかかるコストと事故発生時に支払う賠償金額とを比較し、賠償金を支払う方が安価であると判断し、 180人が焼死し180人が重症に至ると予測される欠陥を放置したことを、あってはならない選択だと習いますが、もしAmazonがそういう選択を見逃すようなら、心配かも知れません。
ただ、おそらくAmazonのAIは、そうしたことを見逃さないのではないかとも思います。

「工場長」様

続けてのコメント有り難う御座いました。

アメリカ企業が日本の企業相手に訴訟を起こすことが一時、流行りましたが、それも同じような考え方が元になっていました。価格競争で勝つより、ダンピング訴訟を起してその場で勝負した方が得だという論理です。

ただし、アマゾンの品質管理はそれなりに理解できる範囲だとは思っています。同時にファンとしての心配もちょっぴりというところです。

2019年5月26日 (日)

「被る」のは帽子でしょう

「違和感のある日本語」等のタイトルで、聞いて変な感じのする表現を不定期に取り上げてきました。たとえば、昨年の一月には、「気になる日本語――不必要な一文字、二文字――」と題して、例えば次のような言葉を取り上げました。

一つは、暮に頂くことの多い喪中はがきの言葉です。

しばしば「生前中はお世話になりました」といった表現が使われているのですが、それは「生前」のことではないでしょうか。事実、辞書の定義は「その人が生きていたとき。死ぬ前。在世中。しょうぜん。」です。それに「中」を付けると「在世中中」になってしまいます。「中」が不必要な一文字です。

もう一つは「若輩者」。これも「者」はいりません。

「若輩」の意味は、「1 年が若い者。2 未熟で経験の浅いこと。また、そのさま。自分を卑下していう語。他人に用いれば軽蔑の意になる。」なのです。

ネット上のビジネス用の言葉の使い方では、「2」の意味を強調しているのですが、若者が使っているのは主に「1」の意味です。となると、「年が若い者」者、と重なってしまいます。

ここで、最初の例では「中」が二度現れ、次の場合には、「者」が重なってしまうことを指摘しました。でもこのような場合に、例えば、「中」がかぶってしまうとか、「者」がかぶるから不必要という表現も良く使われるようです。

しかし、このように、「重なる」という意味で「かぶる」を使うことは、最近始まったばかりで、出来れば広まって欲しくない使い方です。「かぶる」をググって、イメージでどう表現されているのかを見ると、

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そして、辞書の説明では(三省堂の大辞林)、「俗語」として紹介されてはいます。

  1. 頭の上にのせる。上にかけて覆う。 「帽子を-・る」 「布団を頭から-・って寝る」
  2. (水・粉などを)上から浴びる。 《被》 「水を-・る」 「波を-・る」
  3. 身に受ける。 《被》

㋐本来,他人が負うべき借金・罪などを身に負う。 「罪を-・る」 「泥を-・る」

㋑恩恵など好ましいものを受ける。こうむる。 「盛徳を-・らんとて/宇津保 祭の使」

4.写真で,フィルムや印画に,画像とは関係なく薄黒いところができる。

      5.〔俗語〕 あることが重複する。 「話が-・る」 「キャラクターが-・る」

      6.〔終演になると観客が総立ちになり,ほこりが立つので手拭いをかぶったことから〕 一日の芝居などが終わる。終演になる。はねる。

      7.(寄席芸人仲間などの用語)寄席などが,大入り満員になる。

      8.〔「毛氈(もうせん)を被る」の意〕 失敗する。しくじる。 「 - ・つたら来やれと通な烏帽子親/柳多留 87」 〔「かぶせる」に対する自動詞〕

上智大学の伊藤潔教授のコラムでも、元々の意味に「重なる」はなかったことが指摘されています。

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普通の意味である「帽子をかぶる」に戻って、重なることは「重なる」という区別をつけるのはもう難しくなっているのでしょうか。

[2019/5/25 イライザ]

 

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コメント

民放のアナウンサーの言葉の乱れは、酷いなと思います。
NHKのアナウンサーには、言葉の辞典のようなものがあるそうですが、いつか読んでみたいと思います。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

「東京の午後」で書いたのですが、その時見舞いに行ったH君ともアナウンサーの話になりました。私たちの見方は、NHKのアナウンサーもかなり問題ありなのですが----。

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-5e2b5c.html

 

2019年5月25日 (土)

大野のイタリアン Miya

30年ほど前に戻って、当時の衆議院選挙で「広島一区」は大竹から大野宮島も入っていました。寒い冬の夜、一日の選挙活動を終えて、選挙カーが大野の辺りまで戻ると、海沿いのこ洒落たレストランがどうしても目に入ります。疲れから解放されたい気持が大きかったせいだろうと思いますが、いつかゆっくりと、こんなレストランで食事が出来たらと、車中の全員の思いが一致したこともありました。

その後、何度かその夢を実現させようと試みたこともあったのですが、満席だったりお休みだったりして、とうとう今までお預けになっていました。ここ数日、海が恋しくなってきていたせいもあって、思い切って大野まで足を延ばしました。

ブログを再開してからまだエンジンが不完全にしか動いていない状態で、ブログにアップするための写真を撮ることまで頭が回りません。レストランMiyaの外観は、ホームページからお借りしました。

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中に入ってすぐ気付いたのが、緑の多いことでした。そして耳にはジャズ。外はもちろん瀬戸内海と宮島です。

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メニューでまず目に付いたのは、「アサリのワイン蒸し」です。宮島や大野の名産として名高いのはアナゴそしてアサリ。注文しない手はありません。

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この日は、家人も私も何かと忙しく、しかも残念なことに懸案の一つが未解決で達成感も持てなかったため、余り食欲がありませんでした。でも締めのアワビのスパゲッティ・ジェノベーゼは、期待を裏切らない素晴らしさでした。

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次にMiyaを訪れるのに、30年は掛らないと思いますが、30年待った甲斐はありました。帰路に就く頃には、海の向こうの船には灯がともり始めていたのですが、船でのディナーも良いかもしれないと話しながら、Miyaの余韻を楽しむことが出来ました。

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[2019/5/25 イライザ]

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2019年5月24日 (金)

クリーネックス人生論 (2)

前回は、車好きの友人Y君が還暦を迎えたときに呟いた、「死ぬまでにあと何台自分の車に乗れるのだろう」から、年を取るに従って私たちの思考のパターンが変ってくることを指摘しました。

それ以上に切実なのは、年金生活になると、毎月の「入り」は決っていますし、年金が減ることはあっても増えることはまずないという過酷な現実です。その結果、年金の範囲での生活をしなくてはならない、という枠組みに縛られます。

それと同一線上の想像力が働いたのだと思いますが、花粉症で苦しんでいたときに何枚も使うクリーネックスにイライラしていました。

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先ずは、箱を開けて最初に取る一枚は、いつも一枚ではなく、二枚一緒に出てくるのです。これを防ぐ方法もあるらしいのですが、試しても上手くは行きませんでした。そして暫らくは、スムーズに一枚ずつクリーネックスが出てきます。花粉が酷いときには、鼻の下がヒリヒリしてくるほどの枚数を使いますので、通常のものではなく湿り気を含んだクリーネックスに変えることもあります。

そして、箱の中に残っている枚数が少なくなると、一枚だけ取ろうとしても上手く行かず、箱も一緒に付いてきてしまいますので、両手を使わないと一枚が取れないことにもなります。そして、あと何枚残っているのかを考えながら使わないと、夜になって突然花粉対策が必要なときには、もう一枚も残っていないような状況になります。

あと何台自分の車に、という発想と同じように、一枚ずつ少なくなって行くクリーネックスの箱って、毎年、死に向かって生きて行く私たちと同じではないかと、ふとこの二つがつながりました。人間の命には限りがあるのですから、有限の量を持つどんな喩えを使っても同じような感慨を催すことになるはずですが、「塵も積もれば山になる」の逆も真であることを、クリーネックスから感じることになったのは意外でした。

若い頃には、自分の人生がやがては終ることなど、頭では分っていても現実としては、「無限」の彼方の可能性でした。年取って、それがより近い現実になったということだけなのかもしれませんが、その結果、毎日そして毎時間をより大切にしたいと思うようになったのも年を重ねてきたからなのかもしれません。

薄っぺらな人生論になりましたが、それも、考えてみるまでもなく無理のないことでした。薄い紙をモデルにした人生論なのですから--。

 [2019/5/14 イライザ]

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2019年5月23日 (木)

クリーネックス人生論 (1) ――年とともに視点は変る――

もう二年近く前になりますが、特定の商品名が一般名として通用するようになった例をいくつかあげました。エスカレーターやシャープペンシルなどですが、「クリーネックス」もその一つです。最近は「クリネックス」と書くようですが、私の世代が初めて、「クリーネックス」に出会った時は、長音記号の「ー」は、付いていたのです。その方が実際の発音に近いと思います。

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商品名を使わざるを得なかったのには合理的な理由があります。それ以外、良い名前がなかったからです。まず、クリーネックスを説明すると、例えば次のようになります。

「チリ紙を折りたたみ、箱に入れて、上部の開口部から引っ張ると一枚ずつチリ紙が出てくるように細工された、チリ紙の束--また、その一枚一枚のちり紙を指すこともある」

こ令和を短く分り易く簡単な日本語に置き換えることはまず不可能ですので、結局「クリーネックス」になったのでしょう。

ついでにもう一つ。最近では一般名として使われるようになった「ティシュー」あるいは「ティシュー・ペーパー」ですが、この単語の元々の意味は、「薄紙」です。良く目にしたのは、デパートなど高級店で買い物をすると、商品をまず薄い紙で包んで、それを店の包装紙で包むということをしてくれますが、その薄い紙が「ティシュー」または「ティシュー・ペーパー」の典型です。私は、「ティシュー」をこちらの意味で最初に覚えました。

前置きが長くなりましたが、「クリーネックス」に出会った頃は、「クリーネックス」を通して人生を考えることなど想像さえできませんでした。それは、車に付いても同じです。「クリーネックス」や「コカ・コーラ」、「ハリウッド」や「ハワイ」、そして「車」はアメリカの豊かさの象徴でした。いつか自分も、「自家用車」を持てるようになりたい、「ハワイ」に行ってみたいといったことが若い頃の私たちの夢でした。

経済成長の時代が訪れ、私たちの夢は実現しました。車も持てるようになり、ハワイ旅行も夢ではなくなました。それとともに私たちの世代が年を取ってきたことも、自然の摂理として避けられないことでした。車好きの同級生Y君が、還暦を迎えたときに呟いた「死ぬまでにあと何台自分の車に乗れるのかなァ~~」には驚きましたが、彼は私たちの仲間内でも、ませていたのかもしれませんし、それ以上に先見の明があったと言った方が良いように思います。最近になって、現実の選択肢として、この問を思い浮べています。

そしてY君は、還暦を迎えてから2年に一度くらいの割合で新しい車に乗っている感じですから、もう10台近くは乗り換えたことになります。

良い調子で書き綴っている内に、長くなってしまいました。この続きは次回に回します。お楽しみに。

 [2019/5/23 イライザ]

 

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2019年5月22日 (水)

積水ハウス20年メンテナンス訪問

もう3月前になりますが、積水ハウスから、築後20年になるので、「今後のメンテナンス方法等をご説明致します」ので、希望の訪問日を決めて欲しいという手紙が来ました。

実は2年ほど前にも、引き戸が重くなったときに大変迅速かつ親切に対応してくれましたので、今回も楽しみにしていました。

訪問日には、以前お世話になったTさんの他に2人が加わって、合計3人で対応してくれました。まずは、屋根と外壁の検査ですが、二階家の屋根まで届く三脚持参で屋根と外壁を丁寧に見てくれました。三階建てならこの三脚で十分届くそうです。

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人影が反射してしまっていますが、屋根の映像も御覧頂けると思います。かなり近くでチェックするのと同じです。

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屋内のチェックは、水回りを中心にして貰いました。写真を撮るのはそのためでもあります。

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今回は、引き戸も少し重くなってはいたのですが、それに加えて、一月くらい前から居間の床がギシギシ鳴り出して、ちょっと気になっていました。今回は、その対策もして貰えるだろうと期待していました。すぐ床下に潜って、問題点の診断をしてくれました。

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床下からは、どこがギシギシなっているのか分りませんので、もう一人の積水の社員にその部分に立って床を踏んで貰い、実際に音を出して貰いました。

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有り難かったのは、ギシギシとなる音が完全に解消されたことです。床が少し浮いていた部分にクサビを打ち込んでくれたそうです。もう一つ、耐震のために本棚の上に突っ張り器具を設置したのですが、その結果、壁と天井の間に隙間ができてしまいました。その部分も簡単に、コーキングをしてくれました。流石はプロの仕事です。手早くきれいに仕上げてくれました。

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これから家を建てる予定もないのに、こんなことを言って良いのかどうかと迷いはしますが、家を建てるならアフターサービスの良い、そして住んでいて快適な積水ハウスをお勧めします。

 [2019/5/22 イライザ]

 

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2019年5月21日 (火)

みんなで筋肉体操 ――これならできそうです――

ある夜更け、家人が面白そうなテレビ番組を見ています。「みんなで筋肉体操」という再放送だったようで、あちこちで話題になっているとのこと。しばらく見ていて、「これならできそうだ」と思いました。

一つには、画面に登場するのが男性ばかりであること。ラジオ体操やテレビ体操は何故か女性が3人くらい出て来て体操のお手本をしてくるのですが、体が柔らかいせいでしょうか、見ているとあまりにも簡単そうで一緒に体を動かす気になれないことが多いのです。

でも男性が筋肉を使って動いている画面には自然に引きつられて、こちらも体を動かしたいという雰囲気が自然に醸し出されていたのです。長さも5分くらいでちょうど良さそうですので、次の日から定期的にと思ったのですが、番組表には出ていません。

ネットで調べると、その日の番組は、たまたま行われていた再放送で次の再放送の予定も決まっていないとのことでした。では、YouTubeでと調べてみると、ありました。

でも、パソコンの前で筋肉運動は無理そうです。何とかならないかと考えるうちに、AmazonのFireTVを使えば、YouTubeが見られることに気付きました。早速、居間にある液晶テレビにブラウザをダウンロードして、YouTubeを開き、「みんなで筋肉体操」の画面に行き着きました。

最初の番組は腹筋でした。フルレンジ・ノンロック・クランチと言って、下にタオルを敷いて、手を前に上げ、身体を起す体操です。これはいつも腹筋の運動として繰り返しているのとそれほど変りません。

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次は、椅子に浅く座って、足を大きく上に上げる運動です。画面を見て頂くのが手っ取り早いと思います。

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インストラクターの谷本道哉近畿大学准教授は、「きゅっ」と上げて、「あー」と下す、と簡単に言ってその通りのことをしているのですが、体が硬くなってしまっている私には、こんなに高く足を上げることはできません。そう思った瞬間、次の画面になりました。

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足がそこまで上がらなくても、上げられる高さでOKだという親切な画像です。体の硬い高齢者も多く見ているということでしょう。これなら続けられそうです。

そう言えば、ホームページには、「「みんなで筋肉体操」は番組で筋トレを実践する出演者(筋肉アシスタント)を募集します」というお知らせもありました。何回か続けて、効果が現れたら、応募してみても良いいかもしれません。「あげられる高さで行えばOK」の画面のモデルとして採用して貰えるかもしれません。

 [2019/5/19 イライザ]

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2019年5月20日 (月)

炒り卵 ――同じお題で書きましょう――

「玉子料理」と聞くとすぐ思い出すのが、小学校の5年か6年のときの家庭科の時間です。まだまだ戦後の貧しさが残っていて、食べ物も不足がちなときでした。もちろん、卵も貴重でした。

家庭科の時間に教わったのは、炒り卵の作り方でした。普通の卵焼きとは違って、フライパンに溶いた卵を落してからお箸で素早く掻き回して、小さい粒状の卵焼きに仕立てるのですが、とにかく先生のお手本通りに作ってみました。

ずいぶん昔のことですので、記憶があやふやになっているのですが、出来上がった炒り卵にとてもガッカリしたのは良く覚えています。普通の卵焼きの量よりはるかに少ない量の卵焼きになってしまったからです。

普通の卵焼きなら、フライパンの底に沿って、薄い皮状に焼けるので、フライパン一杯の卵焼きなのですが、炒り卵は、丸い粒状になってしまってそれもほんの少し真ん中辺りに盛り上がっているので、量が少なく見えたのだと思います。

それがトラウマになったせいかもしれませんが、それから長い間炒り卵を作ったことはありません。

このテーマで「炒り卵」を思い出しましたので、今でも本当に量が少なく見えるのか実験してみました。誰でもできることですので、写真を撮ることもないのですが、折角ですのでアップします。まずは卵を割るところから。

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続いて掻き回します。手元がおぼつかない所まで良く写っています。

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それをフライパンに流し込みます。

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固まらない内に粒状にしなくてはならないので、お箸を高速で動かしています。

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何とか出来上がりましたが、昔ほど「量が減った」という感じがしないのは不思議です。小さい粒にならなかったのが原因かもしれません。

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お皿に移して、ビールのつまみになりました。

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 [2019/5/20 イライザ]

 

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コメント

参加ありがとうございます。

こげずに、真っ黄色で美味しそうですよ。
粒々なので、1度に沢山箸ではつまめず
おつまみにいいですね。今度やりますw

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。料理は不得意なのですが、そして炒り卵は料理の中には入らないとは思いますが、それでも褒めて頂けると嬉しいです。

酒のつまみの料理レシピ―の本も買ったことはあるのですが、難しくて自分では手が出ませんでした。炒り卵が丁度良いようです。

 

 

2019年5月19日 (日)

死刑制度 (4) ――被害者――

これまで、死刑制度について、憲法がどう判断しているのかを検証する準備として、世論や国際比較といった背景を見てきました。しかしながら、犯罪の被害者の視点を抜きにして死刑制度は論じられません。今回は、そこに焦点を合せます。

《死刑しかない》

かつて毎日新聞の社会部記者として数々の事件を取材し、また警視庁キャップとして勇名を馳せた友人A氏から聞いた忘れられない一言があります。「自分は死刑制度は廃止されるべきだと信じている。でも、たくさんの犯罪者を取材する中で、こいつは死刑になっても仕方がない、それ以外の選択は考えられないと言いたくなるくらい悪い奴のいることも事実なんだ。」私の何倍もの幅広さで社会を見てきたであろうA氏の感想に私は返す言葉もありませんでした。

事件記者としての情熱だけではなく、様々な事件の背景等についても冷静に分析ができ、人間的な優しさも持ち合わせているA氏でも、こんな思いに駆られることがあるのは、それほど死刑の正当性が社会に浸透しているからなのだと思います。そして、このA氏の頭に、死刑の可能性がある意味自然に浮かぶこと自体、死刑という制度の廃止と存続との間の線引きが難しいことを示しているのではないかと思います。

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確かに、子どもを殺された親の気持は私たちの魂を揺さぶります。共に泣き嘆き糾弾したい気持になるのも情のなせる業かもしれません。内閣府のホームページにあった、息子さんを失った一人の母、尾松智子さんの言葉です。

初公判が八月四日と決まりました。口を二度と利くことの出来ない信吾、無念の中で命を奪われてしまった信吾のために、私に出来るたった一つのこと、それはこうやって裁判を進めていただく関係者の方々に、許されれば私共の今の気持ちを伝えさせていただくこと、それが精一杯のことです。

加害者の一人が、「生きているのが辛い。」と私共に手紙の中で述べておりました。辛いと感じる命があなたにはあるし、もう一度社会を歩んでいけるチャンスが命ある限り訪れることでしょう。正直なところどんな言葉も私共には響くことはありません。罪の無い人間の命が奪われたのに、どうして罪を犯した人間がこの世に生きているのでしょう。私共は出来ることなら、許されることなら、四人の加害者に、信吾と同じ状況下で、信吾の受けた痛みや苦しみを同じように体験して欲しい。そして私たちが生きている限り、加害者の命がある限り、この社会には出てきて欲しくはない。出来ることなら極刑に処して欲しい。そう願わずにはおれません。信吾や私たちの受けた、又これからも受け続けなければならない、精神的ストレス、そして苦しみを、この四人の加害者に与えたい。それが出来るのは、極刑、死刑しかない、そう考えています。

生きている限り、加害者と言えども、その人の人権が守られることでしょう。しかし命が無くなった信吾の人権は一体どうなったのでしょう。こんなに悲しいことがあるでしょうか。命は二度と取り返すことが出来ません。犯した罪は本当に償うことが出来るのでしょうか。命有るものに対し行った残虐な行為。与えた精神的な苦痛。罪の無い人の命まで奪ったと言う事実に対し、取り返しがつかないことなのだと厳しく厳しく法の下、裁き追求していただくことを心からお願い申し上げます。

 

真正面から受け止めなくてはならない、でも受け止めることさえ難しい言葉です。ではどうすれば良いのでしょうか。簡単な解決策はないのですが、これまでの人類史を振り返ると、数えきれないほど多くの人が悲劇に遭遇し、悲しみ嘆き、持って行きどころのない気持を抱えながら生き続けてきています。そうした多くの人たちの経験の積み重ねから、私たちが学び取ることはできないのでしょうか。

例えばほとんどの宗教は、悲劇に遭遇した人々とともに存在してきました。芸術を通して悲しみが癒されることもあったはずです。そして、社会制度としての法的な枠組みにも、長い間、人類が歩んできた経験から学び未来を拓くための知恵が込められています。憲法の97条には、簡単ではありますが、人類の歩みが記されています。基本的人権の中には、「幸福追求の権利」も含まれています。抽象的なレベルでは、尾松さんに応えることにはならないと思います。それでも法治国家としてのわが国では、このような難しい問題についても憲法を元にして考えて行く必要があります。

この点については7月に法政大学出版局から刊行予定の『天皇と憲法――数学書として憲法を読む――』をお読み下さい。憲法を、あるがままに読むとどのような結論に至るのかを詳しく論じています。

しかしながら、死刑についての憲法の考え方を理解したからといって、殺人によって愛する家族を奪われた遺族の気持が自動的に癒されることにはならないでしょう。

ようやく社会的な関心も、この面に向けられるようになり、国も重い腰を上げることになりました。救済のための国の施策は始まったばかりですが、主に二つあります。経済的な支援策としては「犯罪被害者給付制度」があり、精神的社会的支援については「犯罪被害者等基本法」があるのですが、被爆者援護法と同じように、運用面でさらなる工夫も必要ですし、制度的・法的な拡充も必要でしょう。また、法律面だけではなく、より包括的な支援システムが必要なことは言うまでもないと思います。

そして、広島・長崎の被爆者たちの歩んできた道からも社会全体として教訓を汲み取り、苦しい悲しい運命を背負わされた犯罪被害者やその遺族たちのために役立てることも可能なのではないかと思います。その視点から被爆体験を生かすための調査や研究の行われることを期待しています。

[2019/5/19 イライザ]

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2019年5月18日 (土)

死刑制度 (3) ――冤罪――

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 《冤罪》

これまで、死刑制度について、様々な問題点について検討してきましたが、もう一点大切なことがあります。刑罰の中で何よりも避けなくてはならないものは、罪のない人に与える刑罰、つまり「冤罪」です。中でも冤罪によって死刑を執行された人は、永遠に生き返ることがないのですから、究極の「残虐」さを持つ犯罪だと断定できます。そして冤罪による死刑の宣告が実際にあったことは、後に長く苦しい時間を経て無罪判決が出たにしろ、四大死刑冤罪事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)をみることだけでも明らかです。

死刑判決は受けなかったけれど、服役しながら冤罪を訴え、その結果無実が証明された例はかなりあるのですが、それは、冤罪だということを本人が一番良く分っていて、その本人が熱心に訴えを続けたために裁判所も最後には動かざるを得なかったからだと考えられます。死刑を執行されてしまってから、真犯人が分り冤罪であることの証明がされたりするケースはほとんどあませんが、それは、一番の当事者である本人がこの世にいないこと、従って、本人があくまでも「冤罪」であることを訴え続けることさえできなくなった事実、が最大の原因かもしれません。

冤罪によって、罪のない人が死刑に処せられるのは「残虐な刑罰」に相当することは御理解頂けたとして、それは「絶対に」行われてはならいことが36条の規定です。「絶対に」の意味は、「一人の例外もなく」です。この「一人の例外もなく」は、民主主義の理想形で述べた、全ての人が合意しなければ民主政治・国家と言えども人の命を奪うことはできない、という原理に呼応しています。

そして、人間は神ではありませんから、過ちを犯します。その可能性を認めた上で、「ただ一人の例外もなく」冤罪による死刑が起らないようにするためには、死刑そのものを廃止する以外に道はありません。冤罪という視点からも36条は死刑を廃止すべきだと主張しているのです。

[2019/5/18 イライザ]

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2019年5月17日 (金)

死刑制度 (2) ――国際比較――

前回、死刑についての我が国の世論調査で、賛成支持が85パーセントにも上ることが分りました。では、世界に視野を広げるとどのような状況なのでしょうか。

 《死刑制度の概略》

先ず、世界的にどのくらいの国が死刑制度を廃止しているのか、死刑制度が残っているのはどの国なのかを見てみましょう。アムネスティ・インターナショナル日本による資料です。

 

あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国:98

通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国:7

事実上の死刑廃止国:35

 

法律上、事実上の死刑廃止国の合計:140

存置国:58

 

140対58と、廃止した国の方が圧倒的に多いのですが、日本は存置国の一つです。他の57か国はどんな国なのでしょう。これまたアムネスティの資料です。

アフガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、チャド、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、ガンビア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、ナイジェリア、朝鮮民主主義人民共和国、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、セントキッツネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シンガポール、ソマリア、南スーダ ン、スーダン、シリア、台湾、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエ

この中には韓国が入っていません。韓国では法律上、死刑は残っていますが、1997年以来死刑は執行されておらず、アムネスティは、「事実上の廃止国」と位置付けています。またアメリカは、死刑制度についての管轄権は州にあり、16の州が死刑を廃止しています。

特別の意味がありそうにも思えるのは、存置国と人口の関係です。人口の多い順に国を並べると、①中国②インド③アメリカ④インドネシア⑤ブラジル⑥パキスタン⑦ナイジェリア⑧バングラデシュ⑨ロシア⑩日本ですが、ブラジルは、通常犯罪については廃止していますし、ロシアは、チェチェンを除いて執行停止状態ですので、10か国中8か国が存置していることになります。人口の多い国では死刑が行われる理由があるのかもしれません。この点についての考察を探してみましたが、見付かりませんでした。何方か御存知の方に教えて頂ければ幸いです。

もう一点、法務省が千葉景子大臣の時に設置した「死刑制度のあり方についての勉強会」で日弁連の代表がプレゼンに使った地図を見ると、死刑が残っている国々は、東のアメリカから太平洋を越えてアジア、そしてアフリカまで、かなりきれいな形で帯状に続いています。この地域は気候が良くて、人口の多い国々が集まっているためにこのような地理的分布になったのか、それとは別の理由で、帯状の国々には死刑制度が残っているのか、この点についても御存知の方がいらっしゃれば御教示頂きたいと思います。

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[2019/5/17 イライザ]

 

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2019年5月16日 (木)

死刑制度 (1) ――賛成が85%――

ここ数か月、憲法をあたかも数学書として読む試みを続けてきましたが、その結果が7月頃法政大学出版局から刊行される予定です。

その中で取り上げているトピックの一つが死刑制度なのですが、「数学書として読む」立場からは、憲法が死刑を禁止している、という結論になります。詳細は、7月に出版される小著をお読み頂きたいと思いますが、それまでの間、死刑制度についての背景など考えてみたいと思います。

憲法に明確な規定、例えば「死刑は禁止する」とか「死刑は刑罰として認める」といった明示的な条文があれば、それに従うことになるのですが、そのような明示的な条文はありません。そして、こと死刑のような重大な案件については世論も重要です。そこで我が国の死刑についての世論を見てみましょう。簡単に分るように、グラフで示します。

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これは国が行った世論調査の結果です。青が賛成、赤が反対です。賛成が増え、反対が少なくなっている傾向が分ります。

賛成と反対の理由ですが、「廃止派」と「存置派」の考え方を簡潔に整理したものが法務省のホームページに掲載されています。(「死刑制度のあり方についての勉強会」のとりまとめ報告について)

 

死刑制度の存廃に関する主な論拠

 

1 死刑廃止の立場

① 死刑は,野蛮であり残酷であるから廃止すべきである。

② 死刑の廃止は国際的潮流であるので,我が国においても死刑を廃止すべきである。

③ 死刑は,憲法第36条が絶対的に禁止する「残虐な刑罰」に該当する

④ 死刑は,一度執行すると取り返しがつかないから,裁判に誤判の可能性がある以上,死刑は廃止すべきである。

⑤ 死刑に犯罪を抑止する効果があるか否かは疑わしい。

⑥ 犯人には被害者・遺族に被害弁償をさせ,生涯,罪を償わせるべきである

⑦ どんな凶悪な犯罪者であっても更生の可能性はある

 

2 死刑存置の立場

① 人を殺した者は,自らの生命をもって罪を償うべきである。

② 一定の極悪非道な犯人に対しては死刑を科すべきであるとするのが,国民の一般的な法的確信である。

③ 最高裁判所の判例上,死刑は憲法にも適合する刑罰である。

④ 誤判が許されないことは,死刑以外の刑罰についても同様である

⑤ 死刑制度の威嚇力は犯罪抑止に必要である。

⑥ 被害者・遺族の心情からすれば死刑制度は必要である。

⑦ 凶悪な犯罪者による再犯を防止するために死刑が必要である。

 

次回は国際的な比較をしてみたいと思います。世界の多数の国々では、死刑は廃止されているのです。

[2019/5/16 イライザ]

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2019年5月15日 (水)

エコバスケット ――便利な上、環境にも良い――

先々週は二回にわたって、プラスチックごみの問題を考えましたが、プラスチックの使用を減らす上で大切なことの一つが、レジ袋の不使用です。広島市では他都市に先駆けて、2002年から市民やスーパー等との連携の下、レジ袋の無料配布の中止や、レジ袋の代りに「マイバッグ」持参運動などを展開してきています。布製の、使い易くデザインの良い物が沢山あります。また、総合的なごみ対策として2004年には、「110万人のごみゼロ宣言」を打ち足して、ごみの総量の削減、リサイクル量の倍増、最終処分量の半減を掲げました。同時にごみの8種類分別を始めたのですが、一人一日当たりのごみの排出量が全国の大都市で一番少ないという記録を達成しています。これは、1976年に始まった市民総がかりの努力の結果ですが、ごみと環境についての広島市の伝統が今も続いていることを祈っています。

さて毎日のレジ袋使用についてですが、「マイバッグ」を使うのは理に叶っています。

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但し、お金を払った後、仕分け台で、スーパー内専用のバスケットから買い物袋に移すのには、もう一手間掛ります。

そんな悩み解消のために、「エコバスケット」とか、「買い物バスケット」と呼ばれるバスケットが普及し始めているようです。たとえば、「マツモト」というスーパーのホームページでは、エコバスケットの説明を分り易くしています。

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このスーパーでは、エコバスケットを販売しているようですが、我が家の近くのスーパーでは、100円のデポジットで、エコバスケットを貸してくれます。

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これで、お金を払うのと同時に、レジ係のベテランが綺麗にバスケットの中に入れてくれた食料品をそのまま持ってくれば良いのですから、何も問題はありません。また、かつては、スーパー毎に使えるバスケットを制限していたようなのですが、最近はどんなバスケットでも使えるようになっているようですので、自前の「マイ」バスケットもありなのかもしれません。

とは言え、他の買い物を先にしたいときや、まずは食事をしてからスーパーで買い物という時には、バルキーな(嵩のある)バスケットを持ち歩くのはちょっと面倒です。そんな時は車の中に置いておいて、必要になった時に車まで歩くという選択肢もあります。「面倒臭い」と考える代りに、これを買い物の「エクササイズ化」だと前向きに考えると、一石二鳥になるのですが、如何でしょうか。

[2019/5/14 イライザ]

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コメント

レジ袋をゴミ袋として使っていたケチな私にとっては、わざわざレジ袋やマイバックを買ったり、さらにはゴミ袋も買ったりするのは、明らかに無駄であり、より多くの資源を使い環境にも悪いように思うのですが、いかがでしょうか。

プラスチックも元は化石燃料=生物の死骸ですから、人間の寿命で考えると分解しないイメージですが、地球の年齢で考えれば分解しないものではありません。プラスチック問題は、海洋への不法投棄が問題なのであって、プラスチックそのものを排斥することには疑問があります。

「ドケチ」様

コメント有り難う御座いました。

地球の年齢で考えるという壮大な枠組み、確かに視野が広くなります。それも大切ですね。でも、それだけ広げてしまうと、人間社会における重大問題のほとんどは「trivial」の範疇に入ってしまって、議論する必要さえなくなってしまいます。

人間の数世代の範囲の物差しで、循環型のシステムを構築するのはそれほど無理ではないと思いますし、一番合理的なような気がします。

 

 

2019年5月14日 (火)

ロスからの訪問者 ――トランプ大統領は戦争を始める?――

核廃絶を目標に、懸命な努力を続けている友人が世界中にいるのですが、ニューヨークに住むG氏とは、長い間かなり親しく活動を共にしてきました。今年の3月に、その彼からメールが来ました。親しい友人、そして平和や環境の分野で精力的な運動を続けてきたJ夫妻が日本を訪問するので会って話をして欲しいとのことでした。J夫妻にとっても君にとっても有意義な時間になるはずだということも強調してありました。

その後、J夫妻と直接連絡を取り合ったのですが、かなり過密なスケジュールで、広島には日帰りの時間しか割けないとのことでした。私も5月はかなり忙しくなってしまいましたので、結局、午後一時過ぎに宮島で落ち合いランチを共にすることにしました。予約をしたのは、Les Clos (レ・クロ) というお店です。

しかも、何とオーナー・シェフは、黒越勇さんではありませんか。全日空ホテル時代の2000年、ドイツで開催された世界料理五輪にて金メダルを獲得されています。その際にお祝いの言葉を掛ける機会があったので、特に印象に残っています。楽しみが何倍か増えました。

久し振りの宮島でしたので、フェリーからの眺めがとても新鮮でした。普段住んでいるところは、標高200メートルはありますので、いわば、山から海に降りて来たのですが、フェリーの上で感じる海風は、子どもの頃の夏を思い起させてくれました。そして宮島の大きさもこの目で改めて確認できました。

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そして、フェリーから撮る大鳥居の写真は、鳥居が小さ過ぎて良い写真にはならないことを承知の上で、それでも久し振りの気分で撮っていました。

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桟橋で、世界遺産航路から降り立ったJ夫妻を迎えて、すぐにレストランへ。風情のある入口です。

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実は、桟橋から大変面白い会話が続いて、レストランでもこの写真を撮るのがようやっとの程、話が弾みました。

もちろん、トランプ大統領の言動がアメリカだけではなく世界に大きな脅威になっていることが話題の中心でした。具体的な指摘としては、次のようなシナリオをアメリカ人は心配しているとのことでした。

トランプ大統領の最大の目的は来年の大統領選挙で当選することだろう、そしてこれまでのアメリカの歴史を見ると、当選するために一番確実なのは、戦争をすることだ。となると、今トランプ大統領がイランに対して起こしている軍事的な動きは、戦争を始めるための口実作りに使われる可能性がある。さらに、戦争が起きれば戦術核を使うとトランプ大統領は広言している。この流れを何としても変えなくてはならない。

また北朝鮮についても、国内でどのような政治が行われているのかがアメリカ人の多くに知られるようになり、北の脅威とどのように対峙・対応するのかがアメリカ人の関心事だとのことでした。さらに、トランプ・キム会談とその後の両国の関係についても、楽観的に見るだけではいけないことも、アメリカでは指摘されているとのことでした。つまり、国内では人権侵害を続け、非人道的かつ過酷な政治を行っている上に、経済的にも大きな貢献をしていない北朝鮮が、あたかも大国のような影響力を持つに至ったのは、トランプ大統領がキム委員長と会ったせいで、これからの北朝鮮との関係が一層難しくなった原因なのではないか、とのことなのです。

私が時間を割かざるを得なかったのは、安倍政権による目茶苦茶な政治の実態については具体的な知識のないアメリカからの訪問者に、その事実を説明することでした。そして、アメリカには少なくとも「諸悪の根源」とでも言える「トランプ」という存在があって、批判をそこに集中できるけれど、日本の場合には、安倍総理という存在は会っても、日本というシステムそのものが深刻に劣化してしまっているので、問題は大きいのかもしれないことも指摘しておきました。

いくら政治に関心のある私たちでも、一時間の会話ですべての問題を片づけられるはずがありません。しかしながら、久し振りに「アメリカの知的良心」とでも言ったら良い考え方を直接聞くことのできたランチは素晴らしいことときでした。

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もちろん、Les Closのランチが美味しかったことは言うまでもありません。

 [2019/5/14 イライザ]

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2019年5月13日 (月)

サウンド・バー ――ウーハーがお腹に響きます――

我が家のテレビは液晶ですが、音声部分ももう少し改善が必要かなと思って、長い間、ONKYOのミニコンポを通して聴いていました。それなりに良い音でしたので満足していたのですが、昨年あたりから雑音が聞えるようになりました。20年物のコンポですので、そろそろ劣化してきたのかなと考えて、原因を調べて見ました。

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まず、CDを大音響で聴いても問題はありませんので、アンプやスピーカーは大丈夫。となるとテレビ側なのかもしれないのですが、テレビのスピーカーからは雑音は聞えません。結局テレビをアンプにつないでいるインチ―フェース、それもテレビ側の端子以外の可能性のないことが分りました。

となると、他の端子、例えばHDMIを使ってアンプにつなげれば良いのですが、この際、もっと簡単にサウンド・バーを取り付けてみたらと考えて、早速、ネットで注文しました。子どもたちもサウンド・バーは持っているようですし、満足しているようなのでそれなら大丈夫だろうという予測が立ったからです。

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テレビの前に置いたサウンド・バーですが、小型でも、なかなか良い音です。テレビのスイッチと連動していますので、テレビに付属しているスピーカーのように動いてくれますので、手間入らずで助かります。特に、サブ・ウーハーの低音が部屋中に響き渡って、お腹に響きます。これは、ミニコンポの上を行っています。

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残念なことに、パナソニック製ですので、東芝のレグザとは完全には同期していません。たとえば音楽番組の場合と映画の場合、それぞれのイクオライザーの設定はリモコンでしなくてはなりません。その他にもいくつかの機能はリモコンでしかできません。

ところが連休中にこのリモコンが全く利かなくなってしまいました。本体の方でウンともスンとも言わないのです。ネットで、代りを探したのですが、どれも同じような形をしていて、例えば周波数の設定等についての情報は乗っていないので、仕方なく、パナソニックのコンシューマー・センターに電話をしました。

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保証期間中なので、実物を見た上で対応するとのことでした。早速、連休最後の日にアポを入れて貰って、サービス担当の人が我が家まで足を運んでくれました。二三のテストの後、リモコンが壊れているとの診断でリモコンの代替品ですべての問題が解決しました。その他にもテレビや家電業界の最新情報も聞くことが出来ましたので、とても有り難い訪問修理になりました。

[2019/5/12 イライザ]

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2019年5月12日 (日)

くじまの森 ――自由なマーケット――

真夏日になりそうな土曜日、恒例の「くじまの森」が開かれました。「ふれあいセンター」と郵便局の近くの公的施設や古民家、企業そして個人所有の建物や敷地を使って、この地域活性化のための、「フリー・マーケット」的な催しです。

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「この地域にこんなにたくさんの人がいたの?」と思うくらいの人出です。子ども連れの家族の多いのも特徴です。駐車場に充てられていた、廃校になった小学校の校庭が車で一杯でしたから、恐らく近隣の町からのお客さんも多かったのだと思います。

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ウォーキングのときには、まず人を見ることのないスペースにこれだけの人、そして多くのお店が出ています。

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このような催しで圧倒的に多いのは食べ物屋さんです。「くじまの森」でも、石窯ピッツァが大人気で行列ができていました。

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でも私のお目当ては、こちらです。

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この地域の老人会のY会長のお点前があるのです。私にはお茶の嗜みなどないのですが、何故か御近所さんの中には、男性の茶人が何人もいるのです。こういうのを「民度が高い」と表現して良いのでしょうか。

先ずは、和菓子ですが、とても美味しいお饅頭でした。黒文字を持ち歩いてはいませんので、手に取りましたが、失礼には当らなかったことを祈っています。

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そして、Yさんのお点前。武家茶だからという先入観のせいかもしれませんが、貫禄がありメリハリが利いているだけでなく、抹茶も甘くておいしく頂きました。

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音楽の生演奏もあったようなのですが、ちょうど行事が重なってしまい、「くじまの森」にお暇を告げました。

 [2019/5/12 イライザ]

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2019年5月11日 (土)

名代 (なだい) と名代 (みょうだい) ――稲庭うどんの専門店はどちら?――

「銀座」の定義は人によって違うようなのです。数寄屋橋周辺は銀座に入れない、という正統派の人がいて当然ですし、もっと広く、地下鉄の銀座線や丸ノ内線の銀座駅周辺は全て銀座と呼ぶ人もいます。その銀座の便利な所にかつて、稲庭うどんの専門点がありました。江戸時代初期からの歴史のあるうどんということで、店の名前もその時代を反映したものでした。

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阪急プラザから見た2年前の数寄屋橋交差点

元々、うどんよりは蕎麦の方が好きだったのですが、稲庭うどんは、細目で冷や麦や素麺と同じような食感でしたので、よく食べに行っていました。家族だけではなく友人や知人、仕事関係の人たちとも良く訪れる「お気に入り」の店だったのです。

店の看板にも「名代 稲庭うどん」が入っていたような気がします。メニューにも「名代 稲庭うどん」他、「名代」の付くものがいくつかあったような記憶があります。

お読みの皆さんは御存知だと思いますが、「なだい」と「みょうだい」は、漢字は同じでも意味は全く違います。「なだい」と読む場合は、「名物」「歴史的に良く名前が知られている様」を表します。「みょうだい」の場合は、誰かの代理を意味します。それも、格式のある代理というニュアンスがありますので、「皇太子殿下が、天皇陛下の御名代として○○国を訪問された」といった感じの報道がニュース映画等で良くありました。

ある日、注文をした後、その確認をするために若い女性店員さんが「みょうだい稲庭うどんですね」と繰り返しました。「みょうだい」ではなく「なだい」だと注意したのですが、全く頭には入らなかったようで、混んでいる店で責任者を呼び出すまでもないと思ってそのまま帰ってきました。

時代背景もあったのかもしれません。コンビにで、700円の買い物に1,000円札を出すと「1,000円からお預かりします」が目立ち始めたときでもありました。何より、贔屓にしていた店で、目玉商品の呼び方は間違えて欲しくないという思いで、数日後、本社に電話をしました。「なだい」と「みょうだい」の間違いを説明して、メニューの読み方も大切ではと注意したのですが、結局、「それが何だ」という対応でした。自分の店の看板とも言えるメニューの名前、しかもわざわざ「名代」とまで名乗っておきながらその読み方も知らない、その上、ファンの声にも耳を傾けないのでは、これ以上のお付き合いはできないと思って「名代 稲庭うどん」にはそれ以後、行ったことがありません。

しばらく経って、家人がその近くに用事かあったとのことで、帰ってから報告してくれました。「名代 稲庭うどん」の店は潰れていたとのことでした。

湯沢市その他の地で今でも頑張っている稲庭うどんメーカーやレストランがありますが、それらのところとは関係のない店だったことを祈っています。

[2019/5/11 イライザ]

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2019年5月10日 (金)

幸せな日本のお金持ち ――世界に冠たる優遇税制――

昨年の8月2日の本ブログでは、立命館大学の大田英明教授の論文を取り上げて、「アベノミクスに騙されるな」そして、「経済成長を促すためには累進課税が効果的だ」という点をお伝えしました。

理論的にはそれで十分なのですが、今回は、もう少し単純に日本のお金持ちが、世界的にも幸せであること、つまり、税金という面で如何に優遇されているかをいくつかの数字でお伝えしておきたいと思います。

アメリカでも同様の長期的な傾向がありますし、それが、トランプ政権を誕生させたという考え方もあるのですが、日本の場合、アメリカ以上の優遇措置があるにもかかわらず、それに対しての市民レベルの反発があまり見られないのが不思議だと思います。

1970年代から80年代にかけて、特に、エズラ・ヴォーゲル著の『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』でも称賛されたように、日本社会が均質で貧富の差も欧米ほどは酷くないことが、我が国の誇りであった時代がありました。それは数字で理解できます。しかし、現在は、アメリカに追随した結果、アメリカとほぼ同じくらいの貧富の差が生じています。先ずは税率です。

所得が1億円の場合の税率

1980年 所得税75% 住民税13% 合計88%

2015年 所得税45% 住民税10% 合計55%

アメリカの場合ですが、

高額所得者の最高税率は、

1980年代で、              70%

現在は                        40%

です。住民税は入っていませんので、日本とドッコイドッコイです。

しかし、問題なのは、株式譲渡や配当利益に対する課税率です。

日本の場合は、分離課税、つまり他の所得とは別に課税されることになっていて、その税率は20%です。

それに対して欧米の場合はどうなのかというと、

アメリカ          30%

イギリス         28%

ドイツ            26%

フランス         60%

です。日本が一番低いことに注目して下さい。

この点を分り易く示したグラフがあります。東洋経済誌On Lineに『所得1億円超の金持ちほど税優遇される現実』と題して掲載された梶原一義氏による記事の中のグラフです。

 

Photo_100

 

グラフ中の説明が読めればそれで十分なのですが、青線は、合計所得金額中に株式譲渡等、分離課税で税率が低い所得の割合を示しています。1億円を超えると、指数函数的にその割合が増えています。それと意味はほぼ同じなのですが、一億円を超えると、所得税の負担率が急激に下がっています。

累進性の低いことがこのようにドラマチックに示されているのですが、最後に改めて、何故「累進課税」が正当化され得るのかという理屈をごく単純化された形でまとめておきましょう。

たとえば、月給が10万円の人がいたとして一年では、120万円の所得になるとしましょう。その人に対する税率が10%だとすると、12万円税金を払わなくてはなりませんので、手元に残るお金は108万円です。

一方年収4億円の人がいたとして、仮に、税率は75%だったとしましょう。税金は3億円ですから手元には1億円残ります。

一年間108万円で暮すのが大変なことは、誰にでも分ります。一方、税率が高くても、一年1億円で暮したとしても随分ぜいたくな暮しのできることは、言うまでもありません。すべての人が、それなりに人間的な生活が送れるようなシステムとしては、このように「累進性」が加味されたものが必要であることは理解して頂けたのではないかと思います。

[2019/5/10 イライザ]

 

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コメント

今の資本主義経済では、科学技術の進歩は、生産性の向上を促し、それは所得格差の拡大を招きますが、今後、AIの実用化、普及で、あらゆることの自動化=生産性の向上の加速が予想され、それに伴い、益々所得格差は拡がりますので、富の再分配こそが最も重要な課題になると思います。

ただ、現実をみると、今の政治は、こうした時代の変化に対応できていないばかりか、日本は逆行しているとすら思えます。50種類もある税金のうち、累進性が採用されているのは僅かであり、その他にも、年金や保険、NHK受信料、あるいは有料道路のように、強制的に一律徴収されるものも少なくありません。「社会保障と税の一体改革」では、とても間に合わず、(あくまで例ですが)ベーシック・インカムのような、まるで違うものへの移行しかないように思えますし、かつて民主党政権が主張していたように、捕捉率の低い徴収より、給付によって再分配する方が効率的にも思えます。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

御指摘のような傾向のあることを前提にして、大きな未来像を描くといった種類のことは、御指摘のように、現在の日本政府やリーダーたちには無理なような気がします。

もう一つの学習形態である、歴史から教訓を得ることも、世界レベルで放棄してしまったようです。第二次世界大戦後のシステムがうまく機能したのは、ケインズらを中心に、いわゆるブレトンウッズ体制という画期的な青写真が描かれたからですが、その中に盛り込まれた、優れたアイデアを破壊することが、1970年代以降の世界の歴史に他ならないからです。

 

 

2019年5月 9日 (木)

苦手なネクタイ売り場 ――好きな作家・阿刀田高――

いつの頃からか、ネクタイにはこだわってきました。性格もあるのでしょうが、というより全面的に性格のせいだと思いますが、好きなネクタイと嫌いなネクタイがハッキリしています。でもネクタイそのものには関心があるので、デパートに入る機会があると、ネクタイ売り場をちょっとのぞくのがルーティーンになっていました。お店によって揃えているブランドや柄に違いがあるので、その中で気に入ったものを買うこともあったからです。私の趣味にピッタリのネクタイをプレゼントとして頂いた場合、天にも昇る嬉しさだったことも良くありました。

190506

お気に入りのネクタイ2本

でも、デパートのネクタイ売り場は苦手でした。それを、作家の阿刀田高さんが見事に書いて下さっていました。1984年発行の角川文庫『まじめ半分』中のエッセイ、「ネクタイ売り場で」です。先ずは冒頭の部分をお読み下さい。

 

ネクタイ売り場ではなぜかたちまち店員がまとわりつく。

「お客さまがお召しですか」

「今のお背広におあわせですか」

「どんながらをお捜しですか」

まだろくに品物を見ていないうちに矢つぎばやに質問を浴びせかけられる。

こちらとしては曖昧に、不機嫌に首を振るよりほかにない。

 

ここで「不機嫌に」という描写が素晴らしいのです。にもかかわらず、店員は追及を緩めないばかりでなく、「こちらは今お召しのスーツに似合うと思いますが」とか「これが今年の新柄です」といったような調子でどんどん商品を進めてきます。すべて女性店員で、若い頃の経験が多かったのですが、ちょっと年配の店員といった雰囲気でした。

それでも店員から逃れて売り場をざっと見渡すうちに、「これは良さそうだ」と思うネクタイに気付くときもあるのです。自分の趣味ですから、店員が勧めてくれたものとはかなり違うのですが、それでも気に入ったものを買い求めることもありました。

そんな時でも諦めずに、「それはお客様には派手過ぎるのでは」とか、「お召しの背広には地味すぎませんか」といった攻勢をかけてくる店員もいるから驚きでした。店員の趣味でネクタイを買おうという意図は全くありませんので、気が向いた時には、「これに似合う背広があるので」くらいの返事をした上で、店員の意向は無視して好きなネクタイを購入していました。

最近はスーツを着ることもほとんどなくなり、ジャケットを羽織ってもノーネクタイのことが多いので、ネクタイを買いにデパートに行くこともありません。苦手な店員のセールストークに付き合うこともなくなり、ストレスは一つ減ったのですが、店先のネクタイラックの中にあるたくさんのネクタイから、「これだ!」と感じる一本に出会える機会もなくなり、「プラス1」・「マイナス1」といった気分です。

[2019/5/9 イライザ]

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2019年5月 8日 (水)

日本語「無支援」の外国籍の子どもたち ――一万人以上います――

子どもの日の毎日新聞電子版の記事で、再び我が国政治の貧困さに衝撃を受けました。

「日本の公立学校(小中高と特別支援学校)に通い、学校から「日本語教育が必要」と判断されたにもかかわらず、指導を受けられていない外国籍児らが全国で1万400人に上っている」

ということではありませんか。

 

007

国の施策が不十分なのですが、その点について、毎日新聞の奥山はるな、堀智行両記者は次のように解説しています。

「文科省は日本語指導が必要な児童生徒18人当たり担当教員1人を増員するとしているが、1校当たりの外国籍児らの在籍数は「5人未満」が7割以上で、対策が追いついていない。」

広島県には、支援のない子どもたちが110人いるようです。

Photo_98

毎日新聞の記事より

学校の先生方、PTAそして同じクラスの子どもたちが何もしないで、日本語のできない外国籍の子どもたちを放っておくことにはなっていないと信じています。何らかの工夫をしてできる範囲での支援はしているのだと思います。

とは言え、善意の解釈だけで物事を判断している限り、子どもたちの虐待や貧困等の問題への理解は生まれませんし、対策も手遅れになること請け合いです。全く見放されている子どもたちがいるかもしれないという仮定で、改めて問題のあることを確認しておきたいと思います。

外国の学校で言葉が分らないままに、授業に付いて行くのは大変です。日本語での授業でも内容が分らない授業を聞きながら机に座っているのがいかに大変だったかという経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。

私も高校生のときにアメリカに留学して、英語はそれなりにできた積りでしたし、留学生が珍しい時代・環境だったのでとても大事にされましたが、それでもずいぶん苦労をしました。大きな助けになったのは、社会科の時間に、先生が私の隣の席に「先生のアシスタント」のような存在の生徒を座らせてくれたことでした。授業中でも分らないことがあったら小さな声で教えて貰えたのです。分らないことがある度に授業を止めて一人の留学生の質問に答えなくても良くなり、先生も助かったようです。

現在、日本の小中高や特別支援学校に通っている子どもたちの中で、これほど恵まれた環境で勉強している子どもは少ないだろうと思います。先ずは基本的な日本語の教育が必要な子どもたちが圧倒的に多いのではないでしょうか。となると、一日一時間では足りないかもしれませんが、集中的に日本語を学習する場を学校ごとに設ける必要があるということでしょう。

国の施策が間に合わないという現実があるにしろ、一万人以上の子どもたちにとっては、今の今、何らかの支援がないと毎日が苦しみの連続になっている状況でしょう。となると、国ではなく、地域ごとにできることを考えたらどうでしょうか。

一人で行動するのが不安なら、何人かでチームを作って、地域の学校に日本語支援の子どもがいるのかどうかを問い合わせて、放課後でも昼休みでも、何人かが交代で日本語を教える場と時間を作ることは可能なのではないでしょうか。

でも、このくらいのことは私が提案する前に、全国各地で行われていて当然ですよね。だとしたら、この稿は「年寄りの冷や水」として読み捨てて下さい。

 [2019/5/8 イライザ]

 

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コメントではなく、迷惑メールならぬ迷惑書き込みが増えて対応に時間が掛るようになりました。

コメントをお寄せ下さる皆さんには申し訳ないのですが、ハードルをちょっと高くしました。変な書き込みが少なくなるまで、お付き合い頂ければ幸いです。

2019年5月 7日 (火)

お礼と感謝 ――慣用句の行き過ぎ――

お役人の作る文章は、未だに分り難いものが多いのですが、何故分り難いのかを説明するのさえ難しいくらいです。お役人の多くは頭の良い人が多いようですので、その結果として、私たちには分り難い表現になっているのかもしれません。そして、お役人はまた効率を重んじます。効率の代りに分り易さを選んで貰えないものかと、今回はある一点についての問題提起をしたいと思います。先ずは、明治150年記念式典における安倍内閣総理大臣式辞の中から、気になる部分を引用します。

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「皆様と共に、我が国が近代国家に向けて歩み出した往時を思い、それを成し遂げた明治の人々に敬意と感謝を表したいと思います。」

ここで気になるのは、「敬意と感謝を表する」という部分です。これまで、ずいぶんたくさんの公的な行事に出席してきましたが、その際に挨拶をする人たちのほとんどがこの表現を使っていました。

確かに、「敬意を表する」とは言います。でも、「感謝を表する」と言うものでしょうか。ちょっと変ですね。でも、最初からこんな言い方ではなく、途中からこう変ったのではないかと推測しています。

つまり、最初は「敬意と謝意を表します」だったのではないのでしょうか。これなら、問題はありません。とは言え、「敬意」と「謝意」を一まとめにしなくても良いような気もしますが--。

でも、「敬意」と「謝意」にはどこかからクレームが出たのではないかと思います。「謝意」にはもう一つ、「謝る」、つまり「謝罪する」という意味があるからです。その意味にこだわる人が、「何で謝らなくてはいけないんだ」と横槍を入れた、というシナリオはあり得ることなのではないかと思います。

その結果、「謝意」と同じ意味を持つ「感謝」を使うことになったのではないでしょうか。

実は、「敬意」と「感謝」が一対の言葉として使われるようになってから、様々な行事では、これまた種々の動詞が使われるようになりました。作文をするお役人たちの中にも、「敬意と感謝を表する」に違和感を持った人がかなりいたということなのだと思います。「敬意と感謝を致します」とか「敬意と感謝を申し上げます」等々です。

そして、最近ではそれが行き着くところまで行ってしまいました。「お礼と感謝を致します」とか、「お礼と感謝を申し上げます」を良く聴くようになったのです。「お礼」と「感謝」は同じ意味ですから、変なのですが、慣用句として定着すれば違和感はなくなるのかもしれません。でも、ここでも最初に指摘した違和感は解消されていません。たとえば、「感謝致します」とは言っても「お礼致します」とは、感謝するという意味では使わないのではないでしょうか。

もう一点、朝見の儀における新天皇の「おことば」では、「敬意と感謝を申し上げます」が使われていました。確かに違和感がありますが、それには意味があるのかもしれないと私は読んでいます。この表現は、お役人言葉なのですが、必ずしも新天皇の好む表現ではないように思われるからです。にもかかわらず、そのまま「おことば」を読まれたのは、朝見の儀が国事行為だからなのではないでしょうか。5月3日の「朝見の儀と憲法」で説明したように、国事行為は、内閣の助言と承認が必要であり、その全責任は内閣が負わなくてはならないからです。違和感のある日本語の使い方にも当然、内閣が責任を持たなくてはならないのです。

[2019/5/7 イライザ]

 

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2019年5月 6日 (月)

飯田橋の越後料理 一真 ――名物は「へぎそば」――

上京するときの宿は、そのときの会議や用事がどこなのかによって決めているのですが、最近は子どもたちの下宿を中心に考えて、交通の便の良いところになっています。その結果、飯田橋が便利なことに気付いて、その辺のホテルに泊っています。

飯田橋には大学もあり、多くのビジネスも集中していますし、神楽坂も近く夜のエンターテインメントも充実しています。羽田空港や東京駅からも近いですし、かつてこの辺に住んでいたこともあり、いつも快適な滞在になっています。

お昼の時間は、近くのオフィスから結構若い男女が繰り出してくる感じで、随分混むのですが、ちょっと時間をずらして空いたころに食べることにしています。夜も同じです。

どこが美味しいのかは、昼食時の行列を見ることで分りますが、それほど行列はなかった店であるにもかかわらず、素晴らしいところがありました。「越後料理 一真」です。

新潟に行ったときに、名物として振る舞われたものの中に「へぎそば」がありましたが、東京でも食べられるのを発見して、久し振りに店に入ってみました。

まず「へぎそば」とはどんなそばなのかという、ウィキペディアの説明です。

「「へぎ(片木)」と呼ばれる、剥ぎ板で作った四角い器に載せて供されることからこの名が付いた。冷やしたそば3 - 4人前を、一口程度に小分けし、丸めて盛りつける様子から「手振りそば」とも呼ぶ。器の「へぎ」は、「剥ぎ」を語源とする。」

写真で見て貰った方が分り易いと思います。店の表の看板です。

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何度も行きましたし、その度にメンバーがちょっとずつ違っていましたので、注文したものは多種に上るのですが、やはり、へぎそば中心の一品で満足度が高かったのが、「天付へぎそばセット」です。

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これは若い人たちに人気がありました。私のお気に入りは、どこに行っても注文する傾向のある「かき揚げ」が入っている、「桜海老かき揚げ天せいろ」です。

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一真のかき揚げで感激したのは、これが3次元的かき揚げだったからです。

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最初にテーブルに運ばれて来た時には、「タワーかき揚げだ!」と声を上げてしまいました。美味しい蕎麦と揚げ物であることはもう、書く必要がないと思いますが、その上、この店で感激したのは、雰囲気とサービスです。お客さんを大切にしていることが良く分る接客なのです。

日本の食文化の典型的存在の一つである蕎麦屋の雰囲気を表すのに英語を使うこともないのですが、この店で頭に浮んだのは「civility」という言葉です。礼儀正しい、そして丁重なという意味ですが、その類語の「civilized」(上品な)という感じもありました。加えて、「粋」と言ったら良いような昔の名残までそこはかとなく漂っていて、空いた時間に一人でゆっくりするのには最適です。

例えば、相席を依頼するときの言葉と所作から感じたのは、押し付けがましくなく、こちらが断っても構わないのですよ、というようなニュアンスが伝わってきました。越後ではワサビが採れなかったので、蕎麦はからしで食べていたので、良かったら試してみて下さいというお勧めも上から目線ではなく、へぎそばを楽しんでほ欲しいという気持がしっかり伝わって来ていました。

店員のお兄さんたちだけでなくお姉さんたち、とくに女将さんだと思われるちょっと年配の女性の気配りもさりげない温かさが感じられました。

ことによるとこうした気遣いは越後特有のものかもしれませんが、古き良き時代の東京を思いだす一時にもなりました。

[2019/5/6 イライザ]

 

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2019年5月 5日 (日)

三宅吉彦元副市長を偲ぶ会 ――「官僚」の鑑でした――

広島市職員として多くの市民・職員・被爆者等の人々から敬愛されていた三宅吉彦副市長が亡くなられてからもう一年ほど経ちました。未だに、それを現実として受け入れられない思いなのですが、先日、奥様とお嬢様を交えて、三宅副市長と親交の深かった元職員何人かが集って、三宅さんを偲ぶ会を催しました。

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故三宅吉彦副市長

副市長退職後も、親しかった元職員数人で近況報告をし合っていたのが、中華料理店の「八八 (はちはち)」でした。先ずは生ビールを注文して、すぐ「北京ダック」になるのがお決まりでしたが、この日は「八八」にお任せして、私たちは思い出話に花を咲かせました。

当日のメンバーは、三宅さんの先輩や同期そして直属の部下として仕事をしたことのある人たちでしたので、仕事の上でのエピソードも多くありましたが、それ以上に全員が共通して忘れられないことと言えば、それは三宅さんの「ユーモアのセンス」でした。きれいに言うとそうなのですが、もっと直截に表現すれば「ダジャレ」が好きだったということです。

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八八での偲ぶ会

私の経験では、「ダジャレ好き」の人は、ほとんど創造力の優れた人です。たとえば、大前研一氏がその筆頭かもしれませんが、三宅さんもそれ以上にランクできるかもしれません。その一つのエピソードをAさんが披露してくれました。

広島市はカナダのモントリオール市と姉妹都市の関係にあります。ある時モントリオール市からの訪問団を歓迎する準備をする責任者が三宅さんで、その下で実質的にすべての実務を仕切ったのが、久保氏でした。訪問団が次の日には帰国するという最後のディナーで、ホスト側の最後のスピーチは三宅さんの担当でした。モントリオールの訪問団の皆さんと、広島側の準備スタッフ両方に三宅さんが労いの言葉を掛け、最後に、締めの言葉として三宅さんが厳かに発したのが、「メルシー、クボ」だったそうなのです。広島市、モントリオール市双方からの爆笑を期待していたようなのですが、残念なことにこれを「ジョーク」だと捉えることのできた人は少なかったようです。フランス語を知っている人が少ない上に、フランス語が母国語であるモントリオールの人たちにも全く通じなかったので、御本人が落胆していたという話でした。

フランス語を御存知でない方への解説ですが、「どうもありがとうございます」をフランス語では「メルシー、ボク」と言います。「ボク (beaucoup)」とは沢山という意味ですので、英語なら「Thank you very much.」の「very much」に当ります。「ボク」をひっくり返して「メルシー、クボ」にすると、「久保さん有難う」の意味になりますし、「ボク」がひっくり返っていることに気付いて何故なのかなという疑問が生じればジョークの意味は伝わったはずなのですが--。

しかし、三宅さんの本領が発揮されたのは、仕事面での危機的状況、通常の対応では乗り越えられないような難局に直面したときだったことは全員が証言してくれました。それに加えて、彼の得意とする法規の面での仕事になると他の追随を許さなかったことも、その夜の皆さんの発言で何度も繰り返されました。

たとえば、カープの優勝にも貢献した市民球場の建設についても、直接の担当ではないのに、常に担当者を励まして無事素晴らしい球場の完成にこぎつけたこと。暴走族追放条例案の作成時には、条文の文章をぎりぎりまで詰めた結果を成案にし、後には最高裁判所に持ち込まれることになる仕事をしたこと。議会との対立で予算案が否決された時には、何十年も使われたことのない「再議」という手続きで、徹夜覚悟で予算を成立させたこと。もっと多くの案件についての思い出話があったのですが、とてもその全部を書ききれません。

議会との対立は、議会のボスと市長との対立が大きな原因だったのですが、それと並行して、行政が議会に取り込まれていたという現実もありました。そのボスが行政を懐柔するために定期的に幹部職員を集めて開いていた宴席に、幹部職員としてただ一人参加しなかったのも三宅さんでした。その理由は、憲法15条で義務付けられている「全体の奉仕者」としての市職員の立場を貫くためでした。

その三宅さんの仕事振りを市会議員として長く観察し続けてきた当時の藤田議長は、ある日私に、「三宅は命を懸けて仕事をしていますね」と心からの称賛とともに語ってくれたことがあります。

その背景には、三宅さんがガンと闘い続けながら仕事を続けてきたという事実のあることも私たち仲間は良く知っていました。ガンと宣告されてから28年間、医師のアドバイスを理解しながら、病状を客観的に分析し、その時々の選択肢を賢明に選び、生きることを最大目標としながらも冷静に病気と闘う姿は、常に私たちを感動させていました。

奥様の言葉によると、昨年の一月初めまでは体調が良好だったにもかかわらず急変し、病院では胸水が溜っていると診断されたこと、また療養が長期化する可能性があり、3月に緩和ケア病棟に移ったこと、亡くなった日も最後まで生きる意欲があったこと、でも最後には「諦めた」と書いていたこと等、最後の日の一コマ一コマを含めて、ぎりぎりまで人として生きた人生だったというお話を伺うことが出来ました。

車が好きで、暇ができると計画も立てずにお子さんたちを連れて一家で旅行に出かけたこと、長崎、黒部、高山等、ずいぶん遠くまで足を延ばしていたことも伺いました。

残念なことに、余りにも若くして幽明境を異にすることになった三宅さんですが、「官僚」の生きたお手本として「公務員」の鑑として、輝き続けて欲しかった人物です。昨今、霞が関の高級官僚たちが、政治家に取り込まれて、節を曲げ腐敗を腐敗とも感じなくなっている体たらくを見聞きするたびに、三宅さんの爪の垢でも煎じて飲ませなくては彼らの目は覚めないと思っているのは私だけではないはずです。

そんな三宅さんの「言行録」、あるいは「伝記」を三宅さんを知る仲間たちで編纂して後世に残して貰えないものか、何方かにお願いしたい気持で一杯です。その一環として、本稿をお読み下さった方で、三宅さんを御存知の方には、一言三宅さんを偲ぶコメントを頂けると有り難いのですが---。

そして、三宅さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。

 [2019/5/5 イライザ]

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コメント

広島市の行政実験として「科学技術市民カウンセラー」
メンバーに呼ばれた初日の会議で。
その日は市長より直接のご挨拶がありました。
メンバーは緊張しました。
三宅氏もいらしていたと記憶しているのですが。
まさにこの写真の笑顔でした。
「科学技術政策大綱」の策定にも
かかわってくださったのかもしれません。
彼の「笑顔」こそ
私どもが5年半、
サイエンスカフェや講座講師の原動力
であった、と思います。

今でもほそぼそと講師依頼があり、
活動再開時の原資とするべく出向いております。

「緩和ケア薬剤師」様

コメント有り難う御座いました。

三宅さんの笑顔は多くの人の心に残っているようですね。

それと、市民レベルの努力で科学や未知の領域への関心を高めることも大切です。これからも是非、頑張って下さい。

2019年5月 4日 (土)

生前退位と憲法

[以下、憲法の枠組み内の話ですので、マスコミ等でよく使われる「天皇陛下」ではなく、憲法で使われている「天皇」と表記します。]

前回は、5月1日の朝見の儀における「おことば」、そして「国民代表の辞」を、1989年1月9日の朝見の儀の「おことば」と「奉答文」と比較しました。そして、今回の朝見の儀では、竹下内閣時代とは違って、憲法99条に規定されている憲法遵守の精神がすっぽり抜け落ちていることを確認しました。さらに、「朝見の儀」が国事行為であることが法的に決められていることから、憲法3条に従うと、この違いの全責任が内閣にあることも確認しました。

今回は、その続きですが、この違いが意図的であるとしか考えられないことをいくつかの事実を元に検証しておきたいと思います。

① 通常、いわゆる公的な行事において、「トップ」と位置付けられている人の読む「挨拶」の原稿は、担当のお役所が起草します。その際、何より前例を重んずるのが官僚です。前回の「挨拶」と全く同じ文言を平気で読ませることなど、朝飯前です。たとえば、8月6日、広島市の平和記念式典、そして8月9日の長崎市平和記念式典における総理大臣挨拶は、広島と長崎でほぼ同じ、そして毎年、前年と同じ内容・言葉です。この点については、「タウンNEWS広島平和大通り」さんが鋭く指摘していますので、それをお読み下さい。

 

190503

官邸のホームページから

つまり、竹下内閣と安倍内閣との間の憲法に対する姿勢の違いは官僚の意図に依るものではないと考えた方が良いようです。もっとも、官僚が総理大臣の意図を忖度したのなら話は別ですし、総理大臣が自らの意志で発言すること、あるいは行事の内容について指示をすることはあり得ます。ここで、主張しているのは正にこのことです。

 

② 現天皇が、憲法99条の意味を理解していることを示す言葉は沢山ありますが、2014年、誕生日を迎えるに当っての記者会見での発言を取り上げておきましょう。それは、「今後とも,憲法を遵守する立場に立って,必要な助言を得ながら,事に当たっていくことが大切だと考えております。」です。「必要な助言を得ながら」は、第3条を頭に置いて、国事行為について内閣の助言と承認が必要なことからの言葉です。しかし、その前に、「憲法を遵守する立場に立って」があることで、99条において、天皇にも憲法遵守義務が課せられていることを踏まえての言葉です。

 

つまり、現天皇が自ら「おことば」の内容を決めたのであれば、当然、これと同一線上の言葉になるでしょうし、現上皇が天皇として即位したときと同じ内容を踏襲することには問題がなかったはずなのです。従って、何度も繰り返しますが、責任は内閣にあるという結論になるのです。

 

③ 2016年8月8日の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」に、安倍首相周辺が介入して、一部を削除するという結果になったことを、毎日新聞の伊藤智永論説委員著の『「平成の天皇」論』(講談社現代新書)が具体的に記述しています。その一部の引用です。ここで、「衛藤氏」とは、同書で「首相の指示で衛藤晟一首相補佐官が文言の点検を担当した」と説明が付いている衛藤晟一首相補佐官です。

「関係者によると、原案には欧州の王室における生前退位の近況を引用した部分が二ヵ所あった。王室は国民に語り掛ける機会が多く、先代が亡くなった後、喪に服す期間が日本ほど長くないことが書かれていたという。衛藤氏はこれを「神話から生まれた万世一系の天皇が、権力闘争の末に登場した欧州の王室の例に倣う必要はない」という理由で削除し、宮内庁も受け入れた。」

 

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30年もの間に政治的圧力に抵抗したり妥協したりするという経験をお持ちの当時の天皇 (現上皇) でさえ、「首相の指示」に基づいた圧力に負けているのですから、天皇に即位したばかりの新天皇に圧力を掛けることくらい、何でもなかったのではないかと考えられます。

以上、安倍内閣が朝見の儀を憲法抜きの儀式にしてしまったという主張です。これまでの説明には説得力があると思いますが、状況証拠だと言われてしまえばそれまでです。しかし、安倍政権が憲法を軽んじている事実は、認めざるを得ないのではないでしょうか。今後もその圧力は続くはずです。新天皇も99条通りに、憲法を最優先しようとしていることは、皇太子時代の言葉から読み取れるのですが、その天皇を圧力から守れるのは、私たち主権者です。そのために何ができるのか、より具体的なレベルで皆さんと一緒に考えられればと思います。

 [2019/5/3 イライザ]

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コメント

一連のもの、見ず読まずでしたので、
5/3朝日川柳で、やっぱりねと。
すぐにこちらコラムを。より理解が深まりました。

ジョン・フランケンハイマーの『五月の七日間』Seven Days in May 米1963
「国を守るのなら、憲法にのっとって守るべきではないのかね」
大統領が、米軍制服組トップ(←確か)に言うセリフ(字幕)。
さらに、こんなやりとりも!
大統領「君は憲法を尊重するわけだな」
何とか大佐「はい。立派な憲法であり変える必要はない」
大統領「私もそう思う」
(封切時見逃し2002年wowowで)

「硬い心」様

コメント有り難う御座いました。

アメリカの大統領は、就任式の宣誓で、ただ一つ、憲法を守ることを誓うのですから、心構えが違うのだと思います。

2019年5月 3日 (金)

朝見の儀と憲法

[以下、憲法の枠組み内の話ですので、マスコミ等でよく使われる「天皇陛下」ではなく、憲法で使われている「天皇」と表記します。「総理大臣」等についても憲法の用語に従います。]

平成が終り、「令和」にった5月1日、「即位後朝見の儀」が行われました。この儀式には、憲法と深い関係があります。なぜなら、即位後朝見の儀とは、「即位された天皇陛下が,ご即位後初めて公式に三権の長を始め国民を代表する人々と会われる儀式」だからです。

そこでの天皇の「おことば」は、マスコミが全文を伝えていますので、ここではその中で憲法に言及している最後の部分に注目します。

「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。」

ここで、「憲法にのっとり」がどこに掛っているのかが重要ですが、それは、そのすぐ後の「日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い」の部分だけだと考えるのが自然です。その次にまで掛っていると解釈すると、「憲法にのっとり、世界の平和を切に希望します」となってしまって、そのような表現が絶対ないとは言えませんが大変、不自然だからです。

この点に気付いたのは、現上皇が、平成になってすぐ、1989年1月9日の朝見の儀での「おことば」を記憶していたからです。それは次の通りです。

「皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません」

ここで大切な点が三つあります。一つは、「日本国憲法を守り」と憲法遵守を明確に誓っている点です。そして、二つ目は、それを、つまり「日本国憲法を守る」ことを行うのは、「皆さんとともに」だということもハッキリ述べている点です。さらに、自ら「これに従って責務を果たすことを誓い」と、憲法を遵守するとの宣誓を行っていることです。この三つが重要なのは、憲法99条を読むことではっきりします。99条を引用します。

第99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

第99条で憲法遵守義務を負わされているのは、天皇と摂政というグループ (天皇と略します) そして、総理大臣以下の国務大臣等の公務員 (これを公務員と略します) という二つのグループになります。そして、朝見の儀とは、新たに天皇になった立場、つまり第一のグループの人が、初めて第二のグループの人と顔を合わせる場です。そして憲法上、この二つのグループが一つの条項でともに義務を与えられているのはこの条文だけなのです。

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となると、現上皇による1989年の「おことば」は、憲法を遵守するという誓いを、国民を代表する公務員たちとともに行うという、ことによると憲法上もっとも重要な行為になるではありませんか。

対して、今年5月1日の「おことば」は、 「日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」ということにしか言及していません。これは第1条への言及が中心になっています。間接的には99条を守ることも含まれていると解釈できないわけではありませんが、「日本国憲法を守り」と言い切っていないのは何故かという疑問が生じます。

さらに、せっかく三権の長も含めて、「公務員」の中でもリーダー的な役割の人たちが集まった場ですので、一方的に天皇が憲法について発言するだけではなく、「皆さんとともに」憲法を軸にして未来を考える、あるいは確認する場にしても良かったのではないでしょうか。

こまで読まれて、これを現天皇批判だと受け止められている方がいらっしゃるかもしれません。しかし、ここで批判をしているのは、「公務員」、特に内閣です。その理由は明白です。今回の朝見の儀は、「国事行為」であることが決められたのですが、憲法3条によると国事行為については、内閣が助言と承認を行い、かつその責任を負うことが決められているのです。天皇の発言も含めて、全ては内閣の責任であるという意味だからです。従って、ここでの批判は全て内閣批判なのです。(1989年の朝見の儀も、国事行為という解釈が成り立つようなのですが、法律による明示的な規定ではなかったと記憶しています。)

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そして今回の朝見の儀に欠けてしまったのが、憲法99条なのです。その点は、既に述べた比較で十分お分りだと思いますが、内閣の責任という点から、1989年の朝見の儀における竹下総理大臣による奉答文と、2019年5月1日の安倍総理大臣による「国民代表の辞」それぞれの中の憲法に関連のある部分を比べてみましょう。

竹下総理大臣:   「国民一同、日本国憲法の下、天皇陛下を国民統合の象徴と仰ぎ、世界に開かれ、活力に満ち、文化豊かな日本を建設し、世界の平和と人類福祉の増進のため、更に最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます。」

安倍総理大臣:   「英邁なる天皇陛下から、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、日本国憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たされるとともに、国民の幸せと国の一層の発展、世界の平和を切に希望するとのおことばを賜りました。」

竹下奉答文では、「日本国憲法の下」、公務員も含めた「国民」が一つになって「お誓い申し上げます」と読むことが可能です。つまり、公務員の憲法遵守も視野に入れての言葉になっています。

安倍総理大臣の辞では、憲法の下りは天皇の決意を復唱しただけで、自分たちがどう憲法と関わるのかについては一言も言及していません。その他の部分を注意深くチェックしても憲法への言及はありません。つまり、憲法99条の憲法遵守義務について、「公務員」の立場から天皇とともにその義務を果すという決意も誓いも述べられていないどころか、言及さえされていないのです。

国事行為の中身を決定する内閣が、その意思を朝見の儀にどう表現したのかはもう御理解頂けたと思います。内閣が本来政治利用すべきではない儀式をどう扱ったのかを見る限り、安倍内閣は平成の竹下内閣に、憲法遵守という点でははるかに及ばないのです。

大分、長くなってしまいました。しかし、これだけではまだまだ不十分なのです。安倍政権による、天皇の発言に対する「介入」についてまで詳しく知らないと、事の深刻さは伝わりません。

[次回に続きます。]

 

 [2019/5/2 イライザ]

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2019年5月 2日 (木)

恒例のゴールデン・ウイークBBQ

ゴールデン・ウイークだというのに、冬に戻ったような日々が続いたり、大雨が降ったりで心配しましたが、恒例のゴールデン・ウイーク・バーベキューの日は、何とか良い天気になりました。雨は降らず、しかもカンカン照りではないので屋外が快適でした。でも一番有り難かったのは、風がないことでした。4家族の持ち寄りパーティーですが、美味しい食事と飲み物はもちろんなのですが、子どもたちの成長ぶりが何にも増しての御馳走になるのは毎年のことです。

ワイン通のS家が差し入れてくれたシャンパンです。先ずは、これがないと盛り上がりません。そしていつも素晴らしいシャンパンを有難うございます。

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早速、乾杯です。参加者が全員揃うまで待ち切れずに、「練習」から始めましたので、結局何回か乾杯を繰り返しました。

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食べ物も、このバーベキューでは恒例になった高級牛肉です。何時も有り難いのですが、これもS家が「ふるさと納税」で頂いた美味しいサーロインでした。

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昨年一昨年と同じ頃に報告をしていますが、それなりに写真を撮れた積りです。でも今年は、座り心地の良い椅子に恵まれて、ついつい写真を撮るために立ち上がるのが億劫になりました。老化現象かもしれません。

来年のバーベキューも楽しみですが、ことによると秋にも同じメンバーでのバーベキューが実現するかもしれません。

 [2019/5/2 イライザ]

 

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2019年5月 1日 (水)

海洋プラスチック問題 (2) ――企業レベル・国レベルでの取り組み――

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昨日に続いて、マッカーサー財団が、今年の3月に、プラスチック経済についての世界的規模での真剣な取り組み状況をレポートしました。これは、昨年始まったビジョンを具体化するものです。その基本的な考え方は、プラスチックの利用について、循環経済という視点から取り組むということです。その決意をした上で、どのような具体的な活動が始まったか、参加者の決意表明、あるいは宣言と言っても良いと思います。

たとえば、カルフール、コルゲート、マース、ネスレ、ジョンソン、コカ・コーラ、ユニリーバ等の世界的企業の多くが、プラスチック包装の年間使用量を公表することになったという成果が報告されています。さらに、次のような真剣な取り組み (約束) を実行する責任のあることが示され、また報告されています。

  • 消費財の生産や小売業者は、包装材中のリサイクルされた材料の量を、現在の世界平均である2%から、2025年までには25%にまで増やす。
  • メジャーなビジネスならびに国家は、問題のあるプラスチックや不必要なプラスチックの使用を中止する--その中には、PVC、使い捨てのプラスチックのストローやレジ袋が含まれ、その中の多くのものは今年中に中止することが望まれる。
  • 40のブランドと小売業者が、リユースとリフィルの計画を増強している。

これに対して、我が国での対応はどうなのかというと、外務省が「海洋プラスチック対策--日本企業の先進例」として挙げている企業リストが参考になります。

スターバックスやマクドナルドなどの外資系の飲食店が積極的にプラスチック・ストローの廃止に取り組んでいるのに対して、日本企業ではガストくらいしか名前が出て来ないのは残念ですし、国レベルの対応もEUに代表されるヨーロッパとはかなり違っています。

例えば欧州議会では、ストローや綿棒、食器、マドラー、風船に付ける柄など、日常的に使われるプラスチックを禁止する法案が2018年10月に採択されました。それを実施するためには加盟各国での法律が必要になりますが、2021年までに加盟国でこの法律を施行することになりそうです。英国も、EU離脱後の移行期間内にこの法案が成立・施行された場合には、国内法として導入することになるのだそうです。

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日本やアメリカは、G7で、署名5か国とは袂を分かち「海洋プラスチック憲章」に署名しませんでしたが、国家と都市は違います。たとえばアメリカのシアトル市は、スターバックスの本社があることで有名ですが、2007年からプラスチックの削減に向けた条例を作り、2018年には、プラスチック・ストローを含むプラスチック製食器類の使用を禁止しました。リユース可能、堆肥化可能等の条件のあるプラスチックは例外です。

こうした都市レベルによるイニシャティブは、アメリカの他の都市でも行われていますし、温暖化防止の努力や核兵器禁止のための努力においても同様に、全米の都市に広がっているのです。

都市レベルでこのような成果が挙っているのは、国レベルでは市民の声が政策に反映され難くても、都市レベルではそれが可能だという現実があるからです。

となると、私たちが取り組むべき具体的な行動が見えてきます。一つには、プラスチックの使用を減らす努力を続けること。レジ袋を使わない、プラスチック・ストローを使わない等、個人レベルですぐできることが沢山あります。そして、市内の清掃活動も大切ですから、続けましょう。明るい社会づくり運動の皆さんが得意としている分野でもありますし、企業ごとに一定の地域を清掃してプラスチックごみも含めて、ごみを回収することも広く行われています。河岸の清掃も多くの都市では定期的な市民活動として続けられています。

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こうした実績を元に、プラスチックのストロー使用禁止を含めた、プラスチック製品の使用についての条例を都市単位で実現して行くことは可能です。

我が国でも、未だ条例の制定にまではつながっていなくても、多くの都市で市民が中心になってこのような取り組みは行われています。さらに、ごみの分別等の意識の高いことは、世界的にも評価されています。その結果として、我が国のプラスチック製品の使用後回収率は84%にも上るという数字があるのですが、これをさらに改善しながら、日本政府も同時に変えて行く努力も続けられれば鬼に金棒だと思います。

[2019/5/1 イライザ]

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